33話 1本の髪
「バランギア卿からは、ブリーフィングの際に、封印作業であれば貴方を頼れ、と伺っておりましたので、こちらに参りました。
手前みそながら、こちらの魔物はこの大戦においての最重要の戦果。
この魔物は、非常に重要な情報を握っている可能性がございます。
捕縛状況の意地、生命維持は勿論、後程情報聴取が可能な状態を維持できる封印を、お願いしてよろしいでしょうか。」
「は、責任を持って、生命を維持させながら、かつ行動不能な状態で封印し、そして如何なる状況であっても死守してご覧にいれます。
例えこの都市が陥落しようとも、我々が全力で維持する領館には傷一つ付けさせやしませんよ。」
「ありがとうございます、宜しくお願い致します。
私は戦場に戻らねばなりませんので。」
「こちらはお任せください!
フミフェナ様のお役目が戦場や外交であるならば、我等の職務とは領館の封印監獄の管理であり、これを果たすのは望外の喜びでございます。」
ドン、と自らの胸を叩く青年に、私はニコリと微笑み返した。
赤の領館にはバランギア麾下の専門の術師がおり、ド・スタリは厳重な拘束を伴った上で、封印専門の監獄に投獄された。
魔物や亜人を専門にした封印術式に長けた封印術師もいた為、完全に任せることとした。
担当の下士官は若く、少し自信過剰だし、言葉も少し選んだ方がいいとは思うが、彼はきっと若いのだろう。
尋問・拷問の類に関しては禁止し、他者の介入があったとしてもバランギアか自分が立ち合いの下でのみ行うことを厳命し、場を離れる。
赤の領館は、ある意味身体を休めるのに丁度良い環境ではあるが、この場に留まることは色んな意味で難しい。
バランギアがまだ近衛兵団を率いて魔物と戦闘に入っているし、ホノカやノールも戦闘中だ。
そして、赤の領館にいる間は『アレラ』からの情報が入ってこない。
ヴェイナーは辛うじて動けるが、バランギアが何処までのことを調べる能力があるのか不明である為、あまり顕現の履歴は残さない方が良いだろうということで、ヴェイナーも呼び出していない。
つまり、外の情報がほとんど入ってこないのだ。
有事でなければあまり気にもならないのだが、あまり悠長にしていて問題が発生しても困る。
それに、あまり他人の目に長く触れていたくない時間でもある。
体外に漏れ聞こえることはないと聞き及んではいるが、体内から生じる“音”が他者に聞こえているのはないか、という心配をしなくてはいけないからだ。
レベルが上がるにつれて身体が歪んでいくような、何処かが割れながらくっついていくような音は、しばらく続いている。
レベル300オーバーとおぼしきドス・ベオン率いる魔物を討伐した際に入手した粒子の影響だ。
周囲に聞こえることはないということは確定しているが、この音量は、当人からすると、常時、身体の芯から響いてくる重く大きな音であり、体感としては土木工事現場の目の前の家の住人くらいのレベルで身体が震動しているように感じるし、何かを壊して直すような騒音のような音が聞こえる。
骨の軋みが頭蓋骨から足の指先まであちこちから鳴り響くので、慣れていなければとても出歩く気にはならない。
このような状態で戦場に戻るなど、どう考えても身体に悪いのは間違いがないが、あの戦闘だけでそれだけレベルアップ状態が続くということは表沙汰にはできない。
身体を考えれば宜しくないのは間違いないのだが、戦場に出れない理由はなんだ、という問いかけに対する虚偽はあまり多く持ちたくはないし、このままで戦闘ができないということではないので、絶対に休まなければならない状態ではない。
最初はあまりこういった音が不気味に聞こえて慣れなかったし、身体を襲う何かが作り替えられていく震動は不快感を伴って万全の戦闘状態を維持できなかったが、この音はこの世界なりの“レベルアップのファンファーレ”なのだ。
そう思ってこの音を聞くと、次第に背筋がゾクゾクするようになってきたし、なんなら全身にひび割れるような衝撃が走ることすら快感になってきた。
戦闘能力は上昇の一途であり、最近はレベルアップ中の一時的な低下は気にしなくなっていた。
ふと、一般に、レベリングにおける苦痛とはなんだろうか、ということを考える。
レベルが上がりにくくなることだろうか。
それとも、レベルが上がるごとに激痛が奔り、一時的に弱くなることだろうか。
狩場が遠い?
弱い敵しかいない?
満足な装備がない、もしくはすぐ損傷するので狩れない?
消耗品などが足りない?
