17話 友釣りの連鎖
少し時間を遡る。
とある建物の中では、濃密な気配を放つ亜人・魔物の上位種がテーブルを囲っていた。
並大抵の者では見ただけで卒倒するほどの強者達の集まりだ。
高密度の粒子を纏っているそれらは、騒々しく様々な伝達や指揮を行っている。
ここは指揮系統の最上位になる、司令部でもあるのだ。
だが、その中の数匹は解決しない問題を抱え、頭を悩ませているようだった。
「ディー、ツァーゴが戦死したそうだ。」
「・・・そうか。
グジ、ツァーゴの空いた穴を埋める戦力を向かわせてれ。
フェネリスの後衛にまだうちの獅子隊が温存されているはずだ、連中もツァーゴの穴があいたところに突撃させて戦線を維持させるよう伝達。
レイオルに手遅れになるようであれば、主力を残して後退するように伝えておいてくれ。
まだ半日にはなっていない。
場合によっては後退しつつ敵前衛を引き寄せつつ時間を稼がせろ。
・・・ツインテイルからの朗報待ちだな、進捗はどうだタルマリン?
もうレギルジアに攻勢は掛けているのだろう?」
「ツインテイルは・・・行方不明だ。」
「・・・は?」
ピタリ、と、司令部の喧騒が嘘のように静かになる。
騒々しく自分の仕事をしていた者達ですら、その一言に絶句し、伝達兵から目を離し、皆がタルマリンと呼ばれた個体へと視線を向けていた。
何せ、今出た言葉は、この場にいる誰もが想定していないものであり、それが事実であったのなら、今自分達のしている仕事を無に帰すものだからだ。
「行方不明だと!?
どういうことだ!?
レギルジアへの攻勢はどうなっている!?」
「それが分かれば、こんなに悩んでおらん。」
顔を朱く染めて激情を示す巨漢に、顔を青く染めて眉間をしかめる小柄な雌。
この二匹がこの場の最高位にあたる役職を担っている。
部屋にいた者達は、一度落ち着き、様々な自分達の職務を再開させながら、二匹の会話を聞き漏らさないよう耳をすませ始めた。
「ディー、それについては俺から報告しよう。
レギルジアに潜り込ませた只人のスパイと眷属からの報告が先ほど上がってきたんだが、ツインテイルの軍は全軍どこぞへと消えうせてしまったらしい。
奴らが布陣していた森を確認させたが、姿形がないどころか、移動した痕跡も、戦闘の痕跡も、死体も、ドロップした装備品もない。
何も残っていないそうだ。
残っているのは、ただただ静寂だけ。
範囲を広げて行軍ルートなども探させているが、今の所、かなり範囲を広げても痕跡らしき痕跡は何も見付かっていないようだ。
スパイどの報告からは、只人族側に寝返ったという形跡はない。
逆に、ツインテイルを討伐した者がいると噂になっている、という程度の情報がいくつか出ているが、あの都市にはそんな強者はいない。
何かしら事態に便乗した者だろうとは思うが、まぁ、その程度の情報しか今はない。
正確に表現するなら、痕跡もなく行方不明になった・・・『神隠し』だな。」
蠅の顔を持つ亜人種の雄が両手を軽くおどけるように上げ、“お手上げだ”というとても分かり易いボディランゲージを掲げる。
彼ら蟲人族は得てして腕の可動域が偏りがちで、本来上にあげることなどできないのだが、彼は特別“ヒト”に近い構造の身体を有している亜人に近い部族の出身だ。
その多眼にはその場にいる者達はほとんど写っておらず、よく見ればこの場ではないどこかの光景が映し出されていることに気付く者もいるだろう。
「死体やドロップ品はともかく、戦闘痕も移動痕がないだと・・・?
どういうことだ・・・そんなことがありうるのか?
布陣完了は確認し、たしかにそこにいたことは確認できたのだろう?」
「それはスパイ、眷属からも報告があったし、ツインテイル自身からも到着報告はあった。
ツインテイル自身もしくは敵方が到着後にその姿や痕跡を隠蔽したとしても、追跡できないほどの範囲を全て消し切れるとはとても思えん。
・・・そもそも、ここまで大規模に我が眷属たちを欺くなど、ツインテイルより上位の術者であってもできるとはとても思えん。」
「まぁ、そんな芸当が出来るのはグジくらいだろう。
どういった理由、芸当でツインテイルが行方不明になったのかは、今すぐ分かる状況ではない、この際度外視してもよかろう。
奇襲をかけるにしても、仲間内ですら連絡もなく痕跡もないのでは、戦力としては計算できん。
今後、どう対応するかが問題だ。
タルマリンよ、貴様の策は、レギルジアを落とすことは確定した前提での立案だったろう。
まず、レギルジアを落とさねば話にならん。
レギルジアを起点とし、カンベリア周辺を経由しない経路で奴らの勢力圏の内地に進軍し、奴らの対応が追い付かない速度で帰り道のない特攻を行い、只人族共の非戦闘員を虐殺しながら食糧源である穀物の畑に火を放ち、奴らのバックボーンを大幅に削り取ることで国力の低下や食糧不足、繁殖の可能な若い世代の個体を奪い、連中の領域拡大の出足を挫く。
連中の出足が鈍っている内に、こちらの前線の負荷を軽くした上で後方戦力の補充を行う。
攻め込んだこちらの戦力は間違いなく全滅するが、全滅する頃には只人族の後方はグチャグチャにできる。
戦力の補充は我々の方が圧倒的に早い為、これらを上手く繰り返すことによって前線への攪乱を行い、戦闘以外の突破口から内側から只人族を滅ぼす。
これは『彼の方』からの御指示に適う戦略であり、効果的だとみな理解していた。
だからこそ実行された作戦だったはずだな?
だが、事ここに至って、作戦の一歩目となるレギルジア攻略の、先槍となる別動隊のダークエルフどもがまとめて行方不明など、ありえんことだ。
レギルジアが落ちないとすると、一体どうこれから展開するつもりだ?」
タルマリンと呼ばれたのは、朱塗りのように赤い肌をしたド派手なカラーリングのナーガクイーン・・・上半身は女性、下半身は蛇という亜人だ。
容姿は非常に美しい妙齢の只人族の女性の姿をしている。
その容姿は非常に若く美しい姿を保っているが、年齢は軽く500歳を超えている、“大戦”を生き延びた『古き者』の一匹だ。
率いているのはナーガを筆頭とした水棲種族。
タルマリンに詰め寄っているのは、漆黒の肌を持つ長身で屈強な体型の亜人・・・俗にオークキングと呼ばれる亜人オーク族の最上位種であるディーという名のハイオーク。
野生の猪や豚のイメージとは程遠いほど精悍な顔付きにした壮年の男性の顔をしており、その巨躯はハイオークというよりトロール族に近いほどの大きさだ。
年齢についてはこの場の誰も知らないが、タルマリンとほぼ同年代であると噂されているので、概ね500歳前後だろうと推測されている。
共に、魔の勢力の戦力として最上位種のグループに属しており、そのレベルは300を優に超えている圧倒的強者だ。
北方領の魔物達の勢力を統括する連合軍の幹部がこの部屋に集結しているのだが、今回の作戦においては、タルマリンが軍師の長として戦略を練り、ディーが将軍の長として前線の指揮を執る、という陣容になっており、実質この部屋のツートップと言っていい。
魔の勢力においては、頭脳だけでも、強さだけでもトップまでは上り詰めることはできない。
この場にいるそれぞれが、皆、それぞれの部族の長であると共に、最強の一角の強者であり、最高の頭脳の一角の智者でもある。
ディー、タルマリンと共に机を囲うもう一人は、腕を組んで遠距離から眷属の斥候から情報を集めている情報収集・偵察・諜報を担うグジだ。
彼は蠅蟲人の亜人であり、今回のツインテイルの行軍を隠密化させた特殊な技術も持っている。
レベル帯は明らかにディー・タルマリンに劣るが、およそ280。
ツインテイルを大幅に上回っているが、それでも自分の肉体を前面に押し出すという武闘派ではない。
どちらかというと、眷属や術式を前面に押し出し、自分は矢面には立たない後方支援タイプの個体である。
非常に多様な眷属を多数持ち、しかも眷属で覆った仲間をステルス状態にして移動させることが可能という特殊アビリティ能力を持っていたり、他者を惑わせ操る精神操作スキルも窮めており、諜報能力に長けている。
生まれたのは“大戦”直後だが、それら特殊な能力を生かしながら300年間生き抜いてきた。あちこちの戦線へ移ろいながらも、かなり早い段階から各戦線のトップグループにその能力を重用され、その能力を評価されてきた。
偵察、諜報能力にも長けている為、最近は『彼の方』にも重用されており、彼よりも強者であるはずの魔物達ですら多くの者がその人格、経験、能力を信頼している。
彼がこの方面軍に派遣されたのは、戦貴族の最強候補の一角であるアキナギヒノワという弓使いと、それと同等であると言われているヌアダファラエプノシスという重戦士への戦力的な対策が、この方面最強であるディーとタルマリンを以ってしても困難であることから、それ以外の部分での戦略的な行動の為の諜報偵察を充実させる為だ。
魔の勢力の者達は、良く言えば正々堂々と暴虐の限りを尽くす者ばかりだが、悪く言えば良く調べず考えず脳筋のごり押しの者達が多い。
この場にいるディーもタルマリンもその筆頭なのだ。
『彼の方』が戦力の摩耗を抑える為に各方面で尽力しており、グジはその面での活躍を期待されていた。
彼の頭を悩ませているのは、今回の大攻勢で生じた様々なしがらみとストレスと謎だ。
今回の作戦は、大陸北方最前線である灰色の戦貴族の勢いを削ぎ、後方破壊による長期的な目で見た疲弊戦略のために計画された、後方支援都市の破壊と只人族の間引きを兼ねた作戦であった。
