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灰色の御用聞き  作者: 秋
23/45

19話 飽和攻撃と代償

「おい、うちの隊の奴らは集まったか。」

「へい、100匹ほど集まっておりやす。」

「で、『白猿』の旦那の指示はちゃんと伝えてるんだろうな。」

「そりゃぁもう。

あんな恐ろしい方の指示を無視しようもんなら・・・どっから巨石が飛んできて自分が消し飛ばされるのか分かったもんじゃねぇですから。」

「だったらいい、5分後に始めるぞ、配置に付け。」


『赤足熊』の異名を取る、モーベと呼ばれる巨熊を長とする、熊の魔獣100匹の隊。

モーベは、これをもって只人族の村落を襲い、あまり殺さずに建物や畑などを破壊して回るよう、侵攻軍の長を務めている『白猿』と呼ばれる巨猿魔獣から指示されていた。

特に、只人族は必ず半数以上は逃がし、後方へ逃亡する場合に限っては追わないよう指示を受けていた。

ただ、一人も殺さないか、半数未満ギリギリまで殺すかは、各隊の長に任せると言われている。

確かに只人族の肉は美味しくない、飢えていたら腹を満たすためにつまむか、という程度の存在だ。

だが、只人族の調理した料理は美味いので、村落を襲うのは昼食の支度が終わりかける正午前にすると、モーベは決めていた。

モーベを除く熊の魔獣は体長2.5mほどはある、普通の熊なら巨熊といっていい大きさであるが、巨熊モーベの体長は4m以上あり、この世界での巨熊と言えばモーベ並の体長があって初めて巨熊なのだ。


「逃げる者は追わなくていい、北側に走る者だけ殺せ。

飯は食っていいし、畑は荒らしてもいいらしい、存分にやれ。

ただ、飯を食い終わったら、建物と塀は全部破壊しろとのことだ、徹底的にやれ。

いいな!!!」

「おおおおおおお!!!!」



「そ、村長、大変です、魔物の襲撃です!」

「なんだと!守護役の方々は何処だ!?」

「それが・・・門衛たちを逃がすために真っ先に防衛に当たってくださいましたが、門を閉めてしまわれましたので、状況は分からず・・・。」

「なんということだ・・・!」


村長は事前に守護役の隊長といくつか取り決めをしている。

その中の一つに、攻め込んできたものに対し、守護役では決して守り切れないことが分かった場合、敵を門外に出した後に門を閉じ、時間稼ぎに徹する。

死ぬもしくは全滅する可能性もあるが、村落はその状況に至った場合、村長はその権限でもって村民を緊急避難させることを最優先とする。

これは守護役側からの提示された条件であり、村長は承認する側であった。

村民500人程度の村であり、日常の魔獣発生等に関しては不足なく守護役5人が村を守ってくれていた。

彼らは真摯に任務に向き合い、他領で聞くような騎士による略奪のようなのどころか、時には守護役主催のバーベキューに村民で参加させてもらうことがあるような、村民達と非常に良い関係を築いた者達だった。

そんな彼らが、門を閉めた、それはつまり・・・。


「カンベリアや前線の砦からは何の連絡も来ていないぞ!?」

「事ここに至っては、それはどうでもいい!!

魔物の数と種族は!?」

「ハルマ殿が、100匹はいると思う、と。

種族は、おそらく熊の魔獣の類だろうと思います。

・・・加えて、体長4mにはなる巨熊がいる、とも・・・。」

「鐘を鳴らせ!!

大至急、レギルジアへと避難行動を開始する!

急げ!!」


村落には、いくつか鳴らし方のパターンを変え、村落全体にその鳴らし方で様々なことを伝えるシステムが作られていた。

火事。魔物の侵入。商隊の到着。朝7時の鐘。正午の鐘。夕方5時の鐘。

鐘のある鐘楼には、正午の鐘を鳴らす為の要員が既に鐘を鳴らす準備をしていた。

村民は、そろそろ正午の鐘か、と思っていたところに、カァン、カァン、という非常事態、緊急避難を促す鐘が鳴ったので、最初は鐘を鳴らす者が新人とかで鳴らし方を間違えたのかな?と思っていたが、村長の家の近辺から伝わる喧騒を聞き、慌て始める。


「何故、こんな前線から離れた村が襲われるのじゃ!?

カンベリアや砦は、既に墜とされたのか?」


同様の襲撃は、時間の差こそあれ、あちこちで起き、その村々の長はそろって同じことを叫んだことだろう。

カンベリアの攻防の陰で、静かな侵攻が、既にあちこちで始まっていた。



タルマリン、デルートが昏倒している森に、かなり強い反応がいくつか近付いてくる。

おそらく、グジと呼ばれる強者の配下、もしくは眷属だろう。

蠅の魔物だ。

ほぼ蠅の姿であるので蠅と表現しているが、明らかに蠅とは思えないほどの大きさであり、その大きさは軽く中型犬程度の大きさはあるだろう。

禍々しい外殻や体毛もあり、下顎には牙、その手には本来蠅にはないだろう強靭な爪のようなものまで備えていて、蠅の蟲亜人だというグジが使役しているものだろうことを勘案して蠅だと思わなければ、蠅っぽい頭のついた新種の魔物だとしか思えない。

レベル帯は140程度、準守り神級に該当するレベルのモンスターを3匹、下位眷属と思われるコバエや自然にいそうな蠅数種類が数百匹、連れだって森に入る。

周囲にいる下位眷属と思われるコバエ達に何かしら声を出しながら指示を出し、意図をもって近づいてきているようだ。

会話の内容から察するに、どうやらグジさんか他の誰かが、設置型の術式や時限作用式の罠を警戒するように指示しているようだ。

ん?

・・・いや、おかしいな。

この魔物達、森に入る前にどこから来たんだ?

森の外にいた時に、この一帯に反応がなかった。

転移が使用できるタルマリン、ステルス・欺瞞能力に長けていたというツインテイル、デカい蠅の上位眷属は別として、ちょっと大きい蠅やコバエみたいな雑魚の下位眷属は、一体どうやってここまで私に気付かれずにやってきた?

・・・レギルジア近辺は既に自分の領域となって久しいと言えるほど、ほぼ全域の情報掌握はできているはずだ。

全てを100%知っているというわけではないが、明らかに恣意的な行動を取っている集団などはすぐ検知できるように色々調整したのだから。

事実、コバエや蠅の集団は、森のすぐ外辺りを移動しているところからは行動を知ることが出来たが・・・検知できるまでの間、一体どうやってこの森まで移動していた?

そして、お荷物必至のこの二人を救出したとして、どうやって見つからないよう担いで、何処から出ていくつもりだ?

前線に穴が開いているのは間違いないが、ラインを抜けて入ってきたルートと同一かは不明だが、帰るルートも既に確保しているのか。

いや、それよりも自分の能力で把握できない能力は気になる。

いくら現地生命体としてどこにでも大量に存在している類の生物を使用するのは理に適っているが、それでもただの虫が集まって移動しようとすれば、もっと早い段階で検知反応が出たはずだ。

蠅のような下位眷属が私に気取られないほど繊細で難易度の高いスキルもしくは術式を使えるだろうか?


「タルマリン様。デルート様。

・・・ダメだな、意識がない。

我らが主の御指示通り、私が10分程度ここに留まる故、私が死んだ場合は主に指示を仰げ。

私が消し飛ばなかった場合、このままタルマリン様とデルート様を救出し、森から脱出する。」

「分かりました。」


何処から声が出ているのか分からないが、下位眷属ですら言葉で意思の疎通を行っている。

脳もなさそうだというのに、知能もかなり高そうに見える。

蠅とは言え、魔物ともなると前世での常識は当てはまらないのだな。

どういう理でそんなことが可能なのか、またついでがあれば調べてみたい。

しかし、口ぶりからすると、こいつらの脱出ルートは既に確立されていると見た方がいいかな?

脱出より、現地での障害へ強く警戒を抱いているように感じる。

タルマリンは軍の最上層部に位置する参謀だということだし、行き当たりばったりで助けに来ることはないだろう。

現地の状況を偵察して把握したのならば、その状況に至るまでの事態を警戒するはずだし、幹部を救出するというのなら目途を付けずに作業を開始しないだろう。

だが、偵察能力は高いみたいだが、個々の戦闘能力はそんなに秀でているようには見えない。

どうしようかな?

このまま『彼ら』を貼り付けてそのまま“巣”まで持ち帰ってもらい、巣を根こそぎ始末させるか、もっと上の上層部に繋がる所まで泳がせておくか。

と、悩んでいたところ、ヒノワ様から着信があった。


「フェーナ、今いいかい?」

「は、問題ありません、どのような御用でしょうか?」

「うん、どうやら、こっち(カンベリア)に、形勢が悪いってことで援軍が来たみたいでね。

こっちの索敵班はフェーナほど能力が高くなくてね、かなり大勢向かってきてるってことは分かってるんだけど、どんなのが来たのかまだ分からないみたいなんだ。

私にも『目的地』にいる奴らは見えるんだけど、何処の誰が来てて、どいつがえらいやつなのか分からないし、なーんか動きが怪しくてただの増援じゃない気がするんだよね。

なんか、“ヤバイ”雰囲気だけビンビンに感じるんだよ。

勘だけど。

可能なのか分からないから聞くんだけど、そこからこっちの敵勢の状況観察は可能かな?」


これはまた難題だ。

距離にして数十キロは離れている。

並のスキルでは出力は足りないだろうし、そんなに遠くまで届く術式は今の所まだ開発されていないし、技術として確立されていると聞いたことはない。

基本的には無理だろう。

基本的には、だが。

私ほど広範な情報を収集するのに向いている能力者は、世界中見渡してもそうはいないはずだ。

やはり御用聞きとして情報を第一義に重要視するならば、この能力で正解だった。

『彼ら』の存在しない空間など、前世においても、今世においても、あり得ないのだから。

それに、能力に例え不足があったとしても、ヒノワ様がヤバイ雰囲気を感じているとなれば、無理を圧してでもやらなければならないだろう。

なにせ、ヒノワ様の勘はほぼ外れない、ある種の占術に近いものだと捉えて良いとベランピーナ先生が言っていた。

その時点で根拠となる物や論拠となる物が一切ないにも関わらず、不意に思いついたように語る言葉がそのものずばりで正鵠を射ている。

つまり、敵勢はただの増援でない可能性が高い、いやもっと言えば、調べるまでもなくほぼ確定であるということでもある。

私に御鉢が回ってきたのは、ヒノワ様が頼りとしていた索敵を担当していた者が、今回の戦で失態を犯しているのも原因の一つではあるだろう。

魔物の侵攻に気付かず、戦線を素通りさせていたことに後悔の念を抱き、相当プライドを傷つけられたはずだ。

グジの能力なのか蠅の魔物の特殊な能力なのかは不明だが、今回の件に関しては敵が一枚上手だっただけだろうから、失態という訳ではないだろうけど、理由はともかく事実は変わらない。

彼らの上位の責任者は、軽くない責任を取ることになるだろう。。

私は、そうはなりたくはなかった。


「ヒノワ様か、もしくは可能な方にお願いしなければならないことが御座います。

それさえ実行していただけるのならば、索敵・偵察は可能でございます。」

「可能な限りは、実行するよ。

どんなことをすればいいのかな?」

「索敵の基点として、ここぞと思う箇所に矢を射ていただきたいのです。

出来る限り付与効果の少ない矢が望ましいのですが、最も射程距離の長い方で、付与効果のない矢をどの辺りまで飛ばすことができますか?」

「攻撃可能な距離じゃなくてただ飛ばすだけの水平方向の距離ってこと?

うーん、そうだなぁ、距離だけなら私が一番遠くまで飛ばせると思うよ?

結構遠くまでは飛ばせると思うけど、付与なしだといっても100kmちょっととかじゃない?」


100km。

流石ヒノワ様、ぶっ飛んでいる。

付与効果なしで100km飛ぶということは、付与効果有りの矢ならもっと飛ぶということだろうか、恐ろしい話だ。


「あれ、足りない?

もっと飛ばした方がいい?」

「あ、いえ、100kmという数字にちょっとドン引きしてただけです・・・。」

「はは、私はこれでも、灰色戦貴族筆頭戦士、『弓』だからね。

飛ばすだけなら、これくらいはまぁ、飛ぶでしょ。

それに、矢を飛ばすだけなら結構飛ばすのはいるよ、まぁ流石に私の半分も飛ばないけど。

で、私の矢を飛ばすのはいいんだけど、どうするの?

私、肉眼で見る系のスキルはいくつか取ってるけど、矢から索敵するような特殊なスキルは取ってないんだけど・・・。」

「100kmは必要ありませんが、敵援軍のいる辺りに矢を射ていただければ、そこを起点にソナーのようなものでその後の詳細な調査は可能です。

矢にどれだけ私の能力が追随できるか分かりませんが、わずかばかりでもノればいけるかと思います。」

「さっすがフェーナ、すごい!

じゃあお願いしようかな、必要経費があったら請求してね。

本数の制限がないなら、何本か打ち込んでおこうか?」

「何本かお願いできるのであれば、より時間短縮が可能です。

強そうな敵勢ユニットの近くに1本ずつお願いできればと思います。

拡張範囲は広いので、大体で結構です。

必要経費としては、今の所、特に発生することはないかと思いますが、発生致しましたら計上致します。」

「分かった。

・・・レギルジアの方はどう?

