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灰色の御用聞き  作者: 秋
39/45

35話 カード使いとの出会い

「初めまして、フミフェナ・ペペントリア灰色戦貴族領特使殿。

武名轟く貴女様に拝謁出来たこと、恐悦至極に存じます。

わたくし、『エンテュカのカード使い』と申します。

ややこしいのですが、『エンテュカ』という組織の長をさせていただいておりまして、当職にある限りは本名を名乗らないこと、取り決めとしてそう、定められておりまして・・・。

呼びにくいかとは思うのですが、わたくしのことは、『エンテュカ』もしくは『エンテュカのカード使い』とお呼びください。」


フミフェナとホノカ、ノールは、橙色領のゴタゴタを片付けた後も、未だ灰色戦貴族領へは帰還していなかった。

橙色領の被害は尋常なものではなく、バランギアから、可能な限りの助力を、と要望を受けたフミフェナの主であるヒノワが、条件を定めてそれを請けたためだ。

フミフェナは、ヒノワからの命令を受領し、橙色領最前線近辺~両隣領との領境近辺に潜んでいる魔物を狩る任を得ていた。

索敵能力が高く機動力が高いことを見込まれ、主攻である近衛兵団及び橙色領の戦士達では動きにくい範囲での遊撃を任されていた。

ホノカとノールが青色戦貴族領との領境側、フミフェナが紫色戦貴族領との領境側を担当して掃討作業を行い、両担当範囲に於いて「ここまでで大丈夫」と判断できるまで、既に残存魔物兵力の掃討が完了していた。

バランギアと約束していた予定時間より少し前に合流を果たし、状況や成果について他人が聞き及ぶことのできない場所で打合せをした後、本陣に帰陣した。

本陣で報告を受けたい、昼に戻るなら昼食を用意する、とのことだったので、バランギアに用意してもらっていた橙色領最前線都市レーワルデ跡に張られた本陣天幕に戻ったのだが、荷物を置いて全員が椅子に座って一心地つこうか、というタイミングで、見計らったかのように1人の青年が訪ねてきた。

天幕の外にいる近衛兵からバランギアからの伝令のようだが通しても良いかと確認があり、勿論それを断ることなど出来ないのですぐに了承したが、それにしても測ったようなタイミングだ。

天幕を掻き分けて入ってきたその青年は、『アレラ』によって把握していた外形を思い浮かべていたが、当初、目視では姿が確認できなかった。

迸るように眩い青い輝き、一般に強者のオーラとされる粒子放出量を抑えるつもりが“一切”ないのだ。

普段から感知圏内の警戒の為に粒子感知感度を上げているフミフェナにとっては、余りに眩し過ぎる粒子の奔流で目が潰れるかと思うほどだった。

軍用ナイトスコープを装備しているところに高輝度ハンドライトを照らされたくらいの感覚、と例えたら良いだろうか。

とにかく、それくらいのダメージを負って、不意にふらつく感じすらした。

粒子感知感度を下げてようやくまともに姿形が見れるようになった青年は、容姿は眉目秀麗、装いは慎ましくも専用にあつらえられた物、そして佇まいはどう見ても高貴な存在として教育を受けてきたであろう所作は高貴な身分を隠しきれていない。

“私は貴族です”とひけらかすような装いと態度のそこらの貴族とは比にならない、育ちの良さが尊き身分の存在感を静かに『この人はヤバイな』という気配を放っている。

まだ橙色戦貴族の分家の下位氏族の方が、フミフェナの知る“貴族だな”という貴族だった。

それが良い意味でも、悪い意味でも、両方の意味で当てはまる人物、それが目の前の青年だ。

茶色がかった黒の髪と瞳、地肌は黄色人種のような色だが、普段から紫外線を浴びるところで生活していないのであろう、上等な化粧品で手入れされた、透き通るように白い肌。

選帝侯の一族に生まれたことを示す徽章につけられた、小さいけれど精密なカットや研磨がなされた稀少であろう美しく輝く宝石の数々。

『エンテュカ』という組織に所属する者が纏う、金糸銀糸のふんだんに使われた上等な黒い生地の外套。

重要な血管の通っている箇所や急所を局所的に金属プレートでガードしつつ、それが美しいデザインに収まるよう配置された分厚い生地で仕立てられた、戦闘に耐えうる上等な衣服。

指元と手首を覆う、上等な粒子結晶をふんだんに使用したレアアーティファクトであろう数点の指輪や腕輪を一つの手袋として集約した装備品。

どれも桁の違う金額がかかっているだろうことは疑いようもなく、それをこうした前線に着込んできているあたり、高位貴族である上に戦闘にも秀でていることは間違いがない。

選帝侯直系と言われて不思議ではない雰囲気を纏っている。

が、こちらを侮蔑する訳でもなく、そして軽薄なところもない。

じっと観察するようにこちらを見るその瞳は、どちらかというと戦士よりの研究者のような気配を感じる。

近々、感じたことのある気配だ。

幾度か、何かしらのスキルでこちらを覗き見していた人物の一人かもしれない。

レベルは180~200くらいだろうが、レベルよりもスキルとして戦闘巧者であることが覗えるので、戦闘能力としてはバルシェに匹敵する強者のように見受ける。

背丈は175cmくらい、引き締まった身体は、細身で、体重は見た目通りなら70kgもないくらい、前線でフル装備で戦う戦士の体重が120kg前後あることを思うと、比較するとかなり軽量だ。

フィジカルで戦うタイプではなく、テクニックで戦うタイプなのだろう。

細身と童顔のように見える容貌もあいまって、見た目中性的ですらある。

それほど巨躯ということでもないし、パーソナルスペースに侵入してきているわけでもないのだが、しかし粒子の波動が強すぎること、そして謎の存在感の圧があまりに強い為、動いていないのに近付いてこられているように感じ、少し後ずさりしたくなるような人物だ。

『エンテュカ』、か。

『エンテュカのカード使い』は、私でも知っている有名な人物だ。

建国物語で語られる『エンテュカ』という名のカード使いの創設した組織であることは有名で、国難の有事にはその多様多彩な能力でそれを解決し、退けてきた国家の英雄達を擁する組織であると語り継がれており、日々研究機関で戦闘だけでなく非戦闘の技術も多々研究し、研鑽を積んでいると言われている。