只人族は繁殖力が弱く、成体になるまでの成長も遅い為、戦闘力の低い幼体や母体を間引き、食糧を生産している田畑にいる非戦闘員や生活用品や武具を生産している工場などの設備を中心に襲うことで、前線の戦略補充をバックアップする後方都市の支援能力を奪う計画だった。
例え戦場でぶつかり合った結果、こちらの戦力の方が摩耗したとしても、只人族のただでさえ貧弱な繁殖力を更に低下させれば、将来的に戦力の補充速度の差でこちらが優勢になるだろう。
ゴブリンやコボルト、オークのような亜人族、獣系蟲系の種族のように圧倒的繁殖力で増える種族に比べると、只人族の繁殖力は彼らの1/3~1/10程度。
加えて、妊娠期間も1年と非常に長い為、制圧にかかった際には妊娠した個体や幼体の逃げ足も遅く、母体となる者達や成体になっていない幼体を減らすのは最前線の戦力を削るより圧倒的に容易い。
カンベリアという障害物がなければ、非常に良策であり、叶えば只人族の繁栄は大幅な後退し、こちらの勢力の拡大は間違いないだろうと皆が口を揃えて評した。
だが、まず、前段階としてカンベリアを襲い、単体で戦局をひっくり返しかねない戦貴族の化け物・・・ヒノワと呼ばれる灰色の弓を持った化け物、ヌアダと呼ばれる黒色の盾を持った化け物を足止めをする必要がある、という点がかなり問題視された。
各所から強い反対はあったが、レギルジアを完全に陥落させ、カンベリアをバックアップする敵後方を崩し、今後カンベリアを維持する力を奪い、将来的にこちらが優勢に出られる、そう強弁し、レギルジアは必ず落として拠点とする、という条件で各所に内諾を取り、タルマリンが強行したのが今回の作戦だ。
元々どう展開したとしても、ヒノワ・ヌアダ両名の撃破はほぼ不可能、下手に手出しすればこちらの損害が大きすぎること、その2名を除いた戦闘であったとしても大きな攻勢時には多大な犠牲が必要なことは全員が認識していた状況であるので、メリットが多大に得られるのであれば、ある程度の戦力の消耗は致し方なしと、各部署はこれを了承した。
カンベリアに戦貴族の軍勢が集まっている時を逆に見計らって攻め込み、足止めを行いながら、レギルジアに攻め込む主攻に気付かせないよう、意識を釘付けにする。
周辺の砦へも同時進行し、戦力の分散を強要し、逆にそれを相手に成功したと思わせ、後方戦力すらカンベリア周辺に呼び寄せることで、レギルジアを手薄にさせる。
確かに言葉だけを捉えれば良い作戦であるが、前述のとおり、この囮となる助攻は二人の化け物とその配下の化け物に準じる強者達の激しい抵抗を最低半日、可能なら数日は耐え抜かなければならない。
この過酷な任務を担うことになった3つの勢力は、全滅必至・・・生贄になることも、そもそも計画の段階から皆、了承の上だ。
上層部は、擂り潰されながらも最後の一兵まで戦え、そう強要したのだ。
ただでさえディーやタルマリン、グジですら直接対峙しないよう警戒している化け物達がフルメンバーで待機している城塞に攻め込むのだ、これまで摩耗してきている勢力は最後の一兵まで攻め続けたとしても、返り討ちに遭うのは勿論、数時間後にはその最後の一兵まで綺麗に消え失せるであろうことも確実視されている。
彼らの戦力程度ではカンベリアに集結している戦力に対して、どれほどの損害を与えられるのか分からない。
どう転ぶか計算できないという意味ではなく、与えられる損害が少なすぎて“損害を与えられた”と言っていいのかすら分からない、という意味だ。
暖炉にくべられた薪のようなものだ。
燃え尽きるまでの時間、それらはほんの少し場を暖かくするための火を灯し、役目を終えれば、燃え尽きた後に後片付けをされるだけ。
建物を燃やし尽くす火種となるどころか、くべられた暖炉ですら壊すことができない。
それそのものが彼らの住居を燃やし尽くすような業火とはなり得ない火種なのだ。
薪をくべた者は、暖炉の火種で住居に火事が起きないよう必要最低限の注意は払うだろうが、過剰に対策を行うことはないだろうし、小さな火種が暖炉の外に落ちたとしても消火に大慌てになる必要はないし、その程度の消火作業で怪我をすることはない。
薪である限り、その程度の、相手からすれば注意するほどもないことだ。
彼ら3つの勢力はあくまで助攻、いや、助攻という呼称すら当てはまらないほど衆目を集めるためだけの囮、消費されるだけの薪だ。
だが、薪にも価値はある。
手元にある薪を全て暖炉にくべるのであれば、そこには何か意図がなければならない。
それだけの犠牲を強いるのであれば、それに報いるだけの結果が伴わなければならない。
主攻については、情報漏洩が大きく戦果に関わる為、タルマリンはディー以下ここにいる誰にも大まかな説明しかなかったが、確かに全体の利益だけを考えれば納得できるだけの内容だった。
ツインテイルは、家主が暖炉の薪に気を取られている間に、裏手から蔵に大火を起こして放火し、家主の資産を一気に喪失させる主攻を担う予定だったのだ。
自分のいる陣営から『化け物』という良い意味で崇敬を帯びているディー・タルマリンも、レベルが300を超えていてもカンベリアにいる化け物二人には最上級の警戒を常に向け、如何なる報告があったとしても、その警戒を引き下げることはしないでいる。
他方面に展開している自陣営の方針も、似たようなものだ。
レベル300に匹敵する、もしくは更にレベルの高い魔物であっても、戦貴族の筆頭戦士は警戒に値する戦力を持っているのだ。
今回の作戦は、危険性の高いそれらをカンベリアに釘付けとし、レギルジアを攻める主攻に近付けない作戦を選択し、敵戦力を削るのではなく、将来的に敵戦力を担うであろう後方を狙う搦め手を選択した。
何せ、奴らは長くても80年ほどしか生きない。
一部の化け物を除けば、戦力として考えることができる兵士は生後20年~50年頃の者が大多数であり、それより若い者・年老いた者が戦力となる例は少ない。
であれば、連中よりも圧倒的に寿命の長い自分達魔の勢力は、只人族の寿命が尽きるのを待ちながら只人族の種族としての将来を先細りにさせ、直接的に手を下さずとも種族ごと滅びる。
いくら今化け物であったとしても、直接相対しなければ50年もすればおそらく戦力として役に立たないだろう。
そして、この作戦が成功すれば50年後、只人族の戦力はがた落ちであり、ただ一人が強かったとしても意味がないほど戦力差は広がっているはずだった。
消極的な戦略であり、本来であれば力押しをモットーとする魔物達には批難さえ浴びてもおかしくない作戦であったが、戦貴族の筆頭戦士を警戒している上層部ではほぼ全員が支持するほどよく出来ていた。
しかし、連中の警戒網は非常に網の目も細かく、単純に強い戦力を整えてカンベリア以外の前線を抜けようとしても、対策を講じられる可能性も高い。
であるならば対策が不可能な初見殺しの侵攻を行う、それしかない。
作戦を察知される可能性を減らす為、試行試験すら行わないほどの秘密厳守を徹底し、その作戦を直接知っているのはタルマリンとツインテイルのみ、概要を知っている者ですらディーとグジ、この部屋にいる参謀達くらいまでだ。
最初の一手で破壊的な損害をもたらし、相手の反攻が追い付くまでに蹂躙を開始、主攻が全滅するほどの損害を被るまでには敵後方を焼け野原にする。
それは魔の世界の前線を任された者の本懐とも合致する。
そういう流れで進められた作戦であったのだ。
例え、タルマリンが子飼いの勢力であるツインテイルを主攻に配しており、子飼いの勢力を強化することも副なる目的とした作戦をその作戦の一部に含ませていたとしても、この場の者達はそれすら好意的に理解を示すほどに、作戦成功の恩恵は大きいと見られていた。
それが、この体たらくだ。
そのような作戦を指揮してほしいとタルマリンに言われた時点で、ディーにとっては腹に据えかねる思いがあったとグジは察していた。
どうせ死なせるなら、自分達も全軍で攻め込み、いくらかでもカンベリアに損害を与えた後に撤退した方がカンベリアの敵戦力を削ぐ意味も目を集める効果あるだろうと『彼の方』に進言したが、それは『彼の方』から止められた。
曰く、『大きすぎる力のぶつかり合いは大きすぎる反動を生む』、と。
それがどういった意図だったのかは、ディーにも、タルマリンにも分からなかったが、大まかな意図として戦力の摩耗抑制を任されているグジにはその言葉の意味が分かった。
魔の者として癪ではあるが、只人族の最上位の戦力は格が違う。
ディーであっても、タルマリンであっても、その直属の親衛隊を率いても、おそらくレベル100程度しかない只人族に敗北する可能性が高いと見られている。
只人族の限界レベルはレベル100程度。
だが、レベル100であっても、レベル300の魔を倒す能力を有している者がいるのだ。
レベル100でも、『化け物』のような者もいれば、雑魚もいるし、同レベルであっても天地ほどの差がある。
戦って勝てるかもしれないが、『化け物』に当たった場合、大きな損失を被る可能性が高い。
負けた場合は、こちらの上層部が軒並み消えてしまうことになる。
おそらく、ディーやタルマリンが出撃すれば、確実に只人族の『化け物』がディーやタルマリンのいる場に向かってくる。
それ故の『彼の方』の判断だろう。
敬愛する『彼の方』が部下に本懐を遂げさせないよう尽力している心労もお察しするが、それを現地で補佐しながら実行している自分にも負荷は大きくかかっている。
