25話 橙色領都オーランネイブル
「橙の領地に行ってくれる?」
「は。橙の領地に何かあったのでしょうか。」
「うん。
ちょっと問題があったみたいでね。
昨日の、ノルディアス殿との交渉の件に絡みそうな感じだし、橙との交渉をまとめてくれたフェーナに任せるのがいいかなって。」
「了解致しました。
御許可さえいただけるのであれば、今、すぐにでも。」
ノルディアスとの商談をまとめた翌日、朝からヒノワ様と一緒に温泉に浸かりながら、あれこれを話しながら、ゆっくりとしていたのだが、唐突に飛んできた伝令からの矢文を(勿論飛んでいる矢を)素手でキャッチし、受け取った手紙を読んだヒノワ様の言葉。
いやそもそも、風呂に浸かりながら矢文素手キャッチが傍目にはすごい光景だが、何の掛け声もなくヒノワ様に向けて矢文が射られても、平然と片手でキャッチするシーンも、灰色に数か月もいると見慣れて来るのだから不思議だ。
ヒノワ様が読み終わると、手紙は私に手渡される。
ざっと手紙の内容を見たが、どうやら確かに今回の交渉に関連する問題が発生したようだ。
「おっけー、じゃあ、準備が出来たらすぐに出立してもらおうかな。
フェーナのことは信頼しているし、灰色の損にならないのなら、現地での基本裁量も任せる。
きっと、何か橙の領地に行っても、現地判断でやらないといけないことがあれこれ出るだろうから。
それが灰色の為になることをしてくれることなら尚のこといいけど、フェーナは軍属とか侍女っていうより、私の要望を定期的に聞いてくれる秘書とか御用聞きみたいな立場であってくれればいいから。
フェーナが戦貴族として身を立てたいって言うなら、きっとみんな諸手を上げて歓迎するだろうし、多分すぐにでも嫁ぎ先は決まるけど、そうじゃないみたいだし。
私の指定する仕事がない時は、自分の動きたいように自由に動いてくれていいよ。
フェーナの心の赴くまま、ね。
まぁ、どうしても私の決済が必要になりそうなことがあれば、コレで連絡くれればいいから。」
「了解致しました。
・・・ご信頼いただき、ありがとうございます。」
“辞令 フミフェナ・ペペントリアを、灰色戦貴族筆頭戦士でありカンベリア領主であるアキナギ・ヒノワ付きの御用聞きとする。また、同人をアキナギ・ヒノワ専属経営顧問に任ずる。”
今朝付の辞令だ。
今までにない役職であるので、役職の分掌も特に定められていない。
だが、ヒノワ様の個人雇用というよりカンベリアという都市に所属するユニットの一つとして雇用されたと認識しているので、様々な仕事がこれから振られてくると考えた方がいいだろう。
既存部署への配属ではないので、御用聞き、経営顧問いずれにしてもヒノワ様直属となり中間の管理職が入らないことによって、対外的な交渉の場などにおいては、私が矢面に立つか、ヒノワ様との同行を許されることになるだろう。
また、ヒノワ様の筆付きの御用商人となれば、ヒノワ様やカンベリアに関して個人・行政間での直接の商売が可能になったこと、これによって公式・非公式に様々な物を商売できるということになった。
こちらの世界では、貴人に該当する人物に関しては、行政制度として、御用商人であるという認定の取れた、有り体に言えば身元保証のある商会としか物品売買が出来ない。
武力に恃んで立場の弱い者に強制的に課した条件で商売を行うクズのような者もいるし、武一辺倒の脳筋の貴人が百戦錬磨の商人に必要以上に絞り尽くされぬように、一定以上のぼったくりを防ぐ制度でもあり、商人側も貴い身分の人間も両方が損をしない図だ。
ようは貴い身分にある人間が強権を振りかざす場合にしろ、ぼったくられる場合にしろ、“貴い身分にあるまじき能力しかない”ことを露呈させない、必要最低限の精度なのだ。
例えば、色付き戦貴族本家の直系の人間が「この商人に不当な価格を迫られ、必要以上の経費を支払ってしまったので、この商人を詐欺で訴える」と言ったとすると、そもそも本当に不当な価格だったのか(実際は正当な価格だったものを高いと難癖つけていないか)、正当な価格で取引しろ(正当な価格を知っておけ)、正当な価格が取引時に分からなかっただけではないか(後から言うな)、直接やりとりして返金してもらえない程度の身分なのか(相手に不備があったのなら自分で是正させろ)、といった侮蔑を生み、それによって更にプライドを傷付けられた者は、実力行使に出る可能性があり、そうなるとまた色付き戦貴族という存在が民衆から疎まれる可能性もあり、また蔑まれる対象になる可能性すらある為、色付き戦貴族側のプライドを守り、“武”という最も色付き戦貴族に求められている能力以外で色々な些末な問題で処罰を課したり、最悪お家お取り潰しとなるような事態が起こらないよう、王都の法整備で定められたのだ。
色付き戦貴族を処罰したり後始末をするのは、彼らより上位の存在である王や王の定める法だけなので、問題が起これば仲介をするハメになる立場の王都側もそんなつまらない理由での苦労はしたくない、と苦慮の結果だ。
逆に、商人側が「色付き戦貴族の本家から相場どころか原価を割るほどの低価格で取引することを強要された。なんとかしてほしい。」と訴え出るような場合も同様だ。
立場上、上位にある存在が介在することになると、そういった問題は度々発生しており、問題解決まで長期間周囲が迷惑することになるので、それを避けるためでもある。
至極真っ当な制度であるので、どの領でもその制度を歓迎して受け入れている。
そして最後に、ヒノワ様に経済的な経営面の顧問役という役職名であるので経営・・・つまり経済的・運営的な意味で補佐・アドバイスする立場になったということだが、ノウハウ自体がまだない状態なので、とりあえず出来ることは全てやって複合的な意味でヒノワ様をサポートしつつ実績を積むところから開始しなければならないだろう。
ただ、こちらの世界においては、既に異世界転生した技術者や知識人、科学者も数多くおり、数多く前世界の技術や品が再現されていて、画期的な開発などは中々難しい。
そもそも基礎科学の段階でこちらの世界の理であるEXP粒子の影響がまだ具体的に判明していないことが最も大きな理由だ。
そこが解明されない限り再現する為の技術が追い付いていない物、そもそもその理によってこちらの世界では再現の難しい物に関しては、現在基礎研究から行われている。
それらの理由により、異世界転生によくあるチート知識による一足飛びに便利な物、というのは開発できない。
再現可能と思われる農業、工業の技術は、ある程度最初は原始的ではありながら、前世界の知識を受け継いだ先人達によって、既にかなりの技術は開発され、普及されている。
それ故に、こちらの世界のあれやこれやを既に多く研究し、様々な物を開発しているローマンさんのような人はかなり異質であり貴重、こちらの世界での技術としてのトップを走るナインは更に輪をかけて稀少な人材だということでもある。
彼らに頼り切りになるわけにはいかないが、様々な分野で求められたことに応えるための体制作りは整えていかなければならない。
「御用商人として働く為の方針について、取り決めを定めておりませんでしたので、様々な指針をヒノワ様中心の意向とする為、最優先でヒノワ様の意向だけでもお伺いしたく思います。
近々、お求めになる予定のモノについて、モノ、状況など、書類で簡単にまとめていただけると助かるのですが・・・。」
「うん、わかった。
じゃあ、お風呂あがったら思いついたのはとりあえずまとめるね。
後から思いついたこととかも追加したりしてもいい?
ぱっと思いつか成ったりで曖昧な書面になるところもあると思うけど、いいかな?」
「はい、ヒノワ様の主な趣向・意向さえ汲めれば、それで結構です。
勿論、御用聞きなのですから、後からあれこれとお申し付けください、それこそが我が喜び。
折角、橙に赴くということもあるので、御用商人としてもある程度動ければと思います。
・・・橙現地では、ある程度、特使として動ける権限をいただいたものと考えて良いのでしょうか、それとも一介の商人として赴いたという形を取った方がよいでしょうか。」
「特使として派遣することになるから、うちの看板をしょってもらうことになるね。
まぁ、私の発行できる権限って言っても、灰色の筆頭戦士兼カンベリア領主としての権限に限る、だけど、まぁ証書も急いで作らせるよ。
都市内においても、都市外においても同様、一応今日この場を離れてから帰還して任を解くまでは特使、そしてその後はしばらく私の顧問として活動してもらう予定で動いてくれる?
実際のところ、私は攻撃力に特化しているところがあるから、正直、都市運営には色んな人の協力が必要不可欠。
ただ、サポートしてもらう人材登用に関しては世襲によるところもあるけど比較的上手くいっていて、様々な分野で優れた人材を配属できてるんだ。
“今のところは”、ね。
今のところは、過不足なく現状維持なら問題なく回せる程度には、充実してはいるんだけど、これからは違う。
どう違うか、何が変わるのかは・・・まぁ多くは今は多くは語れない、けどまぁ察してくれれば。
フェーナには、ようは“これから変わる部分”についてサポートしてほしいんだ。」
「はっ!その任、お請け致します!