彼らの研究は国益にもつながり、特に王族や高位貴族の求める『健康』『長寿』『病を癒す』『失われた四肢を復元する』と言った、通常、諦めねばならないとされる様々な事象を解決する術を持っているとされ、末端の者ですら、その組織の職を辞すれば引く手数多だという。

そんな組織の長が、こんなところに現れるというのは、通常では有り得ない。

有り得るとすれば、国難の事象に対して行動している、つまり国の大英雄であり赤色戦貴族当主でもあるバランギア卿と前線で話し合わねばならない事態が起きた、ということだろうか。


「これは、ご尊顔に拝謁する機会を得られて光栄に存じます、閣下。

フミフェナ・ペペントリアと申します。

灰色戦貴族領、アキナギ・グレイド・アマヒロ様、並びにアキナギ・グレイド・ヒノワ様より特使の任を与っております。

よもや、戦場のこのような場所で閣下にお会いするとは思っておらず、このような格好で御前に立つこと、ご容赦願えますでしょうか。」

「ははは、このような汚れのない戦装束で戦場に立つ者こそ、戦場では恥ずかしきこと。

むしろ私こそ、民の為に力を尽くさぬこのような恥さらしの格好で申し訳ない。

と、挨拶もそこそこで、そして大変お疲れの所申し訳ないのですが、バランギア卿から、貴女様宛に伝令を言いつかりまして、こちらにお伺い致しました。

10分少しのお時間をいただきたく。

貴女の時間となれば、貴重かつ非常に価値の高い物、相応の対価は支払うつもりです。」

「いえ、時間についてはお気になさらないでください。

実はバランギア卿への報告がてら、昼食のために戻ったのですが、先程戻ったばかりでして・・・。

予定より少し早く着きましたので、こちらの台所衆の方達にも少し時間が必要でございましょう。

話が早い分には、こちらも有難いことです。

閣下さえこのような場でも良いのであれば、私に否やはございません。」


ホノカとノールに目配せをすると、二人は天幕の外に出て、出入口のためにめくりあげていた部分を下ろし、簡易的に閉鎖してくれた。

『エンテュカのカード使い』は、簡易なテーブルで自分と正対する位置の椅子に腰を落ち着けると、懐から書類を取り出し、こちらに押し出してきた。


「こちらをお渡しして、内容について私からご説明するように伺っております。

大方を口頭で、ご説明させていただいてよろしいでしょうか?」

「ありがとうございます、拝聴致します。」


『エンテュカのカード使い』の言葉を聞くのに要した時間は5分もないだろう。

が、これは大問題だ、という感想しか出てこず、少し沈黙の時間を要した。

紫は私フミフェナの感想では、先だっての魔物の大攻勢でも瑕疵なく魔物を退け、領政においても不備なく運営しており、経済状況も問題なく、民の食糧事情においても一切支障をきたしたことのない、民からも戦士からも慕われた色付き戦貴族が治めており、現当主レリスは領主として過不足ない、・・・相対的な戦力だけ見ると上位の色付き戦貴族と比較すれば不足は多々あるのかもしれないが、現況で相対している魔物の軍に対して十分以上に渡り合って前進できていることから、不足はない。

自分からすれば、まさに不足無く、素晴らしいと評すべき、治政に秀でた色付き戦貴族領だ。

他の領と言えば、筆頭戦士や所属する戦士の総合した戦力的に紫を上回っているところも勿論複数あるが、脳筋治政で無理矢理に能力でごり押しで運営している「力こそパワー、パワーこそ力」みたいな領の方が多いのは間違いなく、理性的に過不足なく運営する、という領は珍しいのだ。

橙色のように、実力もないのにまるで上位色付き戦貴族のように振る舞う馬鹿は始末に負えないが、丁度中間である紫より下位にあたる色は、内政能力や各種生産能力に劣り、日々拡大していく領地を治めるだけの領の地力が追い付いておらず、力こそパワー的な脳筋運営すら出来ておらず、近々その問題が表出する可能性もある。

基本的に色付き戦貴族は重要拠点を定期的に前進した領地内に建設・構築し、所領自体が一定面積を超えることはないようになっている。

地域に根付いた民衆の半数近くは現地に残るのだが、残りの半数程度は色付き戦貴族が設営する前線付近に追随する。

勿論、そうなると、半数近くの人口が喪失した都市は正常に運営できなくなる。

都市の人口が希薄になる地帯には、色付き戦貴族領の後方かつ選帝侯領の中間に属する、緩衝地帯の貴族と民衆が転封されて配置、築かれた拠点や先人達の開発した土地を利用することが許される。

前進する戦貴族に追随する民衆は、税収面や待遇、報酬面で緩衝地帯の民衆よりも破格に優遇されており、ハングリー精神に富んだ者が多く、また、多産の傾向が強い。

そして、前線に近いという環境から、緩衝地帯の民衆よりも生まれ持った体躯や戦闘能力は高い方ではある。

逆に、赤、白、黒の上位3色は他色と比べてあまりに前線前進速度が速すぎる為、領内の人口密度が希薄過ぎることを解決する方法として、緩衝地帯からの人口の取り入れが所定の方式として当初から構築されている。

緩衝地帯の有力貴族や民衆は、前線等に比べれば比較的高い勢を納めているが、教育においてそれが如何に危険のない地域に生まれたことが如何に恵まれていて、その地盤を構築した色付き戦貴族達や王族、選帝侯達がどう苦労したのかを徹底的に教育され、また、一部の希望者には前線の見学や研修を認められ、どれほどそれが正しいことなのかを教育される。

そして、緩衝地帯の民衆は、その安定した環境を活かす為に、人口増加の為の多産を義務付けられている。

それによって、半ば半強制的に緩衝地帯は色付き戦貴族領と比較すれば人口過密状態になるようにされており、新天地を求める者や新しい環境を夢見る者が移民希望を出すようになる。