釣れそう?」


ヒノワ様には随時、進捗状況について報告しており、『釣り餌』はヒノワ様の提案であった。

ヒノワ様は私の能力について、おそらくある程度察しをつけているのだと思う。

『釣り餌』ならば、逃がさずに捕えてゴキブリホイホイも可能だし、毒入りの餌を巣まで持ち帰らせて巣ごと根絶やしも可能だ。

そこに“フミフェナ・ぺペントリアが敵将を失敗して取り逃す”という可能性を含む発想がない辺り、あっけらかんとしながらも、私の周到さを察していただいているのだろうと思う。

”こいつはどう足掻いても必ず成し遂げる”、と。

その信頼に応えなければならない。


「では、こちらの状況もご報告致します。

タルマリン・デルートの釣り餌は機能したようで、今、かなり大きな蠅が現地調査に来ています・・・おそらくグジの上位眷属ではないでしょうか。

おそらく、グジはタルマリンが現れてから倒れるまでの時間から、現地到着後10~15分で倒れた、と勘違いしているようです。

様子見をしてから救出作業を開始する、と現地で確認作業を行っておりましたから、間違いありません。

先程接触しましたので、あと5分ほど様子を見たら近付いて救出作業を開始すると思われます。

このまま全て討滅してしまっても宜しいのでしょうか?

お許しがいただけるなら、策の為の布石としてしばらく生かしておきたいのですが・・・。」

「その辺は任せるよ。

偵察業務の捗る方法で処理してくれたらいいけど、処分するにしてもあれこれ使うにしろ、フェーナのいいと思ったタイミングで処分してくれたら。

長期間有効な情報がいくらでも聞き出せて、それが今後の予定を確定できるならいいんだけど、今までの経験から行くと、ある程度中枢の事情や方針は知っていても、一匹捕まえてどうにかなるような体制じゃないからね、魔の勢力って・・・。

ヒトみたいに種族がほぼ一つってわけじゃなくて、種族がめちゃくちゃ大量にごちゃ混ぜになってるから意思統一があんまり確定できないんだよね。

しかも組織自体がめちゃくちゃデカい癖に組織内の勢力図がすぐ塗り替わるみたいで、ちょっと前に確保した情報が全然アテにならないくらいグチャグチャな世界だから、聞いた情報がその後も活用できるのかは分からない場合も多いんだ。

なので、今フェーナが捕えている二人と敵増援の情報は、今現在は意味があるとしても、長期的な戦略としての情報としてはそこまで重要じゃない。

だから、今から言う順番を遵守するって約束してくれる?

第一はフェーナと私の命、第二はその他の一般のヒトの命、第三が情報、第四が敵の討滅。

そして、何かしら逃げ切られそうな兆候が見られたり、一般人への被害が広がりそうな兆候が見られたら、躊躇せずに全滅させて、これは絶対ね。

これは綺麗ごとじゃないんだけど、ヒトの命に関わるから、というよりかは、死人を出すとほんと“ヒト”の未来に関わるから、被害は減らすに越したことはないんだ、被害ゼロは無理だと思うから、可能な限りゼロに近付ける、というニュアンスで、だけど。

情報は、ないよりは有った方がいいんだけど、さっきも言った通り、ほんとアテになればいいな、くらいのついでだから。

前線の押し上げや脅威の排除も、本来、私達、戦貴族がやるべき仕事だから、そこは重要視しなくていいよ。

お願いする場合もあるだろうけど、基本的には我々戦貴族の仕事だからね・・・いやほんと、不甲斐なくて申し訳ないんだけど。」

「分かりました。

・・・あと、一つだけ、大きな懸念がございます。

これについては、喫緊の問題なのですが・・・。」

「なんだろう、ヤバイ奴?」

「敵勢の戦力は、現況把握できている範囲では問題ないと思うのですが、敵の行軍ルートが把握できていないのが疑問なのです。

ヒノワ様達で既に調査されておられますか?」

「いや、それはまだだね。

こちらの攻防がある程度落ち着いてからになるんじゃないかな、そこまで手が回ってない。

他の砦もかなり索敵に注力させているけど、あれから何も連絡が来ていないよ。」

「そうですか・・・。

私は、カンベリア以南~レギルジア以北の範囲であれば、全範囲ではないですが、大規模な行軍や強力な魔物の移動を探知できるような仕掛けを撒いているんです。

ツインテイルの軍の布陣を察したのも、タルマリンの転移を察したのも、その能力の一端でして。

ですが、転移を使用できるタルマリンやステルス・欺瞞能力に長けていたというツインテイルはともかく、中型犬程度もある大きな蠅の化け物やコバエのような下位眷属ですら、森に入るまで一切探知できませんでした。

おそらく、ステルス状態で移動するのに何かしらの条件か制約があり、それらを振り切った際にようやく探知できるのだろうと思います。

ただ、ツインテイルは守り神級の亜人でしたので、何かそういうステルス系のスキルや術式を用いていたとしても不思議はないと推測していたのですが、下位眷属にまでそのような能力があるとなると、逆に蠅の魔物の存在自体にそういったアビリティが付与されているのではないでしょうか。

そうなると、蠅の魔物の能力でステルス状態にある魔物の進軍の存在が、他にもいるのではないかという推測が成り立ってしまうのですが・・・。

ちなみに、私の能力の“索敵”分野の能力ですが、今カンベリアにいらっしゃるヒノワ様のいる部屋の中の虫の種類と数も分かる程度の精度で、索敵範囲はレギルジア以南20㎞~カンベリア北部10km程度までです。」

「・・・それはヤバイね、いろんな意味で。」

「おそらく眷属に対して主人に関する情報を尋問して聞き出すのは不可能だと思いますが、眷属自身も探知不可能な状況でここまで来ていますので、眷属の身に何かしら痕跡がある可能性を考え、それを調査したく思います。

『解剖』が許可されるのであれば、上位眷属の身だけでもいただきたく思いますが・・・。」

「許可する。

その辺りも何か分かったら教えてね。」

「了解致しました、『解剖』の結果のご報告は少し遅くなるかもしれませんが、分かり次第ご報告致します。」

「おっけー。

ひょっとしたら蠅の魔物のアビリティじゃなくて、蠅の眷属を使ってるグジが眷属にステルス状態を付与するアビリティ持ちなのかもしれないね、まぁ、それが分かってもどうしようもないけど。

分かったら続報を教えてね。

さて、それじゃ、矢は、どうしたらいい?

付与のない物の方がいいってことは、無垢な金属矢にフェーナが新しくなんか術式か何か付与するのかな?

こっちまで戻ってくるの?」

「いえ、ヒノワ様にお渡ししてある桔梗玉を、矢に5秒ほど当てていただければ、それで済みます。」

「分かった。

じゃあ、金属素地の矢を用意するね、ちょっと手持ちは付与エグイ奴しかないから、部下にすぐ持ってきてもらうよ。

・・・そうだね、5分後に撃ち込む感じでいいかな?」

「はい、問題ありません。

こちらも動きがあればまたご報告致します。」

「分かった。フェーナの武運を祈る!」

「ヒノワ様も、ご武運を。」



少し経つと、ゾロゾロ、と、蠅の頭をした人型の何かが森の中まで歩いてくる。

彼らもまた、森の中に入るまで一切その行動が追跡できていなかった。

先程森に侵入してきた蠅とは違い、種族的には蠅より人間に近い。

ヒノワ様のおっしゃる通り、やはり種族としてのアビリティというより、使役しているグジにステルス能力があり、眷属はグジの能力を受けて隠蔽されていたと考えた方が道理としては正しいのかもしれない。

であれば、ブリーフィング時にステルス・欺瞞能力に長けていると聞いていたツインテイルは、グジの支援を受けてステルス・欺瞞状態を維持し、奇襲や潜入を行っていたのだろう。

グジの存在を知らない分析であれば、そう結論づけられたのは不思議でもない。

蠅頭の人型の魔物は上位眷属ほどの強さはないが、下位眷属よりは上位の気配を感じる、レベルは70~80程度。

詳しく調べてみると、蠅の頭はしているが・・・頭から下の反応は完全にヒトだ。

頭を挿げ替えられたというよりは、首から上だけ蠅に変化しているように見える。

肉体的には死んでいないから、問題なく頭と胴体が繋がっているのは間違いない。

・・・。

正直、気味が悪い。


「ようやく来たか、遅いぞ。」

「申し訳ありません、只人族の肉体は移動も遅く・・・。」

「我らが主の指示で只人族の肉体を使役しているんだったか。

間もなくタルマリン様、デルート様の搬送作業を開始する。

我らが眷属の仲間がいつも通り、『陰影』を使用し、お前達を隠す。

警戒と排除を我々が行う故、運搬作業はお前達に任せる。

声を発すると『陰影』が解ける故、基本的には発声を伴う行為は厳禁だ。

警戒後、安全が確保された場合にのみ、打合せ・ブリーフィングを行う。

良いな。」

「了解致しました。」


・・・なるほど、『陰影』という術式かスキルか何かをこの蠅の魔物達は使えるのか。

そして、発声で解ける類のもの、と。

原理さえ分かれば、あとは処理が残るだけだ。

幸い、『彼ら』を付着させることに問題はなく、具体的に何が効くのか分からないので手持ちの強力なモノを様々に感染させたが、彼ら蠅の魔物達はそれに抵抗することはほぼなかった。

ただ、蟲であるが故か、やはり感染していても身体側への影響は人間や魔物と比べ、少ないように感じる。

この上位眷属程度ならおそらくすぐ処理できると思うが、この感じだと彼らの主であるグジさんに関しては、私の能力では一瞬で制圧できない可能性もある。

であるならば・・・逆にそれを利用するか。

とりあえずここは一旦保留し、様子を見よう。

かなり遠距離だが、あちこちから不穏な空気を感じる。


そして、カンベリアを取り巻く環境について、ヒノワ様の矢が敵勢力陣地内に何本か落着した箇所から索敵を開始したが、こちらは一大事だった。

敵軍の最高位の将軍、ディーが増援の先頭付近におり、その周囲にもべらぼうに強力なオーク族が侍っている。

しかも、種族的な特性なのか、クラスやランクの特性なのか、ディー他数十匹は毒や菌やウイルスなどの体調に影響する類の状態異常に対する完全耐性を有している。

オークを束ねる最高位クラスを取得した存在であり、可能なら自分の手で弱らせるなり殺すなりしたいところだったが、そうはいかないようだ。

そしてまた、一つ重要なことが判明する。

先程まで一切反応の無かったカンベリア・レギルジア間のあちこちの村々に、敵勢反応がある。

まだ戦闘状態にはないようだが、おそらく戦闘準備で声を発した為に『陰影』が解けたのだろう。

敵の狙いはレギルジアだけではなかった、もしくはレギルジアで問題が生じたので小さい村から軒並み襲う方向にシフトしたか、どちらか、もしくは両方か。

レギルジアを襲う予定だったツインテイル・タルマリンを私が対処したので他だけが残ったのかもしれない。

だが、襲われている箇所が数が多すぎる。

向かって対処する間にどれだけの被害が出るのか想像もできないレベルだ。

とりあえずヒノワ様に報告しなければ。


「ヒノワ様、聞こえますでしょうか。」

「聞こえるよ、フェーナ。

どう?分かるかな?」

「非常に不味いですね、敵増援はナーガ一党2000とオーク一党3000です。

両方とも数は少ないですが、各々の強さが段違い・・・いえ、桁違いです。

ナーガの側は、タルマリンを首領にいただく種族だと思われます。

赤い樫の森で仕留めた者達が最上位存在であったと考えられますので、おそらくタルマリンの失態を種族として償うことを強要されたか、残された幹部が戦功を得る為に出撃を強行したかどちらかではないでしょうか。

種族一番の強者でも、おそらく守り神級に届くか届かないか程度の存在しかいないですね。

オークの側は非常に強力な個体が多いです。

おそらくですが、近隣の最上位の将軍職、統率者であるディーと呼ばれているハイオークキングも直々に出撃したものと思われ、その側近らしきかなりの強者の存在も確認できます。

相対的な戦力評価ですが、おそらく600~800%程度は増加したことになるかと。

ハイオークキングの個体名はディー、推定レベルは340~350です。

取り巻きもレベル250~280はあるかと。」


敵勢の増援はかなりヤバイ。

まず、カンベリアを取り巻いていた当初の3つの勢力を全部足しても足りないほどの戦力を誇る軍が、2軍増援として現れたのだ。

増援の敵戦力を安易に数値として表現すれば、安く見積もっても6~8倍程度は増える計算だ。

既にカンベリアに向かって走ってきている先遣隊は、前衛をナーガとオークの混成部隊で構成しており、その強力さを持って攻め込む姿勢であることは想像に難くない。

その先遣隊は皆徒歩でありながらも並のヒトが全力で走っているよりも圧倒的に早い速度で走りながら進軍している。

当たり前にその程度のことはできる程度に精強であり、健脚である。

このままの速度で進軍すれば、カンベリアまで2時間もかからないくらいの位置まで既に来ている。

現在カンベリアを攻めている3勢力の内、ヒト側が討ち果たしたのはツァーゴのみ、敵前衛は善戦しており、ヌアダ様は苦戦はしていないが、各勢力の主軸を瞬殺するほど快適に進軍はしていない。

また、死傷者もこれだけの攻勢に対しての防衛としては少ないと言える数ながら、各所で発生している。

このままでは全周囲を包囲され、強者が足止めを食らう中、対処の漏れた魔物が都市内部にまで入り込むようなことが起きれば、一般市民にまで影響が及ぶ可能性がある。


「加えて、カンベリア・レギルジア間に30・・・いえ、35ほどの村々の近辺に、30~100程度で構成された小隊~大隊レベルの敵勢反応があります。

概算ですが、おそらく、前線に見付からずに1万程度の魔物が後逸していると思われます。」

「それはヤバイね、今までに見たことないくらいの飽和攻撃と言っていい戦力だ。

今までこんな数や戦力配備で攻めてきたことはないんだけど・・・ひょっとしたら敵さん、既に大きな動きを始めているのかな?

