31話 『弱肉強食』
オーランネイブルでヴェルヴィアが拘束された時間から、時を少し遡る。
人口数十万という橙色領有数の都市である衛星都市『グリンブル』の城壁部分に、屈強な男達が立っていた。
彼らは都市の西側・・・オーランネイブルのある方向に向かって避難していく都市民を見送っていた。
彼らの中で最も重装甲の・・・軽自動車1台分に近い重量を持つ甲冑を着込み、細身の女性程の重量のあるバスタードソードを装備した戦士は、それを見ながら笑っていた。
トスキン・アリヴェイナ。
グリンブルに詰める戦士団の団長であり、レベル70台後半にもなる屈強なる壮年の男性だ。
彼は今、覚悟を決めていた。
グリンブルの少し前線寄りの都市から、『魔物の襲撃有り』の狼煙による報せが届いてから、既に1日が経過している。
狼煙による回答をいくつか行ったが、そのいずれもに返答はない。
『敵の数は』『応援はいるのか』『避難民はいるのか』全てに。
あまりに不穏な事態に、アリヴェイナは早々に多くの斥候を飛ばしたが、一定ラインより先まで踏み込んだ者達は誰一人帰ってこなかった。
臆病な斥候が途中で引き返してきたが、それが功を奏した。
彼は襲われた仲間の死に様を見届けたという。
斥候達を狩っているのは、熊ほどの身の丈をした、蟲型の魔物、それも非常に強力な魔物が複数存在することを確認したという。
城壁から遠見筒で強化した視力で眺めてみたが、まだ群れのようなものは確認できず、おそらく群れ本隊はまだかなり遠いはずだ。
アリヴェイナは、少なくとも20km、30kmと言った距離には魔物はいない、と感じていた。
隣の都市まで足の速い人で2日、普通の魔物で半日、足の速い魔物で2時間以内と言ったところか。
目視で見える距離にいないということであれば、まだ間に合う。
一瞬で制圧されたと考えられる隣の都市を今から救助するのは不可能だ。
であるならば、今自分のいる都市の住民を避難させ、人命を優先して護らねばならない。
時間はかかるかもしれないが、住民の全滅した崩壊した都市と、都市は崩壊しても住民のほとんどが生き残れた場合とでは、どちらが良いかなど誰の目にも明らかだ。
避難民達が生き残れば、都市が滅びてもまだ人々の生活の復興は為る可能性が残る。
「団長、不味いですって。」
「不味いもくそもあるか。
戦力的に見て守り切れないのは間違いねぇ。
このままここにいても、都市ごと全滅するのは目に見えてる。
市民は脅してもいいからオーランネイブルへ走らせろ、荷物なんかは必要最小限にさせろ。
荷車は護衛つけて先に走らせろ、追い付いた奴に順次支給して、なくなったら後続と合流して移動速度を上げさせろ。」
「団長、分かっておられるのですか!?
敵前逃亡は重罪、場合によっては死刑、それを指示した者がいるならば、その指示をした者に罪が課されるんですよ!?」
「街はまた作ればいい、なんなら領都の近辺切り開いてもいいしな。
だが、人間死なせちゃ、すぐには元に戻せねぇ。
隣のドーロバーからは誰一人こねえし、斥候も帰ってこねえし、狼煙の返答もねえ。
ドーロバーの兵はせいぜい200くらいだったろうが、時間さえ稼げてれば狼煙くらいはなんとかなっただろうに、『魔物の襲撃有り』が最初で最後の連絡だ。
どう考えてもここで防げるレベルの魔物の軍勢じゃねえ、守り切れないのは分かり切ってんだろ。
民を逃がさず、一緒に死んでくれと言って死なせるのは、ただの自己満足だ。」
「そうじゃぞ、わけえの。
住民が消え失せちまえば、グリンブルの名が消えるどころじゃねえのよ。
都市も戦士も都市民も、皆、命あってのものなんじゃ。
名誉と箱と金だけでこの世界はやっていけん、そんなことは皆分かっとるんじゃ。
責任者が死刑?
ええぞ、団長だけじゃねえ、わしらも一緒じゃ。
いつでも殺せってんだ、こっちはそれより先に死んどるわ!ふぁははははは!」
「それに、俺達まで避難民と一緒に逃げたんじゃ、もし追い付かれたら民がパニックになる。
無駄な犠牲者が増える。
それにそもそも、このまま一緒に逃げて逃げ切れる保証は誰がしてくれる?
万が一、魔物がすぐさま襲ってくるのなら、誰かが足止めしなきゃ避難民も逃げられねえだろう。
そんなこたぁ俺達戦士の矜持が許せねえ。
都市長とも行政長とも何度も打ち合わせたが、これしかねえ。
住民は守る、都市は汚させねえ、俺達防衛の戦士達は命を賭けて都市を守って、時間を稼いで死ぬ。
それがこの都市が生き残る為の、やらなきゃいけねえことだ。
どうせ責任者はほとんどここにいる上に、全滅で死ぬんだ。
生き残りの班の責任者が何人か死刑になるかもしれねえが、数は知れてる、かまやしねぇ!」
「そうそう、団長の言う通りだぞ。
責任取るために責任者ってのはいるんだから、気にすんな、万単位で死ぬのと、責任者数人が死ぬのとじゃ話が全然違うだろ。
それに、責任者がみんな違反して生き残ったのなら、場合によってはその後の判断でそれは正しい判断だったかもしれん、という裁定になるかもしれんのだから、情状酌量になる可能性もあるんだ。
なんなら都市長を先にぶっ殺しといてもいいけどな、逃げるよう指示を出して勇敢にも魔物に突撃し、殉職されました、アーメン、ってね。」
「こらこら、わしを先に殺すのはやめておけ、士気が下がるわい。
わしはここで死ぬつもりじゃし、戦士達が全滅したらその時こそ死に時よ、その時に真っ先に死ぬのはわしじゃ。
心配するな、わしとて昔はブイブイ言わせておったんじゃ、魔物の幾匹かは道連れにして死んでやるわい!」
「都市長まで、何をおっしゃるのですか!?
こんなことが知れたら、ネイブル様が激怒されますよ!
責任者だけで済むとは思えません!」
「だが、領都の目の前で流石に民衆皆殺しにはせんだろ?
そんなことしたら、王都から赤の英雄がすっ飛んでくるってもんだ。
どうせここにいたって全滅は免れねぇ、一縷の望みにかけたって、神様は怒らねぇさ。
・・・まぁ、理想はオーランネイブルから応援でもくりゃ理想的だが、・・・望みは薄いだろうな。」
「都市長、団長・・・。
くっ、なぜ、こんなことにっ!!」
若い戦士が嘆き、床に拳を叩きつけ涙を流すが、それはアリヴェイナとて同じ気持ちだった。
数日前、橙色領の各地から防衛兵が搔き集められ、オーランネイブルへの徴発を命じられたのだ。
隣のドーロバーは命令に従って多くの防衛兵を拠出した。
前線に近い都市だと言うのに、200程度という防衛兵の少なさだったのもそういう理由だ。
グリンブルは、アリヴェイナと都市長の権限と抵抗で2000という数を残すことが出来ていたが、最前線都市ですら兵力を抽出せよと指示があり、防衛力を削ったのだ。
最前線都市という最重要拠点の防衛兵すら領都に徴発したのだ、敵襲があったと告げたとて、領主たるヴェルヴィアはグリンブルに援軍など送ってこないだろう。
なんなら、時間稼ぎの良い囮だとすら考えているかもしれない。
先だっての戦でアリヴェイナ達は自分達の領地を治める領主が如何に愚鈍でクズで無能であるのか、痛感していた。
民衆にとって統治しているのはあくまで『ベッティム商会が行っている施政に基づいて行われる行政』が全てであって、先々代くらいの頃の当主を知っている老人たちを除けば、ほとんどの者はヴェルヴィアの為人など知る由もなかった。
良い領主ではないが、悪い領主でもないのだろうと思っていたことだろう。
だが、実際は、ベッティム商会がベールにベールを重ね、幾重にも重ねられたカーテンで隠されていただけだった。
それはノルディアスの功罪でもあるのだろうが、アリヴェイナ達、防衛を担う兵達のヴェルヴィアへの怒りは尋常なものではなかった。
言葉にこそ出さないが、この状況に到っても領主の責任を果たさないヴェルヴィアを領主として認めることなど出来なかった。
オーランネイブルへの徴発を断ってグリンブルに居座った際には、都市防衛への熱意を賞賛する旨の文書も届いたが、遠回しにお前もお前の家族も昇進の芽がなくなったことを理解しろという内容を迂遠に表現したクソ詰まらない文章だった。
届けに来た使者が部屋を出た途端、アリヴェイナ達はその書状をびりびりに破り捨て、焼き捨てた。
普段温和なクソジジイと言ったテイの都市長ですら、怒りに震え都市長の公邸の居室の調度が粉々に砕けたほどだ。
オーランネイブルからの援軍はない。
となれば、グリンブルはグリンブルにある戦力で避難民を逃がさなければならない。
作戦を立案するに辺り、アリヴェイナ達は状況分析から開始したが、敵の魔物の軍勢の軍師は魔物の軍勢の情報を与えないよう、的確にこちらの斥候を処理しており、情報が全く手に入っていないことが真っ先に問題に上がった。
どれだけの数が、どれくらいの距離にいて、どのような魔物で構成されていて、どういった戦法で対処するのが良いのか。
事前情報が手に入らないことによって、防衛の為の準備の難易度が跳ね上がる。
今自分達がどうなっていて相手がどうなっているのかという状況が分からない、という状況は非常に不味い。
普通、戦闘になった都市というものは、狼煙以外に状況を事細かに伝える伝令を走らせるものだし、隙を見計らって襲われた都市の住民が自己判断でバラバラに逃げることもあるし、都市の外にいた者が危険を察知して逃げる、などなど、隣の都市になんとか何かしらの者が辿り着くことも多い。
それらが一切、ないのだ。
グリンブルより前線寄りの都市は、落とされたというより、魔物に滅ぼされたのだろう。
逃げてきた民衆や兵すらいないということは、一人残らずキレイに狩り尽くす、という強い意志があると見るのが妥当だろう。
魔物の足は早く、熟練の戦士ですら魔物から足の速さだけで逃げ切ることは不可能だ。
故に、一般人がいくら散らばって逃げようとも、魔物が『絶対に全員殺す』という意思を以て行動する限り、根こそぎ刈ることが可能であり、一般人はすべからく皆刈られるしかないのが現実だ。
ドーロバーは丘に囲まれた城塞都市で、人口は数万程度ではあったが、200の兵で守り切れる大きさではないので、おそらく四方の門を塞がれればその時点で都市としての命運は尽きたはずだ。