そうして、色付き戦貴族領が丸ごと前進していくことによって生じる空白の土地を少なくする方策がとられている。

勿論、新しい環境が一定期間ごとに発生する為、領の治安や内政の安定化という観点からは外れるような様々なトラブルも発生するが、それは『圧倒的な力』で制圧され、ある意味見せしめともなって、色付き戦貴族達が恐れられる要因を補強する。

何せ、とりあえず人口を増やせ、食糧を増やせ、家を建てろ、都市を築け、道を伸ばせ、トラブル起こした奴は殺す、文句があるなら強くなれ、と言ったパワフルな行動が国是となっている、ということだ。

とまぁ、そう言った脳筋体制が容認どころか推奨される中、紫はそういった上位層、下位層の中間に位置しながらも、前進に次ぐ前進、そしてそれによって生じる内政的問題もスマートに解決しつつ非常に理性的に内政・軍政を進めている素晴らしい治政者が治めていたのだ。

フミフェナが知る限りでは、灰色に次いで内政でバランスよく運営している領になる。

レリスを含む歴代の紫色戦貴族領主は、非常に優れたバランス感覚を持つ理知的な領主であり、彼らが治める領、それが紫色戦貴族領だと、フミフェナは感心しつつ、破格だとは言わないが、かなり高く評価していた。

灰色の次期当主であるアマヒロ様が、隣接する紫から正妻、正室を迎えると言う話を聞いていたので、それは灰色にも紫色にとって短期的・長期的に良いことしかなく、灰色嫡子の嫁取り先として何の問題もなく、灰色だけでなく紫色も数十年の安定はするだろう、と見込んでいた。

アマヒロ様が惚気をすると長いとヒノワ様からも聞いていたので、『種と孕み袋』『政略』と言う色付き戦貴族特有の思想、貴族の政治的立場を超越した、相思相愛の結婚とはロマンチックだな、という感想しか抱いていなかった。


その紫がクーデターで政権を握っていた当主が入れ替わった。

エンテュカのカード使いの話では、この国ではクーデターにも作法があり、その作法に則る限りは、国からも、そしてバランギア卿からも認められるのだという。

加えて、多少の対外的な約束を反故にしてでも、ある程度の期間は領安定の為に注力することが概ね認められており、その中には政略結婚・婚約の破棄についても含まれるのだという。(但し、既に生まれた嫡子候補については、その血統に優先権があり、有望な戦士候補については、協議の上でどういう扱いとするのか決める、ということらしい)

事態は昨日起きた。

目の前のエンテュカのカード使いが最も早く知り得て、今日バランギアに報告に来たため、ボリウスの書簡が王都に届くのはまだ先だ。

書簡内容についての公式発表はまだだが、公式発表には紫色直系令嬢レイラ嬢と灰色次期当主筆頭候補アマヒロ様の婚約についての破棄が明言される可能性もある、いやほぼ間違いなくされるとのことだった。


「この情報を私に渡す意図とは、どういったものなのでしょうか。

バランギア卿からの伝令とのことでしたが、その辺りはエンテュカのカード使い様は伺っておられませんか?

情報だけ渡してそちらで好きにしろ、という訳ではないと思うのですが。」

「わたくしが伝えられるニュアンスと言いますか、バランギア卿の希望は、大事にしたくない、ということのみです。

それで御理解いただけますでしょうか?」

「それはつまり、トラブルが表面化してバランギア卿が出張るような事態にするな・・・する前に、落ち着くところに落ち着かせろ、ということでございますか。

ですが、私はヒノワ様の御用商人、特使であって、バランギア卿や閣下の小間使いではございません。

その辺りの手続きの処理は、どうお考えなのでしょうか。

現行で私に予定は入っておりませんが、灰色でヒノワ様が私の仕事を既に考えておられるかもしれません。

私としては、ヒノワ様の意向を確認し、閣下がたにお返事するのは、その後に、となるかと思うのですが。」

「その辺りは言質もなく明言されておられませんが、おそらく存在したとしても、意味がないから、卿はおっしゃらなかったのではないでしょうか。」

「と、おっしゃいますと・・・?」

「卿の読みでは、もし婚約破棄が決定的となっても、テンダイ殿とアマヒロ殿は、予定通り愛しいレイラ嬢に嫁いできて貰いたい、と考え、交渉を考えるのでは、と。

しかし、それが認められねば、そちらが強引に奪うというのならこちらは取り返すまで、という心構えになるのでは、と。

一方、ボリウス殿はおそらく金銭的・利権的な報酬で満足しない戦士、あるいは血族に組み込む予定のある戦士に、レイラ嬢を嫁がせ、血族を強化すると共に、約束した報酬をきちんと渡す者である、という立場を盤石したいと考えているだろう、と。

もし報酬としてレイラ嬢を組みこんでいた場合は、約束した配下の手前、クーデターの成功報酬を約束通り渡さねば、成立したはずのクーデターが中折れする可能性がありますから、まぁ勝手ではありますが、配下に約束してしまった以上、他領の者へは譲らないでしょう。

テンダイ殿とアマヒロ殿が何を言ってきても、法で保護されている、の一点張りで婚約破棄を推し進め、レイラ嬢の引き渡しを拒否し、身内に引き渡す方針を取るはずです。

さて、しかし灰色から約束のレイラ嬢を返せ、と追い詰められたボリウス殿の派閥は、そうなると、どう解決しようとするでしょうか?

ボリウス殿としては、さっさと配下に報酬を渡してしまい、配下の不安を取り除きたい。

しかし、隣接する灰色にレイラ嬢に代わる何かを渡さねば今後の灰色との付き合いに支障を来たすとなれば、紫として灰に差し出すに適当な別の政略結婚の女性を見繕い、その女性とレイラ嬢を差し替えるしかありますまい。

では、どうやって、レイラ嬢を対灰色の政略結婚対象から外すのか?

いくら『作法』があるとは言っても、相思相愛であることが知られているレイラ嬢とアマヒロ殿の仲を敢えて割くともなれば、灰色との関係はこじれるに違いありません。

であれば、新妻としてのレイラ嬢の価値を極限まで下げる、これしかございますまい。

レイラ嬢は既にお手付きである、あるいは傷がついたので政略結婚の道具としては不出来になったと噂を流す、もしくは既に事は済んでいると公表する。

その上で自らの派閥のそこそこ高位の者の娘をアマヒロ殿の元へ送るのではないでしょうか?