うーん・・・・・・。

参ったな・・・これ、詰んでるかもしれない。」


覗き見ているヒノワ様の表情は一切焦りを感じさせないが、詰んでいる、という発言からすると自分の知らない要素も噛んでいるかもしれない。

他を圧倒するレベルの情報収集力を誇る自分ではあるけれど、ヒノワ様しか知らない情報や考え方は察しきれない。

そして、おそらくその洞察ははずれないのだ。


「詰んでいる・・・と申しますと?」

「カンベリアに大軍が現れ、同時にツインテイルが唐突にレギルジアに現れた後、敵上層部のタルマリンが同じくツインテイルが出没した位置に現れ、今度は最上位の将軍がカンベリアに現れた。

この流れが一つの戦略なのだとしたら、つまり、前線を圧倒的戦力で釘付けにしつつ、後方攪乱の為のルート確保や運行の手配を戦略的に既に済ませてから侵攻開始した、ってことになると思うんだけど。

先行する予定だった先遣隊と思われるツインテイル・後方かく乱の主力を担う予定だったと思われるタルマリンはフェーナのおかげでレギルジアに攻め入る前に無力化できたけど、これ、フェーナいなかったら後方はほんとにぐちゃぐちゃになってた、ってことだよ。」

「確かに、おっしゃる通りかと。」

「後方攪乱って、首脳陣を一網打尽にするような一撃離脱じゃないと、強力な少数が攻め込んできてもあんまり意味ないんだよね。

こういう場合、統治者が一番困るのは、広く薄く、あちこちからじっとり浸出するような攻勢が一番嫌なんだ。

つまり、ここまで周到に計画された戦略を練った奴なら・・・。」

「既に、大きな軍以外に、広く薄く浸出している別の敵勢力が前線より後方に展開している、気が付いた頃には手遅れになっている、と・・・?」

「まだ報告は上がってきていないけど、レギルジアまで行けるなら、『灰色』だけにこだわる理由はないし、他領にまで横に伸ばしてるかもしれないし、他の村や村落にいけない道理はない、と思うんだよね。

下手をすると、フェーナの手の及ばないレギルジアより先まで手が伸びているかもしれない。

フェーナの報告と私の感覚からしても前線のラインが抜かれているのは間違いないし、可能性はある。

後方の調査や処置は急がないといけないけど、今現在までにどれだけの数が抜けてどの辺りにまで来ているのか位置も特定できていないような状況で、領地内どころか他領にまで広がった奴らを全範囲走査、対処するほどの人的な余裕が、今はない。

『灰色』の索敵術式もかなり出来はいいんだけどね、多分研究されて、完全に無効化できると踏んで作戦に挑んだんだろうね。

警戒網の拠点は襲われず、索敵術式は絶えず維持されたままであるのに、何処の砦も一切感知できていないってことは、こちらに気付かせない内に内部深くまで侵攻することに集中し、落とせるだろう砦を襲わず、ステルス状態のまま今まで作戦遂行を徹底した。

警戒網よりも数段上であろうフェーナの索敵能力でも、解除されるまで察知できないステルス能力が存在しているのなら、何処までが安全域になるのか推測が難しい。

ここまで徹底しているんだ、単純な攻勢じゃない、おそらくこっちを一撃で追い詰める作戦だろうね。

流石にすぐ新しい索敵方法が出来るわけじゃないけど、何回も似たようなことがあれば、対処することもできたはずだけど、こんな事態は今まで報告にないし、まぁ、ひょっとすると本当にテストだけの為に何処も襲わず、どこまでたどり着けるか、くらいの実験はしたかもしれないけどね。」

「なるほど。

であれば、各所の報告待ちでは手遅れになりかねませんね・・・。」

「被害報告はまだ上がっていないにしろ、どこかで村々を襲っていない部隊が他にも進軍していると見ていいだろう。

カンベリアやレギルジアの都市圏の損害ばっかり気にしていたけど、敵はこちらの城を落としにきたんじゃなくて、もっと大きな目的・・・『人口』や『生活基盤』というヒトの生存能力の大基盤の地力を削ぎに来ている気配を強く感じる。

確かにヒト同士の争いなら根絶やしにするのは問題だけど、種族の生存を競う争いなら根絶やしでも問題ないだろうし、そもそも種族間で”戦争“の考え方が違うからね。

『ただただヒトという種族を追い詰める、自分達は死んでも構わないし、強者は倒さなくてもいい』という思い切りの良さも感じられる。

彼らのアイデンティティーを考えれば、カンベリアの攻防戦に参加して、カンベリアを四周から攻めまくって戦で手柄を立てることこそ本懐だと考えていると思うんだけどね。

強者との戦闘を誉れとする魔の勢力のアイデンティティーを覆し、かつそれを遵守させて統制するだけでも恐ろしい統率力だ。

しかも、おそらくその統率者は、このステルス能力を持っている何者かのスキルを今まで秘匿していて、この大攻勢で一撃で決めるつもりで進軍している。

恐ろしい話だよ。

下手に皆殺しにせずに、村は焼き払いつつも生存者を少しずつ残す、というような戦略を取られた場合は、最悪だ。

こっちは統治者としては救援に行かねばならないし、生活基盤を失った者達を近隣の安全な都市まで護送する手間や兵数、糧秣を確保する必要もあるし、彼らを保護する間にも兵や輜重は消費する。

そしてそんなことをしている間に、他の村も襲われ、更に被害者が増え、手に負えなくなる。

数的不利であるヒト側の勢力は後手後手にならざるをえない。

ここまでの戦略を練った参謀なら、おそらくそうするんじゃないかな?

正直、これ、詰みだよね。

私達は開戦時には目の前の敵を追い払えば勝ちだと思っていたし、なまじ攻め込んできた相手がそんなに強くなかっただけに油断した面があるのも否めない。

元からこれが怖くて前線のラインは網の目の細かい警戒網を作ってたんだけど、逆にそちらを信用し過ぎたのは失態だった。

相手は完全に対策をして、こちらが気付いた時には間に合わないような、一撃でこちらを潰すことに作戦の全力を注いでいたようだね。

数的優位にある魔物達が散らばってあちこちから進軍したら、こっちはいくら戦力的に強力でも対処しきれない。」

「・・・通常の処置方法では、ヒノワ様のおっしゃる通り、こちらは成す術がありません、手が足りないと申しますが・・・。

まさに飽和攻撃という名が相応しい全面大攻勢かと。」

「うん。

まだ外に派遣してる兵力があればよかったんだけど、今は警備巡回程度の兵力しか外部にはいない。

ほぼ全兵力をカンベリアに釘付けにされてしまった。

当初から動きが怪しかったから、ヌアさんを始めとしたこっちの強者や精鋭は力を温存する方向で動いてたけど、敵が浸潤した後に全力出しても遅いね、これはこちらの失策だよ。

移動時間の問題もあるけど、これから配備したんじゃ後手も後手だね、準備してる間にどれくらい通り抜けているのか想像もできない。

まぁ、そういう状況を監視する為の警戒網が機能してなくて状況を把握できないという状況が一番まずいんだけれども・・・。

警戒網が機能しないなら、圧倒的に向こうが有利なんだよ、数は向こうの方が多いからね。

領都に足の速い伝令に走って貰うけど、下手すると敵の方が足が速いしね・・・今から送ったんじゃ援軍が間に合うとは思えない。

ないよりはマシだろうけど・・・どれだけの人が犠牲になるのか・・・。」


これは不味い。

タルマリンやデルートをどうしようかなどと言っている場合ではない。

・・・が、やりようはある。

ディーは私の存在をまだ知らない。

グジはひょっとすると私の存在に気付いているのかもしれないが、どういう存在であるかまでは掴んでいないように感じる。

ひょっとすると強力な敷設式の罠もしくは術式を持っている術者だと勘違いしているのではないか、という節も上位眷属達の動きをみると感じられるので、能力についてはまだバレてはいないはずだ。

・・・出来るか?

出来るとは思うが、終わった頃には私は死んでいるかもしれない。

だが、ここで自分の能力を秘匿することに固執してヒトが滅びてしまうことを良しとしていいのだろうか?

いくら正義感に疎い自分でも、ヒトが滅ぼされるのを座視するのは、不可能だ。

それに・・・ひょっとすると、ここまでの攻勢、いい実験場になるのではないだろうか?


「ヒノワ様、非常に不躾なお願いを致しますが、お許しいただけますでしょうか。」

「うん、いいよ。

流石に、私も手詰まりでね、次善策くらいしか用意できそうにない。

ほんと、私は本来、こんな他人を率いる器じゃないんだよ、全部放り出したいくらい。

いっそどんな話でもフェーナの我が儘を聞いて動きたい気分だよ。

ほんと、自分の推測が全部懸念で終わってくれればいいと思っているんだけど・・・。」

「・・・ヒノワ様の勘は、今まで外れたことがないと、ベランピーナ先生はおっしゃっておられましたよ。

ヒノワ様が勘でこう思った、と言った際は、それはもう事実であり確信できることなのだ、と。」

「はは、大げさだなぁ・・・。

まぁ、否定できないけど・・・。

それで、不躾なお願いって、何かな・・・?」

「ディーと呼ばれるハイオークキング、その配下のオークヒーロー数体を除き、全ての魔物を殲滅することができる、と申し上げた場合、信じていただけますか?」

「・・・マジで?

ってなるけど、信じるよ、というか信じたいな、その話。」

「遠距離索敵の結果から推察するに、おそらく、ディーとその配下のオークヒーロー数体は私の能力が及びません。

ですが、それ以外の個体については処理可能だと思います。」

「それは、カンベリアを取り巻く存在だけに対して、ってこと?

それとも、カンベリアを除いた前線ラインから後方の戦力に対して、ってこと?」

「その両方共について、『全て』ということでございます。」


覗き見ていることは知られているので、今まで感情を大げさに表現されることはなかったのだと思っていたが、その言葉を発した時、ヒノワ様は大げさに驚いてみせた。

目を見開いたかと思うと、弓を床に置いて体操座りで床に座り、空を仰ぎ見る。

その様だけを見れば、本当に困り果てた幼い6歳の幼児だ。


「・・・ひょっとして、不躾なお願いって、それでフェーナの命が散ってもいいか、とか、そういうのじゃないだろうね?」

「・・・副次的な要素で死ぬ可能性はありますが、お願いは別途御座います。

・・・端的に申し上げますので察していただけると有難いのですが・・・タルマリン他の敵兵を処理した際、私のレベルは一気に上がりました。

具体的に申し上げますと、レべル291です。」


そう、私ことフミフェナ・ペペントリアのレベルはもう291にも達する所まで上がってしまった。

私の“魂の器”は、余程優れているのか、ビキビキ、というひび割れ音から、バキバキ、という破砕音を響かせながらも、“器”は崩壊せず、本来有り得ないとされる速度でのレベルアップの繰り返しを許容した。

身体の細胞の何割か・・・一般的なヒトの体組成でいう水にあたるような割合が粒子に入れ替わっているかのような、そんな感触がある。

まるで成長痛のようなものもなく、非常にスムーズにそれらは入れ替え終わった。

それが人間ではないというのなら、私は既に人間ではないかもしれないが。


「なるほど、290超え、か・・・。

レベル51から1日ちょっとという短期間でそこまで上がっちゃったんだね。

・・・でも、それ、普通の人間には絶対に耐えられない。

普通の人間なら、おそらくレベル100を超えた時点であまりの粒子の身体侵食に耐えられずに、体の細胞が崩壊して骨も残さずに灰になって崩れ落ちたんじゃないかな。

そうなんじゃないかな、とは思ったけど、フェーナはひょっとすると本当に戦貴族の・・・白の戦貴族の遠い血族なのかもしれないね、『鑑定、分析』って具体的に検証材料がないと明確に判断できないんでしょ?

直近の血縁に心当たりがないとしたら、何代か前に落胤が混ざってて、血としては薄まっていたけど、何かの要因で濃くなったか、数代を経て隔世遺伝で発現したのかもね?