これより、ヒノワ様の信に応えられるよう、尽力致します。」
これからは違う。
前線を動かすのか、それとも『他』が動くのか、それは分からないが、これからは今よりももっと人材が必要になる事態が発生するということだろう。
私はそういった人材のピックアップや登用もサポートした方が良いだろうし、そういった御用聞きでもあると考えた方がいい。
幸い、ホノカやイオスを含めた大隊規模の人員については既にレギルジアとカンベリアから抽出してもらっており、武官の育成は進めてはいる。
こちらの世界でも勿論文官は必要だが、文官は学校卒業者を登用する方が無難だろう、武官はレベル的にも技術的にも練度的にも、戦場で鍛えた方がいいのは間違いがないので、戦場に叩き込むことを繰り返した方が早いだろう、と持論を持っている。
「前もらった桔梗玉ってずっと使える感じなのかな?」
「桔梗玉はおそらく私が死なない限りはずっとご使用になれるかと思います。
急用や御指示がございましたら、ご連絡いただけましたらすぐに対応致します。
ただ、物に関しては・・・分析はしていただいても構いませんが、分析者が死んでしまうかもしれませんので、ご注意を。」
「ん、んん~、それはやめとこうかな~~。
でもフェーナといつでも連絡取れるのは、助かる~。
御用聞きってどんな感じの物から対応してもらえるんだろ?」
「原則、ご要望については『全てのこと』に関して対応していくつもりでございます。」
「ふ~む・・・『全て』、ね。
じゃあ、例えば、どこそこの魔物の群れの情報が欲しい、とか、どこそこのレアな食材が欲しい、とかでも?」
「勿論、そういったことへ対応可能な態勢を整えるつもりでございます。
ただ、本日からの稼働となりますので、コネクション形成や情報収集の未熟な部分については、しばらくご不便をお掛けするかもしれません。
今後、出来る限り早期に・・・3、いえ、2か月を目途に充実をはかれればと思っております。」
「分かった、じゃあそれまでは任意にお願いがあればお願いしていく感じにするね。」
現在、ヒノワ様を取り巻いている『御用聞き』の体制というのは、未成熟だ。
これまでヒノワ様は“我が儘”を言ってきていない。
そして、あまり多くの贅沢をなさっておらず、使っている私費の大半は食事代、次いで衣装代くらい、というほどの節制ぶり。
守り神級の魔物を討伐した報酬や、領主としての報酬は、その大半を投資として都市に還元しており、急な出費に備える程度の必要最低限の資産以外はほとんど手元に残していない。
カンベリアにいる自分の配下に個人的な要望をあまりお伝えになることはなく、四六時中世話をするために付き従うお付きの者を断り、己の武力に不満があるのか、と半ば脅し文句で配下が進言した護衛を全て断る、優秀な行政官がいるからと、よくいる賄賂をチラつかせる設計コンサルタントのような輩も全て追っ払ったという。
テンダイ様など領の頂点に立つ方であっても、公的な立場にあられる方は、灰色戦貴族の場合は領の規則として公的な収入、歳出に関して全て血族外の監査機関が精査し、審議通過の上でしか使用できないように自らを縛っていた。
灰色戦貴族領内に限っては、戦貴族に属さない貴人であっても、個人に帰属しない公的資産を使用した場合は、その使用された履歴は記録が遡れるように第三者が裏付けを行ってまとめており、その対象にはヒノワ様も勿論含まれている。
ヒノワ様の私的支出に関しての記録もあった為、比較的早期にその辺りの書類は確認した。
ある程度まとめられていたが、そもそも書類の冊子が非常に薄く、量が非常に少なかった為、すぐに確認出来てしまった。
金額の大きな物から順に並べれば、上位に位置する大半のものは行政に関連するものだ。
行政のトップとして、行政に関連するものの予算の決済をする立場にあるのは間違いないが、私的支出ですら詳細に追い掛けてみると行政に関係する出費ばかりだというのだから、ヒノワ様にとってはカンベリアは最早箱庭であり、そこにお金を掛けることも趣味の一つのようなものなのかもしれない。
普通、領主ともあろう立場の人物の公的な出費には、領主を領主たらしめるための装飾品や調度品が含まれるのが普通だが、公的・私的な支出どちらにもそれらはほとんど含まれていない。
翻って、公的支出についても統計をとってみたが、こちらは勿論行政関係の支出が最も多い。
何故行政関係の支出が多いのかと言えば、一番大きい者が都市計画関係であり、単価はそれほど大きくないとしても、王都もかくやと言われるほどの巨大都市であるカンベリアであるので、相応に使用される分量が桁違いとなり、統計の序列の第二位である社会福祉に属する費用よりも桁が二つ多い。
都市計画について従事している、サウヴァリーさん達率いる建築屋集団がカンベリアの大半の都市計画・施工を賄っているが、彼らは何故カンベリアにて定住しているのか。
引く手数多であり、王都に行けばいくらでも贅沢の出来る建物を受注し、施工することで経験も実績も積め、人脈形成も可能になるというのに、だ。
答えは簡単で、サウヴァリーさんも言っていた通り、ここにはヒノワ様というサウヴァリーさんを思う様、楽しく仕事ができる環境が整えられているからだ。
が、彼らも道楽“だけ”でカンベリアにいるわけではない。
各種工事に際して、『工賃』は都市の歳出から捻出されているが、それと別に支払われている『雇用』に関する費用はヒノワ様が個人的が支払っているのだ。
計画・設計・資材調達や建築速度についてはサウヴァリーさんの前世の経験や能力、こちらの世界に来てからのチートアビリティの恩恵を十二分に受けられる為に都市の設備の充実ぶりは他都市と一線を画すカンベリアだが、城壁を除けばサウヴァリーさん以外の建築家でも、工期が多少延長されれば可能ではあるのだが、サウヴァリーさんほど和風建築に精通している建築家がほとんどいないのが問題なのだ。
ヒノワ様をはじめ灰色戦貴族本家の要望を叶える和風建築が可能な建築士が世間に少なく、サウヴァリーさん達が必然的に御用大工となっていったのは致し方ないところだ。
彼らからは、工賃などを除く雇用だけでも、適正価格による請求は回ってくる。
加えて、一部の店舗や道路整備などについては、ヒノワ様がお祝いと称して援助していたり、場合によっては開店資金を丸々全て出費していたりするので、この出費が一番大きいのだという。
また、一般的に戦貴族が使用する予算として最も高額になるのは、武具だ。
その為、戦貴族の御用商人と言えば、本領を発揮する場所はまさに武具の調達と言ってもいいレベルの世界でもあるのだが、ヒノワ様の武具調達で必要としている予算は、戦貴族筆頭戦士の中でも群を抜いて少ない。
既に最上級の域を超えた装備品を個人的取引で一式揃えており、摩耗や破損が極端に少ない上に自分である程度やってしまう為に、支出が少ないのだ。
日ごろの手入れや成長に伴う仕立て直し、修繕などのメンテナンスは発注先を製造元に一元して依頼するということを告知しており、鍛冶屋に自費というか個人支出の範囲でやりくりしている。
他色の色付き戦貴族の筆頭戦士が使用する年間公的支出としては、武具類の購入・メンテナンス費が一番高い。
色付き戦貴族の筆頭戦士ともなれば、その膂力、精密さは生半可なものではなく、武具に必要とされる稀少な金属、付与された様々な効果、そしてそれらを一つの武具として完成させる職人としての腕前、それらが全て揃って初めて使用可能な武具となるのだ。
更に、完成品を一度買えば永遠に使用できるものではなく、尋常ではない膂力を持つ戦士が使用することで摩耗は非常に早く進行し、定期的メンテナンスは必須、場合によっては買い替えが発生する。
更に更に、色付き戦貴族の筆頭戦士ともなれば、子飼いの者達の装備も揃えてやる必要があり、筆頭戦士級かそれより一段落ちる程度の超高級品を数百といった単位で購入・定期メンテナンスする必要性が発生するため、膨大な金額になるのだ。
加えて、ヒノワ様を始めとした弓などの射撃系の武具、投擲系の武具を使用する戦士は、消耗品ですら超高級品を使用しているので、メンテナンスとは別途、消耗品の新調、補充といったことが頻発する。
使い捨てにせざるをえない部分があるにしろ、不定期に何度も何度も消費し、その度に補充していたのでは不足に陥る可能性があるため、かなり余分に補充していく必要がある。
そうなると、必要経費ではありつつも、その金額は数に見合った、相応の額になるのも致し方ない。
が、ヒノワ様とその配下の多くは弓矢という消耗品を多量に消費する武具を使用する手前、矢については別の概念を導入することで金額を抑えていて、予算が大幅に抑えられている。
『一般兵と筆頭戦士の使用する消耗品が同一グレードの物であること』
これにより、ヒノワ様は弓はともかく、矢に関してはカンベリアにいるどの弓兵の持つ矢でも使用可能ということであり、消耗品は軍の普及品・・・ヒノワ様に限っては『カンベリアの軍の普及品』という前提はつくが、それでも消耗品としては目が飛び出るような物を使い捨てているわけではないのが、予算を食っていない理由の一つだ。
矢なんてみんな同じだろう、という戦士はいたが、ヒノワ様の射撃を一度見た戦士は、『一体どんな希少金属の超高級品を使えばこんなことが可能になるのか』と、皆問い合わせるのだという。
しかし、使用しているのは『カンベリアの軍の普及品』である、と回答すると、大抵の者は「有り得ない」と言う。
ヒノワ様が使用する弓はヒノワ様の膂力と技術、様々なスキルの補助がなければ引き絞れないほどの非常に強力な張力、それに耐えうる素材で作られているらしく、膂力に自信のある色付き戦貴族本家直系戦士でも5mmも引き絞れず、技術に自信のある戦士であっても結果は同じ。
使用できるのは、超技術と恵まれ過ぎたフィジカルを持つヒノワ様ただお一人。
そして、それほど強力な弓からスキルを使用して放たれる矢の推進力は、火薬を用いている銃などの弾丸より遥かに高速で強力となのだという。
そこまでの弦がヒノワ様の手を離れるとどうなるのか。
答えは、音速をはるかに超える。
ヒノワ様はその弦から発生するソニックウェーブを超至近距離で浴びることになるが、ヒノワ様は更にそのソニックウェーブを収束させ、矢の推進力に転換するという無茶苦茶なスキルも使用されているという。
更に、その速度で矢弦が弾かれた場合、矢尻・矢芯を含め全体の強度もなければ、矢を放とうとした瞬間、弦が矢尻から矢を綺麗に真っ二つに引き裂いてしまい、矢は放たれることはない。
過去様々な試験が行われたらしいが、あらゆる工夫の凝らされた矢が、ことごとく全て引き裂け、砕け散ることになったそうだ。
唯一砕けなかったホワイトベルの矢は、3本で色付き戦貴族の筆頭戦士の愛用している武具1つと同額という高額だった上、彼方まで飛んでいき、おそらく地面を貫通し、地中奥深くに埋没し行方すら分からなくなったそうな。
その為、ヒノワ様はハード側・・・矢で解決するのではなく、ソフト側、つまり使用する者のスキルで解決することを選んだ。
通常、他領の弓矢を用いる戦士が使用するスキルとは、弓を引き絞る指への精度を強化するスキル程度。
灰色領においての大半の弓兵達が使用するのが、飛距離を伸ばす為に矢を高速で螺旋回転させる為に弦から矢が離れる際に使用する初期回転補助スキルや、弦と矢の離れを円滑にするスキル。
更に上級のアキナギ家に仕える弓師と呼ばれるクラスになると、視力向上や風を読むスキル、弾道・着弾点を予測する補助計算的なスキル、矢のしなりや弓本体・弦などを補強するスキルなど、多岐に亘るスキルを習得し、しかもそれらを同時使用しているらしい。
『弓』の二つ名を冠する筆頭戦士であるヒノワ様は、更に多くのスキルを使用していると聞いた。
矢を補強する為のスキルを会得したヒノワ様は、直属の弓師達にもそのスキルを習得するように指示をし、彼らも会得している。
