32話 朱い雨
スタッグ以下4000の近衛兵団は、重傷4、軽傷が15という非常に軽微なダメージのみで帰路につき、グリンブルの都市長達を護衛しつつ、オーランネイブルまで帰還した。
元々、長期滞在を企図した行動ではなかったので輜重隊を含めた後方支援部隊は現地に同行させていなかった為、各種備蓄がないので、グリンブルに留まることはできない。
救出作業を終えればオーランネイブルへ帰還する、これは規定通りの行動であった。
グリンブルで散った者達の埋葬の時間が取れたのはあくまで想定していた都市民達の避難作業が不要となったおかげだった。
アリヴェイナやグリンブル都市長の機転で、グリンブルに関しては領民が身一つに近い手荷物だけで避難をし、早急なオーランネイブルへの移動を済ませていたため、魔物の軍勢の接近が確認されないうちに諸作業を終え、帰還することができた。
4000の精鋭揃いの近衛兵が死者なしで数万の蟲型の魔物の軍勢を殲滅。
戦果からすればそれは本来、凱旋であり、拍手万来の中で帰還のはずであるが、彼らの顔色は明るくはなく、帰路はまるで敗戦にあったかのような物悲しい雰囲気が漂っていた。
実際、彼らの悲哀の様相が濃い。
「スタッグ、入室致します。」
スタッグは状況報告にバランギア達のいるオーランネイブル領館へと参じた。
副官のサミダン達、グリンブル都市長やグリンブルのベッティム商会行政長達も同行している。
領主公邸という用途である領館だが、勿論軍事的に使用する為のブリーフィングルームも設置されており、豪華絢爛な応接室とは異なり、こちらは質実剛健と言った趣の設えとなっている。
存外、凋落著しいと言われたヴェルヴィアやその父祖も、実質的に武官であったことを忘れたことはなかったらしい。
「ご苦労だった、スタッグ将軍。
伝令から大まかな報告は聞いた。
貴公が心配していたグリンブルの都市民はほぼ全てこの都市、オーランネイブルで受け入れできた。
不幸中の幸い、だな。」
「は。
ありがとうございます。
都市民達を民を救ったのは、謙遜なくグリンブルで散った者達の功績です。
私の功績は、フウザ他の先遣隊殲滅だけですよ。」
「グリンブル都市長をはじめとした皆さま。
・・・大変な苦労をかけて、本当に申し訳なかった。
国王陛下以下、国政を司る者として、大きな被害を許してしまったことを謝罪する。
大変申し訳なかった。
そして、都市民達を早急に避難させ、身を挺してその行軍を守り散った方達へ感謝を。
本当にありがとうございます。」
バランギアが頭を下げると、グリンブル達は涙を流して頭を下げた。
みなが落ち着いた頃、着座が促され、皆が着席すると、スタッグが先行して送っていた伝令の情報をまとめた報告書が配られる。
加えて口頭で、グリンブルから調査し分かった範囲での報告がスタッグから語られる。
資料を閲覧し、スタッグからの報告を聞いた全員が、目を伏せる。
先行きの暗さが目をつぶりたくなるほどにありありと予想される。
それほどの損害であったことがデータと、ベテランの軍の将軍職の所見で語られ、より被害の詳細が明確になったからだ。
グリンブルより先の都市の住民・戦士は全滅したと換算し、死亡者数は20万を超えている。
ある意味、戦士は替えが効くと言っては語弊があるが、配置換えでの補充はあり得る。
一地域で損害があっても、他を何処か薄くすれば、まだなんとかなる場合も多い。
だが、都市民の全数が損じた場合、そうはいかない。
その復旧にはとてつもない時間と労力と資金がかかるのは勿論だが、一番の問題は“都市を復興・運営する為の人員の数が足りない”ことだ。
この場にいる者は、皆それがすぐ分かる者達ばかりだ。
その損害の責任を追及し、善後策を練らなければならない、そう思って顔を上げたグリンブル達はあるはずの顔が無いことに、ようやく気付いた。
「ヴェルヴィア様は・・・橙色戦貴族、ヴェルヴィア・ネイブル・オレンジーヌ・テンサール様は何処においでなのですか・・・?
何故、これほど重大な報告の場、次善策の検討の場におられるぬのです・・・?」
「説明が遅れて申し訳ない。
これは少し話が落ち着いたところで話そうかと思っていたのですが、彼は色付き戦貴族当主としてその役目、責任を果たしていないということが以前から問題視されておりまして、この度、爵位・称号の剥奪、拘束が決議され、向かいにあります赤色の領事館に投獄されることとなりました。
今現在はその任を解かれ、その罪を裁かれるために現在、領事館にて封印処置を施され、治療を受けています。
今はただの一戦士、一市民という立場であり、被疑者扱いということです。」
「・・・つまりはお家お取り潰し、ということでございましょうか・・・?」
「はい、公式発表はまだですが、有り体に言ってそうなります。
取り繕わずに言えば、随分前から議論には上がっていたのです。
・・・これらの処理が遅くなってしまって、申し訳ない。
あと10年早くこうしていれば、救われる命も多くあったことでしょう。
これも我等国政を司る者の手落ち、許して欲しいとは言えませんが、謝らせていただきたい。
申し訳なかった。」
「そう、でしたか・・・。」
「奴は、事も有ろうに、民を護る為に使えば良いであろう力を今まで使わず、自らの爵位が奪われるとなった段でようやくその力を使いました。
しかも、その力の使い道はまた検討違いにも我等に向けた。
最期の悪あがきに腹心を生贄にして己を強化する下法を用いて、我等に牙を剥いたのです。
民を救いに行くのではなく、です。
私の従者と、会見の場に同席していた灰色の特使殿が対処したおかげで大過なく逮捕、拘束しましたが、並大抵の戦士では取り押さえることは出来なかったでしょう。
抵抗があった故、少々手荒にはなりましたが、瀕死の重傷を負わせた上での拘束・投獄となった関係で、現在治療しておる次第です。
裁きを受けさせる為にも、死なせる訳にもいきませんから。
今すぐは無理だと思いますが、ご希望の方には面会可能なほど回復が進めば案内させます。
概ね1週間前後で面会なさることも可能かと思います。」
「感謝致します、バランギア様。
すみません、皆さん、余計なことで皆さんの時間を奪ってしまいました。
どうぞ、お話の続きを。」
その後、つつがなく事後処理の打合せが行われる。
その席にはレジロックも同席しており、一時期在庫が不安視された食糧品の継続的な確保が保証され、しかも異常に安い値段で供給可能であることが発表された。
それも、考えられないほど大量に食糧を輸入することが可能になったことから、避難民と軍を抱えた状態でも継続的に支えていくことが可能だろう、ということも合わせてレジロックから伝えられ、場に安堵のため息が漏れた。
橙色領において、ベッティム商会のノルディアス・レジロック兄弟は領全体の行政を司る行政官僚全てのトップと言ってよく、彼らが領全体のことを鑑みて、先んじて食糧輸入の手配を進めていたことに感嘆し、合わせてこのような安価・大量・継続可能という好条件で契約を交わせたその手腕にみな驚嘆した。
が、グリンブルの行政長はその数字に愕然とし、落胆の表情も浮かべる。
「こちらが、この度、橙色の食糧難の危機に手を差し伸ばして下さった、灰色戦貴族アキナギ家の御用商人であり、こちらに交渉に赴かれた特使であるフミフェナ・ペペントリアさんです。
兄、ノルディアスと灰色戦貴族最前線都市カンベリアにて、低価格・多量の食糧輸出の契約を交わしたところですが、橙色領の危機を鑑み、こちらに直接おいでになられました。」
「初めまして、皆さま。
ご紹介にあずかりました、フミフェナ・ペペントリアでございます。
差し出がましい申し出ではございますが、灰色から供出できる支援物資については、私の権限の及ぶ範囲でご提供する予定としております。
既に第一便はこちらに向かってカンベリアを発しており、5日後程度を目途にこちらに納入可能と見積もっております。
物量が馬車5000台分と多くありますので、ベッティム商会の皆さまの御助力もいただけると有難く思います。
第二便も、7日後には到着すると思います。」
「初めまして、フミフェナ様。
衛星都市グリンブルの行政長をおおせつかっております、ベッティム商会グリンブル事業所責任者のベロティンと申します。
非常に有難いお申し出、非常に有難く、感謝の念に堪えません。
我等に否やは一切ないのですが、商人としてご確認させていただきたいのですが・・・。」
「はい、なんでしょう。
私に答えられることならば、何でもお尋ねください。」
「この・・・この物量と、単価は、単位を誤っておられませんか・・・?
多少、というよりも、桁がおかしいように思うのですが・・・。
通常、そちらの生産地からこちらまで運ぶとなれば、単価はこの程度は最低限掛かるかと思います。であるならば、馬車5000台にものぼる物量を運搬すれば、総費用はこの程度、割り戻せば、かなりの差額が発生するかと。
契約成立後に、差額が後程発生する可能性があるのではありませんでしょうか。
もし誤りがあるのであれば、正しい金額で提示いただきたいのですが・・・。」
「それらが正式な数値です。」
「・・・その、いぶかしむ訳ではないのですが、本当にこれほどの物量を、貴方一人の権限で手配できるのですか?
それに、この単価は・・・。
この単価がもし正しいのであれば、こんなことを得をする側の我々が指摘するのもアレなのですが、そちらにとって大赤字となる取引、本当に無償提供に近い支援なのではありませんか?
