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灰色の御用聞き  作者: 秋
24/45

20話 戦の後始末

大戦から二日。

カンベリアの城壁を取り巻く大地は、かなりの広範囲にわたって敵味方の血で赤黒く染められていた。

一部、青く紫色も混じっている場所もあるが、その辺りはナーガ族との戦闘のあった場所だ。

それらがまだ、生々しく戦の跡として残っている。

それらの匂いは都市内にまで流れ込み、都市に住まう住民達に戦の生々しさを実感させていた。

だが、一般的に大戦の後に発生する戦後の腐敗臭“は”発生していない。

ヒトが耐性や免疫を持たない魔物特有の病気が遺骸からヒトに広がるのを防ぐ為、一部の鹵獲品・遺集品を回収した後、遺骸は荷車を使って集められ、随時焼却処理が行われている為だ。

腐敗臭“は”していないが、今もまだ焼却作業が進められている最中であり、焼けた様々な魔物の肉の匂いが大気に充満しており、城壁に囲まれている城内にあっても、人によっては嘔吐する者もいる程度には異臭が漂ってきている。

焼却処理にはまだ数日かかる見通しであり、焼却処理後には燃え残った物もまた処理しなければならず、おそらく全てを終えるのは一か月後になるだろうと推測されている。


この戦で亡くなった灰色の戦士は、将兵合わせて100名弱。

彼らは既に荼毘に臥され、簡易的な葬儀を終え、遺骨や遺物を親族に送る手配が今行われている。

荼毘に臥された残りの遺骨は、カンベリア郊外にある魔物との戦いで殉職した者達が葬られる墓地に墓石を建てられ、そこに既に弔われている。

城内北門近辺に設置された献花台には、都市のあらゆるところから弔問があり、弔問に来れない者達からは花が届けられ、豪勢と言って過言ではないほどの花台として美しく彩られている。

今、フミフェナが立っている場所はその献花台からほど近い場所にあり、その花の香りが、戦場のすえた匂いをいくらか軽減してくれているように感じた。

戦の傷跡とは、得てして虚無感を感じさせる物ばかりだが、この戦場はそうでもない。



この度の戦は、単純な数で見れば圧倒的な勝利と称して間違いないが、長期的な目で見た際には、戦略的に敗北に近い痛み分けだったと表現できるだろう。

大きな理由は二つあり、一つは、ヒトと魔物・亜人の出生から戦力化するまでのサイクルの速度の差だ。

そしてもう一つは、『フミフェナ・ぺペントリア』と『グジ』という存在が戦略上、計算外だったからだ。

ヒノワ様という圧倒的強者をもってしても、戦貴族という戦闘に特化した血族・集団をもってしても、今回の大攻勢における敵軍の入念な準備に基づく戦略と指揮には、完全に遅れを取っていた。

どう足掻いても事態を収拾できないレベルの戦略を実行され、完全に隠蔽された進軍、そして浸潤、更にダメ押しの飽和攻撃。

これは敵側の完璧な戦略を褒め称えるべきだろう。


敵側の周到な計画・入念な準備は完璧で、最も大きな問題であり今後の課題であるのが、今回の敵襲について、あらゆる侵攻が早くても直前まで、遅くは襲撃されてからしか探知できなかったこと。

元来、総数や個々の平均戦力の差で魔物達に圧倒的に後塵を拝しているヒト種族は、その対策として敵の侵攻を事前に察知し、強力な戦力で打って出て殲滅する、という手法で前線を維持してきた。

交代要員を常に用意し、常時担当範囲の索敵を張り巡らし、それとは別に周囲を定期的に巡回する部隊と合わせて警戒網としていた。

最前線であるカンベリア近隣には、その方法以外にも追加で探知の為の方策が用意されていた。

カンベリアよりも更に前方にある前進拠点という縦のポイントからの術式と目視による索敵も加わる。

前線のラインの複数の砦(大が3、小が10あるとのこと)+前進拠点5つ、その縦横のポイントから、365日絶えず敵の侵攻や魔物の領地内への侵入を探知し、対処することでそれらを防いでいた。

前進拠点は、敵の兵数次第で拠点を放棄して後退することも視野にいれた設営とされているが、警戒網を構築している砦については、魔物の進出が確認できれば随時出撃してラインに到達する前に討伐を行っており、討伐が叶わないような敵勢力が確認できた際には、狼煙や早馬による伝令などで伝達しつつ籠城しながら敵を留める為の防戦を展開する、という手法がとられており、この戦まではこれが想定通りに正常に機能し、大きな後逸は今まで起こしていないし、戦線崩壊も起こしていなかった。

だが、今回の戦に関してはその機能は一切機能せず、完全に裏をかかれた様相だ。

警戒網を形成する全ての拠点は、敵が侵攻する際には、どこかは襲撃されるものだという先入観を持っていた為、通常通りの索敵と巡回は怠慢もなくしっかり行われていたが、巡回も全く敵の侵攻に気付かず、簡単に抜かれ、後方まで敵を素通りさせてしまっている。

彼らはついぞ、敵の一兵たりとも探知することはなく、カンベリアからの連絡がきても「魔物の姿は見えない、別の箇所からの後逸ではないか」と報告するという、お粗末な体たらくを晒した。

今回はグジのステルス能力付与というチートアビリティを活用された上で、血の気の多い魔物を徹底した統率による侵攻をなされた為、先入観の裏をかかれたのもある。

私も含めて現況の索敵・広域探知の方法では魔物達を探知できなかったのは、グジのこの能力が今まで一切ヒトの世界で知られていなかった為、対策が打てなかったことが原因だ。

今後、似たような能力者がいないとも限らない為、対策が練られていくことだろうが、今現在も含めてまだ対策はできていない。

話を戻すが、そういった特殊な能力が使用された、という事情を知っている者からすれば「魔物が前線を素通りしたのは致し方ない」ことだと理解できるが、それでも、前線を維持できず多数の後逸を許した、という致命的な事実は変わらない。

担当する部署が無能の烙印を捺されたとしても、それもまた致し方ない結果だ。

城壁に守られていない村々へ敵が到達するまで現地が敵襲を把握できなかった、という後手対応は、本来『事前に敵を見つけて対処する』という果たすべき役目を果たせていないということであり、それがどういった手法で行われたモノであったとしても、警戒網の責任者達にとっては致命的な大失態であるからだ。

敵がこちらの想定を上回っていた、つまり上層部も含めて想定外だった事象について、担当部署だけを責めるのは可哀想なことではあるが、『致し方ない』では済まない。

それで魔物を後逸し、ヒトという種が滅ぶ、もしくは大きな後退を余儀なくされる可能性があったのであれば、やはり日常の警戒網の構築が甘かったということなのだ。

今まで失敗がなかったことにより、警戒網と探知の術式が完璧である、と言った驕りがあったことも、新しい術式の開発や導入への意欲を下げたことは否定できないだろう。

如何なる理由があったとしても、今回起きた事態の重さを考えるならば、ヒノワ様を含めた指揮系統に関連する責任者は処罰を免れない。

『想定外の戦力』であったグジとは別の、私という『想定外の戦力』がいなければ、ヒノワ様の言う通り焼け野原に死体の山を築いていたのは間違いない。

今現在、被害が最小限だと考えられる程度で済んだのは、前線警戒網が何とかリカバリーした訳ではない。

また、ステルス状態を維持したままの侵攻や展開だけが問題なのではない。

グジ達はカンベリア・レギルジア、その周辺に存在したあらゆる強者の位置や、予定まで把握していたことも問題だ。

当日どこにいるか、は確かに人海戦術や能力で把握する方法は色々あると思うが、カンベリア周辺の戦力がカンベリアに最も集中する日を推定し、どうやってか特定したのだ。

たまたま攻め込まれた日に、たまたまこちらの戦力がカンベリアに集中していたのではなく、その日を見事に推測され、狙い撃たれた。

まず、この時点で敵側の偵察能力の優秀さを褒めるべきだが、これも致命的な問題だ。

動向だけでなく、予定まで完全に把握されていたということは、その他の都市の運営の日程も完全に掴まれていたということでもある。

グジは能力的に考えても諜報の面で非常に重要な任を負っていたと思われる為、おそらくグジの排除でとりあえず小康状態は保てていると思いたいが、グジ討伐前はこちらの強力な戦力は眷属を使用して監視し、かなり詳細に戦力事情を把握されていたことだろう。

そして、砦や警戒網に駐留する戦力を確認し、それらを攻撃して無効化することも出来た戦力も存在していたのに、敢えてそれを選ばず完全にスルーしつつ掻い潜る。

後方直近の都市であるレギルジアをまず落とし、その後あちこちの地域に広げて浸出する為、速度を重視したのだろう。

オーバーキルどころではない対応不可能なほどの過剰戦力を投入し、カンベリアと同時に襲撃を開始し、レギルジアを早々に焼き払った後、周囲に展開する、という戦略を完全に成し遂げた敵側の統率は敵ながら見事と言うしかない。

