28話 赤色交渉
翌朝、日が昇って間もない時間帯。
私は一人で、ネーブルオレンジの最も大きな館、橙色戦貴族当主ヴェルヴィアの座す領館のすぐ向かいにある館の門扉を前に立つ。
それほど高くない塀に、背の高い植栽で囲う、国の大英雄の館としてはかなりこじんまりとした洋館。
橙色戦貴族当主の館の目の前にあり、多くの人通りの傍にあると言うのに、建物に近付くと急速にシン、と静まり返った雰囲気へと変わる。
そのあまりの落差に、違和感を抱かずにはいられない。
私の索敵や『アレラ』の調査では、この洋館の敷地内には、ヒトの気配は一切ない。
いくら国の大英雄殿の館とは言え、常時駐留するほどの役割は課されていないのだろうし、もし役割があるのだとすれば、橙色戦貴族の催しの招待を受けた際に宿泊するためのものであったり、今そうしているように何かしら任務を負った上で使用するためのものだろう。
故に、これは各色の領地に設置してある出張所、詰め所の一つであり、重要な拠点扱いはされていないと思われる。
庭園も外部に面する部分に集中的に配置されていて、館の前には500人くらいは余裕をもって整列しても問題ない程度の広場のようなものがあるので、場合によっては配下の兵を集合させることも想定して造営されているのだろう。
本邸や別荘ならともかく、そんな出張所のような場所に常駐のメイドや執事などは置かないだろうから、今日この時にヒトがいない、というのは当たり前なのかもしれない。
が、この静けさは、自然の音さえも何か作為的に感じられ、言ってみれば限りなく“本物”に近いが“本物でない”、不気味の谷に近い不快感を感じるような、そんな感覚だ。
門扉の前に立って数十秒も経つ頃、誰も手を添えてもいないというのに、目の前の重そうな門扉は音も無く開く。
中に入ってみても、不自然に自らの足音だけが聞こえる。
あれだけ多く植わった植栽が風を受けてもほとんど動いておらず、葉と葉が織り成す自然の音すらがない。
まるで、出来損ないのヴァーチャルの世界にでもいるかのようだ。
中央の洋館は、ネーブルオレンジの建築様式に漏れず、オランダ風の建築になっており、屋根は橙色、外壁は真っ白。
この領の定石を崩すことなく、しかし華美なところはなく、赤く染められているわけでもない、橙色領の定型をそのまま基調とした、この都市では在り来たりな建物。
が、敷地に入った瞬間から、表現しにくい、なんとなく赤いイメージの張り付いた気配が空気に滲み出ている。
戦場によくある匂いは一切しないというのに、血の香りのようなものを嗅いだような気がした。
その香りは恣意的に私にまとわりつくように撒かれたのか、と感じるほど、私の周囲に留まっているかのように感じる。
緊張から洋館の扉の前に着くと、ゴクリと生唾を飲み込まざるを得なかった。
覚悟を決めてノックをする。
館の扉も、門扉同様に自動的に開いていく。
扉を開けた先には、広いロビーがあり、上階へと続く左右の階段から上階廊下へと繋がる踊り場の欄干にかけて、石造りの手摺には見事な彫刻が施されている。
それらを見上げていくと、目的の人物は立っていた。
血よりも濃い深紅の長い髪、赤銅色の肌、ルビーよりも濃い赤い瞳、真紅に染められた中国風でもあるような和風でもあるような着物とチャイナドレスの合いの子のような高そうな装束。
噂にたがわない、全身真っ赤で真っ赤な装いだ。
後ろ手に手を組んでおり、武器を帯びていることもなさそうだが、その赤い瞳に捉えられた時点で、私は負けを悟った。
おそらく、速度では勝てる。
が、近付いた場合の想定をいくつかシミュレーションしてみても、吹き飛んでいる自分か、その場に崩れ落ちている自分か、首の無い自分しか思い浮かべられない。
逆にここまでとなると、緊張していた身体は力が抜け、自然体で歩み出ることが出来た。
これほどの力量差があれば、対峙すれば死は免れないだろうことはすぐ理解できる。
抵抗、・・・緊張するだけ無駄だ、死んだつもりで接した方が早い。
そう思い顔を上げたが、自然な笑顔を出せただろうか。
「ようこそ、御客人。」
「失礼致します。
初めまして、わたくしは灰色戦貴族領カンベリア領主、アキナギ・ヒノワ様の使いとして参りました、フミフェナ・ペペントリアと申します。
テラ・バランギア・ラァマイーツ様でいらっしゃいますでしょうか。」
「いかにも。
私がテラ・バランギア・ラァマイーツだ。
国王陛下から『赤色』を賜っている。」
「この度はお忙しいところ、お時間を作っていただき、ありがとうございます。
歴史に燦然と輝く戦歴と実績をお持ちの大英雄、バランギア卿にお会いできるなど、戦士の端くれとして、まさに光栄の至り。
歴史書にすら謳われる閣下とお会いできるのを楽しみにしておりました。
本日は宜しくお願い致します。」
「ははは、まぁ世辞は受け取っておくとしよう。
私も君に会えるのを楽しみに待っていたよ。
『王城』でも話題に上っていたフミフェナ・ペペントリア嬢から、こんなところでアポイントを貰えるとはね、想像もしていなかった。
・・・つまらないと思っていたこの出張に、価値も生まれたというものだ。
さぁ、ついてきてくれたまえ。」
昨晩、既にバランギア卿に挨拶がしたい旨をヴェイナーに伝えてもらったところ、すぐさま承諾が得られ、朝7時、私本人が一人で館に来て欲しいと指定があり、今こうしている。
元々一人で来るつもりだったが、それはこちらの考え。
この御仁が私を一人でここに来させた理由は今のところ分からない。
どういった事を言われるか悩んでも仕方ないか、と覚悟を決めて訪問したのだが、この館は不気味に過ぎる。
この館には、門番やメイド、家令といった者が一切いないのは、やはり間違いない。
感付かれないよう細心の注意を払って調べてみたが、一切の気配がない。
バランギア卿クラスの戦士が隠れているのであれば話は別だが、そんなレベルの戦士がバランギア卿以外にもポンポンいるとなれば私の自尊心は粉々に砕け散るだろう。
一般的に考えれば、館の定期的な手入れをする人員だけは出入りしているはずだ。
元々いた者に暇を出したというより、彼が使用するとなった時以外は、年に数回程度の定期的な手入れの時にしか人がいないのだろう。
それらは事前に分かっていたことだが、中に入ってみると、更に、この場を特別不気味にさせていることがある。
『この館には、彼を除く一切の生命体は存在していない。』
虫や小鳥、雑草やキノコ、果ては菌類やウイルスなどまで含めても、館内には一切見当たらない。
なんなら、館の外であってもそうだ。
この館を取り巻く塀に何かしらの結界のようなものが張られているのかもしれないが、塀から内側にはヒトを本能的に恐れを感じるような、生命の希薄さで染められている。
館を取り巻く植木や植栽も一年を通して花も付けず葉もほとんど落ちない常緑樹しかなかったこともあるが、それは違和感を誤魔化す為にそういった物しか植えていないのだと確信できる。
おそらく、植物は私達の知る生命としての植物ではなく、成長も、芽吹きも、枯れもしない風景としての植物なのだ。
そして、館の中も彼の案内に従って歩いている道にはフカフカの目の冴えるような赤い絨毯が引かれ、バランギア卿の履く硬そうな靴底は一切の音を立てない。
自分達二人の鼓動や衣擦れの音以外、何の物音も聞こえない。
まるでこの館の中だけ、時が止まったような風景だった。
彼の案内に従い、2階の応接間に通されると、そこには既に食事の用意がなされていた。
「席についてくれたまえ。
そうそう、これらは君と朝食を食べようかと思ってね。
調理したのは私だが、料理には一家言あるんだ、食べて感想を聞かせてくれるかい?」
「バランギア卿手ずからご用意いただいた朝餉を食せる機会を得られたとは、光栄の至り。
是非とも、御一緒させてください。」
「・・・君は『鑑定』が使えたんだったかな?