一方、矢はほとんど手作業を必要とせず、矢羽根を必要としない、大量生産が可能な安価な鋳造に少し手を加えた炭素鋼製の物を規格品として定め、直属の工場で生産している。
矢軸の芯の部分がただただ真っ直ぐの金属であること、矢羽根で回転させるのではなく矢軸に螺旋を刻み、射出技術と射出した際に使用するスキルで矢軸のみで回転させる構造であること。
先端がドリルのビットのような形状にはなるが、金属製の鏃を木製などの矢軸に取り付けるタイプのものだと射出の勢いに耐えられない為、鏃一体型の矢として強度アップ、製造性向上も兼ねてこの形に落ち着いた。
これを一般普及品として、最も多く製造し、他領で用いられる『返し』のある鏃は製造していない。
対人であれば鏃は突き刺さった者の肉や内臓を抉り、致死率を高めるものであるが、対魔物に関しては刺さっても肉や重要な器官を抉ることが難しい為だ。
かと言って、弓では射出する兵器側にライフリングを刻むことができないので、発射物に螺旋の回転を持たせることが難しい為、矢軸側に加工を施すことになったそうだ。
灰色の弓兵の使用している弓は前世とほぼ同様の形をしていて、他領の弓兵と比較的して変則的な矢を使用しているが、それでも製造単価からすると、1本辺りの値段は総鉄造りであっても一般的な矢と比べてそれほど高くはない。
ヒノワ様の放つ強力な弓撃が弓兵5人や10人分どころでないことは明白であり、同じ矢が使えるということは、対費用効果は抜きん出て優秀、文字通り抜群なのだ。
前世換算で他色が数十億円単位の武具を購入・もしくはメンテナンス費用を予算として計上することで毎度資金繰りに苦労することを考えると、装備品一式合計でも一般兵5人分程度で賄えている、という事実はある種、異常とも言える。
対費用効果は非常に高いが、“死の商人”と言われる武具商人達からすれば、最も単価の高い・・・つまり利益の見込める商品である最上級クラスの装備品や消耗品に関して、旨味のある取引がほぼなく、メンテナンスや消耗品の生産態勢が独自に築かれている、という事実は、ヒノワ様への売り込み意欲を低下させている。
武具に限らず節約家でもあるヒノワ様は、武具以外も同様に自分の裁量であれこれと揃えてしまう為、追加で買い込むことがあまりないので、武具商人以外の商人や鍛冶屋もヒノワ様へのアプローチを諦めている節もある。
シェアを争ったり賄賂を贈っての割り込みなどをするほどの金額ではないので、割り込んでくるほどの意欲もほぼない。
賄賂を贈った商人などは、逆にきっちり皆処分されてしまったということもあり、ヒノワ様の御用商人の肩書を得よう、という者はもうほとんどいない。
傾向的に、ヒノワ様は気に入った者、入れ込んだ者に執着する傾向にあるようで、リピートされている商会は、片手で数えられる程度の数しかないことが既に分かっている。
今ではたまに発生する恐れ知らずな若い商人が、命を恐れずアタックする程度らしい。
レギルジアにあるアグリア商会は、その中でも数少ないヒノワ様のお気に入りの商会の一つであり、ヒノワ様所有のレアアーティファクトコレクションの9割前後がアグリア商会から購入したものだそうだ。
が、アグリア商会は本拠がレギルジアであり、ヒノワ様がいくら気に入っていると言っても距離が遠く、それほど頻繁に立ち寄っておらず、レアアーティファクトの購入は収集目的もありつつ、レギルジア訪問の思い出として購入している趣味の部分が大きいとのことで、販売されている物でほしい物があるから買うという状態ではないらしい。
元々レアアーティファクトという名前で分かる通り、普及品ではなく、量産の難しい機能開発経由のワンオフの物も多い。
サキカワ工房がある為にレギルジアにはレアアーティファクトが多数存在するが、どの都市にも必ず同様のレアアーティファクト工房があるというわけではなく、そういった工房がある確率はおそらく全体の3%にも満たないだろう。
それ故、出回れば高額になることも当たり前、工房の意向によってはそもそも出荷先も絞られ、あまり大量に個人が所有できる物でもないので、金持ちの好事家が多い。
あくまで色付き戦貴族が欲する武具とは、超強力な武具であり、稀少でデリケートなレアアーティファクトを戦闘用に設える者はほぼいない。
ブースターと呼ばれる、身体から立ち上る粒子やスキル・術式を使用する上で溢れたり零れたりした粒子を収束して回収、再度使用者へ転換する能力を持った機材もあるが、基本的にこちらは多くの戦士や術者が使用しており、性能差こそあれ、非常に頑丈に作られているので戦場でも個人所有の武具の一種として装備品のリストになるほど普及品としてかなりの数が量産されている。
特注で製造された意図した特殊な機能を持たせたレアアーティファクトは、持たせた機能によっては便利だが、そもそも非常に高額であり、紛失の可能性や奪われる可能性も考え、戦場に持参すらしていない者がほとんどだ。
機能部分がデリケートなので、戦場でなくとも震動や被災によって故障の可能性があり、かつ修理が製作工房でなければ行えないといったデメリットもある為、普段使いとしては中々使いにくい部分もあるからだ。
戦闘に用いれば故障によって不具合が発生し動かなくなる、もしくは暴発によって自傷を促す物になる、という認識が度重なる事故の報告レポートから広く伝わっているため、私のベルトのような普段使いに見える物をレアアーティファクトだと見抜く者は少ない。
と、横道にそれてしまったが、つまりは、御用商人として働くのならば、ヒノワ様のこだわりを一つでも多く知り、何を欲し、調達に際してどういった方針を取り入れるべきなのか、ヒノワ様の意図するところを知り、それに応えられなければ、御用商人たり得ない、必要とされない可能性の方が高いのだ。
商人として成功もしたい、ヒノワ様との特別な関りも断ちたくない、レベリングもしたい、経済的に困窮しない裕福な環境を作りたい、無用な苦労はしたくない。
この辺りの当初目的は大きく変更する予定はない。
「分かった。
じゃあ、その辺はお風呂あがった後ね。」
「了解です。
・・・橙の件、私の事前調査が甘かったことによって、様々なデメリットを含んでしまうことになってしまい、申し訳ありませんでした。
責任は全て私にあります・・・。」
「いや、いいよ、全然、ほんとに。
情報がない中で頼んだのも、契約内容に決裁出したのも私だしね。
ただ、私の名誉挽回も兼ねて、フェーナに処理してもらえると助かるかな、っていう・・・もっと言えば、他の人に知られる前に処理しちゃいたいかなーって・・・うん、まぁミス隠しの一環をやってもらう便利屋さんになってもらう感じだね・・・。」
「ミスを挽回し、更なる利を獲得できるよう、立ち回ってまいります。
デメリットとなる可能性のある部分をメリットに転換する為、即座に現地の情報を集めるための行動を開始します。
巻き込まれた事態が複雑な為、場合によっては大きく動く可能性もございますが・・・。」
矢文の情報が正しいとするならば、橙の領地にとある問題が根深くあり、それが表出した。
それも、絡みに絡んだ毛糸の束のように、最早結び目をほどこうとしても外部からでは手の付けようもない状態で表に出てきたのだ。
今から動くとすると時を争う問題であり、明確に目的を据えて、必要な部分と不必要な部分を選択し、行動しなければならない。
どのような状態になれば解決となるのか、どう決着をつければ解決と呼んでいいのか、分からないほど、混沌とした複雑さになってしまっているので、八方丸く収める解決は難しい。
もう絡んだ糸どころのもつれ方ではないので、もつれた部分はほどくのではなく、取り除いて繋ぎ直す・・・つまり『外科的治療』が必要な状態なのだ。
誰かには不幸になってもらわなくてはならない、皺寄せが行く、ということだ。
「どうするつもりなのか、一応聞いといていい?」
「・・・要点だけを申し上げますと、最悪、橙の本家一党を排除することになるかもしれません。」
「おぉぅ・・・。
え、ベッティム商会から他商会に切り替えるんじゃなくて、橙を潰すの・・・?
うーん・・・。
橙では戦の後始末問題くらいしか聞いた事ないけど・・・どう絡める予定なの?」
「はい、実は・・・。」
ヒノワ様にのみ聞こえる声でひっそりと、今までに知り得ていた限りの情報をお伝えする。
ほわほわしたお顔から、次第に怪訝なお顔、眉間に皺を寄せたお顔に変化していく。
幼さの残るお顔であるというのに、その様すらも美しいのだから、不思議だ。
橙の情報は、以前に魔物の大侵攻の後にホノカ達を魔物討伐兼レベリング時に潜入させた際に、ある程度の情報収集が可能なように『アレラ』の下準備だけはしていたので、その気になればある程度情報収集可能な下地だけはあった。
ただ、距離が遠かったこともあり、その当時である程度知り得る情報だけをサッと集めて、その後は特には情報を集めてはいなかった。
「・・・はー、めんどくさい状態だね~・・・。
しかし、いつどうやってその情報を入手したの?」
「一応、“縁のありそうな場所”の情報はかき集めるように動いてはいたのですが、詳しい情報はまだ得ておりませんでした。
過去の情報を知るにとどまっておりましたので・・・。
今後は、進行形の情報も逐一収集するよう、手配致します。」
「うん、まぁ普通、出来てないのが当たり前だよ。
仕方ないし、気にしないで。
それより、あれやこれやが真実だとすると、なるほど、橙は荒れるね。
確かに状況の進捗次第では、『橙色』はお取り潰しの対象になりうる。
でも、フェーナの言う通りの状況なら、橙本家だけでは収まらない、もっと、より大きな問題になるかもしれない。
下手すると、ベッティム商会ごと潰れることになるかも。」
「と、おっしゃいますと?」
「もう知っているかもしれないけど、色付き戦貴族筆頭、赤色戦貴族本家にして筆頭戦士、王家指南役、王の教育係、とまぁ色々やってらっしゃる赤の英雄ことバランギア卿という方がいらっしゃってね。
彼は、色付き戦貴族という役職の名誉にかかわることについて、監察し、粛清する権限を持っていて、それらを実行する粛清部隊の統括もやってるんだ。
戦貴族の名を汚す者を粛清する、別名、断罪の刃。
中二っぽい名前だけど、その別名に恥じないだけの実績は山盛り積んでる。
実力は勿論、私なんかでは及びもつかないものだし、権謀術数にも長け、耳もいいし目もいいし、腕も足も長い。」
「なるほど・・・、それはとても、厄介でございますね。」
「まぁ、厄介どころじゃないけどね、私よりも序列の高いヌアさんですら、バランギア卿の指南を受けた時にはボッコボコにされたから、まぁ人じゃないよ、あの人は。
で、『戦貴族の名を汚す者』ってのは、戦貴族当人の問題だけじゃなく、戦貴族を貶めるように害した者も含まれるんだよ。
以前もあったんだ、とある色付き戦貴族で、本家に対して叛乱を企てた分家が。
事態が大きくなってきた辺りで、バランギア卿が直々に警告までして、実力行使も示唆したんだけど、分家は「やれるものならばやってみろ」の一点張りで、叛乱を実行・・・しかけた所で、いつの間にか一族郎党がみな行方不明になった。
・・・まぁ人知れず皆殺しになったんだろうね、で、被害者どころか加害者すら行方不明、証拠も因果も不明、よって下手人不明。
分家が丸ごと全部全滅したので、勿論存続不可能になって本家もお取り潰し。
事態については王家から箝口令もなく、色付き戦貴族としての条件を満たしておらず、失格、お家お取り潰しの発表だけ。
一般市民達は陰ながら分かりつつも、『何があったんだろうね、あぁ、恐ろしい恐ろしい』、ってみんな口を噤む。
歴史書を紐解けば回答なんてたくさん書いてあるし、公表されないだけでそれ専門の部門を管轄しているバランギア卿が一切絡んでないなんてことは絶対ないのは、一般民衆ですら知ってるけど、アリバイもあるし、証拠がないからね。
