87 襲撃
涸沼は赤外線警報機に注意しながら、ホテルの敷地に侵入し、香夜子からの連絡を待った。深夜2時過ぎ、「OK312」の5文字だけのメールが届いた。
涸沼は香夜子の情報を頼りに、暗い非常階段を昇った。3階の踊り場の鋼鉄の非常扉にはオートロックが効かないようにトイレのスリッパが挟まれていた。涸沼はゆっくりと扉を開けた。節電のためにライトが間引かれた薄暗い廊下は侵入に好都合だった。312号室は非常階段とは反対側の東の外れだった。忍び足で廊下のカーペットの上を進むと、不意にトイレに立っていた小手山が半裸で現れた。意表をつかれはしたものの、涸沼はとっさに歌舞伎町で入手したFNブローニングを構えた。
「静かに」
「こらあ、なんの余興だ、にいちゃん」小手山は慌てずにドスの利いた声で応じた。
「しゃべらずに部屋に戻れ」
「ふるえてんじゃねえか。俺は丸腰だぜ。そんなに怖がるなよ」
「早くしろ。安全装置は外してある。いつでも撃てるんだ」
「ま、ゆっくりしてけや。ここでばらすと、後の始末が悪いぜ」小手山はピストルを突きつけられたまま、ゆっくりとドアを開けた。
「ねえ、もっとチャイナホワイトないの」小手山に駆け寄ってきた下着姿の女が、涸沼が握ったピストルを見て、びっくりして尻餅をついた。
「すっこんでろ」
「うん」小手山に怒鳴られて女は生唾を飲み込んだ。
「女は携帯をくずかごに入れてベッドの上へ行け。小手山はソファに座れ」涸沼はそう指示すると、ベッドサイドの館内電話のコードを引き抜き、くずかごをベッドに投げた。素人にしてはアドベンチャーゲームでシミュレーションしてきたみたいにムダがなかった。
小手山のドラッグパーティに相伴していたモデルは4人、全員が下着姿だった。その中に香夜子も混じっていたが、涸沼がピストルを持ってくるとは知らなかったので、白目をむいて驚いていた。涸沼は努めて眩しいほど豊満な女たちの体を見ないようにした。
「お前ら、余計なまねすんなよ。こいつの言うとおりに携帯棄てて、俺の見えるとこにいろよ」
「うん、わ、わかった」女たちは携帯をベッドサイドのくずかごに放りこんだ。
「オメエ、涸沼だな。事情はわかってるが、いちおう話を聞こうか」小手山は余裕の表情でソファーに身を落とした。現役のヤクザらしく、引き締まった筋肉だった。
「プラダをどこへやった」
「あ、誰だって」
「今朝、破鬼田が捕まえた女だ」
「ああ、ソニのことか。ヤブに始末は任せたが、ただじゃすまんだろうな」
「女を解放するように破鬼田に言え」
「そんなことしたら、あんたがここにいることわかっちまうぜ」
「余計なことは言うな。言ったらぶっぱなす」
「トーシローが聞いた口を」
「女を放せとだけ言って、携帯を捨てろ」
小手山は携帯を取り上げ、破鬼田にかけた。「事情が変わった。女を離してやれ」それだけ言うと携帯をカーペットに放り投げた。涸沼は片手で小手山の携帯を拾い上げ、液晶をねじって壊した。
「ほう、味な真似をしやがる」
「床に四つんばいになれ。聞きたいことだけ聞いたら帰る。佐々木美姫を覚えてるか。モデル名はAKANEだ」
「さあな、売れねえモデルの名前をいちいち覚えちゃいねえ」小手山は半裸のまま屈辱的な姿勢をとったが、不思議と堂々として見えた。涸沼は立ったままピストルを構え続けていたが、自分の方が威嚇されているように感じた。
「地震の日にチョーの別荘でモデルが死んだだろう」
「いろいろ嗅ぎ回ってたわりにゃあ、なんにもわかっちゃいねえんだな」
「そこに美姫がいただろう」
「バカバカしい。殺れよ。ここまで来ちまったら殺らなきゃ殺られるんだぞ。どうした、にいちゃん。殺れよ。殺るのは初めてか」
涸沼は汗で緩みかけたピストルのグリップを握り直した。「聞かれたことに答えろ」
「確かに女が事故で死んじまったんで、死体を始末させたことはあったよ。それがオメエの捜してる女かどうかなんて知るもんか」
「死体をどうした」
「さあね」
「誰かに運ばせただろう」
「知らねえって言ってんだろう」
「破鬼田が福島に運んだだろう」
「知ってんなら聞くなよ、クソが」
「ほんとに事故だったのか」
「しつけえ野郎だ。撮影会の余興にSMかなんかやってたか、そんなとこだろうよ。地震で落ちた時に首にワイヤーが絡まったんじゃねえのか。なげえ揺れだったからそのまんま首が絞まったんだろう。事故にまちげえねえよ」
「そんな危険な撮影をさせて事故と言えるのか」
「俺はただチョーにモデルを派遣して、死体の始末を頼まれただけだよ」
「破鬼田にやらせたんだな。どうして処分場に運んだんだ」
