表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰色の御用聞き  作者: 秋
26/45

22話 アマヒロの苦難

「アグダ様、おはようございます。

朝食の用意をお持ち致しました。

入室させていただいてよろしいでしょうか。」

「おはよう、どうぞ。」


アグダというのは、僕の偽名だ。

意図があって、偽名で宿泊しているのだ。

服装は、灰色で統一された官服を着て、部下にも確認させ完璧な着こなしであることも確認している。

王都から派遣される公的な使者は、基本的に出向先の色に染まる、という意思表示を伴う装いを主としており、灰色領地にいる公使は必ず灰色の官服を着る。

出向先が青色領地ならば青色の官服を着る、そういう習わしなのだ。


「おはようございます。

本日、朝食の設えを任されましたイールローゼと申します。

至らぬ点など、何かございましたら、お申し付けくださいませ。」

「分かった、よろしく頼む。」


朝は日が昇る頃には起床し、朝の運動がてら護衛騎士達とストレッチや型練習は済ませているので、ちょうどお腹が減ったところだった。

給仕に訪れた配膳係のリーダー格とおぼしき50代と思われる女性従業員を先頭に、配膳係が部屋に入ってくる。

彼ら配膳係は、最小限の声掛けのみで、まるで編隊を組んだ隊列の如きで配膳していく。

よく訓練されているのだろう、一切のよどみなく、その動きは堅苦しすぎない程度に形式的なルールを守りつつ、しかしそれを苦にしない滑らかな動き。

しっかり教育されていることが、容易に想像できる動きだ。

護衛騎士達の分まで手際よく配膳し、結構な量の配膳があったにも関わらず、要した時間は数分と言ったところだ。

厨房から宿泊しているフロアまでの距離を運んだはずだというのに、料理は冷めず湯気は立ち上り、温かい。

また、器にもこだわっているのか、食材のおいしさだけでなく、焼き物の器による彩りの良さも感嘆に値する。

僕を殺してでも害そうとするような不届き者達を排除して以降、『毒見役』なる役職に就く者が必要なくなった。

それまで温かい美味しい食事というものに恵まれてこなかった僕は、その反動で美食には並々ならぬ意欲を持って日々あちこちの美食を食して回っている。

そしてそれら美食を提供してくれた店の内、説得が叶ったシェフを数人、自分の館に雇い入れることに成功した時には、これでもうしばらく美食に唸るまいと思い、ご満悦であったのだが、これはまた新しい美食だ。

そう思うほどの美味しさだ。

それに加え、美しい器や箸。

白ければ白いほど良い、丸ければ丸いほど良い、とされてきた器の概念を覆すかのような鈍い黒光りの部分と艶やかな黒光りの部分が分かれた焼物、しかも形は歪ですらあり、なんなら職人が本当に成形したのかと疑いたくなるような形をしているが、盛り付けられた料理との調和が素晴らしい。

そして、ここ灰色領で多く見られる食器、『箸』は、異世界の転生者や転移者が広めた食器であり、広く普及しているが、これほど艶やかに黒光りする物は初めて見た。

護衛騎士達も料理の味に唸りながら、この器は初めて見るな、などの呟きが多くあった。


「失礼、イールローゼ殿、こちらの器や箸は、何処の工房で作られた物だろうか。

初めて見るが、非常に素晴らしい出来だ。

いくつか購入して帰りたいのだが。」

「それは溶岩と火山灰を用いた特殊な釉薬を垂らした器と、漆塗りで仕上げられた箸でございます。

当都市の、焼物職人が開発した器でございまして、ノネン工房という工房の作でございます。

当都市の都市長でもあられますヒノワ様がいたくお気に入りになられたと評判の工房でございますので、ひょっとすると在庫を切らしているかもしれません、工房に私どもから在庫について確認するように致します。

どういった器を御所望でございましょうか。」

「そうだな、・・・」


数点の希望を伝えると、イールローゼからメモ書きを渡された小間使いと思しき従業員が退室し、足音も立てずに走っていくのが分かる。

このイールローゼなる女史も並の従業員ではないが、小間使いとしてあれほどの体術使いを雇い入れるとは、穏やかではない。

だが、それ以外については、最早疑いの余地なくこの宿は最高だった。


「御馳走様。

素晴らしい料理、器、そしてサービスだった。

調理を担当された厨房の方々にもお礼を。」

「有難く頂戴致します。

シェフ達にも伝え、分配致します。」

「そうしてあげてほしい。」


渡したチップは、平民なら卒倒するレベルの金額の硬貨の入った革袋だが、受け取ったイールローゼには躊躇いや驚愕の表情すらない。

チップ制度は王都を除けばそれほど広く広まっている習慣ではないが、彼女たちはその辺りの習慣への対応もしっかり教育されているらしい。

まったく、完璧も過ぎるというものだ。


「ここはいい宿だね。

いや、食事や温泉と言った物は勿論この宿の推しだとは聞いているが、その他、建物も、庭も、スタッフも、器も、調度も、とてもいい。

特に、スタッフの皆さんが素晴らしい。

貴方たちの動きを見ただけでも、しっかりと訓練されているのも理解できるし、設えも完璧だ。

それに、部屋や器も、しっかり綺麗に手入れされているのが見て分かるし、そういった物は見ていて気持ちいいよ。

この宿の御主人は相当しっかりされておられる方のようだね、貴方がたの練度は称賛に値する。」

「ありがとうございます。」


配膳係達はサッと整列したかと思うと、『ありがとうございます』の部分で最敬礼の姿勢になった。

この場の責任者であろう女性が頭を上げると、他の者達も次いで頭を上げる。

よく見ると、責任者の女性は耳に弓形のシルバーのイヤリングをつけている。

ここ灰色においては、弓形のアクセサリーを着けた者とは、その場の責任者であることを示す。

弓の形で立場を表し、弓に張った弦の有無で戦士であるのかそうでないのかを示し、使われた金属で序列を示す。

短弓、弦無し、銀。

これはこの宿における責任者の序列として、上から5番目であり、その領域に辿り着く為には高度な教育を受けている必要があり、そこから市民階級の中でも富裕層の女性であることが推測される。

つまりは、まぁ、この宿の中ではかなり上位に位置する役職の者だということだ。

王都から来た貴族のボンボンの応対ともなると、それなりの者で対応しようという意識の表れだろう。

支配人の対応、配慮も評価に値する。


「しかし、称賛は有難くも、恐れ多くもあります。

お客様は王都から来られたとお聞きしておりますが、王都にはここよりも壮大で綺麗な超高級ホテルも多いのではありませんか?」

「規模的にここより大きく、金額的にここより高級なホテルは、王都でも両手で数えられる程度ではあるが、ある。

ただ、ギラギラと金色の装飾ばかりの趣味の悪いインテリアや、権威を主張するための美しくもない強大な魔獣の剥製を飾ったりしているが、巨大で高額であればいいというものでもないと、僕は思うんだけどね。