時間が掛かれば掛かるほど、そのリスクは跳ね上がります。」

「・・・私はレイラ様とアマヒロ様の関係性について、そこまで詳しく存じ上げてはおりませんが、少なくともアマヒロ様はレイラ様に対して少なくない愛情を抱えておられるように見受けました。

聞き得る限りでは、レイラ様も、また。

そこでそのような強硬手段を取ったとなると・・・。」

「アマヒロ殿とはお会いしたことはありませんが、本当に愛し合っている女性を勝手な都合で奪われる、汚される、ともなれば、激昂されるのは間違いありませんね。

考え得る限り一番最悪なのは、レイラ嬢が身を汚されたと判断し、自害した場合、紫も灰も引っ込みがつきませんし、取り返しがつきません。

例え、その身が本当に汚されていなかったとしても、世間的に見ればレイラ嬢の身は汚されたとみられるかもしれない、それにレイラ嬢が耐えかねるともなれば、アマヒロ殿の籍に傷がつく前に自害を、という流れがあっても不思議ではない。

この際、アマヒロ殿の意向がどうとかいう以前に、レイラ嬢の名誉と制度的な問題です。

血統の問題がありますので、血統交配というような関係性もありえないこともありませんが、こと“色付き戦貴族の正妻予定者”という地位に限っては、婚姻までは必ず処女でなければならず、それが例え夫となる予定の人間のお手付きですら許されません。

『本人だろうと他人だろうと、人の手が付いた女は、絶対に色付き戦貴族の正妻にはなれない』という制度が維持されてきましたからね。

もしそういった噂が流れた後、灰色戦貴族領に嫁いできたレイラ嬢に、“確実に処女であるのか”と言った確認をされる可能性もありますし、それをされること自体、生まれる前から定められた色付き戦貴族の許嫁として生きてきたレイラ嬢の名誉と人生を著しく損じるものでしょうから。

レイラ嬢を巡っての争いについては、交渉で成立する可能性も否定できませんが、レイラ嬢を自害させるほどの状況に至らしめたとあらば、紫と灰の戦争になりかねません。

まぁ、貴女もおられますし、ヒノワ嬢とヌアダ殿がおられれば灰の勝利は揺るぎませんでしょうが、問題は“勝敗ではございません”。

卿は、そもそも争いが起きる、ということ自体が色付き戦貴族という“ブランド”を毀損する、と何より気にしておられます。」

「・・・ほかならぬバランギア卿がそうおっしゃるとなると・・・。」


色付き戦貴族という役職を創り出し、12分割した方面軍が放射線状に広がるよう配置したのは、バランギア本人だ。

300年間、その制度が維持されてきたのは、その存在意義自体による自浄作用もあるだろう。

小さな問題は、『力こそ正義』という標榜の元、排除されてきた。

大きな問題は、そうとなる前に、バランギア本人がトラブルの種を摘み取ってきたのだ。

色付き戦貴族、歴代全てが優れていた訳でもなく、筆頭戦士やそれに連なる血族が軒並み失われると言った大戦役後の色付き戦貴族の復興物語、様々な思惑や正当性という背景があって発生したクーデターや内紛のようなものも起きたと歴史書に残されている。

当然、それらの歴史が書物に残されているのであれば、歴史において常に勝者側であったバランギアがそれを事実と認め市井に広めているということであり、彼はそういった事は、ブランドの毀損があったとしても必要なことだと考えているということ。

また、そういった事が起きる度に、毎回バランギアが家ごと取り潰しとしては制度を維持できず、発生が防げないのであれば、発生した場合でも制度が継続して維持できるような法を定め、ルール化することで落しどころを定めた、それがクーデターの作法。

それに従えば認めるし、従わない場合は、赤の英雄の出番、という訳だ。

ただ、ルールに従ってクーデターを成功させたとしても、領同士の戦争にまで発展させることは、著しく色付き戦貴族の名誉と戦力を損じることになるわけであり、そんなことを制度の管理をしているバランギアが許すはずがないのだ。

本来、『予定通りレイラ嬢とアマヒロ様との婚姻は進めるので、灰色には今後ともよろしくお願いしたい』で終われば、レリス・オレリスや犠牲になったごく少数の者達を除けば、ほぼ問題なく事態は収拾し、バランギアも、エンテュカも動くことはなかったはずだ。

明言は避けられているが、公式の書簡が王都に届いてもいない段階で両人はが動き始めたのは、ボリウスがレイラ嬢を身内に嫁がせて領内の地盤を固めることを優先することを選んだ事実を把握しており、それが火種になることを想定しての行動だろう。


「つまり、事態が収拾できなくなる前に、そしてバランギア卿の大鉈が振るわれる前に、内々でどうにかしろ、ということですか。」

「わたくしとしましては、その辺り、『どうこうしろ』との命令を伝えるという任務であるとは認識しておりません。

僕個人は、卿の小間使いではあっても、赤の者でもなければ、王都政府の者でもありませんので、その辺り、明言は避けさせていただきたいと思います。

書簡はまだ未開封の封蝋が付けられたまま術式で封印され、王都へと移動中ですから、紫色筆頭戦士であるボリウス殿とその側近以外で、書簡の中身を把握し、それを知って事前に対策している者等、何処にもおりません。

極論申し上げれば、この機密を貴女にだけお伝えしたのは、貴女を使って事態を解決しようとしている、というより、貴女がこの情報を使って事態解決をするなら、卿は『赤の英雄』として灰にも、そして紫にも、手出しをしない、そういった卿の貴女への厚意、配慮ではないかと思っております。

つまり、ここのところ、バランギア卿の都合で走り回っておられた貴女への報酬と、気遣いではないかと。」

「つまり公には、この情報は存在していない。

私にこの情報を持って帰り、自らの功にせよ、と?」

「それそのものではなく、『事前に極秘に報せた』という卿の貴女への優遇と、かつ、この度の橙での戦功と合わせて“上手く使って主に貢献するもよし、放置して問題化させるにしても謀略の一つとして使ってもよし、但し問題が表出化すればバランギア卿が出張るのでそれは分かっておけ”ということでは?と愚考致しますが・・・。