そして、本来の自分であればそうするであろう、というポリシーを逸脱する作戦を取らざるを得なかったディーのストレスは、現在進行形で加速度的に上昇しているように見えた。
今回の作戦を採用するにあたり、ディーはタルマリンから捨て石を選べと言われ、灰色の戦貴族との戦続きで戦力が目減りしている、この方面の最前線を担っていた3勢力を選んだ。
そして、生き残った勢力のみ特別に待遇を良くするが、良い働きをしなかった勢力は取り潰す、という通告を出した。
『三つ目獅子』ツァーゴ。
『白狐』フェネリス。
『青蛇』シュネルーク。
彼ら、そして彼らの配下は、一縷の望みを掛けて今も尚、攻め手でありながら守りてに損害を与えられず、塵殺されていたとしても、カンベリアを決死の覚悟で攻め続けている。
彼らは10年に及ぶ間、軍勢を率いてアキナギ家と闘争を繰り返し、戦線を後退気味とは言え維持してきた、最前線を支える強者達であった。
忠臣である、と、只人族の世界であれば言えたかもしれない。
グジは、彼らが報われる未来を願ったが、魔の世界にとって、「長年頑張った」「犠牲を多く払った」ということは評価対象ではない。
逆だ。
存在として強者である魔の存在が、同じ魔の存在ならともかく、只人族ごときを圧倒しきれない、自分達よりも遥かに劣るレベルの者達を瞬殺できない強さしか持っていない。
戦貴族を知らない者達の発想は皆同じだ、『只人族を相手に犠牲を出してしまうほど弱い。』
魔の世界の評価基準からすると、栄誉ある前線を任せられるカースト上位に位置する者達の能力ではない、という評価になるのだ。
只人族は不味いから生かしているだけだ、調子に乗っているのならば喰い殺し蹂躙すればよいのだ、と。
只人族と共生していた亜人の『古き者』達は、只人族の裏切りに合い、ほぼ全てが殺されたと伝わっている。
只人族と共生していなかった『古き者』達は、只人族に対して逃げるばかりで何もしてこなかったことも口伝で伝えられた。
共生していた者達は、戦略的にその方が蒼き粒子の恩恵を受け易いと感じていたようだが、より強く成長する亜人達を自分達の勢力圏から排除したことといい、只人族と自分達とは相容れない存在であることは、それら歴史が既に証明しており、只人族とは滅ぼすべき不倶戴天の敵であると強く今この時まで語り継いでいる。
この点に関しては、グジも似たような感覚は抱いているが、300年を生きてきて、特定の箇所に留まらず、各地を転々としてきた身からすると、『存在として上位に座すものは、常に下位の者よりも優秀な能力を見せ続けなければならない』というレーゾンデートルは、生き辛いものだと感じ始めていた。
魔の存在にとって最前線とは最高の栄誉と己が存在の真価を問われる場所であり、そこで華々しく敵を屠り、多くの粒子を自らの物にし、更に強くなるための場でもある。
最前線で自分を強化し、その強さを大きく喧伝し、自らの強さを誇る晴れ舞台とする、それこそが戦場を与えられずに鬱憤を溜めている後方に待っている者達の望みなのだ。
例え、そこで強者とぶつかり自らが死んだとしても、それは強者に挑んだ結果であり、誇らしい死であり、それが仲間達への最大の貢献だ。
逆に、捨て石程度の価値しか見出されず、只人族程度に当て馬にされ、主攻を飾れぬなど、屈辱以外の何物でもない。
魔の者達は、100個体がいれば、100の個体がそう答える。
それ故に皆、自分に任せろ、自分にやらせろ、何年も戦い続けている者達など使い潰し、我等を最前線に送れ、我等こそ次代の花形となるのだ、と求めているのだ。
当然、その者達の考えでは、レベル100程度までしか上がらない只人族如きに遅れを取る者達は、落ち目である。
連中がダメなら、自分達の待遇を良くし、自分達を前線に出せ、戦ってやる。
只人族等何するものぞ、我等が皆屠ってくれる。
そういうモノ達がまだまだこの軍勢にはいるし、どんどんあちこちから湧いてくるのだ。
グジが台頭した頃から考えても、自分よりも若い者が自分よりも上の実力を身に付け、圧倒的強者としての格を身に付けていく者も、皆、最前線で戦い続けていた者ばかりだ。
自分の戦闘力を高め、他者に誇示し、蒼き粒子をその身に従える。
それが魔のレーゾンデートル。
魔の世界においての論理でいくならば、簡潔に言えば、『ここで滅びるならば、彼らはそこまでの存在だった』ということだ。
だが、ここで生き残り、魔の存在としてより強く覚醒したのなら、先は明るい。
何せ、只人族の精鋭の中の精鋭である最前線の兵たち、しかも戦貴族のトップレベルの戦士までいるのだ、彼らを倒してその身を喰らったなら、生き残った者達の戦力は他者を圧倒するほどに強大となるだろう。
そういう意味では、これは彼らにとって望んだ結果ではなかったとしても、死中の活、火中の栗を拾う、ということもあり得る、“トレジャー”も存在する戦場ではある。
それを手に入れることはおおよそ不可能ではあるが。
・・・相対した事がない者達には分かり得ないあの灰色の化け物と黒色の化け物の強さは、グジだけではなく、ディーも、タルマリンも知っている。
みな、彼ら3勢力の尽力を良く理解しており、その苦労を理解していたが、一方で魔の世界の論理の信者でもあり、魔のレーゾンデートルに抗う術はなかった。
相手を知らずに蛮勇のみで戦うことになる後方の者達よりは、彼ら3勢力の方がカンベリアを取り巻く前線の維持に対して様々な対処が可能であろうし、今後カンベリア近隣の戦線を維持するのであれば、彼らの積み重ねてきた経験がこの方面ではまだまだ活かしていけたはずだった。
グジは、どうせ死なせるなら血気盛んな後方の戦力を使ったらどうか、という提案をディーにしてみたが、あっさりと拒否された。
彼らの論理では、「華々しく散らせるならば、上に立つ者が華々しく散る戦場を用意して死なせること」も自分達の仕事だと考えられているからだ。
グジは圧倒的強者ではない。
故に圧倒的マジョリティの意見に逆らうことはしなかった。
心情的には、彼ら3勢力を使い潰すなら、せめて意味のある潰し方であってほしかった。
だが、このままでは、そうはならない。
ツインテイルがレギルジアを落とせないのなら、彼らはただ死ぬためだけに派遣されたようなものであり、その死に意味もなく、逆に只人族の戦士の強化につながった可能性もある。
犬死にどころではなくなるからだ。
「この戦のキーマンはツインテイルだっただろう!
お前の肝いりでもあったツインテイルならば、今回のレギルジア強襲制圧作戦をやって
のける能力がある、単軍でそれが担えると、そう言ったのはお前だぞ!!」
「・・・確かに、そう言った。
計画通り進めば、あの場まで辿り着いた時点で勝利は確定していたはずだった。
自分より格下の者を精神的に掌握する能力を持つツインテイルが都市内に攻め込めていれば、兵の損害すらなく敵の無力化が可能だとみていた。
奴より格下しかいないレギルジアは、奴の能力さえ発揮できれば簡単に制圧できたはずだからな。
グジの能力とツインテイルの能力を合わせた初見殺しをここで使ったのは、対策をさせないための、逆に言えば一回限りの切り札として採用したものだったからな。
・・・だと言うのに・・・。
あれほど意欲的に布陣も終えていたというのに、唐突に行方不明となるなど、・・・正直、どういったことがあったのか分からん。
逃走や裏切りの可能性は低いとは思うが、痕跡が一切ないとは、自分から逃げたのか、敵に滅ぼされたのか、その他の何があったのか、そのどれなのかも想像がつかん。」
「ディー、これはタルマリンを擁護するわけではないが、確かに我が眷属もツインテイルの現地到着、布陣を確認していた。
布陣後、武運を祈り、遠方から見届けることを、上位眷属がツインテイルと直接約束したことも確認できている。
にもかかわらず、今は我が眷属の偵察能力を使っても、奴らの軍の痕跡が発見できん。
現地の統率を任せていた我が上位眷属がツインテイルが気兼ねなく能力を展開できるように気を使って、奴の能力の範囲外に一旦下位の眷属を全て撤収させていたようだ。
おそらく、眷属が引いている数十分の間に何かあったのだ。
ツインテイルはあの森にいた、そして、戦意は非常に高かった、これは間違いない。
今現在、行方不明であることに気が付くのが遅れたこと、今現在連中の痕跡を追えないことについて、周囲の偵察・諜報を担っている者として申し訳ないと思っている。
完全に予想外だった故、対策が少し遅れている。
可及的速やかに状況を把握する為、レギルジアで増殖させた眷属を向かわせている。」
「分かった。
現地の状況については、グジに分からんのであれば、我々には尚更分からんことだ。
とにかく、このままではツァーゴ、レイオ、フェネリスは犬死にだ。
今更、レギルジア侵略は不発だったので撤退せよ、とは、とても言えん。
言っても、間に合わんだろうしな。
タルマリン、連中の死を無駄にしない策を考えろ。
それが貴様の取るべき責任だ。」
「・・・だが、ここから、一体どうすれば挽回できるのか、情報も不足している上に状況把握もできておらず、立案に躊躇はある。
全滅に近い状態になることは必至だとしても、可能な限り退かせるしかないのではないか。
元々、一兵も残さぬほどの犠牲を前提とした作戦だったのだ、損害については度外視するしかない。」
「犠牲を許容したのは、あくまで、レギルジアを攻め落とせる前提で、レギルジアを落とす時間を稼ぐ為に、という話だっただろう!!