その他、一般的には様々な障害や問題が考えられると思う。
その中でも、“私が”最も厭うものとは、『理想的なレベリングが出来る環境で邪魔が入り、レベリングが出来ないこと』だ。
レベリングでレベルが上がり、身体の変質が起こっている間、経験値が一切得られないというのであれば、身体を休めることが最も大事なレベリングの一環に該当するので、休もうという気にもなるが、私の場合は身体の変質が起こっている間も、経験値を得ることが出来るのだ。
普通に安全圏にいては手に入らないほどの物量と質を持つ敵軍が迫ってきている今、その機会を逸するという事は、私にとって最も大きな苦痛であるとも言える。
こちらの世界でほとんどの戦士達がその壁を超えることを諦めるレベル100という壁は、レベリングの苦痛の一番多く戦士達を悩ませてきたもの。
レベル100という壁が超えられる、ということは、ヒノワ様を始めとした色付き戦貴族の戦士達が身を以って示してくれており、彼らの存在がレベル100を破ることは不可能な話ではないことを示す良い見本であり、身を以ってそうあれることを示してくれている彼ら彼女らには感謝しかない。
そして、レベル100を超えてもレベルは上がり、レベル1000に達しているのではないかと推測されるバランギア卿の存在は、レベリングに際限がないことを示してくれている生きた証拠であり、私のレベリング欲を刺激する最も大きなものだ。
これらは、現環境でなければ手に入らなかった環境であり、手に入らなかった情報ばかりだ。
このような環境を手に入れられたのは、ヒノワ様という知己を得られたことから広がった。
自分の計画を極端に短縮することになった唐突な出会いと展開があり、あの日、ヒノワ様がレギルジアで自分を取り上げてくれたからだ。
感謝という言葉以外の言葉が出てこない。
赤の領館にド・スタリを引き渡した後については、状況に応じて動こうかと思っていたので、状況確認を始める。
が、思いの外、状況確認が出来ない。
赤の領館の敷地内では、そもそも自分の能力のほとんどが制限されることを、そういった情報収集を当たり前と思えるほど無意識に常時行っていたが故に、それを引き出そうとした段階になってから思い出す。
あちこちの情報は、赤の領館さえ出ればどうとでも手に入るが、これに関しては他者に知られるとどういった不利益が生じるか分からない為、敷地内からでは動きにくい。
かと言って、あまりに理不尽に急いで退去しては、不自然に感じられるかもしれない。
さて、どうしようか、と少し逡巡に到りながら、レベルアップの余韻に浸っていた所、接客してくれていた女性がチラチラ、と顔を覗き込んでくる。
何かあっただろうか、と首を傾げてみると、彼女は少しビクビクとしながらだが、膝をついて座って目線を合わせる形で話してくれた。
「あの、フミフェナ様。
御召し物はお替えにならずとも良いのでしょうか・・・?」
はて、と、自らの身体を見ると、確かに、酷い有り様だった。
ただの血染めではなく、様々な肉片や何やら良く分からない緑色の体液やら茶色い体液もついている。
戦闘時に様々な模様に染められた外装は、都市に入る前に一旦解除したのだが、外装についた魔物の何かしらが外装にこびりついていることを失念しており、解除直後にビシャリと衣服が血まみれになっていたのを失念していた。
言われて初めて思い出し、ようやくそこに思い至った次第だった。
流石に頭や顔は外装解除後に洗って拭っていたが、全身を斑に染めるアレコレをそのままでは、確かに見た目はよろしくないだろう。
一人や身内で居る時間が長いのもあって、外向きの外面というものを完全に失念していた。
「あぁ、これは・・・このような恰好で失礼しました。
教えていただいてありがとうございます。
戦場帰りで自らが相当に汚れているのを失念しておりました。
手ぬぐいやシャワーをお借りしてもよいでしょうか。」
「は!
ここのシャワー施設はお湯も出ます、どうぞご利用ください!
フミフェナ様にご利用いただければ、当館の誉れになります、是非ご利用を!」
「御着替えの衣服はお持ちでしょうか?
ブリーフィングルームに、フミフェナ様に合うサイズの伸縮式のコンバットシャツがあったかと思います、お持ちしますのでそちらをご利用ください!
ご利用の間にこちらにお持ちしておきます!