王都のホテルや旅館は、建物や庭の規模が大きければいい、料理は出す物が珍しい物であればいい、それが王都のホテルの格なのだ、という驕りも多々ある。

ここは丁度良くくつろげるような丁寧な設計になっているし、施工した職人も設計した設計者もよく心得ておられる。

皆さんも、素晴らしい技量と接客方針をお持ちだ。

どれだけ素晴らしい物でも適切な手入れともてなしの意識がされていなければ意味がない。

建物よし、料理よし、温泉よし、サービスよしとなれば、称賛しない方が失礼だというものだろう。」


そう、王都の高級ホテルは、酷い。

いや、それは灰色で育った自分だから価値観の違いでそう感じるのかもしれない。

が、あまりにも、自分がそこのオーナーだったらと思うと、赤面を免れない恥ずかしげもない作りをしているのだ。

権威ある王都の、歴史あるホテルが、成金趣味とでも言うべき金ぴか至上主義なのは、一地方貴族の一員として見ても、恥ずかしいと思う。

権威主義の者達の価値観の薄っぺらさが透けて見えるような、自慢げな顔が目に見えるような設えなのだ。

当然、そこで働くスタッフ達も、宿泊客も、全てが薄っぺらいと感じる。

スタッフ達は流石にしっかり教育が行き届いており、礼儀正しくはある。

が、無駄に自負も高く、おもてなしをしようという態度ではなく、与えられた給料に見合う能力だけを発揮すればよい、というようなプライドの高さを感じるサービスなのだ。

高い金を払って良いサービスを受けられるのは間違いはないが、それはくつろげる宿泊施設ではない。

豪華絢爛主義の設えは、言ってみればホテルオーナーの自己満足だ、宿泊者には箔が付くだろうし、そこに価値を見出す人は勿論多くいるのだろう。

おそらく、金色や極彩色に彩られた内装に目がヤラれる人は、泊まらない方が良い。

勿論、僕は金色や極彩色でギラギラになった所ではくつろげないので、今いるホテルの方が圧倒的に好みだ。


「ここは何より、貴方達スタッフがしっかり働いているのが良く分かる。

王都の高級ホテルなど目ではないよ。

おかげで、ヒノワ殿の戦場という、本来つつくところのないような監査の先触れという徒労に終わることが目に見えているのに先方にも嫌な目で見られる、という精神的疲労の伴うお役目の合間に気持ちよく寛げるというものだよ。」

「ありがとうございます。

宿の主人にも、必ずそうお伝え致します。

貴方様の赴かれるという戦場跡については、おっしゃられる通り、カンベリアの戦士達と、ヒノワ様達が奮闘され、市民への被害は極小に抑えられました。

その戦場は苛烈を極めたと聞いております。

散った戦士達に敬意を向けない市民はおりません。

戦で人死にがないことは有り得ないことではございますが、ヒノワ様の戦場であれば戦士達は皆、喜んで命を捧げ、市民を守る精神であると、我々市民も理解しております。

先日の大戦は我等が灰色領最強の戦士であり最高の統治者の一人でもあられますヒノワ様の戦場でございます。

おそらく、アグダ様が赴かれる頃には、片付けや後処理も、きっと万事つつがなく終えられておられるかと。」

「随分、都市長であるヒノワ殿を褒めちぎるのだね。

それほど、優秀な都市長であられるのかな、ヒノワ殿とは。」

「はい、それはもう。

不正・腐敗に徹底した処罰を課す、という方針を貫かれ、実際に親族の方まで含めて大粛清を実行され、都市内の犯罪は激減しました。

そして、戦闘能力は風の噂から都市伝説に到るまで、市民たちは聞き及んでおります。

加え、ここカンベリアを作り上げた手腕たるや、6歳の『来訪者』とはとても思えません。

あのお方はまさに天の遣わした天女の生まれ変わりに違いありません。

あの方は、我々『灰色』の民の希望ですから。」


申し分ない。

流石、ヒノワが登用し、教育した従業員たちだ。

難を言えば、若干フランクなところがあるくらいだが、それは挨拶の際に、僕には余計な気は使わなくていい、と説明したからであり、おそらく十分ブリーフィングを経た貴賓相手ならばしっかりとした対応をするだろう、そう思わせる洗練された仕事ぶりが目立つ。

庭師にしろ、掃除役にしろ、調理師にしろ、香具師にしろ、何かにつけて細かい部分に気が回されている。

王都の豪華絢爛主義に比べると質素過ぎるくらいだが、アキナギ家の者であれば明らかにこちらが好みだ。

いや、ひょっとすると妹が僕の趣向を前提に、こうした物を建築したのかもしれない。

気の利く妹のことだから、その可能性は高いだろう。

三日の宿泊と言わず、丸ごと自分の邸宅に欲しいくらいだが、清貧過ぎない程度に清貧であることを良しとするアキナギ家の方針からは、少し足が出る物件だ。

建物もスタッフも、自分が独占するには出来が良過ぎる。

残念ながら見送らざるを得ない。

そう思えるほどに、ヒノワ達の育てているこのホテルは出来が良かった。

昨晩の精神的疲労がしっかり今朝には癒されていると感じるほど、温泉も、料理も、寝具も素晴らしかった。

昨晩の精神的疲労を癒すには、これ以上ない宿泊施設だと断言できる。



昨晩、フミフェナ嬢に会った後、フミフェナ嬢以外のことについてもアレコレと戦力配置やカンベリアのこれからの人員配置について話すことがあり、馬車の中の会話はおおよそ30分以上は続いただろう。

と言っても、既に下から上がってきた提案書や企画書についての忌憚ない意見を聞く程度の打合せであるから、そちらはそこまで重要性の高いものではなかった。

馬車の中で打合せした内容について簡単に走り書きでまとめ、早馬の連絡要員に指示を渡した後、僕は灰城まで行かず、宿泊施設群の入り口前で護衛騎士達と一緒に降車した。

いつもならここまでの精神的疲労を伴う判断を繰り返すと、頭痛と胃痛が連れ立ってやってくるものだったが、昨晩はなかった。

だが、それでも疲労感は感じていた。

その為、宿泊施設については、視察は勿論するが、副なる目的として疲労を癒すことのできるところがよい、ということで下調査した上で選定した所にした。

流石にお忍びで来たので、何処に宿泊するのかはヒノワには伝えていない。

取っていた宿は、貴族御用達“となる予定”の、口の堅い教育の行き届いた職員のみが勤めている、高級ホテル群の中の一つだ。

この高級ホテル群は、カンベリアがいずれ領都へと遷都された際に来賓等をもてなす為に建設された物であり、今現在フル稼働している訳ではない。

稼働率だけで言えば、何処のホテルも10%か20%と言った所だが、数年後を見越した教育期間として採算度外視で運営しているのだ。

現在の利用者も、大半はアキナギ家の関係者、つまりアーングレイドや他の都市の高官が利用しているだけであり、外部の貴賓来賓をもてなしているわけではないので、利用者からアンケートを募ったりして、日々それを反映して様々な面のアップデートを繰り返してもらっている。