その前提が果たされんのでは、ただの戦力の浪費だぞ!」
「確かに、その通りだ。
これは全て、完全に私の想定外の事態だ。
そこにいかなる理由があったとしても、この事態を招いた私の失態である。
・・・これから取れる手、か。
レイオ達が全滅する前に何か別の行動を起こさねばならんが、ツインテイルに『何か』を起こした謎の勢力の存在が気になるのだ。
場合によっては追加で派遣した部隊も同様に消え去ることになるかもしれん。
だから、悩ましいのだ。」
「まだ使い道のあった奴らを使い潰す計画を強行した責任を、取らねばならん。
我らが追いやったとは言え、ただの在庫処分ではないのだ。
『彼の方』も許されたのは、あくまで犠牲に応じた利益がある故、だ。
弱い者が滅ぶのは世の当然の流れとは言え、散る命は数万にも及ぶのだぞ、タルマリン。
入念に準備したという振れ込みを周知したのも逆効果だった。
知らない勢力か戦力が存在し、それらに主攻は謎の手法で滅ぼされ、助攻は全く何の戦果もなく、意味なく全滅しました、などと、表立って言えん。
それでは、我等の立つ瀬がない。
しかも公になっていなかったグジの秘術も使用した強襲だ、収拾をつけなければグジの秘術が発覚することにも繋がる可能性もあるのだぞ。
どちらも、我々の勢力を脅かす問題であり、貴様の進退を問う問題だ、後もない。」
「分かっている。
・・・策は考えている、少し待ってくれ、ディー。」
対策を話し合うディーとタルマリンを他所に、グジは腕を組み、目をつむっていた。
眷属から上がってくる様々な報告を処理するのに、視界は邪魔でもあるし、二人の話し合いに決裁の権限が一切ない自分のコメントは不要だからだ。
グジの目や耳には、眷属経由で戦場から上がってくる阿鼻叫喚だけが見えるし、聞こえる。
多眼持ちのグジは、その多くの視覚を眷属の視覚とリンクさせて共有しており、現地の状況を音声だけでなく視覚でも把握している。
カンベリアを取り巻く戦場周辺にグジの眷属は満遍なく広がっており、ほぼ全ての該当エリアを掌握していると言ってもいい。
だが、その広い戦場の何処からも朗報なんてものは聞こえてこない。
黒い盾の化け物が盾と矛を横薙ぎにするだけで、こちらの歴戦の強者が粉微塵にバラバラになる。
その配下の者どもも圧倒的な強さでこちらの強者を刺し貫き、切り裂き、圧し潰していく。
空から降り注ぐ雨のような矢の嵐は、一本一本もただの矢ではなく、生半可な刃物では傷も付けられない強靭な外殻、外皮を貫いてくる。
頭から矢を生やすもの、胴体が矢筒のようになったもの、蜂の巣のように穴だらけになり中身を撒き散らしたもの、様々だ。
その矢の嵐の中、生き残るのは少数の強者のみ。
だが、生き残ったとしても、灰色の化け物の放った矢が彼らを消し飛ばす。
グジが戦場に撒き散らしている眷属はこの世界で広く繁殖しているコバエの一種であり、3~5mm程度と体長は非常に小さく、矢で狙われ墜とされることなど通常なら有り得ないが、あの化け物の放った矢は別だ。
その矢は何処から飛んでくるのかも分からない。
着弾時にようやくその矢が放たれたことが判明するくらいで、何処から放たれたのか、どういう軌道で飛んできたのか、グジの広域を把握する能力を以てしても確認できないし、どうやったら可能なのか理解もできない。
その矢は地形を変えるほどの衝撃を生み、範囲内に巻き込まれたものは強者だろうと弱者だろうと、大型の魔物であろうと小さき者であろうと、大気であろうと大地であろうと、着弾した場所全てを球状に消し飛ばすような桁違いの破壊力の矢である為、放たれればその場にいる者達と一緒に、複数の眷属が一気に消滅する。
判明していることと言えば、その矢は10分程度のクーリングタイムを挟んで飛んでくる、ということくらいだ。
おそらく、特殊なスキルを使用して放っていると思われるので、そのチャージタイム、もしくは発動に必要とされる集中力の回復に時間がかかるのだと思われる。
ただ、放たれればほぼ防御不能という状況を鑑みるに、そこに含まれる破壊力の恐ろしさと、考えられないほどの精密な遠距離ターゲッティング能力を持っていることがうかがえる。
グジは色々な方面を転々としながら、既に300年近く戦線を渡り歩いているが、こんな弓使いなど、この化け物以外に聞いたことはない。
おそらく歴史上最強の弓使いと言っていいだろう。
戦場の惨劇を俯瞰し、ほぼすべての惨状を把握しているグジにとって、この灰色の化け物は絶対に相対を避けたい相手だった。
下手をすると、諜報能力持ちの自分は存在が知られた段階で、優先的にこちらの知覚範囲外からあの矢で狙撃され、気が付いた頃には死体も残さず消し飛ばされるかもしれない。
そう考えると、身震いすらする思いだ。
絶対に、絶対に自分の存在はこの化け物に知られてはいけない。
奴ら只人族どもは自分達、魔に属する者をさも化け物のように語っているが、ただ姿形が違うだけだ。
蟲人族であるグジからすれば、100年前に袂を分かつまでは同じ生活圏で同じように生活していた様々な亜人種を生活圏から排除した只人族には恨みがある。
唐突に亜人を殺し、土地を奪った只人族ども。
連中の方が余程、化け物である。
閑話休題。
カンベリアの眷属の感覚共調を進め、紛糾するディーとタルマリンを宥める良い報告を探してみたが、やはりない。
レギルジアの眷属からはいくつか動きのありそうな気配は感じたが、まだ明確ではない。
中途半端な報告はこの場には必要ないだろう、そう判断し、下士官に当たる上位眷属に情報共有の段取りを指示し、目を開く。
現地も、この場も、何処を見回しても、状況が良くなることはない。
「ツインテイルがもし滅ぼされたのだとしたら計算外の、それも規格外のなにがしかの戦力がツインテイルの布陣付近に唐突に沸いて、痕跡を残さずにツインテイル以下数千を一瞬で殲滅し、そしてまた消えた化け物がいた、ということになるが、そんなことが可能か?」
「タルマリンよ、それはないのではないか。
カンベリアに座したあの異常な弓使いが強いと言っても、数十キロ離れたツインテイルやその配下に間断なく対処し、痕跡も跡形もなく殲滅することは不可能だろう。
加えて、あの黒い盾を持つ男も、今この時も戦場にいるのは眷属の報告から間違いない。
いくら戦貴族が警戒に値する敵であるとしても、所在がある程度知れているということはその実行犯でないことは確定できる。
つまり、只人族どもの・・・アキナギの戦力でツインテイルに対抗できる戦力は、レギルジア近隣に存在していないということだ。
少なくとも、この辺りの只人族どもの戦力ではない。」
「だがしかし、そう仮定するならば、亜人、魔物、一体どこの勢力の者だ?
何故、ツインテイルを痕跡もなく消滅させる必要があったのか理解できん。
ただ強さを誇示したいのなら、惨殺し、喰らい、その強さを周りにひけらかすはずだ。
現地には戦闘の痕跡すら残っていない、そういった誇示の意図が見えん。
我が眷属が離れていた短い時間の間に数千に及ぶ軍勢の存在やその痕跡を全てを消滅させるなど、理由も方法も想像もつかん。
・・・その場にツインテイルが向かうことを知っていて、貶める為の理由を持つ者が何かを仕掛けていた・・・そういう特別な意図の行動があれば別だが、な。」
「何か思い当たる節でもあるのか、グジ。」
「いや、それは流石に今はない。
そういった情報や証拠も何も持っていないが・・・それを調べる為に、眷属も諜報員も追加であちこちに派遣している、勿論『身内』にもな。
多少全体の密度は下がるが、この際、情報の密度は度外視、広さを充足させる方針でいいだろう。
いずれ何かしら判明するはずだ。
分かり次第報告する。」
「助かる。」
「それと・・・別の続報だ。
斥候と工作員、両方からツインテイルの件に関連しそうな報告をあげてきた。
今日の午後4時から、ツインテイルを討伐した、と自称する戦士が領主主導で民衆に顔見世を行う、と通達が都市のあちこちであったそうだ。」
「ほう?
我らですら所在を確認できていないというのに、ツインテイルを討伐したと公に広めたのか?
プロパガンダの一環ではないのか。」
「さぁな。
潜り込ませてみるか?
今ならまだレギルジアには駒もいるし、確認させるくらいはできるが。」
「そうだな、頼む。
しかし、ツインテイル討伐を発表するということは、やはりツインテイルはレギルジアに攻め込んだのか・・・?
攻め込まれた、という話がなければ、討伐を発表などせんだろう。」
「いや、それはない。
レギルジアに潜り込ませている工作員からは、レギルジアでツインテイル達との交戦があったという報告は一切ないし、眷属も同様の報告を上げてきている。
レギルジア周辺で戦闘行為が報告されたのは、近隣にいたハンターどもが近隣にいた魔物を狩りに出ていた件くらいだな。」
「そうか。
まぁ、我々には現時点では察しようもないな。
グジ、引き続き、情報収集を頼む。
ディー、すまんが、カンベリアにいる者達で、間に合う者達だけでも逃がしたい。
獅子隊を先に退かせてくれ。
他には足の速い強い個体を選抜し、戦線を離れるように指示を。
防御力の高い鈍重な魔物を殿にし、可能な限りの速度で後退せよ、と伝えてくれ。
並大抵では追跡を振り切れん、多少強い駒にも犠牲になってもらうしかないが、その辺りも含めて指示しておいてくれ。」
「分かった。
それで、お前はどうするのだ。」
「後始末は付けねばなるまい。
行ってくる。」
「お前が?
・・・万が一のことを考えると、上層部にいるお前は敵の前に姿を見せるべきではないと思うが。」
「私は今回のことで降格か、処分か、何か沙汰があるだろう。
・・・私はもうどうなっても構わないが、このまま傘下の勢力を犬死させていたのでは、他の傘下の兵の意欲低下は間違いないだろうし、士気は今後上がらんだろう。
それでは私の後続の参謀職の者が困ってしまう。」
タルマリンは普段から尊大で、滅多に他者に笑った顔を見せることはない。
が、この時ばかりは美しい苦笑いを浮かべた。
後任の、後続の者のことを気にする、ということは、自らに課される処罰についてある程度想像がついており、留まるにしても、出撃するにしても、自分の命は失われる可能性が高いと考えているのだろう。
とすれば、出撃するならばこの際、自らの命は度外視で臨むということだ。
「それに、私には転移がある。
脅威があれば転移で戻ってくることも可能だし、責任も取らぬ内に、おいそれと死ぬつもりはない。」
「・・・デルート、タルマリンについていけ。」
「は。タルマリン様、私も同行いたします。」
「助かる。
私が死んだら・・・そうだな、ディー、お前が次の参謀を指名するといい。
きっと、皆従うはずだ。
私の死骸は、お前が喰らうといい。」
「縁起でもないことを言うな、タルマリン。
貴様には戻った後もやってもらうことがいくらでもある。
貴様が取らねばならん責任はまだまだあるのだ、そうそう死んでもらっては困るぞ。」
「ふ、では、また後程な。」
ス、と音も光もなく、タルマリンとデルートと呼ばれたハイオークがディーとグジの目の前から姿を消す。
グジの知覚範囲は辺り一帯全域を掌握するほどの能力を誇るが、タルマリンもデルートも知覚できない。
・・・加えて、タルマリン達が消えた後、知覚範囲内から強力な魔物達の気配も一緒に消えていったのが確認できた。
「ディー、何人かタルマリンと一緒に戦場に向かったようだ。
構わないか?」
「構わんさ、あれでも英駿のタルマリンと呼ばれた雌だ。
単騎で城攻めをするならやめておけ、とも言っただろうが、デルートを含め護衛がいるのなら、おそらくアレだろう、止める理由はない。
課された制限がなければ、俺も行きたいくらいだ。」