少々お待ちください!」
「ありがとうございます、宿に着替えがありますが、それほど時間に余裕もありませんので、お借りさせていただければ助かります。」
領館には常駐の者がおらず、かつ臨時で現地から雇われている者がいない。
つまり全員が赤の領地出身者かつバランギアの随行員として教育を受けた者ばかりである。
赤の領館に滞在しているのは、非戦闘要員20~30人ほどと、予備戦力兼領館防衛戦力の交代要員の戦闘員20人ほどだけだ。
近衛兵団の予備戦力の交代要員や後方部隊の2000ほどは、別途領主邸宅の方に駐在し、アレコレと仕事をしている。
オーランネイブル外殻から外部に布陣している部隊は各地から招集された兵達が担い、防衛力の大半を占めているが、バランギアから交代要員として待機を命じられている近衛兵団が彼らの支援についており、今の所オーランネイブルの防衛に関しては問題ないと評価できる。
近衛兵団が後逸した魔物は今の所おらず、それ以外を含めてもオーランネイブルに辿り着いた魔物は報告されていない。
バランギア率いる近衛兵団が後逸を許すとは思えないが、もし後逸した魔物がいても、彼らが対処できるだろう。
何時如何なる出撃でも近衛兵団は正味戦力として後方支援要員も含めて6000~8000を即行動可能・荷馬車なども随行可能としており、交代要員2000~4000を含め1万で動くことを前提としている。
常時フルパワーでの出撃ではなく、疲労・装備などの損耗・負傷などで交代が必要になったメンバーが順繰りに交代することで、前線に必要とする戦力を常時維持する方針をとっている。
言ってみればペルシアの不死隊のようなもので、敵魔物側からすれば殺すことが無理ならばと傷を負わせる、武器防具を破壊すると言った手法に転換したとしても、後から後から後続が補充され、魔物側はその数を減らしていくことになるのだ。
相手からすれば恐怖しかないだろう。
普通に考えれば交代要員も一緒に出撃すれば良いと考えるが、バランギアは後方要員の防衛も兼ねて必ずそれくらいは残すとのことで、近衛兵団を率いる長達は必ずそのやり方を踏襲している。
バランギアがそうするのは、おそらく300年の戦いの中でそう言ったスタイルを形成するための何かがあったのだろう。
話が逸れたが、戦場に出張っている戦闘要員もいれば、領館に残っている戦闘要員もいる、というのは、戦場出撃が交代要員ですらシフト制となっているからだそうだ。
また、戦闘要員でない面々については彼らとは別で、数か月前から橙領内に情報工作員として入って内偵を進めていたらしく、現在、任務をほぼ終えた彼らは休暇も兼ねて領館の人員として一人当たり少しの仕事を割り振られ、大半は休息に入っている。
館で出会うのは、彼らが一番多い。
が、戦闘要員も接客についているという場面もそこそこ遭遇しており、不思議になって聞いてみると、なんでも、赤の領地においては、出来ることは出来る者がするのが習いである、とのことで、バランギア自身が領館にいる時には率先して厨房に立つことなどからも分かるように、ゴリゴリの戦闘要員が丁寧に洗濯をして洗濯物を畳んでいたり、たおやかな非戦闘員が掃除や賓客接待なども行っていたりと、各自、本当に出来ることを役割分担してやっているのだ。
逆に言うと、建物の管理に関してのみ専門職を赤の領地から必要に応じて派遣するという形を取っていることを除けば、外部の人間が入り込む余地を一切作っていないということでもある。
間諜の入り込む余地を無くすだけではなく、情報漏洩の防止、連帯感の増進など様々な理由が考えられるが、もう赤の領地においては当たり前のこととなっているらしく、慣例的なところが大きいとのことだった。
恐ろしいことに、非戦闘時であれば上位将官に該当する戦闘要員も、何人かは接客や賓客対応を行うこともあるそうだ。
特に人気があるのが、イケメンで気遣いが半端ないというバルシェだという話もチラッと聞いたが、確かにご令嬢やご婦人受けは良いだろうな、という顔立ちはしていた。
ザっとシャワーを浴びて汚れを洗い流し、下着は流石に自分で手洗いして乾燥機のようなアーティファクトを借りて乾かし、着てきた服は洗濯して後程届けてくれるとのことなので、任せてしまった。
用意してもらったコンバットシャツに着替えたが、非常によい布地で編まれており、着心地は最高と言って過言はない。
出来るならこの布地を灰色にも販売してもらいたいものだ。
「シャワー、お借りしました。
申し訳ありません、御忠告の通り、私の身体も衣服もかなり汚れていた為、シャワー室を相当汚してしまいました。
後で清掃・処理に掛かった費用と、お借りした衣服の費用と、合わせてお支払い致しますので、灰色戦貴族領の前線都市カンベリアの御領主御用商人、フミフェナ・ペペントリアまで請求書を送ってください。
申し遅れました、フミフェナ・ペペントリアと申します、こちら名刺になります。」