先行投資として採算度外視で運営されている手前、現在は従業員の教育に重きを置いており、来客には本家からある程度のことはご寛恕ください、と伝えてある。

数年後、前線から遠ざかるほど生活圏が広がった際には、ここがアーングレイドの代わりとなり灰色の領都となるまでには、従業員も育つだろうという考えだったが、イールローゼといい支配人といい、ヒノワの従業員教育の方針はかなり順調に進んでいるようだ。

現状の生活圏拡大前線の拡張速度で言えば、5年以内にここカンベリアが領都になるのはほぼ間違いないと言われている。

故に、こちらに割く予算は、潤沢に使用して良いと、ヒノワには伝えている。

僕がここに来たのは、自分の投資先で本当にきちんと教育が進められているのか、という現地確認も兼ねていたわけなのだが、このホテルに関しては100点を超えている、120点くらいの評価をしてもいいくらいだ。

勿論、立場に影響されて接客態度を変えられてもいけない為、アグダという偽名と偽の官名で予約・チェックインしたので、顔を合わせたことのあるここのオーナー以外は僕の正体は知らない。

宿のオーナーには、この仕事を任せる際に、僕の人相については絶対に喋ってはならないと伝えてある為、従業員達もアーングレイド出身者でもなければ僕の顔は知らないはずだ。

僕の設定は、王都にいるそこそこの貴族の出で、軍大学を好成績で卒業した次男坊、家を継ぐ必要がないので軍の査察部に所属しており、灰城の見学とカンベリアの戦の監察役の先触れ及び調査官として、つまり雑用要員としてやってきたボンボン。

宿のオーナーと父親が知り合いである為、試験運営中の数ある高級ホテルの中からここを選んだということになっている。

護衛騎士はアーングレイドで灰色次期当主アマヒロに挨拶した際に護衛として付けられた者達で、人員の増減がある可能性もある為、同フロアを貸し切りにして、そのフロアに全員が宿泊することも伝えている。

が、そもそも客もそう多くいる訳ではないので、言ってみれば館ごと貸切っているようなものだ。

多少いる客も、アキナギ家に関連する言わば戦貴族の礼儀を心得た者達ばかりであり、王都からやってきた軍の査察部の部隊が館の貸し切りにしている、と言われれば、基本的に近寄ることはない。

流石に血族の者に会えばアマヒロであるということはバレてしまうが、そもそもわざわざ査察部という、突っついても何の利益も生まないであろう貸し切りの上層階に入ってこようというような血族の無作法者はこういう宿にはいないものだ。

よって、規定の時間以外は、不必要な従業員も立ち入らないし、不慮の事故で話を聞かれる心配もない。

食事も基本的には部屋に運んでもらうようにしてある為、食堂等へ出向く必要もない。

つまり、いくらかの業務があるとは言え、基本的にはこのフロアで全て完結するような状態になっており、今は本当にホテルで寛ぐことができる環境になっている。


「では、今回のカンベリア訪問の一番の問題について話し合おう。

みんな集まってくれ。」


このように寛げるホテルでも、休んでばかりはいられない。

それは全員承知しているところであり、僕だけは座っているが護衛騎士達は甲冑を装備したままであるので、整列して膝を着いた。

先頭は隊長、2列目が副隊長の二人とその補佐、あとは平だが、合計で10名いる。

生半可な部屋では狭苦しくて仕方ないことだろう。

だが、今は1フロア全てを貸し切っており、このフロアで一番大きい大広間に事務用品を並べ、全員で集まった際に利用している。

護衛騎士と共に打合せるのは、何も警備に関する打合せだけではない。

こうして、会議内容などについても、疑問点や質問はないか忌憚ない意見を求めている。

中には非常に参考になる意見もあるし、為になった場合もあるので、僕はこの様式を崩したことはない。

また、隊長のカタツキと副隊長のメルサックは、僕の弓の師、学の師であり、僕の無謀な戦略などについては忠告し、諫めてくれる頼もしい存在だ。


「まず、明後日のフミフェナ嬢との面会についてだが、予定通りだ。

先日全員メルサックから配ってもらった資料にもあったかとは思うけど、相手は『バランギア卿に近い、もしくは卿と同等の非常に高位の戦士』。

見た目に惑わされてはいけない。

まず、その前提で考え、動くことを必須とする。

これについて何か疑問のある者は?」

「一つ、我らが主に質問を。

調査を行ったのがアマヒロ様であることからして、鑑定結果に疑いの余地はないのですが、それでも俄かには信じがたいのです。

フミフェナ・ペペントリア、という女性、年齢は・・・資料によれば3歳半と少し。

通常、戦士の育成機関が受け入れを開始しているのは10歳から。

そして、スキル等を学び、身体がある程度育ってからレベリングを開始をする、という流れであるのはご存知の通りのはずです。

戦貴族でもない一般人が、わずか3歳で、我らが王国の最強の戦貴族当主であるバランギア卿と同等というのは・・・。

その辺りの経緯や出自については、我らが主はご存知なのでございましょうか。」

「まず、結論を言うと、間違いない事実だよ。

控え目に表現しているが、場合によってはバランギア卿よりも上かもしれない。

そして、生誕時にはレベル1から始まったのは間違いない一般人出身だ、これも確認が取れているから僕の能力にかけて保証しよう。

これはヒノワとの合同署名で書類にしたためてある事実であることも伝えておく。

彼女は最早、ヒトではないと言われた方が納得できるほどの領域に立っているのは間違いない。

少なくとも、僕や、父上、まぁ、その他大勢の色付き戦貴族の当主などは余裕で追い越しているだろうね。

ヒノワの言では、彼女がレベリングを開始したのは半年ちょっと前、つまりはバランギア卿のいる境地までたった半年ちょっとで辿り着いたということだ。

がしかし、考えられないようなスピードで成長した影響により、技術的な面でまだヒノワやヌアダ殿に分がある可能性が『ひょっとしたら』『もしかすると』少しだけあるそうだ。

まぁ、ヒノワやヌアダ殿であっても『気が付いたら死んでいる可能性の方が高いので、技術で競ったところでどうしようもない。敵対するのは愚の骨頂、仲良しすることに終始せよ』、とのことだ。

僕も、ヒノワと同意見だ。

如何ほど危険な相手なのか理解できたかな?