グリンブルは領都オーランネイブルの隣、数十万の人口を擁する都市だ。
囲まれてから逃げるのは物量的に不可能であり、敵勢の情報が無い状態であったとしても迅速に避難を開始するべきだ、と皆が結論づけた。
グリンブルも防衛力は紙とは言わないが、防衛向きの城砦ではないし、住民数十万という巨大な都市の城壁に対して兵2000では守り切れない。
魔物が少数であったとしても、強力な守り神級の魔物が存在する軍勢ならば、グリンブル最強の戦士であるアリヴェイナですら手が出せない。
城壁もグリンブルという都市が作り上げられ最前線であった頃から随分の時を経ており、最新の防衛用の城砦とは言えない状態なのだ。
幸い、魔物の侵攻位置などを推測し、遠見筒と視力強化が可能な物見に定期的に遠距離の目視による状況を確認させているが、狼煙の上がった頃から程なくドーロバーを落としたのだとすると、そこからこちらまで進軍してくるまでの速度が異常に遅い。
魔物の軍勢の侵攻は、魔物自体の足が速い上に、輜重部隊と言った類のものを基本的に引き連れていない為に、軍単位ですら人の軍勢の何倍も移動が速いものなのだ。
ドーロバーからグリンブルまでの距離ならば、魔物の通常想定される速度での移動なら、3時間もあれば目視できるところまで来ていてもおかしくない。
目視できる距離までくれば、魔物が走り始めれば1時間もあれば都市まで到達し、攻撃が開始されるというのが通常よくあるパターンなのだ。
アリヴェイナ達が訝しみながら様々な推論を突き合わせていると、都市内からワァ、とも、オゥ!ともつかない喚声が上がる。
城壁にいた者達が視線を向けると、丁度オーランネイブルへ向かう避難民の最終便、第十五陣の集団が若い兵達を護衛に付けて出陣するところだった。
オーランネイブルのある西門が再び開かれ、民衆と大量の食糧を載せた荷馬車や荷車が護衛と共に走り始める。
場合によっては、民衆の列が領都への呼び水となる可能性もあるが、それが領都の戦力の呼び水となることも、望みは薄いが期待はしている。
魔物の進軍は今のところかなり遅い為、今から出発したとしてもオーランネイブルにかなり近い所までは必ず辿り着けるので、生存率はかなり高いはずだ。
人口数十万の都市民の移動ともなれば、通常絶え間ない1本の長い行列となるが、商取引で都市間を行き来するノウハウのあるベッティム商会の運輸部門の長の立案で、便を分けて少しずつ時間をずらして出陣していく形とした。
少しずつルートを変更することで、足跡から推測されるルート位置をずらし、魔物の追撃があった際には1つのルートに絞らせないようにするための案だ。
そして、バラバラになることで魔物の襲撃で民衆がパニックに陥り、統制が取れない状況になっても被害を最小限に留めるための案でもある、つまりリスクを減らす狙いだ。
1つの陣ごとが万単位の集団ではあるが、遅い者に合わせた徒歩での行軍で1日半程度だ。
疲労した体力のない者、足の悪い者、子供や老人を荷馬車にまとめて載せるなどの移動で、ほんの少しずつだが効率化して加速はしていくはずなので、1日あればなんとかなるはずなのだ。
第1陣は出発してからそこそこ時間も経っており、逆算すればほぼ行程の半分は踏破しているはずなので、到着した陣の有志を募って、オーランネイブル郊外に仮設の陣を張る人手とする計画もベッティム商会から提案されていた。
その為の資材も、オーランネイブルの商会から既に手配されているとかで、受け入れ側でも既に準備はしてくれているらしい。
最終便の第十五陣は比較的高齢の者、傷病者が荷物と共に荷馬車に詰め込まれ、馬ではなく若い戦士達に曳かれて移動する便となる。
魔物が全力で駆けてきて、グリンブルを無視した場合、第十三~十五陣の便は魔物に追い付かれる可能性が高いが、それがどうなるかは今のところ何とも言えないところだ。
運ばれる者達には、最悪の場合は護衛の兵達の命を最優先に、荷馬車ごと放置されるかもしれないが承諾してほしい、と事前に話したが、皆了承してくれた。
若い戦士達は休息を擁する馬などよりはよほど健脚かつハイパワーであり、問題なければ半日とは言わずとも1日弱、いやそれより早く到着してくれることだろう、もしグリンブルが抜かれたとしても尻には食いつかせないことだろう。
都市長とベッティム商会の段取りは、魔物の到着が遅かったこともあり、ほぼ全て順調に手配でき、戦士たる自分達は既にフル装備、遠距離防衛兵器の準備まで済ませることが出来た。
後顧の憂いも無く、準備も万端、これですり抜けされると言った事態さえ無ければ、現状可能な準備は全て出来たと言っていい状態だ。
「とにかく、俺らは殿だ。
確実に死ぬんだからな、皆覚悟の上だろうな?
おっさんやらジジイやらロートルの決死隊だけが残ればいいんだから、生きたい奴はさっさと避難民を追い掛けて走れよ。
何時間か稼げりゃいい・・・くらいに思ってたが、存外、連中、やけに足がおせぇ。
うまいことやれば結構稼げるかもしれん。
思ったよりは多く残せそうだ、若いのは民衆と一緒に走ればいい。」
「団長!?」
「団長、俺も残ります!!」
「お前らは走って民衆のケツを蹴りまくればいいんだよ、ほれ、はよいけ!」
「わしはジジイどもを集めて生肉の釣り餌にでもなればええか?
それとも、穴でも掘って嫌がらせでもしとけばええか?」
「おう、わしは魔物の大好物の獣肉と大嫌いな蝋樽とてんこ盛り、あるだけ持ってきてやったぞ!」
「あんがとよ、商会のおっさん。
都市長、あんたは、だめだ。
都市長以外のジジイで統率に長けたのは・・・商会のおっさん、あんたも数人荷馬車に載せて、ケツを鞭で叩いて送り出せ!
残りのジジイどもは俺の隊で決死隊の準備を手伝ってもらうぜ。
魔物はグルメらしくてな、ヒトの肉は不味くてよっぽど腹減ってないと食指が動かねえんだってよ!
おっさんとジジイの肉なんて釣り餌になるもんかよ!」
「はっはっは、なんだそりゃ、じゃあなんであいつらわしらを襲いにくるんじゃ!?
全く、無駄な骨折りでわしらの命を狩りおって、けしからん!」
「商会のおっさんの用意した獣肉は俺達のとこに置いてってくれ、蝋樽はうちの部隊の奴らに渡してくれ、準備させる。」
「あいよ。
魔物は種類が多すぎて欲しがる物が肉くらいしか分からんのが困るわい。
せめて金くれとか欲しいもん寄越せと言うてから襲ってこい、用意しといてやるってのにのぅ!」
「はっはっは、おっさんに用意させたらその中に爆薬だの毒薬だの入ってんだろ、匂いでバレるぜ、はっはっはっは!!」
その後、魔物の群れがアリヴェイナ達の目視可能な距離に辿り着いたのは、アリヴェイナ達が防衛の準備を終えて4時間ほど経った頃だった。
魔物の群れが目視可能な距離になると、目の良い者はその有様をはっきりと確認できるようになってきた。
監視の者達は、魔物が迫ってきていることを伝令に伝えるが、みな怒りに震えるか、吐くか、怯えるか、通常有り得ない反応を見せていた。
アリヴェイナも双眼鏡で確認してみると、歴戦の勇士であるアリヴェイナですら目を背けたくなるような光景であり、凄惨な光景に慣れてない者達はあまりの惨状に吐き気を催す。
あれでは行軍速度など落ちるに決まっている。
「糞どもが!」
「おぇええ!!」
「許せねえ、なんてことしやがる!!」
魔物の先頭は、蟷螂をそのまま大きくして邪悪な意図を込めて人に近い形に造形したとしか思えないような姿形をした、強そうな気配をビンビンに垂れ流して歩いてくる一匹の魔物。
その後ろに、数百人の全裸の女達。
全裸の女達は皆虚ろな目をしているが、腕を切り落とされて焼いて止血されているらしく、皆腕がない。
おそらく城壁からの遠距離防衛兵器からの攻撃をさせないための盾だ。
そして、彼女らの真後ろには、老若男女を問わないヒトを肛門から口まで貫通させた木杭が数千そそり立ち、それを持っているのも、ヒトだ、男達がそれらを持たされている。
行軍が遅かったのは当たり前だ、ヒトを貫通させた木杭を持った男達の歩行速度に合わせて、わざわざ進軍してきているのだ。
更に醜悪なことに、杭によっては、少し長く作られており、小さな子供が二人、三人と団子のように突き刺され、屈強そうな男がそれを持たされている。
恐らく、木杭を持った男達は、他の都市の戦士達だろう。
彼らの心をへし折り、こちらの心もへし折ろうという意図だろうが、その醜悪な有り様は、撤退兼遅延戦を想起していたグリンブルの戦士達、居残った面々に怒りを与え、戦闘意欲を向上させてしまっていた。
仲間を逃がすためだけの死の覚悟が、仇を討つ為の怒りへと変換されてしまいかけている。
アリヴェイナからすれば、時間稼ぎに要する時間はおおよそ5時間程度と見ており、あと1時間も稼げれば、若い戦士達から逃がそうと考えていたが、血の気の多い彼らは言う事を聞かないかもしれない、と、少し焦りも感じていた。
「ったく、どんな糞だよ、魔物の軍師さんはよ!
あの連中を見捨てて、逃げろってのは無理ってもんだろ!?
つまりはあれか、ここにいる連中も、今逃げてる連中も、アレと同じ光景になるかもしれねえってのか!?
どうすりゃいいんだよ、糞が!
神さんがいるならこりゃ余程の怠け者だな、あれだけの悲壮な叫びを上げる人間の祈りをたった一つも叶えてやれねぇなんてよ!」
「団長、どうしますか。
いっちょやったりますか。」
「馬鹿野郎。
逆だ、残ってる奴からわけーのを抽出して、もっと減らせ。
あいつらが俺らでアレを作るつもりなら、もっと時間が稼げる。
もっとケツ叩き要員増やしてこい。
俺らはちっとばかし配置変更だ、連中の挑発に乗ってやるぜ。」
「当然、わしらも行かせてくれるんじゃろうの?」
「いいぜ、あんまり数が少ないんじゃ、追っかける奴らがいるかもしれねぇ。
はったりになるかは分からねえが、フル装備で城壁に立って貰おうかね。
フル装備の重量で勝手におっちぬなよジジイども!」
「はーっ!
生意気言いよるわ、小僧が、わしらも若いときはこのグリンブルが最前線都市だったんじゃ、フル装備で何日でも城門にたっとったもんじゃ!あんまり舐めてくれるなよ!」
「ぬかせジジイが!