なにせ、片道切符の出征だ、帰郷は叶わないと知った上での侵攻でここまでの統率を保つとは、並大抵のことではない。

その前段階である、ヒトの主戦力である戦貴族の筆頭戦士をはじめとしたレベル100に到達している者達をカンベリアに釘付けにして都市外の事態への対処を行わせないよう妨害を行いつつ、かつディーという強力な個体を含む安易に軍による対策が打てない強力な戦力による攻勢をかけ、戦貴族筆頭戦士への負荷を高め、カンベリア自体もかなり厳しい状況に至らしめる、という段階も完璧に成しおおせている。

ここまで詰みに近い状態にまで持っていかれた、というのは、タルマリンやグジ、つまり敵側の戦略が全てにおいて十分に練られており、いたからだ。

そこまでの事態を色々な面で成功せしめた『グジ』が非常に優秀であったことは最早語るまでもない話であるが、敵の戦略を褒めてばかりではいられない。

現在、前線の警戒網の責任者は、カンベリアの査問会に掛けられており、おそらく厳罰に処せられることになるだろう。


それほど一方的な展開にまで詰められた彼ら魔物側の戦略だったが、今回の戦では大勝どころか大敗することになった。

失敗の原因は、唐突に沸いて出てきた把握していなかった戦力、『フミフェナ・ペペントリア』の出現だけだ。

それ以外は、本当に完璧にヒトという種を追い込むために完璧な戦略をもって攻勢に出たのだ。

結果的に、私の能力が本領を発揮できる領域で全てが実施された為にかなりの短時間で対応をすることが可能だったが、私の能力の発揮できない地域であったり、私がもっと弱かったなら、ここまでの対策は不可能だった。

グジが私を把握しておらず、計算外としていたというのは、完全に偶然だ。

ただ想定外の偶然の産物が、彼らの戦略を破綻させたのだ。

ヒト側としても、ヒノワ様以外の頭からは完全に計算外だろう。


戦の勝鬨が聞こえた時、人々は絶望的な状況からの短い期間・少ない被害での圧倒的な勝利に沸いたし、カンベリア市街では口々に『灰色』の戦貴族や戦士達を褒め称える声が聞こえることになったが、戦略的に敗北していたという事実を知っている指揮官級の者達からすると、純粋に喜べない部分も大きい。

『圧勝』という言葉は、あくまで結果論だ。

計算外の敵襲に困惑し、計算外の強力な身内の存在でそれが解決された。

この2つの要素を想定もしていなかった者ばかりであり、何が起こったのか正確に把握しているのはヒノワ様を含めた数人だけだ。

いっそ、何が起こったのかすら理解することを頭が拒否するような出来事だろう。

上意下達の速度には限度があり、全てを全体に周知できるまでには時間もかかるし、あの戦の最中にそんな時間はなかった。

敵が後逸したことが判明した後、結果が出るまで後方がどうなったか知らされていなかった指揮官級未満の各部門の将官たちにとっては、不安な状況しか聞こえてこず、戦々恐々としていたことだろう。

また、あまりの敵勢の多さに家族に別れを告げる戦士達も多くいたことから、一般市民もカンベリアを取り巻く戦況についてある程度知っていた。

ここカンベリアでなければ、即座に陥落していたとしてもおかしくない兵数と戦力を充実させた軍が襲い掛かってきていた、という事態も知っていた。

伝令や兵達の大声は都市内にも当然の如く漏れ聞こえてしまい、魔物が後逸していることも伝えられずとも皆、知っていた。

しかもそれが外周部から中心部に向かって伝言ゲームで広げられたことによって、外の状況の分からない一般市民は少なからずパニックになる者もおり、都市内でも様々トラブルは発生し、都市内の統制にもずいぶん憲兵が派遣されていた。

カンベリアの戦力については、『数は』多くない、それはヒトも魔物も、近隣に住む者であれば皆が知る事実である。

『数は』多くないが、『質は』高い。

一騎当千の者が多数いて、彼らは都市の守護神として今まで連戦連勝を重ね、人々は彼らを称賛し、誇っている。

事実、万を超える敵軍に対して、損害は100弱と数字上では圧倒している。

総戦力を数値化できれば相対的に比較しても圧倒的な戦闘力であると思われるが、都市の防衛とは、そういう数値で評価できるものではない。

戦士一人一人が魔物よりも強かったとしても、軍として圧倒的に強かったとしても、大軍に囲まれた状態で守勢に回った際に、後逸ゼロ、被害ゼロという偉業を成し遂げることができるかと言えば、並大抵のことでは達成できない、難しいものであることは一般人でも分かることだ。

いくら自分達を守護する戦貴族達が強くとも、自分達全員を完全に、無傷で、絶対に守ってくれる訳ではない、ということくらいは理解している。

彼らなら都市が滅ばないよう、必ずなんとかはしてくれるが、少なからず被害は出る。

魔物に襲われるのは自分や、家族や、知人かもしれない。

そういう恐怖が都市内に一時蔓延したのは、致し方ないことだった。

加えて、目の前にいる敵軍以外にも後方に向けて進軍している別の軍がいるのだとしたら、戦貴族筆頭戦士のいない後方は一体どうなるのか、レギルジアは、近くの小さな村々は、そこにいる人々はどうなるのか。

レギルジアや近隣の村々出身の者や知人を持つ者は、そういった不安に駆られていた者も多くいたことだろう。

元々数的不利にあるヒトにとって、広く薄く浸出する敵軍の処理など、対処の難しい・・・いや、不可能な話だ。

既に、広範囲に敵の浸潤を許したと理解した時点で、人々は本当に大丈夫なのか、という疑念を抱いていた。

勿論、状況的に種の存続を問うレベルの危機であることは上層部も理解していたが、気付いてから対処可能なレベルを超えていたのも事実であり、なんとかカンベリアから強兵で構成された選りすぐりの部隊を出兵し、後逸した敵をなんとか討伐し、被害を少しでも減らさなければならない、各所がそう思い動いていたという。

実数としては、ヌアダ様率いる騎士隊が最も数が多く、500名前後、ヒノワ様率いる弓隊が400名前後。

残りは50~100名前後の中隊~大隊規模の隊が40ほどあるだけで、警邏隊や討伐隊等の戦時協力者を足しても総数は6000と言ったところだ。

その6000はレベル90台以上が6割、レベル100も1割程度と、他領と比較しても破格の戦力が揃っている。

残りの3割程度も、概ねレベル80以上という高グレードのラインナップであり、精強という評価は伊達ではない。

前述通り、総戦力は非常に高い。

他の色付き戦貴族の最前線でもここまでのラインナップを備えている所は、ほとんどないらしい。

対して、魔物や亜人は、最終的にカンベリアに概ね5万という例にない数を揃えて攻め込んできた。

流石に5万もの兵数が全て同時に攻めてくる訳ではないが、ヒト側は城外で敵を蹴散らす担当と、城壁を登られてもすぐ対処できるように城壁防衛担当が分かれて布陣した為、防衛担当の兵達が対処すべき数は一人当たり最低20体以上という非常に膨大な数にのぼる。

いくら彼らが一騎当千の者達であると言っても、敵にも精鋭はいるし、守り神級や準守り神級の強力な戦士も布陣に参加していて、攻め込んできている。

城外のヌアダ率いる騎士隊は城内へ向かう魔物を減らすべく散々に暴れまわって周囲一帯の魔物が逃げ出すほどの戦果を上げ数千を殲滅したし、城内のヒノワを筆頭とする弓隊も地面にクレーターを作るほどの矢や魔物の鉄壁とも言える皮膚や毛皮、筋肉を貫通し得る強力な矢を嵐のようにあちこちに打ち込んで戦場をボコボコにしたわけだが、その派手な戦場の影で、都市を守るヒトと攻め込む魔物の凄烈な戦闘はあちこちで発生し、血で血を洗うほどの激戦の様相を呈した場もあった。

攻撃を担う城外組のキルレシオの数値が異常に高いが、それは少数で多数を撃破している為であり、防御を担う城内組は数が比較して多く、撃退が主である為、全体としてのキルレシオの平均値を少し下げることにはなっている。

城内組のキルレシオも決して低くはないが、城内組には戦闘に際して、各々が心の中で強く誓った一つの使命を必ず遵守する。

『城内に一切の魔物の侵入を許してはならない』。

城内にいる民の戦闘力は、皆無に近い。

もし後逸すれば、城内組を凌駕するような魔物ならば、一瞬で数十、数百、対応が遅れれば数千の、カンベリアを支える都市民の命が失われる可能性すらあるのだ。

そして、城内組はその使命を完遂し、自らの命までも犠牲にして一切の後逸を許さなかった。

城壁を防衛兵の頭越しに飛び越えようとした強力な魔物の飛翔を身体を張って留め、仲間に自分ごと貫かせた戦士もいた。

毒を含んだ強く鋭い爪で若き戦士を貫こうとした準守り神級に匹敵する強力な魔物の前に立ちはだかり、仲間を守りながら相打ちで仕留めた老兵もいた。

民や仲間を守る為に失われる兵の命は、計算は出来ないが必ず存在する。

彼らのような、戦いを共にしてきた戦士が亡くなり、気落ちしている中で、彼らの弔問を行ったり、家族への戦死補償を考えねばならないヒノワ様のお立場を考えると、本当に辛い。