僕は媚びに徹してでも、フミフェナ・ペペントリア嬢とは仲良くなるつもりだよ。」


ゴクリ。

彼ら護衛騎士にとって、ヒノワやヌアダの絶対的な強さは、目の当たりにしている。

戦士にとって、あれこそが究極なのだという暴威を身近に感じることができるのが、灰色戦貴族領の戦士達の役得なのだ。

『あれと敵対することはなく、むしろあれと共に戦えるのだ、負けようはずがない』

『他領の戦士達はこの輝きを知らずに戦っているのだ、頂きのまばゆさを知ることの出来る自分達は恵まれている』

それが灰色戦貴族領の戦士達の戦に臨む士気の上げ方なのだ。

例え、自分達が死んだとしても、あの方々が率いる軍が絶対に家族を守ってくれる。

他色に仕える戦士達はこれほどの頂きを知らないのだ、自分達はなんと幸せなのだ。

そして、彼ら二人は若く、自分達が死んだ後に続く若者達も、あの方々についていけばすくすくと育つことは間違いないし、残された家族や民もなんとかしてくれる。

この領地は長い期間、繁栄の時を迎えるのは間違いない。

そう思わせてくれる、絶対強者なのだ。

そんな彼らが、3歳やそこらの幼児に半年で追い抜かれ、あまつさえ『ひょっとしたら』『もしかすると』少しだけ分がある可能性がある、とまで言わせる化物。

そんな存在は、想像できないのだ。

武の極致とは、まだあれ以上があるのか?

いや、他の要素があるのか?

・・・それは、この場にいる誰にも分からない。


「そうだな、例えば、だ。

おそらくだが、僕はもう彼女の掌中にある。」

「掌中・・・ですか?

戦略的に既にその娘御は動き、既に我等の動向を掌握しいる、と?」

「そういった比喩的な表現ではない。

実際的に、僕は、僕たちはおそらく既に彼女の掌の中に納まり、弄ばれているのだ。

つまり、何をしてもバレるだろうし、僕たちの生活様式やレベル、家族構成等も、全て把握されていると思って掛かった方が良い。」


レギルジアに立ち寄った際の、領主スターリアは、以前見た時からは考えられないほど狂信的な信者となっていた。

彼は元々、凡人ではあったが、自分の凡庸さをよく理解していたし、それを補う為に優秀な部下をバランス良く登用し、他人を良く使う上に立つ者の優秀さが評価されていた。

為人も悪くないし、立場を弁え、許される限りにおいては人生を楽しんでいる貴族だった。

所謂紳士的という表現よりは、実際に貴族的という表現が正しい程度には、立ち位置に関してのプライドもあり、多少の浪費癖もあり、自らを貴族であると定義づけてそうであるようにと律して生活をしているよう推察していた。

そんな彼が、久々に会うと、まるで神官のような大らかな胡散臭い微笑みをたたえ、女神ヴァイラスに人生のすべてをゆだね、奉仕の精神で都市長として活動している。

以前のスターリアを知る人物が久々に会った彼を見たら、「精神を病んだのか」と憐みの視線を向けるであろうほどの変わりようだった。

が、彼は精神を病んだのではないそうだ。

他の都市民よりも女神ヴァイラスと多く接する機会があることを書記官や補佐官が証言しているし、彼らと共に直接『女神の言葉』を伝えられているらしく、女神ヴァイラスに関する知識については追随を許さない存在と言っていいだろう。

女神ヴァイラスについての一切について虚偽を許さぬ、という絶対の法を都市民に通達しているのは、民を苦しめる為ではなく、女神の恩寵を都市に住まう者達に分け隔てなく齎されるよう、恩寵を共有する為に公布したのだ、と強弁していた。

彼は、自ら伝道者たらんと探求の日々を過ごすようになり、最近はまるで狂信者を通り越え、ある種穿った見方をすれば巫女姫を除けばその信心は他の追随を許さず、都市長であるという立場を度外視しても、都市民達から最高位の神官と見做しても相違ないと認められるほどになったという。

王都のアリアン教の場合は、法王にあたる役職ではあるが、彼は役職名を『法王』とは名乗らなかった。

彼の信仰心は、おそらくもうそんな次元ではない。

役職名や自分の役割などは、もうどうでもいいほどの狂信。

彼曰く。

「女神様は全てを見通し、全てを聞いている。

故に、全てが均一であり、己一人が一歩抜きん出ようが、一歩退こうが、女神の前には大差がない。

また、女神ヴァイラス様からは私を上位に据え、他を下位として扱うようにとは伺っていない。

よって、女神ヴァイラス様を信仰する者達の間に上下関係があってはならない。」

ということだ。

レギルジアに寄ったことのない王都の学者達が、戯れに女神ヴァイラスに関する研究を試してみた結果、推論のようなものを述べても今のところ死んでいないらしい、という報告は既に聞いた。

これは志願者のみで実行した実験だったそうだが、まぁ無茶をしたものだ。

彼らの中には推測から“虚偽”と取られても仕方がない推論を述べた者もいたらしいが、忠告的な物もなくお告げがもたらされることもなく、レギルジアやカンベリアにいれば一瞬で【死】という形でもたらされるはずの天罰は下っていないという。

おそらくレギルジアにいる、もしくは女神ヴァイラスが発生した後にレギルジアに行ったことのある者がその影響下におかれるのだろう、という王都の研究者の予測の一つも確認した。

レギルジアの地を踏んだ者全てにかかる呪い、もしくは呪術なのか。

はたまた、魔術のようなアビリティによるものか。

その他の物なのかは不可知故に誰にも分からないが、現状はレギルジア近郊の土を踏んだ者に限られる事象であるのは間違いないだろう。

ひょっとすると、足跡ではなく、『レギルジアの民から直接女神ヴァイラスの話を聞いた』という事象がトリガーとなって発動する呪いなのかもしれないが、そこまで詳細に研究は進められていない。

おそらく、その辺りの実験を行うとなると、確実に死人が山積みになるし、学者達が軒並み全滅するような事態を引き起こした者がいれば、人類衰退を招く大罪者だ、企画者も含めて皆処刑されることになるだろう。

