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灰色の御用聞き  作者: 秋
30/45

26話 『シャンメリー』

「は?何が、来ただと?」

「灰色領から、特使だとおっしゃる方が参られております。」

「・・・どなたがこられたのだ・・・?」

「お客様は、フミフェナ・ペペントリア様と名乗っておられます。」

「・・・誰だ、そんな名前、聞いたことが無いし、知らんぞ。

アポもなしにいきなり来て会えるとでも思っているのか。

追い返せ。」

「いえ、その、特使は非常に重要な案件を抱えているので、直接ご主人様にお会いしたい、と・・・。」

「・・・名前も聞いた事の無い人物と初見で重要な案件のやりとりなど、怪しさしかない。

本当に特使なのか、確認はしたのか。」

「はい。

代表者の方は非常に幼い方ではあるのですが、灰色領で発行される特使の任証も持っておられますし、お付きの護衛が2名、それも非常に高位の戦士であると見受けられますから、相当な身分のあるお方ではないかと。」

「ふむ・・・。」


非常に高位の戦士、という表現は、目の前の秘書の眼力からすれば一定以上の戦士は皆そのように見える可能性があるので、あてにならない。

実際に、彼女はレベル40の戦士と60の戦士を見分けることが出来ず、序列を誤って怒りを買ったこともある。

だが、そんな彼女でも目で見て分かる場合もある。

ヒトという種の到達点の一つであるレベル100,そこに辿り着いた高位戦士の力量であれば、蒼きオーラと呼ばれる溢れる余剰粒子が煌めいて見える現象を起こす。

どれほどのオーラを見たのかは分からないが、レベル99であっても薄くオーラは出るということなので、その類のものを目視した可能性もある。

もしそうであるならば、その護衛の戦士2人は二人共がレベル99以上、おそらく100を超えている。

橙色領では、レベル100に到達している・・・いやしていた人物など、ここ10年でも5人もいまい。

橙色領では筆頭戦士である領主ですら、レベル120やそこらだと言われている。

王都の近衛兵団の上級戦士に分類される戦士であればレベル100~130に到達しており、その数は数百はいると噂されているというのに、筆頭戦士でこの体たらくなのだ、橙色領が先細りの未来であるのは誰が見ても明らかだと言えるだろう。

・・・橙色領であれば筆頭戦士に近いと思われる力量の戦士を二人も護衛につけるとなると、費用も当然、高額である。

低レベルの戦士を100人つけるどころではない費用が発生しているはずだが、特使であればそれは公費で賄われているはずであり、特使がそれだけ高位の存在であることを示している。

だが、年齢的に幼いと見受けられる人物で、灰色と聞けばまず顔が思い浮かぶのは灰色領筆頭戦士ヒノワ嬢だが、そこまで有名な人物なら秘書も流石に名前と顔くらいは知っているので、大慌てで応対の準備に追われているはずだ。

おそらく自分が知らない人物であるという時点で知名度は低いはずだ、実務を担っていた官僚出身者の子供か、最近生まれた灰色直系の子息かもしれない。

幼年で特使を任されるとなると“来訪者”なのは間違いないだろう。


「灰色戦貴族次期当主アキナギアマヒロ様、並びに灰色戦貴族筆頭戦士であるアキナギヒノワ様から特務を命じられ最前線都市カンベリアから来られたとおっしゃっていますが・・・。」

「領都であるアーングレイドからではなく、灰色戦貴族領の最前線都市カンベリアからだと?

カンベリアには、兄が交渉に赴いたはずだが・・・交渉が行われたのは確か、昨日の夜だったはず。

灰色のカンベリアとも街道を順当に進んできたのならば、片道に5日から1週間はかかるだろう。

となると、兄と連絡が行き違い、約束を反故にしてしまったのか?

時系列から考えれば、すれ違った形になっているはずだが・・・別件ということか?

用件は?」

「私からもお伺いしたのですが、頑として、ご主人様に直接申し上げる、と譲られず・・・。」


簡単に考えても、交渉団の件に関しての特使なら、時系列がかみ合わない。

まさか、あの優秀な兄が交渉の日程、場所を誤るとは思えない。

ひょっとすると、先方の都合が変更になり、兄が出発してからこちらに向かうことになった?

その連絡がすれ違ったのか?

だが、先方の言い分からすると、特使は兄ではなく私に会いに来たように思える。

高位の戦士を護衛に2人もつけた特使とは、一体何の特命を帯びている・・・?

灰色から我々に、直接特使が来なければならないことが何かあったか・・・?

直線距離で400km、整備された街道をなるべく通る一般的な通商ルートではおおよそ600km~650kmはあると言われている。

もし馬車を使用せず、直接足の速い魔獣に騎乗し、ある程度舗装されていない野道をショートカットしたとしても、500kmはあるだろう。

だが、幼い身だと単独での騎乗は不可能であるので、普通に考えれば馬車だ。

よく飼い慣らされた牽引用の魔獣を用いた馬車であれば疲れ知らずで移動可能とは言え、舗装されていない道ではまともな移動は出来ないので、真っ当な移動手段である馬車を利用したのなら、650km近くは移動してきているはずだ。

加えて、魔獣は疲れ知らずだとしても、御者や乗員は馬車の移動では休憩が必要だ。

あまりに連続した行軍は、体調不良を引き起こす可能性がある為、疲労などを溜め込まないよう、一般的には1時間に数分程度の休憩を取る。

それに、まだ道中に魔物がいる可能性を考えると、夜間の移動は護衛がいたとしても危険だ。

御者や護衛の疲労も考えると、余程の強行軍でもなければ移動は昼のみ。

普通なら無理せず立ち寄った都市で宿を取るが、急いでいる場合は夜営などを行う場合もあるが、その設営や撤収作業まで含めると、都市で宿を取るよりは早いが、移動に費やせる時間は限られてくる。

一般的な馬車の移動できる距離は直線距離換算でせいぜい150km~200km/日程度だ。

夜営を避けて道中の都市に寄り道しながら向かうのならば、移動距離は100~120km/日にまで落ちるだろう。

であれば、特使がカンベリアを発ったのは兄とほぼ同時だと考えられる。

必然的に、昨日兄と会った灰色の交渉担当者ではないということだろう。

そのほか、別の可能性を考えてみるが、兄は十分な護衛と魔獣引きの馬車で移動していたし、灰色は橙よりも領内の魔物生息数が少ないと有名であるから、兄に事故があった、もしくは魔物との遭遇で万が一があった、といったことも考えにくい。

身内の不幸を告げる使者なのだとしたら、もう少し先触れを出すなり、緊急事態であることを示す手紙で知らせるなりするはずであり、そうでないということであれば、兄の緊急事態や訃報を伝える者ではないはずだ。


・・・私に会いに来た特使。

橙色領主ではなく、ベッティム商会の、商会頭である兄でもなく、番頭・・・弟である私に対して何かの特命を帯びた使者。

自分に後ろ暗いところがないかと言えば、思い当たる節は両手の数では数えきれないほどはある。

数代も続く領と密接に癒着した大商会の番頭の仕事をしているのだ、自らの行っている『表向き正当だが実質不正や違法に近い所業』『非合法な分野で都市内の商いの邪魔をし、暴力に訴えて来る組織を排除する』などの仕事は、必要悪でもあり正当な報酬であり、成すべき義務でもあるという自負の元、仕事としてこなし、従業員達を養い、領の行政を担い、それを運営しているのだ。

今までは領主様どころか王国の色付き戦貴族達にすら暗黙の了解として認められ、見逃されてきたので、今この時に摘発されるものではないと考えらえる。

今、このタイミングで探られたくない腹もあるが、橙色領ですら知る者は限られるほどの秘密裡に進めたものであるので、遠く離れた他領の特使が知り得る話でもなく、指摘するような内容でもないはずだ。

商いについての何かを指摘するのなら兄にアポイントをとるだろうし、政治的な話をするのなら橙領主館に向かうだろうし、特使が直接ここを訪れる意味がない。

明確に目的を図ることができずアレコレと考え込んでいたが、使者相手であればどう展開しても致命的なことにはならないか、と、少し心配し過ぎだった自分を落ち着ける。

灰色から、というならやはり兄の、もしくは交渉の内容についての線が濃厚だろう。

が、今急いで結論付けることにあまり意味がないことに気付いてからは、考えることをやめた。


「ダメだ、分からんな。

今から調べさせてもロクな報告は上がって来んだろう。

順当に考えれば兄に何かあった知らせだろうが・・・灰色の領内の状況を考えると、可能性は低いだろうし、もし万が一があったならば先に手紙でもあってもおかしくないはずだ。