なに、館の中の者は全員今日は暇に出していて、全て私が用意し、作った食事なのだが・・・。
毒や寄生虫の心配をしていないかと思ってね。
何も入れていないつもりだし、私の方でも一応鑑定はしてあるが、もし不安だったら気にせず『鑑定』を使ってくれたまえ。」
「いえ、バランギア卿をご信頼し、そのままいただきます。
お気遣いありがとうございます。」
高級な変木で作られ、熟達の職人が技術の粋を集めて作ったのであろう食卓には、黒漆の膳が置かれ、黒漆の箸、黒い陶器の茶碗に盛られた白飯に、赤漆の椀に注がれた味噌汁、艶のある漆黒の焼き物の皿に目玉焼き、大根おろしの添えられた焼きシャケ。
少し古い現代風の日本食、それを分かり易く再現した食事だ。
膳も漆塗りの盆が使用されており、全ての食器も和風の焼き物・漆塗りの物であり、更に言えば添えられている漬物もおそらくきゅうりの浅漬けのようなものだろう。
これらに関しては、灰色領ではよく生産され、販売されている『和風』の品々だが、他領には他領の風土や風習があって、あまり利用されていないと聞いていたが、バランギア卿はフミフェナの転生前の出身地まで知っているぞ、という脅しだろうか。
バランギア卿に合わせて着席し、同時に手を合わせ、いただきます、と言った後、箸をつける。
全てが完璧に調理されている。
料理人のような究められたノウハウは分からないが、おそらく目の前の真っ赤な男は、何十年何百年と自分で自炊してきたのだろう。
バランギア卿よりも少しだけ遅く食べ終わるように時間調整し、ほぼ同時に食べ終わる。
こちらの体躯も勘案した料理、そして量だったのは、既に下調べも済んでいるぞ、という暗喩だったのだろうか。
「ふむ、やはり、君は日本からの『来訪者』、だな?
同郷・・・と言うには時代が異なるかもしれないが、私も日本人でね。
同郷の士に会えたこと、嬉しく思う。
隠していることではないから知っている者も多いが、何分こちらの世界に来てからの話ばかりされるのだが・・・、やはり日本出身者と会うと望郷の念に近いものは感じるね。」
「あ、はい、日本人・・・でした。
なるほど、バランギア卿も同郷だったのですね。」
「あぁ。
まぁ、君達の世代とは生きた時代が違うかもしれないがね・・・。
さて、食器はそのままで結構。
早速、君の要件を聞くとしよう。
楽しい話題だといいのだけれどね。」
「それでは・・・質問をよろしいでしょうか?」
「はは、話の早い子は好きだよ。
・・・うむ、私に答えられることならば。」
「率直に申し上げます。
閣下のこの度の橙領訪問の御意図をお伺いできませんでしょうか。」
「ふむ。
君の立場とここ橙色に来た理由を、君の口からもう少し詳細に語ってくれるかね。
それに合わせて回答することとしよう。」
「は。
今回、わたくしは灰色戦貴族本家次期当主であられるアキナギ・グレイド・アマヒロ様、並びに灰色戦貴族筆頭戦士であられるアキナギ・グレイド・ヒノワ様の特使として、橙色戦貴族領に派遣されました。
ご存じかもしれませんが、灰色戦貴族領と橙色戦貴族領間で、大規模な食糧輸出入取引の契約が交わされたのですが、契約履行に関して、契約時点で判明していなかったトラブルの可能性があると、とある情報筋から情報を手に入れました。
相互にトラブルが発生する前に解決するべく、現地に来た次第でございます。
トラブルの内容と言うのは・・・。」
「橙色戦貴族本家がお取り潰しになるかもしれない、その審議が近々行われる。
そう言った噂を聞いた。
君のまとめた契約は、ベッティム商会との大規模かつ継続的な商取引。
橙色戦貴族と広範にわたって連動しているベッティム商会にトラブルが発生すれば、不渡りが発生する可能性がある。
君はそれを避けたい。」
「その通りでございます。」
「耳の早いことだね、まだ王都廻りの情報通くらいしか知らない情報のはずだが。
で、君としては、どう言った形に収束させたいのだね?」
「・・・主であるヒノワ様の御意向は、灰色戦貴族領の農家達の努力の結晶であり天の恵みでもある成果物、農作物を廃棄することはしたくない、可能なら無駄にならないように処理したい、とのことであります。
本年、灰色戦貴族領では、農作物の収穫量が領内で消費するには過剰な生産量になっておりまして、全量領内で処理しようとすると、廃棄もしくは相当な相場価格の下落や過剰在庫を抱えることになります。
廃棄は可能な限り避け、無駄にならないようにするとなると、領外へと輸出する方策が無難だという結論に至り、農家・商家の負担を減らす為、領外への販売先を探しておりました。
そこにたまたま、こちらの橙色領のベッティム商会の商会長であるノルディアス殿からアポイントがあり、灰色戦貴族領で生産された余剰食糧について大規模な輸出を行うという商取引契約を結んだ、という経緯がございました。
ただ、契約は結んでおりますが、橙色領へのみ限定して食糧を輸出する、というつもりではございません。
もし橙色戦貴族がお取り潰しとなるのであれば、その一翼・・・いえ、行政のほぼ全ての処理を行っているベッティム商会にもその責は波及すると考えられます。
輸出作業は既に準備に入っており、早ければ明日にでも第一便が発つ予定です。
橙色戦貴族とベッティム商会が連動してお取り潰しとなれば、我々灰色戦貴族領は輸出した食糧の代金を回収することが出来ません。
また、ベッティム商会が潰れる、潰れないという状況になれば、『組織の内の問題』に躍起になることは間違いありませんし、そうなると組織の外のことなど問題にしている暇はないでしょう。
彼らが為そうとしていた、民衆への食糧の安価供給も停止してしまう可能性が高い。