変われるならば変わって差し上げたいが、そうもいかない。

誰にも変わることはできない職務だ。

それはヒノワ様の精神に負荷をかける原因ともなっているだろうが、それはヒノワ様のプライドが許さないだろう。

私に可能なのは、それをお慰めする良い話を提供することくらいだ。


戦略的に敗北と見ていい、と考えた理由のもう一つ、戦力化サイクルの問題。

まず、今回、カンベリア周辺における魔物は、敵司令部以南に存在したカンベリアを包囲していた約5万、高い樫の木の森で死んだツインテイルやタルマリン、グジの派遣した侵攻軍合わせて2万程度、計7万近い数、その全てが死んだ。

通常、「全滅」とは戦力の数割が失われた段階で戦力として計上できないと判断し呼称されるが、今回の戦に関しては、敵戦力の戦闘範囲内の生存者は完全にゼロまで、文字通り「全滅」するまで殺し尽くした。

一方、ヒト側は軽傷、重傷は数千にも及ぶほどの激戦であったが、死者は100名にも及ばない90人台。

損害比は90対5万。

ここの数字だけ見れば、ヒトの圧勝である。

だが、戦略的に長い目で見ると、これは圧勝どころか敗北に近い数字だ。

ヒト対ヒトで損害比90対7万であれば、圧勝どころではない話だが、ヒト対魔物は、数の概念が変わってくるので、話が違うのだ。

魔物は、ヒトよりも圧倒的に短い妊娠期間で産まれ、更に1回の出産辺り5~8胎という多産である種族も多い。

特に蟲系の魔物は特筆して早く、一回で生まれる数も多い。

次いで獣系、魔獣系の魔物が早く、多胎で生まれることも多い。

亜人系は種族にもよるが、エルフ系以外はヒトと同様かヒトよりも早く、多産であることも多い。

寿命を全うする者が殆どいないとは言っても、一部短命な種族はいるが大半は数十年~数百年は生きる長寿な種族だ。

そして、生存競争の激しい世界であり、生き残っている者はヒトよりも短い数年という期間で戦士と言えるレベルまで到達する。

加えて上限もヒトよりも高く、レベル100の壁が薄いか、無いのだろうと言われている。

年若い者が弱く年老いた者が強いという訳でもなく年若い魔物でも非常に高レベルに達する者もおり、全体の0.5%未満という割合ではあるが、守り神級と称されるレベル200以上にもなる魔物もいる。

エルフやドリアードなどは生殖能力がヒトよりも低く、長寿命であるが生育に時間がかかり、高い基礎能力を有しながらも戦士として成熟するのはヒトよりも遅いが、そういった種族はかなり少ない部類だ。

つまり、繁殖速度・レベリング速度・戦士として成熟するまでの期間・人口に対しての戦士の比率を加味して考えると、魔の勢力の補充速度とヒトの戦力補充速度は500倍以上、下手をすると1000倍近くの差がある。

そして、そもそも総数が違う。

ヒトの擁するカンベリアの主力戦力は6000であり、損害が100であると計算すると、1.6%の損害を被った計算だ。

対して、魔物は、カンベリア以北にいる戦力と計上できる戦力の数は100万どころか、最低でも500万はいるとされており、そのうちの7万だと損害は1.4%程度と、ヒト側よりも戦力の摩耗は少ないということになる。

生誕から戦士になる戦力化サイクルの問題も含めると、ヒト側は敗北していると言っていい。

そして、私が殲滅した数万を除いた場合、損害比は90対6000~10000。

しかも非常に頑丈に設営された城塞で防衛戦を行ったという、条件的にかなり恵まれた状況で、だ。

城壁がもっと低く、城壁がもっと弱く、詰めている兵がもっと弱く、私がいなかった場合、おそらく半日ももたずにカンベリアは陥落、同時に襲撃されたであろうレギルジアも陥落、浸潤していた侵攻軍により都市間も焼け野原に死体の山、そして領都やその後方まで、あらゆる全ての領域が奪われたことだろう。

幸いと言っていいものか、魔物にとってヒトという生命体は味が非常に悪いらしく、食糧としては『飢えたら無理矢理胃に流し込めば食べれないこともない程度の物』という評価であること、種の遠い者が多く性的欲求の対象ではない為、ゴブリンやオークなどの比較的ヒトに近い亜人を除けば凌辱の対象にならない、ということもあって、悲劇の様相はヒト対ヒトの侵略に比べれば幾分マシかもしれない。

だが、収奪を目的とした侵略ではなく、その目的はヒト側の戦力のバックボーンの破壊とヒトの擁する粒子の回収。

侵略された領域のヒトは、全て殺される可能性が高かった。

もし領都の手前で食い止めることができたとしても、そこまでいけば『灰色』はもう終わったようなものだ。

ヒトという種族にとって、戦士を増やすための環境・背景として、人口というものは非常に重要な因子となってくる。

カンベリア~レギルジア間の村落や集落の方の守護役や村人などを含めた死者も、合計して100名程度は損害が出ている。

繁殖速度が魔物よりも大きく劣り、戦士の比率の低いヒトにとって、優秀な戦士100名以上を含む190名の死者というのは、後々、そういった環境・背景に非常に大きくのしかかるダメージである。

今後、破壊された村々の復旧も行いながら、避難した村人たちが帰還する為の仮設住居の建設等も始まることだろう。

そちらは、ヌアダ様と、サウヴァリー氏が多数の護衛を引き連れて向かったという話だったが、失われた190名という死者が及ぼす影響、傷痕の治癒には相当な時間を要するかもしれない。

だが、多くの積み重ねがあり、ヒノワ様の働きが『灰色』を救った。

サウヴァリー氏を雇用できたことで城壁を高く強く作ることが出来、ヌアダをはじめとした超強力な兵達を抱えたことで都市内への敵の一切の後逸を許さなかったという偉業が達成され、私というレベリングマニアを青田買いしていたからこそ侵攻軍や司令部が壊滅した。

それら全てで今回の戦で勝ちを拾えたのだ。

どれか一つ欠けていても、今回の戦では耐えられなかったことだろう。

今回の戦は、ヒノワ様という存在があったからこそ、なんとかなったのだ。


敵側の立場に立って考えてみれば、おそらく今回の戦での一番の損失はグジという蠅蟲人の存在だろう。

ディーやタルマリンという非常に強力な個体がいたこともあり、おそらく裏方に徹して表には出てこなかったのだろうと思われるが、更に上位の存在がいたのであれば、ステルス能力を付与できる眷属を使役できる、という神の悪戯はここまでやるのか、という圧倒的チートアビリティを隠匿していた可能性が高い。

そして、そのチートアビリティを活かしつつ、今回の戦でこちらの勢力に致命的な損害を与える為の戦略的アドバイスをディーやタルマリンに行っていた可能性が高いとも聞いている。

今回の戦で、私が高い樫の木の森でその存在を確認したのは偶然だったが、その存在が確認できた後、最優先討伐対象に指定したのは、勿論グジだった。

彼の生きた証、ウォートロフィーは、後々ヒノワ様に献上しようと、敵司令部に強襲をかけ殲滅した際に頂戴してきた。

ただ強いだけの魔物ならヒノワ様やヌアダの敵ではないだろうが、グジの存在はこれからヒトの存在を危うくする存在だったのは間違いない。

グジのことばかり取り上げたが、今回討伐されたのはグジだけではない。

ツインテイルを始めとしたダークエルフの一軍、ナーガやオークの一軍、敵司令部近隣にいた無統制のゴブリンやコボルト、トレントやバースリー、アノリアン。

実際には7万も失われれば、グジ以外にも存在したであろう特有の貴重なアビリティやスキル、クラス適性を持つ魔物や亜人もいたはずなので、その辺りが失われたのであれば、魔の勢力側の損害は、予防的な意味でも大きく影響を与えたと言ってもいいんじゃないだろうか。

特に、蠅蟲人のグジのような特異な能力を持った者も討伐できていたならラッキーだが、そう多くはないだろう。

何度も言うが、やはり彼を討伐できたことは、今後非常に大きな意味を持ったはずだ。



戦後処理が進むにつれて、粒子化洗浄によりあらゆる場所の浄化処理が進められ、処理が行われた場所から順に、大地は戦の前の姿を取り戻しつつあった。

ヒノワ率いる灰色の弓兵達による攻防の行われた場所は矢傷で死んだ魔物が多く、ヒノワの矢に穿たれた者は跡形も残っていない為、存外その戦場は凄惨とは言えない戦場であり、比較的戦場となった場所の浄化は早く済んだ。