ディーはタルマリンに惚れている。
いや、種族的な意味では、繁殖も婚姻も不可能である。
繁殖行動くらいはできるだろうが、種が離れすぎている。
かと言って愛でる訳でもないが、ディーはタルマリンのいないところでは、タルマリンへの懸想を隠すつもりはないようで、グジも幾度もこういったディーの姿を見たことがある。
グジからすれば、蠅蟲人以外の種族の雌以外に興味も沸かないし、性欲など沸いたことがないが、只人に近い容姿を持つ種族の中では、タルマリンはかなり美しい部類に入るそうだ。
「はは、暴虐のディーと英駿のタルマリンが同じ戦場で暴れまわるなど、只人の歴史に名を残すことになるぞ。
・・・今後、この戦線はどうするのだ。
いくらこちらの戦力の方が只人どもよりも補充が早いとは言え、今回失った兵力は少なくはない。
あの頭のおかしい弓使いの率いる軍勢を相手に戦線を維持するのは難しくなったのではないか?」
「兵力の補充に関しては心配するな、戦線の若干の後退はやむを得んが、連中が増えるよりもこちらの戦力充足の方が圧倒的に早い。
それに、細く伸びた線の方が断ち切りやすかろう。
今回の敗戦については、損害は少なくないが、こちらの戦線が完全に崩壊したわけではないからな。
タルマリンが戻ったら戦線の再構築は奴に担当してもらおう。
それに、タルマリンが自ら出て行ったのだ、おそらくアレをやるつもりだ。
アレのもたらす飽和攻撃であれば、いくら堅い城壁であっても、多大な損害を与えることはできるはずだ。
只人は増えるのが遅い上に短命だ、こちらが勢力を取り戻す方が早かろう。」
「アレか・・・。
俺は噂しか聞いたことがないが、聞いた話が本当なら、確かにやる価値はある。」
「タルマリンが『彼の方』に何がしかの処罰されるのは最早避けようもない。
タルマリンなりに付けたいケジメがあるのだろう。
それに・・・ここで少しでも何かの成果を残さねば、今後の奴の立場はないからな。」
アレ。
転移という非常に便利かつ特殊な能力を持つタルマリンではあったが、何故特殊な能力とその名が知れ渡っていないのかと言えば、それの使用が本人の寿命に大きく影響する為、普段はその使用を控え、その能力を秘匿しているからだ。
一度転移すれば、数か月単位で寿命が減る。
タルマリン曰くは自分以外の何かを転移する場合、物量やその他の要因で増減するが下手をすると年単位で減るらしい。
魔物、亜人は一部の短命種(ゴブリンや蟲人などは基本的に只人と同じ程度)を除けば、何もなければ数百年~数千年は生きる。
大体の者は戦闘で命を落とす魔の世界であるので、寿命まで生きることは稀であり、寿命というのはあってないようなものだが。
ヒト型に近い亜人は只人の寿命に近付いていく為、この場にいる他の魔物や亜人に比べると、元々の寿命も長くはない。
加えて、タルマリンは生来ナーガクイーンとして生を受け、これまでの500年の人生で様々な場面でその特殊な能力を必要とし、使用してきた為、既にかなりの寿命を消費している。
必要と思った際は躊躇せずに使用してきたが、タルマリンが転移能力を持っているということを知っているのはここにいる幹部達くらいだろう。
それ故、禁じ手としてきた技がある。
一手で戦局をひっくり返すほどの破壊力を持つ奥の手であると同時に、自分の寿命を大幅に削り、体力のほとんども失う自爆に近い技である。
ディーが知る限り、300年前に一度使用したキリ、使ったことがないはずだ。
タルマリンはそれをやるつもりだ。
「最初からアレをやるつもりだったら、カンベリアの犠牲もツインテイル云々の話も必要
なかったほどの技だ。
己の命と引き換えになるかもしれない技など、参謀の長となった者がこんな所で使うものではないが・・・おそらく、当初とは違う形ではあるが、これで戦略目標は達成できる。
今回の失態へのケジメと戦死者達へのはなむけを兼ねるつもりだろう。
グジ、諜報員や偵察を下げておけ、上手くいけばあの都市は消し炭になるからな。」
「構わん、あとでいくらでも補充が効く。
タルマリンの覚悟、見届けさせてもらうとしよう。」
タルマリンが現れたのは、ツインテイルが布陣していた背の高い赤樫の生えた森だった。
タルマリンが術式の準備に入る前に、タルマリンと共に転移してきた側近達は周囲警戒の輪を広げ、臨戦態勢に入る。
短射程の術式を発動し、現地に術式の罠が残っていないか、遠隔発動式の術式が仕込まれていないか、遠隔監視の術式が仕込まれていないか等を確認しているのだ。
その全てを確認し、皆が『無し』との報告をする。
タルマリンが手を振ると、全員が輪を広げ始め、今度は防御陣形を整え始める。
そう、タルマリンの標的は『レギルジア』だった。
「ふん、確かにツインテイルの残滓が一切残っていないな。
どう思う、デルート。」
「私は粒子探知能力がそれほど高くないので、タルマリン様ほどの探知はできませんが・・・おっしゃる通り、ツインテイルの物と思しき蒼き粒子が一切見当たりませんね。
本当にここにツインテイルがいたのですか?」
「グジの報告では、眷属が確かにここにいたのを確認した、と言っていたし、私の方に
到着の報告もきていた。
グジからは眷属では痕跡が検出できないと聞いていたが、正直少し疑っていた。
私がここに来れば残滓くらいは見つけられるだろう・・・と思っていたが、確かに報告通り、何もない。
・・・いや、より正確に言えば、ここには、いや、この森には、蒼き粒子が恐ろしく少ない。ただただ生命の残滓が存在していない。
刈られるだけの森、か・・・哀れだな。」
生き物が寝床にする森は、地面にすら活気が溢れ、そこには生と死が数多も混在し、漂う粒子は濃密に漂い、数百年の時を経て粒子により進化した存在が森の主となることも多い。
だが、この森には、生物の痕跡がない。
樹木は生えているのに、雑草が少なく、地面は枯れている。
虫がいない。
花が咲いていない。
おそらく随分前に只人族どもに狩り尽くされ、森としての生を終えて、永い時が経っているのだろう。
森の木々は只人が必要に応じて刈り取る為だけに留め置いているだけだ。
ただただ、建材にされるためだけに存在する森とは、森を故郷とする自分から見ると、とても哀れに思えた。
随分昔に滅びた自らの故郷を思い出す。
虎獣族共との闘争で集落を滅ぼされ、湖畔の森の生き物は狩り尽くされ、木々は刈り倒され、森ではなくなった。
そして、焼け野原となったその土地は、その後、只人族の水源とされ、都市の一部と化してしまった。
随分昔の話でもあるというのに、未だに思い出すだけでもはらわたが煮えくりかえる思いだった。
自ら公に語ってはいないが、自らの故郷が滅んだのは、協力関係にあったはずの只人族共が虎獣族との闘争に際し、救援要請を無視し、一切の支援を行わなかったからだと思っていた。
当時、つがいだった雄や殺された子供達の事も思い出し、つい怒りのままに拳を叩きつけた樫の木は、中ほどでひび割れ、縦に裂ける。
若い樫の木だというのに、その内側からまろび出る仄かな蒼き粒子は、か弱い。
樹齢30年、いや40年にもならない若い樹木だろう。
タルマリンは術者としてかなり高位になる。
例え樹木であっても、詳しく見れば、いつ頃、どういう成長をしたのかということまで、粒子の状態から追跡できる。
並の追跡者が追跡できないような微かな残滓からでも、かなり詳細に追跡できるのだ。
そんなタルマリンだが、今降り立った地には、恐ろしいほどの粒子的空白が広がっている、ということしか分からない。
たしかに、粒子は漂ってはいるが、極小であり、森の外と比較しても極端に薄い。
通常は逆であり、生命に溢れた森が濃く、平野ともなるとかなり薄くなる。
そういう意味ではこの森には違和感を感じないでもない。
赤樫の森の長たる大木は、魔物化するほどの樹齢を重ねてはいないが、その樹体の大きさからすると、樹齢相当の粒子をしっかり吸収し、蓄えているのは見て取れる。
他は若い木ばかりなので、粒子の吸収能力もまだあまりないのかもしれない。
残滓があるとするならば、ここくらいか、と赤樫の大木の中も探っては見たが、やはり一切ツインテイルの残滓はない。
どう探ってみても、どこにもツインテイルやその配下の軍勢数千の痕跡がない。
彼らはこの場に存在していなかったのか?
グジは確かにここにいたと報告していたが、それも疑わしく思う程、ここには何もない。
配下に連絡を取って調査の進捗を聞いてみたが、この森に至るまでに通ったであろう行軍ルートの残滓についても、眷属が探した程度では全く以って見当たらないようだ。
遡って調査する限り、今のところ、レギルジアから数十キロ西に行った所で、ようやく眷属が探知できる程度の残滓が発見されたらしい。
そこから先の調査は、流石にこれからだと言っていた。
「ここまでの気配の無さとなると、ここには来ていないかのように感じるな。
まるで転移で残滓を残さないように、いずこかに消えたかのようだ。
・・・状況から見れば、到着の報告をしたグジの配下は、何者かに洗脳されたか幻術を見せられていたと考えた方が自然なくらいだ。
・・・我等の知らない何かしらの能力で消え失せた、いや、存在そのものが失われた、と考えてもいいかもしれんな。」
「確かに、そう思います。
・・・どう見ても、この森は戦闘になれば必ず存在する強者達の足跡がない。
・・・踏み荒らされていない。
確かに何か大勢の者が通過したような痕跡はありますが、いくらか切り倒された樫もありますから、只人族の木こりやそれを運ぶ者であったとしても見分けはつきません。
それに、戦闘行為が行われたのであれば、その強い踏み込みによって地面は掘り荒らされ、木々は爪痕や倒木など多くの戦闘の痕跡を残したでしょう。
毛の一本の痕跡もなければ焼け焦げた匂いもない、血痕もなく、血の匂いもしない。
この場にはそう言った、戦場にあるべきものがありません。
タルマリン様のおっしゃる通り、布陣した直後に何かしらの要因でツインテイルは残滓も残さず消え去った、というのも考えの一つかと思います。
グジ殿の眷属の報告でなければ、虚偽だと考えるレベルの痕跡の無さですからね。」
「・・・ツインテイルは、私の子飼いの・・・これから勢力を強めていくはずの者だった。
配下の者達も先が楽しみなほど優秀な者が育っていた。
これまで、反抗らしい反抗も受けていなかったし、今回潰す予定の3勢力を囮に別動隊としてレギルジアの攻略を命じた際に、私に自分が選ばれたことをとても喜んでいた。
あの都市にはツインテイルの好む物が多くあったからな。
都市に存在するアーティファクトを接収して良いか、都市内の収奪はどの程度許可されるのか、などの話もあったほど、やる気はあったと感じた。
なんならついでにヒトは全て殺していいかなどの確認までされたくらいだ。
つまりは、戦意は十分にあった。
逃亡や裏切りでないなら、おそらく戦闘に至ったはずだが、その痕跡がない、というのは良く分からん、何が考えられるだろうな?」
「・・・確かに、稀少品の収集癖のある彼女ならば、そのような物があるのならば嬉々としてあの都市に攻め込んだことでしょう。
ですが、現に彼女たちはまるで最初からいなかったかのように、何処にも存在していない。
何故消えたかについては、おそらくこの場では結論はでません。
ツインテイルが逃亡したにしろ、軍勢ごと滅ぼされたにしろ、今の我々にはそれを追う
能力を持っていません。
いないとは思いますが、タルマリン様のように転移能力持ちの者による、集団転移だったかもしれませんが、だとしても最早それらを探る方法がありませんから。」
グジの報告にあったヒトのツインテイル討伐の発表については、どう考えればいいのか。ツインテイルは、どうなった?