「ははは、何をおっしゃいます。
この領館のシャワールームをフミフェナ様に利用していただけたというのは誉れであって、清掃や処理の手間など、それに比すればあってないようなものでございます。
それに、我々は赤色出身者であり、赤色の領館で仕事を負う者。
バランギア様やバルシェ様を筆頭に、血まみれの戦士達が帰ってくれば、皆順にここを使います。
ご存じの通り、我等の領の戦士は勇猛です、どれだけ清掃・処理しようとも、後からいくらでもしこたま汚れますので、こちらのシャワー施設はそう言った掃除や処理が簡単になるようにされておりますから、本当に問題ないのです。
ご安心ください、そういう時の為に、非常に清掃が容易になるような工夫も凝らして設計されているのですから。」
「むしろ、一番きれいな状態のときにフミフェナ様に利用いただけてホッとしているくらいです。
ですので、本当にお気になさらないでください!」
「いえ、でも、私は部外者ですから・・・申し訳なくて・・・。」
「であれば、赤色出身者が困っていた際には、彼もしくは彼女を助けてあげてください。
それが我等、赤の者にとっての返礼になるかと存じます。
我等は皆、そうして次代へと恩を繋いでおります。」
「分かりました、では、その約束、必ず果たします。
良くしていただいてありがとうございました、再び、戦場に戻りますので、ここで失礼を。」
ペコリ、と頭を下げると、彼らも大慌てで頭を下げる。
やはり、赤の領地の出身者は、強者へのへりくだり方が徹底しているようだ。
初めて会った瞬間から、バランギアから一切説明を受けていない者達も、変わらず自分を賓客としてもてなしてくれていた。
幼い、そして女である、という自分を差別する気配は一切ない。
ある分野において優秀であることが、“この場に当たり前にいること”“彼らに持て成される資格を持つ賓客でいること”が担保されているのだ。
この場にいられること、彼らに認められること、そのこと自体が、バランギアか、バルシェに認められて『内部』に入ることを許されていることの証左になるということ。
ただそれだけが、彼らの評価基準であるのだろう。
しかし、賓客としてもてなされて当たり前だと開き直れるほど、高見には至っていない。
彼らの、彼女らの言う通り、恩は恩で返そう。
名も聞いていない無名の彼らとの話だが、必ず果たす約束として頭に刻もう。
そう思えるほど、彼らは心の底から真摯に報いてくれていた。
「それでは、また、後程。
勝利の凱歌をみなさんと共に。」
「は!!
フミフェナ様の御武運を祈っております!
しかし、フミフェナ様にご活躍いただきすぎると、我等がともがら、スタッグ将軍麾下近衛兵団の獲物がいなくなってしまうかもしれませんね。
彼らの分を、少しでも残しておいていただけると幸いです!」
「はは、確かにそうですね!
控え目にしておきます!
では、これにて、失礼致します。」
領館にいたスタッフ達が全員総揃いでお見送りだ。
赤の領地は他領よりもなお尚武の精神が強く、旅立ちの者がいればそれが最期の挨拶だと思って見送れ、という概念が根強いのだという。
胸に手を当て、足を揃え整列した彼らは敬礼する。
彼らの思いに応えるべく、私は彼らの目の前で全力の“ハイパーフォーム”を纏い、領館を後にする。
自らの最高速での疾走は勿論都市外に出てから行うが、彼らの手前、あまりちんたら移動するのも礼儀を失するだろう、ということで、都市内で可能な限りのスピードで彼らの前を辞する。
彼らに驚きを与えられただろうか?
直接相対してくれた彼らの話の種にでもなってくれればうれしいのだが・・・。
フミフェナが立ち去った後、赤の領館に残された者達は、自分達が接待した女児が特別な客であったことを引きずることもなく、いつも通りの仕事に戻る。
彼らの頭には近衛兵団の兵達が負けるという発想など片隅もなく、彼らが帰還した際には治療や後片付けに奔走することになるから、と食材や医療品、装備品の在庫確認、調達、下準備に奔走している。
が、1人、彼らとは完全に異なる動きをしている者がいた。
彼女はバランギアから前もって密命を受け、他の者とは異なる仕事を命じられていた。
フミフェナに服の汚れを指摘した女性であり、名はバシェル・モリヨル、33歳。
彼女は、バランギアから、赤の領館にフミフェナが立ち寄ることがあれば、可能な限りフミフェナの私物や髪の毛や着用していた衣服、怪我をしていればその血を拭きとった手拭いなどを保管するように、と指示を受けていた。
彼女はフミフェナが完全に視界から消え、前線に向かったことを確認した後、白手袋を装着し、慎重にフミフェナの痕跡を集める。
「はい、もういいわよ。
待たせてごめんなさい、後はお願いね。」
「オーケー、モリー。
先生からモリーからOK出るまでは触るなって言われてるんだ、特別な仕事なんだろ?