だが、序盤の攻防でヌアダが率いた隊が散々暴れまわった範囲については魔物の残骸は大半がバラバラに爆ぜ散っており、その有り様は凄惨を極めるものであった。

死骸に慣れた者達ですら嘔吐する者が続出するような状態だった為、ヌアダ隊の者が主だった首級、貴重品や装備品のみ確認・回収し、残りは焼却処理の上で浄化処理が行われることになった。

戦を終えた翌日はヒノワ様からゆっくり休むよう指示があった為、私ことフミフェナは爆睡してグータラと過ごしていたが、2日経った今日からは貴重品や装備品の査定・回収作業を行っている。

人手不足でフミフェナも戦後処理の手伝いとして駆り出され、私の応援要員としてベランピーナやイオス達3人と共にあちこちを歩き、回収された武具類の鑑定・後送作業の手配などをこなしていた。


「査定も仕分けも手慣れているな、前世も商人だったのか?」

「商人…そうですね、似たようなものではあったかもしれません。」


アグリア商会で学んだことが活きた部分もあったが、武具類を鑑定し、後送する、というだけの作業であれば、確かに検品し発送する、という前世の仕事に近いのもあるかもしれない。

カンベリア攻防戦、前線から後逸した侵攻軍討伐を経てレベルは480とヒトの領域を軽く突破する好機にも恵まれた。

流石に短期間にあれこれ詰め込み過ぎた為、今はもうレベリングはお腹一杯という感じだし、なんとはなしにヒノワ様からの依頼を淡々とこなしていたが、言われてみればこれも本職ではあったということか。

ヒノワ様からは、灰色の戦貴族アキナギ家の御用聞きとして引き続き雇用してくれると話もあったので、これからはカンベリアの中で腰を据えてあれこれやるつもりだ。

今回の戦後処理の手伝いは、ヒノワ様からの依頼だが、商業ギルドからの要望によるものでもあり、御用聞きとしてこれから仕事をしていくのであれば、商業ギルドに顔の一つでも売りに行かねば、ということで、大仕事の前の営業活動の一つ、ということもあり、二つ返事で引き受けた。

現地の作業の報告は商業ギルドに話を通さねばならないし、後送・搬送に関しては都市間流通の護衛のために傭兵ギルドやハンターギルドにも依頼を送らなければならない。

手紙や言伝だけで依頼したとて、顔も分からない名前も知らない商人の言う事など誰も信用してくれないし聞いてくれないので、商業ギルドや傭兵ギルド、ハンターギルドの顔役の所にも顔を出しに行ったのだが、やはりこの小さな身体では中々信用が得られず、長口上の自己紹介とヒノワ様から渡されていた割符、己に課された仕事の割り振りや役目等を伝えてようやく信じてもらえた、というようなこともあった。

そういう意味では、やっとこちらの世界に来てから商人らしい仕事をすることになってきたな、と思える。

しかし、どう足掻いてもこの小さな体は商談には向かないな、と今はどうにもならないことながら、誰にも聞こえないようにひとりごちた。


「しかし、とんでもない数だな。

自分が鑑定作業する立場でなくて良かったよ、これほどとなると、気が遠くなる。」

「まぁ、全員が所持していたわけではないでしょうが、数万単位の軍勢でしたから。」


ベランピーナの感想は至極尤もな話だ。

目の前に広がる陳列された武具は、平置きされているので余計多く見えるのかもしれないが、数千あると推測されていて、遠目に見て全数をサッと数えられるような気がしないくらいの数だ。

前世のボリューム感に例えると、学校の体育館4つか5つ分はあるだろう。

魔物は基本的に身一つで戦闘に臨む者が大半を占めているが、亜人であったり、知能の高い魔獣の類いであれば、何かしら武器防具を持っていることもある。

ほとんどはただの布、皮革、鉄であり、たまに玉、宝石、他の魔物の牙や爪を加工した物があるが、いずれにしても大半はヒトの所持する武具よりも劣る。

しかし、ヒトとは違う体系を経て造られた上等な鍛冶の製作した武具は、ヒトの市場に出回る物とは異なる能力を所持していたり、場合によっては非常に優れた性能を誇る物もある。

特筆すべきは、中にはヒトには再現不可能な特殊な能力が付与されている物があることだ。

亜人はとりわけヒトよりも長命であり、洗練されたヒトの鍛冶技術に匹敵するか、場合によっては上回っていることもあるし、技術体系が部族ごとに違ったりする為、具体的に体系付けることは出来ない。

ただ、文化が違うというだけでは一括りにできないほど、ヒトの世界に出回る物とは異なった物が多いのだ。

だが、ヒトと交流を持たない亜人の製作した武器は、基本的に魔物や亜人の間でのみやり取りされており、基本的にヒトの市場には出回らない。

ヒトと袂を分かったドワーフやエルフといった長命の亜人の鍛冶師の製作した装備品は、古い物以外は『奪って得た戦利品』としてでしか、新しくヒトの世界に回ってこない。

美術品、レアアーティファクト、武具、ウォートロフィー、そのいずれであっても、亜人や魔物の身に付けていた物は需要と供給が大きく需要に傾いている。

故に、出品されれば漏れなく非常に高値で取引される。

そんな武器防具が何千という単位で戦場跡に転がっているのが確定しているともなれば、彼らの目にはこの光景は宝の山にしか見えないだろう。

武具商人達が都市内で「いつ運ばれてきて、いつオークションが開かれるのだ」とか、「いい品は適正価格より高額で買い取るので、オークションを通さずにこちらに卸してくれ」と商業ギルドに直談判に行ったりするのは仕方のないことだろう。

戦後処理に当たっていたヒノワ様は、そういった商業ギルドからの突き上げをくらっていた為、魔物の武具鑑定が可能な鑑定人を都市を挙げて募集し、回収された武具の鑑定を大急ぎで進めている。

が、見た目では分かりにくい上等な物と劣悪な物、呪われた物や祝福を受けた物、毒の有無や接触感染の恐れのある病気の有無なども調べなければならず、報酬をはずむと言われてもそこそこ『鑑定』の能力が高くなくてはそもそも仕事にならず、求められる条件が厳しいのであまり人数が集まらない。

通常、小競り合い等で少数が出回ることはあっても、戦と呼べるほどの大きな収穫はこれまで都市が建設されて以降はなかった為、そもそもそういった魔物達の武具の『鑑定』を行う者の需要は高くなかった。

急に身に付くものでもない為、条件に見合うほどの能力を持つ知見の広い鑑定士は、どの領地でも多くいない。

幸い前線が近いこともありカンベリアには数人いたが、その数人で何千という単位の物品鑑定をしなければならない、となると、鑑定士組合からは『少なくとも1か月、2カ月かかるかもしれない』と言われていたようだ。

そういう状況だったので、『鑑定』のできる私に白羽の矢が立ったのもまた、仕方のないことだった。

レギルジアのアグリア商会からも条件に見合う鑑定人が一人いたので招集されたが、これほどの数の前では焼け石に水であることも否めない。

人数が足りない。

加えて、中でも呪い、毒、病気の恐れのあるものもあり、対策も難しい為、該当する能力持ちの鑑定士も、みな触りたがらない。

その手の物は基本的には処分されることになるが、そういう物に限って廃棄するには惜しい優れた物も多くあるというのも通説であり、なんとか処分確定とせずに鑑定してくれないか、という依頼も多くきた。

そして、それらは優先的に私の手元に送られてきている。


「こちらは刃の部分に遅効性ですが致死性の毒のある金属が使われています。

鞘がないので、油を染ませた布で覆って、毒有りの箱へ、刃に触ったら死にますよ、気を付けてください。

非常に珍しい金属で作られた物ですので、刃部分は研究材料になります、王都の研究施設へ送ってください。」

「了解です。」

「こちらはオーク族専用装備の斧ですね。

非常に強力な武器ですが、呪いが掛かっていてオーク以外は装備できないので、鋳融かすしかないですね、廃棄、溶鉱炉行きで。」

「はい」

「これは刃の部分に寄生型の細菌が付着した貝で作られた棘が刃の部分に仕込まれていますね、ヒトに感染すると大変なことになるので、焼却処理にしましょう。

焼却炉に入れて焼け残っていたら鉄くずにしてください、熱に弱い細菌なので焼却処理した後なら問題ないでしょう。」

「これ、俺が運ぶの?こええなぁ・・・。」


私が鑑定、分析し、査定し、搬送すべき場所を指定し、仕分けしていく。

ベランピーナ先生は私の横に侍り、報告書に鑑定結果を記載、鑑定済みの武具にナンバリングを施しき、テキパキとさばいていく。

馬車で一緒だったイオス達3人は、分別した物の仕分け・運搬の手伝いをしてくれている。

自分も含めてこの班には10人ほどおり、仕事はサクサクと進んでいくが、1日で鑑定できた数は300から400というところだ。

総数6~7千あると言われているこの武具の山からすると私の担当した範囲は全体の数%しか進捗していない。

鑑定人は7人しかおらず、おそらく私より早い人、遅い人もいるだろうから、その差し引きで10~15%ほどだろうか。

このペースでいけば、10日くらいもあれば鑑定は終わる計算だ。

監督員には予備日を加えて、11、12日程度かかるのではないか、と伝えておいてあげるのがいいかな?

