37話 次期当主改造手術
検査器具を取り付けたまま1時間ほどそのままで、と言われ、室内には誰もいなくなった。
次期当主を1人だけ部屋に拘束して誰もいなくなって良いのか、と思いもしたが、良く考えると、この施設は誰あろうあの女神ヴァイラスの巫女であり、あらゆる場所を見て、聞いているフミフェナ嬢の管理する施設だ。
フミフェナ嬢が肝煎りで設営したこの施設に、彼女の不利益になるようなことをする人物が入れるはずもなく、従順な配下の中でも、女神の洗礼を受けた者や女神の信徒が大半だろう。
彼女の場合は、短期間に人材を集めなければならない状況であるだろうと思われるので、そう言った人物を使う方が、間違いがないのだろう。
金銭や名声、信仰心を目的として女神ヴァイラスの姫巫女に仕えようと思う者はまだ良い、不純な目的で以って彼女に仕えようとする者も中にはいるはずだ。
しかし、、女神の洗礼を受けた者がどうなるのかを現実に知ることになれば、不純な目的を以って彼女に近付いた者達も、彼女に逆らおうという発想自体が消え失せるのは明白だ。
そう考えれば警備が要らないという考え方もできるか。
誰もいなくなったタイミングで自分に対して『鑑定』を使ってみると、身体の各部位に幾つも金属片らしきものを挿し込んだ形跡があり、加えて謎の粒子を保有・放出する粒子結晶と連結された器具もふくらはぎに装着されていた。
当初、これらを取付した看護師らしき女性に、これがどういった物なのか心配になって尋ねたが、「適合性を確かめる機器ですので、御身体に害はありません、御心配なく」という一言を放つと黙ってしまったので、見たことも無くて何の器具なのか分からなくて怖い。
自分は次期当主なのだが、扱いがぞんざい過ぎないか?と思いもしたが、彼ら彼女らからすると主はフミフェナであり、その上司である自分にはあまり遠慮はないのかもしれない。
いや、立場は度外視して、医療従事者にとってあくまで『患者の1人』という見方をしているのだということだろうか?
いや、そう思おう、そうでないと不安で仕方がない。
しばらくすると、紫がかった黒髪をした30台頃の女性看護師が入ってくる。
看護師風の制服ではあるが、先程までいた看護師とは異なり、どちらかというと身体つきが戦士寄りというか、戦士のような雰囲気を感じた。
『鑑定』はしていないが、かなりの高レベルだろう。
彼女はいくつかの準備を終えると、ガチャリと出入口の扉の鍵を閉めた。
・・・何故鍵を閉める?
「お疲れ様でした。
検査はこれで全て完了しました。
本日、アマヒロ様の入院・施術に関して担当者となりました、シアケン・ホリヴェナヴァと申します。
シアケンとお呼びください。
そして、アマヒロ様、おめでとうございます。
免疫等、適合テストの結果、全て問題ありません。」
「ありがとう。
君も『ブレスレット』や『指輪』を装備しているが、戦士なのか?」
「はい、そして、いいえでもあります。
私は戦士としては、この『壁』の守護者としてのみ活動しており、前線には出向いておりませんので、戦士と呼んでよいのか微妙なところなのです。
今後改善していく予定ではあるのですが、人材不足の為、今の所、複数の仕事を掛け持ちしておりまして、今日は、アマヒロ様への施術の為の助手としてこちらに参りました。
主には、ここ『壁』に集まってくる、フミフェナ様やヴェイナー殿、現地諜報員などから送信されてきた情報などを統合・処理、記録する事務方のまとめ役の仕事をやっております。」
「こちらの責任者ということですか、これは失礼した。」
「次期御当主様が何をおっしゃいます。
こちらの施設にいる場合は、私は様々な治療を担う医師、あるいは医師の助手でもあります。
こちらが開院してからまだ日も浅く、常勤の医師も数人しかおらず、また入院を要する患者も少ないので、フル稼働とはいきませんが・・・。
今のところ、ヒノワ様あるいはフミフェナ様から依頼を請けて、前線で負傷した重症患者等の治療を請け負い、治療・施術する医師が非常勤でこちらで施術するような設備を要する施設だと認識いただければ。
この度の施術も含めた、ナイン・ヴァーナント技師の施術の為の設備については、こちらの設備が最も最適化されており、安全かつ安定した施術が可能となっております。」
「なるほど、トオルさんのような役職ということかな・・・?