気にしないでくれ、後は任せなぁ。」
「へいモリー、何か力作業あるなら手伝おうか?」
「いえ、大丈夫よ、ありがとう。
精密作業だけの仕事だから、力仕事はないの。」
「そっか、なんか手がいるなら言ってくれよな。」
モリヨルはフミフェナと分かれてすぐ様、シャワー室に向かい、排水口に設置した網に付着したフミフェナの白い髪や、魔物の物か判別の付かない何かの欠片まで集める。
フミフェナが脱いだ衣服はフミフェナが一旦シャワー室で手洗いしたと思われるが、汚れを指摘した時よりは染みなどが薄くなっているが、現況そのままを維持して回収する。
モリヨルは“来訪者”であり、前世で化学分析、とりわけDNA鑑定等の業務を行う仕事をしていた。
勿論、こちらの世界の科学技術の発展の問題で、前世のような機械的なDNA鑑定は不可能だが、幼年学校時代に既に学業で頭角を現し、バランギアに見出されて直轄部隊にスカウトされ、こちらの世界に生を受けてから成長する間に非常に高度な教育を受けることができた。
赤の領地の研究機関は非常に優れた研究成果を挙げており、研究機関が直営する学校はヒトの世界で最高学府であるというのが一般的な見解であり、在学したモリヨルとしてもその意見に同意だった。
恵まれた環境で、モリヨルは術式によって前世におけるDNA鑑定に近い鑑定が出来るほど精密な術式研究・構築に没頭し、それを完成させた学術の徒である。
研究機関を辞してからも様々な特殊な鑑定技術・術式についての研究を進め、機械を用いた客観的論拠となるデータの出力こそ出来ないが、術者による特定鑑定作業については前世の業務を凌駕するレベルでおこなえるようになっていた。
勿論、DNA鑑定などの特定の鑑定が必要な状況というのは、特殊だ。
大概はバランギアからの密命であり、その大半が王族や色付き戦貴族、選定候といった血縁に非常に大きな意味を持つ家庭関係の血縁関係の保証としての確認だった。
今回はそれらとは異なる任務であり、求められている鑑定は特殊だった。
何せ、鑑定対象をその目で確認してから鑑定しろ、という変わった指定があった為だ。
普通、鑑定対象については鑑定者が余計なイメージを抱かないよう、下手をすると名前やその他情報について全てシャットアウトされ、鑑定物だけが提出されることも多い。
だが、今回の鑑定については、モリヨル一人で鑑定可能な物を全て確保し、鑑定も他者が絶対に出入りできない厳重な環境下にある鑑定専用の部屋でのみ行う事を厳守するように、との指定もあった。
「過剰過ぎるかもとは思ったけど・・・流石、バランギア様。
おっしゃられることには間違いがない。」
モリヨルがバランギアから鑑定を指定された項目は、かなりの項目になるが、最も重要かつ優先とされた鑑定は、髪の毛等が回収できれば、それらがどれくらい粒子浸潤が進捗しているのかを確認することだ。
透けるように白く艶のある髪の毛が一本だけ回収でき、それを鑑定したが、目を疑うような鑑定結果が出る。
粒子化浸潤度、95%台後半、約95.8%。
非戦士の一般人の粒子化浸潤度が0.1%程度、魔物の粒子化浸潤度が80%前後。
一般戦士クラスで10%程度、レベル100を突破した者で20~30%、赤の戦士でバランギアを除く筆頭戦士に近い戦士3人の内の一人のバルシェでも90%程度だ。
極秘裏に行われたバランギアの鑑定結果が100%に達していたことは、バランギアとモリヨルだけが知っているが、これはバランギアから特別封印を施してもらい、洗脳されたり拷問をされたりしても決して生きた状態で情報が漏れることはないようになっている。
フミフェナという幼女の粒子浸潤度の95%という割合は、数値だけ見ればバルシェを始めとした赤の領地のバランギアを除く全ての戦士を超えており、バランギアに匹敵するレベルだ、ということだ。
身体の組成が“ヒトという生命体”の細胞、体組成の中に粒子を浸潤させ、その役割を維持・移行する為には、無意識下でも粒子制御能力が発揮されるほどの高レベルに至らなければならない。
異常な成長速度を誇る戦士は、得てして粒子浸潤度が高く、領主・国王等がスキルやアビリティで非常に成長が早くなることも生まれ持っての粒子浸潤度の高さが影響していると言われている。
が、50%を超え始めると、その細胞変異に耐えきれず、生命体としての限界を迎える者も多い。
身体の組成の中に粒子を浸潤させる過程において、適応性のない者は言ってみればそこで細胞としての活動にエラーを生じさせることになり、細胞が、身体が悲鳴を上げ、それ以上の成長を身体が拒否する可能性があるのだ。
モリヨルが最近進めている研究においては、まず細胞に粒子を含ませる為のクリアランスとキャパシティ、そして細胞が使用するエネルギーが食物依存のエネルギーから対外から吸収した粒子が含有・内包するエネルギーも使用できる状態へと切り替える過程こそがレベル100の壁となっていることを突き止めていた。
