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ブルームーン ~震災悲話~  作者: 石渡正佳
第5章 転身
56/91

56 わけ知り

 岡光に指定されたメビウスホテルは、六本木交差点をミッドタウンに向かって1ブロック行ったところにある独特の外観のビルだった。エントランスの周辺には黒人の客引きがたむろし、上京間もない香夜子には逃げ出したくなるほど危ない雰囲気が満ちていた。だが、流暢な英語で逆に黒人に話しかける日本女性も珍しくなかった。最近の都内の女子大生の2人に1人は留学経験がある。仙台の繁華街では絶対見られない光景だった。英語が話せない香夜子は気後れがして身を隠すようにしてロビーに入った。彼女の到着をどこかで見ていたかのように携帯が振動した。

 「最上階のラ・メディチへ」岡光からのショートメールだった。携帯番号交換していないはずなのにと思いながらエレベータに乗った。

 「城山様、ようこそいらっしゃいませ。こちらへどうぞ」最上階に上がると、エレベータホールに上品な黒服のマネージャーが待っていた。

 「どうして名前を」

 「お連れ様からお聞きしました」

 本名をどこから聞いたのか。香夜子はますます不安になったが、魔力に吸い寄せられるようにマネージャーに従った。 

 ラ・メディチは本店がフィレンツェにある本格的なイタリアンレストランで、内装はベネチアの王宮を摸して作られていた。香夜子は六本木ヒルズを遠くに望む大きな窓のある個室に案内された。

 「よく来てくれましたね」岡光はすでにテーブルについてワインを飲んでいた。イタリアのワインではなく、岡光指定の「オー・ボン・クリマ」だった。

 「お店で着てたマルニの青いワンピも似合ってたけど、カジュアルな格好もいいね。チェックのミニはアメスクって言うんだよね。今日はラッキーだな」

 ドレスのブランドまでにやけた顔で言い当てる岡光は、ほとんど刑事ドラマ「相棒」の杉下右京気取りだった。こんな奴ほんとにいるんだなと思った。

 「ホテルは待ち合わせに使うだけって言ったのに」

 「お腹すいたでしょう」岡光は香夜子の抗弁を完全に無視した。

 「ちょっとは」

 「じゃ、座って。前菜、パスタ、メインが1品ずつのシンプルなコースにしたけど、よかったかな」

 「わからないですから、お任せします」香夜子は仕方なさそうにテーブルについた。

 「有名になったら毎日こんな生活だから慣れないと」

 「有名になんてなれません」

 「乾杯しよう。このワインはカリフォルニアのものだけど、いまどきのはやりで濃くておいしい。それに三角形のエチケット(ラベル)が素人の僕にも覚えやすい」岡光は素人だと謙遜しながら香夜子の前に大きなグラスを置いて赤ワインを自ら注いだ。香夜子が見たことがない赤い泡立ちから麻薬的な芳香が立ち上がった。

 「ワインの味はわからないですから」

 「わかるよ。美味しければいい。それだけだよ」

 「あの、本題に入りませんか」

 「指輪をしてたAKANEのことだね。実は3年前までフラッシュにいた子だよ」

 「SORAじゃなくフラッシュなんですか」

 「フラッシュ専門だった。どんなお店かは知ってるでしょう」

 「はい」

 「だよね。ツバサプロの新人モデルは全員登録してる」

 「でも、出たことなくて」

 「出ない方がいい。モデル撮影を偽装したコールガールクラブだから」

 「知ってます。でも、お金になるなら出るつもりです」

 「ほう、大したものだ。あの可憐だった香夜子が半年もしないでこんなに変わるとは」

 「どうして私の名前知ってるの」

 「ツバサプロの所属モデルのことならなんでも」

 「もしかして探偵事務所の方」

 「当たらずといえども遠からずかな」

 「だったら私も捜してほしい人が」

 「堂本でしょう。あなたの命の恩人だ」

 「そこまでどうして」

 「堂本は原爆症で死にましたよ。因みにその名前は偽名です」

 「そんなはずないです」

 「もう死んだんだから、名前なんてどうだっていいけど」

 「どこで死んだんですか。いつですか」香夜子の目が血走った。

 「救急車で東北大病院に運ばれたのは知ってるよね」

 「あ、私が呼んだんです」香夜子はいっそう真顔になった。

 「そうだったね。その後、千葉の放医研(放射線医学総合研究所)に転院して、それから東大病院に再転院したんだ。そこで先月死んだよ」

 「そうですか」香夜子は力なくうなだれた。

 「あれ、信じたの」

 「ウソなんですか」

 「残念ながらウソじゃない」

 「からかわないでください。私にとっては大事な人なんです」

 「あんな前科者にもなりそこなった半端者でも、こんな美女に思われることがあるんだなあ」

 「堂本さんのお話はもう結構です。この指輪はほんとにその子の」

 「AKANEのものですよ」

 「写真は」

 「ああ、ありましたよ」岡光はパソコンを取り出した。「この子ですよ」画面に映し出されたのは柔和な印象でありながら顎の骨格もしっかりした色白の美人だった。顔写真なのでプロポーションはわからなかった。