先方は何か兄について言っていたか?」

「特使の方は、御冗談なのか分かりませんが、“昨日”、ノルディアス様と商談をまとめ、そのままこちらにお越しになった、とおっしゃっておられます。

あと、これは関係するのかどうか不明ですが、代表者の方から、「レジロック様に『シャルドネ』の『シャンメリー』を用意してほしい、と伝えてほしい」、と。

ただいま、未成年の方でも口にできるシャンメリーを数種類手配し、まもなく準備は整う予定です。

御主人様の手で選定していただけますでしょうか。

他のご用件は、とも伺ったのですが、特使の方は『レジロック様ならそう言えば会ってくださる』、とだけおっしゃいまして、私達も何が何やら・・・。」

「・・・特使の方は、本当に、そう言ったのだな?」

「はい。

お手元にお土産をご持参されておられるようでしたが、それはお会いした時に自分で直接渡す、ともおっしゃっておられました。」


私に『シャルドネ』の『シャンメリー』を用意してほしい。

まさか、アルコールの入っていないホワイトシャンパンのことを言っているのではないだろう。

子供であるとは言っても、そう言えば私が会うと考える文言。

特使に任じられるような人物がそう言ったのなら、それが幼女の言だったのだとしても、それは言葉通りの意味ではないはずだ。

額から伝う汗は冷たい。

橙領の中でも、本当に秘密裡に秘された名前であり、いっそ言うならその名を知る者は、橙の領内のみにしかいない。

信頼できる者にしかその名は明かしておらず、彼ら全ての名前も顔も把握している。

これまで行った内偵でも外部には情報は流出しておらず、他言した者はいない、はずだ。

しかも、彼らには私の本当の顔、声、身分も話していない、ただ『シャルドネ』と名乗っており、その名も外部流出は確認されていない。

領内のあらゆる情報に接する機会のある私付きの秘書である彼女も知らないほどだ、秘密は徹底されているはずなのだ。

外には絶対に漏れていないはずの固有名詞を、特使が会う口実として発するのは何故だ?

“昨日、兄と商談をまとめた担当者がそのままこちらに来た”。

前述の通り、それは有り得ないことだ。

だが、有り得ないと思ってはいるが、もし、たった半日で到着したということが真実だとしたら、特使はただの人間ではない。

色付き戦貴族の筆頭戦士クラスの戦士がどれくらいの速度で移動可能なのかは分からないが、一般兵レベルでは到底無理な行程であるのは理解できる。

交渉を終えた直後から魔獣に乗って休憩なしで夜駆けでなんとか可能なのか、ひょっとすると高位の戦士ならば可能なのか、その辺りが分からないが、ひょっとすると何か足の速い魔獣を持っているという可能性もあるか。

そんな移動速度で移動してきた特使とは、一体何者なのか。

いや、違う、筆頭戦士クラスであっても、不可能な行軍ではないか?

夜間ともなれば、夜闇に乗じて襲ってくる魔物も、橙には存在する。

橙の戦士達も奮闘しているが、夜闇の中で移動する魔物を100%殲滅することは難しく、根絶には至っていない為、未だに夜間に急ぎで移動している荷馬車隊は魔物の被害に遭うことがあるのだ。


「チッ、しかし何故こんな時期に、灰色からの特使が、私の所に来るのだ?」


どのような方法で移動したのかは不明だが、従来の移動方法でないのは間違いが無さそうだ。

そのような手段を有している何者かが、特使として訪れた。

兄の不在を知りながら、私を指名して逢いに来る。

それも、『シャルドネ』と『シャンメリー』の名を知る、謎の特使が。

ゴクリ、と唾を飲み込む音が喉から響く。

ジワリ、と流れ出る冷や汗が量を増し、額から、背中から流れ落ちる。

・・・手土産?

手土産とは、なんだ。

兄ですらも、『シャンメリー』などのことは何も知らなかったはず・・・。

もしや、カンベリアへ向かう途中で『シャンメリー』のしでかしたことを知られ、兄が手討ちにされ、兄の首を持たされた特使なのか・・・?

いや・・・子供が持てる程度の荷物となれば、腕や耳などが持たされている可能性もある。

兄が発ったのは8日前だ。

灰色領に差し掛かった時期は3日前か4日前くらいだろう。

であるならば、ひょっとすると灰領に入ったところで尋問され、討たれ、そのままこちらに運ばれた・・・?

いや、兄を討つ大義は灰色にはないはずだ。

分からない。


「・・・会おう。

特使の方は、何処にいらっしゃる?」

「お供の方2人と共に、応接間にお通ししております。

お茶のご用意などは・・・。」

「先にお出ししろ。

すぐに向かう。」


冷や汗が流れ、靴がこんなに重く感じることもあるのかと思う程、足が重い。

だが、向かわねばならない。

レジロックの髪は、たった1分でかなりの範囲が白く染まっていたことを、鏡を見ていないレジロックは気付いていなかった。



「お初にお目に掛かります、レジロック・ベッティム殿。

急な訪問に対応していただき、ありがとうございます。

私はフミフェナ・ペペントリア。

灰色戦貴族次期当主アキナギ・アマヒロ様、並びに筆頭戦士アキナギ・ヒノワ様から命を帯びて特使として参りました。」

「・・・初めまして、フミフェナ・ペペントリア殿。

レジロック・ベッティムです。

・・・お供の方々も、どうぞお座りになってください。」

「ありがとうございます。

こちら、つまらない物ですが、良ければ御納めください。」

「頂戴します。」


一人で勝手に疑心に満ちていた土産は、兄の首でもなければ腕や耳でもなかった。

美しい灰色に染められ、雲母の漉き込まれた和紙に包装された、桐で作られた箱だ。

以前、兄と共に灰色に訪問した際にも、似たような物を渡された記憶があるが、おそらく中身は和菓子と言われる米や小豆から作られる菓子だろう。

大層美味かった記憶があるので、記憶に残っていた。

・・・護衛騎士であろう2人は、男女だが、女性の方は以前に出会ったことがある。

確か、灰色戦貴族の分家の戦士で、レギルジアの領主の護衛を担当していた戦士のはずだ。

彼女に目をやると、彼女も覚えていたのか、軽くペコリ、と頭を下げた。

年齢・装備から見て、この二人は灰色領でもかなり若手のホープに該当する戦士だろう。

戦士でない自分が見ても明らかにレベル100を超えていると分かるオーラを放っており、秘書が非常に高位だと言った理由を察した。

これほどの強者を当たり前のように、しかも2人も連れ立って現れた特使。

この二人だけでも橙色当主一家を掃討することは可能だろう、そう思わせるほどの戦士だ、そんじゃそこらの役人に付けることはあり得ないだろう。

目の前の特使は、非常に幼い。

自分にも5歳になる娘がいるが、それよりも幼いだろう。

身長1mにも満たない、細身の幼女だ。

白い髪に白い肌、装束はほどほどに高級品とも普及品ともとれるものだが、フォーマルではなくTPOに反するほどの物でもない、上流階級にある子女の外出着、そう言った風体の物だ。

一般的な物よりは高級ではあっても、華美ではなく、貴金属を用いた装飾品は身に付けておらず、胸章に白い地金の金属で作られた徽章を付けている。

『灰色』の清貧を旨とする方針を汲んでいるように思える装いだ。

ギラギラと着飾るタイプではない。

腰に巻くベルトだけは如何せんゴツイ装飾や付属品が付いているが、全体のバランスは悪くない。

おそらくこのベルトは単なる装飾品ではなく、彼女の身を護る為の何かしらの装備品だと見た方がいいだろう。

手指は美しく細く、『仕事』をさせられている者のそれではない。

年齢や容姿から察するに、現灰色当主の子供ではないだろう。

おそらくいずこかの戦貴族、その更に嫡流にない庶子を次期当主候補が拾って育てている、と言ったところだろう。

髪の色が珍しい非常に鮮やかな白なので、ひょっとすると白の血統かもしれない。

灰色戦貴族筆頭戦士であるヒノワ嬢も、未だ齢6歳であるにも関わらず、黒色戦貴族筆頭戦士であるヌアダを許嫁として伴侶の如く連れ立っているらしいが、加えて白の血統まで引き入れるとは、貪欲なこと限りないとはこのことだろう。

装いから為人を知る技術には一家言あるつもりだったが、目の前の幼女は如何せん“読みにくい”。

4歳で特使を任されるのならば、おそらく“来訪者”であるのは間違いないだろう。

だが、色付き戦貴族直系でないと思われる人物が、いくら優秀だったのだとしても、これほどの幼年で特使の任を任されることがあるのだろうか。

分からない、が、『シャンメリー』を知っているというのだ、それが主から持たされた情報なのか自分で調べた情報なのかは分からないが、慎重に相対するに越したことは無い。

手で人払いを済ませると、ほんの少し前のめりに、なるべく当たり障りのない話題で会話を始める。

数分の前置きや挨拶などを済ませた頃、ほんの少しの沈黙が訪れた。

目の前の幼女は、本題を告げろ、と、暗に言っているように見えた。


「・・・フミフェナ殿は、なんでも我らが橙領にある『シャンメリー』をお探しとか・・・?」

「ふふ、そう警戒なさらなくとも、大丈夫ですよ。」

「大丈夫、とおっしゃいますと・・・?」

「こちらの二人は、絶対に口外しませんので。

・・・『シャンメリー』は探しているのではありません。

私が個人的に調べ、貴方が『それ』をお持ちである、ということを知っているだけです。

私以外の誰も、何の情報も知りませんから、ご安心ください。

と、言っても、私を殺すという手段はやめておいた方がいい、ということはお伝えしておきます。

加えて言っておきますと、レジロック様のお兄様であられるヴェルヴィア殿が知っていたわけでもありませんよ。

これは私個人の調査によるものです。」

「・・・何をお調べになったのかは分かりませんが、フミフェナ様のお求めの『シャンメリー』とは何を指すのですか?