戦場には出ない、というのは、フミフェナ嬢からそう縛られているということか?」
「・・・私は過去の戦闘が原因で、戦士階級にいながら戦場で魔物と相対することに、精神的なトラウマを抱えていることが、先日の大戦の後、分かりました。
腰が抜け、武具も落とし、涙とヨダレを垂れ流す私を、仲間達は引き摺って連れ帰ってくれましたが、もし1人で魔物と相対していれば、私はきっとそこで命を失ったことでしょう。
・・・対魔物の戦士としてこれまで生きてきながら、仲間に迷惑を掛けるしかない存在となった私は、全てを失いました。
その日、私は・・・職を辞しました。
職を辞してすぐ、カンベリアを離れ、行く宛もなく前線から出来るだけ離れられるように、と、南下し・・・そしてレギルジアに立ち寄りました。
その頃は精神的にも弱っており、純粋な戦士として30年以上生きてきた私が、もう戦えないのだと絶望し、なるべく遠くに、遠くに、と思い、特に目的地も定めずフラッと立ち寄っただけでした。
レギルジアを訪れた先のことは何も考えておらず、究極のところ、何も見出す物がなければ、行きついた後は自死すら考えておりました。
しかし、レギルジア、そこで、私は神に出会ったのです。」
「・・・うん。」
「私は出身がアーングレイドなのですが、かつてはレギルジアで仕官し、ホノカ殿の傘下でレギルジアの都市防衛戦士団に所属したこともありました。
数年前、カンベリアに異動となり、それ以来5年以上レギルジアには訪れておりませんでした。
勿論アマヒロ様もご存知だと思いますが、今現在のレギルジアは、かつてのレギルジアとは比較にならぬ繁栄を迎えております。」
「5年前と今現在のレギルジアの変化は、我々としてもあまりにも急激な変化すぎて、ついていけていない部分もある。
それほど、あの都市は栄えているね。」
「はい。
都市内の御荘園も、都市外の広大な田畑も、都市民の生活も、戦士達の充実も、商家を含めた様々な民の安寧と繁栄も。
女神ヴァイラス様の恩恵は、生活に直結する様々なことに影響を与えている為、私のような都市運営に疎い素人が見ても明確に分かります。
概念だけの神様とは違うのです。」
「そうだな、それは共感する。」
レギルジアは女神ヴァイラスの恩寵を受け、全盛の時代を迎えている。
今までは直接的な利益、生命、食糧、怪我や成長へのバフのようなものばかりが取りざたされていたが、最近はその直接的な利益を受けて、子沢山の家庭の「受け入れ先」の展望が拓けた。
短期間のみの恩寵であるかもしれない、と考える深層心理が様々な人達の中にあったはずだが、女神ヴァイラスが降臨したと伝えられてから8ケ月程度で、レギルジアは激変し、レギルジアの住民達には様々な選択肢が拡がったのだ。
天の恵みを収穫し、なんとか食い繋いできたという農家の長男以外の兄弟たちは、新しい田畑を切り開いて自分の家を持つという展望も持てた。
商家の者達も、限られたルートで限られた商品のみを取り扱いし、なんとか食い繋いでいた者達も、あまりに販路が拡大し過ぎて人員不足となった大商人や大店から事業提携や合併など様々な所で環境改善が発生した。
獣や魔獣などを狩って生活していたハンター達も、狩りの効率が上がったり自らの腕前が向上したことで、狩りでの生存率が向上し、怪我の頻度が減少し、あるいは怪我をしても回復が速くなったことで、『成り手』が増え、より近隣都市や村落近辺での獣や魔獣による被害が激減し、また商品需要が激増したことから、彼らの家族も大黒柱を失う心配が激減した上に経済状況も格段に好転し、子供や後継者を連れて狩りをするハンターも増えてきている。
他にも様々な職業、様々な戦士達が恩恵に与っているのだ。
そして、食糧や生産品等の余剰分は、フミフェナがバランギア卿と提携する形ではあるが橙色領に大量に出荷することで新たな販路・収益として内需だけではない利益も獲得できることになり、様々な者がその恩恵を浴び、そしてそこから派生するおこぼれにより、更に多くの人間が潤い、そして彼らが得た利益によって物の売買が推進され、そしてそれによって得られる税で領に莫大な金が入ってくる、そして領はそれを元にインフラの整備に投資し、土木建築従事者が潤い、飲食店や繁華街も潤う、という誰も損をしない環境が築かれた。