あいつらが寄ってくるまで時間ねえぞ、急げよジジイども!!」
グリンブルに詰めていた兵は、元々はおよそ2000人いた。
20代から30代の若者がその約4割。
彼らは荷馬車の護衛と逃げる民衆の先駆けに配置した。
40代は1割程度だったが、40代の戦士達も避難させる。
残るのは歴戦のベテラン達だが、万単位の魔物を相手にすると多勢に無勢であり、いくらか留めることは可能と言えど、都市外で完全に押し止めることは不可能だ。
だが、人間をいたぶり、殺すことだけが目標なら、時間稼ぎとして命を時間として計算することはできる。
そう判断し、魔物が攻め入りやすい東門だけを開門したままとし、西門、北門、南門は閉鎖し、内外にありったけの障害物を詰め込む。
特に魔物に上って欲しくない西門の城壁の上には、魔物の嫌う人間の死体から作った死蝋の樽を転がし、異臭を漂わせる。
これらは、特段魔物の移動を遮る物ではないが、「近寄りたくないから別の道があるならそっちから行こう」と思う程度には魔物にとっては臭いらしい。
人間で言うならば有名な某ニシンの漬物の缶詰クラスの異臭らしく、鼻の良い魔物に叩き付ければ、のたうち回るほどの臭さだそうだ。
まぁ人間でもヒトの遺体の腐った汁を溶けた蝋状に加工した物の匂いは激しい嫌悪感を抱くだろうから反応は似たようなものかもしれないが、それくらいの効果でもなければ、ヒトの死体を辱しめてまでこんなものは作らない。
同数であったり、こちらの方が数が多ければ、グリンブルを無視して通りすぎる可能性もあるが、あれほど人間を陵辱することに価値を見出す連中なら、敢えて都市に閉じ籠ったアリヴェイナ達をいたぶり、狩り尽くす為に入ってくるだろう。
城壁を飛び越えさせず、都市内に残った命を一つ一つ処理させる。
全滅を前提として立案するなら、アリヴェイナ達は時間は稼げる。
まぁ、立て籠った者達の生存率は0%であるということを全員が納得していなければ立案はできても履行できない作戦でもあるが。
「ここまで布陣しちまった限りは、もうお前らは逃げられん。
あんな気味の悪いオブジェを大量生産して、それをわざわざ人間に運ばせるような悪趣味な奴が統率してる、ロクな死に方はせんかもしれん。
俺達は全滅してあの行列に並ぶか、あのオブジェの数を増やすか、グリンブルを墓石にぐちゃぐちゃになるか、まぁ大体三択になるだろうな。
付き合わせて悪いが、俺が逃げ出さねぇように見張っててくれ。」
城壁に並ぶ兵達や居残った面々は、それを聞いて爆笑し、皆それを受け入れていることを各々叫んでいた。
自分から死にたいという者はいないが、自分達が1分1秒を稼げばグリンブルの民達が生き残る可能性が高まるのだ、先の短い者、グリンブルの民達を護る為ならば死をも厭わない者達にとっては、アリヴェイナの正直な本心の吐露は快かった。
「なんだ、あいつら?」
「母御ぉ、あいつらどういうつもりだと思いやす?
気味がわりぃや、城壁に詰めてニヤニヤ笑ってやがりますぜ。」
「都市内につええのがいる気配があるな。
ここまで匂ってやがる、誰か先行して殺しまくったんじゃねえか?
くっせぇ・・・。」
「あれ無視して逃げてる奴らを追っ掛けた方が楽しいんじゃねえか?
随分先だが人間の大軍がいるんだろ?」
「バーカか、おめぇらは!
大して手間のかからねぇとこに、武功になるちょうどいい強さの獲物が目の前にいるのに、めんどくさがる馬鹿がいるかよ!
突入に決まってんだろうが、あんなくそ雑魚どもに狩られる馬鹿はいねえだろうな?
もし死んだらそいつの妻子は全員ぶっ殺すからな!
一番多く狩った奴には、ベックボアの丸焼きくれてやる!
せいぜい俺様より多く殺せるように張り切るんだなぁ!!」
「ひゃっほー、太っ腹だぜ母御はぁ!
ベックボアの肉は俺達が頂くぜ!」
「おいおい、効率よく殺せるかどうかはセンスだよ、センス!
お前にゃ無理だっつーの、俺の美しい狩りをご覧じろ、ってな!」
「団長、連中、直進してきました!
都市外にも千数百の魔物が走って行きましたが、おそらく群れのハグレが勝手に追い掛けてるだけかと!」
「それはしゃあねえ、後ろのおっさん達になんとかしてもらうしかねぇ、放置でいい!
こっちからじゃどうにもならん!」
「よう、そこのちょっとはマシな人間!
ここの頭はおめぇか!?」
「あぁ、そうだ!!
そういうお前は、何様だ!?」
「俺様は緑風のフウザ、蟷螂族の族長にして、この軍勢の先遣隊隊長よ。」
「先遣隊、だと!?」
「あたりめぇだろ、俺らの軍がこの軍だけだと思ってたのか?ギャッハッハッハッ!」
「あり得ねぇだろバハハハハハハ!!」
「てめぇらの常識は知らんがね、名乗ってくれたところわりいんだが、そういうことなら尚更てめぇらには死んで貰わなきゃならねぇ。」
城壁から見下ろす形で相対したアリヴェイナ達だったが、アリヴェイナの所感は不思議と爽やかだった。
(おかしいな、こんなあっけらかんとした奴があんなむごいことやるか・・・?種族的な特性ってやつなのかね)
一方、フウザもアリヴェイナ達の顔を見て、ため息を吐く。
自分達の連れてきた人を突き刺した串を見比べるが、串を持った人間達はもう何の感情も浮かべず虚無となっているのに対し、アリヴェイナ達はあまりこれらの串が効いているように見えないからだ。
「っかしーな、リーマの奴の話じゃ、餌串見せりゃあ人間は大人しくなるか向かってくるから、簡単に狩れるって話だったのに、全然やる気じゃねーか、どうなってやがる。」
「リーマもたまにはハズしてもらわねぇと、功績いつも独り占めだからな。」
「役に立たねぇならわざわざ時間かけて持った来た意味がねぇじゃねえか、糞が。」
フウザと、その近くにいたカマキリ達は、ヒトの突き刺さった串に向かって鎌をふるう。
串刺しにされた死後数日以上たった遺体が、杭ごとバラバラにされ、異臭が漂い、魔物達はその異臭に顔を背ける者が続出するが、飛び散った破片を被った杭を持っていた男達は、それに反応する気力も、勇気もないようだった。
つまらない、と言った態度のフウザが指示を出すと、全裸の女たち、串を持っていた男たちもすぐさまフウザ達の鎌の犠牲になり、バラバラにされ、殺される。
だが、悲鳴も苦鳴もほとんど聞こえなかった。
どうやら、“苦しめて殺すことに楽しみを覚える”と言った悪魔的な思想の魔物ではないようだ、とアリヴェイナは感じた。
「先遣隊の癖に、そんなつまらんもん持ってゆっくり進軍するなんて、流石虫頭だぜ、はっはっはっは!!
先遣隊つったら、どーんとぶつかって相手のことを探ってさっさと帰っていくもんだろうがよ!」
「てめぇ…。
今なんつった?
雑魚の分際で俺様達を挑発するとはいい度胸じゃねぇか、降りてこいよ、タイマン張ってやる!!」
「虫頭なんかが信用できるかよ、降りて行ったらタイマンどころか袋叩きで死ぬだけだろ。
軍隊連れてきた魔物の言う事かよ!」
「はぁん?まぁ、確かにな。
てめぇら下がれ!!近寄るんじゃねえぞ、んで絶対手ぇ出すなよ!!
これは命令だ!!
ほれ、どうだ、かかってこい、来れないのか、腰抜けが。」
(団長、やめてください!
行ったら死にます!
団長がいなくなったら、団の士気が保てなくなってしまいますよ!)
(馬鹿野郎、あのでっけえカマキリですら正々堂々タイマン張るっつってるんだ、俺が戦ってる間、より時間が稼げるだろうが。
あいつ野放しにして襲われたらあいつ一匹に何人殺されるか分かったこっちゃねえ。
それに、連中、どうやら本当に人間の肉に興味がないらしい。
あの串刺しは単なる誰かの入れ知恵で作戦の一つだ、効果がないことを示せば、あいつらは効果に疑念を抱いてる、今後串刺しの被害に遭う連中が減るかもしれん。)
「カマキリの癖にいい度胸してやがるぜ、まったく!」
ドン、とアリヴェイナは20mはある城壁から飛び降り、フウザの目の前に寸分の隙もなく着地する。
着地の隙を狙って攻撃してくるかも、と備えてはいたが、どうやらフウザは本当に正々堂々、一対一の戦闘を望んでいるようだった。
「グリンブル防衛戦士団、団長、アリヴェイナ。
貴様との一騎討ち、正々堂々と受けてたとう。」
「蟷螂族族長、先遣隊隊長、緑風のフウザだ。
俺様はおえらい騎士だの戦士だのじゃないんでね、一騎討ちの作法なんてのは知らんが、あいつらに手出しはさせねぇ、正々堂々、俺と戦え!」
「頭と一対一で戦える一騎討ちはこちらこそ望むところだが、何故お前はタイマンにこだわる?
こんなことを俺から言うのもおかしな話かもしれねえが、これほどの軍勢だ、一息に俺達を押し潰して皆殺しにすればいいじゃねえか。」
「人間にはわかんねぇかもしれねぇが、自分の株を上げるほどの戦闘ってのは、蒼き粒子の恵みを受ける数少ない好機なンだよ。
つまりはまぁ…お前は、俺の栄養になってもらうってこった。
肉は不味いだろうが、お前の粒子は俺を十分に成長させそうだ。
首を刈って袈裟に切り落とし、その身に収めた粒子、全て頂く!」
なるほど。
フウザは人間を刈るのを楽しむタイプではない。
虫の姿なので侮っていたが、こいつはこいつで魔物の社会での地位向上の為に、人間を狩ってレベルを上げようとしているのだ。
おそらく、フウザがグリンブル都市内に狙いを定め、逃げた民衆を追わなかったのは、護衛につけた若い兵達より、グリンブルに残ったベテランの兵達の方がレベルが高く、おそらくこちらの方が旨味があると考えたのだろう。
確かに、蒼き粒子は一対一の戦闘で強い魔物を倒した際に、多く取り込める。
レベル100の壁を越えんとする者は、みなソロでレベル100以上、場合によっては150クラスの魔物を倒し、その壁を越えていくと聞く。
ふ、と、アリヴェイナは思い付く。
これは、ひょっとすると魔物側も同じなのでは?と。
魔物達は、何らかの法治機構で統治されているのではなく、ただ純粋にその強さ、レベルなどで序列が決まる。
故に、連中は統治者であっても最前線に出てきて戦う。
強き者は強き者と戦い、勝利することで誉れとなる、という発想なのだと、学んだことがある。
だがそれは、ひょっとすると、魔物にとっては序列を守る為の保身になるのではないか。
強き者に打ち勝った仲間が己よりも強くなる機会、可能性があれば、自分を上回られる可能性も出てくる。
魔物がより強き者と戦いたがる習性があるのは、己の強さと権威を求めるのと同時に、他者の成長の機会をもぎ取り、自らが成長するための行為となるのではないか。
「ふん、まぁ、それは今考えるこっちゃないな。」
「なんのことだ?」
「まぁ気にしなさんな。
フウザ!