明らかに安すぎます、運搬諸経費を鑑みると、下手をすると、グリンブル・オーランネイブル間の取引価格よりも安い。
私どもの感覚から言うと、とても信じがたい。」
「そちらに記載されておられます数値は全て確認済みであり、単価・物量・納期いずれも一切誤っておりません。
商売であれば、私達ももっと吹っ掛けて値付けをしても良いかと思いますが、今回は緊急時支援に近い形での輸出ですので、そもそも過剰な利益を出すつもりはありません。
加えて申しますと、私ども灰色領はインフラ整備が急速に進んでおり、また、配送形式の刷新などもあって、かなり配送経費が浮いてきております。
それに、物量が多いので、薄利ですが赤字は出ておりません、ほんの少しですが黒字ですよ。
それと物量の方ですが、そちらは“単価契約”の第一陣であり、ご希望であればすぐさま第二陣は手配できておりますし、数日いただければ第三陣、第四便もすぐ手配できます。
第5便以降も発注いただければ随時準備していきますので、納期は当商会担当者に発注が届いてから1週間程度とお考え下さい。
在庫の方はご心配いただかなくとも、増える一方ですので、ご安心ください。」
「こ、この物量と単価で、同じ便が更に用意できる、それも納期がたった1週間だとおっしゃるのですか・・・!?」
「はい。
その通りです。
これに関しては、灰色戦貴族次代当主であるアマヒロ様、筆頭戦士であるヒノワ様の名代として全権限を私に一任されており、私の判断で動かせる在庫としてその程度はご用意できる、というご提案です。
生産量や備蓄は一切問題がございませんので、第四陣、第五陣も、少々日にちをいただければ手配できると思いますよ。」
「し、信じられん・・・。
一体どれほどの生産力があれば、こんなことが・・・。
灰色にここまでの生産量を確保するほど人口が増えたとは聞いておりませなんだが・・・。」
「それはもう、女神様の恩寵故に、としか申せません。
たった一つ、貴方に分かり易く説明するならば、全て事実であって、誇張や虚偽などは一切なく、これは私が主人であるアキナギ・グレイド・ヒノワ様の名代として私が保証致します。」
バランギアを除く、他の面々も、ベロティンからの話で不安を感じ始めていたが、すぐさま回答し、それを仕える主の名を出して保証するとまで言ってのけたフミフェナの顔を見て言葉を聞いて、今度は信じられないと驚くほどの物量を想像し始め、数字上ではなく実際の物量を想像、あまりの規模に言葉を失う。
普通の商隊の輸送規模は、多くてトン単位、満載した荷馬車1台~そこそこ積んだ2台程度だ。
だが、白い髪の幼女の提案する輸送量は、荷馬車にして5000台を超える物量が1単位だと言う。
第二陣も既に準備が完了し、五陣までそう期間を空けずに出荷可能だということから、少なくとも“余剰在庫”で荷馬車2万5000台分が手配できるということだという。
自領の民に豊富に食糧を行き渡らせた上で、余剰在庫として常時在庫を保管し、発注があればすぐさま発送、片道5日程度の輸送に耐えられる食材の類が、存在する。
それだけの在庫がある、というのは信じられない数字だ。
無機物ですらそれほどの在庫を抱えるのはリスクがあるというのに、食糧はその大半が有機物であり、消費しきれない分が腐敗すれば、そのまま廃棄するしかなくなる、つまり農家から買い集めた金額が回収できず、販売した利益と差し引きすれば全て無くなるかマイナスにもなりかねない。
それほどのリスク、在庫、そして金融余力を兼ね備えている。
たった4歳の幼女が、だ。
「私の名誉にかけ、主ヒノワ様に誓って、この契約を反故にするつもりはありません。
私は、この契約を遵守する為にこちらに参ったのです。」
「と、おっしゃいますと・・・?
こちらとしては断る理由など存在しないようにしか思えませんが・・・。」
「先ほど、バランギア卿もおっしゃっておられましたが、ヴェルヴィア氏の爵位剥奪などもありまして、ヴェルヴィア氏がベッティム商会への干渉を強めていたという観点から、領主権限での強制的な契約不履行も考えられましたので・・・。
ですが、バランギア卿がこちらにたまたまいらっしゃり、交渉することが出来ましたので、橙色戦貴族が廃されようと、食糧輸送の契約に応じた費用は一旦バランギア卿が立て替えて下さる、とのご提案をいただけました。
ですので、借入なども特に予定していただかなくて結構、とのお話でした。
ということで、宜しかったでしょうか、バランギア卿。」
「うむ。
この度の橙色の不幸は、我等国政を担い司る者の責任と言われても反論できない。
よって、フミフェナ嬢の言う通り、貴方達は食糧・物資支援に関する費用のことは、気にしなくてよい、全て、王室と政府が負担する。
と言っても、フミフェナ嬢が言った通り、単価も常識はずれの安価を設定してくれているから、そう高額ということでもないので、一旦こちらで買い付けたことにして決裁処理し、それをこちらに提供している、という形にする予定だ。
領の経営が安定した後、領から上がってくる税で返済してもらっている、という体を取るので、返済も気にしなくて良い。
この時節に借入などまともな考えだと利子を吹っ掛けられるだろうからな。」
「おぉ、有難うございます!!」
「これに関しては、我等ベッティム商会としてもフミフェナ様と長きに亘るお付き合いを望んでおりますので、可能な限りご協力していく所存であります。
兄ノルディアスはまだカンベリアからの帰路についたところでこちらに戻るのは数日後になるかと思いますが、兄も否やとは申しますまい。
勿論、今後も食糧危機が続くと思われます、農作物の生産量が安定するまでの間、引き続きフミフェナ様・バランギア卿と取引を続けさせていただく予定としております。」
「おぉ・・・。
安心致しました。
私達は、グリンブルの民達を、飢えさせることはないのですね・・・。」
グリンブル、ベロティン達はそう安心し、落涙する。
いくらオーランネイブルとは言え、ヴェルヴィアが各地から搔き集めた兵、王都から支援にきた国王陛下直属の近衛兵団、グリンブルの都市民ほぼ全員を抱え込むことになると、食糧不足は深刻になる。
ヴェルヴィアは自分でどうにかするつもりは一切なく、それ全てをノルディアスに命令し済ませるつもりだったらしく、内々に決裁を処理していたレジロックを始めとしたベッティム商会の商人・役人達は憤慨を露わにして隠すこともせずにいたが、この度の事態からバランギアの手が入ったことによってその辺りが解決した。
加えて、当面の費用として多額の支援金がバランギアから支払われ、他の必要経費も受け取っていたが、バランギアとフミフェナへの多大なる感謝を新たに生みはしたものの、段取りから何から一切を丸投げしながら支払いを一切行っていなかったヴェルヴィアへの怒りは、商人達の中には燻るどころではないほどの熱を生み消えていない。
バランギアの手前、怒りを表には出さなかったが、彼らは「当面の危機は脱したので、領の復興に注力する。それとは別に、落ち着いたらヴェルヴィアには正当な権利として報復する」という方向に意識がシフトしていた。
バランギアとしても、ノルディアスの先見性には非常に有難いと感じており、フミフェナが既に大量の食糧輸出の「口約束」ではなく、既に「取引契約を終えた」状態であるというのは非常に助かる。
マイナスの状況からゼロにもっていくだけでもかなりの労力を要すると考えていた者達にとって、自分がやらねばならないと思っていた仕事が大幅に削減されたということであり、近衛兵団も含めてバックアップ側の立場の人間としても、彼らには感謝していた。
ベッティム商会の動きの良さと食糧の心配がないという状況は、これから戦闘を計画している者達にとって、万全の環境と言える。
元々、近衛兵団とて輜重部隊は揃えており、現地への負担軽減の為に進軍に伴って資材は輸送しているので、数日は問題ない。
ただ、数日程度は問題なかろうが、オーランネイブルが抱えることになった人口は、元からいた人口に加えて20万にも達する。
いくらベッティム商会が都合したとしても、元々食糧自給率が著しく減少していた橙色領の限度を超えている。
ノルディアスがその食糧危機を早期に察し、必要最低分を超える物量の輸入を計画し、既に灰色戦貴族領と大規模な食糧輸送の契約を交わし、手配まで終えていたという事実は、ベッティム商会の者達にとっては、自らの自慢とも言えるほど誇らしいことだった。
ベロティン達は、流石ノルディアスだと、自分達の頭領の有能さに「橙色領が滅んだとしても、ベッティム商会は盤石だ」と確信し、彼に対する尊敬の念が天井知らずの上昇を見せた。
レジロックは、当然、兄であればこれくらい当然だろう、と鼻を鳴らしていたが。
「行政側は詳細なデータや人材の配置など、諸々多くの仕事が必要だろう、グリンブル殿とベロティン殿も加わっていただいた方が、グリンブル出身者の取りまとめも容易だろうと思うが、どうか?」
「おっしゃる通りかと存じます。
我等ベッティム商会と致しましても、オーランネイブルにいる商人、役人、全て動員し、この危機を乗り切る為、皆さまをお支えする所存ですが、グリンブルから避難してきた都市民達については、グリンブル殿とベロティン殿の方が統率を取り易いでしょう。
グリンブル殿、ベロティン殿も参加していただるならば、グリンブル都市民を難民として扱わず、役割を与えて職務を分担し、様々な仕事に動員することも可能でしょう。
避難民をただ避難させるだけなど、労働力の無駄でございます。
働いてもらい、給金を払い、経済も回し、活気も維持し、その上で復興の心持ちを維持しなくてはなりませぬ。
でなければ、グリンブルの都市民が自らの故郷を復興しようという意欲と気力、底力が維持できませぬ。」
「そうだな。