みんな犯人は分かってるけど、誰にもどうやったのか分からない、怖い、関わり合いになりたくない、自分達はあぁならないようにしよう、っていう意識の流れの誘導だね。
つまりはまぁ、橙の問題だけど、事態が発覚するとバランギア卿が動くかも、ってね。
で、そうなるとベッティム商会まで波及する可能性があって、バランギア卿が動いたなら、ベッティム商会もついでに人知れず・・・って可能性もある、ってこと。」
赤の英雄、赤色戦貴族筆頭戦士、テラ・バランギア・ラァマイーツ。
赤い髪、赤黒い瞳、赤銅色の肌、深紅の衣に赤茶けた靴、朱の頭巾に赤いルビーのような宝石、種別不明の赤地金の金属プレートの装飾品を纏う、全身真っ赤の戦士。
ド派手というよりも、シンプルに赤い。
巷に出回っているバランギア卿の肖像画や書物の記載を見れば、どれも真っ赤っかに描かれており、常に赤い装束をしているのは間違いないようだ。
曰く、『戦場で装束を朱く染める英雄』
曰く、『龍を屠りし者』
曰く、『300年生きている人間』
曰く、『建国王を超える歴代史上最強の戦士』
都市伝説に謳われる通り、歴史上最長の寿命の人間であるのは、高位の『鑑定』スキル持ちが確認しているらしく、長命が当たり前の魔物や亜人ではないらしい。
で、未だ現役。
3代前の王の時代からは王の教育係も担いつつ、領の前線は留まることを知らず前進を続けて独走。
配下の部隊を構成する武人たちも、他領なら筆頭戦士となってもおかしくないほどの強者、名が残るほどの化け物揃いで、完全実力主義を地でいき、血縁や役職には一切忖度がないという話だ。
ただ有能であり、ただ強くあればよい。
武官だけではなく、文官も存在し、立身出世した者は、時には隊を辞した後に王都の高官に任じられた者もいたという。
父や祖父の書斎にあった戦記物の読み物を見ると、大体そういう立志伝中の人物の逸話を遡ると、バランギア卿の名前が出てくる。
ゲーマーによくいる中二病の重篤な患者である私からしても、チート乙としか言いようのない戦歴や人生を送っている人物なのだ。
それに、いくらファンタジーな現象があちこちに散りばめられているこちらの世界であっても、普通の人間は、確実に300年も生きられないのは間違いないので、全身全て粒子化しているだけではなく、何か特殊な技術を使用して寿命を延ばしている化け物なのだろう。
最低300歳を超える年齢、しかもそのうち少なくとも100年は魔物との戦いや研究や修練に費やしたと思われるし、その強さは考えるだけ無駄だ。
まだ全身が完全に粒子化していない、たった数か月レベリングし鍛えた自分ですらこのレベルなのだ、最低100年以上レベリングし鍛えた全身粒子化した戦士が私よりも弱いわけがない。
ただレベルだけの問題でもない、300年もの人生や戦歴で鍛えられた技術やスキルは、おそらく数年鍛えた程度で凌駕するのは不可能だろう。
ひょっとすると、粒子化するのに伴って、寿命を延長する為に菌やウイルスに対する絶対耐性をスキルとして修練し、所持している可能性もあり、私の取り得る有効な対抗手段が存在しない可能性すらある。
更に、全身が粒子化した人間は、既に物理現象を超越した存在になっている可能性があり、通常の生命体と同様の生命活動が行われていない可能性・・・食事や呼吸、新陳代謝すら不要としている可能性もあるのだ。
と、これだけ書いたが、まだこの人物の逸話は語り切れない。
彼は更に、その非常に長い人生の中で拾い上げた血族に縛られない優秀な戦士を自分で教育し、戦士として尋常ではないほど鍛え上げている。
彼に率いられる『フェイタルウーンド』と『ストレイシープ』の二部隊は、組織されてから150年の間、魔物との戦闘で負傷の軽重はあるにしても、死亡や復帰不可と言った戦力的な損害を負ったことがないらしい。
隊の人間が減った原因は数の多い順で、スカウトや派遣>女性戦士の妊娠・出産・育児>家業の継承>食中毒>病死>老衰(90歳を超えた戦士が寿命で死亡)>家庭の事情>親の介護の順であり、病死や老衰ですら死者が出たと大騒ぎになったというのだから、もういっそ笑い話だ。
両部隊は構成兵員数を各々定員1,000名としており、年齢による入隊・除隊の決まりがない。
年功序列といったこともなく、シンプルな実力主義で組織が構成されており、更に実力を示した上で実力が特に長け戦略に長ける者が長、それに準じる実力と戦術に長ける者が参謀、隊を率いるほどの実力と能力を持つ者が隊長となる、といった感じだ。
1年に2度、練兵の過程で闘技大会が開かれ、フルイにかけられた戦士達によって、両組織は戦力を維持・・・いや向上が図られている、というのは国中で有名であり、一躍名を上げるための祭りとして戦士達が活気づく。
隊から辞することになる隊員、もしくは選に漏れて入隊できなかった者はこういう際に発生する為、各勢力はそういった者をスカウトするために闘技大会の観戦に熱心に通い、手勢の強化を図っている。
その2部隊は、戦場とは別の場所でより緊急に対応すべき事態が発生した、食糧に問題が発生した、病気が蔓延して治療が必要になった、などの『戦闘で負けたわけではないけど総合的に判断して撤退しなければならない状況が何処かで発生した』ことで戦略的撤退をしたことはあるらしいが、そもそも戦力的な損害が発生したことがないという記録があるのだから、『敗走した』という記録が存在しなかった、と言われている。
彼が王都の西側に位置する赤を率いてからというもの、赤色戦貴族領は西進を留めることを知らず進めに進め、大陸の端にまで到達した。
元々海に近かった南方以外で、大陸の端まで到達し、海にまで到達した唯一の色付き戦貴族だ。(この国では海に近かった南方の領がいくつか海と隣接しているが、その他の領は内陸となっており、海に隣接している領から多量の塩を取り寄せている)
赤色の両隣である白と黒は、赤の領地を挟み込むように配置され、赤の突出に追随する為に必然的に鍛え上げられることを余儀なくされ、両者も非常に優秀な戦士達が成長した。
序列第一位は真紅の英雄が化け物部隊を率いる『赤色』。
序列第二位は純白の騎士達を率いる『白色』。
序列第三位は漆黒の重戦士達を率いる『黒色』。
この三色は少なくとも200年間、他色の追随を許さぬ練度と強さを誇り、順位は不動のものとしている。(第四位『青色』、第五位『灰色』)
現在、大陸の端にまで到達した赤色は、そのまま折り返し始め、黒と白の領地を逆流し挟撃を始めると言った具合だ。
・・・それほどの重鎮であるにも関わらず、この御仁は、前線を部隊に任せ、度々行方をくらませる神出鬼没の人物であり、気が付くと地方領主の領館にいることもあるという。
フットワークが軽い、という話ではない。
彼が行方不明になった後、姿が見られた時には、何か大きな事態が動いていた事例が数多く報告されており、その度々に大事になる為、一般市民でも『赤い英雄がいなくなったら凶事の前触れ』と語り継いでいるほどだ。
「はい、そういった部隊があるとは、あれこれと調べていく中で存じております。
バランギア卿の情報に関しては、ヒノワ様ほどではないかもしれませんが、巷で知り得る限りの情報は存じているつもりです。」
「耳の早いことで有難いよ。
バランギア卿の行動は、基本的に王は確実に黙認する。
それは私も確認しているから、ある意味、好き勝手していると思った方がいいね。
ただ、言ってみれば国そのものがバランギア卿の子供みたいなところではあるから、国に不利益になるようなことは、今のところしていないと思われる、というのが一つの救いではあるかもしれないけど。」
恐ろしい話だ。
・・・そんな彼が、今現在、王都にいるはずなのに行方不明である、という情報を、私は秘密裡に手に入れていた。
情報の入手元は、テンダイ様に貼り付けた『アレラ』だ。
国王から極秘だという念押しを受け、幾人かには既に伝えられているらしい。
テンダイ様はヒノワ様にも秘密にしていたようだが、秘密というのは複数の人間が知っていて口にした時点でもう秘密ではないのだ、ということを国王には知っておいてもらわなければならないかもしれない。
加えて、最近新しく手に入れた諜報手段によって、複数の遠方の最新の情報も手に入るようになったので、事前に散布していた『アレラ』を数か月ぶりにようやく励起し、まさに“今”確認しているが、橙色領主の領館の近くをうろつく、如何にも怪しい動く空白がある。
これはグジのステルス能力に近い物であると思われるが、グジよりは劣っている。
グジは動く空白のような不自然さすら一切発生させない、完全なステルス能力、超高等技術を用いていた。
おそらく、不可視状態になるスキルを使用している者が蠅蟲人の技術に似たスキルを独自開発して使用しているのだろうと思われるが、そんなことが出来る人間は誰だ、と考えると、消去法の第一番目の現在王国最強の戦士が王都から消えている、という事実は別には考えられない。
「実は、非公式ながら随分前からバランギア卿の所在は知れるように王都に密偵を放っていたのですが・・・報告では、王都でバランギア卿の所在が追えなくなった直後、王都側から何者かが秘密裡に橙入りしたことは行政上の書類からも明らかとのこと。
そして、高位の潜伏能力を持つ何者かが今現在、“監査”を行っているのは間違いないようです。
高い走査能力を持つ密偵が追随しており、明らかに怪しい人物の所在は追えつつも不可視状態であり、その“空白”が何者であるのか正体不明となっています。
私の推測ですが、密偵が長時間にわたって“空白”を追い掛けているにも関わらず、その正体を追い切れないという事実が、バランギア卿本人が直接訪問されていることを示唆している可能性が高いのではないか、と報告にありました。」
「バランギア卿が既に動いていて、直接出向いてきている。
となると、橙はお取り潰し目前かもね・・・。
急いでいきたい、ってのは、まさかバランギア卿と面会して何か話をするつもり?」
「はい、おそらく交渉を行うことになろうかと思います。
バランギア卿にまつわる様々な噂が事実かは不明ですが、折角まとめた商談がダメになるのは勿論避けたい、というのが正直なところです。
私やヒノワ様、灰色領の一般市民の実利、加えて罪のない橙の領民が飢えや魔物の脅威を考えますと、ベッティム商会を残し、橙を廃し、新しく有能な戦貴族を据え、魔物を淘汰し、領の安定化を推進する。
それが一番多くの人が幸せとなる方策となるのではないかと考えた次第です。」
「そうだね・・・。
ただ、分かってるかもしれないけど、色付き戦貴族を“下”から取り潰し、改善することはできないよ、全部“上”から。
あと、新しい領主・・・色付き戦貴族の任命も、だね。
何せ、優秀な色なしの戦貴族は諸々いるとしても、色付きにまで格上げしようってなると、家ごと召し上げる感じになるから、ね。
準色付きの中から選抜するにしても派閥争いもあるし簡単には任命できないからね。
まぁ正直橙・・・というかヴェルヴィア殿は、戦士っていうより政治家向きだと思うし、政治家向きって言っても領主向きでもないしなぁ・・・。
格落ちは致し方なしって感じだけど、領地の統治状態のアレコレのめんどくささを考えると、候補が諸手を挙げて立候補するような状態じゃないだろうから、新しい候補選びも難儀しそうではあるかな~・・・。」
「パワーバランスの問題、ですね。
ということは、橙を活かす方向で進めた方が良いでしょうか?」
「いや、先々代ならともかく、先代やヴェルヴィア殿には未来はないかな、武のテンサールなんて呼ばれてたのが、今はもう昔、って感じの嘘みたいな凋落の一途だからね・・・。
お隣の青のアズール卿もよく愚痴ってらっしゃるし、適任がいれば代えてほしいとは思ってると思うよ。
今回の件は、一切合切、フェーナに任せる。
責任は私が取るので、収拾付けてきてくれると助かる。」
「了解致しました。」
「まぁ、敢えてフェーナが主導しなくてもいいかもしれないけど、顔を売るのなら、多少あちこちに功績の貸しは作った方がいいかもね?