・・・それに、兄と交渉されたとのことですが、有り得ません。

兄は8日ほど前にここネーブル・・・オーランネイブルを出立し、昨日、灰色戦領最前線都市のカンベリアに到着し、貴方がた灰色戦貴族アキナギ家の名代の方と交渉にあたったはず。

交渉が昨晩終わったのだとすると、一晩・・・たった半日で600kmもの距離を踏破したことになる。

それほどの偉業、伝説の飛竜でもなければ成し得ぬこと。」

「移動時間は半日ではありませんよ、1時間ちょっとです。」

「は・・?!?」

「まぁそれはどうでもいいことです、まぁ、伝説の飛竜とやらも全然大したことが無い、ということです。」

「フフッ・・・失礼。」

「・・・?

それはどういう・・・?」

「そちらは今回の主題ではないので、割愛させてください。

レジロック殿のお兄様・・・ノルディアス殿は、予定していた交渉を成果を以って完遂されましたよ。

今、ホクホク顔でカンベリアの宿で昼食を取っておられます。

半刻後には出発するよう馬車を段取りされているようで、御者の方は既に食事を終え、魔獣に餌を食べさせていますね。

ノルディアス殿は天ぷら蕎麦を食べながら、お付きの方に「帰路が凱旋になるような気分だ」とおっしゃっています。

まぁ、帰路は寄り道もあまりせず、5日もあればこちらに『無事』帰られるでしょう。」

「・・・一体何をおっしゃっておられるのか・・・どういうことです・・・?

ここから何百kmも離れた土地のことを、まるで今見えているかのようなおっしゃりようですが、そういうストーリーを描かれている、ということですか・・・?」

「大丈夫です、理解していただかなくとも。

本題は『シャンメリー』の件です、つまりはまぁ、話は“これから”ですよ。」

「そう、でしたか。

とりあえず兄が無事なようで、何よりでございます。」


兄は無事、か。

そして、今のところ無事に帰すつもりはあるが、これからの交渉次第ではどうなるか分からないぞ、という脅しでもあるだろう。

いや、だが、おかしい。

やはり、この特使は兄と会っているように見える。

だというのに、兄と会った後、1日もしないうちにここオーランネイブルまで来たと言うのか?

言い分もおかしい。

まるで、今現在も500kmも600kmも離れている都市のことを現在進行形で把握しているような言い方だ。

いや、だが、兄が無事なら、それはそれで問題ない。

例え、自分が捕縛され、罪に問われようとも、兄や親族に紐づけられる証拠は一切存在しないので、どれだけ遡ったとしても家門は護られる。

むしろ、遡れば遡るほど、橙に都合の悪い事実しかでてこないようにしてあるのだ。

いくら橙領主や王都からの命令でも、橙領地で兄が行っている仕事の大きさを考えれば、兄を排除することは不可能だと、余程の頭の悪い者でもなければ判断するだろう。

清廉な兄さえいれば、後顧の憂いはない。

であるならば、後は・・・。


「レジロック殿、率直に申し上げますが、私は『シャンメリー』の『仕事』を、既に全て把握しております。」

「・・・全て、と申されますと・・・?

そもそも、一体何のことをおっしゃっているのか私には・・・。」

「ヴェルヴィア殿を筆頭とする橙色戦貴族へのテロ行為や反体制プロパガンダの煽動及びその為の資金提供、ヴェルヴィア殿のご子息シエーナ殿の暗殺未遂・・・いえ、未遂に終わりましたがその後その傷が原因で亡くなられましたので暗殺は為ったと言った方がいいですか。

加えて、橙色戦貴族分家を手懐け、他領の色付き戦貴族直系の有力者と共謀し、シエーナ殿の嫡男を傀儡当主として据え、施政システムを覆す新システムを組み上げる実質クーデター計画の策定。

他には・・・。」

「いえ、結構です。

フミフェナ様、降参です、参りました。」


ホノカとノールの二人は、羅列した事実に戦慄する。

色付き戦貴族とは、人類の護り手。

魔物からヒトの生活圏を守護してくれる戦貴族には、感謝し、讃え、支える、それこそが一般市民の当たり前の姿勢だ。

いくら人柄的に崇拝できないようなクズであったとしても、色付き戦貴族の、それも本家やその直系となれば、魔物の軍勢が迫ったとあれば、そんな連中でも必ず戦場で役に立つ。

彼らは戦場で常に先頭に立つことを義務化されており、普段恩恵を受けている分、人類の脅威となる魔物を討滅し、民衆を守護しなければならない職務を負っているのだ。

戦闘能力を保持していない“銘無しの貴族”は、言ってみればただの代官であり、権限を持った行政官のようなものだ。

広大な私有地を持っていても、あくまでそれは私有地に留まり、“領地”を持っているわけではない。

ベッティム家は貴族ではあり、大金持ちであるが、色付き戦貴族のように魔物を討滅する能力は持っていない。

勿論、金で集まる在野の戦士もいるし、腕の立つハンターや冒険者といった者達であれば、多少の魔物狩りは短期雇用で可能だ。

だが、色付き戦貴族の筆頭戦士の率いる軍勢というものは、そういった組織とは一線を画す戦力を保有しているものだ。

彼らに勝る集団を形成する為に要する費用、時間、コネクション、戦闘練度、ドクトリンの形成等は、現実的に新規にそこらの商会程度が形成しようと思っても出来ることではない。

そもそも、一商会がそんなことを始めれば、叛逆の疑いを掛けられて即座に潰されて終わってしまう。

『何にその戦力を使うつもりなのだ?』となるのは、目に見えているからだ。

それ故、戦貴族の領民というのは、色付き戦貴族を廃することは武力的な意味で不可能であり、必然的に筆頭戦士を要する本家には絶対の忠誠を誓わなければならない。

しかし、いくら色付き戦貴族の戦士であろうとも、一人の人間であるので、隙があれば暗殺は可能ではある。

それを成した後、戦貴族の代わりを務め、領を護り切れる人間さえいるのなら、だが。

その問題さえ解決したなら、すぐにでも実行しても良いと考える人間も少なからずいるだろう。

色付き戦貴族本家を下準備なしで物理的に排除した場合、領を防衛する戦力は大幅に下がる。

何せ、色付き戦貴族の本家に成り代わるほどの戦力を予備的に確保することが許されていない為に、色付き戦貴族本家を失えば戦力の充足の難易度が非常に高い。

タイムラグが必ず発生することになる。

そうすると、自分達が色付き戦貴族の代わりに矢面に立つことになり、クーデターを察した外部からの介入を許す可能性もあるし、魔物の侵攻に耐えることはできなくなるので、独立どころではないダメージを負うことになるのは間違いない。

そういうシステムが構築されていることで、物理的に除くことが難しい立場の人間達が色付き戦貴族の本家なのだ。

これまで色付き戦貴族領で発生した民衆の叛乱というものは、この王国が建国されてから幾度も発生はしているが、一度も成功していなかった。

歴史を学ぶ上で、そういったことは、学校でも教えられているし、戦士達も訓練の最中に必ず教えられる。勿論、レジロックは学んでいるし、ホノカもノールも学んでいるだろう。

だが、それを成そうとしている、いや既に一部成してしまった私が目の前におり、それを追求した幼女はこれほどまでにこれまで秘匿されてきた計画を暴露したのだ、驚きもしよう。

戦慄する2人をよそに、降参です、と言った私は、極力、落ち着いた所作でゆっくりと膝をつき、膝に手を置いて、そのままゆっくりと額が地面に付くほどに頭を下げ、静止した。

ただの土下座というよりは、斬首を待つ被処刑人のような体勢だ。


「この首、如何様にも刎ねてくださいませ。

願わくば、我が家門、我が兄へ可能な限りのご配慮をいただきたく思いますが、・・・いえ、そのような大それた願望など、大罪人であるこの身からできるお願いではございませんな。

・・・ですが、それさえ叶えていただけるのであれば、『シャンメリー』に関わる全ての情報、全ての資材を提供致します。

兄やベッティム商会は橙にはなくてはならない行政機関の一つ、すぐに取り潰しては民衆にも迷惑がかかってしまいます。

貴女様の足しになるかは分かりませんが、『シャンメリー』には私だけが知る秘密金庫もございます、貴女様の懐を多少でも温めることは出来るかと存じます。」



(・・・ここが日本なら、その見事な潔さ、天晴なり、とでも言うべきなんでしょうね)


フミフェナからすれば、レジロックのこの態度はある程度予測していた事態ではあったが、予想以上に死を覚悟したとは思えないほどの潔さ、そして商人らしい最後っ屁だ。

降参して自分の命と金は渡すから、家族を守ってくれ、後処理全部やってくれ、という丸投げに近い。

言葉を額面通り受け取ったのか、ホノカがチャキリ、と薙刀を持って一歩前へ出た。

が、元々私もレジロックがよほど愚物でなければ殺すつもりはなかったので、手を上げて制止する。


「フミフェナ様?」

「レジロック殿、お立ちください。

一度落ち着いて深呼吸し、そちらのソファーに腰を掛けて、そしてもう一度、深呼吸をしてください。」

「は・・・。」


着席したレジロックの顔は、毅然としながらも、蒼い。

流石に土下座の状態では顔色までは分からなかったが、戦闘中でもなければ死への恐怖を平然と耐える一般人などいない、ということだろう。

ホノカ達には、ここにはレジロックを罰しに来たのだと思われたのだろう。

私からすると、人材と時間とお金を無駄に浪費しにきたわけではないので、処断主義だと思われるのは不本意だ。

『シャンメリー』の仕業を暴露したのは、レジロックを屈服させるための情報を手に入れていたことを伝えるのと同時に、その先行きについて伝えることを目的としていた。


「レジロック殿、勘違いなされているようなので申し上げておきますが、私は貴方を罰しにきたのではありませんよ。」

「・・・私はてっきり、『シャンメリー』の件が表出する前に、内々で収めるから死ね、と言いに来てくださったのかと思っておりましたが、違うのですか・・・?」

「違います。」

「・・・では、私を活かす意味とは、一体何なのでしょうか・・・?