先行きが明るい。
貧困や飢え、病・怪我に悩まされる者が極端に少ない。
そしてそれが当たり前でないことを知っている者達。
レギルジアの住民の向上心と女神ヴァイラスへの信仰心の上昇は、ある意味リンクしているとも言える。
女神ヴァイラスはひょっとすると信仰心自体を人間で言う『栄養』のようなものとして力を得ることができる神なのかもしれない、とアマヒロは考えていた。
でなければ、これほどの事が出来るとはとても考えられなかった。
とは言え、研究をするようなことをすれば、研究者達の命の保証ができない為、そう言った“口頭あるいは文字で女神ヴァイラスを調べ、研究すること”については、しないように領内の研究機関などには通知している。
秘密裡にそういった事をしようとした者達もいるかもしれないが、表に出てきていないということは、下手をすると人知れず死んでいるかもしれない。
が、アマヒロとしてはこちらに被害がなければそういった被害が出ていたとしても知ったことではない、と思っていた。
女神ヴァイラスから晒し者にせよ、とでも神託が無ければ敢えてそこを掘り返そうともしない。
アマヒロは自らも神を試そうとして大失態を犯したことから、そう言ったことにはひたすら触れぬ神に祟りなしという考えを徹底していた。
「レギルジアの住民でない私ですら、レギルジアの都市内に入った直後から、身体の不調を感じていた部分の回復を感じ、気分も明るくなりました。
気分が良くなった私は、明るい雰囲気に包まれたレギルジアの都市民達に、一体何があったのか、とあちこちで聞きまわったのです。
誰もが口々に、女神ヴァイラス様と姫巫女であられるフミフェナ様を讃え、貧困や空腹に嘆く者が本当にいなくなり、未来が明るくなったことを皆、笑顔で話しておりました。
数日過ごす内に、私自身のメンタルも彼らに影響されてか、どんどん改善しました。
私はそのあまりに大きな恩寵に感動し、レギルジアの住民達が通っているという、女神ヴァイラス様の神殿に赴きました。
何が必要かと周りに聞けば、寄付のお金は元より、お供え物や献上品すら受け取りを拒否しており、神官も据えられておらず、布教も行っていない、と。
ただ真摯な信仰のみを求め、しかしその信仰を強制することはない、という教義のみを教えられました。
それらにも感服しながら、私は神殿に向かいましたが、自然の中にありながらも大いなる力を示すかのような超常的な大木などが空間を覆うようにして覆っているその小さな神殿に、心からの真摯な祈りを捧げました。
そうするとどうでしょう、その夜、誰にも所在を告げていない、名前も顔も知らないはずの、街の一角にある宿屋で一宿の床を借りていた私に、女神ヴァイラス様から『巫女の為に力を貸して欲しい』と神託がございました。
そして、それをすぐさま承諾したところ、翌朝には巫女姫であられるフミフェナ様が直接お尋ねになり、『私と一緒に働かないか?』とおっしゃられました。
役立たずである我が身が求められたのです。
戦士として魔物と戦うことがもうできない、戦力としてお役に立てない、と泣きながら素直にお伝えしても、フミフェナ様は優しく、人生は魔物と戦うことだけではない、と諭してくださいました。
そして、心からの真摯な信仰と祈りを捧げた私を、女神ヴァイラスの信徒として、特段の意思をもって直属の配下にすることを諦められませんでした。
私はその姿勢に涙し、すぐさま配下の末席にお加えください、と申し上げ、フミフェナ様の配下となりました。
フミフェナ様の仕事をお伺いしたところ、私に決めて欲しい、と。
様々な人材をお求めであり、そして如何様な職においても、人材が不足しているとのことで、例え戦士でなかったとしても、信頼できる仲間が増えることは嬉しい、とおっしゃいました。」
「ヒノワからも聞いている、彼女は幅広く手を広げているが、急速に拡大し過ぎた影響で、信頼できる仲間や社員を広く募集している、と。」
「はい。
しかし、あらゆる職をお求めではあっても、殊更、『強いこと』がフミフェナ様の御意向に沿うのだと、私は理解しました。
