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ブルームーン ~震災悲話~  作者: 石渡正佳
第5章 転身
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57 苦い過去

 どこかわからない場末の路地で、外国人の娼婦たちがタバコを吸いながら客待ちをしていた。

 会いたいよう、会いたいよう。1人の娼婦が、泣きながら路面にしゃがみこんでいた。女の顔も体もパソコンの画面で見せられたAKANEにそっくりだった。

 男が1人、路地に入ってきた。堂本にそっくりの男だった。

 おにいさん、おにいさん、遊んでいけるんでしょう。街娼たちが男にたかり出した。男は女たちの顔を1人1人確かめながら、先へ進んでいった。

 帰りたいよう、帰りたいよう。最初の女はまだ泣き続けていた。

 男はしゃがみこんで、女の顔を見た。女の顔は真っ白なのっぺらぼうになっていた。男は驚いて飛びのいた。

 振り返ると、さっき声をかけてきた街娼たちも、やっぱりみんなのっぺらぼうになってせまってきた。男は逃げ出した。

 泣き濡れた最初の女が、男の脚にしがみついた。

 連れてってよう、連れてってよう。

 男は女を蹴飛ばした。だが、女から逃れることはできなかった。

 男は路地の塀に立て掛けてあったスコップを見つけ、女をさんざんに打ちのめした。女は血だらけになって倒れた。

 痛いよう、痛いよう。女の顔はもうのっぺらぼうではなく、AKANEの写真にそっくりだった。

 どこが痛いんだ。男は女の美しさに魅せられたように、傍らにしゃがみこんだ。

 助けてよう、助けてよう。女はショールを外し、負傷した背中を男に向けた。

 男は女のドレスを破って、背中のケガの様子を確かめた。背中には子供の首が生えていた。その顔は堂本にそっくりだった。

 おまえが殺ったのか。子供の顔はそう言って、にやりと笑った。


 冷汗をぐっしょりかいて目覚めた香夜子は、下着姿でホテルのベッドに寝ているのに気づいた。はっとして点検したが、ブラもショーツも自分が着けた状態のままで、とくに乱れてはいないように思われた。他人に着けさせられたなら、違和感ですぐにわかるのだ。ドレスとアクセサリーはいつもの自分の畳み方で、ベッドサイドのテーブルにあった。つまり自分で脱いだってことになるが、記憶が飛んでいた。

 ホテルで岡光とワインを飲んだ後、クラブに繰り出して踊り、仰々しい装置のシーシャ(水タバコ)を生まれて初めて吸ったところまで覚えていたが、その後いつホテルに戻ったか覚えていなかった。もしかしてシーシャに細工があったのかと思ったが、岡光も吸っていたし、不審なところはなかった。

 香夜子はシャワールームに飛び込み、入念に体の汚れを拭った。たちまち寝ているうちに陵辱された証拠が股間から流れ出した。その量が岡光一人とは思えないくらい半端じゃなかった。記憶はないが、やっぱり岡光に遊ばれたんだと思った。しかも下着を着たままで。岡光がレディドール風に楽しもうと言ったのはワインの飲み方ではなく、このことだったのだ。

 納得できるまで入念にシャワーを浴びてからリビングに戻ると、ガラステーブルに1万円札が20枚きちんと耳を揃えて置かれ、堂本から預かった指輪と、無用な後ピルの錠剤までがわざとらしく乗せられているのに気付いた。なんてやな奴だろう。今までも散々体を売ってきたのに、なぜか屈辱感に涙が溢れた。墜ちた自分と決別しようとして、卯月から逃げてオーディションを受けたのに、結局は体を売っている。プロデューサーと寝て、マネージャーと寝て、クライアントと寝て、岡光のような過去を暴き立てるゲスな客にまでコールガール扱いされた。香代子は汚された下着をつける気にならず、体にバスタオルを巻いたまま、ソファに崩れるように座った。

 それにしてもどうやって岡光は自分のことをここまで調べたのだろう。彼の詮索はあまりにも正確だった。

 あたしだってこんなとこまで堕ちたくて堕ちたわけじゃない。堂本に助けられ、自衛隊のヘリで搬送された病院を退院したあと、仙台の大学に通うため、父が借りてくれた学生街のアパートに最初は住んだ。自宅からでも1時間余りで通えたのだが、1人暮らしをしたいというワガママを父が許してくれたのだ。津波で家がなくなっても住む部屋があったことに、どれほど感謝したことか。