そうこうしているうちに、夕方5時半を過ぎ、空が赤く染まる頃には、今日の作業を終了する。

武具類の山を管理・護衛する兵達に引継ぎを行い、カンベリア内に戻る。

ベランピーナ、イオス達と共に城壁に詰める兵用にあてがわれる宿直施設に部屋を用意されているので、そちらに移動する。

カンベリアの宿直施設は下手な宿泊施設よりも充実したリネン、入浴施設が存在し、詰める兵達の評判も非常に良いようで、私達が宿直施設に入る頃には湯上りの兵達が数人見受けられた。

自分達も早々に風呂に入り夕食を取る。

会議室で他の鑑定士たちと雑談をしながら今日の成果について話しながら、報告書をまとめる。

といっても、ベランピーナがリストはかなり正確にまとめてくれているので、他の鑑定士についている筆記官にベランピーナのやり方を真似て貰った方がいいだろう。

鑑定士達を取り纏めているマキロンという名の好々爺にちやほやされながら、他の鑑定士の鑑定した武具類の報告書を読ませてもらっていると、俄かに宿の外が騒がしくなる。

扉が開くと、室内の粒子が活気づき、花が咲くように粒子が波紋を広げ、美しく輝いた。

現れたのはヒノワ様だ。

護衛騎士が数名先行して建物内に入って整列し、ヒノワ様はその後ろから入室する。

6歳でも漂う謎の色香があり、いつも通りお美しい。

男性からは勿論おぉ、という感嘆が上がるが、女性たちからもその美しさを讃える感嘆の声が上がる。

ヒノワ様はそう言った性別を問わない美しさを纏っている。

・・・しかし、何の警戒が必要なのか、8名ほどの護衛騎士が室内、10名ほどが室外に警戒態勢で待機している。

ヒノワ様が足を止めると、私は誰よりも早く、最良の位置取り、最良のフォームで膝を着き、敬礼を行う。


「ヒノワ様、ようこそおいでくださいました。

このような場所までご足労いただきありがとうございます。

本日は、どのような御用でございましょう。」

「お疲れ様、フェーナ。

なに、ちょっとした慰労と、渡す物があってね、フェーナにも会いたかったから自分で来たんだ。

頼んでいた仕事、めちゃくちゃ捗ってるみたいだね。」

「こちらにいる皆さんにもよく手伝ってもらっておりますので、順調には進んでいるかとは思いますが、何分、数も多く、今日一日の進捗としては全体の13~15%程度かと思われます。

全て完了させるのは、およそ7~10日ほどかと。」

「了解、あとで報告書読ませてもらうよ。

フェーナが皆嫌がる物の鑑定めちゃくちゃ進めてくれてて助かってる、って商業ギルドの会頭がめっちゃ誉めてたよ。

ほんと助かる~。」

「御機嫌麗しゅう、ヒノワ様。

えぇ、本当にこのお嬢さんは優秀です。

私はこのベテラン人6人の中では最も年長でありますが、このお嬢さんは職歴60年にもなろうかという私とそう大差ない能力を持っている。

足りないのは経験と知識くらいですな、技量の方はいっそ言うなら我々より高いかもしれない。

素晴らしい、流石、ヒノワ様の秘蔵っ子でございますな。

可能なら引き取って、我が商会で育てたいほどでございます。」

「マキロン殿、フミフェナ様は、私が所属しております、レギルジアにあるアグリア商会の会頭が直々に英才教育を施された方であり、レギルジアでは非常に高貴なお立場にあります、自重していただけますかな?」

「過分な評価ありがとうございます、みなさん。

しかしこれは、ヒノワ様のご依頼であり、それが私の仕事でありますから・・・。」

「うん、良き哉良き哉。

みんな、フェーナにあれこれ教えてあげてね。

で、フェーナにお届け物。

後でもいいかなとも思ったんだけど、差出人がアレでね。」


ヒノワが現れてからはその場にいた皆が作業の手を止め、居佇まいを正していたが、ツイ、と差し出された封筒を興味深く覗き込んできていた。

『カンベリア フミフェナペベントリア様宛

発 アーングレイド アキナギグレイドアマヒロ』


「アマヒロ様からの手紙ですと・・・!?」

「アマヒロ様と言うと…ヒノワ様のお兄様に当たる直系筆頭、当主代行、つまり次期御当主・・・。

何故この娘に直接手紙を・・・?」

「そうそう、優秀な兄だよ、生母は違うけど。

9つ上の15歳で、既に父の仕事の大半をこなしている、アキナギ家の嫡男だよ。

中身は見てないけど、多分、今回の攻防のアレコレの報告書呼んで、フェーナの顔見たい的な呼び出しじゃないかなぁ、と思ってるんだけど、封蝋されてるから私はまだ読んでないんだよ。」

「なるほど、御嫡男の・・・。

15歳で既に戦貴族領主としてのお仕事を、大半こなしておられるとは、優秀な方なのですね…。

流石はヒノワ様のお兄様です。」

「そうなんだよ、めちゃくちゃ優秀なんだよ、兄上は。

フェーナは見たことないと思うけど、恰好もいいし、私はあの人ほど非の打ちどころのない『灰色』は見たことがない。

一時期、私を時期当主に推そうみたいな謎の勢力がたくさんいたんだけど、私から見ても兄上より優秀な『灰色』はいないし、私なんかが当主になったら脳筋ばっかりの戦闘民族みたいになっちゃうじゃない?

それに、どう考えても支持者自体気にくわなかったし、中には私を担ぎ上げて反乱起こそうとしてる奴とか、兄上にクソみたいな嫌がらせしてる奴とかいたから、私が直々に散々ボコボコのボロボロにして回って、みんな牢に叩き込んでやったよ。

私の為に、とかなんだのとほざいてたけど、まぁー、はた迷惑だしほんとウザいのなんの・・・。

私が兄上が当主になってくれた方がいい、って言ってるんだから、私の為を思うなら兄上を推せってね・・・。

まぁ、いいや、開けてみたら?

他の皆は、見てもいいけど、他言無用でね。」


全員がブンブンと縦に頭を振っていて、その姿が面白くてヒノワ様と二人で少し笑った。

カンベリアの城壁にも刻印されている『灰色』の戦貴族の紋様である弓と矢をあしらったエスカッシャンの封蝋のついた封筒だ。

勿論、そのエスカッシャンの封蝋は、灰色戦貴族当主、アキナギ・テンダイ様と、その代行、アキナギ・アマヒロ様のお二人しか使えない物だ。

爵位継承権を放棄したと伝え聞くヒノワ様は、自らその印を使用する資格を放棄し、その後一切使用していないと聞いている。

大きさは前世で取引書類を入れていたような茶色の封筒くらい、よくRPGで聞く羊皮紙ではなく、かなり作りの良い手触りのいい厚い紙で作られた封筒だ。

中に同封された書類の厚さは1㎝以上あり、ただの手紙を入れているにしては分厚過ぎるので開けるのが少し恐ろしい物だ。

サッと中身をアレコレ広げてみるが、大半は戦果に対する論功行賞の軍票であり、概ね私の物と思われる戦果への評価、それに伴う報酬に関する記載のある書類が同封されていた。

アマヒロ様からの手紙は、花押の押された、短い文章が書かれた上等な紙が1枚だけ一番上に添付されていた。

丁寧な文章ではあるが、かいつまんで言えば、お話がしたいので土曜日の夜に時間作ってくれ、そっち行くわ、である。

今日が水曜日の夜なので、3日後には来る、ということだろう。


「兄上からは、なんて?」

「カンベリアに赴くので、土曜日の夜に時間を作ってほしい、と・・・。」

「え、領都グレイドに来い、じゃなくて、ここに来るの!?

兄上、めちゃくちゃ忙しいのにそんな時間あるのかな・・・。」

「市井の一個人を相手に、当主代行・・・いえ、次期御当主となられるアマヒロ様が直接出向いて来られるのですか・・・?

フミフェナ嬢にとっては大変名誉なことではあろうと思いますが、周囲への影響を考えますと、いささか大事過ぎませんでしょうか?」

「そこは何かしら政治的に必要なムーブなんじゃないかな?

流石にパフォーマンスなら大々的にパレードやるだろうし、連絡だけなら手紙に書けばいいし、顔が見たいならこの近辺だと兄上より偉いのは父上しかいないんだから自分の所まで呼び出せばいいんだから。

それが、わざわざ私の手から渡るように仕向けて、兄上の方から出向くよ、って伝えるのなら、多分私にもその場にいろ、とかそういう意味は少なくとも含まれてるだろうね。」

「・・・フミフェナ嬢は、今回の戦の戦功多数の大英雄でもありますから、普通に論功行賞を戦功に合わせて出すとそこらの戦貴族の分家や本流から外れた者達なら追い越してしまいかねませんし、大々的に発表できないというようなしがらみがあるのでは・・・?