私は自ら志願し、フミフェナ様から強化術式の施術を施していただきました。
私は、ホノカ様、ノール様を含めた被施術者の中で、フミフェナ様・ヴェイナー殿を除いて最も早く順応、成長しました。」
「ほう、凄いな。
ホノカとノールはフミフェナ嬢の配下の中では破格の速度で慣熟訓練を終えたと聞いたのだが・・・。」
「はい。
悔しいですが、戦場においてフミフェナ様のお役に立てるのは、ホノカ様とノール様であるのは、間違いがなく認めるしかありません。
では前線で戦えない私は、フミフェナ様にお仕えし、どうすれば最もフミフェナ様の為になるのかを考えました。
全てを捧げる為に、一体何をすればよいのか、と。
当時、この『壁』で働くマネージャーを配下のメンバーから募集していたフミフェナ様に、立候補し、こうしたお役目をいただいております。
ここでしか果たせないお役目を、自らに課し、それを以ってフミフェナ様への恩に報いようと決意したのです。」
「それが、医師、看護師、ということかい?」
「それも、はい、であり、いいえ、でもあります。
前線においての戦働きをすっぱりと諦めましたが、私は対魔物を除けば、戦えます。
ホノカ様やノール様よりも粒子結晶関係技術に適正が高く、順応性のある私に出来ること。
それらを複合して検討した結果、私はフミフェナ様の技術知識の精髄である、この『壁』を全力で守り、運営することを以って、フミフェナ様に報いようと考えました。
私は、“この『壁』から500m以上離れると能力が使えなくなる”、そう自らの能力を制限し、女神ヴァイラス様にお誓いし、誓約と制約をしました。
自らの活動範囲を極限まで制限した“制約”により、『壁』内部及びその周辺に限って言えば、私は様々なブーストによって色付き戦貴族当主並みの戦力を発揮できるようになったのです。
よって、『壁』の周囲500m以内にあっては、ヒノワ様やヌアダ様、そして主であるフミフェナ様、この三人を除いて私に勝てる者はおりません。
対魔物は別ですので、“対人”においては、ですが・・・。」
「つまり、君は僕より・・・対人戦に於いては、レベル160の戦士を相手にしても、軽くさばくほどの実力があるということか。」
「詳細についてはご説明するまでもございません。
戦場で役に立たぬ戦士であっても、『壁』から500m圏内の都市内の重要施設を守護できる強者がいる、そう在れば、フミフェナ様は背後に余計な気を回さずとも、『任せる』と一言言っていただければ、不穏な環境下であっても、様々な活動が可能となります。
私は、そう言った存在になりたかった。
そして、私はそう“成った”のです。」
シアケンは、チラ、とこちらの瞳を覗き込んでくる。
『鑑定』をしろ、ということか、と『鑑定』を向けてみると、目の前の女性は確かに自分よりも圧倒的に強い粒子濃度を内包していることが分かる。
ただ、レベル推定の項目だけが歪に歪み、ステータスに該当する項目も全てまるでモザイクがかかったようにぼやけている。
自分の『鑑定』能力はかなり特異な、高位のものだ。
それを欺く、いやデータを確定させない状態を維持している、というのは、確かに異常だ。
フミフェナですらアマヒロの『鑑定』で概ねのデータは抜かれたのだから。
シアケンの言う不穏な状況や環境というのは、限定的だ。
ここカンベリアに限らず、ヒノワやフミフェナに敵意を持つ人間が、カンベリア奥深くのこの『壁』の付近までくる、あるいは通過する、という状態にあるということは、その人間は灰城へ招待されているか、訪問する予定である者である可能性が高く、『壁』で阻むことは難しいはずであり、『壁』で取り囲んでいるとは言え、明確に『壁』で『敵』を区別して堰き止めることは不可能なはずなのだ。
つまり、フミフェナ嬢が警戒し、『壁』を建設した理由とは、何らかの理由でカンベリアが人間の戦士・・・それもおそらくかなり高位の戦士に攻め入られた場合を想定し、ヒノワやヒノワの側近や文官が詰めている灰城を守るための防衛施設の一つとするためなのだろう。