レジロック殿、ベッティム商会の活躍、期待している。
ここからは、軍事的な話になるので、彼らと共に行政面での打合せを別室にてお願いしてよいだろうか。
軍事側からの要請などは、別途紙面にて書面にして渡すつもりだ。」
「はっ。」
レジロックやグリンブル達、元々文官である者達と、武官ではあるがサミダンではないスタッグの副官、近衛兵団の文官と調整役達が退室する。
代わりに、未入室だった武官達が入室する。
ブリーフィングルームにいるのは、バランギアとバルシェを始めとした赤色の人員10名、スタッグ、サミダン達近衛兵団の幹部15名、オーランネイブルに集められていた橙色領に所属する戦士団の代表者達10名、フミフェナ達灰色の3名だ。
武官達は皆フル装備の甲冑を装備している為、後から入室することになった戦士団の者達は入室するなりフミフェナ達を一瞥するなり、違和感を抱いて眉間に皺を寄せた。
フミフェナ達は灰色の礼服のままであり、フミフェナの後ろで直立の姿勢を崩さないノールとホノカは明確にフミフェナを主人として戴いている。
彼ら戦士団からすると、彼らの嫌う貴族主義の人間に見えたことだろう。
ブリーフィングルームという本来、戦士としての装備で居並ぶのが礼儀である場に、礼服で参席しているのは、少し無礼だったか、とフミフェナは心の中で少しだけ反省したが、既にフミフェナの頭の中ではどうやるのが一番レベリングの効率がいいかな、ということでいっぱいだった為、衣装について釈明するという考えは頭から抜けていた。
「ヴェルヴィアが役を果たせぬため、この度の戦役では軍事・内政に関することは私、テラ・バランギア・ラァマイーツが主導することとなった。
異論のある者はいるか。」
勿論、各自に異論はなく、異議なし、という声が全体から聞こえた辺りで、バランギアは頷き、各代表者には着席を求めた。
「では、ブリーフィングを開始する。
まず、状況について説明する。
スタッグ将軍、頼む。」
「は。
知っての通り、今現在、ここ橙色領は魔物の軍勢、それも数十万、・・・推定30~40万という大軍の侵攻を受けている。
衛星都市グリンブルは辛うじて住民のほぼ全員がここオーランネイブルに避難することが出来たが、グリンブルに残っていたアリヴェイナ団長たち1200~1400の兵達は全滅したということだ。
グリンブルの隣、ドーロバーや、更にその先、ズヴォーレダとレーワルデ、その周囲の城砦や村落、その全ての住民、全てが殺し尽くされたとみている。」
ざわざわ、と不穏な空気が流れる。
特に、ヴェルヴィアに強制的な徴発を命じられ、ズヴォーレダやレーワルデ、ドーロバー、前線近隣の城砦や村落からオーランネイブルに集められた面々の声は荒い。
初期に招集された面々には具体的にどういった理由で招集されたのか明確な理由が示されておらず、彼らは仲間や家族との最期の別れすらできなかったということだ。
唐突に故郷が既に滅び、仲間や家族は皆殺しにされた、と端的に言われ、納得できる者達はいない。
彼らがこの都市に来たのは、中央(王都)から魔物の大軍が接近している可能性があると報せが来たという話があり、一応、周辺を索敵した後のことだ。
が、彼らも影など何処にもない、と判断し、その後に招集命令があったのは、ヴェルヴィアがまた何がしかの攻勢の計画でも立て、その練兵を行う為なのかと思っていた。
具体的な目的は告げられてはいなかったものの、ヴェルヴィアが何かまた馬鹿らしいことを考えて、それを聞かされることになるのか。
その為に遠く故郷から離れた都市に呼び寄せられたのか、また無駄な時間を費やすことになる、と皆考えていたくらいだ。
だが、事は重大だった。
ヴェルヴィアだけでなく、彼ら自身が誤報だと判断した王都からの報せは実際に正しく、最前線から相当な距離のあるオーランネイブルのすぐ隣グリンブルまでの城砦・村落が全て滅ぼされ、すぐそこまで魔物の大軍が迫っている。
事実を受け入れる。
バランギアが状況説明を任じたスタッグはその身で魔物の軍勢、先遣隊と衝突し、現実を見てきた人物なのだ。
彼が説明し、それを伝説の英雄でもあるバランギアが訂正せずにいるということは、それは事実なのだ。
徐々に感情の追い付いてきた彼ら橙色出身の戦士団の代表者達は、皆うつむいて涙を流していた。
「散った戦士達、虐殺された住民たちへの哀悼の意を示す。」
ザ、と、着席していたものは席を立ち、皆が胸に手を当て、黙祷する。
数秒の後、再び皆が戻ると、状況報告が続けられた。
グリンブル残存兵800、オーランネイブル常駐兵3000、前線から徴発されて集結していた兵5000、近衛兵団1万、ベッティム商会の拠出してくれた傭兵・後援の輜重部隊2000。
うち、グリンブル残存兵とオーランネイブル常駐兵は直接魔物の軍とぶつかるのは損害が大きすぎるという観点から、都市防衛・治安維持に努めることを命じられ、代表者達は赤色の配下二人と同行して退室していった。
前線から徴発されて集結していた兵達は、困惑、憤怒、悲哀、様々な感情を露わにしていたが、敵魔物と相対する気力のある者を募り後程再集結するよう命じられた。
残りは、先ほど退出していった都市防衛に当たるよう命じられることとなることも告げられ、退室して散っていった。
残りは、赤の一派、近衛兵団の幹部達、そしてフミフェナ達3人だ。
「さて、問題は魔物軍と対峙する軍編成だが。
スタッグ将軍、編成・計画立案から頼んでもいいのかな。」
「正直、数十万の軍勢を相手にするともなると、私には経験がありません。
希望を言ってよいのであれば、出来ればバランギア卿に指揮していただきたいと思うのですが。」
「そうだな、まぁ、私もそう多くは経験していないが、任せて貰うとしようか。
だが、事は単純だ。
バルシェ、魔物の軍勢を相手にする際の定石は何か、答えよ。」
「は。
魔物の軍勢が統制を取って進軍してくる状況とは、守り神級の魔物の存在があることを暗に明示しておりますので、究極的に言えば、守り神級の魔物との対峙、討伐こそが最も重要。
故に、露払いで敵軍勢を蹴散らし、こちらの強力な戦士を相手の守り神級の魔物に適切にぶつけ、それを屠る、これが定石かと存じます。
雑魚の魔物は、近衛兵団の戦士達であれば如何様にも屠れると思いますし、そこから零れた程度の数・質でしたら前線にいた戦士達なら対処可能かと。」
「うむ。
これは軍勢の数に限らず、定石としてはそうなる。
が、それは相手も考えていよう。
加えて、連携としてはまだ連絡程度して行っておらんが、橙の両隣の領も、領の境界近辺の軍備は強化してもらっており、おそらく魔物は前進すればするほど、両隣への圧力の為に数を減じているはずだが、ある程度勝算を抱いて攻めてきていると思われる。
敵首魁の討伐によって、秘密工作の類は撃滅せねばならん。」
バランギアが周辺地図に予想される魔物の数を、両隣の領の軍備圧力に対して最低限割かねばならない数字として記入していく。
敵魔物の軍勢は最前線都市からオーランネイブルまでほぼまっすぐ進軍してきているが、後方を襲われることがないよう、両隣の領との境界近辺にも数万に上る魔物を布陣していることも判明していた。
魔物の軍師はやはり頭は回るようで、それら領の境界部分に布陣した数万の軍の中を通して食糧などの供給を行っており、まさに数の暴力という原始的ながらも効果的な作戦を実行している。
それでもまだ数十万いるというのだから、数は脅威だ。
魔物の主な食事は肉、それも人間の肉は不味いので他の動物・魔物の肉だが、『魔物は魔物と戦って殺して食べる事も可能』なのだ。
おそらく尋常ではない量の食糧供給が維持されているのは、尋常ならざる繁殖力を持つ魔物を食用として繁殖させ、養殖に近い状態を創り出しているのではないかとバランギアは推測していた。
でなければ、魔物からすれば吐き気を催すと言われる人肉を食わずにあれほどの数を食に困らせずに維持するのは不可能だ。
背面に回り込まれ後方を塞がれ食糧供給がおぼつかなくなると、すぐさま飢えてもおかしく無い数の軍勢であり、それをさせないための左右隣領境界への圧力は生半可なものではない。
食糧供給問題のリスクを抱えながら、魔物とは思えないほどのゆっくりとした行軍。
情報遮断に徹底したこだわりを持っていると思われる、斥候狩りの配置の完璧さ。
これまでこちらにほとんど情報を与えずに進軍・行軍していることから、軍勢を率いている魔物はかなり知恵が回り、何か明確に目的があって攻め込んできていると思われた。
ただ、魔物側の事情はヒト側には全く伝わっておらず、これが何を目的としたものなのかはいまだに分かっていない。
「敵魔物、この際、この侵攻を企てた軍師、もしくはそれに準じる者がいるはずだが、今のところその存在と、それらが企図している目的は不明のままだ。
ただ人間を殺すだけの侵攻である可能性もあるが、やけに侵攻が遅いのも気になる。
探し物でもあるのか、何かしながら行軍しているのか、何かそういった気配も感じないではないが、何をして行軍の速度が低下しているのかは、全て不明だ。
分かっていることは、ズヴォーレダ・レーワルデ・ドーロバーを落としてから、それぞれ行軍するのに1週間ずつはかかっている。
おそらく最前線都市陥落からグリンブルに到達するまでに、短くとも3週間はかけているはずだ。
都市間を数時間で移動することが可能なはずの魔物が、いくら軍勢で移動しているとは言っても、それほどかかるのはおかしい。
グリンブルからここオーランネイブルまでにおいても同様にするのかは分からんが、何かを企んでいるということは分かっている。」
「やけに遅い、ってのは私も気になっています。
連中、グリンブル殿の言では、ヒトを串刺しにした丸太を持たせた戦士を歩かせてたそうですが、それにしたって遅すぎる。」