最悪、政局闘争に巻き込まれる可能性もありますし・・・。」

「ん-、でも、政局闘争なんて、私の前でやる人間いるかなぁ?」

「・・・確かに、灰色領内では、アマヒロ様に関わることでヒノワ様に無意味な反抗をする者はいないかもしれませんが・・・例えば、レギルジアよりも以南・・・王都方面や『青色』でしたらどうでしょうか?

伝え聞く話でも、先日の大戦は、ここ『灰色』だけの話でもなかったようですし、『橙色』『緑色』も結構な被害に遭ったとか・・・。

噂を聞き及んだ方々であれば、フミフェナ様を自分の勢力に取り込もうとする方も多くいることでしょうし・・・。

ひょっとすると、アマヒロ様がフミフェナ様を娶ると言った選択肢も発生したのでしょうか・・・?」

「ふふ、レクシール殿、大店の商人特有の耳の早さは流石だが、妄想を口に出すのは困りものだぞ?

・・・特に、舌の悪戯には気を付けた方がいいな。」


ビクリ、とレクシールは口に両手を当てる。

ある程度推測として正しいとは思うが、確かに不用意だ。

・・・さらっと流したが、領内では反抗する者はいないということは、余程ヒノワ様はアホな貴族や役人をこっぴどくボコボコにしたようだ。


「まぁ、いずれ知れることだから、ここにいる面子になら、いいかな?

これもオフレコでね。

確かに、レクシール殿の言う通り、実は他領でも、ほぼ同時期にうちの領地ほどじゃないけど、魔物の襲撃が同時多発的にあったみたいでね。

流石に色付き筆頭戦士に欠損はないけど、配下戦士達や民に結構な被害が出ている。

正直、『橙色』と『緑色』については、うちの10倍、いや、おそらく報告してない、もしくはされてない数も含めれば何十倍か、下手するとその上の桁くらいの被害は出てるだろうね。

父上は今回の大戦の報告書を既に王都に送っているはずだから、他領と比べて特筆して負担の大きかった『灰色』が何故こんなに少ない被害で済んだのか、王都から説明を求める召喚状が来れば今回の大戦の報告に行くことになるだろうね。

まぁ具体的にどうとかはフェーナの現物見てない父上がどう説明するのかは知らないけど。

まぁそれはいいとして・・・王都に行かないといけない父上の代わりに、兄上は当主代行として領地に留まると思う。

だから、かなりバタバタしてる・・・と思ってたんだけど、予定空けて調整したのかな?」


確かに、同時多発的にあちこちの前線で大攻勢があったのなら、いくら戦貴族の戦士達が強かったとしても、カンベリアと同じ理屈で少なからず損害は出ているはずだ。

戦貴族の中でも最前線を担い、その中でも突出して強いと言われる『灰色』カンベリアですら被害が出たのだ、『その他』と称して支障のない城砦が同様に襲われたのなら、相当な被害も考えられる。

戦貴族達を中心から統括しているという王国の首脳部が、何故『灰色』がこれほど少ない被害で事態を収拾したのか確認したいと思うのも不思議ではない。

私自身、どうせバレるなら慌てても仕方ないので普通に過ごそうと決めていたから、奇異の目で見られることも大して気にしないし、ヒノワ様以外から蔑みの目で見られようとも一切気にしない。

煩わしいちょっかいだけは避けたいが、私の目的は揺らがない、レベリングが出来るならその他のことなど気にしないし、レベリングに必要なのであればそれをこなすだけだ。


「・・・しかし、私の知らないアレコレの情報もあるだろうし、そっちの処理や決済なんかやってたらこっちに来る余裕なんてほんとにあるのかな?って感じなんだけどな。

父上はもうほとんど領都の職務を兄上にやらせてるから・・・。」

「であれば、本格的に忙しくなるのは、テンダイ様が王都に出られた後。

その前に、ヒノワ様とフミフェナ様に直接お話を聞きに来られるのではありませんか?

テンダイ様も報告書だけで王都へ出向くのも難しいでしょう、アマヒロ様に直接会った感想を聞いてから王都へ出発されるおつもりなのでは?

であれば、フミフェナ様にだけ要件があるのではありませんし、かつ他の者では間にクッションが入り過ぎますから、アマヒロ様が直接来られたとしても不思議ではないかと。」

「まぁ、それはあるだろうけど、それなら私とフェーナと両方召喚すればいい話じゃない?

こっちはフェーナのおかげで、魔物は軍単位の再編成は数か月か年単位の時間かかる、ってとこまでボコボコにはしてあるわけだから、忙しいけど別に絶対私がいないと成り立たないような仕事は減ってるし、対外的な立場のこともあるし、普通は呼び出すと思うんだけどね。」

「となると、何か情報を掴んでおられて、カンベリアからヒノワ様を動かさない方がよい、という判断をなされた、ということでしょうか?」

「いえ、これはフミフェナ様のお立場をお考えになった上での、英断ではないでしょうか?

カンベリアにお住まいでみなさんはまだ聞き及んでおられないかもしれませんが、レギルジアでフミフェナ様と言えば、女神ヴァイラス様の神託により、唯一の巫女として指名なされた、と、レギルジアの都市長が大々的に告知されてございます。

アマヒロ様は、その辺りの経緯を既にお聞きになられているのではありませんか?

大戦の最中で顔見世も中止され、そのままフミフェナ様はカンベリアで職務にあたっておられる為、名前が独り歩きしている部分はございますが、この度の戦勝への貢献度を度外視しましても、レギルジアを庇護する女神様の巫女様と言えば、最早レギルジア近隣では神と同一であるとされておりますから・・・。」

「ほう、ヒノワ様を差し置いて女神とな・・・?」

「聞いた事がありますな。

最近、レギルジアはあらゆる農作物が豊作、上流下流を問わず皆病知らずで、都市の狩人やハンターも豊猟、そして商家も非常に好況に沸いているとかなんとか。

それが、なんでも全て一柱の女神の恩恵である、と。

レクシール殿の在席しておられるアグリア商会も随分潤っておられるとか?」

「はは、それは邪推というものでございますよ。

ですが、女神ヴァイラス様は、実在しておられます。

と言っても、レギルジアで知られるようになったのは数か月前であり、それ以前にはどちらにおられたのか、新たに降臨なされた女神様なのかは不明です。

その職命は生命を司るという偉大なる女神様であり、降臨の前後で目に見えて分かるほどの変化があったことから、その実在と能力は疑う余地もありません。

何せ、ご領主様が女神ヴァイラス様の神殿を建設し、真摯なる信仰を捧げてからというもの、レギルジアを取り巻くあらゆる所で様々なことが劇的に好転しております。

とても並の存在では成し得ないほどの範囲や効果の恩恵が下されておりますので、既存の祀られた神々よりも、余程分かり易く、又、俗ではない。

特に農家は、今まで信仰を捧げていた豊穣の女神から皆、女神ヴァイラス様に鞍替えし、短期間ではありますがその信仰心は篤く、時間があれば足繫く神殿に詣でているそうです。

我等商家の人間も、非常に恩恵が大きく、コミュニティやギルドごとに日替わりで神殿に詣でており、私も幾度か詣でておりますよ。」

「へー、そういや報告書で読んだ気がするね、レギルジアではそんなにその女神様が信仰されてるの?」

「我等としては、いるかいないか分からないが願掛けとして一応祈っておくか、というような神は今までにも多くいましたが、体感できるほどの恩恵を受けたことは御座いませんでした。

が、女神ヴァイラス様は違います。

彼の女神様の能力は、シンプルですが非常に分かり易く我等が体感できます。

また、彼の女神様は『事実』という言葉に非常に敏感であり、『虚実』の一切を拒否し、『憶測』への罰が非常に厳しいということも都市民には周知されております。

どう厳しいか、と申しますと、女神ヴァイラスに関する事については、『真実のみ口伝えで広めても良い』『虚実や憶測を述べた者には罰が与えられる』、これが完全に徹底され実行されている、ということです。

彼の女神様を知っている者が他の者にその情報を広める場合には、広めて良いと告知されたことのみ、その言葉通りに正確に伝達する限りにおいて許す、とされており、拡大解釈をしよう、とか歪曲して解釈しよう、その御姿を妄想で作り出し販売しよう、というような者は最悪死ぬことになります。

これは憶測ではなく、事実であり、実際に金の亡者と呼ばれる類の商家が一族郎党の上から下まで余さず距離に関わらず絶命したこともあり、その遺体には女神ヴァイラスが下された罰であるということが一目みて分かる紋様がついている、と知らされています。

憶測や模倣犯を防ぐ為にどういった紋様かについては極秘とされておりますが、見れば分かる、とのことです。

『こうなりたくなければ、女神ヴァイラス様のお言葉を遵守せよ』と幾度も幾度も都市長から都市内に周知されております故、これに関しては都市民は徹底して遵守しております。