というのも、戦貴族のレベルキャップは、一般人よりかなり高いというか、多分上限がない。

それに、レベルアップごとのリカバリーが一般人と比較してめちゃくちゃ早いんだ、まぁ・・・フェーナほど一気に上がるなんて話は聞いたことがないけど。

私も、今のレベルになるまで、結構かかったんだよ、それでも戦貴族史上最高傑作って言われてたんだけど・・・。」

「それは、ナイン・ヴァーナント技師からも、指摘は受けておりました。

私はヒトにしては、レベルの上がる速度が速すぎる、と。

アビリティについてはチートレべルのものは所持していませんし、おそらく出生の段階でアビリティやスキルとは違う、何かしらの特性を得ていたのだと思いますが・・・。」

「ん-、まぁ、それはいいや、話題逸らしてごめんよ。

・・・んで・・・不躾なお願いってのがよく分からないんだけど、私は何を叶えればいいのかな?

フェーナが敵を全部ぶっ殺すのを認めればいいのかな?」

「いえ、それは多分可能だと思いますので・・・。

今の所、順調にレベルがアップしておりまして・・・ここまでの大攻勢のほぼ全てを処理した場合、私の器が崩壊せず、このペースを維持したまますさまじい速度でレベルが上がり続ける可能性があります。

そう仮定すると、必要経験値が等比級数的に上昇したとしても、討伐する敵の数を考えますと、おそらくレベルが最低でも400を超えてしまうと思うのです。

レベル400の3歳児となると、下手をするとヒトの世界からはじき出されるのではないかと不安なのです。

また、もう一つの不安は、順調にヒトのままレベルアップが可能なのか、ということです。

ここまでは順調ですが、途中で力尽き、レベルアップの負荷に身体が耐え切れず、おっしゃる通り灰と化すかもしれませんし、下手をすると途中からヒトではなくなる可能性すらあるのではないかと。

ですので、2つお願いがございます。

1つ、私がヒノワ様の御用聞きとしての任を果たせない、又は私がヒトではなくなったと分かった際には、私をヒノワ様の手で殺し、私の粒子を全て引き受けていただけませんでしょうか?

2つ、任を果たせると分かった際には、今と変わらず、私をヒノワ様の御用聞きとして雇用していただけますでしょうか?」

「ふ、うふふ、は、はっはっはっはっはっはっは!!!」


爆笑である。

のたうち回りながら、床を叩きながら爆笑しておられる。


「何を言うかと思ったら、馬鹿だねえ、フェーナは。

そんなに優秀で可愛らしいフェーナを、私が手放すとでも思ってんの?

いいよ、やっちゃって。

いいじゃん、レベル400の御用聞きがいる戦貴族なんて史上初、私くらいじゃない?

灰になっちゃうのは悲しいから勘弁してもらいたいけど、ヒトでなくなってもいいんじゃない?

蛇とか虫の魔物はちょっと迷うけど。」

「・・・そんな者を傍に置いてしまって、勢力闘争になったり、政治的な問題になったり、しないでしょうか?」

「ん?闘争になるだろうし、問題にもなるだろうね。

なるだろうけど、そんなこと関係ある?」

「・・・どういうことでしょう?」

「フェーナ、気付いてないのか気付いた上で可能性を除外してるのか分からないけど、さ。

ん-、まず、そのディーって奴、多分、戦貴族だと私とヌアさんと、あと二人くらいしか倒せないくらいの強さだね、多分だけど。

魔物に多いレベルだけ高い魔物なら340でも割に簡単に討伐できるんだけど、そいつは違うと思う。

ハイオークキングだろうから、配下のオークからの力も自身に取り込んでいるだろうし、直属の配下はその“王”からギフトを受け取って強化されている。

加えて、武術や術式に造詣の深い亜人タイプなら、ヒトよりも武術や術式に優れている可能性もある。

更に武器防具も揃っているなら尚のこと、レベル通りの強さじゃない可能性もある。

トップにいる奴がパッと倒せるものじゃないのはそういう理由なことが多いんだよね。

でも、私やヌアさん、あとその二人なら、そのディーとやらは倒せる。

でも、ただ単純に戦闘が強いだけの戦士には、この大攻勢全部を殲滅するなんて、出来ない。

例え、それが雑魚だらけであってもね。

つまり、フェーナは唯一無二の存在である可能性が高く・・・かつ、ヒトの最上位存在になる可能性もある。

そんな人を相手に、政局闘争だの殺せだの言う人がいると思う?

『やりたければやってみろ、先にお前が死ぬぞ』、この一言で全部黙るんじゃない?

・・・そうだね、分かり易くしよう。

その能力、ヒトに向けたらどうなる?」

「おそらく、一部の方以外は殲滅できると思います。」

「おそらくじゃないよ、確実に、都市ごと、国ごと殲滅できる、だね。

その能力、私やヌアさんでもくらったら死ぬでしょ?

完全耐性がない者は、すべからく死ぬ。

そして、完全耐性持ちは絶対数が滅茶苦茶少ない上に戦闘能力に長けている者も少ない。

となると、完全耐性持ち以外が全滅した後、フェーナが殺しに行けば、守ることも逃げることもできず、死ぬ。」

「・・・いえ、流石にそれは、やってみなければ分かりませんが・・・。」

「言葉は濁さなくていいよ、事実だからね。

だから、フェーナは自分がヒトの世界から迫害されたり、気持ち悪がられて遠ざけられ、はじき出されるんじゃないか、って感じたんでしょ?

逆だよ、逆。

私やヌアさんでも瞬殺される相手を放逐したり迫害したりするなんて、人類滅亡待ったなしだよ。

それに、一応、この世界の人間は、戦貴族だけじゃなく、ヒトの文明自体が尚武の精神を持っている。

加えて、フェーナはレギルジアで女神様なんでしょ?

多分、その圧倒的戦闘力と存在感で、扱い的には『神』になるんじゃない?この国の。」

「『神』・・・ですか・・・。」

「『神』以外に該当する表現がないように感じるからそう言ったけど、まぁ呼称はどうでもいいにしても、他者が感じる“格”はきっとそんなもんだよ。

それに、倫理的な問題でも、ヒトの世界の窮地を救った英雄を迫害しようものなら、ヒトの世界の理はひっくり返ってしまう。

何せ、ヒトを率いている戦貴族や王もヒトの域を超えた戦闘力でヒトを救ったから建国の王家であり、戦貴族なんだからね。

そんなことした時点で、王族批判、戦貴族批判につながってしまうから、ね。

だから、まぁ・・・。」

「はい。」

「一切、終わった後のことを気にする必要はない。

敵兵の殲滅を許可する。

そして約束しよう。

ディーは必ず私が仕留めるし、レベルが400だろうが500だろうが、私は、『灰色』は、フェーナを絶対に独りにはしない。

フェーナの身柄は『灰色』が責任を以って後見につくことを約束するし、なんなら『灰色』の守護神の現人神として祀ってもいい。

フェーナに何かできる者はいないと思うけど、蔑もうものなら、『灰色』が絶対に許さない。

ふふ、逆にこっちからお願いしたいくらいだ。

この戦が終わっても、私とお友達のままでいてくれる?ってね。

御用聞きとして・・・雇われてくれる?」

「はい。

ヒノワ様がそうおっしゃっていただける限り、いつまでも御供致します。

全ては、ヒノワ様の為に。」


私は涙を湛えたまま、膝を着き、遥か彼方にいるヒノワ様に向かって最敬礼をした。

ヒノワ様からはこちらが見えないはずだが、彼女はこちらを向いてニッコリと笑うと、『灰城』の屋上で寝そべった。

ばさり、と床に寝そべったヒノワ様の顔はとてもスッキリしていて、とてもお美しい。

銀色に近い灰色の美しい髪は、三つ編みに編まれていたが、留めていたピンかゴムが千切れたのか、ファサ、と床に美しい扇型を描いて広がる。

ヒノワ様の気力は漲って収まる気配はない。

いや、いつも通り蒼き粒子の奔流は一切ないので、遠目に見ている私からすれば何がどうとは言えないのだが、ヒノワ様の周囲に何かが広がり、それは光学的に空気を歪めて見せている。


「指揮系統には、今の話は全てではないけど、上手くカモフラージュして説明して、防衛体制に切り替えるね。

フェーナの合図をもって、私はそのオークキングとの決戦に入る。

・・・ほんとゴメンね、こんな大役を担わせてしまって。

この戦が終わったら、ゆっくりしてね。」

「分かりました。

・・・本当なら、ディーも私が仕留めたかったのですが、どうも難しいようで・・・。

美味しそうな経験値を逃しました。」

「ふふ、ごめんね~、美味しいとこ貰っちゃって。

じゃあ、そろそろ動こうかな。

配下に段取りを伝えないといけないけど、どう伝えたらいいかな?」


カンベリア周囲の者達は、ディーなどを除けば、実際どうとでもなる。

問題は、グジの眷属の能力『陰影』で進軍しているであろう多数の小部隊の処理だ。

こちらは時間を見切ることはできないし、ディーのように病への完全耐性を持っている者がいた場合、遠距離で仕留めることができない為、私か、誰かが処理に向かわなければならないが、いても数匹、そう多くはないだろう。


「浸潤している多数の小部隊については、正直申し上げて、ステルス状態が解除されない限り全体把握ができません。

ですが、現況の状態を鑑みて分析しますと、“ステルス状態では戦闘状態までは秘匿できない”ということは確定的な要素としてあります。

ですので、こちらは予定として確定することはできませんが、ステルス状態を解除してから布陣、攻撃という段階を踏む者達であれば、村に攻め込まれる前に比較的早期の段階で対処は可能かと思います。

場合によっては討伐まで少し時間を要する場合もありますので、戦闘開始直後から数分の間に発生する人的・物的被害は全体で少なくない数が発生するかもしれません。

また、かなり少ないであろう可能性として、一部に完全耐性持ちがいた場合、そちらには出向いて処理をする必要があるかもしれません。

場合によっては、人的・物的被害がかなり発生するかもしれませんが、許容していただきたく思います。

出来る限りの処理はしてまいりますが、物資救援や治療部隊の手配をお願いするかもしれませんが、よろしいでしょうか。」

「それは、勿論こちらで手配する。

被害については、事ここに至っては、最善を尽くす、ということしかできないと思う。

カンベリアから近い所に関しては、撤収させた兵を急いで向かわせるので、レギルジアに近い方からお願いしていい?」

「はい。

カンベリアの戦況については、皆さんに被害が及ばない状況まで撤収作業が済みましたら、すぐに殲滅の手配を致します。

合図から10分程度いただければ、済むと思います。」

「分かった。

じゃあ、こっちはすぐ撤収作業にかかる。

・・・あ、そうだ、タルマリンとデルート、蠅の上位眷属はどうするの?」

「タルマリンとデルートはもうどうとでもできる状態にまで汚染を進めていますので、おそらく治療しても復帰することは不可能でしょう。

“巣”を特定する為、蠅の上位眷属に一旦持ち帰らせます。

“露払い”の後は、私はステルス能力の厄介なグジの方を処理することに集中しようかと思います。」

「そうだね、その方がいいかも。

しかし、あれだね・・・。」

「アレ、ですか?」

「ほんと、頼りになるよ。

フェーナがいなかったら、『灰色』は終わっていたかもしれない。

ひいては、ヒトも、ね。

前線以外は割と層が薄いから・・・中まで入られたら、如何に弱いのかが、今回、露呈した。

王様まで殺られちゃたら、ほんとにヒトの文明は滅びちゃうから、ほんとに助かったよ、これは心からのお礼。

でも、そうだね、役割分担の比率がフェーナの負担が大きすぎるけど、手がいるようなら、言ってね、最優先でそっちに向かわせるから。」

「了解致しました。

ですが・・・グジは、ここで討ち果たさねば危険です、必ず討ち取りますので、お任せ下さい。」

「ふふ、任せるよ。

じゃあ、あとで、ね。」

「分かりました。

後程、朗報をお持ち致します。

ヒノワ様、ご武運をお祈り申し上げます。」



レギルジアより北東にある村落、マルガーリ村は、人口1000人を超える少し大きめの村だ。

日ごろ、守護、警備に当たっている常駐兵は10人で、5人ずつ任務につき、交代制で任務にあたっている。

彼らは『灰色』の軍から拠出され、レベルは70台とこの規模の村に配備されるレベルとしては高水準である。

守護役と呼ばれるこの隊の隊長であるアレルは、唐突に現れた守り神級の魔物の部隊に困惑していた。

警報の鐘は緊急避難を告げており、守護役は全員状況把握に努めたが、敵は既に門を破壊し、村の中にまで入り込んでいた。

終わったか、と思ったが、魔物達は村の中に入ってきてからというもの、内側から建物や塀を破壊してまわっており、集めた廃材を燃やしているようだった。


「アレル隊長、守り神級の・・・巨大な魔物です!

既に門が破壊され、入り込まれています!

ネームドであると思われますが、詳細不明、その他、配下と思われる魔物20!」

「北門の辺りの建物や塀を破壊して回っていて、ほぼ南下していない模様です。」

「至急、全員に招集をかけろ!ゾリアーはカンベリア・・・いや、レギルジアに避難民受入の要請を送れ!!」

「・・・た、隊長、奴ら、近くを走っている避難民に全く見向きしていません!」

「・・・奴ら、どういうつもりだ?」


守り神級の魔物、それも大型のモノともなれば、こんな村の塀など一瞬で破壊できる。

そして、強力な魔物が20もいれば、1,000人の村人のほぼ全ては殺し尽くされるのは間違いない。

この村にいる専業戦士は自分達10人だけなのだ。

準守り神級の魔物1匹くらいなら10人の総力を結集すれば、なんとか相対し、撃退することも可能だろうが、守り神級の魔物とは、それ未満のモノとは一線を画すほどの桁違いの存在だ。

自分達が死に物狂いで戦ったとしても、撃退することは不可能で、せいぜいが時間稼ぎ程度だ。

だが、連中はヒトを襲わず、建物や塀を壊すだけでヒトを追ってはこない。

わざと時間をかけるつもりか、ヒトの蹂躙を娯楽とするつもりなのか、建物を壊すのが楽しいのか。

しかし、時間をかけてくれると言うのなら、村人の避難を進めることはできる。

気を取り直し、指示を整理する。


「総員、緊急避難の手助けをしてくるんだ!