「バランギア卿ですら情報を掴んでいないとなると、正面からぶつかるしかないのではありませんか?」
「まぁ、そうだな。
だが、まぁ、幸いと言っていいのか、フミフェナ嬢達に残ってもらえたんでな。
彼女たちの意見も聞いておきたい。
灰色の大侵攻、前線浸潤の危機を救ったフミフェナ嬢、良策はないかね。」
全員の視線が、椅子に座っても机から頭がちょこっと出るだけの幼女に注がれる。
パチパチ、と何回か瞬きをするが、娘を持つ親達は愛らしい、と感じてしまっており、この戦時に頼る相手でもないのでは、と感じる者もいた。
あくまで、これが初対面の者に限ったが。
「そうですね、所見だけ述べて良いのであれば、幾つか。」
「これはブリーフィングだ、謁見ではない。
そして、私は君に意見を求めている、自由に述べてくれたまえ。」
「分かりました。」
フミフェナは立ち会がり、バランギアの近くに移動する。
バランギアの後ろの壁に掛けてある地図の前に脚立を立てると、その上に上って喋り始めた。
「軍の配備状態からですが、敵魔物の前衛は、クワガタムシのような硬い外骨格を持つ蟲型の種族が受け持っているようで、ここからこの辺りまで、数千が配備されています。
非常に強力な重戦士型の精鋭が揃えられており、近衛兵団の精鋭チームに配備されている装備品、ブルースチール製の刺突・斬撃武器での打倒はかなり難しいと考えられます。
また、トンボ型の羽根を持った飛翔可能な蟲型の魔物の種族も数種類いるようで、この辺りに布陣しており、おそらく情報収集を担当する非戦闘部隊と、軍同士の衝突後に停滞した軍勢の上空から襲い掛かる強襲部隊が分けられています。
その他は、飛翔しないタイプの蟲型の魔物ばかりですね。
蠅型の魔物が見当たりませんので、ステルス等のアビリティやスキルはあまり気にしなくて良いとは思います。
主軍はここ、蛙型の蟲型の魔物を主とする水棲生物系の蟲、もしくは蟲人型の魔物の集団で、かなり巨大な軍を構成していますね。
おそらく大ボスは、この辺りにいる巨大な蛙型の魔物でしょう。
蛙型の魔物は全体を見るとかなり満遍なく散らばって配備されており、おそらく尉官に近い役割を持っていると思われます、おそらく何らかの連絡手段を所持していて、それを利用した統率を取っているものと考えられます。
指揮系統はおそらく蛙型の魔物が主導している感じですね、軍師らしき魔物も蛙型の亜人だと思います。
敵軍勢全軍の守り神級の魔物の推定数は70プラスマイナス3程度。
概ね180~220台ですね、250オーバーは10~15程度。
蛙型の魔物が主軍だとは思いますが、蟲系ばかり集められた軍勢ですが、特にこのカミキリムシ型の魔物、バッタ型の魔物は危険ですので、ご注意ください。
蛙型の大ボスは天幕のようなものを設えていますので蛙型の魔物ながら知能はかなり高いと思われます。
仮にこれをB-トードと呼称しますが、推定レベル340。
敵軍勢はこのB-トードを頭領とした連合軍だと思われます。
軍師だろうと思われる者は、蛙頭のついた人型の魔物、おそらくトードマンと呼ばれる亜人ではないかと思います。
全く動いていないB-トードと比較し、かなりせわしなくあちこちを移動しておりますので、おそらく軍勢の指揮はこのトードマンが執っておりますね。」
ポカン、と、口を開ける者もいれば、訝しみ眉間に皺を刻む者もいる。
当たり前だろう。
たった今、バランギアですら敵の陣容がつかめていないという話をしていたのに、自分達の娘よりも幼い小さな娘が、さらりと戦場の全容を把握していたのだ。
それが事実なのか、と疑う者の方が多いだろうが、バランギアやスタッグ達が何も反論しない為に、疑念を抱いた者達も言葉にまではしなかった。
苦笑いを浮かべているのは、バランギア達、スタッグ達、ホノカ達だ。
「流石だな、フミフェナ嬢。
“仕込み”は済んだ、ということか?」
「時間をいただきましたので。
バランギア卿はご存知でございましょう?」
ス、とノールの横に細身の女性が現れ、ペコリとお辞儀をする。
全員が彼女の登場を一切感知できなかったが、その姿が現れてからも、そのあまりに儚い存在感で目に見えているのに見失いそうな感覚を覚えていた。
バルシェですら冷や汗を流しており、相当に無頓着で横着な人間を除けば、全員がその存在に戦慄している。
そして、そんな人物を従えているフミフェナという人物は、一体誰なのか。
彼らは一通り考えてみたが、結論は出なかった。
その女性は手元から数枚の書類を持ってフミフェナに歩み寄り、書類を渡しがてら、何か耳打ちをした。
「衛星都市グリンブルの東門及び西門が破壊され、東門と西門を繋ぐ街路は破壊・拡張されたとのことです。
魔物の軍勢はその後、グリンブル都市外に布陣し、グリンブル近郊に展開。
こちらに攻め込むための布陣を開始したとのことです。
陣形は、こうですね。」
地図に鉛筆で陣形を書き込んでいくが、大きな1つの軍というより、多数の塊が集まった菱型のような陣形だった。
軍の前面に錐型の陣形を築くことは多いが、後方にまで同様の形状の陣を築く意味が分からない。
この場には来訪者も多いが、前世の知識と照らし合わせても、こういった陣形は見た事がなかった。
「なるほど、状況把握は君というか、そちらの彼女に全て任せた方が良さそうだな。
で、君はどういう策で攻めるのが良いと思うかね?」
「バランギア卿もおっしゃった通り、頭を叩きましょう。
ここにいると思われるB-トードと軍師トードマンを瞬殺し、まず頭を潰します。
他の守り神級の魔物は、レベル180~220程度にまばらに分布しており、一塊にはなっていません。
おそらく、B-トードはレベル340以上350未満と言ったところでしょう。
上手くやればスタッグ将軍でも討伐可能だと思いますが、辿り着くまでに要する時間が私と比較し長いこと、そしてそれ故に露払いを要することを考えますと、B-トード討伐は私達3人の隊が担当するのが適切でしょう。
我々3人は弓から放たれた矢のように要点だけを攻撃しつつ雑魚を無視してB-トードと軍師のトードマンを狙い撃ちし、瞬殺。
すぐさま、軍の尉官を担っている蛙型の魔物を順に殺していけば、軍としての体をなさなくなりましょう。
統制を失った魔物の軍勢を擂り潰すのは、近衛兵団の方々からすれば容易なはずです。
トードマンの軍師はおそらく蛙型の魔物同士でのみ可能な情報伝達手段を用いて軍を手足のように動かしていると思われますから、それらを討伐すれば数十万の軍は軍として機能しなくなります。
守り神級の魔物を擂り潰す人員さえ確保できたならば、後はこちらの軍で端から雑魚どもを擦り潰すまで。
私ども強襲部隊で後方から襲いかかり、近衛兵団全軍と前線から集められてた軍がゆっくり殲滅しながら進めば、魔物の軍勢の殲滅は可能でしょう。」
「なるほど。
で、そのB-トードを討伐する自信はどれほどあるのかね?」
「討伐は問題なく可能かと思っております。
現状、判明している以外の能力で逃亡される可能性は否定できませんが、そう言った未知の可能性を除外すればほぼ100%の確率での討伐をお約束致します。」
「おそらく、その『矢』がその作戦の最も危険な状況に放り込まれると思うが、自薦して構わんのかね。」
「この場で可能な人員だけを挙げますならば、バランギア卿か私のどちらかということになろうかと思いますが、バランギア卿は指揮を執られるとのことなので、私が適任かと思います。」
ザワ、と、部屋が騒がしくなる。
状況分析が正しいとすると、この幼女はレベル180~220の守り神級の魔物ですら雑魚だと考えており、レベル340~350はあろうかという蛙型の魔物ですら確実に屠ると約束している。
この場にいる者で、明確に確実にそれだけの魔物を屠ると断言できる者は、ほぼいない。
勿論、断言できるのはバランギア・バルシェ・コドォークスの三人に留まるが。
あの幼女は正気か?
バランギア卿の従者も相当な強者だと聞くが、彼らでも無理なのか?
バランギア卿と自分以外は雑魚だと言いたいのか?
などと言ったことが呟かれるが、フミフェナは意に介しない。
「君ならば、B-トードは撃滅できる。
それは分かった。
で、B-トード討伐の後の流れはどう考えている?」
「敵勢に立て直しの時間を与えない為にも、B-トード・軍師のトードマンの討伐と同時並行で、軍を統制している蛙型の魔物を討伐して回る人員をご用意いただきたく思います。」
「この場にいる者なら、構わん。」
「ありがとうございます。
では、バルシェ殿とそちらの御仁お三方はこの辺りへの強襲をお願い致します。
スタッグ将軍とサミダン副官殿は正面から押し出して貰えれば。
私の後ろにおります、ノーレリア、ホノカの二人は、私と共に背面から強襲してもらいます。
この8人で、初期策定の作戦行動を終えた後、所定位置付近にいる蛙型の魔物を討伐していただきたく思います。
初期策定の作戦行動としては、蛙型の魔物討伐、及び蛙型の魔物の予備隊の陣の殲滅ですね。
交代要員であろうと思われる予備部隊がこの位置、ここ、ここ、あとこの辺りにいます。
この辺りから前には各グループに1匹いると思いますが、出来るだけ討ち漏らしのないよう、複数いる場合も想定して確認しながら進捗させてください。」
地図に書き込まれた点は、ほぼ一定間隔に配置されている。
「普通の魔物の軍勢だと行軍でグチャグチャになる可能性もありますけど、トードマンの軍師がなまじ優秀なだけに、行軍が非常にまとまってキレイなので、おそらく混戦になるまでの間は、判別がつきやすいと思います。
統率者が健在で統制が執れているということは、均等に配置されている判断可能だからです。
正面からぶつかる前に奇襲で攻撃する場合、散らばる前に予備部隊のここを一気に殲滅したいです、ここはバルシェ殿にお願いできませんでしょうか?