貴方様の言う通り、私は色付き戦貴族への叛逆行為を行っており、その罪は極刑に値することは私自身が理解しております。

商会は、私がおらねばならない汚れ仕事やまとめ役が不足し、かなりの損失は被るでしょうが、兄がいれば潰れるようなことはありますまい。

いっそ、より健全な商会へと生まれ変わる可能性すらある。

この命の使いどころは、責任を取って首を差し出すことくらいしか、ないのでは・・・。

それとも、私は貴女様の何かの謀略の駒となって死ぬ、という形になるのですか。」

「貴方は優秀ですし、出来れば仲間の一人にしたい、というのが正直なところでして、貴方の命をアレコレと使い潰す予定はありません。」

「では、一体・・・?」

「うーん、そうですね、事情が複雑なので端的に申しますと・・・貴方ならばお分かりになる一言で説明しましょう。

実は今、橙色領に、テラ・バランギア・ラァマイーツ閣下が滞在しておられます。

ですので、生き急がないでいただきたいのです。」

「なっ!?なんと、バランギア卿が・・・!?」

「彼の御方がどう動くつもりなのかは不明ですが、展開の仕方次第では、貴方が死ぬ必要がなくなるんじゃないか、と思うんですよ。」


噂、逸話、伝説の一種とは言え、表も裏も知る行政機関の首長に近い立場の人間であるし、彼もバランギア卿がどういう存在なのかは勿論知っているのだろう。

バランギア卿の訪問が、色付き戦貴族が存命中に最も恐れる事態であることは、色付き戦貴族の当主とも付き合いのある一族であればより詳しく聞き及んでいてもおかしくはない。

『赤の英雄に睨まれれば、終わる。』

この国の歴史についてある程度学んだ人間にとって、そして行政や政治に関わる人間にとって、いや、あらゆる者にとって、彼の英雄に肩を叩かれるということは、死刑宣告と同義なのだ。

もしそういった人間が、赤の英雄とは誰だ?とか、彼が来たからなんだ?とか、何が終わるのだ?とか、やれるものならやってみろ、と言えるほど無知であれば、幸せなまま意識はなくなり、その人物の人生は穏やかに終わるだろう。

気が付けばこの世にはいないのだから。

王国の歴史の深淵を覗き込んだ者にとって、バランギア卿の来訪がどういった意味を持つのかは、多くの言葉を要しない。

答えは、結果は、歴史が証明しており、どの貴族もそれらを学んできているからだ。

レジロックが一番待ち望んでいた展開の一つが、まさに彼の英雄の目をこの橙領に向けることで粛清を誘発し、より民のために働いてくれる色付き戦貴族を据え直してもらう、ということだった。

つまり、彼の目的を果たす為の複数の手段で展開していたが、それらは複数の朗報でもって達成を目の前にしている、ということである。

その事実を突き付けられ、彼は顔が綻ぶのを避けられないらしい。

何なら、レジロックの宿願はもう、自らが生存していなくても既に果たされることが確定したと言っていい。

彼の命を削るような綱渡りや努力が報われる結果が齎らされたのだと、彼は確信していてもおかしくはない。

彼の謀略の計画書はいくつか存在しており、その内、筆頭にあった計画書は、彼自身の手で橙色戦貴族を排する、というものだった。

いくつかの検討の後、自ら封印していたようだが、廃棄していなかったのは、その願望が捨てられなかったのか、それとも自制の為だったのか、それは分からない。

封印の理由書の主題は、色付き戦貴族不在の戦力的不安を解消する手段に難があるからだ、と綴ってはいたが、それすら回避できるならば自ら手を下したいと望むほどの理由を胸に秘めているのは間違いない。

が、その点、バランギア卿の仕事は苛烈にして迅速だ。

行政的・軍事的・後継的な問題を全て完全に根回し(強権)し、加えて圧倒的な自前の戦力で様々な不測の事態を黙らせ、あらゆる考えられる政治的、戦力的な隙間を発生させない。

逆説的に言えば、バランギア卿が動いた、ということはバランギア卿はやるべき準備を全て終えているということだ。

この事実だけでも既にレジロックの目的は果たされたと見てもいい、と考えてもおかしくない。

私個人としては、介入する余地が多少ある方が有難いが、ベッティム商会の安堵だけはなんとか吞んでもらいたいところなのだが、先方がそれを呑むか、いや会う事すら可能かどうかも分からない状態だ。


「滞在理由は“不明”です。

ただ、先だっての大戦における橙の対処の不手際の調査、更に後継であるはずのシエーナ殿の死亡の“真実”の捜査、ヒトの生活を支える為の人民の激減による影響の調査、迫る魔物の軍勢の対策。

それら複数な作業が終わったことを意味すると思います。

そして、魔物への対策の為、既に近衛兵団の軍勢1万以上を橙領に進軍させていて、明日にでも魔物との交戦が始まろうとしています。」

「そんな、魔物の軍勢がっ・・・!?

そっ、それは、確かなのですか。」

「近衛兵団のオーランネイブル滞在についてはご存知だと思いますが、これは橙領の治安維持のためのものではありません。

近衛兵団の指揮官にあたる将軍閣下とも話し、確認を取りましたので、魔物の軍勢の存在も、それを討伐する為に進軍してきた近衛兵団が存在することも、厳然なる事実と言っておきましょう。

ただ、バランギア卿の滞在理由については、あくまで推測の域は出ません。

しかし、ヒノワ様に確認致しましたが、色付き戦貴族というのは、ただただ実力によって認められている戦闘集団とその血族であり、『王に選ばれた血族』ではあっても、『神に選ばれた血族』ではありません。

加えて、一代限りではなく、血統単位で子孫にその戦力を引き継ぐことが出来る血統存続能力がなくてはならない。

ヒトという種族全体の戦力を維持、向上していくことができる育成能力が必要あり、個人の武勇だけでなく総体としての戦力を維持、向上していかなくてはならない。

更に、『個人』で少なくとも守り神級の魔物と評された程度の魔物を1対1で単独討伐できる当主及び当主の代理戦士を複数名擁する血族でなければならない、という決まりがあるのだそうです。

私が調査・分析したところ、ヴェルヴィア殿は、単独で守り神級の魔物を倒すにはギリギリ・・・いえ、準守り神級の魔物を圧倒するのがやっと、という程度の戦力しかお持ちでないと聞いています。

後継者筆頭候補であったシエーナ殿はそもそもレベル100をちょっと超える程度でしかなく、シエーナ殿を除いた本家の方々はレベル100未満。

つまり、現段階で単独で守り神級の魔物の討伐を行える者はおらず、必要条件に適わない戦力しか保有していない、とも聞いています。

そして、領内の戦士達もかなりの数が橙領を離れたとも聞いておりますし、残っている戦士の方々も家族を護る為、もしくは領民を護る為に残っているだけであり、橙色戦貴族本家当主たるヴェルヴィア殿への忠誠を誓っている戦士は、子飼い数百程度とか。

これらから、以前から『王都方面の方々』からは問題視されていたようですね。

橙本家の方々は、武と文を分離し、武によってのみ立つ、という気概で構成された領運営を行っていたはずですから、他領と比較して尚更武力に秀でる者でなくてはならなかった血族であるはずで、他領の序列下位の血族を貶したり嘲笑ったりといった問題行動を先祖代々続けてこられた血族です、今はそれが完全に自分達に降り掛かることになり、武でも文でも他領より大幅に劣り、先行きは先細り、武の栄華も今となってはそれも過去の話。

お取り潰しは以前から企図されていたのでしょう、根回しがいくら早いとは言っても、後釜に座る方の準備もありますし、ね。」

「・・・それは、確かに。」

「ヴェルヴィア殿は部隊単位の運用、もしくは軍単位の指揮統率で実力を発揮するタイプの戦士であり、実際、軍を率いた魔物の討伐では、感情論ではない数字として、実はしっかり実績を残しておられます。

まぁ、それがどういった戦略・戦術だったのかはともかく、ですが。

確かにそのような人間は戦に際しヒトの戦力維持に重要ですし、実際に戦場からすれば需要は非常に高いと思われますが、それは参謀として必要な人材であって、色付き戦貴族当主としては求められていない素質である、とも言えますね。

そして、武のテンサール、文のベッティムという形式を取っているが故に、テンサール家は実質行政能力をベッティム家に完全に依存しています。

為政者とは、ただ君臨するだけではいけないし、ただ軍を率いて戦うだけでは、いけない。

民を富ませ、その命に責任を持ち、養う義務がある。

色付き戦貴族とは、ただ軍を率いて強いだけでは、いけない。

単独でも守り神級の魔物を討伐できるほどの武勇を見せなければならない。

終わらない戦いを続けなければならないヒトという種族の戦力として、それが義務であるが故に。

さて、ではそれらの条件、どちらも満たしていないヴェルヴィア様は・・・まぁ、問題有り、ですね。」

「確かに、それらは周知の事実でございます。

ですが、・・・傍から見れば・・・第三者が評価した場合、おっしゃられるように、数値だけを見れば、戦場を知らない一般市民達から見れば、被害は出しつつも、きちんと魔物を討伐してくれる、良い領主ではあるでしょう。

この街を見ていただいて理解できたのではありませんか?