となれば、様々な人・物・時間が『無駄』になってしまいます。
どう収束させるか、とのご質問でございますが、こちらの要望としては、二点ございます。」
居佇まいを直し、バランギア卿を見る瞳に力を入れる。
全身真っ赤の男は、続けろ、というように顎をしゃくって見せた。
「一つ、行政を担い、そして民衆の為に動いていたベッティム商会を安堵いただきたい。
彼らは、どれだけ虐げられようと、テンサール家に忠誠を誓い、初代から今までの期間、代々一翼を担ってまいりました。
領全体の行政機関そのものでもあり、彼らを除外するのは橙色戦貴族領の後継を考えると実務を担う者、それの管理者を失うことになり、領の運営上ダメージが大きすぎると思います。
二つ、橙色戦貴族領における収税を5年、いえ、10年単位の減税もしくは免税の処理をお願い致したく。
橙色戦貴族領のダメージは、私どもの試算ではヴェルヴィア氏の上げた報告の数倍はございます。
とてもではありませんが、ヴェルヴィア氏の報告書の通り納税したのでは、領を維持運営していくのは予算的に不可能でございましょう。
更に、元々、橙色戦貴族領の税収のほとんどはベッティム商会の上げた売り上げで保たれていたはず。
彼らが橙色領主の為、領の為に自らの身を削って出費を行うことになれば、おそらく税収を大幅に超える出費が発生するはずであり、彼らは帳簿に基づいて大幅に赤字になった際に税金を納付しない免税処置となるでしょう。
橙色領の収入の大半を占めていたベッティム商会からの税金がなくなり、領が見栄を張って提出した資料に基づいた王都に納税する予定である税金の出処がなく、となればおそらく橙色領は各所に不渡りを発生させて王都に納税せざるを得ません。
そうなれば、かなりの者が職を失い、路頭に迷うことになりましょう。」
「至極、真っ当な流れであり、予想される未来だな。」
「はい。
よって、ベッティム商会側は収税を減税もしくは免税されたとしても、大幅に赤字になるのは間違いがなく、彼らがそれほど身を削ることによって他領出身者が復興に手を回すよりは早期に、かつ安価に行えることかと存じます。
商人の彼らにとって、自らに大半の責のない罰でその身を削ぐ行為は、まさに最も忌むべき、かつ悔しい処置でしょう。
それを以って橙色領主へと忠誠を誓っていた、という名分のある彼らへの懲罰としていただけませんでしょうか。」
「まぁ、君の担当する商取引を全うする為には、ベッティム商会に潰れて貰っては困る、というのは理解できる。
それに、それくらいの条件がなければベッティム商会は橙色戦貴族と共に崩壊し、行政機関を失った橙色領は連鎖的に崩壊するだろうな。
この領に関して言えば、橙色戦貴族とベッティム商会は完全に二つで一つだ。
まぁ橙色戦貴族は元々経営能力がないという前提を、武力でなんとか他者を黙らせて来ていたが、それももう見る影もない。
となれば、最早ただの害悪でしかないし、取り潰しの話は先代の時点から既に今まで何回も出ていた。
即座に取り潰しにならなかったのは、後継者の才能を確認するという意図もあったのだが、ヴェルヴィアの嫡子は大したレベル・技量にも育たず、なんなら一般の暗殺者に手傷を負わされ、それが元になって息絶えたというではないか、そうなれば最早、先を望んで残す必要もない、という結論になっても致し方ない。
まぁ、ヴェルヴィアに関しては、ベッティム商会が武力さえあればそこそこの上級貴族となってもおかしくはない働きを長きにわたって果たし、それを存外表に出さずに下手に出てきているのが、コンプレックスとなっていたのかもしれないがね。
自分達にはこんなことはできない、と。
ただ、まぁ、今代は今までで最悪に酷い。
自分達の経営能力の無さが理解できず、ベッティム商会から様々な権限を奪って領を半ば素人を上に据えて運営し、富ませていた人材を理解できず放逐し、優秀な戦士や文官の権限を尊重するどころか、侵犯・強奪し、半ば彼らを領から追い出そうとすらしている。
馬鹿な連中だよ。
愚かな連中が、自分より劣る戦士や文官を率いて自分達は優秀であると自称するなど、滑稽を通り越して目にするのも悍ましい。」
「はい・・・。
特に今代は酷いとお聞きしています。」
「だが、今回の首脳陣での会談では、揉めた。
何故か?
橙色戦貴族領は、先だっての戦で戦士を出し渋った。
だが、何故か、彼らは主戦力を出兵していないのに、領内のクリアリングが終わってしまったのだ。
我等の領の調査班が来た際には、はぐれすらいないほどにね。
連中の布陣は酷いモノで、とても魔物を逃さない網にはなっておらず、そして奮戦した各都市の戦士達は傷付き、多くがその命を失い、とても戦える状態ではなかった。
聞き取り調査の報告でも、魔物が撤退していったという情報は皆無に近いという。
だというのに、魔物は消え失せていた。
何故なのだろう?
我々が見誤っていただけで、橙は隠していた武力が存在し、完璧なクリアリングが可能となるほど優秀だったのか?」
「・・・それは今回のお話と何か関連するのでしょうか?」
「する。
領を守れる戦士が、領を守った。
民が護られた。
少ないとは言え、守り神級の魔物も確認されていたというのに、それも含めて一匹残らず侵攻時の戦力は殲滅された気配が濃厚だという。
・・・だがね、数日前からこちらに入って色々調べてみたが、それを行った人物は、確実に橙色戦貴族領の者ではない。
次いで、隣接する領の者にも確認を取ったが、守り神級の魔物を討伐できるような強力な義勇兵もおらず、一般義勇兵の出兵も自領の防衛やクリアリングで手一杯であり、こちらに出兵できるほど余裕はなかったとのことだ。
では、一体何処の誰が、兵が、魔物を殲滅したのだろう?