予備隊を先に殲滅さえしてしまえば、後は敵のネットワークを破壊していくだけです。
まぁ、蛙型の魔物は結構目立つので、近付いて貰えれば大体ターゲットは分かると思いますけど、探す手間を省くのであれば、ある程度他は無視し、先行して蛙型の魔物、邪魔をされるようであれば守り神級の魔物を優先して攻撃する、という方策が良いかと思います。」
「なるほど。
では、君の案を採用し、その8人も君に付けよう。
他には?」
「敵前衛のクワガタムシ型の魔物は、おそらくこの軍勢の一番優秀な魔物が集まっていると思われ、かなり強力で近衛兵団の平均的な戦力では容易に撃破するのは困難かと。
皆さんであれば遅れは取らないと思われますが、まともに切り結ぶと、無駄な時間を要しますし、場合によってはかなり負傷者・・・いえ、死傷者が出る可能性がありますので、私がB-トードに強襲を掛ける前に、これらだけは全滅させておきますので、その心づもりを。
その後ろにいる、ナナフシ型の背の高い魔物がいると思うのですが、これは斬撃武器が効きにくく、表皮が硬いので刺突武器も効かしにくいかと思いますので、打撃武器による攻撃が非常に有効だと思われます。
こちらの前衛の先頭の布陣としては、最初にぶつかる前列に打撃武器の得意な近接型の戦士に打撃武器を配り、配備していただきたく思います。」
「分かった、そうしよう。」
「敵前衛を擂り潰せば、残りは近衛兵団の方々であれば通常の守り神級の魔物の軍勢との交戦で規定されている作戦行動で問題なく討伐可能かと思います。
数が多いので、疲労に注意していただければ。
治癒に関しては私の恩寵でかなり望みがありますので、切断を余儀なくされそうな傷の場合も、なるべく消毒・氷などによる温存を心掛けてください、後方輸送し治療すれば治癒の可能性が高いです。」
「ほう!
それは有難い!!」
「治療の件は、徹底させよう。
よし、フミフェナ嬢、君の作戦を全て許可する。
作戦実行に際して、どれほどの資材を要するかね?」
「資材は、“蟲を焼き、葬る燃料”さえあれば十分かと。」
「ははは、豪気な娘っ子よ。
みな、彼女の命令は全て遵守しろ、この戦場においては彼女の言は私の言に準じると心掛けよ。良いな!」
「はっ!!」
「よし。
で、作戦開始はいつにするかね?」
「敵魔物は今、布陣中で隙だらけです。
今からでも良いでしょうか?」
「い、今!?」
「ふふ、バランギア卿でも変な顔をされることはあるんですね。」
その場にいた面子が小さく、ははは・・・と笑うが、バランギアも頭をガシガシと搔きながら苦笑する。
天井を見上げたかと思うと、意を決した瞳で正面に向き直る。
「何も不思議なことはありません。
訓練されたヒトですら、何十万の軍勢を野営させ、陣組みをするなど、1日や2日で終わる仕事ではありません。
魔物達がどれほど努力して布陣したとしても、布陣完了まで3日以上はかかるでしょう。
魔物達はこちらの動きを察知する為の非常に優秀な斥候狩り兼偵察網を構築していますが、それの裏をかけば裏取りが可能だということです。
のんびりしているかは分かりませんが、布陣作業をしている間の敵軍など無防備もいいところです。
今すぐ攻めるのが効率が良いかと。」
「まぁ、速い方が良いな。
許可しよう。
フミフェナ嬢は敵前列のクワガタムシ型の魔物を殲滅後、B-トードを撃滅。
バルシェ以下8名は蛙型の魔物を端から擂り潰して処理し、敵軍師の手足を捥いで回れ。
近衛兵団はスタッグとサミダンが強襲班となるので、ペレト副官が代行して指揮することとし、私の指揮下に入れ。
作戦開始と同時に近衛兵団もすぐさま出撃し、追走する。」
「はっ。」
「では、早速ですが・・・。」
バルシェ達、スタッグ達の戦闘速度の確認が済むと、奇襲ルートについて複数のルートから攻め込む提案がフミフェナから出る。
足の速い順に裏取りし後方から押し出すように突入し、バルシェ達は中間層に真横から突入する班だ。
足の遅いスタッグやサミダンはクワガタムシを殲滅され混乱している正面手前から攻め込む手順となった。
バルシェはフミフェナの力を知っているが、ノールとホノカと呼ばれた戦士の実力は知らない。
知らないが、フミフェナが行けると判断したということは、おそらくバルシェ、コドォークス、メリオの3人を除いた6名の戦士よりは上なのだろう。
この場にいるメンバーは全員が赤の勢力圏内でも上位3%以内には入る戦士のはずだが、彼女はそんな戦士すら上回るを二人も抱えているということになる。
いや、先程急に現れた女性もおそらくバランギアが警告した側近だと思われるため、三人。
とんでもないことだ。
バルシェはそう思って、コドォークスとメリオの肩を叩き、耳を引き寄せた。
「あの幼女のことは絶対に侮らず、試したりもするな。
絶対に、だ。
僕が保証する、彼女はバランギア様を小さく圧縮したような化け物だ。
でかいカエルとやらがどれだけ見事に爆散するのか、しっかり見て、領の皆に伝えてくれ。」
二人はゴクリ、と唾を呑み込みながら、深く深く何度も頷いた。
バルシェは橙色領主だったヴェルヴィアと戦った際に、フミフェナの力の一端を目の前で確認しており、その場にいてある程度状況を目撃していたコドォークス達にすら幾度もこうして警告していた。
次期赤色の後継者候補と言われる上位3人の一人であるバルシェが、過剰なほどに幾度もそう言うのだ。
そうしてバルシェの思いが伝わり、コドォークスとメリオの二人は既に想像でフミフェナがとんでもない戦士なのだろうと妄想の戦士像を作り上げていたが、現実はそれを大幅に上回っている、ということはこの時点では誰も知ることは無かった。
先程指名された8名はより詳細な説明を聞くためにブリーフィングルームに残ったが、他の面々は自分の部隊へ戻り指示を待つよう指示を受け、退室していった。
彼らは帰路で口々に「あの幼女は何者なのだ」「赤の英雄か何か知らないが、あのような小娘に全権を与えるなど、ふざけているのか」「地方の戦士などアテにならないと我等を侮っているのか」などと言った愚痴が多々聞かれたが、彼らは『フミフェナがどういった方法で情報を収集したのか』『その情報がどれだけ詳報まで語られていたのか』を知る術がなかった為、それらをバランギア卿や貴族主義的な、秘密主義的な発想で『下っ端の戦士には詳細が語られない』と言った理由によって知らされていないだけで、フミフェナ当人が調べたものだとは考えなかった。
彼らのいっそ楽観的とも短絡的とも言うべき話を聞き、苦笑とも取れる笑みを浮かべて顔を見合わせたバランギアや赤の勢力の者達はハァ、とため息を吐くだけだった。
「準備が整いました、フミフェナ様。
私とノールは、フミフェナ様からの合図があり次第、このルートで後方から強襲。
スタート直後から指定目標を優先的に排除、近衛兵団・戦士団の障害になりそうな守り神級の魔物を排除していく、ということでよろしかったでしょうか。」
「えぇ、お願いします、お二人共。」
バシュ、という音と共にフミフェナの装備から出力された頭部装甲が解除され、フミフェナのおだんごにまとめられた白い髪が、フワッとほどけて背中に流れてたなびく。
首から上はいつも通りの儚い幼女と言った様相に変わりはないが、首から下は仰々しい、良く言えば禍々しい力強さを感じさせる、悪く言えば近寄りたくない不気味さを漂わせた、“黒装”ではない甲冑のような装甲を纏っていた。
その姿がどういった物なのか、“黒装”で対応しきれないと考えているのか、それともフミフェナが何らかのテストを行おうとしているのかは、分からない。
ただ、今回の戦闘を経ればフミフェナはまた強くなるのだろう、と二人は思った。
「私はクワガタムシを殲滅したら、そのまま直進してB-トードを瞬殺して、そちらの応援に参ります。
バルシェ殿達もいらっしゃいますから、あまり無理はしていただかなくて大丈夫ですよ。」
「無理は致しませんが、フミフェナ様にいただいたこの“力”、最近はより身体に馴染んできているように感じます。
おそらくブーストされた状態に身体の感覚がついてきたのかと思いますが、これほどの大軍、そう遭遇することもございますまい。
“力”の慣らし、自らのレベリング、技術の修練、全て賄えそうです、張り切りもします!」
「ノール。
全能感に浸るのも良いが、フミフェナ様は守り神級の魔物との衝突を気にされておられるのだ。
カエル型の魔物は準守り神級の魔物くらいまでの者しかいないとおっしゃっておられたが、その周りには守り神級の魔物もいるかもしれん、注意は必要だ。」
「分かっておりますよ、ホノカ殿。
ですが、ここで我等二人が戦功を上げれば、フミフェナ様の名声も高まりましょう。
フミフェナ様は単独でも最強の一人でございますが、取り巻きも優れているという姿を見せる場面も必要でございましょう。」
「むぅ、それは確かに・・・。」
「ふふ、ノールさんの言も尤もでして、できればお二人にはたくさん戦功を挙げていただきたいですね!