ヴェルヴィア様も、一端では良政を敷いている。」

「・・・ふふ、擁護する必要はありませんし、言葉を飾らなくてもいいのですよ。

この街を見た感想は、『ノルディアス殿を始めとしたベッティム商会の皆さまの努力の賜物は素晴らしい』です。

ヴェルヴィア殿は、『貴方がたベッティム商会の忠誠と努力の上に維持されている立場に胡坐をかいて、好き勝手をしており』、『前線にあっては守るべき民や配下の戦士を犠牲にしながらようやく魔物と戦える程度の弱者だ』と断言できる。

そして、命の危機に晒され、日々傷だらけになり、犠牲になる前衛は、家族を救う為に前線に立つ戦士。

・・・言ってみれば仲間から家族を人質に取られた状態で肉壁にされ、必死に戦っている人達です。

前線出身の戦士以外にも、血族外から強制徴収した犯罪歴のある戦士や、認知していない本流から外れた血族庶子出身の戦士が、魔物と相対する正面戦力に充てられる。

レジロック殿、貴方の亡くされた親友、ライアト―殿も、その一人だった。」

「・・・そこまでご存知なのですか。」

「貴方達『シャンメリー』が何故橙色戦貴族に反旗を翻すことになったのか、その原因を調査、分析していく中で分かったことです。

そして、これは貴方だけの問題ではない。

貴方と同じ思いをしている人々が、『シャンメリー』にいるみなさんと同じ思いをしている人々が既におり、このままでは更にそういった人々が増えることになる。

サッと調べた私がここまで知っているのです、国単位の英雄であられるバランギア卿ならば更に深く広く調べておられることでしょう。

歴史を知る人間なら誰でも理解できることです、彼の英雄がそういった事を知り、行動する際には苛烈な粛清が巻き起こることを。

どう考えても、旅行で滞在している訳ではないでしょうから、大人しくはしていない、と、私は思いますけどね・・・。」


『アレラ』にヴェルヴィアの周囲を監視させ、古い情報から新しい情報まで、様々な情報を統合して分析した結果、分かったことだ。

ベッティム商会は、民衆から尊敬されることはあっても、侮蔑の対象にはなっていない。

彼らに心無い言葉を投げかけるのは、彼らの仕事を知らない“にわか”か、商売の上手くいっていない商人くらいだ。

そして、ヴェルヴィアはこの領の戦士達に恐れられている。

その強さ故、ではなく、その狡猾さとクズ加減に、だ。

大戦の際、彼は民衆を護る為に戦士に死ね、というのではなく、自分の財産である財宝や美女、税を生む領地を護る為に戦士に死ね、と公然と言っている。

自分の箱庭であるオーランネイブルを護る為に、自分の直掩の戦士の摩耗を避けるべく、遊軍はオーランネイブルに集めて籠城させ、攻め込まれた方面の戦士も全て城壁に囲まれた城内に引き揚げさせた。

当然、各城の外にも民衆は生活しているし、田畑を持って農作物を作っている農家の大半は城外にいる。

城外に家族や知人のいる者達は反発し、民衆を助けるのが戦貴族の戦士ではないのかと直談判に訪れる者もいたが、彼らはみな捕縛され、投獄され、未だに解放されていない。

直下の戦士達ですら、「城外に閉め出された民衆を助けに行かせてくれ」と懇願した者が捕縛され、一時縄に繋がれると言ったことすら起きたほど、ヴェルヴィアは徹底して民衆を見捨てて戦士を、戦力を温存した。

そして、温存した戦力をまとめ、城を囲んでいた好き放題城外を荒らしていた魔物を背後から軍で包囲して潰して回るという手法で各城を解放していった。

確かに、知能に劣った魔物の場合、蹂躙や捕食に奔ればまともに偵察などはしなくなるだろうし、城に立てこもった軍勢をわざわざ相手にしなくても、手元に無力な者達がいるのだ、蹂躙するに抵抗はないし、捕食したい者にとっては食べ放題に近い状況だ。

領内の城が解放可能になった状況になった頃、確かに城内は大半が無事に護られたが、翻って城外は酷い有様だったらしい。

橙色を筆頭としたプロパガンダを司る部門の作家達は、被害状況を無視して華々しい英雄譚を語る物語を必死に拵えているが、実態は自領の前線に近い都市に家族を持つ戦士達に「家族や仲間を救いたければ死ぬ気で戦え」と、死兵の覚悟を抱かせ、前衛の戦士の消耗を考えずに擂り潰しながら魔物を殲滅していく、という犠牲を省みないごり押しに終始していたのだ。

おかげで、ヴェルヴィア直掩の戦士達の損害は確かに少なく済んだが、前線近辺出身の戦士は相当数が亡くなるか、重傷を負って二度と戦線に立てなくなったり、といった状況となった。

未だに治療中の戦士や民衆も多く、中には亡くなっていく人もいるという。

そして、勿論、そういった前線に張っていた戦士が擂り潰され摩耗した結果、戦後と呼ばれる時期にも城外に居た民衆の多くは、自分達を守ってくれる戦士を欠いたままとなり、狩り切れず残留した魔物により多くの無力な民衆の人命が・・・それこそ数千、下手をすると万という単位が、更に失われた。

領都より後方の都市では橙色を讃えるムードも漂う一方、その事実を突き付けられた前線の都市の民衆や実際の事実を知る戦士達の中では、橙色への不満も募っていた。

「これは大攻勢に備えた戦力の温存と集中運用であって、中核を成す戦力は維持されたままであり、軍としては誤った選択ではない」という中心派の意見と、「民衆を見捨て前線出身の戦士を犠牲にして戦況を立て直すことしかできなかった戦貴族に意味などない」という前線派の意見で真っ二つに分かれ、橙色戦貴族領の民意は大きく分断されている。

勿論、後者の意見を後押しし、プロパガンダを掲げて煽っているのはレジロックだ。

確かに魔物の大攻勢に対し、戦力の小出しは魔物側からすれば各個撃破しやすくなるわけであるから、一旦集結・整理を行ってから組織的な運用を開始し、結果的に魔物を撃退し勝利する、場当たり的に出撃して各個撃破され敗北しては意味はない、というヴェルヴィアの主張は現状戦力を比較的しっかりと分析した上でのものであり、現状の橙色が取れる作戦としては良策であり、実際に計画した通りの戦果も挙げており、机上の空論というわけではなく、誤ってはいない。

ただ、それはあくまで戦力が不足している現状で取れる策としては誤ってはいない、というだけであり、それは橙色戦貴族が維持すべき魔物を圧倒する為の力が不足していたことを如実に示すものであり、ようは保有する戦力が低かったことを認識した上で戦力拡充に失敗し、逆に戦力低下の一助となるような政策ばかり実行したのが原因だ。

元々ヴェルヴィアを始めとした色付き戦貴族の戦力が低く、そもそも兵達の個も弱く、軍としては練度も低く弱い、という根本論の問題が深刻なのである。

色付き戦貴族は、人類の護り手であると同時に、人類の槍の矛先でなければならず、また、人類の槍の矛先を作り、鍛え、磨かねばならない。

灰色や白色に万単位で大挙して訪れた魔物の軍は、橙に攻め込んだ魔物とは比較にならない数と戦力を誇っていたが、大した被害も出さずに退けた。

進軍してきていた数は10倍以上。

しかも、魔物の組織だった侵攻は精鋭、決死隊のような部隊まであった。

その上、優秀な将官らしき魔物により整然とした統率も取られており、率いていた守り神級の魔物は少なくとも各々30~40匹いたとも言われており、白や灰以外だったなら領ごと滅びた可能性すらある戦力だったのは間違いないのだ。

グジやタルマリン、ディーのような守り神級の魔物の中でも特筆するほど強力な個体は、数百年に何匹という頻度でしか姿が見られておらず、討伐に至っては両手で数えられるかずだ。