1)紫の戦貴族がグジの術式を暴いて、実はかなり早期からツインテイルを追尾していて、実は随分前に道中で紫の戦貴族に討たれており、グジの眷属は欺瞞に引っ掛かった線。
2)灰色、もしくは黒色の、戦貴族直系上位の者がたまたまツインテイルに何処かで遭遇、
その場で討滅し、1)同様にグジの眷属を騙していた。
3)グジの眷属が森を離れている間に未確認の他勢力と遭遇し、跡形も残さず滅ぼされた。
4)ツインテイルが軍勢ごと何者かに転移させられた。
ヒトが討伐の発表をするというのなら、1)もしくは2)だろうが、タルマリンのもとには、ツインテイル本人からの定時連絡と到着報告、グジの眷属による現地到着の監視報告がきていた。
現地の情報と上がってきた報告が、今タルマリンが考える状況と完全にあべこべで、一体全体何がどうなってこうなったのか分からない。
だが、只人共が戦勝に沸いているというのなら、式典の準備で慌ただしく準備をしていることだろう。
であるならば、祝宴の際中など、最も油断している好機であると言えるだろう。
グジの眷属の報告の続きを待ってもいいが、それでは期を逃すかもしれない。
最大の効果を発揮するのは、今だ。
何せ、術式には1時間ほど掛かる、さぁ今だと思ってすぐ発動できるものではない。
式典の盛り上がりを見せている頃に絶望の淵に叩き落すことで、今回の失態の溜飲を下げるしかない。
この術式で戦果を得たとしても、自分の先行きは暗いからだ。
「確かに、そうだな。
・・・私は私のやるべきことをやろう。
余計な話をした、すまない。」
「いえ。
・・・・ん・・・?」
デルートが気になったのは、森から1kmほど離れたポイントに、何かが高速で転がったような痕跡だ。
ツインテイルと同様、デルートも超視力の持ち主で、1km離れている所であっても肉眼で明瞭に状態が確認できる。
まるで、ちょうどデルートの立つ、赤樫の根本、この場から何かを吹き飛ばしたような・・・。
ピタリとした角度故に、デルートのセンサーに引っ掛かった。
「どうした、デルート。」
「いえ、なんでもありません。」
タルマリンは術式に集中しなければならない。
何かが高速で転がって地面を引き摺ったたような痕跡など、自分達のいる土地でもいくらでもあるし、何処にでもある。
たまたまここに立ってみたら角度的にピッタリあっただけで、もっとポイント近くから何かが転がったのかもしれない。
そんなものをいちいち全て検討していては、無駄な時間ばかり過ぎる。
探知術式には、一切何も反応していないのだ、気を緩めず警戒していればいい。
タルマリンはそんなことを気にせず、精密な大規模術式の段取りをしなければならないのだ。
そう思い、デルートは口を閉ざした。
「術式を起動する。
1時間程度かかるが、私はその間、完全に無防備になる故、すまんがお前達は私の護衛
を頼む。」
「お任せください。」
1時間後、ちょうどその頃ならば、只人族共のツインテイル討伐の戦勝祝いの最中だろう。
業腹だが、祝いを“流れ星”で祝福するのだ、連中もその豪華さに満足だろう。
15人のタルマリンの従者とデルート。
この面子だけで、今現在カンベリア攻防に参加している3勢力の軍勢の総戦力を大幅に上回っている。
護衛は従者に任せ、デルートだけでも目の前の都市に攻め込みたいところだが、『彼の方』からの縛りがある為、できない。
タルマリンとこの場の皆でレギルジアを滅ぼし、更にカンベリアにここから挟み撃ちを掛ければ、タルマリンの失態も拭われるのでは?と小さな欲も出たが、この術式を起動したらタルマリンはおそらく数か月はまともに動けなくなる。
欲は出さず、自分はタルマリンを護衛することに徹し、タルマリンはこちらの都市に大損害を与えることだけに集中する。
今回はそれで納得するべきか、と自らを制する。
「術式使用後、すぐに転移し、あの部屋に戻るが、その後は私は動けなくなる。
すまないが、私の部屋まで私を移動させ、療養の準備をしてほしい。」
「分かっております、御存分に。」
タルマリンを中心に布陣した15人は勝手知ったる仲だ。
タルマリンが術式の準備に入ると、万全の陣形で防御術式を発動し、警戒を開始した。
術式が起動するまでの準備に45分、発動した術式の微調整・制御に15分。
この術はそこまでいけばあとは術者の制御が必要ない、慣性任せの物理的飽和攻撃だ。
代わりに、その1時間は術者が完全に術式に縛られる。
それを理解しているデルートや周囲の側近達は、緊張感を持って周囲を警戒してくれている。
あまり彼らには詳しく話していないが、皆、察していた。
ツインテイルが滅ぼされたのなら、痕跡を一切残さずに消し去る能力を持つ者がいるのなら、それだけの強者がツインテイルと対峙したこの場の近くにいるという可能性も高いからだ。
タルマリン本人やグジの眷属、一緒にきた配下も周辺警戒の結界を張っている。
今の所反応はないが、油断は禁物だ。
何せ、ツインテイルがもし本当にここにいたという可能性を考えるのなら、グジの眷属達は報告通りに正常に索敵・偵察を行っていたということだ。
つまり、正常に索敵・偵察をしているグジの眷属の圏内を、何がしかの移動方法によって潜り抜け、素通りしたということでもあるのだ。
術式やグジの眷属による偵察諜報を信じていない訳ではないが、その仮定が考えられる状況であれば、警戒は厳に敷くのが間違いない対処のはずだ。
この術式は発動準備から発動後までしばらく完全に術者が無防備になる。
・・・この術式を前に使ったのはいつか自分以外は覚えていないのではないかと思うくらい年月が経ったというのに、側近や同僚は多くを説明せずともそれを覚えてくれていた。
ほんの少し、それを嬉しく思い、フ、と小さい笑みを浮かべたが、警戒にあたっている側近や同僚は気付いていないだろう。
・・・未だに、レギルジアからこちらに向けられた監視の目は一切ない。
おそらく、レギルジアではツインテイル討伐を謳う戦勝の祝いに沸き、祝宴の準備が慌ただしく行われているだろう。
もし本当に強者がいたのだとしても、祝宴の際中など、油断の極みだろう。
油断しているがいい、只人族ども。
・・・そして恐らく落命したであろうツインテイル、そしてカンベリアを攻めている3人・・・まだ死んでいないかもしれないが、おそらくそう遠くないうちに死んでいく彼らへの餞だ、只人族よ、都市ごとせいぜいド派手に砕け散るといい。
この術で寿命は30年40年くらいは縮むだろうが、最低でもまだ150年は生きていけるはずだ。
当初は使うつもりはなかったが、危機を退けて戦勝に沸いているというのなら防備はともかく、こちらへの警戒はかなり緩んでいることだろう。
そして、発動してからは最早タルマリンですら制御できない、都市を丸ごと破壊するほどの飽和攻撃だ、気付いてからでは最早避難も防御も、あらゆる対処が不可能だ。
術式の始動に気付いたとしても、発動までにデルート達を突破するのは只人族どもの生半可な戦力では不可能。
自分が寿命を消費する覚悟をし、ここにこの布陣で至った段階で、最早あのレギルジアの滅びは確定したようなものだ。
ブン、と、術式に吸い取られた寿命が、一気に自分から減っていく感覚がする。
この感覚は久々だ。
自分の寿命と体力を大幅に吸い取るこの術式は、タルマリンが開発した、他者には使えない部類の奥義でもあり、禁呪でもある。
この術式がもたらす膨大な被害によって、タルマリンの存在への警戒度が上がる可能性は非常に高い。
この術式を使用したのは300年前の大戦、1回のみで、大戦を生き残りの中でもこの術式の存在を知っている者はかなり限られるし、使用した者が誰で、どういった術式であったのかまで知っている者は更に限られる。
自分の知っている限りでは20人以下、自分が知らない者を含めてもおそらく100人に満たないと思っている。
それほど秘匿にこだわって今まで秘匿していた為、今までは自分の名を知る只人族など皆無だっただろう。
だが、今後はおそらくこのタルマリンの名は奴らの歴史に刻み込まれることだろう。
あと200年程度しか残っていない寿命で、一回で30年40年も寿命を削る術式など、そうそう何度も使えるものではないが、この術式の被害は自分でも驚くほどのものだ。
今後、おそらく死ぬまでに1回が限度だろうな、とは思うが、自分以外にそんなことが分かる者はいない。
余計なことは考えずに術式に集中する。
が。
15分ほど術式に集中していると、・・・バタ、と、目の前にいた側近が、唐突に倒れ込んだ。
なんだ?
続いて、自分の背中側からも、バタ、と倒れる音が聞こえる。
バタ、バタ、バタ、順番に側近達が倒れていく音が聞こえる。
どう見ても、彼らは呼吸どころか生命活動すらしていない。
唐突に事切れた。
そして、発動中の術式の出力チャージが停止し、フリーズ状態のまま動かなくなってしまった。
集中が途切れたか?と思ったが、自分の術式の手順、段取りは間違えていない、何かがおかしい。
「タルマリン様!!今すぐ転移でお戻りください!早く!!」
デルートが叫ぶ声が聞こえる。
いや、だが、もう手遅れだ。
近接戦闘型の極みにあるハイオークロードに手がかかったデルートとは違い、自分は術師型のナーガクイーンだ、体力はデルートよりもかなり劣る。
デルートの声がかかった頃には、既に動けないレベルにまで脱力してしまっていた。
腕は上がらないし、転移の反動に耐える為に必要とする体力を既に切ってしまっている。それに、転移の為に必要とする様々な思考・計算はかなり複雑で、万全な状態で完全な転移を行えない場合、地面に埋まったり最悪他者と超高密度で融合し、結果その圧力に耐えられず、融合部分が爆裂、微塵と化す。
まだ空中ならいいが、地中の大岩や水中奥深くに転移したら、この体力残量では助かる術はない。
ただでさえリスクが多いというのに、ここまで衰弱してしまっては術式の起動すら危うい。こんな状態では絶対に実行できない。
・・・何が起きたのか全く分からない。
周囲の近接戦闘型のナーガやデルートが倒れるほどの事態だというのに、術師型の自分が死んでいないのが不思議だ。
側近達は既に事切れ、今、生きているのはデルートとタルマリンだけだ。
そして、事切れた側近達の身体から立ち上るはずの蒼き粒子は、一切漂わない。
身体から湧いた瞬間、どこかに消えていくのがタルマリンの目には見えた。
「な・・・なん・・・だ・・・?」
「く・・・どこにいる、卑怯者!!