私が大将と軍師をいただいちゃうので、それは申し訳ないですが・・・。」
「あ、いえ、流石にフミフェナ様の分析通りでしたら、我々ではまだB-トードの単独討伐は厳しいかと・・・。」
「はい・・・不甲斐ないですが、お怪我などないよう、ご注意を・・・。」
「うふふ・・・“誰”におっしゃっているんです?」
ビクリ、と二人の背筋に冷や汗が流れる。
この幼女はこうして時々、自分達をビビらせて遊んでいるようにすら見える。
これほどの殺気を、仲間に向けて放つ必要などない。
この幼女なら自分達二人ごときなら、気が付いたら死んでました、というような速度で殺すことも弄ぶこともできるのだ。
悪ふざけの一種だろうが、心臓に悪いのでやめて欲しい、と心底思う二人だった。
いつもフミフェナが纏っているのは『黒装』と呼称されている、前面に移動速度を上昇させるための突起が多く着いた黒い甲冑を纏っているが、今のフミフェナはそれとは異なる装備をしていた。
ホノカは完全に初見だが、ノールは三度ほど、フミフェナのテストに付き合ってその姿を見たことがあった。
額の部分から角のような赤い飾りが生えており、甲冑というより少し有機的な・・・極端に言えば蟲型の魔物の外骨格を人型に整形しなおしたような、そんな姿だった。
そしてその外装は艶めくような灰色と赤色で彩られていた。
フミフェナは『ハイパーモード』と説明していたが、これは完全にフミフェナとナインの趣味が前面に押し出されたロマン装備だ。
巡航速度だけなら黒装の方が低燃費かつ楽だが、こちらの装備は戦闘速度に特化した装備であり、特別足回りと体幹を補強する作りとなっており、ロマンを追求した“必殺技”を実現する為に逆算した強度を保証するに至った、現段階における完成品だ。
武器は所持しておらず、禍々しいほどに角や突起の着いたブーツが目を引く。
『蹴る』のだろう。
フミフェナの体術は、ホノカやノールとは次元が違う。
技術という意味でも及んではいないが、一番レベルが違うのが速度だ。
フミフェナは、ただでさえ速い戦闘速度を持つ『ベルト』を使いこなしている上に、そのピーキーな操作感に振り回されずに、完全に速度を掌握して制御、そしてその速度で急制動・反転する際に生じる肉体へのダメージ・柔らかく人間の行動の限界の原因となる脳や神経を強化し固定する技術、超高速の急制動や急加速で偏ってしまう血液を強制的に体内で循環させ続ける能力など、全ての能力が人体の域を超えた世界で戦う事を前提に構築されており、その上、最近は体術も新たに手に入れている。
“黒装”ですら、蹴られた者は粉々になるレベルの速度・強度・形状維持能力を持っていたはずだ。
どう見ても、敵を蹴り殺すことに主眼を置いた今のフォームは、おそらく“黒装”よりも凶悪な破壊力を有するのだろう。
ホノカとノールは、フミフェナの蹴りの餌食になる魔物達に、少し早いが哀悼の意を示した。
そして、2人ともが決心する。
フミフェナの戦っている領域には近付かないようにしよう、と。
『作戦開始』
幼女の合図で、全員が踏み出す。
オーランネイブルからグリンブルまでの移動距離は、50kmと言ったところだ。
フミフェナやノール、ホノカはかなり速度を落として移動しても10分もかからない。
スタッグやサミダンはいくら足が速いと言っても、50kmを踏破してその後の戦闘のことまで考えると全力で走り切るわけにもいかず、スタッグは1日前の行軍から鑑みて、急いでも片道の移動に1時間半はかかるとみていた。
攻撃開始はフミフェナがクワガタムシを殲滅した頃と設定され、作戦開始から1時間丁度と定められた。
バルシェ達は余裕で間に合う目算だったが、スタッグとサミダンは要求される時間が非常に短い為に、必死に走っていた。
近衛兵団は既に出陣準備が開始され、スタッグ達ほど全速力ではないとしても、オーランネイブルから出撃し、布陣、偵察を厳にしながら前進を開始していた。
トードマンの軍師、ド・スタリ・リーマ・ボエンは、橙色領衛星都市グリンブルを陥落させ、戦功に湧き、荒ぶる軍を一旦沈静化させることに成功し、安堵してようやく地面に座った。
数十万という軍勢は、狭い範囲に固まることはできない。
いくらド・スタリが統制を維持していたとしても、布陣した際の範囲は参考にした人間の軍勢の例よりもかなり広く取られる。
そして、人間の住居などに落ち着く体質を持つ者がほとんどいない為、城壁で守られた都市内で布陣するという案は即座に却下した。
魔物はその本能から、近場に人間がいると察すると、人間を殺そうという殺人の本能、強い者がいれば戦いたいという戦闘意欲、それらが沸いてしまい、制御がきかないといったこともままある。
それを考えると、敵の防衛線が築かれているであろうオーランネイブル近郊の近くに布陣すると、こちらが余計な刺激を敵軍に与えてしまうことになる。
故に、魔物達をそこそこ離れたこの地に布陣させた。
それがこれまでの経験から導き出した最適解なのだ。
『彼の御方』から命じられた任務をこなす為に、ド・スタリはグリンブルへの人間の侵入を防ぐ為、グリンブル近郊で布陣を開始していた。
布陣の仕方は、人間同士の権利の境界だという縄張り、つまり領の境界を覆うように魔物達を布陣し、行軍してきた道中を背後から襲われないよう、全域を支配している。
具体的に言えば、既に橙色領内で今ド・スタリがいる場所から前線方面にはたったの一人も生存者がいない、ということだ。
繁殖の早い蟷螂族の魔物、緑風のフウザの兄弟や、多産の蜘蛛賊の魔物を後続の領域に置いてきたことで、後方でも次々に繁殖が進み、数を支え、増え続けている。
雑魚とは言え、数を多く産めば強力な個体が生まれる確率も上がり、かつ数の圧力というものは対人間では役に立つ。
オーランネイブルにはこの領の主軍がいると思われるが、数週間前の『御方』の情報では大した軍はいないという話だったので、このまま攻め込んでも鎧袖一触で蹴散らせるとも考えたが、事前情報との相違が発覚し、踏みとどまった。
先遣隊として派遣していた蟷螂族の緑風のフウザが討たれたことから、強力な個体がいると推測を立て、『御方』から請けた任務の内、優先度の高いものを優先することを選んだ。
どうせ、このまま一気にそのまま攻め上るにしても、この都市は完全に調査を終えていなければならないのであれば、腰を落ち着けた方が結果的に速い。
魔物の足で1時間以上かかるような場所で布陣すれば、人間の足で数時間はかかるので、人間の軍に動きがあればこちらはすぐさま察知して如何様にも陣替えが出来る。
それに、特殊な状況が発生しても対応できる自信がド・スタリにはあった。
数十万という数もおり、『彼の御方』から預かった守り神級の魔物も70~80と多く、この侵攻の2つの目的を達成するのに不足はない布陣となっているのだ。
人間を滅ぼし尽くすだけならば、オーランネイブルを囲うように5kmほど離れた地点で布陣すればよかった話なのだが、『御方』からは、“殺すこと”よりも“探すこと”を優先せよと指示されている。
「進捗はどうだ?