橙色の領に攻め込んだ魔物の軍勢には、そういった守り神級の中でも突出した存在がいなかった、というのが一般的な見方だ。

灰色と白色の一般民衆被害が非常に少数に抑え込まれたのは、灰色と白色が戦貴族として群を抜いて優秀だったからだ。

練度、レベル、配置した戦士達の兵隊としての規律レベル、またその兵員数、そして戦士達それぞれの士気の高さ。

民衆被害の少なさは、魔物が前線を抜けた場合に城壁を持たない村などの避難方法などの対策がしっかりと行われていたことも一因だが、強力な戦力が前線に留まって敵を押し留め、押し返したことも大きな要因だ。

何せ、そこを疎かにして後方に襲い掛かったとして、グジのようなステルス能力なしで進軍すれば攻めた側が各個撃破されることになる為、どの領も最前線都市に全力を傾注したのだ。

ただ、グジのステルス状態の侵攻、薄く広い浸潤作戦は、私の能力がなければ灰でも白でも対策は難しかったかもしれないが、これは私と同様の能力者を用意していなかった場合、何処であっても大きな被害を被ったことは間違いがないので、割愛してもいいだろう。

一方、緑色と橙色に攻め込んだ魔物の軍は全軍で4000~5000。

レベル帯もそう高くない層による襲撃であったと言われており、言ってみれば魔物の偵察から「こんなものでも十分損害を与えることが出来る」と舐められ、しかも結果、それでも魔物側が過大評価をしていた、ということになった、という体たらくだ。

一番被害を拡大する要素である守り神級の魔物も、3匹しかいなかったにも関わらず、それらを討伐したのが戦後1カ月以上後に義勇軍として訪れていたホノカ達の部隊だった、という事実からも、如何に橙色が酷い状況であるのか分かる。

橙色は大戦の後、王都での論功行賞の際に灰色と白色の目の前で愚かにも「他領とは違い、橙色においては戦士の損害は極めて少数、軽微であり、戦力の温存によって今後も戦線を維持するための戦力は残されている。我々のやり方が正解だったのだ。農民など、放っておいても勝手に増えるので、育成に手間も時間もかかる戦士を摩耗させるなど以ての外だ。が、かといって農民がいないのでは領の食事事情も変わってくるので、王には戦後復興の行政支援と農民の補充をいただきたい」と、話したという。

あまりに愚かだった為、王や他の色付き戦貴族も絶句したが、ヴェルヴィアはそれを感嘆だと捉えたらしく、その事実を記した手紙がテンダイ様からヒノワ様に届いた際には、ヒノワ様は爆笑していた。(ついでに私もその手紙を見せてもらったが、酷かった。)

まるで前世の物語で読む中世の貴族のような考え方であり、農民は気が付いたら湧き出て増える雑草のようなものだと考えているようにすら思える。

正直言って、歴史家でない一般人の誰が見ても、ヴェルヴィアは愚物にしか見えないだろう。

しかも、自分の手柄だと言っていた魔物の残存勢力を掃討したのは、大半がホノカ達、つまり遥か遠くの領地である灰の、更に御用商人のお抱えの戦士であり、いくら公式に手を出すのがまずいということでこちらが存在を秘匿していたとは言え、手柄泥棒も甚だしい。


「元々、貴方がたは成り立ちから歪でした。

武のテンサール、文のベッティム。

貴方がたベッティム商会は、過度な腐敗は自浄作用でこれまで幾度も持ち直し、また持ち直させた。

幾らでも絞り尽くせるような愚物であるテンサール家を裏切らず、忠誠を誓い、これまで尽くし、富ませてこられた。

しかしテンサール家側の意向は、そうではない。

かつては上位に匹敵すると言われた武力は最下位すら下回ると言われるほどに低迷し、しかもそれを挽回する気概もなければ、その地位にあることを恥じることすらしていない。

己に課された役目を果たさず、民を虐げてすらいる。

ベッティム家の忠誠を得る為の全てを反故にしましたね。」

「・・・その通りです。

ヴェルヴィア様は、我々を侮蔑し、それを飾ることすらされておりません。

我等ベッティム家を、まるで、自分達の小間使い、いえ奴隷の如く見下し・・・。

『これからはテンサールの財布はテンサールで握る。

ベッティム家の決済など不要、順次自分で全て決裁していく』

とのたまい、ヴェルヴィア様の代に変わってからというもの、その言葉通り、あらゆる決裁に関わるようになりました。

行政の専門のプロでもないヴェルヴィア様が、予算において合理的な判断を下すことは不可能です。

我等ベッティム商会に難癖を付ける為に問題のない予算にあれこれとケチをつけ、逆に自分に縁のある者の業務には過剰に豊富な予算をつけ、そのキックバックでもって己の私腹を肥やし、民の富をあけすけに使い明かす・・・そんな施政がもう10年以上続いております。

ですが。

まだ、私腹を肥やすことだけなら、高貴なる身分における人間の欲望の一つであるので、私も叛旗を翻えすところまでは思い至らなかったかもしれません。

我が兄の商才ならば、それすら乗り切るだけの財は築けたでしょうから。

ですが、ヴェルヴィア様は、戦士達や亡くなった戦士達の遺族への恩賞や、福祉や鍛錬に必要な投資を行わず、先代様までが行っていた多額の費用を要していた戦力増強の為の施策のほぼ全てで中抜きを行い、あまつさえ領の為に戦う戦士達をまるで肉壁の如く扱い死なせるなど、彼らの思いを踏み躙りました。

それでも彼らは・・・戦士達は大事な人々の命を護る為に危機感を持って日々鍛錬し、前線を維持してくれておりますが、行政に関わる私には危機感しかありません。

統計のデータは後程お持ちしますが、テンサールの血族を除く戦士達はこの10年で半減しており、次々と橙を離れているのが現状です。

特に優秀な戦士達は、劣悪な待遇を見かねた別の色付き戦貴族の領からのスカウトで、優遇される立場になり、領を移る者も多くおりました。

・・・現実的に、財政面をいくら維持したとしても、戦力的な面から見て、ヴェルヴィア様の治政は、もう長くは続きません。

いえ、治政どころではない、この橙色領に住まう全てのヒトが生活を維持できなくなります。

このまま数年も経てば、物理的に橙の領地が魔物に圧し潰され、民は屍の山に化け、他領に迷惑をかける状態に至ります。

そんな未来が、我等には最早確定的に見えています。」

「ですが、それを進言した貴方の意見をヴェルヴィア殿は全否定した。」


レジロックはコクリ、と頷く。

襟元を広げると、そこにはまるで肉を引き千切られたかのような傷痕が残っていた。


「橙色の権勢を侮辱した、として、ヴェルヴィア様がその手で、私に懲罰を与えられたのです。

そして、もし橙色の権勢に陰りがあるのだとすれば、それはベッティム商会がテンサール家の足を引っ張っている為であり、怠慢が原因だ、と。

あれだけ滅私の働きぶりで領の為に献身的に働く兄を、怠慢だ、と・・・。」

「なんという御仁だ・・・。

とても許されることではありませんな。」

「色付き戦貴族の御当主様方とは数多く知己を得ておりますが、ヴェルヴィア殿がそこまでのお方だとは・・・。」

「私が、『シャンメリー』を立ち上げたのは、ヴェルヴィア様に代替わりした直後であり、元々はヴェルヴィア様の治政に不満を持つ者達を集め、ガス抜きをさせる、というのが主なる目的でした。

何せ、ヴェルヴィア様の施政では、あまりに正直者、真面目な者が憂き目を見ることばかりでしたから・・・。

ですが、ヴェルヴィア様の治政に代替わりしてから数年も経つ頃には、『シャンメリー』はガス抜きの組織どころか、実質的に反体制派組織の受け皿、その中核的組織となっていました。

その後、組織の人員は増えていき、先だっての戦災の後は大半の構成を担うようになったのは、亡くなった戦士達の遺族達です。

大きな被害の出ない間は、まだ穏当な着地点を探っておりましたが、戦災が契機となりました。

あれ以来、私達はもう、どう取り繕っても、ヴェルヴィア様を許せなくなってしまった。

例え、愚昧な当主であろうとも、先祖代々続けてきた橙色を武以外の部分から支え続ける、という崇高にして強い意志を持った兄を、偽り、一切の敵意すらないとしても陰ながら敵対するしかない事態になろうとも・・・。

ですが、ここまでくれば、私の命は最早、重要ではない。」

「バランギア卿が、既にこの地にいる。」


再びコクリ、と頷くレジロックは、いっそ清々しいとでも言ったような笑顔を浮かべた。

彼らの中では、もう叛逆の末に橙色の権力を転覆させる動きは始まっており、数年の内にはバランギア卿を間接的にでも動かす目算が立っていたのだろう。

ヒノワ様の話では、戦貴族、特に色付きに関しては、権威付けに非常に厳格な御仁のようだし、例えヴェルヴィアが討たれたとしても、レジロックが返り討ちに逢おうとも、バランギア卿が動くことになっていただろうことは間違いない。