その辺りは、貴女の裁量次第で好きにせよ、と。

いずれにしろ、ボリウス殿の書簡が王都に届けば、王都政府はほぼ間違いなくバランギア卿を王都へ召喚するでしょう。

そこで数日をもって結論を出し、王都政府として全域に公布する。

そこまで進んでしまえば、今度は卿は公布した内容を守る義務が発生してしまいます、法の責任者として責任を負わなくてはなりませんからね。

が、卿はまず『数日中に戦勝の宴を検討している』と先程おっしゃられておりましたから、王都への帰還は数日ほど間延びするでしょう。

王都政府である程度の会合が重ねられたとしても、卿の意見を全く聞かずに結論を出せる審議でもありませんから、卿のお気遣いの効果は高いかと。

卿としては、“色付き戦貴族”という存在に関しての問題さえ発生していなければ良い、というよりは、お二方の結婚を推進したがっているようにも感じましたから、納まるところに納まることを望んでおりますでしょうし、そちらに進捗させるのであれば、卿からもある程度の配慮はいただけるものかと。

ですが、日程が経過し、審議の段に至って、事態の進捗が見込めず、ボリウス殿の行政上問題のない書類の各種手続きが済んでしまえば、それを認めざるを得ないのも卿の定め。

まぁ、レイラ嬢とアマヒロ殿の婚約破棄を認める、であっても、“その逆”であっても、卿は争いさえなければ構わないわけと仰っているようなものなのですから、アマヒロ殿がレイラ嬢をキレイさっぱり忘れるつもりだ、というのなら全て問題なく解決しますが。」

「なるほど・・・。

その書簡が王都政府へ到達するのは何時頃になる予定なのでしょうか?」

「そこそこ練達の戦士が、早馬を乗り継ぎ、休まず走っておりますから、早ければ明日。

遅くとも明後日より遅くなることはありますまい。

おっと、領の使者は先触れに近いものがありますので、公的機関による『発信伝票』による日時が記載されてしまっておりますから、使者殿の進路を妨害するのは宜しくありません。

加えて、ボリウス殿の作法に手落ちはございません、多少の訂正はございますでしょうが、ほぼ完璧に作成されており、受領されれば、まず問題なく書類は通過します。

書類不備や作法の不備といった行政作法側からのアプローチでは、事態遅延が望めないことは伝えておきます。

王都へ書簡が届き、王都政府高官が会議を経て審議に掛け、三役の方々が是非について語り、国王陛下の決済を経るまでに長くて四日から五日。

卿が帰還されるまで待とう、という判断になったとして、卿が1~2日間延びさせたとして、計5~7日と言ったところでしょうか。

卿の確認も取っておりますので、多少前後するとしてもその程度で結審されてしまうことは間違いありません。

ご報告、始動、解決、解決後の顛末の演出の作成、ここまでで4日以内にこなさねばらなぬでしょう。

無駄な時間は使わないように、これは僕のサービスでお伝えしておきます。」

「ありがとうございます、閣下。

・・・やらねばならないことが多すぎて困ってしまいますね・・・。」

「心中お察し致します。

が・・・貴女の考える通り、これから何より、一早く貴女の主へ報告し、行動を起こされるのが良きことかと思いますよ。

貴女のためにも、他の方々にとっても。

この事態をどのような謀略に使用するにしても、貴女の立場上、それが優先されることかと。」

「ありがとうございます。

そうですね。

私の主はヒノワ様。

行動するにしても、私の軸はヒノワ様にございます。

自らの意思で動くのでは、主であるヒノワ様に叛逆することに等しい。

指示を仰ぐべく、連絡してみることから始めます。」

「それが宜しいかと。

思い悩むのは、本来、指示を出すべき上司の仕事でございますよ。

まして、これは領同士の問題でもありますが、主題は貴女様の主の兄上の惚れた張ったの問題です。

本来、貴女は、『こうせよ』と言われればそうすれば良いだけの立場のはずです。」

「確かに、御尤もです。

一臣下でありながらあれこれ悩むなど思い上がりも甚だしかった、ということですね。

助言、ありがとうございます、閣下。」

「しかし、差し当たり時間がない、というのも確かです。

貴女の足が如何に速かろうと、そして如何に強かろうと、これは力づくだけでは解決できぬこと。

灰色内部の意見をまとめ、準備し、武力的な解決を講じるのか、話し合いでの解決を考えるのか、いずれにしても領として実行せねばならないことです。

実行に移すとなると、計画立案から実行まで、本来ならば週単位での時間が必要になる。」

「確かに、それはその通りです。」

「・・・そこで一つ、私にも役得をいただけますか。」

「役得、ですか?」

「はい。

先程初めてご挨拶をさせていただいたところですが、実は、僕は以前から貴女のファンでして。

当初から、この話もしたくて、タイミングを見計らっておりました。」

「どのようなお話なのでしょうか。」

「貴女ほど優秀な女性の困難など、僕の手の届く範囲でこの先、どれほど出会えるか分かりません。

ですので、今この時、貴女の力になる機会をいただけませんか?