その為、都市民は女神ヴァイラス様に関することについては、知らされた事以外は絶対に喋りません。

信仰の対価を求められることもなく、多大なる恩寵のみが常時下賜されており、その恩恵は市民全員を余すことなく包み込んでおります。

加えて犯罪も劇的に減りましたし、わざわざ、敢えて神の逆鱗に触れようとする者はいない、ということです。

その程度には民衆も利口であるということですな。」

「ということは、こういう場で我々が憶測を述べることも躊躇われる、ということか。」

「まぁ、推測が混じっては私も死ぬかもしれませんので、私からは何も申せませんが、お察しいただければ。

余計なことは何も申さない、それが間違いないでしょう。

そして、この大戦の最中、レギルジアを都市壊滅の危機からお救いいただいたフミフェナ様が、女神ヴァイラス様の巫女であることは、女神ヴァイラス様の都市全体に聞こえるような神託にて伝えられました。

都市民は皆それで聞き知り、知っております。

フミフェナ様こそが女神ヴァイラス様の恩寵の基点である巫女姫様であり、フミフェナ様を害そうものなら恩寵がなくなるどころか都市ごと滅びることになる、と。

我々レギルジアの民からすれば、こちらにおられるフミフェナ様は最早、神となんら変わりないのです。

いただいている恩寵、その恩恵によってみなが得た利益を考えれば、現在のレギルジアにおいてはヒノワ様や御当主様、王都におられるという王族などより余程優遇される立場にあると言っていいでしょう。」

「レクシール殿、それはヒノワ様を前にして不敬ではないか。

訂正した方が良い。」

「確かに、これはヒノワ様を前にして不敬なる発言でございますが、レギルジアの民がヒノワ様に否定的である、というお話ではありません。

あくまでヒノワ様を『弓』として神の如く崇めつつも、それすら凌駕するかもしれないほど、フミフェナ様も信奉されている、という話なのです。」

「なるほどね、いや、不敬は問わないよ。

フェーナなら、なるほど、とも思うしね。」

「・・・あの、レクシールさん、あまりそのお話、これ以上広げないでいただけると有難いのですが・・・。

流石に、ヒノワ様を前に、失礼であると思いますし、私の立場はあくまでヒノワ様の領民の1人ですから。」

「は、フミフェナ様のご意向とあれば、そのように致します。」

「まぁ、フェーナの戦闘力は戦貴族の筆頭戦士にすら匹敵するし、対多ならもう戦貴族の筆頭戦士の中に入れてもトップだよ、間違いない。

神の恩寵の基点、っていうなら納得できるしね、いくら“来訪者”でも、私より幼いんだから、最年少レベルだよ。

あ、これもオフレコね、喋ったら聞いた人全員殺さなきゃいけなくなるから、だんまりが有難いかな。」


バチコーン、と音が鳴るほど大げさなウインクを送ってきたヒノワ様の口元は、ニヤリと湾曲していて、頬が描くえくぼも美しい。

ヒノワと私を除く者には、”フミフェナはそこまで高レベルの存在なのか”というイメージを抱いたようだが、ヒノワ様のその笑顔は多くのことを告げていたように感じた。

女神ヴァイラス自体、私が作り出した偶像である、ということまで分かっているかもしれない。

ここ数か月で突然現れた女神が劇的な恩寵を都市にもたらし、急に現れた幼い女児を巫女に指定するなんて、まぁどう考えても怪しい話だし、さもありなん。

ただ、皆、『憶測で話して、もし本当に死んだらどうする』という不安でそこまで深く話し合っていないから、そういう話題があまり表立って浮き上がってこないだけだ。

特に被害も対価もなく、様々な恩寵をくれると言っている何か知らない超常的なモノがいるなら、逆鱗に触れず、その恩恵にすがっておこう、くらいの感覚だろう。

こちらとしても、その程度の位置を意図していたので、概ね目的は達している。


「で、兄上の話に戻るけど・・・どうする?

会う?断る?」

「いえ、会わないという選択肢はないかと思うので、お迎えしてお会いするつもりですが・・・本当に、当主代行のヒノワ様のお兄様であるアマヒロ様にお会いするのに、出迎える形で良いのでしょうか。」

「まぁそうだね・・・。

私にも用があるんだろうけど、レクシール殿の言うように、ひょっとするとフェーナを女神様の巫女姫である、という立場を加味して何かお願いするつもりなのかもね。

戦貴族に匹敵する強者でもあるわけだし、兄上が知らない、兄上よりも圧倒的に強い人間を呼びつけて命令するのって、兄上は絶対やらかさないからね。

兄上は頭もいいし、腕もいい。

馬鹿でもないし、弱くもないから、強者への敬意は、そこらの馬鹿貴族どもより圧倒的に清廉だよ。

それは安心していい。」

「分かりました。」


やはり、利便第一では成り立たない部分もあるのだろう、政治的立場的なしがらみもあるだろうし、それは致し方ないのかもしれない。

・・・先程から少し気になる護衛騎士がこちらをジロジロずっと見ていたので、こちらもジロジロとアレコレ覗き返していたら少し身じろぎしたような気がしたので、可愛らしくニッコリと微笑んでみるが、それには反応はない、何に反応したのだろうか。


「まぁでもフェーナなら、手紙を運ぶにしても世界で一番早い郵便屋さんになるだろうね、郵便屋さんでも儲かるんじゃない?」

「いえ、連絡だけでしたら、通信術式が既にありますから・・・。」

「通信術式なんて、割り込まれたり偽装されたらわかんない部分もあるし、あんまり信用できないよ。

信用できる人間を介して、封蝋を施した手紙を渡すのが一番間違いないからね。」

「フミフェナ嬢は都市間を移動するのに馬よりも速く走れる、ということですか?」

「はは、馬どころではないですぞ、商人殿。

ここにいる方々はご存じないだろうが、この度の戦で既にこのお嬢さんが時速400km近くの速度で移動していたのは間違いないと報告書が上がってきている。

・・・まぁ、信じ難いだろうが、このフミフェナ嬢はこの広いレギルジア近辺からカンベリア近辺に至るまで、あちこちで神出鬼没に現れては複数の守り神級の魔物を瞬殺し、1万にものぼる魔物を一匹残らず殲滅して回ったそうだ。

報告書に記載のある範囲だけでも、移動距離とそれを為した時間が異常過ぎる。

平均時速で400kmどころかそれ以上出ているんじゃないかとすら推測できるポイントもある。

トップスピードは、尚更そんな生易しい速度じゃないのは間違いないだろう。」

「ベランピーナ先生といい、ヌアダ様といい、男性はどうも無粋ですね、本当に。

あまり女性の秘密を暴くのはやめた方がよろしいですよ?」

「巷では、フミフェナという人物は同名の人間が複数いるんじゃないかとすら噂されていたくらいだからな。

まぁ報告書におおよその時間を記載した者達の時計が大幅に狂っていたのでもなければ、400km以上はかたいだろう。

そのあまりに神がかった戦闘能力と神出鬼没さに、フミフェナは神の使いだと言う者すらいるというし、各村々の者達は救世主だ、と口々に讃えている、と報告書にはあったぞ。

知られたくない能力なのであれば、公の記録に残るような行動はよした方がよかったな。

まぁ、それで救われた人々もいるのだ、良い能力であるのだから、誇ればいいだろうに。

誰からも足が速くて恨まれることなどあるまい。」


各村々から上がってきた報告書を統合して分析した『戦闘内容や時系列を記載した報告書』が結構広い範囲で頒布されてしまった。

しかもかなり事実に正確に記載されていて、誤魔化しがきかないレベルのものが。

レベルが上がり過ぎたら人間やめることになるかもしれない、とか、死ぬかもしれない、という考えもあったし、それが晒された場合、自分はヒトの世から抹殺されるんじゃないかとも思っていたが、ゲットした経験値を無計画に野に放つなど、自称レベリング廃人を名乗る者からすれば我慢できることではなかった。

端的に言って、諸々の事情を加味しても、単純に我慢できなくなったのだ。

まだ雑魚しかいない小隊などは量が知れているので殲滅するだけにとどめたが、守り神級の魔物の出没した村に関しては、副なる目的として確実な討伐も目的としていたが、溢れかえるEXP粒子を全て回収すること、それをメインの目的に現地に向かったのだ。

一応、現れては消える不審者の印象が残ってはまずいだろうし、ヒノワ様にどうせ報告はするのだから、と、出会った代表者っぽい人には一応名乗ってはいたから、時系列と名前、容姿の報告が上がるのは致し方ないことではあるけれども。

・・・しかし、後手でこちらの作業を開始した関係で、完全には手が回りきらず、少なくない被害が出てしまった事は悔やまれる。

これに関しては敵の戦略勝ちだ。

正直これ以上の対処は、あの時点から可能なものではあれ以上のことはなかったと今でも思う。

いくらレベルが高くても、ヒトは万能ではないのだ。


「まぁ、それはそうなのですが・・・。

ですがそうですね・・・可能な限り急いで向かいましたが、少なくない命を救えませんでした。

ヒノワ様の財産とも言うべき領民を守り切れず、申し訳ありません。

亡くなられた方々にも申し訳ない気持ちでいっぱいです。」

「ん、まぁ、あの大攻勢を相手に、あれだけの被害で済んだんだ、『灰色戦貴族』直系として、カンベリア領主として、私はフェーナを叱責するどころか、めちゃくちゃ感謝して報酬めっちゃ出さないといけない立場だからね。