ん-、あと、念の為に言っておくと・・・。
私からすればフェーナも化け物だけど、何度も念を押すけど、バランギア卿は、化物だよ、正直人間だと思わない方がいい。
真正面からぶつかっちゃ、絶対ダメだよ。
加えて、あの人の子飼いの戦士達は、そこらの一般階級の戦士とは一線を画す戦闘力を持ってる。
下手すると、色付き戦貴族直系より強い一騎当千の戦士が部隊単位で、戦略的・戦術的視点で動く参謀もちゃんといるし、実力主義の軍隊だから、あんまり軍隊の方も舐めない方がいいね。
下手すると、バランギア卿個人よりもそっちのが面倒かもしれない、と思う程度には厄介だから・・・。
ひょっとすると、フェーナは幼い外見をしているから、初手だけは油断してくれるかもしれないけど、相手が幼かろうが手加減はしない人達だから・・・。」
「それは恐ろしいですね・・・。
御忠告ありがとうございます、細心の注意を払い、気を付けるように致します。」
「・・・あんまり怖がってなさそうだね・・・。
まぁフェーナならなんとかなるかー・・・。
となると、私から出来る方策としては、社会的な立場も足しといたほうがいいかな。
私と兄上の連名の証書も正式な奴を用意するから、できるまで待ってくれる?
あー、それと、御供とかどうする?
特使扱いするなら、一人じゃなくて何人かいた方がいいと思うけど・・・ホノカさん達の中から二人くらい連れて行ける?
待ってる間、ホノカさん達と出立の準備しといてくれれば丁度いいんじゃないかな。」
「ありがとうございます、ヒノワ様のおっしゃる通りにしようかと思います。
随行者ということでしたら、可能ならホノカさんとノールさんでしたら私の随行速度にある程度追随できると思いますので、一緒に行って貰おうかと思います。」
「おっけー、じゃあ、そんな感じで書いとくね。」
お風呂を上がり、ヒノワ様の身繕いをさせていただいた後、橙行きの準備は粛々と進み、2時間後には出立することになった。
ヒノワ様との打合せも済み、方針も決定したことだし、前準備としては十分だ。
肩書は、アマヒロ様、ヒノワ様連名の特使、随行者2名。
ホノカ、ノールの二人は、繰り返し行っている修練によって移動速度計測の成績もよく、巡行移動速度で私にある程度追随できる。
私が長距離移動用の巡行モードで空力特性を増した状態で先行すれば、三人で移動しても時速400km以上での移動が可能だと推測している。
ただ、舗装面を走るとまず間違いなく事故が起きると思われるし、折角アグリア商会で舗装した舗装面が私達の脚力で剥がれる等の影響が考えられる為、敢えて無舗装かつ人のいない、切り開かれていないルートを走らなければならない。
沼だろうと川だろうと山だろうと森だろうと無視して駆け抜けることとなる。
障害物だらけのルートを走行するとなると、舗装面や平地で走るのとは勝手が異なる。
疾走時の前面シールド構築、思考速度加速や動体視力の向上、反射神経の加速も行わなければ、この速度帯で障害物のある場所を生身で移動することはできない。
私についてくれている部隊の面子の中だと、ホノカ、ノールを除く隊員は未だにその領域にまでは達していないので、連れて行くとなるとかなり速度を落とす必要があるので、正直今の段階では足手まといでしかない。
しかし、この二人に関しては、戦闘力よりも移動速度に準じる付随能力、そしてアキナギ家分家の当主候補である次席にあり礼儀作法を心得ていること、その2点について、私が随行者として連れるのに必要だと感じる物を備えていた。
「私が巡行モードで先行しますので、お二方は私のすぐ後ろに密着し、スリップストリームの内側に入ってください。
離れると逆に障害になってしまいますので、多少練習しながらになりますが、最適な距離を保つように。
安定したところで徐々に加速していき、お二方の巡航速度に合わせたところで加速を止めますので、私、ノールさん、ホノカさんの順で並び、ホノカさんが良いと思うところで合図をください。」
「分かりました。
道中の休憩などはどうしましょう?」
「基本的には、お二人の体力次第になりますので、きつくなりましたら合図を下さい。
説明した通りの理由で舗装された道を進むわけにはいきませんから、ここから、あちらへ、人口密度の高い地域を避けて直線的に移動します。
道中は森や山もありますし、川もありますから、純粋に直線を走る移動速度にはならないでしょう。
私は休憩なしで走り抜けられると思いますが、ホノカさんとノールさんが休憩を必要とすると思ったところで小休止を取りながら向かいます。
想定速度で移動が可能であれば、数十分休憩しながら向かっても、かかって2時間です、お昼までには到着できるでしょう。」
カンベリアは北方と呼ばれる灰色戦貴族『アキナギ』家の担当する方面の最北端に近い。
予定している目的地は王都を中心とした同心円上、西に紫、青の2領を挟んだ先の領地になり、領都オーランネイブルまでの直線距離は概ね350~400km弱程度。
森や山を突っ切って走ることになるので減速や加速を繰り返していると、最高時速400kmは可能かもしれないが平均時速400kmでの移動は難しいかもしれない。
また、紫、青のヒトの領域内を無許可で被害を撒き散らすような高速で走ると、領間の問題に発展する可能性もあるので、カンベリア北方から紫と青の前線よりも前方、つまり魔物の勢力圏内を駆け抜けるルートを選択する。
必然的に円弧を描くルートとなるので距離は伸びるが、障害物よりも人間を巻き込む可能性を除外できる利点を優先。
それに、距離が延びることによって途中1回の休憩を挟む必要が出たとしても、2時間も見ておけば余裕で到着できる距離だ。
無舗装の道を500km移動するとなると、通常は体力的な問題で数日に及ぶ行程を見込まねばならないが、私はベルト、2人はブレスレットで最適化した巡行モードがあるので、ある程度レベルがあり、粒子貯蔵が十分にあり、その扱いに習熟しているのであれば、『移動だけ』であれば可能だ。
あちこちで聞いている限り、色付き戦貴族の足の速い者でも、無舗装道路となると徒歩での移動速度は時速60kmも出ればいいほうだろう。
移動用の飼い慣らされた魔獣であったとしても、時速80km~100kmがいいところだ。
それも、随時休憩や食事を取りながらになるので、500km移動しようと思えば走っていない時間の方が長くなる。
10時間どころか12時間以上はかかると見た方がいいだろう。
そして、そもそも時速400kmに及ぶ速度帯での移動となると、距離の問題だけではなく、空気抵抗を低減し、加速し、維持し、減速し、停止する為に消費する体力が尋常ではない。
更に、通常、速く走ろうと思えば思うほど、2次曲線を描くカーブのように消耗する体力は増加していくことになるので、鍛えられた戦士でも休憩なしで全速力で走れる距離は、走れて10kmといったところだろう。
ブレスレッドの運用能力の問題、走力的な問題、技術的な問題、持久力的な問題があり、改造手術を受け入れた配下たちの中でも相当な実力者でなければ、『ブレスレット』を装備した者であっても私に付いてくるのは至難の業だ。
その点、ホノカとノールは既に『纏い』のレベルも思考加速スキルのレベルも高く、粒子ブーストの練度、『ブレスレット』を装備しての巡航モードへの適応度も非常に上がっており、無駄な体力を使わずに移動のみに特化したモード『巡行モード』を既に使いこなしている。
流石に、汎用巡行モードではプロトタイプで行っている空力特性の高いフォルムの粒子ケースの構成は難しく、実現できていないが、私が同行する場合なら私が構築すれば済む話なので、同行者として望む最低限の能力は『巡航モードを普通に使える』者である必要がある。
「では、あくまで地図上での話ですが、ルートについてブリーフィングしておきましょう。」
「は。
我等のおりますカンベリアがこちら、オーランネイブルがこちらです。
道中の障害物となりますのは・・・。」
・・・
「お疲れ様です。
オーランネイブルはあちらですね。
思ったより早く着きました。」
「・・・自分でも信じられません、まさかこれほど早く、これほど疲れずに、1時間も経たず到着できるとは・・・。」
「全く、同意致します、ホノカ殿。」
結局のところ、オーランネイブルまで500mほどの所まで1時間未満で到達した。
ホノカとノールも私のスリップストリームに入ったおかげで通常よりも速度が増し、安定した速度で移動が可能だった。
ヒトを巻き込む心配がない・・・道中で魔物をいくらか巻き込んでバラバラ死体にしてしまったが・・・距離が長くなったとしても、なるべく木の少ない平地を走り、仕方がない場合に限っては森や山をショートカットしながらで、東京―大阪間に匹敵する距離を、新幹線に乗るよりも圧倒的に早く、新幹線に乗るよりも疲れずに到着したことになる。
「早く着きましたし、早目にあちらの街に入って、昼食でも見繕いましょうか。」
「は。
では早速、手続きして参ります。」
「お願いします。
ホノカさん、ノールさんが手続きしてくれている間に、移動ルートの確認と帰路の改善案でも考えましょうか。」
「は。」
門衛の役割は不審者を遮る仕事が主であるが、基本的には魔物の都市への侵入を防ぐ為に鑑定能力を持つ者が配される。
基本的には門衛はシフトが組まれて交代しながら、通過する者を監視している。
門衛長は控室に詰めており、お偉いさんの使い、もしくはお偉いさん当人の来訪時に、都市運営指揮系統に連絡する任務も負っている。
基本的にお偉いさんの来訪の場合は、まず最初にお偉いさん同士で書面のやり取りがあり、当日もしくは前日に先触れが来賓より半日以上先行して到着し、来賓は早くともその半日後に到着する、という流れが一般的な礼儀となっている場合が多いらしい。
今回ノールが手続きに行ってくれるのは、今回の訪問が唐突な訪問に該当し、えてしてそういう場合の手続きは門衛長に嫌な顔をされるからだ。
事前書面のやり取りなし、先触れなし、であるにも関わらず、立場的には灰色の特使扱いの人間なのでつっけんどんな顔で突き放すことも帰らせることもできず、緊急で重要な案件で領主へ訪問することになるので、ただ連絡するだけの門衛長も取り次いだ先で嫌な顔をされるだろう。
ただ、橙当主にすぐさま連絡を取ってもらう必要がある。