ご存知か分かりませんが、僕はこれでも現選帝侯を祖母に持つ、爵位後継者第二位であり、先だって申し上げましたが、救国の組織、『エンテュカ』の長でもあります。

この立場でもって、王都政府の重要な稟議の審議会には、都合が付く限り、立会を求められているのです。

出席すれば、ボリウス殿の書簡に例え不備がなかったとしても、「気に入らないなぁ」という難癖を付けて決裁を遅らせることができる権限を持っているのですよ。」

「それは・・・助かりますが・・・理不尽な難癖をつける、というのは、閣下のお立場を悪くしてしまうのではありませんか・・・?」

「僕が変わり者だ、などということは公然の事実ですので、全く問題ありませんよ。

それに、僕は今までほとんどの審議会で席に座るだけで、口出ししておりません。

口出ししたとしても、明らかに仁義に悖る審議について口を挟んだ程度です。

王都政府としては、なるべく審議会に役職のある人物を出席させることで、会議の格式に箔付けしようとしているんです。

まぁ、そんな理由で普段からあちこちから役職者を召喚しているのですから、たまには呼び出した要職の人物の存在というものを思い知らせてやるのも良いでしょう。」

「そうですか・・・。

しかし、私どもの要件で閣下にそこまで労力をかけていただくのは、恐縮限りないのですが・・・。」

「それこそ、全くそんなことはお気になさらないでください。

先程も申しましたが、僕が貴女の力になれるなど、滅多にない機会、云わば千載一遇の機会です。

忙しいと言っても、貴女のお願いという甘美な理由があれば、ほったらかしにするのも吝かではないのです。

貴方の頼りになった、そのような輝かしい栄誉を私にいただけるなら、他の仕事など些事に他なりません。」

「有難く存じます。

私に可能なことであれば、今後、きっと閣下に恩返しが叶うよう、努力し地盤を固め、報いる所存です。」

「貴女ならば、時間さえあればこの度の騒動に如何様なトラブルが生じようとも、仕損じることはございませんでしょう。

ですが、もし力が、権力のある他者の力の必要がある時、僕を思い出して下さい。」

「そう評価いただけるとは、光栄です。

あまりそのような事態があると困ったことではあるのですが、今回の事態では、私の地盤は全く役に立ちません・・・閣下の御力は非常に有難く存じます。」

「フフフ、ご安心ください、『エンテュカ』の長という立場と実力と政治力と資金、それら全てで全力で妨害工作に取り組むことをお約束致します、重箱の隅をつつくように、嫁をいびる姑のように陰湿にネチネチとイチャモンを付け、審議を最低・・・そうですね、更に二日間の間延びは必ずお約束致します。」

「ありがとうございます。

対価は・・・どのような形でお支払いすればよろしいのでしょうか。」

「ははは、貴女の覚えが良くなる、それだけでも十分な利益がこちらにはあると思うので、対価は勿論無料で、と思っていたのですが。

私は当然無料でも構わないのですが、不味いですか。」

「ただほど怖いものはない、とも申しますし、私のような立場の者が閣下にそれほどの恩を受けてしまうと、あまりにも借りが大きすぎて、例え一部でもお返しできないことには、こちらが精神的に不安定になりかねないかと・・・。」

「こちらから申し出た役得ですので、本来、報酬や対価を求めるのはおかしい事と言うか・・・マッチポンプのようで違和感はありますが・・・。

こほん。

では、協力を申し出た側の人間としては心苦しいのですが、では、ビジネスとして。

一つ、特別な依頼を受諾いただけますか?

・・・こちらをご覧ください。

私のクラスである『カード使い』が使用するカードは、こう言ったものなのですが。」


エンテュカのカード使いが懐から出したカードブックには大量のカードが収納されており、おもむろにその中から一枚を取り出す。

カードは上等な装丁の施された厚紙製ではあったが、意外とチープな、極端に言えば前世でよく市販されていたトレーディングカードと大きさやデザインも変わらないように見えた。

手渡され、確認するようにアイコンタクトされ、手で弾いたり眺めたりしてみたが、そのイメージは全く変わらない。

裏面はエンテュカのカード使いの胸に飾られた徽章と同じエンブレムが圧されており、表面には、この世界の物でも前世の物でもない謎の文字と、基盤の回路のような紋様が描かれていた。


「これはどういったカードなのでしょうか?」

「カードのみでは起動しないのですが、カード使いが起動しますと、こういったことが可能です。」


彼が手に持つと、カードを中心にブワッと半透明の青い直径1mくらいの球体が目の前に現れる。

そこに映像が映し出され、今現在、必死の形相で早馬を走らせている軽装の騎士、いや戦士がまるでテレビのような形で表示された。

今話題に出ていた、ボリウスから王都へ向かっている使者を追尾、監視しているシステムの一つだろう。

フミフェナの持つ『アレラ』を使った監視網は、定点からの観測には向いているが、このように自動的に対象を追尾するようなシステムではない。

おそらく、対象を指定して一定距離から視点を固定したまま追尾・監視できるようにしたものなのだろう。

対象から〇〇mm離れた距離を中心とした視点を、ターゲッティングした対象に追尾させて維持する、どういった事が可能であればそれが可能なのか、例えばゲーム内でプログラムを組んで行うなら容易だろうが、現実世界でそれを実現する為の術式やスキルはどう言ったものが必要となるのかは、理解の範疇にない。

『エンテュカ』という組織の長であるのは、伊達ではないということだろう。


「これは・・・凄いですね。」

「これは僕が最も多用しているカードでして、詳しい仕組みは省きますが、仕込みさえしてリンクしておけば、こうやって遠隔視が可能になるカードなんですよ。」

「・・・これは重要機密なのでは・・・?」

「ふふ、重要機密ではございますが、貴女様の前では特に隠す意味はございませんでしょう?」

「それはどういう・・・?」

「まぁ、それはそうとして、です。

僕がお願いしたいのは・・・このカードも含め、カード使いの使用するカードに使用する素材を、もし目にする、あるいは耳にする機会がありましたら、手に入れていただきたい、ということで、対価は勿論必要な分だけお支払い致します。

素体のカードは紙に多少特殊なロウを塗り込んで強化するだけなので、工業的に大量生産可能なんですが、最も重要な素材である、この紋様を描き定着させるための素材が稀少なのです。

しかも、仕様する用途の種類によって素材が異なるので、稀少な能力のカード、そして使用頻度の高い能力のカードについては、僕の伝手で手に入るだけ常時買い付けしているのですが、手に入ってもすぐ無くなってしまうのです。

常に在庫が空に近いほど不足気味な為、我々『エンテュカ』でも、研究もしながら自らカードの素材を集めにあちこちに出張る、ということすら頻発しておりまして。

貴女の職掌で手に入る範囲で結構です、対価はそちらの言い値で結構です、後程お支払い致しますので、手に入りそうなタイミングや機会がありましたら、出来る限り手に入れていただきたいのです。

金はあるのですが、金だけで解決できない素材でして、入手にかかる時間なども考えますと、手広く活動されておられる商人や、稀少素材を産出する領の領主様にお願いするしかない状態でして。