村人には、可能な限り荷物は片手で持てる物にまで絞らせろ。

食糧・飲料水はこの際、不要だ、大至急レギルジアまで避難するのだ!」

「了解です!」

「アレル隊長、レギルジア、ですか?

カンベリアや隣村ではなく?」

「敵勢が前線ラインを抜けてきたのであれば、前線に近いカンベリアや近い隣村は危険だ。

レギルジアにはここよりは頑丈な城壁と常備兵も多数いるし、食糧の備蓄も多い。

ここから30kmはあるから、荷物はなるべく少なくして、急いだ方がいい。

村から離れたらすぐ、走れなくなるまではまとまって走らせろ。」

「了解です、そう指示します。」

「ゾリアー、まだカンベリアから何の連絡も来ていないのだろう?」

「はい、何も来ていません。

前線ラインを抜けてそのまま魔物達が走ってここまで直行したのならば、伝令より魔物の方が早かった可能性はあります。」

「・・・その可能性はあるな。

待っていては事態は悪化する一方だ、それならまだレギルジアに逃げ込んだ方が良い。」

「隊長、荷馬車が10台ほど徴発できました!

子供、老人、女性を優先して載せて出発、で、いいですよね?」

「ベルティアス、セラストと一緒に先に荷馬車隊を率いてここを脱出しろ。

俺とメッセナ、トーリアは居残りだ、殿として遅滞戦闘をしながら撤退する。

他の者は、村人を先導し、隊列を組み、荷馬車隊の前後を進ませろ。

場合によっては俺たち居残り組は、ルート偽装をしつつ敵を引き寄せ、別方向へ向かうかもしれんが、ベルティアスとセラストは村人達を引率し、必ずレギルジアまで突っ走れ。

いいな?

ゾリアーはお前達が連れていけ、ここにいても、意味は、ないだろうからな。」

「・・・分かりました。

御武運を、隊長。」

「任せたぞ、ベルティアス。」


ベルティアスと呼ばれた歴戦の副官は、上官であるアレルに拳を突き出した。

本来、上官に向けてやる仕草ではないが、彼はアレルがこの村の守備役の任務を請けた際に、上官に頼み込んで連れてきた長年一緒に戦ってきた同郷の幼馴染であり、同期だ。

アレルにとって、ベルティアスほど信頼を置ける戦士はいない。

セラストはまだレベルは低いが、筋はよく、まだ若い。

この攻勢で自分達が死んだとしても、良き戦士の蕾を残せるのなら本望だ、自分達はこういうときに人々を守り、率先して死地に向かう為に鍛えてきたのだ。

ベルティアスに村人達を引率させ、セラストが逃げてくれるのならば、自分達は心置きなく遅滞戦闘にかかることができる。

死ぬつもりはない、生きて帰れるなら生きて帰りたい。

だが、ぱっと見でも守り神級と分かる魔物だと斥候役からも報告があったのだ、おそらく遅滞戦闘とはならない、おそらく逃げ惑っても死ぬまでの時間が少し伸びる程度だろう。

いや、であれば時間稼ぎくらいはなっているのだろうから、遅滞戦闘ではあるのか?

ふふ、と無駄なことを考える自分を、居残りを指示した者達も苦笑してみていた。


「すまんな。

付き合わせて悪いが、一緒に死んでくれるか。」

「守り神級の魔物だものな、悪いも何も、相対すれば俺ら程度じゃ死ぬだろうさ。

しかし、奇妙なもんだな、あんだけいれば散らばってもこっちに攻め込めばやりたい放題だろうに、回り込んだりせず、北側からしか攻めてこねえ上に逃げる奴らを追いかける素振りもねえ。

ヒトはほったらかしで、門を壊し終わっても橋だの城壁だの壊すのに必死だぜ。

まさかあいつら城壁やら橋やらの材料が欲しくて襲ってきてるわけじゃねえよな?」

「・・・確かに、気味が悪いな。

それか、ひょっとするとその魔物の主食は生命体ではなく、石や木がメインで、ヒトには食指が伸びないのかもな。

配下は自分達の主の食事が終わるまで、自分達の食事ができないんじゃないか?」

「まぁ、連中からすりゃ、俺たち人間は不味いらしいからな、食うなら自分達の主食が先ってのは理解できなくもないが・・・にしたって、わざわざ塀食わなくてもよくねえか?」


敵の総数は20。

マルガーリ村は人口は1000と中々の数であり、それに応じて村落もそこそこ大きいので、強力な魔物が一匹あたりヒトを50人殺そうとするなら、ヒトに爪や牙を突き立てるより、探す作業の方が大きく時間を食うくらいだ。

偵察の話では、巨大な魔物であるとのことなので、足が遅く逃亡者を追い掛けるのが面倒なのかもしれない。

が、それにしても塀と門、橋を壊すことに固執するのは意味が分からない、頭を捻っても理由が思い当たらない。

塀は主に木杭で出来た芯に土を盛って石積みで覆った程度の塀であり、並の魔獣や魔物程度では一飛びできない程度の高さにした物であり、総石造りで頑丈なのは南北の大門のみ。

少なくともレベル180以上ある守り神級の魔物を止められるものではないので、壊そうと思えばそれこそドミノを倒すかのように破壊することが可能なはずだが、まるで遊ぶように破壊して回るだけで、村の中にまで入ってこない。

ベルティアス達が村人達と共に避難を開始し、5分、10分、15分と経ったが、魔物は今度は北端から残骸を積んで山を作り始めた。


「あいつら、一体何がしたいのだ?

まさか、本当に建築資材が主食なのか。

・・・まだ来ないというのなら、我々にとっては幸運でしかないが。」

「どうする?

俺たちも皆についていって一緒に避難するか?

連中、この調子じゃ何時間も村を破壊してるんじゃねえか。」


確かに、この守り神級の魔物達の行動は、アレルの知っている魔物達とは全く行動が異なっている。

知性のない魔物であれば、まず腹が空いていれば獲物を狩ることを優先する。

知性のある魔物であれば、まず獲物を逃がさないことを優先する。

守り神級の魔物であれば、知性のある魔物であると思われるので、ヒトが食糧になるのならこんな杜撰な攻め方はしないだろう。

ヒトが食糧にならないのなら、この魔物の行動は理解できる。

どこかから迷い込んだ建築資材を主食とする魔物の群れが、目の前に手頃な、特に自分達の脅威になるような敵勢勢力もいない自分達の主食だらけの村を見つけ、手あたり次第にかき集めている、というような仮説にも縋りたくなる。


「・・・まぁ、そんなわけはないだろうがな。」


建築資材を主食とするような魔物は、聞いたことはある。

聞いたことはあるが、『その昔、無機生物の魔物がいて、彼らの餌は石や金属などの無機物だった』というような伝聞での話だ。

そんなものが急にこんなところに現れるはずもない。

塀を壊している魔物は確実に獣系の魔物であるので、草食・肉食に関わらず、無機物や木材を主食にするような魔物ではないだろう。


「とりあえず、もう少し様子を見て、逃げられそうなら、逃げる。

我々が動いて、連中が反応するようなら、別方向に走り、少しでも時間を稼ぐぞ。」

「分かった。」

「分かりました。」


しかし、その後、更に10分経っても、15分経っても、魔物達は遊ぶように建物を破壊して回るのみで、自分達の存在に気付いていると思われるのに、攻めては来ない。

まさか本当に、連中は建物の破壊にしか興味がないのか?

ひょっとしたら、人間を殺して回るよりも、建物を壊すのが楽しい、とか、魔物の娯楽の流行りだとか・・・?


「よし、連中、どうやら本当に我々には興味がないらしい。

建物はまた建て直せば村も再建できる、とりあえず我々も逃げるとしよう。」

「あぁ、分か・・・ん?」


ピピッ、と、アレルの顔に液体が数滴、降り掛かる。

ドゴン、という轟音はそのすぐあとに聞こえてきた。

自分達より遥かに南側の建物に何かがぶつかったようだ。

隣にいたメッセナの、姿がない。

下を見下ろすと、脛の半ばから下、足首だけがアレルの隣に残っていた。


「お、おい・・・メッセナ・・・?」


数瞬の後、今度はゴン、と、グシャ、という音がほぼ同時に聞こえる。

音の鳴った場所は、トーリアがいたはずの場所だ。

振り返らずとも、何が起こったのかは、アレルには理解できた。

きっともう、そこにトーリアの姿は残っていない。


「・・・これじゃトーリアとメッセナの形見も持って帰れねえじゃねえか・・・ひどいことをしやがる。

なぁおい、よくもやってくれたな、このくそでけえ猿が・・・。

よくも俺の部下をこんな無残に殺してくれたな。」


先程まで北門の近くで破壊活動に勤しんでいたはずの、巨大な・・・体長5m、いや6mはある白髪の、腕が4本生えている真っ白な毛で覆われた猿が、いつのまにかアレルの30mほど先まで近づいていた。

なるほど、ぱっと見でも分かるほどの蒼き粒子の奔流だ。

その4本の手に持っているのはそれぞれ500㎏から1tはありそうな石だ。

重量だけで言ってもそれだけの重量物、しかも手よりも数段大きな石を片手で1個ずつ持っているというのに固定されたかのように動かないほど保持できる握力を想像すると、冷や汗が出る。

そしてその巨大な身体は、それらの石を持っていても何の重量感も感じさせず歩き、アレルに近付いてくる。

5mほど離れた場所まで歩いてくると、ドスン、と、石を置き、綺麗に台を作ったかと思うとその上に座り、胡坐を組む。


「我が名は、『白猿』。

貴様の名を聞いてやろう。」

「・・・アレル・ベリシュート、この村の守護役の隊長だ。

レベルは78、戦士クラス。」

「ほう、そうか。

アレルとやら、貴様、隣村まで走って逃げるといい。

逃げるのなら、逃がしてやろう。

戦うのなら、死なせてやろう。

まぁ、逃げるなら石は投げるかもしれんが、避けようと頑張れば避けれる程度の速さで放ってやる。」

「・・・逃がしてくれる、というのか?」

「そう言っている。

お前達の寿命は短いのだろう?

命からがら、さっさと逃げ、残った人生を謳歌するといいぞ。

何、一人も殺さずに逃がしたのでは立場もあって恰好がつかないのでな、悪いが二人ほど殺させてもらっただけだ。

お前達は食うには不味すぎる、わざわざ喰わぬモノを殺して回るほど悪趣味ではないのでな、それに面倒だ。

なので逃げて良い。」

「貴様たち、一体何が狙いなのだ。

どうやって、カンベリアの前線ラインを抜けてきた。」

「分かっとるのか?

それを問うたなら、例え答えが聞けても聞けなくとも、お前は死ぬしかないのだが。」

「どうせ生かして逃がすつもりもない癖に、よくも言ったものだ、『白猿』。

どうせ殺すなら、せめて冥途の土産に、それくらい教えてくれよ、なぁ?」

「・・・本当に殺すつもりはなかったのだが、まぁ、それを問われれば、貴様は殺すしかないな。

仕方ない、死ぬつもりなら戦士として死なせてやろう。

かかってこい。」

「・・・なるほど、お前、カンベリアの前線ラインから逃げてきたな?」

「なんだと?」

「たった20匹。

その調子だとヒノワ様達に大勢いた仲間のほとんどを殺されて、命からがら逃げ散ってきたのだろう。

後退しても命からがら戦場から逃げ出したと侮蔑されるとなれば、隠れて前線を抜けくるのも頷ける。

お前の仲間に何か警戒網をすり抜けるスキル持ちがいたのだろうが、俺たちは殺せても、カンベリアからの追っ手で、貴様はいずれ討伐される、それまで精々怯えて逃げ回るがいい。

殺すだの殺さないだのと言っていたが、口から出まかせにも程があるぞ。

カンベリアからここまでにも他に村はある。

だが、その村からは救援の連絡も、逃亡者もきていない。

そして、この村で一切捕食行動をしていないところを見ると、この村より前に、どこぞで“たらふく食って満腹”なのだろう?

