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ブルームーン ~震災悲話~  作者: 石渡正佳
第7章 復讐
78/91

78 クリスマス

 SORAの閉店を待つ間、涸沼は暇つぶしに西麻布から六本木ヒルズまで歩き、けやき坂を経由して、さらにミッドタウンまで歩いた。クリスマスイルミネーションを期待していたが、省エネのために消灯されていた。美姫が失踪してから、ひとりぼっちのクリスマスを過ごしてきたが、今年は少し違いそうだった。

 午前3時過ぎ、私服に着替えてハーフコートを羽織った香夜子をタクシーで拾い、そのまま首都高3号線沿いをまっすぐ中目黒に向かった。ストーカーの用心のため、KAORIは部屋の前までは行かずに、いつもどおりに山手通りでタクシーを降り、だれかがついてこないか気にしながら目黒川沿いを歩き、小さなデザインマンションの外階段を昇った。

 彼女の部屋は2階の角部屋で、昼間なら窓から桜並木がきれいに見えるロケーションだった。女性の1人暮らしらしくこぎれいに片付いたワンルームの片隅には、両親の遺影を収めた小さな写真額が飾られていた。ハーフコートを脱いだ香夜子は、上品なジャガードのショーパンを履いていた。SORAで着ていたドレスより、私服のほうが年齢相応でチャーミングだった。

 「涸沼さんは飲めなくて悪いんだけど、私ワインを飲んでいいかな」

 「クリスマスですから、どうぞ飲んでください。僕はペットボトルのお茶でいいです」

 「そうだよね、今夜はイブだもんね。まだ未成年なのに、このごろワインを覚えちゃってね、飲まないと眠れないの。お店ではロングアイランドアイスティとか飲むけど、飲んだふりしてるだけだからね」

 「赤ワインは美容にもいいそうだから」

 香夜子は冷蔵庫から飲みかけのカレラ・ジェンセンのボトルを出すと、カーペットに胡坐をかいてベッドに背をもたせた。カレラは、たびたびSORAにやってきてはアフターするようになった岡光に、コストパフォーマンスが高いと教えられたカリフォルニアワインの銘柄だった。ロマネ・コンティに似た濃い口のピノノワールの芳香は麻薬的だった。

 「メリークリスマス」香夜子は独酌で飲み始めた。

 「ああ、生き返るなあ。家で飲むワインが一番ね」

 「ごめんなさい、せっかくのイブに僕なんかが一緒で」

 「ううん、やなやつといっしょじゃなくて、すごくうれしい」

 「意外ですね」ワイングラスを片手に気さくに話す香夜子を涸沼は不思議そうに見つめた。

 「なにが」

 「いいえ、なんでもないです」

 「あっ、お行儀悪かったかな。いつもママに怒られてたよ」香夜子は胡坐をかいた生脚が涸沼から丸見えなのを気にした。

 「そういう意味じゃないですよ。美姫も、妹の千愛ちゃんもその姿勢好きでした」

 「女の子はみんなそうだよね。涸沼さんも楽にしてよ。で、なんの話するんだっけ」

 「地震の日の事故のことです」

 「そうだったわ。あたし、大阪の撮影会の後のパーティで小耳にはさんだの。地震の日、茨城の五浦の別荘で開かれた撮影会で事故があって、ツバサプロが派遣したモデルが死んだって。地震で撮影用のゴンドラのワイヤーが切れて転落死したらしいの。それってもしかして涸沼さんのフィアンセなのかと思って調べてみたのよ」

 「ほんとですか」

 「ええ。SORAのお客さんで新聞社の人がいたから、そんな事件あったのかなって、それとなく聞いたら、新聞社のデータベースを当たればわかるって。だけど、茨城のローカル紙でもそんな事件は報道されてなかったみたいなの」

 「すごいです」

 「それから地震の日から連絡が取れなくなったモデルがいないかも、事務所の人に頼んでこっそり調べてみたの。そしたらツバサプロには東北出身のモデルが5人登録されていて、3人が地震で辞めてたの」

 「3人の中にAKANEという名前は」

 「なかったかも」

 「AKANEは美姫かもしれないんです」

 「そうかもしれないと、実はあたしも思ってたの」

 「AKANEが地震の日に五浦の撮影会に出ていて、事故に遭ったとすれば、なにもかも説明できますよ」

 「死体は福島で発見されたんでしょう。どうして警察に届け出ずに茨城から福島に運んだのかな」

 「それは城山さんが見事に言い当てたでしょう。政治家とか有名人が参加する撮影会だったら、事故を隠蔽する理由がありますよ。それでAKANEが福島出身だったので、福島で事故に遭ったことにしたかったのでは。それに五浦からなら近いですよ」