しかし、概ねそう言った素材は魔の気配の強い魔の領域内で主に産出されることもあって、中々数が揃っていないのが現状です。」

「は、もし良ければ素材のリストをいただければ、気にしておくように致します。」

「それは助かります。

では、僕の要件はついでですが・・・わたくしの任務はこれで終了です。

お約束の件は、成果報酬で結構ですが、貴女が僕の成果に納得できましたら、お願い致します。

王都に寄られる商談などあれば、是非12選帝侯が1人、ヴィットーリア・エルマー・オンダインの館に連絡を。

如何なる予定があったとしても、最優先で一席設けさせていただきますので、歓待させてください。」

「は。

その際には、必ず閣下にご連絡を。

情報、そして遅延工作、閣下には感謝しかございません。」

「はは、その辺りは、バランギア卿の命もございましたのでお気になさらないでください。

それに、貴女は僕の憧れのヒーローです、一ファンとしてこれくらいは協力させてください。」

「恐縮です。」

「それでは、失礼致します。

ご武運を。」


簡易敬礼を交わすと、彼は颯爽と歩いて去っていった。

粒子感度を上げると、彼から迸っていた粒子の奔流の痕跡が天幕内に溢れかえっている。

が、と言って、彼の移動痕跡を探すと、人混みを避けて視線の切れる位置まで移動した後、彼の痕跡は忽然と消えている。

『アレラ』に履歴を調べてもらったが、まるで転移のような消え方で消えているので、ひょっとすると、カード使いは稀少素材を使用したカードを用いれば、タルマリンのように寿命を消費しなくても、転移ができるのかもしれない。


「探りますか?」

「要らないよ、ヴェイナー。

なんとなくだけど、あの人は大丈夫。」

「アマヒロ様、ヒノワ様へは私からお声をお掛けした方が良いでしょうか?」

「うぅん、私からする。

それより、紫色戦貴族領への仕込みを始めてくれる?

あ、いや、橙はもうスタッグ将軍達が張り切ってくれるみたいだから、『橙の仕上げ』だけしちゃって。

それから、紫色に出張ってほしい、かな。

ヴェイナーが展開するにしても、仕込みはしないとでしょ?

『仕上げ』を終わらせたら、休眠状態の奴を最低限だけ残して引き上げちゃっていいよ。

友好領だと思って変に手出ししない方がいいかなって紫は手を付けてなかったけど、そっちのが今は急ぎだろうしね。」

「分かりました。

では、こちらを片付けて、直接現地に向かい、行動を開始致します。

よろしいでしょうか。」

「お願い。

また連絡する。」

「何かございましたら、すぐお呼びください。」


戦況についてバランギアに報告したついでに、『エンテュカのカード使い』からの話をバランギアと話し合おうかと思ったが、話題に上げようかと思った時点で、バランギアからの『ここではそれは言うな』というような恐ろしい流し目を受けて、黙したまま一礼し、灰色戦貴族領に帰還する旨を告げる。

「戦勝の宴を開催するつもりだったので、功労者たるフミフェナ嬢にも出席してほしかったのだが、急ぎならば仕方ないな。残念だ。また会った時は歓待させてくれ。」と言葉を受け、感謝を伝えた後、撤収を開始した。

橙色領地からフミフェナ・ノールの二人は灰色戦貴族領カンベリアへ向けて撤収、ホノカと灰色から招集されたメンバーは魔物の残党の殲滅を手伝う為の応援としてスタッグの部隊に合流、フミフェナの任務を引き継ぎ、遊軍として活動を再開した。

数日後、スタッグ、ホノカ達が各地で戦闘を繰り返していた各所の要所や難所にいた魔物達が、謎の攻撃を受けて突然死する事例が続出する。

謎の攻撃の攻撃範囲から逃れ、生き残った魔物は、あまりの恐怖に仲間達の死体を回収することもせず、脇目も降らず全速力で、一目散に自分達の故郷へと去っていった。

残存兵力がいきなり全滅したことに驚いたスタッグ達は、彼らが追い詰めていた敵拠点内に侵入し、状況を確認しようとするが、拠点内の敵魔物は逃げることすら出来ずに苦しみ藻掻き、壮絶な苦痛を受けた上で倒れたことが分かる死に様だった。

状況的には、病気、あるいは毒、そう言ったものが疑われる状況であったが、大規模走査術式を用いた全域調査に於いて、そう言ったものが一切検出されない。

歴戦の戦士達ですら吐き気を催すほどの、凄惨と言う言葉に尽きる戦場跡だった。

スタッグ達には魔物達が全滅した理由は分からず、現地の状況をそのまま綴った報告書をバランギアに上げるしかなかった。

一方、ホノカやイオスと言ったレギルジア出身者はその惨劇に見覚えがあった。

レギルジア出身者の中でも、特に女神ヴァイラスへの信仰の厚い者達は、その惨劇を確認して戦慄し、即座にその場に跪いて祈りを捧げる姿勢を取る姿が多数目撃された。

彼ら曰く、「敵魔物はフミフェナ様の、あるいは女神ヴァイラス様からの神罰を受けた」と震えた小さな声で、静かに恐れおののいていた。

ホノカやイオスは、女神ヴァイラスから神罰を受けた者にどのような紋様が残るのか把握しており、惨殺された魔物達の胸や額など、目立って分かる部位に明確に描かれた紋様に戦慄した。

彼女らは彼女らで、一部公にせずにいた方が良いだろうと判断したことを伏せ、バランギアへの報告と合わせ、既に灰色戦貴族領に帰還したフミフェナ宛に現地の状況を詳細に全て書いた報告書を送った。

スタッグ達はその後、索敵に重点を置いた機動を開始し、周辺の魔物を殲滅したことを確認、更に最前線より前方にまで数度の斥候を放ち、近隣に脅威となる魔物や群れが存在しないことを確認、バランギアに掃討完了を報告した。

スタッグの報告を以ってバランギアは戦勝が確定したとし、戦勝の宴を開催することを宣言した。

橙色戦貴族領の民は、戦勝と、敵魔物に奪われた最前線都市までのクリアリングと最前線都市の再構築の活気に湧き、主にそれらを行政方面から支援することが決まっているベッティム商会の者達も沸いていた。