おそらく系統ラインの人はかなりバタバタすることになると思うので、相手には睨まれることになるかもしれない。
「唐突な訪問になるので、向こうも嫌な顔をするかもしれませんが、よろしくお願い致します。」
「いえ、それも仕事のうちですので、フミフェナ様はお気になさらず。
なに、上手く交渉して参りますよ、ははは。」
その後は問題らしい問題も起きず、アポイントメントも唐突ではあったが取れ、明日の夕方5時に橙本邸まで来るよう早馬ですぐ返信が来た。
流石に、到着したその日に、というアポイントは拒否されたそうだ。
返信を待ってもまだ昼食時ではあったため、市場を見回りつつ昼食を物色していたが、意外と外食産業は活発らしい、店舗は大通り沿いに100を超えていた。
「報告で聞いたよりも、全然発展していますね。
民の顔も暗くなっていませんし、市場も活況の様子。」
「えぇ、流石にカンベリアやアーングレイドまでとは言いませんが、流石領都。
陽光の都市オーランネイブルという名は伊達ではございませんね。」
橙の領都は、名の通りの色を一際、一族のシンボルカラーとして重視しており、至る所にオレンジ色の物が見受けられる。
建物の屋根に関してはほぼ全建物が同一色の材料が使われており、舗装煉瓦も少しずつ色の違うオレンジ色を散りばめて敷きこまれており、煉瓦舗装の道路としては他都市の追随を許さない美しさだ。
その雰囲気は西洋ヨーロッパの雰囲気が非常に強い。
名の示す通り、おそらく初代当主は前の世界のオランダに強い執着を持つオランダ人だったのではないだろうか。
そんな趣がある。
30分ほど歩いて見て回った限り、辺境地域とは言え領に魔物が侵攻し、大規模な破壊を受けたとは見受けられないほど、好況に沸いている。
戦災以前のことは分からないが、報告に聞くほどの損害を受けた戦災からたった数か月しか経っていないとは、到底思えないほどの活況さだ。
“領主の方針は領都を見れば分かる。”
そう言われるほど、どの色付き戦貴族の当主も自領にその影響力を強く発揮している。
灰色では、代々の当主が和風建築物を愛している日系の血統であることから、日本人や元日本人、日系人を擁している他領よりも色濃くその意向が見受けられる。
和風建築物が他領よりも圧倒的に多く、迎賓館や領館も全て和風だ。
灰城は・・・和風とは言い難いかもしれないが、あれも一応日本を代表する建物の一つであるので、和風というか日本風という括りには納まるのかもしれない。
アマヒロ様、ヒノワ様の好みもあって、多少混在はしているが、代々引き継がれてきた領の意向に合わせているところも多いので、灰色を一言で示すなら、『The日本』だ。
前述の通り、オーランネイブルに関しては、見たまま、名前の通り、『Theオランダ』。
非常に分かり易いが、ヨーロッパ風というよりも、ぱっと見でオランダだなと分かるような部分が多いので、ひょっとするとオランダ出身の転生者や転移者が多く集まった領なのかもしれない。
ひまわりの様な温かい都市を取り巻く雰囲気は、領の危機を感じさせるような暗いものを感じさせない。
いや、違うな。
これほどの活況となると、ひょっとすると『辺境が魔物に襲われて壊滅状態であることを知らない』んじゃないだろうか。
いくら辺境から遠く離れた領都の立地とは言え、辺境の状況を知らない者しかいないなど、ありうるのだろうか・・・?
「あくまでここ領都からすれば辺境というか片田舎に該当する部分での所見ですから、ここ領都への影響については、また別の話と考えた方がよい、と思います。
最前線付近の都市はかなりの被害を受け、そちらはもっと前線基地然とした状態になっておりました。
かと言って、放置されている訳でもなく、支援の手は入っていたかと。」
「確かに、ホノカ殿のおっしゃる通りかと思います。
最前線付近の都市は、門戸を閉ざして戦士達が奮闘した為、都市住民への被害はほぼなかったと聞いていますが、都市の門を閉鎖して戦った為、都市外で生活していた農民達や田畑は壊滅的な被害を受けたように見受けられると、出征した者達がみな言っておりました。
勿論、前線を通り抜けた魔物からそれら全てを守り切るだけの出兵は、その時点からでは不可能だったと思われたことで、最前線都市の長は厳罰を免れたと・・・。
最前線都市近隣の都市は、都市運営を支える領民、そして領民の口に入る物を生産していた農業地の壊滅から都市外の被害が大きい、と聞いております。
農業従事者や鉱山労働者、林業に携わっていた者など、城門の閉鎖に間に合わなかった都市外に残された者の多くが皆殺しになってしまったらしいです。
特に農民の被害が大きく、短期的というよりも長期的に見た食糧問題が大きいように見受けられた、と報告にあったかと思います。
前線付近の市民達は、備蓄が底を尽きれば補給の宛がなく、現時点で他都市からの支援が必須である状況にある、とも。
その後、伝え聞く状況を簡単に考えましても、その報告を否定できる根拠はありません。
戦から数か月経過しておりますし、その状態が続いているとなると、ひょっとすると、既に食糧品の高騰に耐えきれない者達が飢え、餓死している民も出てきている頃かもしれませんが・・・。」
「言いたいことは分かりますよ。
ただ、ここは、そんな前線都市を抱えている領とは思えない領都ですね。
・・・違和感と事前情報を鑑みた結果、導き出される答えは一つしかありません。」
最前線都市近辺の状況は、領都からでは察し得ないが、領都はその生活水準を落としているようには見えない。
見栄や虚勢ではない、純粋にこの街で暮らしている民達は、辺境の影響を一切受けていないようにしか見えない。
だが、ホノカが出陣した秘密作戦で向かった橙最前線では、戦災で多くの民が犠牲になり、資材は届いても、それが民衆全てに行き届かせる為の行政担当者がいないなど、都市運営をサポートしていた都市外の担当者が戦災により多く失われたことにより、行政上の問題や悪影響が顕著に現れていて、特に食糧問題が深刻と報告にあった。
領都がこれほどの繁栄を維持しているならば、最前線都市とてそれなりに領都からの支援も受けられているはずだが、実際問題、最前線都市の復興は遅れているらしい。
手に入れた情報では、最前線都市で見かけたのは前線を押し上げ維持する為に出兵した戦士とその後方要員、そして食糧を運んだ荷馬車ばかりで、都市復興を担う支援は滞っているというのだ。
つまり、領主がどういった方策を採用したのかは不明だが、領都と最前線都市は領の運営上の『ライン』が別であり、“武”と“施し”だけが届いている。
“行政の復興”は、まだ手が届いていないと見る方が無難だ。
通常は戦貴族本家が政治行政の中枢に位置し、財布の紐も行政も全て当主であり領主である者がほぼ全権を握っている。
が、ここ橙では行政・・・特に内政の根幹を成す経済や食糧需給問題を領主や戦貴族の代官が行っていない、領の財布を握っているのも本家ではない、という特殊な領なのだ。
橙色戦貴族は、よく言えば尚武の精神が強く、悪く言えば脳筋の血筋なのだ。
武力一辺倒の脳筋戦士が代々当主に選ばれる風潮があり、歴代・今現在のどの当主をとっても、学よりも武の鍛練を推奨しており、学習レベルは本当に必要とされる最低限のことしか学んでおらず、特に数字には弱いと専らの噂である。
しかし、それを初代領主の頃から「血族以外の者も採用して適材適所を行い解決する」という、ある意味潔い解決方法で内政に関わる問題を解決し、成功を収めた珍しい領でもある。
領の設立に伴ってどれほど自分達が内政能力に疎い血族であるか、ということを初代当主が自認していたことから、血族外の者と協力することでそれらを解決し、これまで上手く運営されてきたということだろう。
内政などの学の必要な部門に関しては血族以外の者を政治中枢内部に入れ、基本的には『通帳』のような帳簿で数字を確認して、あれこれと行政官に注文をする程度で、実務は血族以外の者が全て担っている。
で、その血族外の数字に強い、領の方針の決定権すら握った実務を担う者達、それがベッティム商会である。
彼らは一商会であるが、商売の一環として行政の一部に入り込んだのではなく、行政を担う実務機関として橙が取り込んだ形になっているので、言ってみれば橙領内においては官製の商会だ。
どちらかというと色付き戦貴族を神輿として担いでいるだけの『魔物の討伐以外を全て担っている領主・貴族』であるのだが、商会という名を今まで下ろさなかったのは商人としての意地だったのか、それとも何か別の意思だったのか。
が、本質として商人である彼らが運営することで、資本主義がある程度進捗し、オーランネイブルの繁栄を支えた部分はあるだろうし、ベッティム商会が橙で強大な商会となったことも理解できる。
代々、ベッティム商会が商売の一環として賄ってきた領の備品資材の独占販売権や官製談合などは、マッチポンプを誘発している部分もあるが、それはある意味報酬代わりとして橙色に好意的に受け止められており、領内で循環しているため評判も良い。
一般的に、こういった場合には初代はともかく次代、その次代と代を重ねるごとに腐敗が進み、商人側が実権を握るのが普通だ。
だが、橙色領については、そうはならず、比較的マッチポンプな事案すら良心的な取引が行われている。
それらは公言されていないだけで公然の事実であり、それに反対する第三者も存在していない。
普通、そんな状況ではベッティム商会側が橙を切り崩して取り込み、全て取って代わっていてもおかしくない状況であるが、何故愚鈍な領主達が、100年以上もの間、百戦錬磨の商人のいいように転がされず、その財産を失っていないのか。
それは単純に、代々のベッティム商会当主達の忠誠と倫理観に依存している。
彼らはいわば、橙における武のテンサールに対して、知のベッティムという呼び名が定着するほどの地位にあることを橙一族に感謝しているのか、他に理由があるのか、何代を経ても忠誠を衰えさせたようには見えず、その強固な倫理観を以って何代も何代も領主の代わりに領を維持してきたのだ。
いっそ言うなら、橙色戦貴族の片割れ、一翼と言ってもいい一族である。
領を支える、という自負の元に築かれた関係なのだ。
ベッティム商会が領を奪おう、領を傾けよう、そういった意図を孕めば、すぐさま崩壊するほどの権限をベッティム商会が握っている。