おそらくアマヒロの知らないような設備や仕掛けを以って、『壁』は防衛施設として効力を発揮するのだろうし、ヒノワを敵対視する何者かが灰城を襲う計画を立てて近付いてきたとしても、『壁』に配された戦士、それを統括するシアケンがその者らを排除するのだろうから、シアケンを圧倒できるほどの戦士が出てこない限りは、『壁』内部は安全とも言えるだろう。
『壁』から100mも離れていない迎賓館などの施設もおそらく当然圏内に含んでいるだろうと思われる為、シアケンはそう言った施設の防衛担当者ということでもあるのだろう。
「私がフミフェナ様から施していただいた、あるいは施術した様々な秘術の数は、フミフェナ様配下の中でも最も多く、種類も回数もダントツの一位です。
私は身体の特性上、フミフェナ様の構想する様々な実験に適応する体質を持っており、様々な実験に対してかなりの耐久性を持った肉体を保有しております。
フミフェナ様には、『人体実験が必要でしたら、全て私を使ってお試しください』と申し上げ、自分の命など、既に有って無きようなものとして捉え、フミフェナ様が有用だと感じる人体実験で死ぬのなら本望だと、そうお伝えし、実際にこちらで自らの肉体をベースにした人体実験も行っています。」
なんという忠誠心だろうか。
いっそ、狂信的とさえ言える、恐ろしいほどの信仰だ。
だが、女神ヴァイラスの能力は、アマヒロ自身がよく体感している。
神を試すなどと言った不埒な行為が如何に愚かだったか、よく知っている。
人生に絶望した者が、神を体感し、その巫女姫に自己を求められたともあれば、狂信者へと裏返るのも無理はないのかもしれない。
「ですが、フミフェナ様は私のような者にすら敬意を示し、極限まで危険リスクを減らした状態まで研究を進め、安全をある程度担保した状態まで進めてから、私を被検体としてくださっています。
そのおかげで、私には、命を保ったまま安全に、様々な術式と施術の技術が施されました。
それらは、この身に焼き付き、また再現を可能としています。」
「なるほど、ということは僕の『施術』に関しては、君が担当するんだね。」
「はい、そうなるかと思います。
しかし、私は、“来訪者”ではない為、フミフェナ様やトオル殿ほどの深い人体への医療知識はございません。
故に、再現可能なことに関して再現するに限り、施術を許可されており、施術時にはトオル殿かトオル殿のお弟子さんについていただきます。
今現在はフミフェナ様の配下の方々への施術をメインでやっておりましたが、こちらの施設に所属する人間として今、私も医療知識・技術を学んでいるところです。
“あちらの世界”の医療知識が学べれば良いのですが、こちらで医療知識が学べる環境は、かなり限定的なのです。」
「それは、そうだろうな。」
医療知識を持つ者を育てる機関が、まだ多くない。
それも、専門家が多数集って作った機関と言う訳でもなく、“来訪者”で医者、あるいは研究者をしていた人物が、思い出せる限りで記述を残した物が、全ての教育の要となっており、知識量の絶対数が足りていないのだ。
ヒノワの配下であるトオルも前世では医者をしていたらしいが、弟子は3~4人しかとっておらず、日々の治療に追われて、その知識や技術を残す為の活動に使える時間は限定的だ。
王族を治療するための医療機関は、代々“来訪者”の医者を探してスカウトし、囲い込み、基本的には王族や有力貴族の治療をさせ、それ以外の時間で医療知識や技術を残す為の論文や執筆作業を行うことで医療貴族としているのだというが、様々な知識や技術を伝達する為には、基礎研究と基礎知識が備わっていなければならず、まだそれが国民全体に普及する段階にはない。
下手に術式やスキルでその辺りの誤魔化しが効いてしまうが故に、そういった基礎研究がおざなりになっているのは否めないだろう。
「医療知識については、“来訪者”の医療関係者の知識の足元にも及びません。
故に、私は一般的な医師とはまだ名乗れません。
ですが、ことフミフェナ様が施術された手術の技術のみならば、私に勝る者はおりません。
この全身全霊をもってフミフェナ様に尽くしている私が、思考加速や精密性向上等のバフスキルは勿論、手術に適したスキルを使って行う手術は、“来訪者”の医師よりも圧倒的に速く、正確に、安全に患者への施術を可能とします。