その者にこそ、この領を任せるべきではないだろうか。
民を守り、領政を安堵する、その為には、領を守り切れる武力が必要である。
その人物は、まさに適任であることを、ここ橙色領で証明したのだ。
そうは思わないかね?」
「色付き戦貴族の後継、または後任は、色付き戦貴族に求められる要件を満たしている方から、バランギア卿を含めた国政の上層部が決定するのでは?」
「それは勿論そうだが、時と場合によっては、そういう英雄を拾い上げることもある。
その人物のひととなりを見なければ判断はつかんが、問題ないのなら、その人物を据えることもあり得るだろう。」
「なるほど・・・。」
橙色領に侵入し、バラけていた魔物達を討伐したのは、私が派遣したホノカを始めとした戦士達だ。
守り神級の魔物は腕が4本生えた象の頭をした亜人と魔物のハーフだったらしいが、彼らの連携で一人の負傷者も出さずに討伐が叶ったと聞いている。
彼らの上げてきた報告書は、そのどれもが戦勝、圧勝の報告書だった。
そして、それぞれがナインの作ったブレスレッドによる『変身』の機能を称賛し、それと彼らを繋げた私の能力を絶賛していた。
それはそうだろう、『纏い』やその他、必須スキルや技術を習得する必要があるが、『変身』で得られる自由度の高い甲冑は全身を隙間なく覆うフルプレートアーマーに匹敵し、防御力も勿論高く、可変性に富み、金属製の甲冑に比べて隙間が異常に少なく、小さな傷も負いにくい。
魔物の爪や牙に含まれる毒性の高いアレコレが入り込まない。
また、『思考速度加速』『感覚加速』などにより、『変身』後はその前とは比較にならないほど自らを加速することが出来る。
それ故に、通常では有り得ないほど敵の動きが良く見え、敵の攻撃を回避することも容易、敵に攻撃を命中させることも容易となる。
そして、速度の速い敵を相手としても、その高い防御力から一撃で致命傷を負う可能性が非常に低いことから、防御を捨てた攻撃をすることが可能。
自らが負うダメージ、与えるダメージ、回避、防御全てを気にしなければならない場合に比べ、気にしなければならないポイントが減ることにより、通常相対できる以上の上位の戦士や魔物と戦う事も可能としているのだ。
ホノカもまもなく守り神級の魔物の単独討伐も叶うほどの戦力となるだろうし、ノールは特殊な能力持ちでもなければ既にツインテイルくらいのレベルの魔物を単独で討伐可能だろう。
・・・話が脱線してしまったが、バランギア卿の言うこの国を救った英雄は、この場合ホノカが該当する。
ただ、ホノカの雇用主は誰かと言えば、あの段階では私であり、私の雇用主はヒノワ様だ。
わざわざこんな話を振ってくるくらいだ、本当はバランギア卿は誰がやったか、誰がやらせたのかは分かって言っているのだろう。
だが、しらばっくれるに限る。
「その英雄の方には会ってみたいものですね、一市民として尊敬致します。」
「そうだな、私としても民達を救ってくれた英雄には褒章を取らせねばなるまい。
・・・まぁ君がそういうのなら、とりあえずおいておくとして。
うーむ、君の要望はかいつまんで言えば、食糧を無駄にしない方策で、灰色戦貴族領は余剰在庫で利益が多少でも得られて、橙色貴族領は不足する食糧を安価で仕入れることが出来るならウィンウィン。
で、現在ほぼ全ての行政を担っているベッティム商会を潰さないことによってそれらを円滑に進めることもできる上に、ベッティム商会が安堵されれば色付き戦貴族筆頭戦士がいなくなったとしても橙色戦貴族領の民達の生活を安堵することができる、ということだな。
つまり、ベッティム商会を残すことによって、君も民も助かり、後任への後継もスムーズになる、と。」
「は、まさにその通りでございます。
もし、その為に必要な申請や処理、私共に担える役割があるのでしたら、それらについても御指示いただけましたら尽力し、果たしてみせる所存でございます。
ヒノワ様からは、今回の件に関しては、私に全て一任する、と言質を取っておりますので、可能な限り勤めてみせます。」
「ふむ。
あけすけに言って、君は全てではないにしろ、素直に語り過ぎだな。
が、まぁ利益関係が分かり易くて話が早い、それは良いことだ。
ドロドロした政局闘争に明け暮れ、まともに言葉も喋れない選定候や貴族達にも君の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいだ。
そうだな、これだけは言っておく。
国王陛下の意向は、民の安堵、ヒトの生活圏の安堵である。
これだけは間違いが無く、私もその意向に沿って動くものであるから、橙色領に生まれた民達を虐げるつもりは一切ない。」
「民の安堵、ということは・・・。」
「そうだ。
橙色戦貴族、ヴェルヴィア・ネイブル・オレンジーヌ・テンサール並びにその本家分家は、この度お取り潰しとなることが、内々に決定している。
一応、形式上の審議は行われるが、これは国王陛下並びに宰相閣下等の三役、私を含めた首脳陣で既に決定しており、後日行われる審議会ではその通りの結果となる。」
「そうでございましたか・・・。」
「だがまぁ、色付き戦貴族とは、お取り潰しします、はいそうですか、で終わるような役職ではない。
支配する領域の広さは膨大であり、そしてそこに暮らす民達の命の責任を負い、更に魔物の領域を削り取って前進していく責をも負い、加えて単独で守り神級の魔物を討滅するほどの戦力も求められている。
兵を鍛え、子を成して鍛え、己も鍛え、日々魔物を殺し続ける。
ここ橙色を除けば、他領の領主は更にそこに行政も仕事の範疇に入ってくる。
故に、生半可な強いだけの戦士や口だけの行政官を据える訳にはいかん。
後任人事を決めてから告知しなければならないのだが、後任人事自体が非常に難しく、そして後任の者がその領を安定させるには数十年単位の時間を要するのだ。