「知るかよ、ヤブに任せたんだ。ガレキと混ぜて捨てれば津波で死んだと思うとか、おおかたそんなとこだろう。それで福島へ行ったんだが、デコがウジャウジャ居たとかでな。言っとくが、死んだのはオメエの女じゃねえ。AKANEってのはチョーの女だろう。とっくにモデルはやめてんだよ。オメエ、いつまで昔の女でマス書いてんだ。この世にはいい女が次から次と生まれて来るんだぜ。20歳の子も10年後は30だ。だがよ、20歳の子は居なくなりはしねえ。10歳だった子が20歳になるじゃねえか。な、あの子らの体を見てみろ。平成生まれの子はいいぞ。塔が立った女のことはもう忘れなよ。おい、誰か酒持ってこい」
「あっ、はい」下着姿が眩しい香夜子が慌ててベッドから立ち上がった。
「グラスは2つだぜ。にいちゃん、油断すんなよ。俺がそのチャカかっぱらえば、ためらいなく撃つぜ」
「なんで福島まで死体を運ばせたんだ。茨城だって津波は来ただろう」
「しつけえな。ヤブが勝手にやったっつったろう。福島の女を福島に捨てりゃあ、福島県警の所轄じゃねえか」
「死んだのは福島の女ってことか」
「オメエの女も福島だったな」
「そんな擬装しても、周りのゴミはみんな都内のだった」
「ヤブもヘマしたもんだわ。だけどオメエも行くとこまで行っちまったな。もう戻れやしねえ」
「五浦の撮影会の参加者は誰だったか言え」
「その前に乾杯だ。飲んでくれなきゃ、もうなにも教えねえぞ。おい、そこの酒注いでやれ」
「はい」香夜子はカラのショットグラスにグラン・ドベホをストレートで注いで涸沼に差し出した。チャイナホワイトとテキーラ、定番の麻薬パーティをやっていたのだ。
「俺にも酒くれ」
「はい」
香夜子の体で死角ができた一瞬を狙って、小手山はテキーラをボトルごと涸沼の顔面に浴びせかけた。
「あっ」目が焼けるように痛み、涸沼は視界を失った。次の瞬間、小手山はピストルを蹴り飛ばしていた。
「だから油断すんなっつったろう。トーシローがいきがりやがって」小手山は涸沼を羽交い絞めにし、首を折らんばかりに締め上げた。涸沼は苦しさに泡を吹き、意識が落ちかけた。
「彼を放して」ピストルを拾った香夜子が銃口を小手山に向けた。
「あんだ、このあま」小手山が香夜子を睨みつけた。
そのとき、小手山の電話が不通になったのに不信を抱いた破鬼田が、チンピラを数人引き連れてなだれ込んで来た。
「てめえら、なんの真似だ」
「来ないで、撃つわよ」香夜子は銃口を小手山に向けたまま、破鬼田を振り返った。
パンと乾いた爆発音がした次の瞬間、小手山の首筋から血しぶきがほとばしり出た。香夜子は反動で尻餅をついた。誤って引き金にかけていた指を引いてしまったのだ。
「キャー」女たちの悲鳴が部屋の外まで響いた。
「やりやがったな」破鬼田がフロアに転がったピストルを拾い上げながら、香夜子をタックルで突き飛ばした。
「城山さん…」涸沼が香夜子を助けに行こうとした。
「動くな」涸沼が固まったのを見て、破鬼田は香夜子に銃口を向けてためらいなく引き金を引いた。
「社長の敵だ、死ね」
次の瞬間、バンと激しい爆発音がして、破鬼田の手首が吹き飛んだ。改造ピストルが暴発したのだ。
「なんじゃこりゃ」破鬼田は涸沼を睨みつけながら、無事な左手でつぶれた右手首を握ったが、蛇口をひねったように吹き出す血は止まらなかった。
「ちきしょう、殺してやる」破鬼田は鬼の形相で香夜子に襲いかかり、血だらけの手で首を締めようとした。だが、吹き飛んだ手首に指はなく、出血ショックでみるみる青ざめ、がくっと膝が折れた。白く大きいブラの布地が破鬼田の鮮血で赤く染まった。
「あにきい」チンピラたちが破鬼田を助け起こしたが、すでに意識がなかった。涸沼は小手山の返り血を浴びた腕で、血だらけになったまま恐怖に怯えて放心状態の香夜子をかばうように抱いた。このまま2人とも殺されるだろうと覚悟を決めた。
「涸沼さん、ごめんなさい。あたし…」
「だいじょうぶ、これは正当防衛だよ」香夜子の震える手を涸沼が握った。涸沼の手は暖かだった。
銃声と悲鳴を聞いて階下のヤクザたちがどんどん集まってきた。
「あああ」
「やべえぞ、ずらかれ」凄惨な光景にさすがのヤクザたちも唖然とした。
「まだ助かるかもしれねえ。救急車2台呼べや。あとオデコもな」
「そこどけや」年嵩のヤクザの1人が、役にたたないチンピラを押しのけ、小手山の首筋にタオルを当て、もう1人が破鬼田の右腕を革紐で力いっぱい締め上げた。
「あんたら、事情は知らねえが、もう十分じゃねえか。小手山はもうダメやろうが、ヤブは病院に運べば助かるやろ。あんたらは警察が来るまでここでおとなしくしてなはれ」血の海を見ても少しも動ぜずに、死の痙攣が始まった小手山を平然と胸に抱きながら、年嵩のヤクザが関西弁まじりのドスの効いた声で言った。「てめえら、その二人に手出すなよ。無傷でオデコに引き渡せ。ええな」
遠くから早くも複数のサイレンが聞こえてきた。