「フミフェナ様がおられねば、例え魔物が淘汰されようとも、ここまで未来を信じてはいられなかっただろう。

早く兄上が戻ると良いのだが・・・。

フミフェナ様には、一度、兄共々、お礼のご挨拶にお伺いせねばなるまい。」


レジロックは様々な部署に飛ばす指示書を書き続け、寝ずに仕事をし続けているほど忙しく働いているが、灰色最前線都市カンベリアから未だ帰還中の兄ノルディアスは、橙色領で起きた様々な騒動を知らないだろう。

レジロックとしては、早々に優秀な兄に帰ってきてもらい、この山盛りの仕事を早く片付けてもらいたかった。

橙色戦貴族当主であったクソ野郎は既に淘汰され、次の橙色戦貴族が決定するまでの間はスタッグ将軍とバランギア卿の連れてきた行政官が領主業務を代行してくれるとのことで、優秀な行政官である兄ノルディアスの足を引っ張り、様々な事業の邪魔ばかりする者はいない。

しかも戦線を維持する為に、次の優秀な色付き戦貴族が配属されるまでの期間、橙色領はバランギア直属部隊と近衛兵団が駐留し、護ってくれることが確定しており、前線維持に要する戦力の確保や資源・資金の確保が必要なくなったのも大きい。

失った農民や畑を復興するまでの期間、領民の口にする食糧はフミフェナ嬢との契約により、灰色戦貴族領から破格の値段で大量に、そして継続的に、短納期で輸入可能であることも確定しており、領民の食糧問題も既に解決しているのだ。

レジロック達、ベッティム商会は、既に手配の住んでいる資源を、しかるべき場所へ、しかるべき量を分配し、正常な取引としてそれらを潤滑にそして円滑に回し、領を復興させることが仕事だ。

領都オーランネイブルと後方の都市に限ってはほぼダメージはない。

隣接都市である衛星都市グリンブルも都市の建築物こそその大半が破壊されてしまったが、都市民はグリンブル防衛戦士団団長のアリヴェイナの判断で、大部分がオーランネイブルへの避難に成功している。

グリンブルに残った防衛団所属の戦士・決死隊の者達以外の被害がほぼ皆無であり、都市長グリンブル・行政官長ベロティンを含めて無事であることから、建物の復旧に時間こそかかっても、都市の復興は早いと思われた。

これを幸いとして良いのかは不明だが、前当主であるヴェルヴィアが前線から主戦力を引き剥がしてオーランネイブルに引き留めていた関係で、彼らを再布陣することで橙色戦貴族領の“数”については、多少充足が早くなり、領内の治安維持には苦労はしなさそうだ。

主戦力とするべき次代の橙色領主となる戦士については、王都政府が選考した候補が決まり次第、領を代表し、ベッティム商会の長であるノルディアスやレジロック、各都市の生き残った都市長の総意確認を取ってから配属する、というバランギア卿からの念入りな破格の配慮も既にいただいている。

王都政府としても、ヴェルヴィアを早期に排除しなかったことに責任を感じている、との言だった。

レジロックからすれば、最悪、『シャンメリー』を始めとしたヴェルヴィアの治政に不満を持った者達と共に、領を燃やすほどの叛逆を企てねばならなかったところだったのだ。

計画の第一は、バランギア卿の目をこちらに向け、粛清してもらうことだったが、最悪の場合のことも考えて準備・活動はしていたのだ、それを思うと、今の心情は、既に解き放たれた、という気分以外にない。

帰還した兄と共に領の次代を考える、未来を描く思いでいっぱいだった。


「犠牲になった民と戦士達に哀悼の意を。」


ベッティム商会の重要な職を担う者達を集めた集会にて、レジロックは様々な訓示を行った。

様々な配置換えや人員配置の権限の集約など、レジロックの仕事は多いが、ヴェルヴィアに隠れて動く必要がなくなった分、各所の意気は高い。

シャンメリーという名の組織は既に解体する予定となっているが、彼らは既に別ルートで領の為の活動に従事してもらうべく、レジロックの重要な部下としてベッティム商会の活動の要職についてもらっている。

思想が尖ってきていた組織が事実上瓦解することになったのだが、これは最も良い理由での組織解散だ。


「失礼、少し伺いたいのですが、貴方がベッティム商会番頭のレジロック殿でしょうか?」

「これはこれは、12選帝侯の御子息殿・・・今は『エンテュカのカード使い』殿、とお呼びした方が良かったのでしょうか?」

「僕のことをご存知でしたか。

えぇ、そうですね。

いつも素材の融通、ありがとうございます。

実は折り入ってお願いしたいことがございまして。

『コレ』を手配していただけませんか?」

「『コレ』は・・・こんなことを言うのは釈迦に説法かもしれませんが、質はあまり良くありません。

正規の品を手に入れられないアンダーグラウンドの組織が、代替品として使う程度でして・・・。」

「それは勿論存じております。

その上で、これを150kgほど調達していただきたい。」

「・・・承知致しました。

取引の履歴も残らないようにした方が良い、ということですね。」

「察しが良くて助かります。

届け先は、いつもの素材の届け先に、素材と同じ便で送って下さい。

お願いしましたよ。」


彼は上得意の爽やかな青年だ。

以前、王都で開催されたパーティーで顔と名前と経歴は知っていた。

『エンテュカ』と言えば、あらゆる素材を底なしに消費する組織であり、全国各地の商会がその組織に素材を納品している。

だが、その頭領たる『エンテュカのカード使い』と直接に取引をしている商人となると、自分を含めてもそう多くはないだろう。

稀少かつ上質な素材を選び抜く目を持つ鑑定人を擁する商会でなければ、その期待に応えることができないからだ。

そんな彼が、低質な素材を敢えて、それも150kgという分量で欲する。

何に使うのか分からないが、追求しない方が良い雰囲気がプンプンする。

橙色戦貴族領はこれから復興の光差す領になると思われるが、彼の向かう先は、一騒動起きそうだ。

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