彼女のことに関して多くの場所で話す機会が発生する僕など、一番危険の多い立ち位置だ。

本当の所を言えば、戦貴族領の次期当主となるこの身に関しては、もう少し安全を担保してから踏み入るつもりにはしていた。

だが、それを待つ時間もない。

・・・僕はもうレギルジアに入ってしまったし、灰色領主次期当主としてレギルジア・カンベリア近郊に立ち入らないというのは考えられないことだ。

どんな影響があるのか分からないにしても、それは自分の役目を放棄したに等しい。

まぁ、どうせ一緒だ。

彼女に『殺す』と思われたら終わりだということだ。

例え、彼女が女神ヴァイラスの力を使わなくても、僕を殺すことなど造作もない、何なら接近する必要すらないだろう。

彼女のレベルと短期間に鍛え上げられたとは思えないヒノワに劣らないフィジカルに裏打ちされた攻撃なら、例え爪楊枝の投擲であっても一般人には致死レベルだろうし、下手をすると僕くらいならその辺の小石を投げられただけでも頭が柘榴のように爆ぜ割れ、身体は粉々に砕け散ることだろう。

女神ヴァイラスから何をされたのかも分からないうちに一瞬で殺されるか、彼女手ずから直接的に殺されようが、大差などないということだ。

いや、考え方によっては、それは既に、カタツキの言う通り、戦略的にフミフェナ嬢の掌の上であると言っても過言ではないのかもしれない。

もし、取り返しのつかない事態・・・例えば、前述の『語り継ぐ』という行為が呪いを伝播するような類のものだった場合、レギルジアで女神ヴァイラスの噂を聞いた者は全員影響下にあるのかもしれない。

かと言って、不用意に踏み入るには危険が多すぎるし、ブリーフィングは必要だ、どうしようもなく、避けることはできない。

そうなると、ここにいる全員が既にそうであるし、カンベリアやアーングレイドにいる商人のほとんどは好況に沸くレギルジアや女神ヴァイラスについて聞き及んだり、近くに寄ることがあれば立ち寄ったことがあるだろうし、彼らがその先に立ち寄る家族、取引先、道中の宿泊施設や飲食店などまで含めると限りがない。

もしその仮定が正しいのだとすると、既にかなりの者が影響下にあるだろうし、これからも際限なく広がっていく流行り病のようなものと言っていいかもしれない。

病のように症状が出ない分、流行り病よりもたちが悪い。


「どうやって、かは分からない。

だが、今この瞬間も見られている、聞かれている、そういう可能性はあると思ってくれ。」

「・・・それでは、何も喋れない、ということですか・・・。」

「いや、違う。

女神ヴァイラス様についてのみ、虚偽や推測を述べなければ良いのだ。

それ以外については、見られているかも聞かれているかもこっちからは察しようがないのだ、普段通りに過ごすしかない。

そうでもないと、心が壊れるぞ。

僕はもう既に諦めの境地に達した、君達もそうした方が健全だぞ。

何、彼女も我々のような男くさい集団を四六時中監視するなど、徒労に過ぎると感じるはずだ、気楽に過ごせばいい、ただ、念のため、女神ヴァイラス様の事については、極力話さないようにしてくれ。」

「はっ。」


フミフェナ嬢と話すべき内容、報酬の件、面会の流れ等について詳細に打ち合わせること1時間程度。

流石に緊迫感のある話は疲れたので、小休止を取る。


「それでは再開致します。

では、明日の予定ですが・・・。」

「面会は明後日、土曜日だ。

今日明日は君達もシフトに従った形式的な護衛だけで構わない。

多少の立ち職務のある慰労旅行だと思ってくれていいよ。

ここのホテルの“温泉”はすごいぞ、楽しんでくるといい。

僕は今日調べた内容についてまとめて父上に報告書を送らなければならないし、このホテルの状態の査察もしなければならない。

明日は一日、このホテルの中で過ごすことになる。

そして、この机と椅子がお友達だ。」


こちらはついでの用事ではあるが、忙しい中、カンベリアまで足を運んだのだ、やることはやるべきだろう。

その後に中々気の重い仕事が待っているのだ、いっそ今手掛けようとしている仕事の方が気が楽だと言ってもいい。


「明後日は北門の査察の後そして正午に面会、だ。

・・・まぁそれが終わったら、日曜はゆっくり都市を視察するとしよう、“灰色領地で最前線でありながら最も栄えた都市”という逸話、君達も気になるだろう。

僕の護衛をしながら、あちこち見て回るといい。」

「は。

お心遣い有難く頂戴致します、皆を代表し、私から御礼申し上げます。

では、これよりは交代制で護衛騎士を入替ますので、半分はこれから休ませてもよろしいでしょうか。」

「構わないよ。

心配しなくてもいい、カンベリアにいる限り、僕に危害が及ぶことはないからね。

君達の職務は、形式上必要であるというだけで、僕が命の危険に晒されるような・・・君達が何者かに襲われるような事態は“絶対に”ない。」

「・・・“絶対に”、ですか・・・?」

「そうだ。

僕は今、女神ヴァイラス様の加護によって護られていてね。

君達はまだ知らないだろうけれど。」

「女神ヴァイラス様の加護ですか?