お前を倒して、俺はグリンブルの英雄になってやる!
お前を倒せば、俺は一生くいっぱぐれねえ、そう確信したぜ!」
アリヴェイナのレベルは70台後半、ソロで倒したことのある魔物の概算レベルは60台までだ。
対して、目の前のフウザは、おそらく幾度も死線を乗り越えて強者を屠ってきた魔物であり、生来の高レベルも合わさって、おそらくレベル130から150の間、準守り神級の魔物なのは間違いない。
ヒトは総じてレベルが低く上がりにくいので、ヒト同士ならともかく、対魔物の場合は互角となるレベルは数値通りではない。
およそ、倍。
それがソロで討伐可能な魔物のレベルなのだ。
理論的には、レベル70台後半のアリヴェイナならば、レベル150ほどのフウザはギリギリ適正範囲の討伐対象だ。
だが、生まれつき高レベルの慢心した魔物に比べ、目の前のフウザは、アリヴェイナの強さを察すると油断なく構えており、しかも対魔物、対人で死線をいくつも越えるうちに身に付けた技術もあるだろう。
確実に勝てるとは言えない相手だ、むしろ高レベル帯での戦闘に慣れているフウザの方が上手だと見る方がいいかもしれない。
何せ、グリンブル近辺には強い魔物など数が知れていた。
アリヴェイナの戦士人生40年でようやくレベル70台後半なのだ、致し方ないとも言えるかもしれないが。
内心はそういった冷や汗を流しつつも、アリヴェイナはゆっくりと歩き、間合いまで数歩のところで足を止め、構える。
「団長ォォオォオオオ!!」
「うぉぉぉおおおおお!!」
城壁から、配下の戦士達が叫ぶ。
それに次いで、蟷螂の軍勢も、金切り声の声援をフウザに送る。
「行くぞフウザ、その首貰う!」
「貴様の粒子をいただいて、俺は更に上のステージに上がるんだよ!
精々俺を楽しませて、そして死ねぇええ!」
全力で振り抜いたバスタードソードは、甲高い音を上げてフウザの前肢の鎌の部分に受け止められる。
逆の鎌がアリヴェイナの首を正確に狙って高速で振られるが、アリヴェイナはそれを身を捻りながら回避し、その回転のまま分厚い鉄板とスパイクのついた靴でフウザを蹴り付ける。
ガン!というまるで鉄板を蹴り飛ばしたような音が鳴る。
「おいおい、フウザ、おめぇ『纏い』まで使えんのかよ、元々強い魔物が『纏い』まで使うんじゃねえよ、めんどくせぇ!」
「俺は種族特性だけで上に上がるようなエリートじゃねぇんでな。
だが、この、鎌は!!」
一瞬、フウザの右前肢がアリヴェイナが見失ってしまうほどの速度で振るわれると、アリヴェイナの鋼鉄製の鎧が鉄粉と切り粉、そして火花を散らしながら直線上に削り取られる。
戦士でない者が着用すれば身動きが出来ないどころか、直立することすら難しいほどの全身で350kgもある分厚い鋼鉄製の鎧でなければ、おそらく一撃で両断されただろう。
アリヴェイナの背筋に冷たい汗が流れるが、それをおくびにも出さず、顔は平静を装っていた。
「どうだ、チビったか?
これこそ俺の最強の鎌よ!
良かったな、分厚い鎧着ててよ、薄いのだったら今ので真っ二つなんだぜ、ほんとは!
人間にはねぇよな、こんな立派な鎌はよぉ!
お前らの持ってる鋼鉄の武器よりもつええ武器が、生まれた時から付いてるんだぜ、どうだ、羨ましいだろ?」
「ケッ、羨ましかねぇよ。
そんな前肢だと女が抱けねぇだろうが!」
「悪いが俺様はメスでね、人間の雄のことは知らねぇが、困ったことはねぇ、な!!」
あの攻撃が出来る隙は作ると不味い。
そう感じ、アリヴェイナは本来のバスタードソードの間合いよりも近付き、鎌の大振りの隙を潰しながら立ち回る。
いくら纏い使いだと言っても、全身が常時強化されているわけではなく、徐々にダメージを与えることには成功していたが、鎌とそれを支える前肢などには、絶えず強化が施されており、ダメージどころか傷すら与えられていない。
対して、アリヴェイナのダメージも特にはない。
言い方を変えるなら、アリヴェイナの鋼鉄製の鎧は非常に頑丈で、衝撃による微弱な打撲ダメージこそあるものの捌ききれなかった攻撃の大半は鎧で防げてはいるのだが、まともなダメージが入る、という状況は、あの鎌の切れ味を考えれば、頭部や胴体なら即死、腕や足なら切断は免れない。
鎧は既にかなり削り取られ、幾筋もの直線状の切削痕が残っており、同じ箇所をもう二回も攻撃されれば、前面は裂けるかもしれない。
鎧が全て切れなくとも、中身は前面が切断されれば一緒に引き裂けるだろう。
アリヴェイナにとって紙一重の攻防が続き、5分程が経過すると、鎧の中は既に汗だくになっており、鎧で防御した箇所の打撲箇所がジンジンと痛み始めていた。
フウザは薄い傷こそ無数にあるが、大半は『纏い』で成功しており、重傷は負っておらず、鎌と両前肢は無傷のまま艶を持って輝きすらしている。
いくら契約装備のバフがあるとは言え、アリヴェイナの装備は重戦士に適性のある者が重戦士のクラスで、専用のスキルを取得しなければまともに立つことすら難しい重量の防具であり、それでフウザの動きに追随し、致命傷を避け続けた技量は、見る者の心を打った。
が、彼らヒト側は、アリヴェイナがそう遠くない内に、敗北してしまうのではないか、という予測を立ててしまっていた。
間合いの近すぎるバスタードソードは、巧みな扱いによってフウザを傷つけはしても、大きなダメージを与えられるほどの強振が出来ていない。
勿論、フウザの鎌の大振りを防ぐための行動であるから、バスタードソードの本来の間合いまで離れれば、ひょっとすると既にある傷に重なれば一撃で鎧は切り裂かれ、即座に戦闘不能となる可能性もある。
同時に振ったとしても、フウザの鎌の大振りの方が圧倒的に早いため、下手をすると相討ちどころかやられた上に相手に傷も与えられないかもしれない。
対して、フウザは一撃でアリヴェイナを殺す会心の攻撃も狙いつつ、アリヴェイナの体力と、その身を守っている頑丈な鋼鉄の鎧を共に削り取る戦法に移行していた。
明らかに攻撃速度はフウザの方が早く、アリヴェイナはバスタードソードで受けられない攻撃は鎧で巧みに受け、切断を避けているのだが、鎧は既に傷だらけで、傷の深い部分は当初1cm以上はあった厚みが半分以下の3mm程度を残すだけとなっている部分もある。
アリヴェイナは同じ箇所に傷が重ならないよう巧みに動いているが、そう遠くない内に、鎧は切断できる。
腕にしろ、脚にしろ、この人間の重装備と大剣は両手両足が無ければ人間にはまともに扱えないことは間違いがなさそうだ。
そうなれば、戦闘能力を奪い、首を取ることは容易い。
焦らず、自らの成長の糧となる目の前の人間の隙を探し、少しずつこのまま攻撃を進める、それだけで勝てる。
フウザは冷静に油断せず攻撃を重ねる。
このままではじり貧で死ぬ。
「『大斬撃』!!」
そう判断したアリヴェイナは、ほんの少しの隙に最後の力を振り絞って全力の斬撃を放つ。
ギャリン、とまるで鋼の刃と鋼の刃が打ち合ったような音が鳴り、火花が散る。
アリヴェイナの全力の最期の斬撃を受ければダメージを受けると判断したのか、フウザはただ受けず、いなしながらアリヴェイナの斬撃を凌いだ。
アリヴェイナにとってはこの斬撃が最後の余力だった。
大きな隙が出来た瞬間、フウザの鎌の大振りでアリヴェイナの左腕が切断され、疲労、ダメージ、出血によって立っていられなくなったアリヴェイナは膝を付く。
「勝ったぞ、人間!!」
「はぁ、はぁ、ちっ、しゃあねぇ、なぁ、俺の人生はここまで、だな、はぁ、はぁ、この首は、フウザ、あんたにやるよ」
「団長ォォオォオオオ!!」
「うっせぇぞてめえら!
フウザも俺も、正々堂々戦った!
全力も出しきった、俺の人生最高の戦闘だったが、敗れた!
仕方ねぇ、こいつのが強かったんだ!
わりぃな、先に死ぬ!
後は頼むぞ!!」
アリヴェイナは副官の掲げる時計を見て、満足した。
稼いだ時間は30分程度。
避難民がオーランネイブルの勢力圏内と言って良い領域に安全に辿り着くまでに稼がなければならない時間は目標、一時間。
その半分は稼いだ計算だ。
都市内に残る兵、都市長を始めとした非戦闘員も含めて、グリンブルにはまだ千はいる。
グリンブルに散らばる者達千人を殺していれば、20分や30分はかかるだろう。
一時間が稼げた目算だ、アリヴェイナの計算では避難した民衆を追い掛けても、最早魔物の足であっても間に合わないだろうと予想される。
足の速い魔物が追い付く可能性はあるが、おそらく数は少なく、民衆の大半は助かる計算だ。
アリヴェイナは戦略的に見て『目的を達成した』状態であり、言うなれば“勝った”と表現しても問題ないのだ。
アリヴェイナの顔には一切の悔いもない。
「ふふ、分かるぞ、俺は成長した。
明らかに戦闘前よりも、俺は強くなっている。
貴様の首を取れば、俺は確実に一つ上のステージに上がる!!!!
感謝するぞ、アリヴェイナ。
お前が蟷螂族に生まれ変わったなら、俺の側近にしてやりたいくらいだ、人間は不味いから食わない主義だが、貴様は特別に食ってやろう、我が血肉となって、生まれ代わるがいい。」
「チッ、ごめんだね、それだけは。
俺は生まれ変わってもヒトになりたい。
さぁ、首を取ってくれ。
あんたに殺されるなら、戦士として本望だ。
願わくば、グリンブルにいる連中は、串刺しにはしないでもらえると助かる。」
「部下の命乞いはせんのか?」
「助けてくれるなら助けてやってくれると助かるが、あんただって魔物の軍勢を率いているんだろうし、人間を殺さずに逃がすなんて無理だろ?