発生した損害について、フェーナに一切の責任はないよ。

一番悪いのは敵、二番目は民の命に責任を負っている私、三番目は私の父でありこの北方領を統括する灰色当主テンダイ。

フェーナは最大限良くやってくれた。

貴女がいなかったら、今頃、灰色の領地はあちこち死者の山が築かれて、焼け野原しか残っていなかったかもしれない。

“最小限の犠牲”という言葉でくるまれた犠牲者の方達のフォローは、責任者たる私達行政側がやることだ、フェーナが何かやる必要はないし、逆に言うとやる権利はない。

戦後の処理については粛々と進めるし、やれるだけは私もやる。

最終的に残るのは、亡くなった人達の仲間や家族の悲哀だけ。

これは、端的に言って時間でしか解決できない。

ま、下世話なことだけ言えば、遺族へ出す弔問金は亡くなった人の将来の収入にある程度換算して出すようにしてるし、遺族年金は10年間続くし、普通に生活する分には金銭的な苦労はさせないつもりだよ。

正直言って、人的損害、建物の損害、金銭的損害、頭が痛いのは私と財政担当の行政官達だ!

なので、回収したアレコレについて、皆さんにはささっと鑑定していただいて、カンベリアに税金としていくらか納められるよう、頑張って高額査定してもらいたいところ!」


ははは、と皆、苦笑を浮かべる。

おちゃらけて笑って誤魔化してはいるが、一番心を痛めているのはヒノワ様だろう。

心情的な面でもそうだし、統治者としてもそうだし、為政者としてもそうだ。

亡くなった方の中には、ヒノワ様と懇意にしていた者も含まれるかもしれないし、そうでなかったとしても、彼らの家族に弔問に向かう際には心も痛むだろう。


「とりあえず、暗い話は終わり!ね!

戦後処理が終われば、みんなはしばらく戦後復興がメインだよ!

ひょっとすると途中、あれこれあってフェーナを借り受けることもあるかもしれないけど、みんなは引き続き、鑑定作業をお願いします!

でないと、片付かないからね!」

「お任せください、あれら全て、ヒトの世界の為、身近なところでカンベリア、ヒノワ様の為になるよう、全てを役立ててみせましょう。

我々は既に非常に良い報酬を提示されております、費用に見合うだけの仕事は果たして見せなければ他の商人達の手前、沽券に関わりましょう!

いえ、レクシール殿も絶賛されておられる女神様の巫女姫、フミフェナ様に実績を目の前で証明する機会を得て、加えて商人としてのコネクションが築けるとあれば、手の抜きようがあるでしょうか?」

「然り然り。

我等一同、精一杯働かせていただきますとも。

加えて、ヒノワ様にも多少は恩が売れるというのであれば、最早是非もありません。

フミフェナ様がお出かけになれるということであれば1日と言わず2日でも3日でもヒノワ様がお連れになってくださいませ。

その間に、我々で仕事を済ませてご覧にいれます。」

「フミフェナ様がアマヒロ様を歓待する滞在場所にお困りのようでしたら、学生用の宿舎と言わず、我等商会の最も高級な宿を無償でご提供致します、是非、我等の宿へ。

もし半年ほどいただけるのであれば、最高の家も建築し、提供致しますが・・・。」

「何をおっしゃる、マキロン殿。

フミフェナ様を巫女姫とする女神ヴァイラス様の教えでは、女神ヴァイラス様、フミフェナ様への貢物はお認めになっておりません。

いくら今はつるぺたの幼女であると言っても、フミフェナ様は“来訪者”、マキロン殿のロリコン趣味につき合わせる訳には参りませんぞ。」

「そういうレクシール殿こそ、確か孫がフミフェナ様と同い年ではなかったかな?

さては、孫とフミフェナ様を引き合わせようと画策しているのではないか?」

「自由恋愛の末に結ばれるのであれば、そこに何の問題もないのではありませんか?」

「あはは、だってさ、フェーナ。」

「レクシールさん、マキロンさん、あとで二人とも殺しますね。」

「えぇっ!何故ですか!?」

「ご勘弁ください、まだ我が家にはまだ20年ほどローンが・・・。」

「・・・レクシールさんの年齢でまだ20年もローン残してるんですか・・・?」

「あははははは、あれでしょ、レクシール殿って、前の奥さんに前住んでた家を離婚のときに取られたんでしょ?

浮気が原因だったからほとんど全部持っていかれたって・・・。」

「わぁああ、やめてくださいヒノワ様!それは秘密だって言ったじゃないですか!」


その後も談笑が続いたが、いくらかの話を済ませると、ヒノワ様は城に戻るとのことで、退室なされた。

ヒノワ様が退室した後、騎士達も整列してこちらに一礼すると、ヒノワ様の馬車と共に立ち去ったようだった。

しかし、珍しいこともあるものだ。

あれだけ多くの護衛騎士を連れたヒノワ様は初めて見た。


「はぁ、では我々も解散しますかな。

明日も明後日も仕事が山積みです、冗談交じりには申しましたが、フミフェナ様がいらっしゃってもいらっしゃらなくても、我々は都市内でまだかまだかと首を長くして待っている武器商達に引き渡す為、早々に鑑定作業は終えなくてはいけません。

明日からも、引き続き皆さん、よろしくお願い致します。」

「「「「「よろしくお願い致します!!!!!」」」」」

「解散!

さー、寝よう寝よう。

レクシール殿もビィメイ殿も早く終わらせて、孫と遊んでいけなくてはいけませんからなぁ、張り切りましょうぞ、はっはっは。」

「マキロン殿はあれでしたかな、この仕事が終わったらあの御囲いのロリババアと温泉旅行に行くんでしたか?」

「ロリババアと呼ぶな、それに不貞ではないぞ、妻だ妻。

見た目が小さくて幼いというだけで・・・。」

「マキロン殿・・・?」

「あぁ、引かないでください、フミフェナ様、違うのです、また後日妻と引き合わせますので、その時にでも紹介させてください・・・。」


わいわいと騒ぎながらも解散し、各々の割り振られた部屋へと皆帰っていく。

みな、気持ちのいい商人達だ。

もっとグダグダとあれこれ黒い話でもあるかと思ったが、その気配はなかった。

私以外は、手伝いや応援は自分の商会の自分の部下を使っている人も多く、解散してからはおそらく部屋のほうで明日の打合せをしていることだろう。

私も、明日の準備や調整をしないといけないだろう。

あれこれを話しながら、ベランピーナやイオスを引き連れ、割り当てられた大部屋に移動した。

他愛もない話をしつつも、消灯し、大部屋の各自のベッドでみな明日に備えて眠る。

流石に、引率としてベランピーナがいると、精神年齢はともかく、何やら遠足にでも来ているような気分にもなる。


「さて、盗聴と盗撮にうつりますか。」


ヒノワ様の護衛騎士に、1人怪しい人物がいた。

護衛騎士が装備するのは契約装備と言われる特殊な装備であることは有名だ。

『灰』のグレードは他領よりも高グレードの戦士が揃っている為、レベル100に到達している近接戦、特に守護に特化した者達が護衛騎士として立身するのだが、守護に全精力を尽くす為、貴い身分の相手に対しても、防御力を落とさぬよう、兜面を下ろしたまま相対することを許されている。

それは、護衛騎士という人間を容姿で判断せず、また、誰であっても同様の装備をしてれば同様の仕事ができるということを示すものであり、個体差や護衛対象による好みによる差異を無くす為のものでもある。

徹底的に個を殺しつつも忠誠に疑いの無い騎士にのみ許される装備だ。

が、その前提で行くと、1人だけ粒子放出濃度に違和感があった。

ヌアダと同様、本来、かなり実力の高い戦士が、周囲の護衛騎士と同程度になるよう、無理矢理抑え込んでいる感覚がした。

彼が護衛騎士を装った、“そうでない者”であるということだ。

名乗られてもいないし、なんだかんだ『鑑定』の亜種スキルのようなものでジロジロと見られている感覚がしていたので、お返しとばかりに全身くまなくチェックさせてもらい、内臓の皺一本からお尻の毛一本まで把握した。

彼個人のことはどうでもいいが、ヒノワ様の持っている『桔梗玉』から伝わる各種情報により、彼もヒノワ様の馬車に同乗していることが分かっている。

馬車に乗ったのは、彼が先で、ヒノワ様が後。

つまり、彼はヒノワ様よりも身分が上。

ヒノワ様よりも身分が上の人間は、多くない。

ヒノワ様が桔梗玉を持ったまま馬車に乗り、彼を同乗させたということは、聞け、見ろ、ということでいいのだろう。


・・・と思う。

違ったら大変だとは思うが、まぁ、逃げるだけならなんとかなるだろうしあれこれ覗き見させていただくこととしよう。

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