と言いますと・・・確かレギルジアのご領主殿の邸宅にあった神殿に寄られておりましたね。

その際に祝福を受けたのでございますか?」

「そうだ。

彼の女神様の能力は絶対だよ。

君達が知らないちょっとした事情により、僕はその女神様に守られている。

先程、その女神様の脅威の片鱗に深く触れてきたところだ。

まぁ、見ていたまえ。」


椅子から降り、レギルジアの方を向いて両膝で跪き、手を組み、頭を下げる。

祖霊の廟へ詣でる時にやるような仕草だが、彼の女神様はどのような様式での祈りであっても、口やかましくはないと聞く。

だが、その心に虚偽は一切許されない。

ならば、心から真摯に、女神様への信仰を約束しよう。

ただ縋るように、ただ祈り、信仰すると。


「真摯なる信仰を捧げましょう、女神ヴァイラス様。

私の信仰、この身、命はまさに貴方に全て捧げられると言っても過言ではありません。

どうか我が身をその眼に御納めください。

護衛騎士達よ、聞け。

虚偽は一切許されない。

君達の中で、心から真摯に女神ヴァイラス様を信仰すると約束できる者のみ、僕に続け。

彼の女神様は『嘘吐き』や『見栄っ張り』は好まれない。

ただ真摯に信仰できる、と約束できる者のみ、僕に続け。」

「「「はっ!我らが主の望まれるままに。」」」


ババッ、と、侍っていた騎士達も慌てて兜を取り、僕と同様の仕草をし、同様の言葉を紡ぐ。

空振りに終わると格好悪いことこの上ないのだが、見てくれているだろうか、フミフェナ嬢は。

女神ヴァイラスが実在した場合、こういった真摯なる信仰はどこまで見ているのか。

レギルジアだけではなく、ここカンベリアでもその能力は発揮されるのか。

これは実験でもあるのだ。

結果が伴ってくれるなら、表立って動き始めることに躊躇はなくなるのだが・・・。

数秒の祈りの後、そろそろ立ち上がるか、と思った頃、背後で微動だにしていなかった騎士の身じろぎする音が聞こえる。

そして


ドサリ。


屈強な護衛騎士が1名、その場で倒れる音が聞こえる。

その場にいた全員が、ほぼ同時に、室内に通常では有り得ないほどの高密度の粒子濃度を感知した。

ゾクリ、と背筋に猛烈な寒気が走る。

首筋から胸元に流れる大粒の冷や汗と、ドクリ、という耳と目に熱い血潮の音が感じられる。

全身から血の気が失せ、その癖隙間もないほど全身から滝のような汗が流れる。

本来であれば、全員が立ち上がり、周辺警戒に全力を費やしたことだろうが、全員が動かなかった。

いや、動けなかったと言うべきか。

何が起こったのか理解できない、という恐怖よりも、圧倒的な粒子濃度の圧力による恐怖・・・つまり本能的に避けられない恐怖だ。

倒れた護衛騎士は、齢50、壮年の熟練の騎士であり、護衛騎士の副リーダーであるメルサックだ。

レベルは115、灰色戦貴族領における序列から言っても、7位には入っていた強者。

彼は若い頃は怪我を物ともせず、仲間達を背に身を盾にして最前線に立ち続けたタンク役を担っていた。

今まで50年間、風邪すら引いたことがないという健常さ、守り神級の魔物の討伐戦に参加し重傷を負っても何度も回復して最前線に戻ってきた回復力と頑強さから、不死身のメルサックと呼ばれていた。

彼は護衛騎士としての長年の経験と戦貴族嫡子相手に礼儀作法を教えられる存在として、父からの指示で僕に従ってくれていた騎士で、10年前から僕の師匠と言っても過言ではない存在だった。

そんな彼が、あっさりと、倒れた。

死んだのだ。

・・・彼は王都出身で、アリアン教徒だったと聞いた記憶がある。

ひょっとすると、アリアン教の教えと女神ヴァイラスへの信仰に葛藤があったのかもしれない。

彼が倒れてからしばらく様子を見ていたが、気配からして明らかに彼は死んでいる。

室内に溢れるほど満ちている粒子は、メルサックから放たれたものではない。

遺体からは粒子が一切発生していない。

まるで、そう・・・言うなれば、既に“絞り粕”であるかのようだ。

倒れ伏した甲冑内には、肉体は存在していないのではないか、そう考えてしまうほどだ。

普通、生命体は死を迎えればその残滓を豊潤な粒子として放出し、その生命体の命の散り様を感じさせ、ヒトはその有り様に手を合わせる。

その粒子の散り様は、よく詩人に桜という樹の花に例えられる。

短い時間だけ美しくキラキラと輝きながら咲き誇り、散り際には花びらが舞い、降りしきる。

戦場における血飛沫と粒子の輝きの乱舞は、そう言った意味でも戦闘狂達を興奮させ、粒子の徒花は戦闘狂達を更なる戦闘に没頭させる。

だが、メルサックの遺体からは、そういったものが一切ないのだ。

僕以外の者も、同様の感想を抱いているだろう。

戦慄に冷や汗を流しすぎ、甲冑の隙間から尋常ならざる汗を垂らしているのは、見なくても分かる。

いや、下手をすると床を濡らす水滴は、何人かは汗ではなく、涙であったかもしれないし、失禁であったかもしれない。

目論みに誤りがあったことは否定しないが、軽い気持ちで始めた実験は、軽い結果では済まなかった。

僕は、判断を見誤ったのだ。


【我が名はヴァイラス。

女神ヴァイラス。

貴方達の真摯なる信仰は受け取った。

特に、灰色戦貴族次期当主アキナギ・アマヒロ。

貴公の真摯なる信仰は無垢にして清廉。

貴方達にも我が加護を授けましょう】


女神の声。

聞き取れないようなか細い声にも、囁くような声でもあるように聞こえるというのに、一言一句聞き逃しようもないほどはっきりと聞こえる。

女性だ、女性なのは間違いない。

幼いのか、少女なのか、老いているのか、それは分からない。

だが、その声を聴いた瞬間から、全身を巡る多幸感は今までの人生で経験したことのないレベルの甘美さだ。

いっそ下品に言うならば、年頃の男子であれば、その声を聴いただけで絶頂してもおかしくないほどの快感。

僕の後ろには息絶えた騎士が1人、寝転がっているはずであり、実質的に刹那の瞬間の後には死ぬ可能性のある、生命の危機を抱いた場であるにも関わらず、一切の警戒心を抱けない。

自分の師とも言うべき側近が、死んでいるのに、それを新たに生まれてくる幸福感が上回るのだ、いくら考えても異常なのだが、思考と精神と肉体の反応が乖離している。

幾瞬かの後、気が付くと、身体から妙な活力が湧いてくる。

まるで、自分の身体のレベルが10以上上がったかのような、そんな破格の力が湧き出るのを感じる。

これが噂のバフなのか。

これほどの力を常時、多数の他者に与え続けても維持できる粒子量、確かに聞き及ぶ様々な他の恩寵と合わせて考えても、とてもレベル500や600という次元でないのは理解できる。

僕だけではない、この部屋にいる者達全員に同じような現象が起きたようで、彼らの興奮は忠誠心だけではもう抑えられないようだ。

皆、戦慄と恐怖で動けなかったのは嘘だったかのように、自分の身体や手を眺めながらまるで新しいおもちゃを買ってもらった子供かのようにバフを確かめている。

先程までの戦慄すべき冷やかさが何だったのかすら、忘却するほどの喜びようだ。

いや、この甘美なる声と恩寵には、ひょっとすると自戒を振りほどく何かがあるのかもしれない。


「め、女神ヴァイラス様!!!