…あんたにとってはつまらんかもしれんが、残りの連中は戦士としては俺よりもかなり弱い。
あとはそっちの仕事、消化試合ってやつさ。
さぁ、やってくれ」
「ふん…。」
兜を取ったアリヴェイナの首が、一瞬でポトリ、と落ちる。
断面は非常に美しく、フウザはその首が地面に落ちる前に鎌で器用にキャッチする。
城壁の上の戦士達は絶叫し、涙を流しながら、武器を構える。
一騎討ちが終われば、アリヴェイナが死ねば、残りは蹂躙されるだけの時間が始まるのだ。
アリヴェイナが時間稼ぎの為に一騎討ちを請け、ひたすら時間を稼ぎ目的を果たしたことは、残された戦士達は理解していたはずだった。
事ここに至っては、戦闘による時間稼ぎではなく、逃げながら戦うことによって遅延を謀る行動をとる、それが約束だった。
だが、都市の門の前を必死に固め、老人達で肉の壁となろうとしている都市長は既にこの場から離れたが、戦士達の大半はこの場で戦うことを選択した。
本来、都市内に魔物を引き込むことが民衆を守る術だと皆が理解していたが、彼らはアリヴェイナの死に様に触発されてしまった。
民衆の逃げる時間を稼ぐために、戦って死ぬ。
それに違いはないが、逃げながら戦うのではなく、堂々と戦って死のうと、皆が決意してしまったのだ。
「なんだ?」
「おかしら、連中、このまま城壁に突っ立ってるつもりですかね?」
「さぁな・・・俺はこいつの首で満足だ。
あとはお前らに任せる、好きに暴れろ。」
フウザは、明らかに自分がレベルアップし、大幅に成長した実感があった。
おそらく身体が成長しており、自らは休息に入るべきだと判断し、アリヴェイナの首を抱いて後方へと下がっていく。
間を置かず、あちこちから、悲鳴、絶叫、金属と金属のぶつかるような音、水っぽいなにかが破裂する音、繊維状の物が引きちぎれる音、重い物と重い物がぶつかったような振動音、様々な音が聞こえ始める。
明らかにフウザの側近達が抜きん出て強い。
アリヴェイナを欠いた城壁の防衛団兵士は多少の時間は稼ぎながら戦うことは出来たが、ロクに損害も与えられず次々に殺されていく。
「都市長。」
「あぁ。
アリヴェイナ団長はずいぶんと時間を稼いでくれた。
この調子ならば、魔物が避難した民衆に追い付く頃にはオーランネイブルは目と鼻の先だ。オーランネイブルには今、各都市から多くの兵が集められていると聞く、こうなれば大多数は助かったと見ていいだろう。」
「おぉ…。
では、我々は安心して死ねますな。」
「うむ、ここで団長の奮闘に報いるべく、やるべきことをやるぞ。
何、誰が先に逝っても変わらんし、順番は適当で構わん、すぐみんなアチラで再会できるじゃろ。
とりあえずわしが先頭に立つ、わしが死んだらお前達も順番にそうしてくれるか。」
「…、分かったよ、都市長…。」
都市長の計画は、画期的な提案でも、堅実なプランでもない、杜撰そのものと評されて問題ない作戦だった。
非戦闘員である彼らが可能な時間稼ぎの方法は、確実に死ぬことを前提としたものにせざるを得ず、練度の高い兵士達とは比べるべくもない拙いものであり、魔物を殺す作戦には成り得ず、ただ自分達の命でほんの少しの時間を稼ぐ為だけの作戦。
都市長は戦士ではないので専門的なことには明るくないが、見る限り蟷螂の魔物の部族は、亜人とは違う、ということに着目し、立案、都市に居残った者達はこれを快く承諾した。
フウザのような上位の存在以外の知能は低いのは間違いない。
ヒトは魔物にとって上等な食糧にならない、なんなら殺すと腐ってもいないのに耐えられないほど臭いと感じるほどの死臭を放つ邪魔な存在を、ただ殺す以上の手間、わざわざ串刺しにするような手間を掛けたがらないように見える。
『精神的ダメージを狙った手間のかかる作業』を敢えて行うのは、あくまで上位存在の指示によるもので、しかもアリヴェイナ達の演技によってあまり効果がないと感じている(実際は戦術の変更などを強いられ影響はあった)ようでもあり、好んで串刺しを行う下位の戦士はほぼいないようだと推測している。
美的感覚が云々と叫んでいた者はいたが、串刺しにするつもりなら、一騎討ちなど仕掛けず、大量に生け捕りにして一人ずつ殺して回っただろう。
そもそもそれほどヒトを狩ることに特に意義を見出だせないはずの蟷螂の部族は、何を指示され、何を目的にヒトを狩るのか?
優先目標は何か、と老人達と打合せた結果、蟷螂達の目的は、おそらく戦士の散り際に放たれる蒼き粒子が狙いなのでは、という結論に至った。
優先される目標は一般民衆ではなく戦士、それも有能な高レベルの戦士が狙いなのだろう、と。
レベリングに詳しい老戦士の言では、「戦士もレベリングに際し、初期は弱い魔物を目標にするが、高レベルになるとレベリングに要する粒子の量が多くなり、必然的に弱い魔物を敢えて狩りに行くことはせず、強い魔物を探して狩るようになる。
レべリング作業の邪魔ならば弱い魔物も排除はするが、邪魔でないなら放置する。
殺すと不快な魔物ならば尚更であり、武具の損耗やロスする時間を考えれば、レベリングのために狩る目標の周囲にいなければ手出しすらしないだろう。」と言っていた。
但し、ただの『群れ』だった魔物達が先遣隊を派遣するまでに組織だった行動をとるようになったところから類推するに、おそらく魔物は動線上に存在するヒトの命をすべからく狩るよう指示されて進軍している。
その話に納得した都市長は、都市の区画に戦士達を班に分けてそれぞれを距離を離して配置し、戦士の域に達していない者達は都市外縁にまばらに配置した。
魔物は大半が戦士の方に集中すると思われる。
手出しさえしなければ、老人や病人だけの集団は優先順位は低い。
優先順位は低いが・・・命令であるが故に殲滅は必ずやるだろう。
仲間内の戦士狩りの順位争いに敗れた者がおそらくその手の『煩わしい作業』に割り振られ、必然的にレベルの低い弱い魔物達が都市長達のようなレベルの低い存在を始末する『お掃除』を行うだろう。
弱い魔物と言っても、都市長達のような非戦闘員が武装したとて勝てる相手ではない。
都市長達の役目は、ただ時間をかけて死ぬこと。
死ぬことで魔物に忌避感を与える匂いを放ち、都市の破壊をなるべく減らす。
人間で言えば、よく忌避されるGだ。
とりあえず残りのないように駆除はしなければならないが、駆除する際に手間が掛からない方が、物を壊したりしなくて済むだろう。
まして、殲滅するだけが任務であり、殲滅した後に掃除をしなくても良い、死体放置可の案件であれば、ただ殺し尽くす作業が終わればそのまま放置して「あー、気持ち悪かった」と愚痴をこぼして次の任務にかかるはずだ。
処理にはいくら魔物でも少しは時間がかかるはずであり、死体にトドメを確認しながら『殲滅完了』というタグ付けを数分、数十分程度は伸ばすことは可能なはずだ。
伸ばせば伸ばすほど、避難した民衆が生き残る可能性を残すことができる。
魔物が東門廻りの城壁での戦闘を終え、都市内に侵入してきたのを双眼鏡で確認した都市長は、都市に残った者達に檄を飛ばす。
魔物達は多少の警戒をしながらゆっくりと都市内に侵入してくる。
城壁を越えた後は、より深くよりまばらに布陣した為、魔物達は大した抵抗も受けずに都市の中心部に到達する。
都市に残った戦士達、老人や病人は配置につくため、都市長の檄を受けた後は走り始めており、中心部はほぼもぬけの殻だ。
都市長は都市の中心から同心円の範囲、扇形に戦士達を配置し、その外側の外縁にその他を布陣、魔物の侵入速度、方向を確認しながら扇を広げ、可能ならば東門の周辺まで散る予定としていた。
「さて、出番かの。
みなはなるべくゆっくり来いよ。」
「さらばじゃ、都市長。
わしらも後から逝く。」
「子供や孫、その先の連なる者達のために」
おぉ、という喚声が響く。
都市長は生き延びて民衆を率いることは選ばず、真っ先に死ぬことを選んだ。
魔物がこのまま直進すれば一番に会敵する班の中に入ったのだ。
同じ班には、都市長と同じく都市の行政を司り、オーランネイブルからろくでもない重税などが課された際に、都市行政を維持するために一緒に奔走したベッティム商会の支店長も一緒にいる。
彼ももう30年、40年の付き合いのある親友だ。
責任者が真っ先に死ぬなど無責任だと言う者もいたが、全員死ぬことが前提の総決死隊であり、一分早く死のうが一時間早く死のうが関係ないだろう、と言うと、彼らも黙った。
都市長は己の先祖、父、母、子供でもあるグリンブルという都市が滅びるのをこれ以上見たくなかった。
なんなら痛みを感じることもない自害も考えたが、それをしては決死隊の士気も下がり、逃がした民衆への被害のリスクも上がってしまう。
班長を務める戦士は、都市長がこの都市を父親から継承した頃に都市防衛についた歴戦の戦士、そして自分の親友だった。
都市長とほぼ同年代であり、既に70歳で現役は退いていたが、レベルはアリヴェイナとそう変わらない。
ただ、技術は向上していてある程度レベルに見合った戦闘能力は維持しているが、若い頃に比べれば体力や瞬発力は明らかに落ちている。
フウザほどの強者が来れば別だが、相対する魔物次第ではある程度殺すことが出来るだろう。
抵抗できるほどの戦力を持つ戦士がいるとなれば、レベリング目的の魔物は寄ってくるだろうし、班長を除けば他の戦士はレベルは50程度の老戦士ばかりで、抵抗すればするほど増える敵に次々と討たれるだろうが、そうなれば後方の他の班が展開する時間も稼げるし、彼らがバラバラに展開し逃走に徹すれば、数分くらいの時間を稼ぐことはできるだろう。
「すまんな、迷惑をかけるがご一緒させてくれ。
この都市は今日滅びる。
わしはもう、これ以上都市が壊され、ヒトが死ぬところを見たくない。
そのような理由で責任者が自死にも近い選択を取ったこと、君たちには謝らせて欲しい。」
「なぁに、今更、じゃ。
次代の責任者たるお前さんの息子や孫は避難民たちを責任持って引率しとるんじゃろ、後は若いもんに任せりゃいいんじゃ、気にするな。」
「そうだな、倅はわしよりも余程上手くやるじゃろう。
…しかし、魔物の軍勢とやらは、これほど慎重に都市を歩くものなのか?
わしはもっと一息に飛びかかり、破壊して回り殺し尽くしていくものなのかと思っておったが…。」
「確かに、遅いな。
まぁ、魔物の中にも知恵のあるやつなら、初見の場所は警戒しながら進むかもしれん。
蟲系の魔物は、比較的知能の弱いやつが多くて、あのフウザのような知能を持った魔物は少ないはずなんじゃ。
不気味なのは、下位の蟲の魔物ですら、ある程度ヒト語を話している、ってとこじゃな。」
「そうだなぁ、班長の言う通り、普通、魔物ってのは奇声や鳴き声、叫び声を上げて襲い掛かってくるばかりで、なんも考えてないようにしか見えないんだよなぁ。
あれほどヒトのように喋ったり、指示を明確に認識して、それにちゃんと従って行動する、ってのは違和感があるのぉ。」
「やはり、そうなのか。
わしは蟷螂の部族は初見なんじゃが、普通はそうじゃよな、なんならいっそ交渉すら出来そうな知能に見えるが…。」
「連中、都市を破壊、殲滅していくのはレベリング…つまり自分達が強くなる、という目的以外に、何か指示があるんではないか?」
「探し物とか?