随分昔にはなるが、お取り潰しになった黄色は、その後任の血族が安定し、領をまともに運営できるようになるまで、30年ほどは掛かった。
今は非常に安定している、良い領だが、お取り潰しというのは、当時を知る私や老いた者はよく覚えているのだ。」
「それは、非常に理解できるお話かと思います。」
色付き戦貴族の職務は、あまりにも多すぎるのだ。
一般人には手に負えないほどの過分な職務が存在し、そのどれもに非常に高レベルな処理を求められる。
特に、その戦闘能力については、最早語るべくもないだろうが、届かない者には一生届かない領域であり、どれほど行政能力が優秀でも、その一点において能力が足りなければ、色付き戦貴族として不足なのだ。
逆に言えば、今この時、色付き戦貴族に据えられている各色の当主達は、それほど驚異的な能力を持っており、歴史上数回しかお取り潰しが行われないほど、それぞれがしっかりと領を安堵し、己の武も、兵の武も鍛え、文官を育て、子を育んできたのだ。
橙色領主の先だっての戦の後の民を見捨て、末端の戦士を切り捨て、己の保身に走り、王都には見栄を張った偽の報告書を上げて己の財布を締め上げる愚行まで犯している。
他領の当主と己を見比べた際に、如何ほどの劣等感を感じていたのかは知る由もないが、これほどの愚行を重ねられる辺り、劣等感を感じる知性も持ち合わせていないのだろう。
「が、・・・まぁ、橙色に関しては、君の言う通りだ。
テンサール家を取り潰したとしても、ベッティム商会がある為に、武に関して補うことさえできれば、安定に要する期間は短くて済むだろう。
問題があるのは、その後任だ。
後任候補となる武家の選出が悩ましくてな・・・。」
「後任候補の方が、ベッティム商会と合力するつもりがない、ということでしょうか?」
「いや、それ以前の問題だ。
今現在、後任を抽出するだけの余裕を有する領が少ない。」
「バランギア卿の戦士達は非常に高レベルかつ精強と聞いておりますが、赤の戦士を据えるという訳にはいかないのですか?」
「赤・・・はまぁ、他領よりも余裕はある。
他領に行けば上位陣にはすぐ食い込めるほどの優秀な人物も、勿論それなりにいる。
ただ、私の領の出身者であるが故に、政治的な問題で、私の領から抽出した戦士は適任であっても色付き戦貴族に据えることができない。
これは歴代の国王陛下と交わした約束であり、私の自制でもある。
基本的には上位色に該当する勢力から面接等を経て選出されるのだが、首脳陣の会議でも、選定候達の会議でも、結論が出なくてね。
赤を除く上位である白、黒、灰、青から出すことになろうとは思うが、時期的に問題があってな。
白は、勢力として盤石で赤を除けば序列からしてトップ級だ。
領民、領政、幹部、兵いずれも安定していて、その幹部団上位であれば色付き戦貴族も務まると評価に値する人物はいるのだが、“5年後”ならば彼にお願いしたことだろう。」
「5年後、というのは、どういう理由ございましょう。」
「うむ。
というのも、白は代替わりして2年ちょっとなのだ。
若殿も優秀で何の問題もなく日々練磨されておられるが、当主としてそろそろ落ち着いてきたと言っても、それは彼ら優秀な先代からの配下のサポートあってこそ、だ。
優秀な配下を引き抜いた後に彼の被るストレスを考えると、人材の引き抜きは彼の国に負担を強いてしまうし、難しかろう。
黒は、まぁ本家分家共に粒ぞろいではあるが、“制約”があり、それ故に難しい。
貴公の主の婚約者であるヌアダ殿を除けば、あそこは頭目以下の者達は先頭に立ち続け率いる者がいなければそのポテンシャルを発揮できない。
そして、既存のシステムで構築された規格化された軍勢の後援があることが前提であるドクトリンも、少数では十全に能力を発揮できない。
黒は黒の領地の戦士達がいてこそ成り立つドクトリンが問題だ。
強者数人とその家族だけでは彼らは全力を発揮し得ないが故に、急造の領主というのも難しいのだ。
まぁ、色付き戦貴族の据替に焦点を合わせてやり方を変えろ、と言う事もできないので、彼らに罪はないがね。
そう言った意味では、ヌアダ殿も哀れだ、強者として生まれ強すぎる力を手に入れたことによって、己の故郷のドクトリンからはみ出し、蔑まれ、追いやられることになってしまった。」
「ヌアダ殿が灰色におられるのは、そう言った理由があるのですね・・・。」
「黒は、特殊でね。
彼らは突出した戦力を好まない。
ただ前進し、ただ押し潰し、そして前進する。
それを統率する者もそうするし、率いられる兵達も、戦士達も、皆そうする。
故に、優秀であってもそのドクトリンにハマらない、しかし突出した戦力である彼は、同様に突出し過ぎる才能を持ったヒノワ嬢の元へと送られた。
まぁ、体のいい政略結婚、かつ『生まれた優秀な黒の才能を持つ子供を黒に養子として送ること』も契約として含まれていると聞き及んでいるので、血統が近くなりすぎないようにしながら他領の才能も取り込もうとしているということだな。
まぁ、彼は彼で、灰色にいた方が心地よいだろう。
灰色にヒノワ嬢がいなければ、彼は赤で引き受けるしかなかっただろうな。」
「なるほど、そのような事情が・・・。」
「詳しくは、灰色に帰った折に、本人たちから聞き給え。
そして、灰色は・・・君を前にして言うのもあれだが、他領よりも突出した人材が少ない。
誤解無いように言っておくが、灰色単体に関しては今後も輝かしい時代を築くのは間違いないと見ている。
アマヒロ殿も、ヒノワ殿も、まだ現役のテンダイ殿も、皆有能だし、彼らの育成している兵達も優秀だ。
が、色付き戦貴族に任命できるほどの突出した戦士がいない、というのも事実だ。
アマヒロ殿は嫡子であるし、ヒノワ殿を引き抜けばヌアダ殿も付いてくる、そうなると灰色は相対している魔物の正面戦力に対して逆に戦力不足となる、という道理だ。