だが、彼はもう既に動き出すどころか、ネーブルオレンジにいるというのだから、レジロックからすれば既に目的が達成されたと言っても過言ではない状態だろう。

なんなら、拳を振り上げたら振り下ろす前に相手が心臓麻痺で倒れたような状態だ。

拳を振り下ろさずとて相手は死ぬだろうし、助けるにしても最早手遅れだ。

必要のない拳を振り下ろすべきなのかどうか、それが自己満足以外の何物であるのか、最早レジロックの悩みはその程度だ。


「貴女様・・・フミフェナ様が、どうやってかこれまでの経緯、全ての事実を知っておられる。

そして、私が切望してやまなかった、赤の英雄、バランギア卿も調査に乗り出してくれた。もし私や『シャンメリー』の構成員が皆死んだとしても、『シャンメリー』はその目的を達しました。

・・・例え何も知らない兄が処刑され、ベッティム家が取り潰されようと、橙の領民は助かる。

おそらくバランギア卿が全てを整え、民衆に被害が及ばぬよう差配してくださることでしょう。

きっと、これほどの愚政を犯したヴェルヴィア様の後釜となるお方は、有能で高潔な方が据えられるに違いありません。

そうなれば、最早我々の役目は全て果たしたと言っても、過言ではない。

・・・1つ心残りがあるとすれば、何も知らない兄の・・・高潔に先祖代々の宿命を果たしてきたノルディアスの命や我等の家族も、私の所為で失われるかもしれない、ということだけです。

『シャンメリー』の皆には、ヴェルヴィア様にトドメを刺す達成感は感じさせることはできませんでしたが、結果が全て、です。」


詳しく調査する前は、ノルディアスとレジロックは裏で敵対関係にあるか、もしくは共犯状態にあるか、二択だと思っていた。

だが、調査していく上で分かったことだが、レジロックは極めて周到に自分の存在を隠匿しており、ベッティム商会が後ろ盾であるということは一切口に出さず、独力で築いた組織作りを徹底し、資金提供も複数の商会を介して行っていて、ベッティム商会どころかレジロック当人ですら『シャンメリー』と一切関りが無いと思えるほどだった。

会合に参加する際は偽名にマスク、変声の薬剤を使用してまで己の存在を秘匿し、自らの動向は様々に偽装しながら隠蔽する、しかしそれでも仲間に納得させる仕事ぶりと成果を見せたらしい。

徹底的に、全てを隠していた。

『アレラ』を使った調査でも、彼の家や家族、身近な人物、誰も何も知らず、疑いすら持っていない。

『シャンメリー』に参加した面々は、そんなレジロックに厳選された秘匿能力を持つ人員が、洗脳に近いほどレジロックに心酔した果てに忠誠を誓っており、例えその名・顔・声すら偽物であったとしても、彼を信奉していた。

レジロックは、特に兄ノルディアスに影響が及ばないよう、ノルディアスが懇意にしている人間や自分以外の血族と関わりのある人間をほとんど『シャンメリー』には参加させていないし、使っていない。

まるで、関係者全てが処刑されたとしても、ノルディアスに迷惑がかからないように、全力を尽くしているかのように。

そこから感じられるレジロックの執念は、徹底的な現実主義に裏付けられている。

レジロックが集めた『シャンメリー』の構成員は、全てレジロックが自分で調べ、自分で声を掛け、自分で面接し、自分の築いた裏金を使用して登用したメンバーであり、当初は数も少なかったが、戦災後は裾野が大幅に広がり、構成員の数は膨大に膨れ上がり、裏の大組織のような体を成していた。

皆レジロックを尊敬し、一部のメンバーは神の如く崇拝すらしている。

数千人に及ぶ構成員のうち、彼らには1人の裏切り者も、1人の間者もおらず、彼らは完璧な鉄の結束の元に構成されていたのだ。

そんな組織が存在するなど、通常はあり得ない。

時折、何らかの気配を察した公安に該当する部署の人間から『反体制派の気配が感じられるので捜査をしたい』とヴェルヴィアに申請が行き、激怒したヴェルヴィアが徹底した捜査を命じ、あちこちで無法とも言えるほどの強引な捜査や拷問に近い取り調べが起きたが、『シャンメリー』の情報は一切漏れず、逆に捜査官から「大規模な組織であればこれほど秘密が守られることなど有り得ないので、存在したとしても数人規模の小規模に違いなく、小規模であればヴェルヴィアを害することは不可能であり、かつ対処療法でも対応可能」と報告書が書かれるほどだ。

それほどの情報秘匿が徹底された組織を維持してきたレジロックだったので、情報が洩れる可能性など、頭の端から消していたのだろう。

私のような特殊な能力を持っている人間を想定していなかったからだ。

私は例えそれが密室で行われた会議だろうが、コソコソ話だろうが、言葉を口から先に出したものは知ることが出来る。

調べる限りにおいて、レジロックは様々な方向からベッティム商会の運営、橙色の治政に影響力を及ぼしており、その影響力は既に領を支えるノルディアスの能力を遥かに凌いでいることも分かっている。

当然だ、1つの都市で、ほぼ行政機関である商会の番頭として商会を切り盛りしながら、商会と完全に切り離した大組織の信奉を浴びるほどの組織運営を行い、叛逆の手はずを整え、既に事が成ろうとしているのだ。

それもノルディアスの益にも害にもならないように徹底し、レジロックの配下達もそれを徹底して守っているほど、末端まで教育も行き届かせた上で、だ。

傑物と言って過言ではない綱渡りを、結成から数年、組織が膨張した戦災から数か月に亘って、瑕疵なく続けている。

そんな優秀なレジロックを、ここで殺すのは百害あって一利なし、だ。

ヴェルヴィアは死んだとしても民衆に何の影響もない、むしろ良い影響の方が大きいと言って過言ではないだろうが、レジロックは自分が言うような目的を達成したら死んでよいような人間ではない。

彼が死ねば、きっとノルディアスだけではなく、橙色の領地に住む民衆皆が困ることになるだろう。

それにおそらく、レジロックが処刑されれば、自分達の信奉した叛逆の頭領が唐突に失われたことに気付くであろう『シャンメリー』の面々は、彼が失われれば後を追って自らの命を絶つ者も続出するだろうことも推測に難くない。


「一つだけ断言しておきますが、私は“私の主観”で罪を犯していないと思われる優秀な商売相手を、むざむざくだらないヴェルヴィア殿を追い落とす程度のいざこざに巻き込ませて死なせるつもりはありません。」

「はは・・・、ありがとうございます。

それが例え、体毛一本なくなるまであらゆるものを毟り取る為だけが目的だったのだとしても、私はその一言だけで救われます。」

「なに、私が搾り取るとなれば、毛どころか全身100%余すところなく使い尽くしますが、貴方達が『有能である』と私が思っている間にはそんなことは起きないので、ご安心ください。

・・・ところで、一つ気になったのですが、貴方の持っている“短剣”は、橙色にも、届くのではないですか?

何故、主たる目標を貫かないのですか?」

「主たる目標ならば、既に貫いております。

そして、彼にはこんな汚れ仕事以外の、しっかりとした本職があります。

私が頼んだ仕事は、一度きりの仕事です。

それ以降は一切私には関わってはいけない、と断ってあります。

・・・叛逆は、力によってのみで行われてはいけないのです。

彼にシエーナ様の内臓を抉るよう依頼したのは、条件を満たす為に必要な行為だったからであり、それさえ果たしたならば、私の目標は達成されたことになる。

それ以上は、過剰なのです。

やり過ぎれば、領を守る兵も、『シャンメリー』に属する者も、それらに守られる者も被害を大きくしてしまいます。」

「・・・非常に理知的かつ、常人には耐えられざるお考えをお持ちかと。

貴方のそのポリシーに敬意を表します。」

「・・・彼は、私がレジロックであることを明かした上で何度も頼み込み、たっての願いであることを伝え、完全なる隠蔽が可能な暗殺を一度きり発注する、そして破格の報酬を以って依頼しました。

前述の通り、私との関係を一切断つことを条件に依頼を受けていただいただけ、です。

責任は全て私にあります、もし私が死んだとしても、彼は殺さないでやってもらえませんか。」


レジロックは、既に“短刀”に該当する人物が誰かバレていると確信している。

そして、“短刀”も『シャンメリー』の構成員に劣らずレジロックに忠誠を誓っている。

彼から何度も「誰それを暗殺してこようか」と提案があったこともバレているかもしれないと考えているし、何ならだれにもバレない形で、レジロックだけが分かるような人物を依頼も報酬もなしに己の判断で消したことすらある人物だ。

レジロックが逮捕される罪状の筆頭は「色付き戦貴族に叛意を抱き、計画、実行した罪」でり、であるならば色付き戦貴族の直系嫡男を殺害した人物は「色付き戦貴族直系を暗殺した実行犯」であり、どう足掻いても処刑される。

軽くて斬首、重ければ残虐な計画に基づいた救いの無い拷問の果てに晒されて苦しめられて死ぬことになるだろう。


「貴方がたが暴力に訴えたのは、その一件だけですよね。

私はまだ使える“短剣”を拾ったとしても、わざわざ鋳融かしたりしませんよ。

“短剣”は道具であって、それが木工作に使われたのだろうが、誰かを殺した物だろうが、私にとっては重要ではありませんから。

使えそうでしたら使いますし、使えないと判断すれば捨てるだけです。」


実際、レジロックの計画した叛逆行為は、驚くほどに非暴力的だった。

いや、築き上げた暴力的な資産による暴力的な買収や恐喝は存在したかもしれないが、暴力に訴えることはしてこなかった、というのが調査結果からも分かっている。

それが橙色に油断を生み、本気を出させないための計画的な行動であることは間違いないが、“短剣”の自己判断による暴走数件を省けば、末端まで一切暴力行為には及んでいない。