あ、ありがとうございます!!!」

「我等が信仰を、貴女様のもとに!」

「女神ヴァイラス様!!」


彼らは俄かに盛り上がり、その名を讃える。

確かに、僕も一切の不純なく、真摯なる信仰を心に誓い、祈った。

レギルジアで会ったスターリア殿のことを思い返す。

彼は既に狂信者と化していたが、元々は都市長、一地方領主という役職のついた、ただの一般人だ。

彼も領主クラスが得ることが出来る『徴収』系のスキルにより、微々たる自動粒子取得を行っていて、一般人と比べれば流石に少しだけレベルは高かったが、それでも30か35かそんなものだ。

しかし、先だって会った彼は、一般人としては並大抵ではないレベル・・・レベル60にまで到達していた。

それが女神ヴァイラスの加護の影響である、とスターリア本人が語っていたことも思い出す。

確かに彼が短期間にそうなったのであれば、自分にも何かしら恩寵はあるかもしれない。

そう思っていたのは嘘ではない。

が、恩寵が目当てというよりは、女神ヴァイラスの逆鱗に触れる前に懐に入る為の信仰でもあったのだ。

だが、僕の呼び掛けへの回答も、メルサックの死も、そして自分達の肉体の能力向上の具合も、それらは自分の予想を遥かに上回っており、かつ結果があまりにも早すぎて、全ての面で僕の予想は裏切られた。

だが、何故か僕の心は折れる気配はない。

様々な否定的な発想が全て押し流されるように、この女神を信仰したいという欲求が溢れてしまう。

それほど、女神の声が甘美過ぎたのだ。

あまりにも幸福感が凄い。

その甘美なる声を聴いた瞬間に、催眠状態に陥ったかのように腰砕け、肘をついて頭を下げ、祈りを繰り返している者もいるくらいだ。

抗えない。

僕は次期当主となる身であるので、催眠や洗脳などの精神攻撃への絶対耐性を得られるレアアーティファクトを父から送られ、それ以来、一時たりとも外さず、常に身に着けて、今まで様々なものを跳ね除けてきた。

だが、それらが反応すらせず、一切効果を発揮していない。

つまりこの現象は、催眠や洗脳ではない、異なる現象。

どういったものかは分からないが、それを成す術は、まさに神だ。

神のような能力を持った存在ではなく、まさに神なのだ。

虚偽を許さず、実力行使を行うことも辞さない、というデータ。

それは、後ろで倒れた護衛騎士1名で証明された。

真摯なる信仰を抱けなかったのなら抱けなかったで、そう正直に言えば助かったはずだが、申し訳ないことに、僕の配下の中でも主導すべき立場であっただけに、彼は僕の行動に率先して追随する形を取ってしまったのだろう。

彼は、そういう空気を読む男ではあった。

あの場では立場上、主を否定するような行動に出れなかったのだろう。

副隊長であり、加えて僕の師という立場。

急に宣誓を始めたのは僕だ、そういう立場であった彼が、躊躇せず続いてしまったのは仕方がないことだった。

彼が命を失うことになったのは、僕の甘い考えのせいだ。

部下の手前、女神ヴァイラスへの真摯な信仰心を持っていることを表明するポーズとしての動作でもあったし、彼女が盗み見てくれていたのなら、何らかの神のような現象くらいは見せてくれるかもしれない、というような少し舐めた気分があったのも間違いではない。

逆に、他の9名は、あの短時間でよくもここまで真摯に信心を抱いてくれた。

あの場で、僕が信仰を強要したような形であったにも関わらず、追随するだけでなく、真摯なる信仰まで抱いてくれるほどの忠誠心を持っていてくれたことに感動した。

あの場で死ななかったこと、それが全てを物語っているのだ。

メルサックには悪いが、彼ら9名は自らの部下ながら、誇らしかった。

この場にいる者達は、最早致命的な戦場を乗り越えた同志だとも言えるし、その忠誠心は疑いすら抱けないほど高いものだと再確認できたということでもある。


「女神ヴァイラス様、改めまして、我らが真摯なる信仰をお受け取り下さい。」

【認めます、貴方達の信仰は真摯であると。】


スゥ、と僕と護衛騎士のリーダーであるカタツキの手の甲に赤い紋様が浮かび上がる。

肉に埋まった血管が浮かび上がったのかと思ったが、違う。

皮膚表面に、微かだがEXP粒子の煌めきを感じる。

今この場で、僕の手の甲にEXP粒子を焼き付けているような・・・いや、入れ墨か?

皮膚を貫通し、肉にまで到達させたEXP粒子の髪の毛よりも細い極細の針が大量に突き刺さっているのだ。

そのEXP粒子製の針は、一本一本が並の者には鑑定できないほどの分量を、通常では考えられない何らかの方法で、尋常ではない圧力で圧縮して生成されたものと思われる。

その総量たるや、まるで守り神級の魔物一匹に匹敵するほどの分量。

しかもそれほどの異物が身体に突き刺さっているというのに、痛みが一切ない。


「女神ヴァイラス様、これは一体。」

【その紋様が、私への信仰の証であると認識してください。

その紋様ある限り、貴方には・・・そうですね、分かり易く言えば『バフ』が掛かった状態となります。】

「『バフ』が掛かった状態・・・!?