文武の分業が進んでおり、軍の比率のバランスは良く、兵も精強揃いだし、彼らはアマヒロ殿とヒノワ殿の治政をそれこそ信仰すらしているだろうレベルで信じている故、叛逆の兆しもなし、他領に出向したとしても問題は起こさないだろう。
軍としては総じてこうあるべし、という完璧さが見られるが、そこに色付き戦貴族筆頭戦士級の戦士がいるかと言えば、否、だな。
彼らはその信仰心に近い忠誠から、『兵』として完璧に熟してしまっており、『色付き戦貴族』に染まる猶予がない。
まぁヒノワ殿とヌアダ殿の子供が三人いれば、その末子を後見をつけて引き取ったのだが、彼ら彼女らはまだ子作りが可能な年齢ですらないので、そうもいくまい。
あと7,8年もあれば子も成せるだろうが、嫡子を取り上げる訳にもいかんだろうし、末子となると10年や15年は待たねばならんだろうし、橙の据替はそんなに待てん。
青も同様だ、優秀で特段問題もない治政だが、直系以外のラインナップが薄い、故に色付き戦貴族に任命できるほどの戦士がいない。
今代の色なしの戦貴族は、まぁまぁ優秀で下位層の色付き戦貴族ならば多少劣る程度ではあるのだが、ヴェルヴィアと同等前後がほとんど。
だが、それではいかんのだ。
橙色領を再度盛り立てようとなれば、上位陣に迫るほどの勢力にすることが出来得るほどの優秀さ、もしくはその気概を持った者でなければならないのだが、そのどちらもがない。
いやぁ、困った困った、だ。
大抵、時代に一人二人は力を持て余した突出した戦士が筆頭戦士以外にもいるんだがね。
何処かにいないかね、上位の色付き戦貴族筆頭戦士と肩を並べる戦闘能力を持ち、橙色を盛り立てていってくれる人物は。
どなたかご存知ないかな?フミフェナ・ペペントリア殿。」
全身真っ赤の男が、チラリ、と、意味有り気にこちらを見てくる。
やけに話がトントン拍子に進むなと思っていたが、この男はこれが目的だったか。
こんな露骨に言わなくても、途中から察してはいたが、それすらも皮肉か。
「これは異なことを。
スタッグ将軍を近衛兵団ごとこちらに寄せたのは、魔物討伐の賞を以って色付き戦貴族に昇格させ、橙に据えるおつもりだったのではありませんか?」
「それこそまさか、だ。
スタッグは優秀だが、彼は近衛兵団の長であり、国王陛下の右腕と言ってもいい存在だ。
選定候の首を挿げ替える時に挿し込んでも良いとは思うが、国王陛下のお膝元から遠く離れた地に据え置くつもりはないよ。」
「なるほど・・・。
そう言えば、近衛兵団はよくあちこちの国へ出向いては魔物を討伐していると聞きますが、国王陛下の近辺を守っていないのに、何故近衛兵団という名なのですか?」
「戦時であっても、平時であっても、国王陛下の近辺を守るのは私か、私が傍を離れた際には私の側近達が勤めているからね、“近衛兵”という名の王宮・王城詰めの常駐兵はある程度いるが、スタッグ率いる“近衛兵団所属の兵”は年間通して確かに王都にいる頻度は低い。
近衛兵団とは、まぁ、組織を造り上げる際に用いた名目、言わば名ばかりだ。
まぁ、成り立ちからして国王陛下の思い付きで始まった軍勢。
スタッグも元々、私の率いる軍勢の上級将校だったのだが、国王陛下直々に声を掛けられて引き抜かれてしまった経緯があって、ね。
スタッグには苦労ばかり掛けて申し訳ないがね、名についてはあまり気にしないでくれたまえ。」
「なるほど、ご教示いただきありがとうございます。
・・・話を戻しますが、では橙の後任候補は、本当にまだ未定なのですか?」
「未定。
ではあるが、目の前の女神ヴァイラスの巫女が請けてくれれば話は簡単に終わるのだがね?
レベルは4歳にしておそらく既にヒノワ殿以上、下手をすると私並み。
周囲を納得させるために必要な実績は既に積んでおり、その証明もある。
レギルジアとカンベリアの攻防で君の成した偉業はテンダイ殿からも聞いているよ。
王城では「誇張ではないか」「プロパガンダではないか」と言った意見も出たが、それが誇張であれその逆であれ、『ではこの戦績は誰が為したのだ?』という反論には誰も根拠のある回答はできなかった。
私もそう思っている。
あれらはヒノワ殿やヌアダ殿、聞き得る限りの布陣では、どう足掻いても成し得ない戦績だろう。
それに、私は何も武力面だけで言っている訳ではないぞ?
治政能力は君の言う通り、ベッティム商会を温存すれば、彼らと協力すれば即興でもある程度見込めるだろう。
君はほぼベッティム商会を手にしたと言ってもいい状態でもあるだろうし、彼らと共に領を治めていくのは他者よりも容易なのではないと思うが?」
「それはどういう・・・?」
昨日の今日で、まさか。
背中をタラリ、と冷や汗が流れる。
頭から顔にかけて流れなくて良かった、と思いながらも、どうやってその情報を知ったのか、を考える。
レジロックを取り込んだのは昨晩遅く。
今朝までの時間で知り得たのであれば、あの場にバランギア卿がいたのか・・・?
それに、手にしたとはどういうことだろう。
実質的に商いの暗い部分を担っていた番頭のレジロックを取り込んでも、まだ当主であるノルディアスがいるはずであり、ノルディアスの取り込みはまだだ。
何か私の知らない情報を知っているのかもしれない。
「まぁ、それはおいておいたとしても、だ。
君は灰色戦貴族領の衛星都市レギルジアに現れた女神ヴァイラスの巫女なのだそうだね。
神の使徒、もしくは巫女であるとされる者に与えられる恩寵という名のアビリティがあるのであれば、それは非常に優位。
聞いた限りでは、女神ヴァイラスが降臨した後、灰色戦貴族領は未曾有の農作物の豊穣が続き、人々は病から遠のき、戦いに従事する者は何らかのバフを受けて傷を負いにくくなったり、治癒術式を受けた際には回復の体力消耗が軽減されたりといった効果を得ているそうだね。
それほど広範囲かつ様々な能力は、個人の能力の範疇に納まらない。
これは君のアビリティ、名前は知らないが『女神ヴァイラスの恩寵』によるものなのだろう?