満腹で動きたくないだけだろう、言葉が話せるからといって獣が恩着せがましく喋るなよ。」

「・・・挑発するにしても、もう少し情勢を見るといいぞ、只人族のアレルよ。

が・・・挑発にしても、流石に腹は立った。

いいだろう、ご希望通り、無惨に殺してやる。」


悔いがないわけではない。

前線のラインを支え、ヒトの生活領域を拡大する任務について、魔物達を討伐し、仲間達と共にヒトの究極のレベルであるレベル100に到達する。

そんな夢を幼い頃は抱いていた。

だが、13歳で軍に入り、軍学校で学び、訓練や座学を受けて様々な任務につき、もう20年近くが経過したが、自分はレベル80にすら達していない。

レベル80と言えば、他の貴族領であれば十分に優遇の受けられるレベル帯であるが、ここ『灰色』を始めとする戦貴族の領地においては違う。

領都に行けば、高水準のレベル100の戦士が大勢いるのだ。

一番近くの大都市・・・レギルジアですら、レベル100の戦士は二人いる。

最前線都市のカンベリアに到っては、両手両足でも全然足りないほどの数のレベル100の戦士がいるのだ。

自分は20歳になる頃には高水準のレベリングについていけなくなり、トップランクのレベリングは諦めた。

日々の討伐任務程度でしか経験値しか得られなくなると当然レベルは上がらなくなり、昔一緒に戦っていた同期から守護役を進められ、守護役の任に着いた。

赴任した当初からレベル78であるが、もう5年は経っているが、上がっていない。

この調子では79になるのにいつまでかかるのか分からないと思っていた。

レベル100に憧れていた自分に少し後悔を抱いていると言ってもいい。

よくもこんな無謀な夢を抱いたものだ、せめてレベル80を目標としたのなら、頑張れば手が届いた気もするというのに。

そして、結婚もしていない。

青春時代、縁のあった幼馴染の女性は、自分が任務に就いている間に、自分との結婚を諦め、別の男性とお見合いで結婚し、アレルが帰郷し久々に会った時には結婚どころか既に子供をもうけていた。

致し方ないことだと、理解していたが、今思うと33年間の人生で一番後悔したのはあの瞬間だったかもしれない。

夢にも届かず、ひょっとしたら将来結婚するかもしれないという淡い希望を抱いていた相手に気持ちも伝えずに玉砕した自分の人生には、一体どんな意味があったのだろうか。

いや、村人達や仲間達を逃がす時間稼ぎはできたではないか。

守り神級の魔物を相手に、レベル78しかない自分が時間稼ぎをすることができたのだ。

これは誇っていいのではないか?

きっと、そうだ。

目を瞑る。

一瞬で死ねるだろうか?

どうせ抵抗するとしても抵抗にもならないので、何らかの時間稼ぎはなるかと思って挑発したが、ひょっとしたら、ちゃんと腹を立てて自分を殺すのに時間をかけてくれるかもしれない。

自分は死ぬまで苦しむことになるかもしれないが、手間をかけた分だけ時間は過ぎる。

そうすれば、逃がした者達の安全はより確保される。

うまくいけば、自分を殺したら気持ちに一段落ついて、逃げた村人たちを追い掛けるつもりもなくなるかもしれない。

・・・それなら、もっと無様に逃げ惑いながら挑発して走り回るべきだろうか?

だが、これ以上はもう怖くて、膝が震えないように我慢するので精いっぱいだ。

おそらく口を開いても喉が震えてしまって、挑発するだけの言葉が言えそうにない。

死ぬ覚悟はできていても、いざ死を待つ時間となると、恐ろしい。

殺すなら、早く殺してくれ。

死体は、好きにしてくれていい。

そう、願っていた。


「・・・?」


だがしかし、『白猿』の攻撃はいっこうにやってこない。

数十秒後、目を開ける。

北門付近で鳴り響いていた建物の破壊音がいつの間にか聞こえなくなっていた。

そして、目の前にいる『白猿』が微動だにしない。

いや、微動だにしないどころか、まるで死んだかのように動かない。


「どうした、殺さないのか?」


返答はないが、まさか、麻痺状態だろうか?

まるで石像と化したかのように、目の前の化け物は動かなくなっていた。

いや、先程までは確かに、まばたきもしていたし、蒼き粒子は膨大な奔流を全身から迸らせていたし、その吐息は瘴気を含むかのように禍々しい匂いを放っていた。

それが、まばたきもせず、蒼き粒子の奔流どころか粒子放散量がゼロ、口は開いている・・・というより虚ろに力なく広げており、その様からは呼吸すらしていないように見える。

そう、まるで死んでいるかのような・・・。


「・・・まさか、死んだ、のか・・・?」

「なんとか、間に合ったようですね。

お怪我はなさっておられませんか?」


何処から現れたのか、目の前に小さな・・・1mくらいしかない黒い鎧を着こんだ子供がいた。

声からすると女の子、白い髪をした幼児・・・3歳か4歳くらいの女児だ。

幼く、その小さい身に、黒い全身鎧をまとい、1m50㎝程度の短く細い黒い槍を右手に握っている。

兜のバイザーを上げた際に見えた美貌は、将来とても美人になるであろうこと間違いなしの器量よしである。

兜の裾から背中に流れる白い髪は美しく、まるで貴族の令嬢のような艶があった。

間に合った、とか言っていた気がする。

何処から現れたのかも分からないが、戦場とも言うべきこの場に一人で現れる理由もわからない。

まさか、この幼児が自分を助けてくれたというのか?

“守り神級の魔物、『白猿』を倒して?”

ジッとこちらを眺める姿は、まるで品定めをされているかのような感覚を覚えた。

逆に、自分も幼女のことをじっと見てしまっていたとは思うが、見当たる限り、鎧には砂埃すらついていないし、被弾した形跡が一切なく、戦闘の痕跡はない。


「あ、ありがとう、まさか君が『白猿』を倒してくれた、のか・・・?

しかし、一体どうやって・・・。

いや、君はどこからやってきたのだ?

ひょっとして、白色の戦貴族の方々が近くで布陣しているのか?」

「他の村落も襲われております、時間がございませんので詳しい説明は割愛させていただきますが、端的に申し上げれば、もう安心です、ここより南側、レギルジアまでの区間は安全です。

お怪我がないようでしたら、避難なさった他の方々に合流してレギルジアまで共に避難なさってください。

レギルジアからここまでのルートは、先行されている方々の周囲も勿論安全ですよ。」

「あ、あぁ、分かった・・・。」


その幼女は、チャキリ、と、兜のバイザーを閉め、地面に手を当てた。

10秒ほど手を当てていたかと思うと、手を離す。

何をしていたのかは分からないが、ひょっとすると地面の振動から何かが分かるのかもしれない。


「先行している避難民の方々はおおよそ1000人、でよろしかったでしょうか?

もし多く漏れているようでしたら、避難誘導されている方から幾人か拠出して合流を促していただかなければいけませんが・・・。」

「・・・多少増減はあるかもしれないが、おおよそ1050人は避難していると思う。」

「そうですか。

であれば、順調にレギルジア方面へと避難しておられます。

距離にして3~5km程度ですね、追い掛けていただければ、貴方でしたらすぐ追い付けるでしょう。」

「そうか・・・。

良かった、他に追撃部隊はいなかったのだな。

本当に、良かった・・・。」


安心すると、力が抜け、膝をつく。

止めどなく涙が溢れてきた。


「トーリア、メッセナ、お前達の死は、無駄ではなかったぞ・・・。」

「・・・亡くなられた方がいらっしゃったのですね、申し訳ありません、間に合わなくて・・・。」

「いや、謝らないでくれ。

きっと、君が来なければ、私も、避難民も、無事には済まなかったことだろう。

君には感謝しかないのだ、責める気持ちなど一切ない。

死んだ二人も、この村の守護役として任務を全うしたんだ、きっと天国で君に感謝している。」


死なないで済めば、それに越したことはない。

越したことではないが、戦士とは戦う為に己を鍛え上げ、その戦力でもって力なき人々を守り、領の為に死ぬことがその誉れであり、誇りなのだ。

守るべき人々に死者を出さず、守り抜いた、それだけで、満足すべきなのだ。

自分はギリギリこの女の子のおかげで命を繋いだが、それも紙一重のところだった。

運が良かっただけで、自分も二人と同じく遺品も残らない状態になっていたとしても不思議ではなかった。


「・・・弔いは後になるが、必ず迎えに来るからな、トーリア、メッセナ・・・。

・・・俺は、あいつらの遺品を何かしら回収してから、皆と合流することにするよ。」

「分かりました。」

「・・・お名前を、伺っても、いいだろうか。」

「フミフェナ・ぺペントリアです、アレル・ベリシュートさん。」

「お、俺の名前を・・・?」

「失礼。

急がなければいけませんので、このくらいで、失礼致します。

・・・任務、ご苦労様でした。」


ペコリ、と頭を下げた幼女は、一迅の風となって姿が掻き消える。

任務、ご苦労様でした、か。

フミフェナ・ぺペントリア。

彼女は幼女の姿をしていたが、きっと見た目通りの年齢ではない、どこかの戦貴族の領の有力な戦士なのだろう。

『灰色』であんな戦士がいたら話題に上るはずだから、きっと『灰色』の戦士ではない。

・・・いや、見た目通りの年齢なのだとしたら、最近台頭した戦士なのかもしれない。

しかし、とんでもない戦士が生まれたものだ。

『白猿』は、守り神級の魔物として、レベルの低い部類には属していなかった。

アレルとて、討伐隊に参加したことはある。

流石に守り神級の魔物と直接対峙したりタンク役をしたわけではないが、その取り巻きを処理する役回りで戦闘には参加した。

その時に討伐した守り神級の魔物でレベル200はあったと聞いているが、『白猿』はその魔物よりもかなり強そうな気配を醸し出していた。

『鑑定』や『分析』を所持している者が調べなければ詳細はアレルにはわからないが、軽く見積もって220や230はあっただろう。

そんな魔物を、一瞬で、反撃も受けずに殺した。


「ありがとう、フミフェナ・ぺペントリア殿。」


彼女はきっとこれから、名を馳せる戦士となるだろう・・・。

アレルは遠い目をしながら走り去ったであろう方向を、10秒ほど眺める。

あれほど若い者が、あれだけの強さを手に入れる。

果たして、彼女は一体どんな生誕を経て、どんな修練を積んであそこまでになったというのか。

ブルリ、と、身体が震える。

その恐ろしさに震えたのではなく、今回のことで、発破がかかったのもあるが、自らのモチベーションの異常な高揚によって震えたのだ。

今回の任務が完了し、もし機会さえ得られるのであれば、もう一度、しっかりとレベリングに取り組んでみよう、そう思ってしまう何かがあった。

レベル100は無理であったとしても、出来ることがあるのなら、よりもっとレベルを上げるべきなのだ。

レベルが90もあれば、トーリアとメッセナを死なせることもなく、フミフェナ殿が到着するまで、彼らを守れたかもしれない。

自分にはまだまだやるべきことがある。


「とりあえず、村のみんなに合流しなくてはな・・・。」



「・・・ディーを含む完全耐性持ちを除いた、全ての敵勢力の討滅を確認致しました、ヒノワ様。」

「お疲れ様、フェーナ。

・・・レベルはいくつになった?」

「・・・480まで上がってしまいました。」

「だはははははははは、すっごい・・・。

・・・無事、なんだよね、フェーナ。

大丈夫だよね?」

「・・・大丈夫、ですが、ものすごく、眠くて・・・。

一区切りしたら、もう、寝ても、いいでしょうか・・・。」

「うん、大丈夫。

本当に良くやってくれた。

『灰色』の戦貴族として、貴女に最大級の感謝を。

論功行賞を楽しみにしててね、フェーナ、とんでもないことになるよ、フフフ。」

「いえ、まだ、一仕事残っておりますので、そちらを済ませたら、休ませて、いただきます・・・。

もうすぐ『標的』の巣が割れますので・・・。

しばし連絡が途絶えるかもしれませんが、ヒノワ様、御武運を・・・。」

「任せて。

フェーナにレベルは抜かれちゃったけど、私は強いんだ。

ここまでお膳立てされたなら、もう負けようもないよ。

ディーの首は、私がとる。

そっちは任せたよ。

フェーナの武運を祈る!!」」



「馬鹿な!!

一体、何が起こった!?」


魔の勢力の最上位司令部に詰めている者達にとっては、まさに青天の霹靂とも言うべき、想定外の事態が起きていた。

ディーが出撃し、ナーガの軍もカンベリアに投入した。

前線を『陰影』を使用して潜り抜け、浸透させた魔物達1万数余はその軍を20~30にも分け、バラバラに散ってあちこちの村々を襲わせた。

個の戦闘力であの化け物のような弓使いと盾使いを圧倒することは不可能でも、これだけの広範に亘る進軍ともなれば、只人族に成す術など一切なく、この攻勢でここ『灰色』の只人族どもはその前線を大きく後退することを余儀なくされ、後退した都市に避難した者達で都市は溢れ、増えた人口を養う為に食糧難が発生し、大幅な戦力低下が発生することが想定されていた。

いっそ言うなら、ここまで大規模に軍を展開して攻め込んだならば、この方面での攻勢はこのまま続けて、只人族の食糧を生産している穀倉地帯を荒らしまわり、相当の戦力低下が確認されれば、そのまま横進し、他領に攻め込むことすら考えていた。

それが、この様だ。

明らかに只人族の手に余る飽和攻撃だったというのに、ステルス能力で進軍し敵領地内に浸透させていた魔物達は、一匹残らず全滅させられた。

戦おうとした者、逃げた者、そればかりか見届け役として軍の布陣から外れた場所にいた者まで、一匹残らず、だ。

展開した範囲はグジから見ても非常に広大であり、グジですら全体を完全に管理できないと思えるほど数も多かった。

数的不利にある只人族では、どう考えても、いくらかは防げたとしても、距離的・数的・強さ的に絶対に全て完全に防衛・討伐できないと断言できる戦力であったはずだったが、目の前にはそのありえなかったはずの結果が示されている。

そして、カンベリアに詰めていた者達も、軒並み謎の能力で絶命した。

カンベリア以南から脱出できた自軍の者は、タルマリン・デルート、及びその救出にあたっていた上位眷属の10体のみだ。

ディーが灰色の弓使いに討たれた頃、ようやく上位眷属が司令部まで帰還するが、タルマリンもデルートも気を失ったままだ。

治療させている者からは、回復の見込みはない、と報告があった。


「・・・分かりません、タルマリン様、デルート様を護送していた者達を除き、全ての我々魔の勢力の戦士たちは絶命した模様です・・・。」

「『白猿』や『赤足熊』を倒せる者などいないはずだろう!