私は、ヒトの壊し方も、治し方も、心得ております。
アマヒロ様への施術に関しても、万全の、安全な施術をお約束致します。」
聞いてみれば、フミフェナの配下の戦士達の8割近くは、シアケンが施術したのだという。
また、ヒノワから持ち込まれた重傷者の治療に関しても、シアケンとトオルが手術・治療し、100人近い患者が既に治癒したのだという。
言い方は悪いが、若干実績を不安視していたが、数からしても実績としては、十分だ。
「素晴らしい。
戦は、対魔物も、対人だとしても、『群』として考えると、戦闘を直接担う者だけで成り立っているわけではない。
輜重も勿論、偵察や農業をベースとした兵站計画、商家と連携した物資調達、馬や魔獣の調練、負傷者の治療を始めとした医療や領民の教育や新兵の練兵など、いくつもの準備や行動があって、ようやく戦が成り立つ。
中でも、多くの時間と費用と努力と汗と血の結晶である戦士の命が一つ助かれば、それだけ多くの民の負担・被害が減らせるのだ、君の仕事は尊く、誇っていい。
教育機関は既にヒノワが始めていたし、その他のことも適宜、それぞれが独自に考案して進めてはいたが、自分の資産を投じて会社を買収したり人員を登用したりしている者は少ない。
輜重兵站計画の改善・物資増産・経済基盤向上・資金確保など、フミフェナ嬢は多くの分野で功績を挙げている。
本当に戦士としてトップに近い実力を持つ人物であるとは考えにくいほどだ。
君達の上司は、今まで僕が見てきた“来訪者”の中でも飛び抜けて優秀だよ。」
「そうです、フミフェナ様こそ、至高の御方!
あぁっ、フミフェナ様の新たな施術・・・待ち遠しい・・・はぁっ、一体いつ!!」
「う、うぅん、いや、それは僕には分からない・・・かな・・・。」
「そんなことは分かり切っております!!
はぁ、はぁ、ですが、フミフェナ様が些事に忙殺されていることで、新たな術式の発明が遅れているのでは!!??
ナイン・ヴァーナント技師だけでは行えない施術が、今まさに留め置かれているのでは!?」
「あ、うぅん、まぁ、それはそうかもしれない・・・ごめん・・・。」
「・・・失礼いたしました。」
ゴトリ、と彼女は持っていた機材を床に置くと、落ち着きを取り戻したかのようにこちらに振り返り、僕の身体に付けられていた様々な端子を手際よく取り外していく。
長袖長ズボンの薄いピンク色をした術着のような制服と制帽を着用した彼女からは、様々な薬品の匂いが漂ってくる。
現在の検査室に着くまでに通過した廊下などにある案内板を見る限り、この病院のような施設はかなり巨大な構造をしており、彼女以外もこの施設で働いているのだろうことは疑いもないが、彼女以外の医療従事者は何処にいるのだろう。
「ところで、この施設は相当に大きな物だと思うのだが、貴方以外の医療従事者は何処にいるんだ?」
「流石にフミフェナ様と言えど、資金力はともかく、人材面での教育・充足が間に合っておりません。
この施設はサウヴァリー氏に建築を依頼したそうですが、彼の建築家を都度ごとに呼び出して仕事を依頼するのは難しいのではないか、ということで、建築当初から施設は大きく作った、とのことです。
時間が経てば、フル稼働も可能と思いますが、今は人が少なすぎるが故に、限定的な運営になっております。」
「なるほど、予算さえ許すなら、合理的だろうね。
人員充足は順調なのかい?」
「灰城に詰めておられるトオル殿を顧問に、お弟子さん達にも来てもらって資材や設備を揃えつつ、看護師を順次募集、教育して充足させているところです。
常時詰めている医療従事者は私と私の補助の看護師が3人、というところで、稼働率は5%もいっていないですね。
施設のグレードに見合う人員が充足してフル稼働することになるのは、3年以上かかるのではないでしょうか。
入院されている患者さんも少ないですし、今の所はこれ以上受け入れを行わない予定としております。」
「なるほど。
人員の募集については、僕の方からフミフェナ嬢に募集要項を貰っておくよ、レギルジアやアーングレイドでもここで働きたいという看護師候補がいるかもしれないからね。
フミフェナ嬢が運営する病院ということであれば、労働条件は比較邸良いのだろう?