 入学式には間に合わず、翌週から通学した。ガレキの海と化した被災地と、桜の花びらが舞うキャンパスは別世界だった。だが、香夜子にとってはガレキの海こそが現実で、キャンパスの明るさが空々しく感じられた。復興資金の募金活動をしたり、原発廃止のビラを配ったりする学生で溢れるキャンパスは、すべてがウソっぽかった。

 翌日、休学届けを出した。震災孤児だから学費が払えないと事務員に休学理由を説明すると、気の毒そうな顔をしながら奨学金を勧めてくれた、だがきっぱり断った。それ以来、同じ顔を何度も見た。最初のバイト先だったハンバーガーショップの店長から始まって、レディードールからSORAの客まで、震災孤児だと言うとみんな同じ顔をした。たぶん、原発の避難者も同じ顔をされているのだろうと思った。地震の日以来、被災しなかった人と被災した人、日本人には2つの階級ができたのだ。

 バイト先のハンバーガーショップに偶然卯月が来店し、尾行されるなんて思いもしなかった。アパートの鍵を開けた瞬間、卯月に口をふさがれ、自分のベッドで強姦された。そのまま3日間、卯月は香夜子を部屋から出さなかった。結局、そのまま卯月と肉体関係を続けることになった。学生アパート街での同棲は目立つからと、父が借りてくれたアパートを引き払って、卯月と一緒に安アパートに引っ越した。レディードールの仕事を探してきたのは卯月だった。ボディタッチなしのランパブで、女子大生や留学生が大勢バイトしている健全な店だとオーナーの館林から説明を受けた。だが、すぐに別室のスペシャルサービスがあることを知った。別室に行くのは嫌だと断ると、卯月に払った契約金を返せと館林から脅され、閉店後の別室に無理やり連れ込まれて犯された。

 「金がほしいなら覚悟を決めな。来週からスペシャル専門で売らせてもらう。ここの子は大学生だって30万は稼ぐ。君がその気になれば100万だって行ける。お客の給料知ってるか。若いやつならせいぜい20万、年食ったやつだって50万はめったにいない。つまりさ、君のほうが高額所得者なんだよ。この世界に入ったら、稼ぐことがプライドなんだ。別室でどんなサービスをしようと、それは自分の判断だ。お店はランパブのルール以上は強要しない。いいね」館林は慰めにもならないことを言い残して、泣きじゃくる香夜子を黒服が運転する送迎のワゴンに無理やり乗せた。同乗の女たちは彼女の身に何があったか知って知らぬふりをしていた。

 辞めるかと思っていた香夜子は意外な意地をみせてたちまち店のナンバーワンになったが、稼いだ金は卯月がみんな遊びに使ってしまった。だから、働いても働いても貯金どころか、安アパートから抜け出すことすらできなかった。それでも卯月は被災者に同情するあの顔だけはしなかった。あの顔をしなかったのは、被災地の地獄絵を共有する卯月と堂本だけだった。

 それにしても岡光は何者だろう。最初から下心があって自分に近づいたことは間違いない。偶然指輪を見たようなふりをして、実は自分を目当てに来店したのだ。だけど、どうして自分がSORAにいること、堂本から預かった指輪を大事にしていることを知っていたのだろう。ほんとに以前にも会ったことがあったのだろうか。香夜子は仙台で接した客の中に岡本の影を捜したが、どうしても思いあたらなかった。風体や声色は違えていても体はどうだろう。だが、酔いのせいなのか昨夜の岡光の体の記憶がなかった。

 香夜子は岡光が置いていった金の上から大切な指輪を取り上げてじっと見つめた。

 「俺になんかあった時には、これをいわき市役所の涸沼に返してくれねえか」そんな堂本の言葉を思い出した。

 岡光からは堂本が死んだと聞かされた。本当だろうか。本音では薄々そうだろうと思っていた。岡光は堂本が偽名だとも言っていた。彼まで自分を騙すなんてありえない。たとえ偽名だとしたって、彼がつぶれた家から救い出してくれた命の恩人であり、2度までも卯月から守ってくれたことは変わらない。彼が本当は誰だろうとかまわない。彼にせっかく助けてもらった命を、自分はこんなにも粗末にしている。それが情けなく悲しかった。だけど岡光の言葉を鵜呑みにしていいのか。彼が死んだかどうかはいわき市役所でわかるはずだ。彼が偽名を使っていたかどうかも市役所に行けばはっきりするはずだ。指輪を返しに行こう。堂本が生きていて、また自分を探し出して会いにきてくれると信じて先延ばしにしていた約束を、香夜子はやっと果す気になった。

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