どの領地も喉から手が出るほど君を欲するだろうが、政治家の一人として言わせてもらうならば、それほどの能力を持つ君が何処かに肩入れする、というのも、あまり望ましくない。」
「・・・つまり、私には何処にもつかず、ここに納まれ、と。」
「有り体に言ってそうなるが、パワーバランスを考えてほしい。
例えば、各勢力の持ちうる能力を数値化するとしよう。
赤は除外するが。
白を500,灰色を600としよう。
青は200,緑が80、橙は30、他は大体100~250といったところか。
君とその一派の数値を、戦闘能力以外の『女神ヴァイラスの恩寵』も含めて計算すると、おおよそ300から400にはなろう。
さて、君がこのまま灰に組み込まれるとすると、800~1000、あまりに廻りとバランスが取れない。
青や、緑も、君を知れば喉から手が出るほど欲しいと言うだろうが、青が白を上回ってしまう事態ともなれば、それはそれで問題だ。
そして、橙は他よりも特段数値が低いので、300~400を加えれば、一応のバランスは取れたと言っていいだろう。
君の事情を無視すれば、だけれどね。
君が橙に納まるのが、一番何処にも波風を立てない方策だと思う。
まぁ、いきなり本家当主というのも中々に大変だろうから、その辺りの補佐は各陣営から少しずつ抽出してもらうことになろうとは思うが。」
「それは私が何処でもいいので色付き戦貴族になりたいという欲求を持っていれば成り立つかもしれないお話ですが、到底呑めるお話ではありません。
私は、灰色戦貴族筆頭戦士であられる、アキナギ・グレイド・ヒノワ様に生涯お仕えすると誓った身です、自らが色付き戦貴族になろうなどと恐れ多い・・・。
それに、私はヒトに敵対するような思想は持っておりませんが、かと言って王都に絶対の忠誠を誓っている訳ではございません。
私が忠誠を誓うのはただお一人、ヒノワ様のみ。
その言葉を発するに値する力は身に付けたと自負しています。」
「神の恩寵持ちに、王政への絶対忠誠を強制することなど、誰にもできんよ。
それこそ、君のような強者を敵に回してしまう。
が、よほどヒトの世に喧嘩を売りたいのなら、買うがね。」
不穏な雰囲気。
殺気が巻き散らかされたり蒼き粒子が迸ったり、と言ったことは一切ない。
ただ、バランギア卿の何でもない、ただの宣言が、これほど人間を戦慄させる。
それは書物や都市伝説と言ったもので私の中で作り上げられたバランギア卿の幻想が大きいこともあるだろうが、会った瞬間にも分かった「勝てない」というイメージが脳内から取り去れないことも原因だろうか。
そして、目の前の真っ赤な男は、それもちゃんと分かった上で言葉にしているのだから、300歳超えの人生の大先輩は恐ろしいということだろう。
「・・・他の数多の戦士が望んでやまない役職であることは、私も承知しております。
ですが、かと言って色付き戦貴族の当主に適職だから、と私の本意を無視して据えられるのを歓迎するほど、私は長い物に巻かれる人間ではありません。
何より、知名度も灰色領内でしかない、このような小娘どころか幼児と呼ばれるような年代の娘が新しく領主になります、と言われて、領民が納得するとは到底思えませんが。」
「君は勘違いしているかもしれないが、色付き戦貴族というのは、民衆にとってはアイドルやヒーローと言った面で見られることも多い。
言わば、年齢など関係がない。
『強い』『良い領主である』、この二つが満たされれば、民衆は歓迎するさ。
それに、4歳という年齢から長期にわたる安定した統治も考えられる。
また、側近の育成も順調で、半年やそこらで近侍のレベルがヴェルヴィアほどのレベルにまで達しているそうではないか。
これほど色付き戦貴族に据えるにふさわしい人物は他にいないのではないかね?
どうだね、もし他にこれほどの好物件に心当たりがあるのなら教えてくれたまえ、君を諦めてその人物に交渉しに行く。」
「この世界に生まれてまだ4年です、知り合いもまだ少なく、推薦は難しいです・・・。
バランギア卿のお誘いを・・・私がお断りした場合、どうなるのでしょう?」
「どうなるのもなにも、今まで通りに戻るのではないかね?」
「え・・・、いや、なんかこう罰則とか、嫌がらせとか・・・。」
「無いよ。」
「本当に・・・?」
「無い。」
「直接ではなく、間接的に裏から手を回して・・・とかも?」
「無いよ。」
「本当ですか・・・?」
「ぶはははは、なんだ、笑かさないでくれ、ククク、君ほどの強者が何を怖がっているのだ。」
ヒィヒィ、と、バランギア卿はテーブルをバンバンと叩いて笑った。
普通、こういうのは断ったら嫌がらせだの無理難題を吹っ掛けられるだのあると思うのだが・・・。
笑い始めた、この目の前の全身真っ赤男はひょっとしたら関西人・・・の、ゲラなのだろうか。
数秒で収まるのかと思えば、しばらく笑っていたので、その間も大人しく座って待っていたが、次の瞬間いきなりキレてくる可能性があるので、こちらは気が気ではない。
「はー、笑かされた。
ごほん。
自らを見つめ直し、そして君に相対しなくてはならない我々側から君の対策を考えてみれば分かるだろう?
後継がきちんと育つか、という問題はあるが、一代だけの話ならば、なんなら国を興してもいいレベルの強さと恩寵の持ち主なのだぞ、君は。
それほどの人材を、やる気もないのに無理やり難癖つけて領主に就かせ、10年後に鍛え抜いた民衆を率いて我々に叛逆する!と宣言された方が面倒だろう。
罰則を課して、嫌がらせをして効果があるのは、相手が『普通』でないと無理だ。
法に縛られ、権威に縛られ、武に縛られる、法治に準ずる精神の持ち主でないと、な。
『普通』ではない君に効果があるのかは非常に疑問だな、君に生半可な仕置きは効果を発揮するのかな?」
「・・・。」
「君に生半可な仕置きを与えるなど、逆に機会を与えるだけだろう。
それを機に、逆にそれらを課した側が様々なことに反撃を受け、そして我々との間に大きな溝を作ってしまう。
致命的な、逆転を果たせないほどの罰則を課したとなると、それこそ何のためにそんなことをするのか、論拠がなくなる、国の正気を疑われる、国王陛下の治政の汚点ともなろう。
私は君が推薦に基づき自主的に検討し、就任してくれるならば良し、ダメならダメで君を説得する別の資料を用意し、しばらくは筆頭候補として交渉を続けるつもりだとも。」
「・・・一商人として生涯を終えるつもりだったので、本当に、貴族・・・色付き戦貴族なんて考えもしていませんでした。
如何なる交渉を以ってしても、その職に就くことはないとお思いください。
出来る限り、他の方を探してください、本当に・・・。」
「ふむ・・・。
しかし、理不尽な人間だな、君は。
君の領域に至ることができるのは、色付き戦貴族でも300年で3人と言ったところだ。
野心に溢れる者達が死ぬほど努力し、勉強に人生を費やし、神に祈り望み、他者を押しのけ、民を犠牲にし、非難されようとあくどいことをし、あるいは割れんばかりの称賛を浴びるほど善行をし、魔物を狩り続け、訓練に明け暮れ、真っ当にどれだけ努力しても、どれだけの血筋に恵まれたとしても・・・それでも、手に入れられない者は手に入れられないのだ。
その壁にぶつかり、嘆き絶望する者の方が多い。
その壁を早々に突き破り、わずか4歳で並の戦士どころか上級戦士の出身にも叶わないレベルを達成したというのに、君は残酷なまでに欲が無いな。」
「そうでしょうか?
私には、やりたいことがあるのです。
そして、今のところ、私はそれをそれほど悪くない成果を上げており、これからも引き続きこなしていきたいと思っているので、欲が無いということもないと思います。」
「・・・どんなことだね?