死体から何か分からんのか!?」

「残念ながら・・・。

斥候やスパイも軒並み全滅致しましたので、途中経過として報告のあった、全ての者が絶命した、という事実のみが判明しております。」

「なんなのだ・・・なんなのだ、これは・・・。」


戦力の摩耗どころではない、事ここに至っては、最早この方面に関しては軍としての体裁を保てないほどの状況だ。

まだ後方には魔物は大勢いるし、自分を前線に立たせろ、という血の気の多い強者はまだまだいるが、ディーを始めとしたほかを圧倒し、統率する強者・・・つまり全軍を率いることを許される強者がいないのだ。

統率の取れていない少数の魔物の攻勢など、今回の戦で全てに対処して見せた相手に通じるわけがない。

せめてタルマリンやデルートが復帰してくれれば、なんとかなるかもしれないと思ったが、せっかく救出したタルマリンとデルートも回復の兆しが見られないという。


「これでは、こちらの軍が崩壊する。

とても俺だけでは事態を収拾できん。

『彼の方』にお伺いを立てなければ。

最悪、俺は処刑されるかもしれんがな・・・。」

「グジ様、我々は一体、どうすれば・・・!?」

「分からん!」


ガン、と蹴り飛ばした机は、天井に衝突してバラバラに砕け散る。

そう、グジにも分からない。

自分が、いや、自分達が一体、何と戦っているのかすら理解できない。

ディーを倒したのは、『灰色』の戦貴族筆頭戦士、アキナギ家の長女にして当代最強の弓使い『灰』の称号を持つアキナギ・ヒノワ。

それは分かっている。

だが、自分達の軍を全滅させた存在についての情報が一切ない。

ここまでのことができる敵を、この段階でまだ秘匿する意味などあるのだろうか?


(・・・まさか、今回の俺の作戦を推測して攻勢を予想していて、あらかじめ強者をあちこちに隠匿して配備していた?

いや、だとしてもリストに名が上がるほどの強者は、ほぼ全てカンベリアにいたはずだ。

カンベリア外にいた強者も下位眷属をつけて監視・把握していたが、その中にこんな芸当の出来る者はいなかったし、その者達は近場の対処で精いっぱいという程度のクオリティの戦士しかいなかった。

一体何者だ・・・?

ツインテイル・タルマリンをはめた術者と同一人物か?)


ボタボタ、と、自分の体液が自分のあらゆる穴から漏れ出る。

あまりのストレスで内臓を傷めたかもしれない。


「グ、グジ様・・・?」

「ドウジダ・・・?」


世界が歪む。

いや、地面が沈む。

脚が沈んでいく。

複眼の視界が次々と失われていき、視界が狭まっていく。


「ナンダゴレバ・・・?」

「あ、あぁ、あぁぁぁぁ。」


司令部に詰めていた者達の呻き声が聞こえる。

断末魔の声だ。

何が、起きた。


「貴方が、蠅蟲人のグジですね。」


只人族の女の声が聞こえる。

年齢はかなり若い・・・いや、幼いと言っていい。

まさかレギルジアにいた幼女か?

しかし、一体何処からここに辿り着いた。

秘匿された森の奥深く、大地の窪んだ鍾乳洞の中に作られた司令部であり、以前にドラゴンの襲撃を受けた際には、ドラゴンの『目』を以てしても詳細な位置を探らせない攪乱の術式の結界があったはずだ。

いや、それ以前に、司令部の入り口を固めていた兵達はどうなった、この部屋以外にいた者達は・・・?

戦闘態勢を取らねばならないというのに、自分の身体は全身が溶けてしまったかのように、一切動く気配がない。

視界は、床しか捉えていない。


「ナニモノ、ダ・・・?」

「これから死んでいく貴方には、知る意味がないのではありませんか?

貴方のおかげで、苦労しましたが、こちらにもメリットはありましたので、敢えて苦しめることはせず、楽に死なせて差し上げます。」


あぁ。

自分は死ぬのだな。

おそらく、自分の策を全て潰し、仲間達を皆殺しにしたのは目の前にいる幼女だ。

タルマリンの救出隊を敢えて逃がし、追尾し、ここを突き止めたのだろう。

であるならば、タルマリンですら一瞬で昏倒した能力をここで使用したのかもしれない。

術式に長けるタルマリン、肉体能力で圧倒的耐久力を誇るデルートですら一瞬で瀕死なのだ、自分では最早、抵抗することもできない。

こんな化け物、これまで一切情報はなかった。

毎日、あちこちに下位眷属をばらまき、強者の情報を集め続けていたというのに。

計算外、だ。

タルマリン、ツインテイル、デルート、自分の眷属達、司令部要員、全てこいつに殺されたのか。

信頼を得て、北方方面のディー率いるこの軍に、効果的な戦果を期待して送り出してくれた『彼の方』に、なんと申し開きすればよいのだ。

これでは、折角の信頼を裏切ってしまうことになる。

死んでも死にきれないではない。


「ゼメデ、ギザマニ゛ギズビドヅデヴォ・・・。」

「・・・その状態では、それは不可能でしょうね。

他の方は見逃しても良かったのですが、・・・貴方はここで死んでいただきます。

カンベリアにこちらの主力が集まる日時を特定して戦略的に包囲し、こちらの目を欺きながらレギルジアにツインテイル・タルマリンを派遣し、波状攻撃にてカンベリアを完全に足止めし、後方を完全に破壊する為に構築された完璧な戦略。

広く薄く浸出し、数では勝り個々の基本戦力ではヒトを圧倒する魔の勢力の利点を活かしつつ、魔の勢力の本能とも言うべきアイデンティティーを抑え、戦略行動を徹底させた統率力。

そして、私の索敵能力ですら完全に欺瞞されるほどのステルス能力を、自分の眷属にスキルとして能力付与できる非常に優れたアビリティ。

ヒノワ様も称賛されておられましたし、私も貴方はまさに傑物であると感じました。

私がいなければ、きっとヒトの世界は、大損害を被り、最低でも復旧に数十年は要したことでしょう。

しかし、その優秀さ故に、申し訳ありませんが、貴方をこのまま捨て置くことはできません。」

「・・・ガノガダディ、ア゛デャマラダゲレバ・・・。」

「・・・『彼の方』がどこの誰かについて、貴方に問おうかと思っていましたが、貴方の気高さに感銘を受けましたので、やめておくことにします。

貴方の事は、ヒノワ様も、私も忘れません。

必ず、何処かから『彼の方』に伝わるよう、語り継ぎましょう。

貴方という傑物が存在し、ヒトは大きく苦しめられ、危うく危機を迎える所だったのだと。

大きく喧伝致します、これは貴方が亡くなった後の話ですが、お約束致しますよ。

『彼の方』に忠誠を示し、こちらに恭順することもなく、誇り高く戦い、果てた、と伝えましょう。」

「・・・ア゛ァ・・・ダラバイイ・・・。」


無念だが、ここまでの強者にならば、殺されてもいい。

いや、これほどの存在に手ずから殺されるほどの存在になった自分が、誇らしい。

仲間達や同族の者達には悪いが、これほどの栄誉を得た自分は幸運だった。

下手な雑魚や疎ましい他種族に殺されるのに比べれば、これほどの栄誉は望むべくもない。

タルマリンやデルートなど、手を触れさえされずに葬ら去られたのだ。

おそらくここまで来たのは、自分への称賛の配慮からのものだと考えるのは傲慢だろうか。

今回の大攻勢とも言える飽和攻撃を提案したのは自分だ。

この幼女は、おそらくそれも察知したのだろう。

飽和攻撃とは、言ってみれば過剰とも言えるほどの戦力投下だ。

それが、全てこの目の前の化け物に殲滅された。

過剰なほどに投入した戦力が全て失われるなどということは、想定すらしていなかった。

個としてけた違いの強者がいるのなら、相手にせずにその強者の周りを全て削ぎ落せば、只人族という種族自体を追い詰めることができると考えていた。

それは自らの考え不足、不甲斐なさも原因ではあるが、この化け物が自分の想像を圧倒的に超えたところにいたことも原因だ。

もはやここまでの存在であれば、開き直って賞賛するしかない。


“お前の力は、俺が知る限り最も強いものだ。

我が粒子も、お前の血肉としてくれるならば、これよりうれしいことはない。”


身体の崩壊に伴って失われたであろう声帯に該当する部位を使用せず、粒子の振動を使った震動伝達で伝える。

きっと、これが最期だ。

もう、一言もしゃべる余力はない。

全てを費やし、全力を尽くしてこうなのだ。

代償が自分の命だけでなく、他の者達の物まで含まれてしまうのは業腹ではあるが、致し方ない。

強者の実力の行使は、弱者にとってはいつどんなときでも、こんなものだ。

せめて、自分の生きてきた残滓だけでも、目の前の化け物の血肉となるならば、自分の生きた痕は残るというものだ。

この化け物はこれからもっと強くなるのだ、その血肉となった者の名前に自分も載ることだろう。

ならば、誇り高いことだ。


「勿論。

貴方の戦った証、貴方を傑物足らしめた全ての粒子は、私が一粒残さずこの身に取り込むことをお約束します。

私からの称賛が貴方にとってどれだけの価値になるかは分かりませんが、私は貴方に最大級の称賛を送ります。

そして、尊敬と称賛を以って、貴方の粒子を引き継がせていただきます。」


そういった幼女は、頭に手を触れた。

身体は最早グズグズに崩れていたため、痛みすら感じることはなかったが、体内に残存していた粒子達は、触れた手からまるで底の抜けた湖のように吸われていく。

まるで、天に昇っていくような感覚の中、グジの意識は失われた。

この時、グジにとっての長い1日が終わり、北方方面、『灰色の戦貴族』の相対していた魔の勢力の主戦力は全て消え去ったことになる。


「さようなら、グジさん。

貴方は本当に優秀でした。

きっとこの粒子達も私の中でこれから活躍してくれることでしょう。」


そう言った幼女は、その場から跡も残さずに消え失せ、彼女が立ち去った後、司令部の中にはもう何者も存在していなかった。

後に司令部の確認にきた者達も、建物に侵入してすぐ間を置かず、謎の現象でその姿が消滅、全滅する事案が相次ぎ、魔の勢力の側でも、旧司令部跡にはその後、誰も近寄ることはなくなり、封印指定となった。

戦が始まった後、伝令としてあちこちを走り回っていた生き残りの司令部要員が、『タルマリンやデルートほどの者でも即死に近い状態に至る、謎の術式を用いる只人族の術者がいることは当時、グジとディーの話に出ていた為、その術者がここにそれを仕掛けたのだろう』と伝えたため、以降は詳細な事後調査も行われることもなく、司令部跡を遠巻きに眺める程度の距離まで、ただただ前線を後退するだけにとどまった。



その日の出来事は、後に伝説として語り継がれることになったが、市井に詳細な通達はなく、都市伝説のようなものが広がったり、吟遊詩人が物語、詩として誇張したり尾ひれを付けて語るなどした為、その成り行きには様々な憶測を呼ぶ結末となった。

が、軍を統括する立場にある者達だけは、事実を聞かされていた。

『戦闘終了、撤収』の通達がヒノワから下され、鐘楼から降りてきた彼女の口から事後報告として、一部の幹部に向けてのみ、詳細が語られた。

自分達がカンベリアに躍起になっている間に、前線ラインを密かに抜けられており、その計画的な侵攻作戦は実に緻密であり、『灰色』の領地は存亡の危機に陥っていた、ということに、皆が驚愕した。

事実であるとすれば、自分達の失態でもあり、究極的に言えば領地を管理する『灰色』の戦貴族であるアキナギ家にも責が及ぶ話である。

どう聞いても、敵勢の大攻勢はこちらの取り得る手を大幅に超えた飽和攻撃であり、もしこれが『解決済み』であると聞かされていなければ、“終わった”と思ったことだろう。

もし、現況からその対策に追われていた場合、遅きに失しており、後手も後手、下手をするとヒトという種族自体が大幅な後退を余儀なくされた可能性すらあった。

背筋が凍るような思いは、ヒノワから解決済みである、という言葉を思い出して安堵に変わるが、落ち着いてくるとその安堵は、逆に、では一体どうやって解決したのだ、という疑問に変わった。