医療知識を学ぶことが出来る上に、良い条件で働けるとなれば、こちらに移住して、という人も多いだろう。
ひょっとすると“来訪者”で看護師や医療従事者だった者も、ここなら、と手を上げる場合もあるかもしれないし、ね。」
「ありがとうございます。」
「初めまして、ナイン・ヴァーナント技師。
知っているかもしれないが、僕はヒノワの兄で、アマヒロ・グレイド・アキナギ。
随分と前から、会うのを楽しみにしていたんだ、国を代表する技術者に会えて光栄だ。」
「お初にお目に掛かります、アマヒロ・グレイド・アキナギ次期当主様。
日頃、あまり表には出ないことにしておりまして、これまで様々ご招待いただいておりました会合等、出席せず申し訳ありませんでした・・・。
今日は施術を担当させていただきます、宜しくお願い致します。」
「こちらこそ。
わざわざ呼び立てて申し訳ない。」
グッと握手を交わす。
アマヒロは躊躇なくナイン・ヴァーナントへ『鑑定』を仕掛けるが、そのレベルは驚愕すべき領域に到達しており、既にアマヒロが『鑑定』で推定できる状態になかった。
甘んじて『鑑定』を受け入れたナイン・ヴァーナントは、苦笑いをしながら握手を解き、アマヒロに席に付くように勧めた。
彼はシアケンから渡された資料を確認しながら、持ってきた資材や道具などをシアケンに渡す。
「検査は全て合格ということで、シアケンさんから伺っています。
僕も確認してみましたが、各数値とも、問題ないと思います。
前提スキル関係も、各種ともに概ね及第点を大幅に超えるレベルで習得されている、と。
こう言っては失礼になるかもしれませんが、前提スキルを既に網羅されているとは思っておりませんでした。
多少侮っておりました、申し訳ありませんでした。
流石は灰色戦貴族領次期当主であられる。
感服致しました。」
「ははは、これに関しては偶然です。
大半は色付き戦貴族として習得しておかねばならないものばかりでしたし、ヒノワと共に鍛錬するに辺り、個人的に必要だと思って取得したものがたまたまハマった、それだけです。
偶然を抜きにすれば、いくつかは足らずがあったことでしょう。
これも天の配材、ということかもしれませんね。」
「やもしれません。
フェーナは別件がありおりませんが、施術は僕、シアケンさんが助手の二人をメインとし、補助としてこちらの『施設』にいる看護師の方々の手を借ります。
痛みはそれほどでもありませんが、非常に繊細な施術となるため、全身麻酔をさせていただきますので、パッシブ系のスキルで耐性等を設定しておられる場合は、オフにしておいていただけますでしょうか。」
「分かりました。
こんなことをフミフェナ嬢の関係者の方に問うのは不義理かもしれませんが、貴方がたを除いた施術関係者の身元は皆、確かなのでしょうか?」
「はい、大丈夫です。
出自、という面では不明確な者もいますが、『女神ヴァイラスに誓って』問題ありません。
そうですね、皆さん。」
「はい!!」
シアケンを筆頭としたヴァーナント技師以外の看護師や医療従事者達は、整然とした返答を叫び返してきた。
いっそ、軍隊然とでも言った方が正しいような規律の正しさである。
「女神ヴァイラスに誓って、我等皆、女神ヴァイラス様とフミフェナ様を奉ずる者として、その信仰に背かぬ仕事を成すとお約束致します。」
「『女神ヴァイラスに誓って』と仰る以上、未だ命が絶えていない限りは、大丈夫ですね。
無礼なことを申しました、謝罪を。」
「御身はこの領の未来を背負う、次期当主の身、職務上そういった確認が必須だと我々も認識しております、謝罪は必要ございません。」
「元々、我々は皆、恵まれず、死に掛けるか、燻っていた血統書のけの字もない者達の集まりですが、我等に賜っている恩寵を足蹴にすることなど、とても出来ません。
女神ヴァイラス様、フミフェナ様に拾い上げて貰わねば、既に死んでいたか、日常に不満を抱えながら生活していたことでしょうが、今の我々は女神ヴァイラス様、フミフェナ様にやれと言われれば如何なることであってもそれを果たし、死ねと言われればどのような死に方であったとしても喜んで自ら死にます。