正々堂々、我々の前に姿を現せ!!」
膝をつきながらも、堂々たる姿で威勢よく声を出しているデルートだが、近くで見れば体のあちこちから・・・目や耳、鼻、口や全身の毛穴から流血しており、手や足、膝、肩はガクガクと震えている。
気付いていなかったが、自分も同様、あらゆる穴と言う穴から出血している。
数秒程度は倒れずに耐えていたが、徐々に力が入らなくなり、直立状態を保てなくなる。
タルマリンはうつ伏せに倒れ伏せ、自らの青い血の池に倒れた。
地面がタルマリンの青い流血に染まっていく。
数秒後には、デルートもあえなく大地に倒れ伏す。
自分ほどの高位の術者が、デルートほどの豪傑が、成す術もなく倒れることになる。
タルマリンにはもう何が起きているのか、全く理解できなかった。
「タル・・・マリン・・・様・・・。」
「すまん・・・デルート・・・。
どうやら、我々はここまでのようだ・・・。
最早、口を動かすのが、精いっぱい、だ、・・・。
術式も、まったく、動かない・・・。
グジと、連絡を・・・取るだけの余力も、もう、ない・・・。
こちらに、気付いて・・・くれると、いいが・・・。」
「何が、起きたの・・・ですか・・・。」
何が起きたのかなど、タルマリンの方こそ聞きたい。
自分のレベルは340にも及ぶ。
自分よりも強い者には出会ったこともあるが、自分よりも上位の術者というのはついぞ聞いたことがない。
『彼の方』を含めて自分より上位の存在は既に知っているので、全世界で見れば何匹かはいるだろうが、この方面には存在しないはずだ。
転移直後には、この地に、呪いや設置式の罠、術式が張られていないことは確認している。
監視の術式や、遠隔攻撃の術式、こちらをターゲッティングするその他の術式がないことも合わせて確認し、自分達は安全だと判断していたのだ。
既存の罠も監視も無かった。
そしてその後、新しい術式も向けられていないし、ここでは何も発生していない。
今現在も、何の気配も感じられない。
というか、そもそもここまで粒子濃度が低いと、強度の高い遠隔術式など不発で終わる可能性が高く、発動したとしてもとても使えたものではないはずだ。
だというのに、自分達は倒れ伏している。
何かが、おかしい。
しかも、デルートと自分だけ、殺せるのに殺していないような、そんな気配を感じる。
「はー、なんとか間に合いましたね、良かった良かった。」
唐突に沸いて出たのは、ゴブリンよりも小さな只人族の・・・雌?
それもかなり幼生だ。
術式起動前に側近が張った探知術式の結界の半径は10kmにも及んだはずだが、10km圏内には何の反応もなかったはずだ。
只人の雌など、いくら小さいとは言え、そこにいたのであれば探知し、報告があったはずだ。
だというのに・・・この雌は一体、何処から湧いて出た?
まさか自分と同じ転移能力者・・・。
いや、まさか、ツインテイルを討ったのもこの雌か。
「貴女がタルマリンさんですか。
いやー、爆釣ですね、美味しすぎて本当にビックリなんですが・・・。」
「なん、だと・・・?
何者だ、貴様・・・一体、何を、した・・・?」
「・・・これから絶命する方に説明する意味、ありますかね?
ん、どっちかというと貴方がたが事切れる前に色々教えてもらいたいんですが。
『貴方、大規模術式でレギルジアに何しようとしてました?』」
ドクン、と、タルマリンの心臓と脳に妙な脈動が混ざる。
洗脳や精神攻撃・・・?
いや、その手の攻撃であったなら、タルマリンは装備品でほぼ完全な耐性を得ている。
身体が全く動かなかったとしても、抵抗できたはずだ。
だというのに・・・抗えない。
「多数の小隕石を召喚転移させる大規模転移術式、『メテオフォール』で、都市ごと破壊す
る、つもり、でした・・・。」
「何それカッコいい・・・。
そのメテオフォールについて、詳しく。」
目の前の雌は目を輝かせながら、顔を近づけてくる。
いや、輝かせながら、という表現は語弊がある。
この雌の瞳は赤く染まっている。
まるで吸血種族のような濃い、朱よりもどす黒いブラッディアイだ。
「名前からすると大魔法・・・いえ、相当な大技っぽいですが、貴女固有のスキルやアビリティですか?
それとも種族特有のなんらかの特殊な能力?
媒体や触媒、消費する物や回数制限があるやつですか?」
「任意のポイントへの転移を行うことができる固有アビリティと、それを生かしたスキルの複合技です。
小隕石の基になる金属を多く含んだ巨大な鉱石を空気も薄くなるほどの空高くに転移させ、任意のポイントまで加速し制御しながら落下させ、落下地点の周囲を圧倒的重量落下による衝撃と熱で全てを破壊する術式です・・・。
100年の間、鉱石を溜め込んでいたものを使用しようとしました。
また、転移は寿命を消費して使用するスキルであり、今回のメテオフォールで推定30年から40年分の寿命を消費しました。」
有り得ない。
全て、喋ってしまった。
デルートも目を見開いてこちらを見ている。
喋ったタルマリン自身も信じられない。
「なるほど、・・・うーん、ちょっと寿命消費型のスキルは使いにくいですね・・・。
アビリティ前提っぽいですし、後天的な習得も難しそう。
それにヒトは魔物より寿命短いし、ちまちま転移して寿命摩耗したり、大技使って30年も消費してたんじゃ割に合わなさそう・・・要らないかな。
瞬間移動とかテレポーテーションとか、あったら便利かなと思ったんですが・・・。
寿命消費型のアビリティだと緊急避難用か特攻用にしか使えないかな?」
「き、貴様・・・私に、何を、した・・・。
今まで、こんな、術式、聞いたこと、も、ない・・・。」
目の前にいる幼い雌は、うつ伏せに倒れ伏した私の頭に手を頭に乗せてきた。
ボウ、と触れられた部分が熱くなる。
思考が掻き乱され、悶絶しようともするが、身体に一切の動きはなく、全て無為に終わった。
「なるほど、英駿のタルマリンと呼ばれたナーガクイーン、タルマリン・ナーガル・ナー
ガさん、と。
大陸北部の魔の軍勢の参謀長・・・!?
めちゃくちゃ大物じゃないですか、これ食っちゃって大丈夫な奴かなぁ・・・ヒノワ様
に聞いてからなんとかしようかな・・・。」
「き、さま・・・タルマリン様の素性を何故・・・。」
「他人様から聞いた情報はアテにならなさそうなので、ご本人の頭から情報だけ貰いまし
た。
で、貴方は、黒き暴風と呼ばれたハイオークロード、デルートさん、と。
なるほど、北方の魔の軍勢の大将格のディーさんの最側近、と・・・。
これはこれは・・・本当に、下手に殺してしまわなくてよかったです。」
「ば、化け物め・・・貴様、一体どこの勢力の者だ・・・。」
おかしい。
デルートも自分も、既に倒れた者達よりは回復力に優れている。
この謎の只人族らしき幼い雌が話をしている間に、術式を練ったり攻撃したりする余力は少なからずできるだろうと思っていたが、二人共一切回復する気配がない。
それどころか、より脱力が進んでいるような気すらする。
それはデルートも感じているようで、手を握ろうとして握り込めないことに違和感を感じているようだった。
「ヒノワ様、今、よろしいでしょうか。
ご相談なのですが・・・。
えぇ、いえ、ちょっと別件でして・・・はい。」
恐ろしいことに、唐突に話し始めた目の前の雌の話は、捕らえた捕虜の処遇の話ではなく、捕らえた獲物の処理方法の話だった。
術式の気配が一切ないが、おそらく遠方との通信術式だろう。
物騒な話ではあるが、魔の世界であっても、同様ではある。
捕らえた只人族の強者の処遇など、大半は戦功のあった者に邪魔な物だけを剥いでそのまま食わせるのが一番の報酬だ。
それが自身の存在強化・存在進化に繋がるのだ。
ただ、只人族は肉体に含有する蒼き粒子がそれほど多くなく、豊満に蒼き粒子を内に秘めた魔物に比べれば味は相当落ちる、というか、不味い。
研究者に以前聞いたところ、おそらく只人族側も消化器官も、魔物の粒子濃度の濃すぎる肉体は消化器官で消化しきれず、食するのに適さないものらしく、特定の食肉に向いた魔物を除いて、基本的に魔物を食糧代わりとすることはないだろうと言っていた。
であるならば、この雌も自分達を殺す意味は特にないはずだ。
自分もデルートも、軍の上層部・・・この方面においては、最上位に近い位置にいるのだ、普通であれば捕らえられた只人族の貴人や幹部との交換材料として捕らえたままにする、というのが通常の手順であろうに、目の前の化け物は一切そんなつもりがない。
「ま、待て・・・。
このお方は、軍の幹部・・・。
無力化されるのは、致し方ない、だろうが、命を奪う、のは、やめておけ。
我等、魔の軍勢の、総力を、結して、貴様を、殺す、ぞ・・・。」
デルートの精一杯の言葉は、目の前の雌には一切響いていない。
倒れ伏した自分とデルートを見つめる瞳は、倒した敵を見下す瞳ではなく、完全に食糧を見つめる飢えた獣のような瞳だ。
体長は1mもないだろうに、その圧倒的な佇まいからもっと大きな・・・成年の巨人族のような圧倒的な存在感を感じる。
少し考えた素振りを見せた後、雌はゾクリ、と恐怖が浮かぶような笑顔を浮かべた。
違う。
この雌は、戦貴族の戦士達のような魔物討伐の使命感に燃える者とも、戦闘に飢えて日々戦闘に明け暮れる戦闘狂とも違う。
この笑顔は、それらとは精神的なモノが異なっている。
デルートの言葉を聞いて震え恐れるのではなく、『ほんとに?もっと美味しそうなのが来るの?食べていいの?楽しみ!』というような、嬉しそうな・・・そう、美味しい食糧を目の前にして翌日も同じ物が食べられるぞ、と教えられた子供の歓喜の顔だ。
無事に帰されることはないだろう、とは思っていたが、自分も、デルートも、おそらく『喰われる』。
『静黒』ツインテイル。
『三つ目獅子』ツァーゴ。
『白狐』フェネリス。
『青蛇』シュネルーク。
この4者とその一派、デルートを始めとした自分とディーの側近まで失い、仲間達にどれだけ迷惑を掛ければ自分は気が済むのだ。
自刎が叶うのなら自刎したいと願うほど、自らに憤る。
失敗した。
そして理解した。
自分達の作戦が失敗したのは、この雌が原因だ。
レギルジア強襲制圧の計画を立て、実行に移した後、この雌が何処かから湧いて出たのだ。
こんな化け物がレギルジア近辺に潜んでいたなど、完全に計算外だ。
もしここまでの存在が事前に発覚していたなら、グジが必ず教えてくれたはずだ。
この化け物が湧いたことは、おそらくグジにすら気付かれていなかった・・・つまり、自分達の勢力は誰も気付いていなかったのだ。
であるならば、やはりツインテイルの定時連絡やグジの配下の到着報告は正しく、彼女らは間違いなくこの森に来たのだ。
そして、この化け物に殲滅され、どのような技かを行使され、その残滓すら残さず消し飛ばされた。
もう抗う気力も体力も残っていない。
何せ、自分達も一切、戦闘痕すら残すことなく完全に無力化された。
そして、絶命した配下や仲間達からは一切、蒼き粒子が、生の残滓が漏れていない。
彼らは非常に強力な個体だ、死んだのなら、膨大な量の蒼き粒子が放出され、大気は粒子で満たされ、蒼く輝いたはずだ。
それが、ない。
どう考えても、自分の知る法則がこの場では働いていない。
この森の異常なまでに希薄な蒼き粒子の気配は、この雌の術式が原因である可能性が非常に高い。
「一体・・・何なのだ、貴様は・・・。」
「ただのヒトですよ、タルマリンさん。
ヒノワ様から、情報を搾り取ってから『食べる』ように、と指示がありましたので、しばらく頑張って生きてくださいね、タルマリンさん、デルートさん。
とりあえず、あちらの方々の分をしっかり頂いてからこちらに戻ってきますので、そのまま大人しくしていてくださいね~。」
ざ、ざ、と歩いて行く小さな雌が10を超える配下や仲間達の遺体に近付いて行くと、不気味な流れで強制的に遺体の蒼き粒子が失われていくのが見て分かる。
まるで滝壺の底が抜け、たたえられた水が大蛇に飲み込まれるように、一気に失われていく。
遺体に存在していたはずの蒼き粒子は全て飲み干され、枯れた川底のような乾いた空虚な枯れ果てた姿に成り代わり、優しい風が吹きすさぶと、まるでそこに今まで何もいなかったかのように、フワッと、大気に霞んで消えていった。
時を置かず、小さな雌の髪がザワザワ、と、波打ったかと思うと、見たこともないほどの圧倒的な蒼きオーラが一瞬立ち上る。
が、そのオーラの撒き散らした蒼き粒子もすぐに消え去ってしまう。
吹き荒れた蒼き粒子も、痕跡は一切残っていない。
そして、当然のように仲間達の残滓は、一切残っていない。
遺体にも、この空間にも、何処にも、存在しなくなってしまった。
ツインテイルも、こうして消え去ったのだろうことは想像に難くない。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・あー、もう、これは・・・持つのかな、私の器・・・。
とりあえずデルートさんとタルマリンさんは持って帰ろう、これ以上は今日は持たない気がする・・・。」
「き、貴様、仲間達の蒼き粒子を、全て、その小さな身に飲み込んだと言うのか!?