続く話にて、この人類の危機を解決したのはたった一人の戦士、しかも自分達の知らない戦士だったことが明かされる。

カンベリアの外で起きた事由については、全て『フミフェナ・ペペントリア』という者が対処した、というのだ。

彼女がいなければ、敵ハイオークキングを含む強力な援軍を含んだ軍勢の大攻勢によりカンべリアもかなりの人的資源への痛手を被っていたと思われたと報告があった。

ようやくカンべリアを取り巻く攻防戦でなんとか勝利を収めたと頃に、気が付いた時にはカンベリアは孤立状態に陥り、後方はかなり広い範囲まで焼け野原になっていた場合、救出や救援作業は先になった可能性もあり、ヒトの人口は大幅に失われていただろう。

そして破壊された村々や都市の復旧には最低でも数十年はかかっていたことは間違いなく、最悪の場合は他領、王都にまで影響を及ぼし、王都にまで敵勢が辿り着いた可能性があったとも語られた。

自分達こそが戦貴族麾下の戦士として、最上位に君臨する最強の軍であり、自分達こそがヒトの護り手であり、人々の命を救うのは自分達なのだ、という強い自負、誇りはこの事実を知って粉々に砕かれることとなった。

そもそも、ヌアダ、ベランピーナを除く上位陣はその女性戦士の名に記憶がない。

点呼や状況確認をある程度簡易で済ませた後、指揮官級が集まったブリーフィングでは、せめてその戦士に礼を述べたい、と各々の長が口に出したが、ヒノワからは後で紹介する、と言われ、一旦解散することになった。

戦後処理にあたっている部下達の元に戻った幹部達だったが、カンべリアの周囲の戦場の惨劇の具合を見ても異常にしか感じなかった。

自分達の知る人外レベルの攻防というのは、ヒノワとヌアダの戦闘シーンだ。

ヒノワの『矢』は地を抉り、クレーターまで作るような馬鹿げた破壊力の攻撃であり、その射程は数キロ以上に及ぶ。

ヌアダの『槍』と『盾』は、どんな刃物も通さないという地鎧亀の甲羅ですら易々と突き貫き、盾は防御よりもむしろ攻撃に多く用いられ、その打撃で魔物は爆ぜ散るような馬鹿げた威力だ。

だが、そんな戦貴族の最上位、最強の『武器名持ち』の者達でさえ、目の前に広がる、これほどのことは不可能だろう。

目の前には、血すら流さず倒れ、命を失い、灰と化した魔物の装備品の残骸のみが転がっている。

『フミフェナ・ペペントリア』という女性戦士が行った術式攻撃によって、カンベリア周囲にいた魔物達は、一部の魔物を除き、装備品のみを残しその場で崩れ去ったのだ。

自分達には、この惨劇が発生する10分ほど前には撤収命令が出ており、大急ぎで撤収を完了するよう指示があったのでバタバタしていて何が起こったのかはわからないが、城壁に上ってみた景色は異常に過ぎていた。

これが全て、一人の術者の仕業なのか。

いや、違う。

この場にいる部下達は、まだカンベリアの外で何が起きたのかを知らないが、自分達指揮官級、幹部、長と呼ばれる者たちですら全容は把握していない。

カンベリアの周囲の異常な惨状ですら、まだ序の口だ。

都市外で起きたことの詳細は、これから判明するが、ヒノワの口から聞いたその破格の戦果は想像することすら難しい。

数日を経て上がってきた報告書に記載された詳細を見た者たちは、その推測は正しく、上がってきた報告書は過去に自分達が見たことのないものであった。



終戦宣言の後、戦後処理・・・各部隊が、自分達が倒したと思われる魔物の残骸の整理であったりとか、敵魔物が装備していた装備品の回収・分別、魔物の輜重の確認と焼却が行われる中、北方より走って近付く戦士が目撃された。

伝令から話が伝わると、ヒノワの号令により、ヒノワやヌアダを含む戦士全員が城壁の前に整列し、出迎えた。


「お疲れ、フェーナ。

おかえり。」

「ただいま戻りました、ヒノワ様。

ヒノワ様もお疲れ様です。

わざわざお出迎え下さらなくとも、ヒノワ様のお部屋までお伺いするつもりでありましたものを。」

「戦功第一位をお出迎えするのは城主として当たり前のことだからね。」

「恐縮です。」

「さぁ、カンベリアに入ろう。

皆はまだ後片付けしないといけないけど、フェーナは私とお風呂に入ろう!そうしよう!」

「え、あの、ヒノワ様・・・。」

「ヒノワ様、欲望が前に出過ぎです。

やらなければならないことを忘れております。」

「なんだいヌアさん、野暮だなぁ・・・やらないといけない?」

「ダメ!です!」

「じゃあ、戦功第一位も帰ってきたことだし、やるよ!

我々の勝利だ!!勝鬨を上げろ皆の者!!!」

「「「「「オオオオオオオオオオオオオオオオオオーーーーーーーー!!!!」」」」」


フミフェナは頭をガシガシと強くなでられたり、もみくちゃにされながら称賛された。

その軽い身体は幾度も宙を舞い、いくらかの時間が過ぎると、今度は自己紹介と握手を求める戦士・指揮官が列をなしていた。

結局、戦場を片付けていた戦士達は、カンベリア内には戻らず、そのまま北壁に集まってフミフェナを中心に宴を開始し、重傷の者は一杯だけ、軽傷の怪我人は夜まで飲み食いした後、医療施設へ後送される運びとなった。

こうして、足掛け3日で終戦することになった戦は終了した。

万単位のぶつかり合いがあったにも関わらず、ヒトの死者はほぼ非戦闘員であり、戦闘に参加したほとんどの戦士は重傷の者もいるが、ほとんどの者が命に別状のない程度で済みそうであり、大勝利であると声を大きく宣言できる完勝となった。


後日、領内の各村落、集落の現地確認、道中の走査などが行われ、その報告書が提出されたのだが、あまりの荒唐無稽さに事実なのか数度の現地確認がなされるようなものだったが、報告書を確認したヒノワから全て事実であると確認が取れた為、そのまま発行されることとなる。

まとめられた報告書は、王都、カンベリア、レギルジア、灰色の領都を含め、主要な都市に向けて情報が共有されることとなった。


報告書の内容は、こうだ。

「概要報告。

『灰色』の対峙する魔の勢力はカンベリア攻防及びレギルジア近郊への浸出した殲滅戦にて、当方の反撃によりその主戦力の数割を失い、司令部・首脳部・下士官、将兵その全てが殲滅され、また、領内に潜入していたと思われる魔物も全て死亡した。

北方に残存する魔物は種族毎に分かれており、その統率は現在取れておらず、軍は解体され、統率を取り戻すまでには大きな混乱を生むと思われ、現況でも既に大幅な戦線後退が見られる。

前線進行については、他領とのバランスを見ながら押し上げていくか、戦略会議にて決定する。」

「戦果講評。

アキナギ・ヒノワ 敵将ディー:ハイオークキング、レベル342、敵将シュネルーク:蛇亜人、レベル240、敵将ディーの側近その他レベル280~300の魔物30。

ヌアダ・ファラエプノシス 敵将:ツァーゴ:獅子魔、フェネリス:白狐魔獣、共にレベル245、その他雑魚数千

フミフェナ・ペペントリア 敵将タルマリン:ナーガクイーン、レベル340、敵将デルート:ハイオークロード、レベル320、敵将ツインテイル:ダークエルフ、レベル200、敵将グジ:蠅蟲人、レベル289、敵将『白猿』:巨猿魔獣、レベル260、その他守り神級の魔物多数、その他強者雑魚を含む7万超

「フミフェナ・ペペントリアに関する戦果調査報告書。

この戦士はこの戦に関連するあらゆる場所で目撃された。

カンベリアの軍学校へ入学する為にレギルジアを出立し、カンベリアに到着したかと思えば、その深夜には再びレギルジア近郊へと舞い戻り、ダークエルフのツインテイル及びその軍勢7千を殲滅。

その翌日、再びレギルジア近郊へナーガクイーンのタルマリン、デルート及びその配下が転移して現れるも、それも間を置かず殲滅。

また、前線ラインの警戒網をかいくぐって進軍していた敵兵1万超が小部隊に分かれ、カンベリアからレギルジアの間に散在する集落・村落50の内、魔物の現れた32の集落・村落全ての襲撃現場を防衛、巨猿魔獣『白猿』など数十の守り神級の魔物も討伐している。

更には、タルマリンの遺骸を搬出する蠅蟲人グジの眷属を追尾し、敵勢力圏内奥深くに存在する敵司令部を強襲、敵司令部を殲滅し、敵指揮系統・ステルス能力付与により前線ラインを抜いての軍単位の浸出を担っていた最優先討伐対象、蠅蟲人グジも討伐した。

その戦果は絶大にして前代未聞であり、戦功は第一位とすべきであると強く推す次第である。その能力はヒトの護り手として至高のものであると評する。」

「フミフェナ・ペペントリア個人の調査報告書。

レギルジア生まれ、3歳8か月、『来訪者』であることは自他ともに認めている。

『来訪者支援機構』の庇護は受けていない。

身長98cm、体重不明。

父:レナルト・ペペントリア、母:オクスィーナ・ペペントリアの次女。

隠居している元商人の祖父、スヴェル・ペペントリアに師事し、幼年から様々な建材の開発に成功、アグリア商会の会頭アグリア・ゴーベルトに技術提供を行い、商会の売り上げを大幅に引き延ばす。

3歳を過ぎた頃に灰色戦貴族筆頭戦士『弓』アキナギ・ヒノワのスカウトを受ける。

レア・アーティファクト技術者のナイン・ヴァーナント技師と懇意にしており、共同開発にて専用武具の開発に成功、装備品としている。

今年度の軍学校新入生としてカンベリアへ移動、入学式直前に上級生とトラブルがあったが、当人同士に暴力行為は認められずも、その上級生は一命を取り留めるも、一時瀕死の状態に陥ることもあったようだ。

カンベリア襲撃と同時にレギルジア近郊の森にツインテイルが現れたことをいち早く察知し、ブリーフィング時に進言、取り入れたヌアダの計らいにより、単独行で討伐を実行、1時間も経たずにツインテイル及び数千の魔物を討滅。

戦果報告で訪れたレギルジアにて、都市で祀られている生命を司るとされる『女神ヴァイラス』の庇護を受けし巫女であると認定され、レギルジア都市長スターリア・モルスト・レギルジアからも都市として後援すると報告有り。

その翌日には転移能力持ちのタルマリンの転移を察知し、巨大な金属性鉱石を上空から落下させる大規模術式『メテオフォール』を事前に防ぎ、レギルジアを再び守り、タルマリン・デルートを含むレベル200超えの15~17匹の魔物を討滅。

ヒノワの依頼を受け、各方面の索敵・調査を行い、前線ラインを抜けてきた敵軍がいることを真っ先に調べ上げ、報告する成果も上げている。

カンべリア・レギルジア間の村々の防衛・侵攻・浸出軍の殲滅はほぼ全てこのフミフェナが行っており、詳細は戦果講評の通りである。

移動速度に特筆すべきものがあり、各村落を防衛した際に目撃された時間帯と距離を推定ながら計算すると、その移動速度は時速300kmを超えており、場合によっては時速400kmに達しているポイントも存在している。

その移動速度でもって敵勢力圏内奥深くに存在する敵司令部を強襲・殲滅。

しかもその道中に存在した全ての魔物も同時に殲滅しており、この戦で討滅した魔物は戦果講評通り7万に達することを認める。」





「この報告書に記載された内容は、全て事実なのですか?」

「書類に、ヒノワ様とヌアダ様の印が捺してありますので、間違いないものかと。」


領都に存在する最も大きな弓道場の脇にある座敷にて、報告書を受け取り、流し読みした青年は、報告書を持ってきた秘書にそう尋ねた。

内容を考えれば、そう尋ねるのも当然だろう、と、事前に一通り読んでいた秘書も思った。

だが、書類にくだんの二人の印が捺してあるとなれば、そこには事実しかないのだろう。

ペラペラとじっくりと書類をめくって内容を詳しく見直していくが、流し読みで見た内容は見間違いではない、やはり何度見てもとんでもない内容しか記載されていない。


「これは、王都・・・国王陛下にも送られたのだろうな。」

「はい。あと、ヒノワ様から、バランギア卿にも送るよう指示がございましたので、そちらにも送っております。

国王陛下直属の近衛騎士隊から、他の色の方々へも同様の報告書が送られるのではないでしょうか?」

「ふむ。

父上に相談しなくていけないが、一度、ここに招待・・・いや、私が出向いた方がいいかもしれないな。」

「アマヒロ様がご自身で向かわれずとも、おそらくこの娘は王都へと召集されるでしょうから、その際にこちらに寄るようご指示なさってはいかがでしょうか?

他領も、魔物達の進軍を確認しているとのことでしたので、おそらく各色付きの戦貴族の方々からも派遣要請があるでしょうし。」

「その可能性はあるが、ここまでの貢献者だ、こちらから出向くのが筋だろう。

この報告書が事実なら、おそらくこの幼女は王都へと召喚されることになるだろうことは間違いないが、次期領主として一度、王都へ向かう前に私の方からも挨拶をしておかなければいけないだろう。」


秘書は静かに一歩下がり、深々と腰を曲げた後、静かに扉を閉めながら座敷を出ていった。


「・・・これがヒトの未来に繋がればよいが・・・。」


灰色の髪をした青年は、カンベリアの方角を向いて、ため息を漏らしていた。


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