そして、目標を追い詰めて追い詰めた後、トドメの一刺しをあやまたずに一撃で刺し貫き、獲物にトドメを刺した。

目的を達する為の一撃のみ、暴力に委ねたのだ。

見事なものだ。

通常不可能だろうと言われている色付き戦貴族筆頭戦士の血族の暗殺を果たしている点から見て、レジロックの用意した“短剣”は徹底した調査能力・計画能力、実行力を持っていることがうかがえる。

調査した限りでは“短剣”は有名な戦士ではない。

暗殺向きな能力ではないにも関わらず、計画から実行までレジロックを含めて他者に一切知らせず、また依存せずに任務を果たした。

隠匿・脱出の為の計画は完璧なものが練られていたと思われ、1人で全てをこなした点から見ても相当優秀なのだろうことは間違いがない。

基本的に暗殺者を捜査する場合、より洗練され、より痕跡のない事件であればあるほど、プロフェッショナルを捜査することになる。

“短剣”は表向き一般的な武人であり暗殺に向かない堂々とした武術を売りとしている、という己の特性を逆手に取り、己の手口を秘し、普段は絶対に使わない武器を使用して華麗に任務を果たした。

いずれボロが見つかれば特定される可能性はあるが、現在でも捜査線上にすら上がっていないほど、完全な犯行なのだ。

もしレジロックが要らないと言うなら、手元にあってもいい程度には欲しい。


「色付き戦貴族は、名の通り、目立つ色を身に付け、民を護る為に戦場で最前線の先頭に立ち、理不尽なほどの暴力を揮い、魔物を蹴散らして戦う戦士でなければならない。

であるならば、最前線で戦わず、民を護らず、後方で次善策しか練ることができない人物は、色付き戦貴族ではない。」

「・・・確かにその論理で言えば、そうでしょう。

ですが・・・現時点で、ヴェルヴィア様は色付き戦貴族なのです。」

「えぇ、まぁ立場としてはそうですね。

ですが、彼はその論理を知らないのか、無視しているのか、誤解しているか。

何故、『兵を率いる者』ではいけないのか、この世界にいる者であれば皆知っていること。

何故、『守り神級の魔物を討伐できる者』でなければ務まらないのか、この世界にいる者であれば皆知ること。

それがあまりに当たり前のことでありながら、色付き戦貴族直系へ明確に徹底されてこなかったことも、ここ橙色での代々の瑕疵だったのかもしれません。

この論理は、形骸化した様々な方策とは、違います。

この2点のみについては、魔物が絶滅でもしない限り、この世界では、これまでも、今現在も、そしてこれからも必須な要件ですからね。

多くの命を背負っているのです、様々な権限を得る代わりに、彼らは様々な責任を負う必要があり、これらの論理は守られねばならないことなのです。」

「フミフェナ様の言、ごもっともかと・・・。」


レジロックの親友が死んだのは、ヴェルヴィアの撤退戦の殿として魔物の群れに少数で防衛することになった際のことだ。

彼は、ろくな情報・兵も与えられずに、捨て駒のように扱われ、配置された兵ともども全滅するまで戦わざるを得なかった。

何故そのようなことになったのか。

ヴェルヴィアに一騎当千・・・という語句を圧倒する一騎で万の魔物に類する戦力があれば、彼らは死なず、撤退戦も逆撃戦へと切り替えることもできたかもしれない。

筆頭戦士とは、それほど圧倒的な存在でなければならない。

単騎で軍に立ち向かい、なんなら軍を相手に単騎で蹂躙が可能なほどでなければ、守り神級の魔物に相対することなど不可能なのだ。

ヒノワ様やヌアダを見ていれば、兵達が喜んで死線に赴くのも理解できる。

先だっての大戦で、2人の見せた戦いぶりは、直接目にしたわけではないが、逆に『アレラ』を経由して俯瞰して多くの場面を見たおかげで痛感している。

戦力的な背景を構築したのは二人であり、彼ら一般兵を日頃から育成し、練成したのも2人だ。

だが、そもそも彼ら兵達が何故それほど深い忠誠心を持ち、領民を護る為に命を投げ捨てても構わないと身を犠牲にする兵までがいるのか。

そして、圧倒的な魔物の数に怯えず、都市を守り切れたのか。

2人の圧倒的強者が魔物を蹂躙し、先導し、魔物を圧倒していたからだ。

『魔物の侵入さえ許さず守り切れば、魔物は全て反撃によって殲滅できる』、そう言う確信があるからこそ、兵達は命がけで都市を守り切ったのだ。

後方への進軍に関しては、グジが戦略的な視点で一手上回っており、場合によってはその二人であっても大損害を免れなかっただろうが、もしあれが橙や他領で起きていたなら、最前線都市すら陥落していただろう。

そうなれば、後方だけではない、前線も崩壊していたことは明確であり、損害の倍や3倍ではきかない、千倍、万倍の損害を被っていただろう。

橙色は、魔物の『上』になめられた上に、更にそれすら過大評価だったと周囲に知らしめる戦果を恥とも思っていない頭に王都のおえらいさんは頭を抱えたことだろう。


「貴方がなさろうとしていたことは、既にほぼ完遂したと言って過言ではありませんよ。

ですので、その命、もし捨てるつもりだったのなら、私がお預かり致します。

見ての通り、身体が小さいのが難点ですが、これからあれこれと忙しくなる予定なのです、力を貸していただけませんか?

今まで『シャンメリー』を率いて来られ、目標を貫いてこられ、目的を果たした貴方の力を、私は非常に高く評価しておりますし、必要としています。」

「・・・貴女様ならば、私の望みは全てついでで叶えてくださりそうですね・・・。

もし可能なのであれば、『シャンメリー』も貴女様に膝を屈することをお許しいただけませんでしょうか。」

「勿論、構いません。

調査段階である程度推測はしておりましたが、レジロック殿や『シャンメリー』の方々の強い意志には頭が下がる思いです。

皆さんが力を貸してくれるというのなら、むしろこちらからお願いしたいくらいです。

貴方達には気持ちの良いポリシーと強い自制があり、それは支持するに値するものだと、私は判断します。

一応念を押しておきますが・・・バランギア卿は、私が引き入れた訳ではありません。

これは直接的、間接的、どちらの意味でも、です。

それでも、私の下につくというのですか?」

「目的を果たした後、命を捨てる覚悟すらあったのです。

ほぼ、目的が達せられている現状、私には次の目的、目標が必要です。

私が見るに、貴女様は極上の器を持っていらっしゃる。

愚物に仕えた今までの愚かと言える人生を無に帰すほどの、傑物たる人物に仕えたい、という私の欲は、誤っているでしょうか?

私は誤っていないと、自分で思っています。

それに、貴女様に仕えることは、兄の意向にもきっと沿うことでしょう。

・・・一言も兄に相談はしてきませんでしたが、これに関しては誇らしく口にしてもいい。

『シャンメリー』、飲み干していただけますでしょうか。」

「甘く、私のような子供でも飲める、人を酔わせることがなく、優しい飲み物。

ならば、私はそれを飲み干してみせようかと思います。

なに、炭酸ですから一気飲みをすればゲップも出ましょうが、ゲップは貴方がたの想い人の顔面にゲフーッと吹きかけて御覧にいれますとも。

まぁ、私のゲップは猛毒です、浴びた方がどうなるかは知りませんが、ね・・・。」

「ふふ、それではたっぷりと飲んでいただかなければなりませんな。

虫歯にさえ気を付けていただければ、悪い物ではございませんよ、安心して飲み干してくださいませ。」


短いが手を差し伸べる。

差し伸べたが、手が短いので全然届かず、2人は苦笑する。

レジロックは半歩前進し、跪いて手を伸ばし、手を取った。

レジロックの顔からは険が取れたようにも見える。

その瞬間から、レジロックを始めとした『シャンメリー』とは、主従関係が結ばれたのだ。

その後、1時間程度、フミフェナとしてのこちらの世界での立ち位置、ホノカ達には公開しているフミフェナ個人及びその環境の説明を行うと、彼は苦笑し、空を見上げた。



(はは、ざまぁみろ、ヴェルヴィア。

バランギア卿に加えて、これほど恐ろしい方すら敵に回したようだぞ。

見ているか、ライアト―、そして命を散らした戦士達、民衆たちよ、その遺族達よ。

そう遠くないうちに、ヴェルヴィアはその身に自らの罪を刻み、命を落とすだろう。

皆の犠牲を、無駄にはしない。

そして、これ以上の犠牲を生まれぬよう尽くすことを誓う。

見ていてくれ、例え、私が地獄に落ちようとも、可能な限りの全ての処理をしてみせるとも。

何、この若き女傑ならば、後任がどのような領主だったとて、上手くやりきれるはずだ。)


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