魔物の求める宝物は、ヒトの求める物とは異なるのかもしれん。
宝物庫が目的なら、あれほど街中を探しながらは移動せんじゃろうしな。」
「しかし、知能があるのならば、探し物があるならヒトを殺し尽くさず、都市に詳しい…それこそ都市長や行政を司るベッティム商会の支店の連中を捕らえた方が早いと思うのは目に見えとるじゃろ。」
ドン、という轟音がなり響く。
遂に魔物が現れたか、と覚悟するが、魔物達は一向に都市長達の前に現れない。
喧騒が近づいてくるかと身構えるが、魔物の喚き声に紛れて、ヒトの喚声が聞こえ始める。
「なんじゃ?
魔物は何処におる?
このヒトの声は誰の部隊の声じゃ?」
「今の音は都市外から聞こえたのではないか?」
「都市外じゃと?
なんじゃ、魔物同士で内ゲバか何か起きたのか?
朗報じゃの、魔物の数が減ってくれるのなら、それに越したことはないしの。」
「微かにだが、人の喚声が聞こえるな。
城壁に残った戦士が奇襲、逆襲に成功したのか?」
「いや、そんなことはないはずじゃ。
中央塔から双眼鏡で確認したが、アリヴェイナ団長が討たれた後、兵達もその場で戦闘に入り、かなり散々に殺されとるはずじゃ。
それほど強力な戦士はいても一人二人、反撃に移れるほどの数はいないはずじゃが…。」
「何が起こっとるんじゃ?」
「なんだお前は!」
「おぉ?
すげぇな、蟷螂が明瞭なヒト語を喋ってるぞ。
お前さん、かなり上位の存在だな?」
「俺様は、緑風のフウザ。
この軍勢の長よ。
名も名乗れぬとは、愚物め。
貴様は俺様がこの男の誇り高き戦いの余韻に浸っていたのを邪魔したな。
万死に値する。」
(将軍、ちょっとあいつヤバゲじゃないですか?
めちゃくちゃ知能高そうですよ)
(レベルも高そうだな、180~200くらいか、あの首の持ち主を殺して1段階強くなってレベルアップのクルールダウン中だろ、あれ。
変態前に遭遇して良かったな、ありゃ準守り神級から守り神級に進化する手前だぞ)
進軍し、蟷螂の軍勢を蹴散らしながら都市に残った者を救おうと急いだスタッグ達は、道中にいた下っ端も含め、既に相当数の魔物を屠ってきたが、特段強い個体はいなかった。
『名有り』は特別強いことも多いが、目の前の個体は二つ名まで名乗り、話し言葉は流暢かつ高度な知能を持ち合わせることを匂わせている。
既に驚異度は守り神級にすら感じるほどの威圧感を放っていたが、話を信じるなら“成り立て”だ。
スタッグは単独での守り神級討伐こそ無いものの、チームでの狩りでは既に18歳になる頃には果たしているし、軍勢での戦闘では既に10体以上の守り神級の討伐に成功している。
元々油断しないタイプの人間ではあるが、目の前の蟷螂は、成り立てとは言え油断ならないと判断し、武器はいつでも動けるように構えたままだ。
目の前の蟷螂の化物は、従来の蟲系の魔物とは一線を画す存在に見える。
魔物とて意志疎通に言葉を用い、概ね知能に伴ってその語彙、イントネーションは発達し、基本的にはヒトも魔物も『同じ意味の言語』を何故か発する。
上位存在になるにつれ知能も発達し、ヒト語が堪能な魔物もいるが、その大半はエルフやドワーフなどの亜人であり、ドラゴニュートやゴブリン、オークと言った知能の低い亜人や獣型の魔物はかなりの上位存在でもなければ明瞭な言葉を発しない。
それらと比較すると、目の前の蟷螂は明瞭なイントネーションで喋り、明確に自らの意志を示すし、恐らく苦戦して狩ったであろうヒトの戦士の首に敬意すら払っている。
文化を持った種族は、手強い。
それがスタッグの定説だった。
「ハリー、お前達は都市内に侵攻した魔物を討伐、急ぎでだ。
サミダン達は俺と、このフウザとやらを討伐する。
展開!!」
「はっ!!」
「緑風のフウザよ、俺の名はスタッグ。
この軍勢の将軍だ。
その首の戦士を狩ってご満悦のところすまないが、死んで貰う。」
「貴様達はヒトの、それも相当な強者だな。
昨日までの俺様なら敗れたことだろう。
だが、俺様はこのアリヴェイナを倒し、強くなった。
俺はまだ生きて、この男の子供を産まねばならん!
故に、貴様らを殺し、子の栄養にしてくれる!」
「子!?
おいおい、まじか、人間って蟷螂と子作り出来るのか!?」
「ひょっとして蟷螂のメスなんじゃないですか、あの個体…。
番の雄は交尾した後に殺されるっていうアレですかね…。」
「この男、アリヴェイナは、俺様との正々堂々たる一騎討ちで果てた誇り高き男。
この男の首から得た粒子から俺様の腹の中で育まれた子は、この男の子供の粒子を多く含んで育つのだ、アリヴェイナの子だと言って語弊あるまい。
粒子は受け継がれ、より強き者を生んでいく、俺様とアリヴェイナの粒子を受け継いだ子らが強力な個体になるのは、自明の理よ。」
「いや、語弊はあるだろ!
蟷螂の文化なのか知らんが…、そうか、その男は都市を守るためにお前さんに一騎討ちを挑んだのか。
…間に合わなくてすまなかった、アリヴェイナ殿。
貴君達の奮闘で、多くの命が助かったぞ。
戦士の一人として、礼を言う。」
周囲は、屍山血河、城壁戦で切り刻まれバラバラになった人間の死体と、スタッグ達近衛兵団の精鋭が蹴散らした蟷螂のバラバラ死体が山と積まれている。
周囲では今、先ほどまで人間を圧倒し刈り尽そうとしていた蟷螂が、近衛兵団に追い立てられ圧倒的な戦力で刈り尽されようとしている。
弱肉強食を地で行く惨劇が繰り広げられているが、スタッグとフウザはそれらを一顧だにもしない。
戦場で首しかない戦士に敬礼を送るスタッグと、敵であるはずのヒトの戦士の首を大事そうに優しく大きな平たい石の上に据える蟷螂が相対する絵は、周囲とあまりにかけ離れた雰囲気だった。
「ところで、お前さんは一人…一匹でいいのかい?
俺たちはその方が助かるがね。」
「我が種族は弱肉強食、強ければ食べ、弱ければ食われる。
側近たる雄は、先だっての他種族との闘争と交尾のあと、一騎打ちで戦い、俺様が勝利し、食った。
側近は既に貴様らに屠られた。
故に、これ以上は不要。
貴様らに屠られている我が子らも、死ぬならばその程度だったということ。」
「あれ全部あんたの子なのか、やっぱ多産の魔物ってすげえな。
あんたが単騎なのに申し訳ないが、俺らは五人がかりだ、すまんが大人しく狩られてくれよ。」
「そこらの雑魚と一緒にされるならば怒りもしようが、貴様らほどの強者が五人がかりならば納得もしよう。
高く見積もってくれたものよ。」
「行くぞ!」
スタッグ達の装備は、アリヴェイナよりも堅固な契約装備であるブルースチールという非常に硬いが鉄に近い靭性を持っているという合金で作られており、しかも使用されている重量は400kgを上回る。
赤色領で生産されるブルースチールで設えられ、王都で契約装備として術式が刻み込まれた一人一人特注された防具で、一揃えで前世換算で10億円は下らない高級な装備だ。
スタッグの武器は巨大なハンマーで、これはシルバーベルと呼ばれる赤の領地でのみ生産される金属を使用し、師であるバランギアが鍛え、作り上げ、送られた武器だ。
20年以上使用しているが、今まで欠けどころか擦り傷さえついたことがなく、メンテナンスと言えば血糊を吹いて肉片を洗い流すくらいしかしたことがない逸品だ。
スタッグが全力で振り抜いたハンマーは、鎧と武具のバフ、身体を強化する術式も合わさり、ヘッド部分の速度は時速300kmにも及ぶ。
弱い魔物ならばかすっただけでも粉々になるほどの威力を生む攻撃だが、目の前の蟷螂は、左前肢の鎌で受け止める。
サミダン達、スタッグの配下達もフウザの前後左右に展開し、スタッグの攻撃の合間に協力して斬り付けようとするが、槍はかわされ、大剣は右の鎌に切り飛ばされる。
斧持ちと長剣持ちの二人はカウンターでフウザに蹴り飛ばされ、重傷を負い後退を余儀なくされる。
「サミダン以外は下がれ、邪魔だ!」
「りょ、了解です、申し訳ありません…。」
「いい、いいぞ。
アリヴェイナ、見ているか!!
お前との戦いは俺様をここまで強くした、どうだ、嬉しいだろう!?