その研究成果は部外秘の研究論文としてまとめたが、研究段階で既にバランギアから封印指定の研究となることを告げられていた。
それは赤色戦貴族領のバランギアの居室に厳重に封印されている。
バランギアからは賞賛の言葉と共に、公表できないことを謝罪されたが、モリヨルには承認欲求は一切なく、知識欲が満たされる現環境を望みこそすれ、栄誉に浴する気はない、と伝え、同意の上でそれも記憶封印の処置を済ませている。
以降、バランギアから研究結果への報酬というより研究を非公開とした代償として、『興味深い戦場への同行、及び優先的に研究素材について提供する権利』を認められ、今回も同行に至った。
バランギアからは何も今回の遠征について聞かされていなかったが、「モリヨルの興味を引く対象が現れる可能性がある」とだけ告げられ、なんとなく自分もそんな気がして同行したのだが、バランギアと自分の勘は大正解だった。
「ウフフ、なんです、これ。
フミフェナ様、髪だけじゃなくて本体の研究もさせてくれないかなぁ・・・。」
フミフェナの髪は、確かに『細胞全体の粒子浸潤度』については95%だった。
だが、ある意味ではこれは『ヒトとしての細胞における粒子浸潤度』については100%と称しても問題ないかもしれない。
モリヨルの前世、現代地球を超越するほどの様々な術式・スキルを使用して行った鑑定において、特に粒子に関する精密鑑定の結果、フミフェナの髪には微量ではあるが、有り得ない物が含まれていた。
体組成としての細胞としては有り得ない、ウイルスや病原菌が細胞を形作って、細胞組織として髪の毛に含有されていたのだ。
有毒なものなのかは不明だが、これまで行ってきた鑑定作業で見てきた『ヒトの身体の細胞』とは明らかに異なった体組織が髪にすら現れていたのだ。
髪だけでこれなのだ、身体本体はどうなっているのか想像がつかない。
「あぁ、これは凄い・・・。」
バランギアから頼まれた幾つかの指示の内、『白』との血縁関係についても調べるよう指示があったが、少なくとも遺伝子に相似関係はなく、血縁関係がないことは確定した。
だが、白色戦貴族の現当主のDNA鑑定を行ったこともあるが、彼よりもフミフェナの方が明らかに粒子浸潤度は高い。
更に、粒子浸潤度だけでなく、粒子同士のシナプスのような繋がり、情報伝達物質のような粒子間の伝達能力も洗練されている。
それが何を示すのかと言えば、生来生まれ持ったモノではなく、非常に良く効率化された粒子活用を日常的に行っていることを示し、要は「レベルだけ」ではない、「修練に裏打ちされたもの」である、ということだ。
この手の鑑定に関しては、実際には爪や血などがあれば一番いいのだが、戦士の髪には多くの情報が含まれており、毛根がついていなかったとしても、読み取り、分析することで非常に多くを知ることが出来るのだ。
血統術式や血統装備に繋がる情報などについても、こういった鑑定で把握することもできることがある。
バランギアとの共同研究で、とある血統術式を自慢として売り出していた術者が血統ごと絶えた際に、身寄りのないことをいいことに、バランギアがその術者の遺体を墓をあばいて研究所に持ち込み、極秘裏に解剖・分析・研究・実験をしたことがある。
その際、その術者の遺体に残る様々な情報を読み取り、血統からどういう形で術式が顕現しているのかを分析、似た系統の術式をスキルを併用して使用できる者であれば使用できるよう、汎用性を持たせて血統に依存しない術式化へ改造することに成功した。
モリヨルとは相性が悪く適合しなかったが、死んだ術者と似たタイプの術者タイプの戦士に秘密裡に協力してもらったところ、血統術式が一般術式として使用可能となった。
一子相伝、血統術式等を用いる戦士は往々にして後継を持たないまま死亡する、もしくは後継と目された人物が当主と共に死亡する場合も多く、彼らの術式を絶やすことをバランギアは惜しんだ。
彼は立場を活用し、『彼の戦友に渡す為の遺髪を分けて戴けないか』『戦士達の墓標への弔いの儀式の為、彼の血を分けてください』と言った要領で、身寄りのある場合は何かしら遺伝子にまつわる物を手に入れては、研究所に持ち込み、モリヨルと二人で秘密裡に研究し、都度、血統術式を一般術式化する手法を磨いていた。
これらから、髪や少量の血などの少ない検体であっても、確率的に約20%ほど、全身を確保できる完品の遺体などが手に入った場合はおよそ80%ほどは、個人に依存する術式やスキルについて分析することが可能となった。
再現・術式の具現化にはまた別の技術が必要であり、分析が可能であっても他の術者が使用できるようにできるのか、ということは別問題であるが、分析することで系統付けや研究は進み、再現率は上昇傾向にある。
「特殊な術式が見つからない・・・一般的なものしか使っていないということ・・・?