 「すごいきれいな人」

 「完璧に化粧してるし、整形だってしてるね。おまけにレタッチも。ここまでやったら誰だって超美人だ。典型的な風俗店のネット写真だよ」

 「それでも絶対本人はもっと美人ですよ」

 「まあ、実を言うとそうだった。藤原紀子ばりに色っぽかったよ。だけどほかに仕事があるらしく、土曜日しか出ないんで、朝から予約殺到の子だった。そうじゃなければフラッシュなんかで中途半端に体を売らず、ツバサプロのナンバーワンモデルになれた子だったと思うよ」

 「AKANEさんのこと、もっと教えてくれませんか。3年前になにかあったかとか」

 「普通に考えれば結婚だよね」

 「そうか、そうですよね」

 「相手は外国人だって聞いたよ」

 「最近の消息は」

 「知ってても言えない。それより食べよう。腹ごしらえしたらクラブでラテンでも踊ろう」

 「え」岡光の風采からは似合わない言葉に、香夜子は思わず声を上げた。

 「ポンギで遊ぶなら、それが定番コースだよ」

 「遊ぶつもりは」

 「向かいの路地にあるスウィートヒールというSMクラブも面白いよ。どっちもこれから飽きるほど誘われることになるよ」

 「私、帰ります」

 「なんだ、食い逃げか。じゃ、しょうがない。ナカメまで送るよ」岡光は香夜子の現住所まで言い当てた。

 「岡光さんて気味が悪いです」

 「よくそう言われる。そう言われ続けたら、そう言われないと満足できなくなってね」

 「でも、ほんとはいい人なんですね。私、ホテルで待ち合わせって言うから」

 「その覚悟で来たなら、部屋はいつでも取れるよ」

 「帰ります」

 「食べたら帰ってもいいよ。パスタのソースはウニとカニとどちらがいいかな」

 「両方」

 「わかった」岡光は嬉しそうにワインをなみなみ自分のグラスに注ぎ足した。「ところでさ、僕のことほんと覚えてないの」

 「え、どういうことですか」

 「仙台のレディドールには何度も行ったよ」

 「ウソです、絶対会ってません」

 「裏の半個室でおっぱい揉ませてくれただろう。弾力があっていいおっぱいだったよ」岡光はさっきまでの慇懃な口ぶりを棄てて、真顔で言葉弄りを始めた。

 「そういうサービスありませんでしたから」

 「おやおや、怒ったの。じゃあ、パフューム学院はどう。ハイズリも満足にできない新人ソープ嬢がいたお店だけど」

 「何が言いたいんですか」

 「今夜は帰れないってことさ」

 「そういうことですか。別に過去をばらすのはかまいませんよ。チップいただけるならどこでもお付き合いします。どうせこっちでも風俗嬢ですから」

 「その口上なつかしいなあ。じゃあ、契約成立だ。先に部屋に行ってて。もう少しましなワインとつまみのワゴンサービス頼んでおくから、部屋では久しぶりにレディドールのシステムで楽しませてもらうよ。たしか未成年のくせして、お酒はずいぶん強かったよね。KAORIとまたマルゴーが飲めるとは嬉しいなあ。マルゴー奇跡の年と言われる2000年のがあると、今日の奇跡の再会にふさわしいかなあ」

 「つまりあたしにランジェリーでお酌をしろと」さすがの香夜子もむっとして言った。

 「それは君の判断だよ。たしか、そういうシステムだったよね。それにしても度胸あるんだね、レディドールと同じ名前でモデルデビューとはね。だれかが探してくれるの待ってるのかな」

 「いいえ、気に入ってるんです。でもほんとにあたし、岡光さんについたことないですよね」

 「岡光って名前ではね。さあ、もう行って」

 「ごちそうさまでした」

 香夜子は岡光がテーブルクロスの上に投げたカードキーを掴むと憮然として立ちあがった。

 「ねえ、オー・ボン・クリマ、もう一本開けて。これはもう酸っぱくなったから下げて」

 岡光はすぐには香夜子を追わずにウェイターを呼んでワインを追加した。

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