この紋様ある限り、ずっと、と、言う事でしょうか。」

【えぇ、そうです。

EXP粒子の吸収効率向上、肉体能力向上、病への耐性、と言ったところでしょうか。】

「ありがとうございます、より一層の強き信仰を、我等が女神に。」

「ありがとうございます!」


女神の気配は、それで消え失せる。

いや、消えたように感じただけで、実際にはまだ周囲にいくらでもかの女神様は目も耳も持っているのだろう。

だが、異常な程の幸福感の高まりは、一定の落ち着きを取り戻した。

やらなければならないことが多々発生した。

まず、少なくとも急ぎで仲間達、特に親族には触れて回らねばならない。

明らかに始動から行動の完結までの早さが独立性のある思考が可能な存在だ、言い訳が通じる相手ではない、すぐさま行動に移さねばならない。

確かにヒノワの言う通り、こんなリアルタイムでの対応がフミフェナ嬢に可能だとは思われない。

・・・それらの考えがある程度まとまった段階で、スク、と立上り、倒れたメルサックに近寄り、その遺体を抱き上げる。

他の護衛騎士達も立上り、僕の傍に近寄り、彼の遺体を支える。

余った者は、手を合わせる。

護衛騎士の甲冑には傷一つなく、兜の面を上げたメルサックの顔は、苦しんだ様子もなく、ただ眠るように安らかな顔だった。

そこには、慣れ親しんだ自分の師であるメルサックの歴戦の証である傷だらけの顔面と、優しい微笑みを湛えた僅かな笑みだけが残っていた。

もしかすると、これが女神ヴァイラスではなくフミフェナ嬢のせめてもの心遣いなのかもしれない。

そう思えるほどの、優しい死を与えられた遺体だった。


「・・・すまない、メルサック。

これは僕の落ち度だ。

あの世で待っていてくれ、僕がそちらに行った時には殴って叱ってくれ。

すまない、みんな。

だが、みんなが生き残ってくれて、本当に良かった。

これは僕の安易な行動が招いた結果だ。

本当に済まなかった。」

「いえ、アマヒロ様。

これは誰にも予測できなかったことでございましょう。

副長は、長きにわたり貴方様を守り、そして今日、誇り高く成長した我らが主を育て上げ、死んだのです。

皆、それは心得ております。

ただ、自らの職務を全うして死んだ、それだけのことにございます。

心残すことなく、送ってやってください。」


隊長のカタツキはメルサックよりも少し若い戦士だ。

以前聞いた話では、カタツキもメルサックの教えを受けた後輩というよりも弟子に近い立場だったらしい。

メルサックを隊長に推した際には、メルサックからカタツキを推薦され、採用した経緯もある。

彼にとっても恩人なのだ。

そんな人物を、僕の甘い考えで失ってしまった。

僕も、彼も、涙は流さなかった。

それは僕の立場の為か、僕の心の為か、僕への忠誠の為か、いずれかは分からなかったが、その気遣いが幾分か僕の心を軽くしてくれた。


「すまない。

カタツキ、メルサックの遺体を、アーングレイドまで搬送する手配をしてくれ。

死因は、僕を護ったことによる戦死だ。

メルサックのおかげで、僕と、君達9人の命が致命的な死地から救われたのだ。

メルサックの家族にはそう伝えてほしい。」

「・・・分かりました。

ムアール、パーンリア。

搬送隊に付き添ってアマヒロ様のお言葉をアーングレイドまでお伝えしろ。

隊のシフトはこちらで回すので、こちらのことは気にする必要はない。」

「二人とも、済まないが宜しく頼む。

心配するな、もし君達がいなくなったことで人員不足になったら、素直にヒノワに人員が不足した旨を伝え、灰城の人員を借りる。

詳しくは書面にて連絡するが、メルサックには後程勲章を贈ることも検討している、と、合わせて伝えてくれ。

ガルマインには、差し当たり急いで殉職した上級騎士葬の準備をするよう伝えてくれ。」

「「はっ。必ず。」」


これからのことが思いやられる。

最早、僕は・・・いや、僕たちは彼女の手の内に納まってしまったと言っていい。

いや、レギルジア、カンベリアに入った段階でもう手遅れなのかもしれない。

明後日に北門視察の際に彼女と顔を合わせることになるし、土曜日には正式な会合で会うことになる。

その際の対応は、再検討が必要だ。

ちょっとした対応などでは追い付かない。

我々はもう彼女を中心に考え、動かざるを得ない状況に陥ってしまった。

いや、それは悪いことではないのかもしれない。

彼の女神様の下賜する恩寵は、都市を豊かにするのは間違いない。

僕と隊長の右手に刻まれた粒子の紋様は、目に見えて分かるほどのバフを与えてくれている。

王都にあるアリアン教は、下位神官は真面目で信心深い者が多い一方、上位神官は本当に信心深いのか疑わしい、政局闘争に長けた俗物の僧侶が多い。

賄賂や貢物を受け取り、人々に教えをもたらす存在であるべき存在が犯罪行為をもみ消し、それもまた金で解決する、なんなら金どころかカタギではない者達を懐に雇い入れ、暴力で解決する。

神の教えを説く側であるはずの神官が、身寄りのない女性を引き取り、生活の保護を盾に手をつけ、不要になれば処理する際には最前線にまで送り付け、魔物の領域に放置して餌食にさせる、と言った非人道的な行為も定期的に告発されているが、毎回「その神官が行った冒涜的行為であり、亡くなった女性に神の祝福がもたらされることを祈る」と言ったような、宣言は出されるだけだ。

そんな愚物が上位神官を担っていて、それは数十人のうちの数人という比率や規模ではなく、最早その役職以上に在る者は皆が皆そうである、つまりほぼ100%に近い比率であるということは、色付き戦貴族の直系の人間には周知の事実だ。

表向きはともかく、裏では本当にクズと称して間違いのないアレコレをやっていることを既に少なくない人間が知っているのだ。

メルサックはそんな醜悪な面を持つアリアン教の中でも、数少ない清廉な派閥の敬虔なる信徒であったと、生い立ちを聞いた際に教えてもらったことがある。

教えや成り立ちはともかく、現在のアリアン教は、組織として腐っている。

対し、女神ヴァイラスは貢物や個人的なお供えは元より、レギルジア以外の都市への分社・・・神殿の新設などは全て認めない方針だそうなので、信者が奉じるべき金や資源は一切ない。

おそらくレギルジア以外へ根を下ろすことができないのではないか、と推測されるが、そういった分析を徒党を組んで打ち合せると、下手をすると全員即死する可能性もある。

虚偽や見当違いの盲信を拒否し、ただ、そこに降臨し、ただ、そこで力を奮う。

恩寵を受けたい者達に求められることは、女神ヴァイラスに対して真摯であること、ただそれだけ。

金も、資源も、食べ物も、魅力的な異性も、暴力も必要ない。

代償は苛烈、かつシンプルだが。

恩寵の大きさを考えれば、ある意味それで納得できるかもしれない。

だが、メルサックの死、これはもう少し僕が利口なら避けられた結果だった。

僕は、メルサックの死に報いなければならない。

彼の死を無駄にしない為にも、これからやらなければならないことは多くある。


「すまないが早馬の手配を頼む。

出来るだけ早く、正確に伝えねばならない。

手紙をすぐにしたためるので、レギルジア近郊にいるであろうホスグリオン卿に1通、アーングレイドの父上に1通、ガルマインに1通、すぐに届けてくれ。

父上宛の手紙に付随してメルサックの家族宛の手紙もしたためる。

30分ほどでまとめる。」

「は、急がせます。」

「僕の護衛は減らしていい、メルサックの遺体の搬送の護衛も付けてくれ。

早馬にも護衛を二人付けて走らせてくれ、これに関しては万が一があっては困る。」

「了解致しました。

合わせて、ヒノワ様に人員強化の要請を出しておきます。」

「いや、いい。

カタツキ、悪いが君と護衛騎士3人ほどで、2人ずつの交代シフトを組み、僕についてくれ。

他の人員は全て連絡要員に割いてくれていい。

外部の人間は使えないので、君達で必ず遂行してくれ。」

「は、了解致しました。

それでは、しばし離れます。」

「すまないが、みんな、明後日までバタバタするが、宜しく頼む。」

「は、我らが主の望まれるままに。」


部下達に抱えられ運ばれていくメルサックを見送る。

アマヒロや護衛隊長達はその姿が見えなくなるまで、敬礼をやめることはなかった。

備えなければならない。

それは、残った者達も、メルサックを抱く者達も、みな同じく胸に抱いた思いだった。

メルサック達を見送った後、彼らは二日後に迫ったこの恐怖の元との対峙に思いを馳せ、ほんの少しのため息を吐いた後、自らの仕事に取り掛かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