我等皆、フミフェナ様に背くことなど毛頭、頭にございません。
まして、御身はフミフェナ様の主であられるヒノワ様の実兄であり、我等の住む灰色戦貴族領の次期当主です。
そのような方の施術を任されるとあらば、それは我等の誇りであり、我等一同、この仕事を任せられたことに強い感動を覚えております。」
「と、まぁ、シアケンさんの情熱はちょっとフェーナのお仲間の中でも特別熱量が大きいですが、僕も、フェーナの商会の人達も、ここの施設の方々も、フェーナや女神ヴァイラス様が見出した面々ばかりです、ご安心ください。
もし我々が席を外したとしても、不審者や不心得者が侵入した場合にどうなるかは、レギルジアの風評を耳にしておられるのであれば、お分かりになるかと思います。」
「分かりました、全て、お任せします。
私には、果たさなければならないことがあります。
そして、皆さんに唐突に集まって頂かねばならなくなったのは、全て私の覚悟が不足していたが故。
領の主たらんとし、より強くなる手法があるということを報告で知っていたにも関わらず、自らにそれを課さなかったのは、『武はヒノワやフミフェナ嬢に任せればよい』という軟弱な発想が故。
本来は、ヒノワとの兄妹仲は保ちつつも、色付き戦貴族当主として、筆頭戦士としての地位はヒノワと競い合うくらいの気概がなくてはならなかった。
付け焼刃で何をするつもりなのか、と皆さん思っていることでしょう。
ですが、私はやり遂げてみせます。
それだけの覚悟を持って“ここ”にいることを、急遽集まってくださった皆さんには表明しておきたい。
勿論、施術だけで全てが完結するとは思っておりません。
しかし、皆さんの施術のお陰でスタート地点に立てるようになったことを、私はフミフェナ嬢だけでなく、皆さんに感謝し、絶対に忘れません。
人的充実や施設の運営支援などは、今回のことが片付き次第、すぐに取り掛からせていただくことをお約束致します。
今日は、是非、宜しくお願い致します。」
深々と腰を折ったアマヒロに対し、その場にいた全員が膝をついて頭を下げ、最敬礼の姿勢を取った。
この時、ナイン・ヴァーナントには、他の皆とは違うモノが見えていた。
アマヒロは次期領主候補として、“領主”というクラスに就き、それ関係のスキルや術式も多く取得しており、次期領主として不足ないどころか現役として十分足り得る条件を既に満たしていた。
が、今まではあくまで「次期当主として不足ないようにしよう」という心構えだったはずだ。
そんな彼の覚悟、心意気が、おそらく変わった。
アマヒロはおそらく“領主”として立つべき己を自覚し、意思が変わったのだ。
粒子に意思があるのかどうかは分からないが、おそらく粒子達がそれを認めた。
“領主”クラスの特性として、土地、人、その他諸々が認めるに従って、自然に粒子を集めることができる、というものがある。
今、彼の元に集まる蒼き粒子の量は、今までと比較すれば桁違いに多いし、粒子にどういった判断基準があるのかは不明だが、粒子が彼を評価し、彼に対して好感を抱いているようにも感じる。
アマヒロが今回のチップ埋設の施術の後、修練することで戦闘力が向上するのは勿論、今回の出来事で更なる武の更なる高みへ至るだろうことを確信した。
ナイン・ヴァーナントは頭を上げ、隣室の施術室の方へ向かって手を上げた。
「では、アマヒロ様。
施術室へ、どうぞ。
お目覚めは今から4時間後を計画しておりますが、今日はそのままお休み下さい。
明朝より、フェーナ指導の元、鍛錬を開始していただく予定となっております。
私もそうでしたが、施術後の人生は劇的に変化が訪れます。
新しい人生を、楽しみにしておいてください。」
ナイン・ヴァーナント技師が請け負った通り、アマヒロにマイクロチップを埋め込む施術は、何の問題もなく、100%効果を発揮する状態で完了した。
予定通り全身麻酔は4時間で解け、意識チェックや違和感なども確認したが、施術箇所に若干の違和感を感じる以外は問題がないとのことで、全身の神経系への障害やアレルギー反応なども認められなかった。
その日、アマヒロは生まれ変わった。