大半のことは、色付き戦貴族配下よりも当主である方が融通はきくと思うが。
それで君が請けるというのなら、私から融通をはかってもいいよ。」
「人知れず、レベリングがしたいんですよ。」
「・・・ん?」
「私は、あまり人に知られない形でレベリングがしたいんです。」
「・・・ちょっと待って欲しい。
灰色の姫君に尽くす、とかそう言った理由ではなく、か・・・?」
「勿論、最たる譲れぬ理由の一つとして、ヒノワ様の御用聞きを辞めるつもりがない、ということはあります。
ヒノワ様への忠義、忠誠は守っていきますが、それは道理についてのお話でしょう。
ヒノワ様にご相談すれば、御用聞きを辞して構わないからそちらの話を受けろ、と御指示がある可能性もありますが・・・私はヒノワ様から離れたくありません。
そんな我が儘をお断りする理由に挙げるのは、失礼に当たるというものです。」
「・・・そういうものでもないと思うがね。
・・・しかし、私の予想だと、君のレベルはもう500を随分前に超えているはずだ。
レベル100だのなんだののレベルを遥かに超えるレベルであり、一般の戦士どころか色付き戦貴族の筆頭戦士も大半は君の前では膝を屈するだろう。
魔物にしても、君の討伐した魔物の質・量、共に桁違いであり、レベルの非常に高い魔物であったとしても、最早君の前では子羊のようなものだろう?
君は、神の加護・恩寵持ちでもなければ到達できない領域にいる。
それこそ、蒼き粒子の恩寵である我等色付き戦貴族に発現する蒼斑を持たずにレベル100を超えること自体が一般的にはかなり難しいというのに、たった4歳でその領域にいる。
もう十分に高レベルであるし、君の場合、必死にレベリングしなくともまだまだレベルは上がって行くはずだ。
・・・まだレベルを上げたい、というのか?」
「蒼斑が何かは分かりませんが・・・。
レベルが上がると、ステータスとも呼ぶべき鑑定結果の数値は上がって行きますね。」
「それは、まぁそうだな。
それがこの世界の法則だ。」
「私は、それを眺めるのが大好きなのです。」
「・・・それで?」
「副次的に手に入るお金や、称賛を放棄するつもりはありませんが、それそのものが欲しいのではないのです。
生きていく上で必要な分、ヒノワ様にお仕えするために必要な分、ナイン達技術者へ技術投資するだけに必要な分、その程度があれば。
私が欲するのは、レベルアップに必要な経験値・・・こちらの世界で言えば、蒼き粒子だけです。
ロールプレイの一つと言ってもいいでしょう。
ですが、私の本質、本当の願いは、ただレベリングをしたい、その一言に尽きるのです。」
「・・・金持ちになって、良い暮らしがしたいという願望はないのかね?」
「・・・この世界なら、強ければその辺りはなんとでもなるのではありませんか?」
「民達の称賛は?」
「知らない人に褒められても『ありがとうございます』くらいの感情しか沸きません。」
「民達、戦士達のトップオブトップ、色付き戦貴族当主、筆頭戦士という肩書は。」
「肩書が邪魔でやりたいことができないのが目に見えていませんか?要らないです。」
「・・・色付き戦貴族しか知り得ない、この世界のレベリングポイントや魔物の群れの発生状況などの情報は?」
「ご存知かもしれませんが、索敵には自信がありますので、バランギア卿の情報網よりは劣るとしても、それほど困っておりません。」
「うぅむ、ダメだな、これは・・・。
はぁ、別の人間を探すか・・・。」
「分かっていただけましたか、ありがとうございます。」
ハァ、とため息を吐く姿は、この国を300年にわたって守り続けてきた最強の戦士というよりは、300歳の年齢を感じさせるほど深いため息だった。
今夕、ヴェルヴィアと会うアポイントを取っている旨を知らせると、バランギア卿も同席するという話があり、想定よりエグイ会談になることが予想されることとなった。
それから30分ほど、雑談に華を咲かせた後、席を辞する。
会談が終わり、敷地から出てすぐから、周囲に気配が増える。
と言っても、気配は洋館の敷地からかなり外側で、目視できる状況ではないが、音波探傷のようなスキルを使ってブラインドになる建物の中などからこちらを探っているのが分かる。
バランギア卿の徹底した気配の消し方とは比較にならないほどお粗末な気配で、使っているスキルも正直言って余程感覚が鈍くなければ私でなくとも察知できるだろうし、目に見えなくとも発信元の位置が簡単に分かる。
いや、バランギア卿の気配を捉える為に気配探知の精度を上げた影響で察知が簡単になっただけか。
何にしろ、バランギア卿の移動の痕跡を探る為に先程までいた洋館の周囲は『アレラ』の濃度が常時よりも相当に引き上げられているのだ。
バランギア卿の館にこれほど近い箇所でこのような行為に出るとは、自殺行為と言ってもいい。
イチ、ニ、サン、シ、・・・6人か、多いな。
躊躇なく『アレラ』を植え付ける。
全身真っ赤な男には全く敵う気はしないが、尾行についている者達は大したことが無い。
おそらく、連れてきているのが精鋭ではなく若い者達なのだろう。
『アレラ』が身体の中に住み着いた彼らを今後見逃すことはないし、バランギア卿の配下などにも有効であれば、今後、『アレラ』はバランギア卿以外には住み着くことも出来るかもしれない。
そうなれば、もしもの時に無力化することなど容易いというものだ。
「ふふっ、ひょっとして試練を与えているのですか、バランギア卿?」
今この時、私に何が出来るのかをわざわざ教えてあげる意味はないので、完全に潜伏した状態で『アレラ』を休眠させる。
バランギア卿は戦場でも教育を進めているのかもしれない。
あれほど全てをシャットアウトするほどの結界を敷いて維持しているバランギア卿が、粒子や毒・呪術・病原菌、ウイルス、虫、小動物など、人間の意識に認識されない様々なことを懸念していないとは思えない。
であるならば、おそらく敢えて私を追わせて、どれだけ手痛いしっぺ返しを喰らうのか、体験させる為に尾行をつけたのかな?
私が気付くのか、気付いた際に何処までの処置を施すのか、それらをどう意図してバランギア卿に伝えるのか、と言ったことも試されているのかもしれない、か?
私への試金石であると同時に、配下の教育もこなすとは、現場主義の面もあるかもしれないが随分と強気だ。
場合によっては、手塩にかけて育てた配下が皆死ぬかもしれないというのに。
いずれにしても、不用意な行動さえ起こさなければこのまま放置、場合によっては物理的に直接対処してもいいだろう。
「後悔しないように行動しなければ、ね。」