今、どの辺りまで探している?」
「今のところ、まだ見つかっていません、スタリ様。
都市がこういう形でして、今この辺りまでは調査が進んでいます。
人間の権力者の巣なども漁ってみましたが、見当たる気配がありません。
やはり、次の都市・・・この領地の都とやらに保管されているのではありませんか?」
「ふむ、まぁ、そうだろうな。
どれほどの価値があるのかは知らんが、『彼の御方』のお言葉では、かなり重要な物だそうだ。
所有している権力者はその重要性を認識していたはずだ、この程度の城砦、防壁に保管するとは確かに思えん。
が、取りこぼしがあっては事だ、しっかり探し、『無い』という確信が得られるまで、隅々まで探せ。
急ぐ必要はないが、慎重に探せ。」
「了解致しました、偉大なるド・スタリ様!!」
ド・スタリは軍師という立場でありながら、単独戦力として守り神級の魔物に類するグレードにまで登り詰めていた。
つまり戦闘面に関しても、この数十万の軍の中で2位もしくは3位の位置にいる。
勿論、1位はこの軍勢の頭領であり蝦蟇族族長のドス・ベオンだ。
蛙族やトードマンは、同種の英雄である形式的にドス・ベオンに率いられている軍隊であり、他の蟲型の魔物や蟲型の亜人は『御方』から合流を指示され十年以上に亘って共に戦ってきた種族達だ。
時に争う事もあるが、『御方』という絶対存在の前に平伏す存在であるが故に、こうして軍としての体裁を保つことが出来ている。
と言っても、各種族の長が集まって会議をすると言った形式をとることはない。
ドス・ベオンは雌の個体と子作りに励んでおり、基本的に作戦会議に参加することはないし、他の長も概ねそんなものだ。
種族の英雄の子ともなれば、将来有望であり、その数が増えれば増えるほど勢力は増すので、戦場で子作りすることに関しては、むしろ推進する者の方が多く、異議を唱える者はいない。
ド・スタリが『彼の御方』から捜索を依頼されている『アイテム』は、大局的に言えば、本来、種族全体を救う物ではない為、それを捜索することに軍全体の評判は良くはないが、それを発見した者には『彼の御方』から直接恩寵を賜れるという褒美があるという話をすると、否やと言う者はいなくなった。
その『アイテム』がどういった能力を持つのかをド・スタリは本当は知っているが、これは全軍には伝えていない。
『彼の御方』が捜索を指示し、それを取り戻す為に大軍を組織して侵攻し、『アイテム』を取り戻せば、この軍のほぼ全員は故郷に戻ることなく、このまま人間の領地を荒らし、数を減らす、そういう任だ。
人間の方が繁殖は遅く、成長も遅い。
『彼の御方』は短い見通しは無視し、数十年先の逆転を目指し、人間の繁殖限界を狙って計画を練っているのだ。
目の前にいる長年一緒に働いてきた配下も、この戦いの後には生きてはいない。
少し感慨に浸ることもあるが、自分とて死ぬ可能性の方が高い。
どうせ死ぬのならば、やるべきことを果たして名声を挙げ、子や孫らに恩恵を残すしかない。
ド・スタリは上手くやってきた。
そして、戦士としての矜持も持っている。
戦って、仲間と一緒に死のう。
仲間を騙して戦場に連れてきて、全滅が前提の侵攻につき合わせた償いくらいはしよう。
そう考えると、爽やかな笑みさえ表情に浮かんでくる。
「『彼の御方』の言が正しければ、あれば、すぐわかるはずだ。
やはり、もう少し奥まで進まねばならんのか。」
ド・スタリは、魔物を統制する能力に長けていた。
その力だけで魔物を率いるカリスマを持つ魔物は多くおり、ドス・ベオンもそうだ。
だが、ド・スタリは人間の戦術から学び、様々なことを新たに考えだし、魔物や亜人でも応用できる策などを多く編み出したことから、『彼の御方』の目に留まった。
自分だけが『彼の御方』から真実を伝えられているのは、そう言ったことがあったからだ。
『彼の御方』からは、最悪の場合は、ドス・ベオンを見捨ててでも、ド・スタリは撤退し、生き残るようにと指示もあった。
「そのような隙があれば、な・・・。」
そうつぶやきながらも、おそらく自分は最終的にこの領の何処かで死ぬ。
ド・スタリは種族の英雄と見做されているほど、蛙型の魔物・亜人から羨望と尊敬を一身に集めていると言って過言ではない立場になってしまった。
自分は、彼らを見捨てられるだろうか。
彼らが片道切符の一方通行、攻められるだけ攻め込んで死ぬだけのこの行軍で、自分を信じてついてきてくれるのならば、自分は彼らの期待に応えるべく、最後の一兵になるまで共に戦うべきではないか。
ドス・ベオンは傲慢で怠惰ではあるが、これまで下級に位置していた蛙族の地位をその腕力で向上させた功労者であることは間違いが無く、その腕力は特筆に値する。
知恵はないが、あの巨体とそれに見合わないほどのスピード、毒腺からの毒、自在に伸びる舌による攻撃など、ドス・ベオンの前では、ド・スタリの知る限り敵はいないはずなのだ。
トードマンである自分には叶えられない“蛙族”としての理想の戦士を体現していると言ってもいいドス・ベオンは、ド・スタリとしては戦士として尊敬してもいた。
「そろそろ出陣願うかね。」
自らの英雄の出陣を願う。
地面に雌の蛙の死体が溢れていなければいいが。
そう思いながらドス・ベオンのいる天幕に向かおうとした際、前線から警報の鳴き声が聞こえる。
「敵襲!!!敵襲!!!」
「敵軍は何処だっ!?
偵察達からは何も報告は受けていないぞ!?」
ド・スタリの想定では、正面から攻めてくることはあると想定はしていたが、敵襲の鳴き声が聞こえたのは軍の正面だけではなく、隣の都市からすると後方に位置するこの場所のすぐ近く、その二か所から聞こえていた。
両翼、もしくは後方の他領の軍がこちらの魔物の軍を抜いてきたのか?
そう考えるが、ド・スタリが音のした方に視線を向けても、敵軍の姿が見当たらない。
そもそも、グリンブルからオーランネイブルに至るまでの道中には一定距離ごとに、優れたカミキリムシ型の魔物の狩人と蛙型の魔物を据えており、少数ならば彼らが排除し、情報を持ち帰らせない。
多数ならば、こちらに連絡を入れつつ情報収集に徹し、危険が及ぶ際は撤収する。
それは徹底されていたはずだが、彼らから一切連絡が来ていない。
いや、違う。
確認の為に連絡を取ろうとしても、途切れた異音だけが聞こえる、つまり彼らはド・スタリに一報入れることすら出来ずに既に排除されたのか。
思い返してみると、5分前の定時連絡では「異常なし」と連絡があったところだ。
つまり、今奇襲をかけてきた敵は、定時連絡よりも後、5分以内に、彼ら全員を排除してここまで来たのか。
配置した者達の距離的に有り得ない、それほど彼らは離れて配置していたし、全てを排除しながらここに向かったのでは、人間の足であれば到底5分などではここまでこれないはずだ。
敵が人間だとするなら、彼らを排除した戦士と攻め込んできた兵士は完全に別行動をとり、時間を合わせて行動する手段をとったか。
しかし、彼らを少数で、かつ悟られずに殺すなど、余程の強者でもなければ不可能なはずだ。
事前調査の結果では、この領にいる戦士では彼らを排除することなどほぼ不可能だと推測していたはずなのだ。
「何が起きている!?」
「クワガタ族の精鋭前列部隊、全滅!
また、我らが蛙族の者、守り神級の者が次々に討ち取られているとの報にございます!」
「なんだとっ!?
そんな馬鹿な、連中は防御力だけなら相当な上位に位置する魔物達だぞ!?
それに、守り神級の魔物達が次々に討ち取られているだと!?
冗談にも程があるぞ!!」
ブチブチ、と確かに耳元でいくつもの自らの分け身とも言うべき蛙型の魔物達が死んでいく音が聞こえる。
不味い。
蛙族の同族達は、この軍の統制を担う要だ。
本能のままに生きる知能の低い魔物達に『カエルの歌声』で洗脳に近い知能向上バフを与え、伝達役兼洗脳要員として同族を配置していたのだ。
仲間達が討たれていると気が付いた者達は、彼ら同族の支配を脱し、激昂し、本能のままに敵がいるであろうオーランネイブル近郊に向かって走り始め、前列付近の魔物はかなりまばらになり、密度が下がっている。
前列を固めていたクワガタムシ種族の前衛は、この軍勢で言えばタンク職に該当し、その強固な外骨格で人間の突撃を待ち受け、はじき返す役割を担っていたはずで、そう易々と撃破できる種族と数ではないはずだった。
彼らと衝突した人間の軍勢は足を止め、彼らの強固な外骨格と外殻に攻めきれず、そのうちに上空から蜻蛉族の魔物達が頭上から襲い掛かる計画だったが、蜻蛉族達も動いているように思えない、まさかクワガタ族達と共に殲滅されたのか?
だが、どうやって!?
気が付いたら大隊規模の軍勢が種族ごと全滅した!?
何が起きている・・・?
「ドス・ベオン様!!!
敵襲です、早く戦闘の準備を!!」
ド・スタリはドス・ベオンの天幕に叫び掛ける。
ドス・ベオンさえ前面に立てば、生半可な軍勢ならば下手をすると一人でなんとかしてしまうのがドス・ベオンと言う英雄だ。
ドオン、という鈍く大きな音を立てて、天幕が吹き飛ぶ。
ドス・ベオンが天幕を突き破ってジャンプし、本陣の辺りに着地する。
「スタリ、敵ハ、ドコダ!!」
気迫は漲り、その溢れ出る蒼き粒子は本陣に詰めていた幹部陣ですら震え上がるほどだ。
知能が高くないとすぐさま察するほどのたどたどしい言葉であるというのに、その声を聞いただけでその存在の強さを響き渡らせる。
これこそがド・スタリがドス・ベオンに従う理由なのだ。
この英雄一匹が自分達を率い、スタリがその他雑多な事を片付ければ、蛙族は繁栄の一途を辿ることが出来る。
敵軍は見当たらないが、おそらく奇襲部隊だろう。
少数の奇襲部隊くらいなら、ドス・ベオンに敵うはずがない。
ドス・ベオンは数千の敵ですら単騎で屠った圧倒的強者であり、見た目に反してスピードの速い者にも対応が可能で、伸びる舌の攻撃もありかなり遠間の敵も狩り尽くすことが出来る。
それに、ドス・ベオンの『アレ』は分かっていても回避できる速度でも、耐えられる衝撃・重量でもない。
ドス・ベオンに捕捉されて生き残った敵は、ほとんどいないのだ。
「『状況を報告しろ。
被害状況と、敵の数、位置は、どこだ!?』」
クワガタムシ型の魔物の軍勢につけていた同族達から回答が返ってこない。
他にも連絡を取ってみるが、連絡が付く者もいるが、外周に近い者ほど連絡がつかなくなっている。
「くそ、まさか、我等の統率をバラバラにするつもりか!」
「スタリ、避ケロ!!」
ドン、と、ドス・ベオンが自分を突き飛ばす。
先程までスタリがいた場所の、頭部があった位置を超高速の何かが通り過ぎる。
スタリより離れた位置にいた配下の頭が消し飛ぶ。
連絡に集中し過ぎて、周囲の警戒が疎かになっていたのか。
自分の英雄が自分を助けてくれた、その感動は心に響いた。
だが、すぐさま、思い直す。
一体、何が飛んできたのか、誰が飛ばしてきたのか。
「蝦蟇族のユニークユニット、エリートスタッグフロッグ、ドス・ベオンと、蛙種亜人トードマン、ド・スクリ・リーマ・ボエンですね。」
唐突に、小さな何かが現れ、話始める。
バッタとカブトムシを混ぜ合わせたキメラ昆虫族のような容姿。
赤色の角と腰に灰色の外骨格。
見たことのない種族だ、蟲型魔物の一匹だろうか。
どう見ても人間ではない。
だが、こんな蟲型の魔物も見た事がない。
新種か・・・?