だとするなら、アビリティ、スキルに依存するもの・・・?
しかし、バランギア様からいただいた資料のデータからすれば、術式も使っていなければ理屈が合わないはず・・・。」
バランギアの予測した様々な術式・スキル・アビリティがモリヨルには提示されており、まずそれらが該当するかを調べたが、そのほとんどが当てはまっていない。
ヒトの身体は、生身では脆過ぎる。
故に、まず一番効果の大きいアビリティがモノを言う。
アビリティだけで全てを賄うことはできない為、高い戦闘力を誇る戦士のほぼ全数が、術式で補っている。
スキルは全ての者が数に限りがあるとしても任意に取得することが可能であり、取得したクラスなどの補正を受けて、効果の大小はあれども、とりあえず発動する。
アクティブスキルとパッシブスキルが存在し、パッシブスキルは一度発動すればキャンセルするまで、術者の体力や粒子、エネルギーなどを消費しながら半永続する。
アクティブスキルは、それぞれに応じた代償を払いながら何かを消費しながら発動するものであり、強力であればあるほど、その代償は大きくなる。
術式は、スキルとは完全に系列が異なり、学問として学び、その術理を理解しなければ使用できないが、使用できるようになった後はいつでも、任意に発動することが可能で、代償は微量であり、大抵がその場に存在する粒子の力を借りて発動する。
スキルは個人差があまりに激しい為に複数人で発動しても完全に別のスキルとして複数人で別々にスキルが発動するだけだが、術式に関しては度量衡が統一されており、複数人が担当を決めて合力して発動することで、1人で発動するよりも大きな術式として発動することも可能だ。
最も普及している大規模術式と言えば、大規模走査術式だろう。
事件が起きた場合や魔物の襲撃があった際に、痕跡や死傷者の調査や近辺の状況把握の為に使用されることが多く、取得も比較的容易であるのに利用用途が多い為に、かなりの戦士が取得しているからだ。
ただ、個人に限って言っても、この世界の術理に逆らっていなければ、比較的軽い負担で発動可能な物は多い。
スキルは取得数、クラスとの相性の問題があり、スキルで全てを解決する者は少ない。
例えば、パッシブスキルを多く取得し、アクティブスキルのような隙を無くそうという戦士もいるが、パッシブスキルも多く同時発動すると負担はかなり重くなり、瞬間的にアクティブスキルを使う場合よりも爆発力はない。
逆にアクティブスキルのみしか取得していない場合、能動的に動いた場合のみ効果を発揮するものなので、自らが認識しない限り発動せず、奇襲や無意識下での効果は期待できない。
大抵の者はクラスに相性の良いパッシブスキルを常時発動させながら、更にそれらと相性の良いアクティブスキルを使用することで、最大限の威力を発揮する。
術式の取得はクラス・パッシブスキルとの相性差があまりない為、例えば前述の走査術式も複数人で大規模術式として使用するのであれば、クラス・パッシブスキルでブーストされていない均一な人間で構成した方が楽に発動できる。
フミフェナは人体では決して耐えられないほどの速度で移動・戦闘を可能としており、明らかに人間離れした人体強度を誇っている。
例えば、前世に存在した戦闘機と言った超高速で戦闘を行う兵器に搭乗した状態で、最大速度で戦闘しながら、鋭角に旋回して切り返すとどうなるか、と言えば、機体が圧し折れて空中分解するしかないはずなのだ。
人間の身体を相当に強化・硬化し、バリスタや投石器のような物で射出すれば、相当な速度で人間を移動させることはできるかもしれないが、そのような速度で複雑な動きを伴う戦闘を行えば、まず動き始めの段階で首が折れる。
首が折れないよう補強したとしても、すぐさま脳が潰れて即死する。
ガワを完全に補強したとし、脳を保護したとしても、今度は頭部の血が失われる、もしくは偏ることによって一瞬で気絶する。
それらを解決したとしても、眼球が破裂し、鼓膜も破裂する。
それらが解決したら、次に、呼吸をするための肺が圧し潰れ、呼吸が出来なくなる。
そして更にそれらを解決したとしても、次に移動の要である足が切り返しを行った瞬間、非常にでは表現しきれないほどの大きな負荷がかかることになり、バラバラになるし、足がなんとかなったとしても、足が繋がっている股関節が耐えられず、それを補強したとしても次に体幹、そして全身がその速度と圧力に耐えなければならなくなる。