 「でも見つかったのは廃棄物の処分場でしょう」

 「海岸に運んで地震の被災者に偽装しようとしたけど、なにか事情があって海岸に行けず、処分場に隠したとすればどうです。死体を運んだのが廃棄物に詳しい人物だとすれば」

 「涸沼さんはもうそれが誰か知ってるんでしょう」

 「僕の顎を割った破鬼田という男です。産廃業者の社長で、フェラーリを乗り回してる男です。ご存知ですか」

 「フェラーリっていえば」香夜子にも思い当たる男がいた。

 「でも、破鬼田は黒幕じゃない。上に小手山という人物がいます」

 「それってうちの…」

 「知ってます。ツバサプロのオーナーですよね」

 「じゃ、うちの社長が…」

 「オーナーの車は」

 「たくさん持っているみたい。私が知っているのは白い大きなオープンカーで、イギリス製だと聞いたことがある」

 「ベントレーかな」

 「車が重要なの?」

 「美姫の死体を運んだ車を特定したいんです。フェラーリじゃトランクが小さくてむりでしょう。でもまさかベントレーで死体を運ばないか」

 「涸沼さんのフィアンセと社長がつながってたなんて」

 「この指輪の力ですよ」涸沼はペンダントトップにした指輪を香夜子に見せた。「五浦の撮影会を主催したのが小手山なら、美姫の死体を隠すように破鬼田に命じたのも小手山ってことになりますね」

 「ありえないことじゃないわ。その撮影会、よほど大物が来てたのね。大阪の撮影会の打ち上げにも関西の大物が大勢来てたから」

 「神崎梨花さんはご存知ですか」

 「どうしてリカさんのこと。大阪のパーティはリカさんがホスト役でした」

 「それじゃ五浦でもリカさんが」

 「いいえ、その時はリカさんじゃなかったみたい」

 「リカさんと美姫は大学の同級生なんだ。リカさんは否定したけど、間違いない」

 「同級生だってこと隠すのがおかしいね」

 「リカさんはなにかを知ってるんです。美姫の秘密をなにか」

 「処分場で見つかった死体のDNA鑑定はどうだったんですか」

 「身元確認の決め手にはならないということです」

 「それじゃあ、まだ身元不明のままですか」

 「美姫の死体に間違いないのに警察に圧力がかかってるんです」

 「そんなことってありえますか」

 「なんでもありですよ。震災があってから、なんでもありなんです。このままだと美姫の死体が身元不明死体として葬られてしまいます」処分場で発見された死体は美姫ではないかもしれないと、涸沼は内心は疑い始めているのに、香夜子には美姫の死体だと言い張った。

 「死体はまだ警察にあるんですか」

 「わかりませんが、もうないでしょう。まさか冷凍保存まではしないでしょう」

 「それじゃどうすれば」

 「状況証拠はあるんです」

 「どんな証拠が」

 「この指輪ですよ。実は死体のそばで堂本さんが拾ったんです」

 「えっ」香夜子は指輪の秘密を初めて聞いて絶句し、自分の左手の薬指を見つめた。そこに填めていたことがあったのだ。

 「死体は廃棄物の中に隠されて処分場に運ばれたに違いありません。それで指輪と一緒だった廃棄物がどこから来たか調べたんです」

 「そんなこと可能ですか」

 「警察の調べ方を教えてくれた人がいて。それで翼商会という産廃業者を突き止めました。社長は破鬼田ですが、株主は小手山です」

 「ほんとですか」香夜子は絶句した。

 「後はもう小手山に口を割らせるだけです。破鬼田は死体を運んだかもしれませんが、死体が誰かまでは知らなかったと思います」

 「口を割らせるってどうやって。社長にはボディガードが何人もついているわよ」

 「城山さん、手伝ってもらえますか」

 「私にはこれ以上なにもできないわ」

 「小手山の自宅に案内してもらえませんか」

 「入るのはむりよ。カードがないと入れないマンションだから」

 「城山さんが中から開けるってことは」

 「絶対むり。ばれたら殺されるわよ」

 「そうですよね」

 「でも待って。時々、マンションでパーティがあるの。その時なら女の子がたくさん来るから、私が開けたってわからないかも」

 「ほんとですか。パーティはいつですか」

 「いつかはわからないし、私が呼ばれるかもわからないわ」

 「どんなパーティですか」

 「それは」香夜子は口ごもった。

 「察しはつきますよ。クスリをやるんですか」

 「やる子もいるみたいだけど私はやりません。そこまで堕ちたらもう戻れない」

 「なにを聞いても驚きませんよ。実は処分場で発見された死体からも薬物が検出されたって警察から聞きました」涸沼は警察でしか知りえない情報を知っていた。

 「そこまで調べていてどうして身元不明のままなの」

 「だから圧力なんです。自分で証拠を見つけるしかないんですよ」

 「いいわ、パーティに呼ばれたら連絡するわ」

 「お願いします」

 「ええ」香夜子は思いつめたような顔で、ボトルに残ったワインを飲みほした。そのとたん、酔いが回ったのか、カーペットにゆっくりと横倒しになった。

 「だいじょうぶですか、飲みすぎじゃないですか」

 「まさか、これくらいで。あたし、3月からいろいろあって、つっぱって生きてきたけど、疲れちゃったみたい。だって、去年のクリスマスにはまだ高校生で、お父さんとお母さんがいて、友達もいっぱいいて、いろんなやりたいことがあって、なのにあたし…」香夜子は涸沼の膝にすがって泣きだした。

 「がんばらなくていいですよ。きっとサンタクロースが遅れて来てくれますよ。今日は忙しいからごめんねって」

 「私のサンタは誰?」

 「誰かわからないけど、きっと誰かが来てくれますよ」

 「ほんと?」

 「ほんとですよ」

 「あたし、涸沼さんを信じるわ」

 「だいじょうぶ、安心して眠ってください。すべてが最後にはうまくいきますから」

 香夜子は涸沼の膝を濡らしながら、おだやかな寝息を立て始めた。

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