普通に考えれば、そんな権限を一商会に与えること自体あり得ないことだが、おそらくテンサール家とベッティム家の強固な結束は、一般論を凌駕するほどのものなのだろう。
現ベッティム商会当主ノルディアスも、おそらく愚鈍な橙色戦貴族へ代々の当主同様に忠誠を誓っていて、大きく損なわれた領の力を取り戻すべく、東奔西走しているのだろう。
ここオーランネイブルの繁栄は、ノルディアスの奮闘の結果、薄氷の上に成り立っている奇跡のようなバランス感覚で運営された上で齎されたものだということだ。
如何にノルディアスが有能であり、橙色に対しての忠誠心を示しているのか、ということが良く分かる。
「おそらく、ベッティム商会は、いえ、ノルディアス殿は、テンサール家に対する忠誠から必死に“領都”を現状のまま維持しようとしている。
“例え、地方都市が泣いたとしても、領都には、テンサール家には不自由をさせない”。
そう言った使命感というか、無理を感じます。」
「フミフェナ様がそうお感じになられたのでしたら、間違いないでしょう。
聞き及ぶ限り、そう伺えば、確かに理解できます。」
橙領主、テンサール家当主であるヴェルヴィア・ネイブル・オレンジーヌ・テンサール。
そんなにオランダのオレンジが好きなのか?という名前だけれど、ここ橙においては、由緒正しい、代々引き継がれてきた名前なのだそうだ。
脳筋である上に、プライドだけが高く、武力一辺倒な一族であるというのに、色付き戦貴族本家当主とは思えないほどのレベルまでしか上がらなくなってしまった落伍者、半端者。
聞いた話ではレベルは下手をするとノールをも下回る。
自らの武力が自らの望む領域まで上がらなかった不満が募っていたのか、前領主が身罷り、彼が領を継いだ後、自らの片翼であるはずのベッティム商会への命令は非常に理不尽かつ強制力を強めている、と、部外者でも知れるほどに噂が広まっている。
それでもノルディアスは、おそらく代々続いてきたベッティム商会の役目を果たそうと必死に足掻き、奮闘し、テンサール家を支えようとしている。
ネイブルを始めとした橙色戦貴族達のいる領都だけでも、何事もなかったかのように以前の水準の生活を維持させるのは、ヴェルヴィアのためではなかったとしても、橙色という一族への忠誠心か、はたまたベッティム商会の長という立場の使命感か。
その他の都市に関しては、それを成した上で余剰能力で可能な限りで対応する。
特に食糧事情が厳しく、継続的な食糧調達の手段を模索した上で、灰色、レギルジアの事情を聞いて渡りをつけたのだろうと思われるが、おそらく私の提案した単価でなければ食糧調達に費やす費用だけでいっぱいいっぱい、復興など夢の又夢、という経済状況だっただろう。
きっと、先だっての魔物の大攻勢をきっちりと処理し、その後に領内をしっかりと安堵していれば農民など人的損害はもっと少なく、食糧さえなんとかなればいずれ復興も果たしただろう。
内政能力を振り絞れば回復する見込みもあっただろう。
だが、内政能力の回復とは、民がいて、彼らの生活が回復する、ということと同義だ。
つまり、現在行われている対策は、魔物への対策、前線の押し上げ、都市設備の修繕、そう言った部分へ割かれる部分が大半であって、都市復興に要する大規模な動員、その後の産業の従事のための“ヒト”が足りず、『ガワ』は繕うことができたとしても、それを扱う『中身』を賄うことができなくなっているのだ。
以前から理不尽な要求を受けていた領民や、現在のベッティム商会はもう、ヴェルヴィアを領主様と褒め讃えることはなく、その総意はノルディアスの思いと同じ方向を向いていない。
ノルディアス当人は私達に悪意はなく、民の為の方策としてとりあえず大規模な食糧輸入を行うことで、民の命の保全をまず第一に考えている。
おそらくそのほかをヴェルヴィアの指示に従いながら整えていく方針だったのだろうと推測できる。
おそらくベッティム商会の他の者はなんとかコントロールしながら、維持していくつもりだったのだろう。
だが、今回、橙の食糧事情とノルディアスの信用を前提として結んだベッティム商会との契約において、これらの致命的なトラブルになりかねない問題が後から発覚したのは手落ちだった。
手柄、実績に焦り過ぎた自らが愚かだった。
だが、もう契約は結んでしまっており、この段に至って契約破棄や不渡りなど、出来るものではない。
ヒノワ様をはじめアキナギ家本家の面子を潰すことになっては、死んでも死にきれない。
速やかに処理しなければ、間を置かずして契約が破綻し、初仕事を汚してしまうことが確定してしまう。
契約書の誓約という絶対的な担保を鵜呑みにし、『ノルディアスの意思とは別の決定権を持つ者の意思で契約内容が変更になる可能性』を、見逃していた。
明らかに調査不足であったことは否めず、事前調査の甘さが露呈したのだ。
部下となってくれた目の前の二人を前にして、恥ずかしくて赤面してしまいそうだった。
「おっと、失礼、お嬢ちゃん。」
「いえ、こちらこそ不注意でした。
申し訳ありません。」
蒼い地金に赤い帯の入ったフルプレートアーマーを装備した、レベル140はあると思われる偉丈夫。
身の丈は2m近く、体重は150kgはあるだろう。
相手からすると身長1m前後しかない私は目に入らなかったのだろう、こちらは気付いてはいたが、向こうは気付きすらしていなかったようで、危うく出会いがしらでこんな巨漢に衝突するところだった。
彼が後ろに連れ立っている戦士4人は彼の配下のようで、少し格落ちのフルプレートアーマーを装備したレベル100弱の戦士達。
いずれもよく鍛錬された・・・それも前線でしっかり戦って鍛えられた風格が感じられる戦士だ。
武のテンサールと呼ばれたかつての橙ならともかく、今の橙にこれほどの戦士が複数いるというのは、少し考えにくい。
「これは、スタッグ将軍ではありませんか。」
「おぉ、あー、ホノカ嬢だったかな、大きくなったではないか。
こんなところで会うとは思っておらなんだわ、はっはっは。」
「お知り合いでしたか?」
「フミフェナ様、こちら、国王近衛兵団1万を率いておられます上将軍、スタッグ・ベキスト殿であられます。
国王陛下直属の精強な兵達を率い、年中、東西南北問わず遠征され、日々前線で鍛え上げた軍の先頭に立って戦っておられる武勇を誇るお方です。
5年ほど前に、灰色領にも演習でいらしたことがあり、その際に知己を得ました。」
「初めまして、スタッグ将軍閣下。
灰色戦貴族筆頭戦士アキナギ・ヒノワ様の特使として、この度このオーランネイブルに遣わされました、フミフェナ・ペペントリアと申します。」
「初めまして、お嬢さん。
ん?
ペペントリア・・・?
こちら、髪は白いが、白色とか灰色本家の娘さんじゃないのかい?」
「スタッグ将軍、こちらのフミフェナ様は、色付き戦貴族の血縁の方ではありません。
ヒノワ様の御用商人にして専属経営顧問、そしてレギルジア守護女神であられる女神ヴァイラス様の巫女姫であられます。
既に、テンダイ様から国王陛下にはご報告申し上げておられるのではないかと思いますが、先だっての魔物の大攻勢で非常に大きな武勲を挙げられたお方であり、現在の私の主です。」
「おぉ、この娘っ子がそうか。」
「えらく若いというか・・・幼いように思いますが、このお嬢さんがあの灰色の『弓』の窮地を救ったという女傑ですか、はぁ~、すんごい幼女もいたもんだなぁ、“来訪者”だよな?」
「え、4歳で色付き戦貴族筆頭戦士の専属経営顧問・・・?」
「うちの娘よりも年下だな。」
「髪も白いし、白の落胤ではないのか?」
「まぁ、確かにテンダイ殿の報告書もまだ幼女だが成人の戦士ですら足元にも及ばない、見た目で侮ってはならない、と書いてあったような気がしてきたな。
はは、その辺りはちゃんと聞いておらなんだわ。
なるほど、ふむ、この娘っ子が・・・。」
「スタッグ将軍、一応御忠告申し上げますが、フミフェナ様はそこらの色付き戦貴族筆頭戦士をも凌駕する強者でございます。
如何にスタッグ将軍と言えども、町中で手合わせなどはご遠慮くださいませ。
どうなっても知りませんよ、という意味ではありませんので、お察しください。」
「ふはは、なんだ、バレていたか。
うむうむ、どうやらわしが全力で殴りかかっても、気付いたら死んでる、といったような感じになる相手のようだな。
こんなところで立ち話もなんだ、そこの店で座って話そうではないか。」
「将軍、お時間はよろしいので?」
「お前らは分かっとらんかもしれんが、色付き戦貴族の血縁でない、とんでもない強者ってのは、陛下への・・・まぁ色んな意味での推挙の要件の一つでもあるんだよ。
挨拶と、情報収集と、ヘッドハンティング、それに後宮侍女登用、家格が釣り合いそうなら嫁候補、それらを全部一挙にできる。
それに考えてみろ、そんなん抜きにしてもこんな美女と美幼女と一緒にお茶が飲めるんだぞ、年中ずっと前線でおっさんだらけの中で過ごしてるんだ、たまにはこういうのもいいだろう。
稼いだ金が全部王都にいる妻や娘が全部使っとるんだ、お茶くらいはいいだろう。」
「はいはい、そうですね・・・。
では、あちらのお店にお邪魔しましょう、よろしいでしょうか、フミフェナ様。
おあつらえ向きに、あちらのお店ならフルプレートアーマーでも座れそうな露店の石造りのベンチもあります。」
スタッグ・ベキスト。
現国王の幼馴染にして、テラ・バランギア・ラァマイーツの薫陶を受けた上将軍だ。
齢40と男盛り真っ只中、戦士としても脂がノリにノッている年齢だ。
単騎としても非常に優れたタンク職らしく、軍を率いて魔物と戦う戦術に長けた人物。
元々、バランギア卿の率いる精鋭部隊の小部隊隊長を勤めていたが、昇進の際に国王が引っこ抜いて近衛兵団設立の旗頭に据えた人物でもある。
政治的野心はほとんどなく、国王には忠誠を捧げるというよりは、弟を陰から支える兄のような立ち位置で、これまで陰に日向にと働いてきたと聞いている。
今何故、ここ橙に軍を率いて駐留しているかと問うと、前線よりもかなり離れた所で魔物の集結が明らかになった為、国王からの支援策の一つとして派遣されたのだそうだ。
「お前さんは非常に広域をカバーして魔物を殲滅したと聞いたが、敵勢は察知可能か?