はははは、楽しい、楽しい!」
間合いが少し離れると、スパ、と言う音と共に、サミダンの槍も半ばで切り落とされ、サミダンのブルースチールの鎧に一直線の浅くない傷が奔る。
鎌の大振りはアリヴェイナとの戦闘時よりも早く鋭くなり、ブルースチール製の槍すら容易く両断するに至っている。
(不味いな)
スタッグは、オーランネイブルを昨日出立し、グリンブルに布陣するべく進軍していた。
蟷螂の種族はフウザを除けば、それほど強くない。
数は万単位だが、近衛兵団の精鋭たちであれば損害もなく圧倒できると見ている。
ただ、雑魚の処理こそかなうだろうが、目の前のフウザはあれらを一人で産んだという。
今この瞬間も進化の途中であるフウザを取り逃がせば、フウザ並み、あるいはそれ以上の魔物を生む可能性もあるし、逃がせば軍勢を再生産される可能性もある。
討ち果たさなければならない。
バランギアの察知していた軍勢はこんな数ではないため、本隊の幹部級は間違いなく強力な守り神級が多数いることが予測され、フウザ級の魔物が多数いるようであれば、近衛兵団の精鋭であってもおそらく多大な損害を出すことが予想される。
近衛兵団の精鋭達は色付き戦貴族直系に匹敵する非常に強い戦士達で構成された軍であり、守り神級の魔物の討伐も勿論可能なのだが、守り神級の魔物が多数編成されているようであれば、かなりの損害を覚悟しなければならない。
フウザ並みの魔物が多数いるともなれば、殲滅はかなり難しいだろう。
目の前のフウザは、おそらくレベル180~200の間だろうが、保有しているスキルや戦闘技術が並ではない。
通常、戦士が相対可能だと想定されている魔物のレベルの目安は、ヒトのレベルの倍程度まで。
それは、ただ単に人間の場合は魔物よりも優れたスキル構成・修練した戦闘技術がレベルに反映されにくく、熟練のヒトの戦士であれば、実質的に魔物のレベルで換算すると倍程度対応可能だろう、という一つの指標だ。
スタッグのレベルは既に180を上回り、武具も技術も窮まっている領域にいるので、対応可能な魔物のレベルは300程度までは問題ないと考えている。
フウザがレベル200だと考えても、その指標に従うならば単騎でも討伐可能な領域にはいるはずだが、フウザは今現在スタッグとほぼ互角の戦闘能力を保有している。
フウザはどちらかというと、ヒトのレベル計算に近い計算をしなければならない相手だ。
つまり、スタッグとフウザの実力はほぼ均衡している、ということだ。
「つええな。
お前さん、本隊の魔物どもよりつええんじゃねえか?」
「かもしれんな。
アリヴェイナとの戦闘は、これまでの戦闘とは一線を画すほどの成長を俺様にもたらしてくれた。
この都市での戦闘の前であれば、俺様より強い奴はいたと思うが、今の俺様なら、本隊の頭よりも強いかもしれん。」
「そうか。
なら良かった、お前さんより断然強いのがたくさんいたら、どうしようかと思ったぜ。」
「ふん、嬉しいことを言ってくれる!」
カキィン、とブルースチールの鎧が火花を上げて削れる。
アリヴェイナが装備していた鋼鉄の鎧よりも頑丈なはずの鎧が、それよりも早く切断されかかっている。
アリヴェイナとの戦闘を見ていた者がこの戦闘も目撃したのなら、その違いに目を剥くだろう。
大砲の筒を振り回すかのような巨大なハンマーを棒切れのように振り回すスタッグに、フウザは見事に対応している。
おそらく、蟷螂だというのに、纏いを非常に高レベルで習得し、使用している。
でなければ、ハンマーを受けた鎌が無事だとしても、蟷螂の身体であの衝撃を受けて身体がへし折れない理由がわからない。
スタッグのハンマーは、非常に硬い外骨格を持つ甲殻類の魔物の外殻ですら一撃で砕くほどの破壊力を持っており、鎌が折れないとしても、その衝撃を受け止めた身体は関節などが砕けるか、骨格の何処か弱いところが負荷に耐えられずに砕けてもおかしくない威力なのだ。
もしフウザのレベルの技術を持つ魔物が他にもいた場合、スタッグはともかく、他の兵達は耐えられないかもしれない。
サミダン達の武器を両断する鎌の大振りは確かに危険だが、スタッグならまだ単騎対単騎ならばなんとかなる。
だが、多数の魔物の侵攻で瞬時に蹴散らして対応可能なレベルではない。
邪魔が入ったら万が一も有りうる。
「サミダン、替えの槍を持って廻りの助太刀にいけ!
フウザは俺が抑える、指揮の代わりはお前がやれ!
俺達の戦いの邪魔をさせるな!」
「了解致しました!」
眼鏡を掛けた文官風の普段の姿とは異なり、サミダンはレベル160というレベルに相応しい戦士の姿をありありと見せており、今この瞬間も切り落とされた槍の柄を刺突武器のように使い、周囲の蟷螂を予備の剣でバラバラにするほどの実力だ。
フウザを除けばこの軍勢には敵はいないはずだ、他の兵の負担を軽減する意味でも、ここに居させる必要がない。
「俺様に絶対勝てるという自信でもあるのか?スタッグ。
配下を下がらせるなど、俺様をなめているのか?」
「逆だよ、フウザ。
お前さんの攻撃力は俺が見た中でもピカイチだ。
あいつらの鎧と技術じゃ防ぎきれねぇ、下手せるとブルースチールでも一撃で両断されかねないからな。
俺以外が相手になっても、俺の邪魔になるだけだ。」
「ほう?」
「だが、まぁ、俺の勝ちは揺るがんがね。
『震撃』!!!」
ドゴン、という轟音と、地震とも見紛うかのような地面の震動に、周囲の敵も味方もが動きを止める。
いくら蟷螂の魔物が足が多く安定していると言っても、倒れこそしないが震動の中で戦闘が出来るほどの技術はない。
スタッグのハンマーは一切地面にめり込んでおらず、特殊なスキルを使用したのだとフウザは察し、4本足で身体を支えながらすぐさま後ろに飛び、逃げすさろうとした。
が、スタッグのハンマーは間を置かず一瞬のうちに切り返して振るわれ、一回転し叩き付けられる。
フウザですら対応できないほどの高速で振るわれた巨大なハンマーは、フウザの上段受けを避けて、そのままフウザの左中肢と左後肢へと直撃、2本の脚はへし折れて千切れ、バランスを崩して倒れる。
「ぐああぁ!!」
「貰ったぞ!!」
「ぬぐ、まだだ!!」
フウザの口から、白い糸が吹き出される。
白い糸はまるで蜘蛛の糸のように粘り付き、射出した勢いのままスタッグの腕の勢いを削ぎ、高速で振るわれるはずだったハンマーの動きを鈍化させる。
「ぐぬっ!?」
「スタッグの首、このフウザがいただく!!」
その隙を狙いフウザが鎌を首に飛ばすが、それを察したスタッグは鎧の特殊機能を発動させ、首襟を保護する出し入れ式のカラーを飛び出させ、首を守る。
キャキィン、という甲高い音を上げて振り抜かれた鎌の軌道にあったカラーはほぼ切断され、振り上げていた腕の裏側とカラー部分のブルースチールはほぼ完全に切断された。
中身が無事だったのは、ブルースチールの強度のおかげだ。
防がれたことに内心舌打ちをしながら、逆の右の鎌を振り上げようとしたフウザだったが、失われた下肢の影響で速度が大幅に遅れ、スタッグにパリィングされてしまい、体勢を完全に崩し、巧みに操られたハンマーの一撃で右肩から先を失う。
フウザの六本の足は、失われようとも時間をかければまた生えてくるが、スタッグのハンマーの重量・速度・衝撃は今まで経験したことのないものだった。
フウザはあまりのダメージに硬直してしまった。
スタッグを目の前にして足を三本を失ったことは致命的だった。
ドン、という轟音と共に、真横に振るわれたハンマーでフウザの頭が微塵に吹き飛び、更に逆胴に振り抜かれたハンマーで胴と左鎌を引き千切る。
「はぁ、はぁ、敵将緑風のフウザ、このスタッグが討ち取った!!」
「うおおおおおおお!」
スタッグは周囲の魔物が順調にサミダンや配下達に討伐されていることを確認すると、フウザの遺骸から降りしきる蒼き粒子の雨の中、地面に座り込んだ。
自分の疲労とダメージを勘案し、今後の戦術を考える。
スタッグが先行して率いてきた近衛兵団は約半分、4000の兵は精鋭だ。
後方支援部隊は全てオーランネイブルに置いたまま、最も早く辿り着けて最も早く戦端を開くことができる者、つまり戦闘要員の上澄みだけを連れてきた。
精鋭4000の兵達は、例えその半数の2000であっても橙色領の総兵力すら上回っているが、比較対象とする橙色が本来弱すぎるのであって、他色であればフルメンバーでようやく一軍に値する程度。
語弊無く言って近衛兵団は弱くはなく、戦力として侮れる要素もなく、間違いなく強いと表現できるが、色付き戦貴族直轄の軍勢と比較すれば同数比較で平均値を超えた程度だ。
橙色領直轄の軍勢も、流石に一般兵よりは確実に強いが、各領を代表する軍勢は本来、数も質も近衛兵団に匹敵するか超えていなければならない、という定義からすれば、大きく劣っているのは問題がある。
12いる色付き戦貴族の内、近衛兵団と比較して質も量も高水準にあるのは大体上から数えて6~8位まで。
元々国王の私兵に近い形で設立された近衛兵団は、バランギア卿がある程度拾い上げて鍛えている王都の学園出身の者を拾って選抜し、鍛え上げられた上で構成されているが、設立の経緯からしてあまり数が多すぎると問題になる為、数に制限がある。
引退者・教育者へと移行した予備役2000を保持しつつ1万を正規人員として計上している。
人員の入れ替えや編成替えがあった際には、最前線の視察兼応援ということで年中出向していることで質面を強化することで高水準を維持しつつ更に上を目指し質の向上を目指している。
が、そう言った点から、ピンポイントに存在する軍としては練度も高くとも、薄く広げて使える軍ではない。
各地の領の正規軍が正常に稼働している状態で、+αで近衛兵団が最前線近くで攻勢に出ることで余剰効果を発揮する編成なのであって、領を防衛する正規軍が正常に稼働していない状態で近衛兵団だけで守勢に回ればかなりの戦闘能力の低下は免れない。
雑魚は間違いなく問題なく蹴散らせるが、守り神級の魔物の中でも更に上位に食い込む魔物が存在すれば、スタッグが相対せざるを得ないが、スタッグは一人しかおらず、複数の強者が存在すればそれら全てに対応することは不可能。
まして、全てをスタッグが対処したとしても、スタッグが負傷・死亡すれば軍としてかなり大きな損害を受けながら撤退することになるだろう。
フウザの言では、フウザほどの強者は流石にそれほど数はいないようだが、少なくともフウザが上下の評を付けられないような魔物は1匹以上いる。
軍勢として数十万はいると思われる本隊、それもフウザ級の魔物が複数いる軍とこのまま衝突するのは見通しがかなり悪いと言って良さそうだ。
スタッグはフウザの鎌を引き千切って回収し、部下に戦利品として管理するよう指示し、気合を入れると、治療もせずに残った蟷螂の軍勢に襲い掛かる。
「何をするにしても、こいつらは殲滅せんとな。
悪いがフウザよ、ここにいるお前の子供達は全て殺す、恨んでくれるなよ。」
目の前の軍勢を蹴散らして、オーランネイブルに向けて撤退し、近衛兵団本軍と合流、橙色領の兵を防衛に終始させ『盾』としての役割を果たしてもらう。
近衛兵団は本来の役目通り攻撃を担い、『矛』として敵を打倒する。
バランギア卿からまた別の指示があるかもしれないが、現況、橙色領近隣でまともに戦闘をしようと思えば、それしかないだろう。