丸呑みにしたとて叶わぬはずだ、そのような所業・・・一体どうやって・・・。」
「ちょっと元気出てきましたか?
定時連絡は約束して出てこられましたか?
定時連絡がない場合は、救出とか、誰か確認に来ますか・・・?
来てくれると美味しいですね、また罠置いといて・・・そうだなぁ、タルマリンさんとデルートさんをこのままここに置いておこうかな?
たしか、グジさんという方、結構やり手の諜報偵察担当なんですよね?
瀕死の貴方がたを見つけて貰えたら、救出に来るんじゃないでしょうか。
そうすれば、運が良かったら助かるかもです、楽しみですね?」
ダメだ、話が通じない。
ニヤリ、というよりニチャァという擬音が似合いそうな顔で笑う目の前の雌は、この北方に存在している強者をほぼ全て網羅しているグジが率いる諜報部門が作成したリストにも、タルマリンの記憶にあるどの強者の記憶にも、思い当たるものがない。
相対している化け物が何処の誰なのか、皆目見当もつかない。
只人族は生後、成体になるまで生後18年、最盛期を迎えるのは生後30年を経た頃、その後、60年も経てばほぼ老化で放っておいても勝手に死ぬような寿命の短い種族だ。
タルマリンの知らない間に増えては死んでいくので、若い個体についてはグジでなければ知らない者もいるはずだが、ここまでの強者であれば名前くらいは知れていてもおかしくないはずだというのに・・・。
まず、目の前の幼体は生後何年を経た形態なのかが分からない。
今まで戦ったことのある只人族の壮年の戦士よりも余程厄介なのは間違いない。
戦貴族として警戒を要する戦士の名前や特徴については、参謀の長として常時情報を更新して確認しているはずだが、ここまで体長の小さな幼年の戦士はリストに名前がなかった。
年齢を詐称する為に体長や容姿を操作している、変化能力持ちの強者である可能性が高い。
だとするとリストに既に名前が挙がっている者のうちのどれかかもしれないが、変化能力持ちであるならば誰に該当していてもおかしくはない。
自分にも感知できなかった何かしらの術式を使用していて、近接することなく自分達を圧倒した事から、術師タイプのかなり強力な能力を有した個体だろう。
おそらくレベルは只人族の限界に到達しているだろうと思うが、その圧倒的な能力を見るに、レベル100どころではない強さだ。
魔物であればレベル300は超えているだろう能力だと推測できる。
ツインテイル、デルートや自分を圧倒する存在も術式も探知できない化け物じみた能力、姿を察知させないほどの遠方からその手管に嵌めた策略から推測するに、戦場に身を置いて軽く100年は経ている個体だろう。
「軍の責任者に、話だけでもさせてくれ。
頼む。」
「不可能ですし、不要です。
我が主から『情報を吸い出したら処分して良し』とお言葉をいただきました。
用が済めば不要である、と言われたということは、貴方がたの身柄に、それほど重要な価値がないと判断されたということです。
情報源として魅力を感じたのであれば生かして繋いでおけ、と指示されたはずですからね。
その価値がない、と判断されたということは・・・いえ、失礼しました、貴方に語ることではないですね。
我が主に貴方がたを会わせて主に何かあってはいけませんから、会わせる訳にはいきませんし、想定外の事態で貴方がたに逃げられた場合、こちらの情報が漏洩する可能性や機会が発生するかもしれません。
それをわざわざ貴方がたに与えることも、させるつもりはありませんから。」
「・・・では、早々に殺せ。
我等とて・・・矜持はある。
嬲り者にされるくらいならば、自死してくれる。」
「嬲り者にする予定など、こちらとしてもありませんが・・・。
いずれにしろ、どちらも不可能です。
残念ながら、貴方がたは自死するだけの膂力も、能力ももうありません。」
確かに、言われた通り、タルマリンもデルートも自死するだけの僅かな力すら残っていない。
あまりに唐突な事態だった為、自死する為の道具も、連絡道具も、全て懐にはあっても始動状態にない。
首から下は指一つ動かないというのに、口や目だけが動くのは、この化け物にそれが許されているからなのかもしれない。
無詠唱の単純な攻撃術式なら動くかと試してみたが、それも一切発動しなかった。
何か方法はないのか。
タルマリンのこれまでの人生で得てきた知恵を振り絞ってみたが、全て術式を活用した技術や対応だった。
デルートも全身を動かそうとしているのだと思われるが、その巨体は微動だにしていない。
口から流れ出る血だけが量を増やしているが、やがてそれも止まる。
「いくら頑張っても無駄ですよ。
内臓の回復なんかも出来ますから、流血を増やして自死するのも不可能です。」
その後、何かを待っているのか、雌は直立したまま遠くを見ていた。
いや、見ている方角はレギルジアの方向だ。
まだ何か、この雌の企みがここに来るのだろうか。
恐ろしくて考えたくない。
「来た来た、フフ、グジさんの眷属、どうやら来たみたいですね、意図を持ったルートで近付くコバエの群れ・・・多分これグジさんが派遣したタルマリンさんの見届け役ですよね?
コバエが群れで1方向に、迷いもなく飛んでくるなんてこと、野生では有り得ませんし・・・ひょっとして蠅を使役する能力持ち・・・もしくはあの蠅自体もグジさんの分体? 偵察やらには向いてますね、なるほど、とすると・・・いや特定は難しいな。
既存の生命体と同一の使役生物を使役するとは、良案ですね。
確かにこんな小ささと数では、自然にいる生命体と分けて分別するのは難しい。
これはどっかで使おう・・・。
分体もしくは眷属が来たって事は本来、本体は来ない・・・んでしょうけど、瀕死のタルマリンさんとデルートさんを見つけたら・・・どうするんでしょうね、フフ、楽しみですね?」
座り込みながらニッコリと笑う目の前の雌には、強者の来襲への不安など一切見当たらない。
それはそうか。
おそらく軍のトップに位置する強者であるはずのタルマリン、デルート、その護衛15名は、目の前の幼い雌が瞬殺したのだ。
きっと“いい餌が転がり込んでくる”くらいの感覚しか持ち合わせていないに違いない。
あぁ、なんということだ。
グジは、決死の覚悟でこの場に挑んだ自分の意志を汲んで、戦果の見届け役として眷属を派遣したのだろう。
本来は、戦果など報告するまでもなく結果の分かる戦闘のはずだったのだ、わざわざそうしたのは、おそらくグジからの心遣いの一つだったのだろう。
今回のこの戦線における自分の失態をカバーするほどの戦果をもたらした、と、より詳細に報告するために派遣してくれたのだ。
だが、自分とデルートの瀕死の姿を見せるのはよろしくない。
こんな無様な姿を見せれば、激昂したディーが『彼の方』から課された制限をぶっ飛ばしてここまで来てしまうかもしれない。
タルマリンにはそういった思いはないが、ディーがタルマリンに懸想しているのはデルートも側近も知っている。
ディーは今回の戦で、自分の我が儘を飲み、自分の本懐である戦闘を我慢してまでも配下を死地に向かわせており、既に我慢の限界が近い。
こんな姿を見れば、全速力でこちらに向かってくる可能性も十分あるのだ。
「だ、だめだ、グジ、来るな・・・来ないでくれ・・・頼む・・・。」
この化け物の前では、おそらくディーも、グジも、いや、この方面にいる誰も立ったまま対等に相対することは叶わないだろう。
仲間達に、伝えなければ。
絶対に手を出してはいけない化け物がここにいることを。
タルマリンも、デルートも、どうにか身体が動かないかと力を入れてみるが、腕どころか指すら動かない。
顔、喉、目、今動くのはこれが少しだけ、だ。
タルマリンも、デルートも、あまりの口惜しさと情けなさに、血の涙が流れ出る。
あぁ、ダメだ、早く、早く何とかしなければ。
この化け物に、悟られない方法で、グジとディーに伝えなければ。
自分達はもういいから、見捨てろ、と。
ここに来てはいけない、と。
この化け物のことを『彼の方』に報告し、対策を練って欲しい、と。
だが、その思いは何一つ伝わることはなく、その思いが報われることもなかった。