一応、ここだけの話だが、明日出撃予定なんだ。
ただ、偵察に出した連中が帰還率50%を切っててな。
グリンブルから先50kmくらいまでは問題ないんだが、その先の奴らがほとんど帰ってきてない。
どう見てもその辺りに魔物の大軍がいるのは間違いなさそうなんだが、偵察結果がない状態だと出撃を見送って防衛に回るか、ぶっつけ本番になるが先手を打って早目に出撃するかで迷ってるんだ。
アドバイスを貰えないか?」
「・・・こちらの土地については、『仕込み』が済んでおりませんので、申し訳ありません、まだそれほど遠くまで見渡すことはできません。
ただ・・・グリンブルの周囲50km程度には、確かに魔物の気配はほとんどありませんね。
偵察らしき足の速そうな魔物が数匹、山に何匹か据えられておりますので、帰ってこない偵察はその魔物に屠られた可能性が高いです。」
「グリンブルの先の50km先のことをそこまで鮮明に、ここから分かるのか・・・!?」
「なんちゅう娘だ、バケモンか。」
「うるせえぞお前ら。
・・・そうか、いや、大体偵察の連中の考えと同じだな。
グリンブルから60kmより先に進んだ偵察が魔物に襲われたらしくて命からがら帰ってきたんだが、似たようなことを言ってた。
やっぱりグリンブルから60km地点、その辺りまでは敵軍が勢力圏内に治めている、そう考える方が無難だな。
時間的に考えれば、我々に偵察結果を持ち帰られたことを悟って進行を急いでいる場合、更に進行していると見た方が良いいか?」
「少なくとも、今現在で50km地点までの領域内には、魔物の大軍は見当たりません。
集結中、もしくは編成替え中なのではありませんか?
ただ、そこまでの大軍ともなれば、おそらく行軍の道中にあった都市は落とされたか、現在進行形で襲われているかもしれませんが・・・。
グリンブルより先の都市・・・ズヴォーレダとレーワルデは陥落していると、見ておられるのですね。」
「うむ。
いくら偵察兵とは言え、訓練された戦士ですら帰ってこないのだ、戦闘力のない市民は逃げることは叶うまい。
ズヴォーレダとレーワルデの都市の民には申し訳ないが、ここから急いで行ったとて、結果は変わらんだろう。
殺しの好きな魔物ならば既に皆殺し、飼い殺すつもりがあるなら既に連行済みだろう。
・・・我等に出来ることは、彼らの仇討ちのみよ。」
「・・・橙色殿は、対処しておられないのでしょうか?」
「はん、ヴェルヴィアのクソジジイのことか?
お嬢ちゃん、考えてみろ、道端に落ちているウンコが魔物に一体どんな効果を発揮する?
よっぽど臭けりゃめちゃくちゃ鼻のいい魔物は避けるかもしれねえが、気にしねえ魔物は気にもせずに踏んでぐちょぐちょにして終わりだ。
まぁウンコがてんこ盛りあれば、汚れたくない連中がいれば『汚くて近寄りたくねえ』と思わせるくらいには役に立つか?
そんなもんだ、はっはっは。
・・・許されるなら、俺がまとめて魔物の群れの中に放り投げてやりたいね。
民衆はみんなぶっ殺したいと思ってるだろう、その程度には、役に立ってねえぞ。
だから、俺たちが王都から派遣された。
これで答えになるかね?」
「・・・ありがとうございます。」
橙は、思っている以上に、危機を迎えていた。
自分の知覚範囲にも、それほどの大軍を動かした形跡がない。
グリンブルと呼ばれる都市に2千ほどの兵を駐留させているが、精鋭と呼ぶのもおこがましいレベルの軍隊だし、数も足りない。
ひょっとしたら「兵隊がいるみたいだからあの都市は後回しにするか」程度には思うかもしれないが、「邪魔だから踏みつぶすか」と思われればすぐさま踏みつぶされる程度の戦力であり、申し訳程度という域を出ない。
まさに風前の灯火、だ。
そんな状態でも、この領都には一切の危機感がない。
いっそここまでくると、死ぬまで抵抗するという苦労をさせずに、死ぬ直前まで贅沢をさせて一息に死なせるという領主なりの優しい心遣いなのか、と疑わしさすらしてくるほど、魔物の侵攻への危機感が感じられないのだ。
彼ら王国近衛兵団がいてくれたことによって、これ以上の悲劇は、少なからず軽減されることになるだろうが、この領都の在り方は異常だ。
ふと考えると、そもそも魔物の軍勢に気付いたのは誰なのだろうか?
たかだか2000の一般兵だけで守り切れると考えている橙ではないだろうから、国側の情報機関が何らかの方法で魔物の大軍の進行を察知したのだろう、近衛兵団の手配や出兵の段取り、行軍に要する時間まで考えると、かなり早期には察していたとみていいだろう。
だとするなら、察知した人物はかなり優秀だと見るべきだ。
「まだこちらの世界で生を受けて4年、こちらの世界のことは多くは知っておりませんが、将軍閣下がいらっしゃったこと、将軍閣下を派遣された国王陛下がいらっしゃったこと、民の一人としてとても嬉しく、頼もしく思います。」
「ふぁっはっはっはっは、そうだろう、そうだろうとも。
我等、魔を討ちし戦士というものは、民を護る為にあるのだ。
命惜しさで王都でゴチャゴチャと御前試合でお茶を濁したり、誰が強い彼が強いなどと言ってないで、前線に出て民を護って死ねば良いのだ、本当に貴族共は・・・。」
「将軍、それ以上はちょっと・・・外聞が悪いです。」
「知るか。
見てみろお前ら、目の前にバランギア卿レベルの化物の娘っ子がいるんだぞ、しかも4歳ときたもんだ。
王都の雑魚どもなど、この娘っ子の爪の垢を煎じて飲ませるべきだな。
おっと、そうなるとわしもお嬢ちゃんの爪の欠片くらいは貰っとかないといかんな、はっはっは。」
「ははは、将軍、ちょっと黙りましょうね~、すいませんね、フミフェナさん、あんまり口外しないでおいていただけると助かるんですが・・・あの・・・。」
「ふふ、いえ、口外致しませんとも、楽しいお方ですね、将軍閣下は。」
「おうおう、そうだろうとも。
近衛兵団もいいが、どうだ、わしの孫を婿に貰わんか?
7歳にしてレベルは70、どうだ、優秀だぞ。」
「それは確かに、すごいですね。
しかし、将軍閣下のお孫さんを婿に、というのは、どうも・・・。」
「お前さん、まぁ俺程度では測れないが、既にレベル200を超えてるんだろ?
旦那に困るぞ、強すぎると嫁の貰い手がいなくなるんだ、これは経験談だぞ。」
「はぁ、まぁそれはそうなのかもしれませんが・・・。」
「婚約者くらいはいた方がいいぞ、引く手数多からの梨の飛礫、この流れは読める。
血族がいないのなら、なお良いではないか、いい所の御曹司を婚約者に据えておけよ、お嬢ちゃん。」
「・・・考えておきます・・・。」
その後、いくつかの情報交換の後、スタッグ将軍とは別れた。
副官の眼鏡の男性も、“来訪者”で、比較的年代の近い前世出身者だったらしく、あれこれと話した後、名刺交換なども行った。
あれこれとオーランネイブルを散歩しながら『アレラ』の散布も進めているが、概ね作業も終わったところで昼に差し掛かった。
「そろそろお昼ご飯にしましょうか。
私の尻拭いにお二人を引っ張りまわして申し訳ありませんが、もうしばらくお付き合いください。
これから、挽回のための仕事になります。」
「それは違います、フミフェナ様。
フミフェナ様が手掛けておられる仕事は、灰色で日々農業に勤しんでいる農民たちの生活を向上させる一端になる重要な仕事だと、我々ですら理解しております。
全てをフミフェナ様に頼った我等配下の手落ちでございます。
調査不足であったというのであれば、私どもの他領への調査が不足していたということであり、フミフェナ様の能力の不足ではございません!」
「ホノカ殿のおっしゃる通りでございます。
我等配下がフミフェナ様の能力に依存し過ぎた故、我等の尻拭いをフミフェナ様が行ってくれているのだ、ということも、我々は理解しております。
これからは、迅速に幅広い情報を入手する手段を講じましょう。
なに、我等にはフミフェナ様から授かりました韋駄天の足、即時に連絡が可能な耳、生半可な武装など物ともしない一騎当千の戦士として身を立てる“コレ”がございます。
単騎にて幅広い情報収集も可能でしょう。」
「ありがとうございます。
皆さんに支えていただけるなら、私も、これからの組織作りをやっていけると確信しております。
ですが、やはり、今回のことに関しては、間違いなく私の手落ちです。
皆さんにどのような役割を担ってもらい、どう動いてもらうのか、本来は組織編制の計画段階で計画し、定めておくべきことでした。
私の側近となっていただく方々にはその辺りを含めて最初に話しておくべきで、段階として未成熟な状態で話を進めた結果、こうなってしまいました。
舞い込んできたチャンスに対し、成果を急ぎすぎ、表面的な調査のみで事を進めてしまった。
これは統率者として、私が迂闊だったと言わざるを得ません。
次回からは同じ轍は踏みません、今回の尻拭いをさっさと終わらせて、今後の対策を講じるように致しましょう。
ご協力していただけますでしょうか?」
「もちろんですとも!」
「私に可能な限りのことは全て致します、一緒に作り上げましょう、フミフェナ様の組織を!」
「ありがとうございます、では、早速、お昼ご飯を食べて英気を養うとしましょう!」
その日の昼食は、パンネンクーケンという、オランダのピザのようなファーストフードだった。
本当にこの街は、活気にあふれていい街だ。
これほど領主のイメージと街のイメージが違うのは、チグハグな感じがして違和感を覚えるが、領主がヴェルヴィアではなくノルディアスだと思えば、確かにしっくりくる。
しかしそうなると、ヴェルヴィア当人はどんな顔をしているのか、逆にイメージがつかなくなる。
この街はただノルディアスのイメージに沿い過ぎており、ヴェルヴィアという人物がノルディアスと同一人物に近い趣向の持ち主でもなければ、この街の在り方に一切影響を及ぼしていないようにも見える。
一抹の不安を覚えながら、店を後にした。