サミダンだけでも蹂躙される一方だった蟷螂・・・フウザの子達は、スタッグの参戦で比較的強力な個体も次々と討ち取られ、ろくな抵抗もできずに次々に討たれ続けるも、フウザの子らしく逃げずに勇ましく最後の一兵まで戦い、全滅した。
戦闘が終わるまでに要した時間は4時間ほど、近衛兵団所属の戦士達の平均キルレシオは5を上回り、後続の後方部隊の到着を待ちながら、都市内のクリアリングをすませた。
「流石フウザの子、ってとこか。
皆勇ましく逃げずに向かってきたな。
敵ながら天晴、ってやつだ。」
「クリアリング完了、確認できました。
将軍、お疲れ様でした。
また、都市内クリアリング中に発見・保護しましたが、グリンブル都市長であるグリンブル殿が生存しておられました。」
「こちらの都市長が逃げずに生き残っておられたのか?」
「はい。
また、後方部隊のほうでも、避難民をを保護したと連絡がありました。
一旦オーランネイブルで防衛戦を構築するべく準備している、とのことですが・・・。」
「そうか。
とりあえず都市長に一度会おう、案内してくれ」
「グリンブル都市長のグリンブルでございます。
魔物の軍勢を退けていただき、近衛兵団を派遣してくださった国王陛下、率いてこられましたスタッグ将軍閣下、近衛兵団の皆様に心よりの感謝を。」
おそらく最後の一矢となるべく準備をしていたであろう武装した非戦闘員、老兵、老戦士を従えた老人が膝をつき、頭を下げる。
死を覚悟し、散る準備の出来ていた者特有の気配がまだ抜けていない。
「この度は大変な苦労をされましたね、グリンブル殿。
奮闘し、都市を守った貴方がた全ての戦士に、感謝を。
ここにいない、散った戦士達に、哀悼を。
あの強者“緑風のフウザ”を留め、避難民の逃走の時間を稼ぎ、我々の到着まで保たせてくれたアリヴェイナ殿と兵達、戦士達には、本当に感謝という言葉以外に捧げる言葉がない。
・・・魔物に抵抗の一撃を刻んだアリヴェイナ殿の首は、フウザが大事に持っておりました、グリンブル殿、弔っていただけますでしょうか。」
即席で作られた木箱に、戦士のマントで覆われたアリヴェイナの首。
それを確認すると、グリンブル他老兵、老戦士達はみな感謝を述べながら号泣し、崩れ落ちる。
「遅くなって申し訳ない。
多くの勇士が亡くなられたこと、誠に残念でなりません。」
「いえ、閣下は、王都から来られた軍団の長。
遠く離れた地から国王陛下の命を受けて救援にきていただいたのです、文句を言うのは筋違いというもの。
我等が弾劾すべきは、たった、ほんの少しの距離にいるはずの、しかも自らの守るべき所領であるはずのグリンブルを手中に収めているヴェルヴィア様でございましょう。
1万もの軍団を王都からわざわざ派兵していただいた国王陛下には感謝しかございません。
一方、軍団であっても1日もかからずに派兵できるはずのヴェルヴィア様には、その逆、怒りしかございません。」
「そうです。
我等戦士が自分の故郷を独力で守れなかったのは、この領、この都市を守護していた我等戦士の責任。
閣下が謝られるのは、筋が違います。
我等こそ、閣下や皆さまに感謝する側です。
ヴェルヴィア様は領地を守らず、領民を守らず、引き籠ってばかり。
そんなもの、この世界の色付き戦貴族として認められませんでしょう、少なくとも、最早、我々にとって彼の御方は領主ではないと言ってよいでしょう。」
しかし、そう言いながらグリンブルや行政長、老戦士達は拳を握りしめ、頭の血管が破裂するのでは、というほど歯軋りをし、肺の空気を絞り出すかのように唸る。
「我々は、橙色領に住まう者なのです。
散々に絞られ、なじられながらも、生まれ故郷を捨てられなかった者です。
本来、閣下のお言葉は、先に橙色戦貴族の当主であられるヴェルヴィア様から聞くべきもののはず。
だと言うのに、ヴェルヴィア様は前線に兵を送るのではなく、兵を削りオーランネイブルに送れという無茶苦茶な命令を下すのみ。
兵をまとめてから出兵するのかと思えばすぐ近くであるはずのオーランネイブルから出兵せず、助けに来ていただけたのは王都から派遣された将軍閣下と皆さんだけ・・・。
私は歯痒いです、閣下。」
「スタッグ将軍閣下。
都市長の涙は我等一同のものとお考えください。
我々はこの一年に既に二度も戦の被害に遭いました。
前回は被害報告を上げろという指示のみで、戦士達の補充、駐在も、弔問もありませんでした。
今回に至っては、防衛の為の兵はほぼ強制的に招集され、アリヴェイナ殿達のような有志だけが防衛に残っていただけなのです。
それも、残ってくれた兵達に対して、『領都の登録から抹消し、除名する、栄達の目はなくなった』だの『命令に逆らった兵に厳罰を科さない俺の優しさを恩に着ろ』、『オーランネイブルに集結しない者は地方で死ね』などと言った手紙まで送ってくる始末。
我々は、まだ、彼のお方を戴かねばならないのですか!?
閣下へ訴えかけるのは間違っているかもしれません、しかし、我々はもう耐えられません!!」
「行政長殿の言う通りです、スタッグ将軍閣下。
我々グリンブルの民は、防衛の要であったアリヴェイナ団長を失い、彼が鍛え率いた軍勢も、蟷螂達と戦いほぼ全員が死にました。
残っているのは、この場におりますこの老骨を含めた老戦士のみ。
若者たちは批難させましたが、アリヴェイナ殿と共に死んだ故郷を憂う者達があまりにも無念だったと、心残りでなりません。
我ら一同、元より命は捨てる覚悟、御指示あれば捨て石になる覚悟です!
死ねと言われれば即座に自ら首を切り落とし魔物に死骸を晒しましょう!
我等に出来ることはなんでも致します、どうか、都市を奪われたグリンブルの民達を、他領へ連れていっていただけませんでしょうか!」
「「「お願い致します!!」」」
グリンブル達の訴えは、非常に力強いものだ。
グリンブルという都市の民は、アリヴェイナや都市長、ベッティム商会の行政長達の迅速な判断により、都市に決死隊として残った者以外にはほぼ死傷者を出していない。
若者を中心とした戦士はまだグリンブルの戦力として十分でないとしても、数としては3~4割は維持できている。
しかし、もし次の魔物の侵攻があれば、最早、都市防衛も叶わず、都市民の心が持たない、ということだろう。
「その件は、私から王都にお伝えしておきます、グリンブル殿。
…貴方がたにも多く言いたいことはあるかと思いますが、非情なことを申しますが、避難の準備を始めてください。
魔物の軍勢が近付いてきております。
幾度も苦労を掛けてしまいますが、ここに留まるのは危険が多い、グリンブル殿達も避難していただけないだろうか。
…亡くなられた戦士達の弔いは、私たち近衛兵団にて、可能な限り丁寧に進めておきます。
死んだ戦士達のためにも、命を護っていただけまいか?
お願い致します。」
「…戦士達の亡骸の弔いは、我々の手でさせていただけませぬか。
資材の準備がございます、せめて、それだけでも。」
「・・・わかりました、但し、魔物の軍勢が確認されましたら、必ず、避難してください。
それだけは約束していただけますか。」
「分かりました、お約束致します。
ご迷惑をお掛けしますが、宜しくお願い致します。」
城壁で死んだ兵達だけで千数百。
都市内で遅延行動のために死んだ者が200。
蟷螂の持ってきた串刺しの死体、とその運搬をしていた元戦士達、盾にされていた女性も早々に皆殺しにされていたため、その遺体も400ほどある。
合わせて大方二千の遺体が転がっている計算となる。
全て丁寧に埋葬するには本来日にちがかかるが、戦時であるので、可能な限り記録だけ取り、合同で弔いを行う。
遺体の回収に関してだけ言えば、比較的早く完了した。
敵は蟷螂なので、遺体がバラバラになっていることもあり、非倫理的と言われるかもしれないが、バラバラの遺体は袋詰めされて運搬され、比較的スムーズに終わったのは皮肉と言うかなんと表現して良いのか分からない。
グリンブルの共同墓地は、少し都市から離れた小山だ。
山の麓で火葬し、その燃えかすと骨を砕いた物を山に埋め自然に返すのだが、遺体が余りに多く、火葬に要する燃料の用意に時間がかかる。
都市に残っていた材木や壊れかけの荷馬車などを人力で牽いて、布などでひとまとめにし、油を掛けて燃やしていく。
遺体袋を小山に並べて下ろす班、燃料・木材などを運搬する班、遺品を整理し分かる範囲で遺体の特徴を記録していく班、使えそうな遺品を集め予備武具として荷馬車に収納していく班に分かれる。
埋葬の準備が整ったのは翌日の夜で、いつ魔物の襲撃があるのか不明であるため、準備が出来次第、火葬し、遺灰などを共同墓地に掘られた穴に埋葬していく。
大きなキャンプファイヤーのような櫓が多数組まれ、着火し、あちこちで炎が巻き上がる。
ヒトの遺体を焼く匂いは、人間にとって嫌悪感を抱く匂いだ。
だが、放置され腐り果てるよりは、獣に食い散らかされるよりは良いだろう。
残された都市の民にとって、心の区切りが必要なのだ。
吹き上がる火の粉と熱風が、残された人々の心の澱も焼き尽くしていく。
「この度は戦士達の弔いに大変なご助力をいただき、ありがとうございました。
亡くなった者達の遺族に代わり、将軍閣下に感謝申し上げます。」
「いえ。
彼らの奮闘なくして、避難民の方々の命はなかったことでしょう。」
残っていた者達は、ある者は涙を流し、ある者はこの事態を招いた領主への怒りに震え、ある者は精神を病んだのか呆然としたまま空虚を見つめる者もいた。
火が消え、燃え尽きた木々と遺灰が回収する作業が開始される頃には、皆やる気を取り戻したようで、区切りはついたということだろう。
都市長であるグリンブルは、記録係から戦士達の遺髪の入った飾り箱を受け取り、ベッティム商会の行政長と共に今後についての打合せを開始していた。
それを眺めていたスタッグは、強い者達だな、と思った。
ロートルとして死ぬことを選んでいた気持ちを、持ち直したことだけでも賞賛に値する強さだ。
弱きヒトが強き魔物に狩られ、弱き蟷螂が強きヒトに狩られ、強きヒトがより強き蟷螂に狩られ、より強き蟷螂もより強きヒトに狩られる。
この世界は本当に強さが全てに長じる。
フウザを単独で討ち倒したスタッグは、フウザと戦う前よりも、更に強くなった。
こうして、この世界の戦う者達は倒し倒され、強くなり死んでいく。
この力があれば、更に強い魔物にも対応することができる。
フウザの子の蟷螂達を討伐したことで、編成したての近衛兵団の精鋭達の練成と底上げも進んだ。
衛星都市グリンブルを墓石に死んでいった戦士達に、お前達の無念を晴らし、仇を討つ、心にそう誓う。
スタッグは、埋葬され一塊の丘となった遺灰の前に歩み出すと、生存者達は皆、スタッグに続く。
全員、膝を付いて胸に手を当てる。
全員が誓う。
魔物の軍勢を退けた後、必ず、墓を建てに戻る、と。
ドスン、と、遺灰の前に太身のバスタードソードを突き刺す。
アリヴェイナの持っていたバスタードソードを、従軍していた鍛治が簡単に修復し、保護コーティングを施したものだ。
それを見送ってから、スタッグ達近衛兵団とグリンブル残存者はオーランネイブルへと急ぐ。
生き残った者達に、最早ここに未練はない。
戦場は、オーランネイブル近郊へと移行した。