更にその速度で戦闘を行うとなれば、攻撃する際にはパンチにしろキックにしろ武器を扱うにしろ、複雑な動きを伴うことになり、負荷がさらに増え、解決する為に・・・というエトセトラエトセトラ、が続いていくのだ。
故に、脳髄を補強する、骨・筋肉・靭帯を補強する、血液を循環させるための心臓の補強をする、筋肉だけでは支えきれない加速と圧力に対抗する、と言った、様々な術式が同時並行で発動しているはずだ、とバランギアとモリヨルは推測していた。
が、それらが殆ど使用されていないことが判明した。
「おかしい。
これではあの速度で移動できる論理が証明できない。
一体、どういう理論でフミフェナ嬢はあの戦闘速度を維持しているんだろう・・・。」
術式を用いずにあれだけの動きをしようと思えば、どうすれば良いか。
逆算する為に、超高速戦闘を可能とする条件、必要と思われる数値の計算も行う。
・・・どう計算してみても、無茶苦茶な桁数になってしまう。
だが、よく考えれば当たり前かもしれない。
一般に知られている術式であの動きが可能なのであれば、他の者であっても熟練すれば可能だということであろうが、彼女以外にそれほどの高速で戦闘を可能とする戦士は聞いた事がない。
『神速』や『閃光』と言った、スピードを二つ名に謳う戦士は数多くいるが、彼らとて速いのは大抵が一瞬だけだ。
抜き打ちの抜刀が見えないほど速い、と言っても、それは所作が見えにくいようなフォームを取っていたり、通常例えば時速40km程度の速度のところ、手元で時速100km、剣先で時速150kmを超える速度で振るっている、というところだ。
動きが早く見て追い掛けるのが難しい、という場合も、目で追いにくいフェイントが入っている場合や、リズムを崩す動きが入っているなどが多く、いくら早いと言っても、時速100kmで動き続けるわけではない。
だが、彼女は、バランギアの戦況評価の数値が全て正しいとすると、基本の動きが全て時速100kmや200kmどころではない。
移動速度だけに至って言えば、おそらく時速600km以上は確実だ、と書いてある。
「・・・ダメだ、分かんない。
術式とスキル・アビリティに変なところがないとすると、あの異常な能力は装備品からくるものかな・・・?」
フミフェナの装備品は、戦闘時に特殊な戦闘フォームと呼ばれる可変鎧(?)とも呼ぶべき形を成形するものだという。
装備品自体に術式やスキルが付与されたものは確かに存在するが、バランギアの評価に到達するほどの術式付与ともなれば、とんでもない量の術式とスキルを付与しなければならず、とてもあんな幼女が装備する装備品に付与しきれるとは思えない。
だが、何かしらキーとなる物か術式が存在し、それが装備に複数散りばめられていたとするなら、実現可能だろうか?
例えば、パーツ1つ1つに違う術式やスキルを発動する為の機能を付与し、それらを同時並行で全て発動させて機動する・・・。
いや、だがそれだとしても、発動したのなら、髪に痕跡が残ってもおかしくないはずだが、痕跡自体がないので、その線も薄いか?
モリヨルは分析結果について詳細に項目を分けて記載し、分かる限りの結果のみを報告書に記し、分析室の所定の位置に記録を保管する。
“一般領域の推測は可能だが、フミフェナ・バランギアのレベルの領域についての分野は推測が難しい為、結果のみを保管します。”
報告書のファイルの一番上に貼り付けた紙にそう記載し、モリヨルは退室した。
モリヨルが赤の領館から離れたのは、フミフェナが赤の領館から離れてから2時間と言ったところだ。
たった2時間でそこまで分析し、報告書にまとめる能力は筆舌にし難い能力だと言って過言ではない。
だが、それほど優秀な人物であっても、赤の領館から離れた直後から、非常に濃密な接触を受けたことには、一切気が付かなかった。
フミフェナが己の関与をバランギアに報せる為、わざわざ分かり易く自分を調査した人物を体調不良に陥れたのだが、バランギアはそれを追求することが出来ないことを分かった上で実行した。
何せ、バランギアが特命を与えた人物を特定し、その人物にだけ害を与えることができるともなれば、人物は限られているのだ。
実行者は誰でも良かった、その事実を知っている、ということだけが伝われば良いということだ。
モリヨルはそんなことは知り得なかった為、バランギアの思惑とフミフェナの報復、暗黙の両者のやり取りの被害を受けて、三日間下痢と嘔吐に悩まされながら寝込むことになった。