「私がド・スクリだ。
貴様は何処の種族の、何者だ、ここは戦場、そしてドス・ベオン様のおわす本陣だぞ。
さっさと名乗るのが礼儀だろう。」
「これは失礼を。
私は、灰色から来ましたフミフェナ・ペペントリア、人間です。」
「人間、だぁ!?」
どう見ても、今まで見たことのある人間の見た目とは異なっている。
どちらかと言えば、蟲型魔物の同類のようにしか見えない。
人間は姿形を変化する種族ではないはずなので、目の前の小さい個体が人間であるのだとすれば、かなり異形の種類になるだろう。
「何用だ!?」
「ドス・ベオン、並びにド・スクリ。
その他、この場にいる貴方がたの命をいただきに参りました。
情報をいただければ、ド・スクリ、貴方は生かしておいてもいいですよ?」
「何をふざけたことを!!!
ドス・ベオン様、警戒を!
おそらく、クワガタムシ型の魔物の戦列を壊滅させたのは、この個体です!!」
本陣に詰めていた幹部級のエリート個体が謎の小さい個体に襲い掛かるが、エリート個体達の首から上が消し飛び、遺骸が地面に転がる。
ゆっくりと、小さな個体が近づいてくる。
ズサ、と、ドス・ベオンの足元から音が聞こえる。
傲慢が売りだったはずの、英雄が、後ろずさったのだ。
「ドス・・・べオン様・・・?」
「ゲ、ゲゴォ・・・!?」
威勢の良いはずのドス・ベオンが、徐々に後ろに下がっていく。
一歩、小さな個体が動くと、ドス・ベオンは少しずつ、少しずつ、後ろに下がる。
信じられない光景だった。
身の丈1m程度の個体が近づいてくるごとに、身の丈5mを超えるドス・ベオンが下がるのだ。
ドン、と、ドス・ベオンの背中が大木の幹に衝突する。
だが、小さな個体は足を止めず、ドス・ベオンに近付いていく。
「ゴゲェアアアアアアアアアアアア!!!!」
今まで聞いた事もないような、ドス・ベオンの子供のような鳴き声が鳴り響く。
その動きはド・スクリでは追いきれないほどの速度。
ドス・ベオンは、この巨体と伸びる舌、見た目に反して非常に早い前脚、そしてそれらの距離感を狂わせる強力な後ろ足の踏み出しによる超高速のジャンプ、それらを組み合わせた攻撃で今まで幾度となく強者を葬ってきたのだ。
これで決まった、そう思ったが、ドス・ベオンの攻撃は全て空振りする。
目の前にいたはずの、小さな個体の姿が消え失せたのだ。
ドス・ベオンの攻撃が命中したのなら、あの小さな個体ほどの大きさであっても肉片が飛び散り、バラバラになって、血や汁程度の痕跡があるはずなのだ。
「ドコニ、ドコニイッタ・・・!?」
バリバリ、という稲妻のような音が何処かから聞こえる。
ワン。
小さな個体の何がしかの言葉が聞こえる。
ツー。
おかしい、おかしい。
無機質な声も、何かのボルテージが上がって行くような音も聞こえるというのに、何処から聞こえているのか、全く分からない。
ドス・ベオンも、ド・スクリも、その他の者も、みなが周囲を探し回るが、何処にも先程の小さな個体が見当たらない。
「スリー。」
ルゥァイドゥアキィック。
何かの重なり合うような音か声か分からない何かがそう聞こえたかと思うと、白い閃光と共にドス・ベオンの頭が消し飛ぶ。
ドス・ベオンの頭のあった場所の前の空中に浮いているのは、先程見失った小さな個体だ。
後ろ足でドス・ベオンの頭部を蹴り飛ばしたのか!?
重量音を響かせて頭部を失ったドス・ベオンの身体が倒れ伏す。
その後、ド・スクリは茫然と立ち尽くすしかなかった。
周囲にいたエリート個体達は、おそらくその小さい個体に全滅させられた。
おそらく、と言ったのは、確認できなかったからだ。
ドス・ベオンが倒れた後、今までに聞いた事の無い何かが超高速で走り抜けるような音が絶えず響き渡り、バリ、とかバン、とか、非常に短い破裂音を響かせて仲間達が次々に粉々に爆散し、周囲にはまるで赤い雨のように肉片が雨霰と降り注いだ。
どれだけの数の個体が殺されたのか、判別ができない。
茫然としていたド・スクリには、もう何も出来ない。
仲間達には連絡がつかない。
ドス・ベオンが一撃で瞬殺されたあの小さな個体が、何処にいるのかも分からない。
「は、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ・・・。」
飛び散る誰かだった肉片が超高速でド・スクリにぶつかり、それだけですらほんの少しのダメージが積み重なる。
肉体的なダメージは無視してもいいほどのものだが、それよりも、精神的ダメージの方が大きい。
あの小さい個体の姿は見えないのに、地面に散らばった肉片も誰かが巻き上げたかのように空を舞っているし、粉々に砕かれた同族達の肉片があちこちからバラバラの方向に飛び交い、周囲一帯とド・スクリは最早、肉片と何かわからない汁と、血で染め上げられ、精神に恐慌をきたし始める。
ガクガクと膝が震え始め、今にも意識を失いそうだが、意識を失うこともできない。
動いた瞬間死ぬのではないかという不安と恐怖から、膝を折ることも出来ず、ただ震えることしかできない。
恐怖が頂点を超え、限界を超え、最早精神が破壊されようかという頃、後頭部を、ツン、と突く何かがあった。
「ド・スクリ。
死を超える恐怖は味わえましたか?」
ガクガク、と首が千切れそうになるほど、頭を上下前後させた。
振り向くべきなのか、このまま言う事に従うべきなのか、迷う。
そう刹那の時間思考している間に、後頭部から、鋭い痛みが走る。
頭の中に、何かを差し込まれている。
普通、頭部に何かを差し込めば即死するはずなのに、自分は死んでいない。
ただ、後頭部を流れる血の感覚はある、確実に、刺されているのだ。
その恐怖がド・スクリを更に恐慌に陥れる。
自分は仲間達と共に死ぬ覚悟を固め、この戦場で死ぬつもりでもあったはずなのに、死の恐怖で全く動けなくなってしまっていた。
ド・スクリは、自ら死のうとすら考えていたが、それすら考えられなくなっている。
「拘束させていただきます、大人しく、着いてきてくださいね。
死のうとしないことです。
“楽に死ねる”、なんて考えないことですね。
理由は、分かりますか?」
頭に何か刺さっているのであれば、頭を動かすのは不味い。
そう判断したド・スクリは、ブルブルと震える両腕を上げる。
これが人間の社会では降伏のポーズだと知っている。
身体の構造は亜人であるので、人間とほぼ相違ない。
「大人しい方で助かりました、ド・スクリ。
貴方の軍事的才能は、非常に優れていました、敵ながら天晴れと評したいと思います。
賞賛いたしましょう。
本来はそのままあなたも殺すつもりだったのですが・・・殺すのはやめにしました。
貴方は特別任務を帯びていましたね?
監視者と暗殺者は今のところ見当たりませんが、処分されても困りますので、このまま連行させてもらいますね。」
フミフェナがド・スクリを抱えたかと思うと、ド・スクリが経験したこともないほどの超高速移動が開始され、ド・スクリは余りの勢いで身体がまるで後ろに引っ張られるようなとんでもない圧力を全身に浴びることになった。
フミフェナがド・スクリの身体も強化し、加速の反動で死んでしまわないようにしていたのだが、ド・スクリからすればそんな原理は理解できず、あまりの移動速度に精神がついていかず、虚ろな感覚を覚えていた。
(あぁ・・・赤い、雨が・・・。
なんて美しい赤い、朱い、紅い雨なんだ・・・。)
ド・スクリが意識を失えずに運ばれる中、フミフェナは余人には全く見咎めることができないほどの速度で一直線にオーランネイブルの領館へ向かって移動を開始していた。
ド・スクリがフミフェナに抱えられず、強化されていない状態で外部から客観的にその状態を目撃していたとしたら、おそらくあまりの惨劇に気絶しただろう。
フミフェナの、周囲に一切の配慮をしない超音速のソニックブームと、暴れ狂う破壊の圧力を擁した暴風を伴った移動だ、その移動のルート上にいた者達は瞬時に空間ごとミキサーに巻き込まれたように粉々に引き千切られ、体液と肉を撒き散らした。
ルート上にいなかった者ですら、その暴風の影響を受け、吹き飛んできた肉片に身体を抉られて命を失う者すらいた。
そのような惨劇が軍の端から端まで続いたが、あまりの事態に皆ルート上から逸れようと必死になるばかりで、動体視力に優れた者であっても、その暴虐の源が誰によって行われているのか、それを行っているのが人間であるとは、いずれも認識できなかっただろう。
フミフェナはスタッグやバルシェを巻き込まない位置を確認してから移動を開始したが、その移動は目に見えない歪んだ空間を朱く染め、通り過ぎた空間は赤いトンネルのような物を空間に発生させていた。
興味本位でそれに触れた者や近づいた者は粉々に砕け散っていき、更に被害者は増える。
大地は赤く染められ、空は赤い血飛沫が霧のようにはるか上空まで巻き上がって広がり、数十分にわたり、戦場全体に広く血生臭い赤い雨を降らせたのだった。




