55 裏キャバ
モデルの仕事は初日以降はほとんど入らず、KAORIの本業はSORAの接客だった。SORAは指紋認証の登録をしないと入店できない会員制の高級クラブで、顧客には著名人も名を連ねていた。だが実は風営法の許可がない裏キャバだった。キャバ嬢のほとんどが駆け出しのモデルやダンサー、美術系の学生などで、ルックスのアベレージは都内でもトップクラスだった。
SORAにはベンチシートがなく、客はバラバラに置かれた個椅子に座り、女の子はスツールに座った。個椅子は肘掛が高く、女性の体に手を出しにくい造りだった。おまけに対面のポジションなのでスキンシップはできない。客はあくまで女の子の容姿と会話を楽しむ。それ以上を望むなら店外デートするしかないシステムだった。他の客が視線に入らないように、絶妙な角度で置かれたソファの脇には、カラーが生けられたガラス製の大きな花瓶がいくつも飾られ、インテリアに溶け込んでいた。
通常のキャバクラでは時給の他に同伴の営業歩合が4、5割あるが、あくまで読者モデルや学生のバイトという建前になっているので、指名料以外の歩合はなかった。営業時間は午後3時から午前3時と長く、早めに出て馴染客が来たら六本木に繰り出す子も多かった。
KAORIはすぐに売れっ子になり、指名客が殺到した。アフターの誘いも多かったが、安売りするなという日振の指示で遊びは自重していた。だが、岡光だけは違った。
「それとそっくりの石を見たことあるよ」1人掛けのレザーのソファに座るなり、岡光はKAORIの指輪を見とがめて言った。右手の薬指には、堂本が残したロイヤルブルームーンの指輪が填っていた。
「どこで見たんですか」KAORIは真顔になった。
「よく見せて」岡光に言われるまま、KAORIは身を乗り出すようにして左手を差し出した。青いバイアスカットのワンピースの襟元から、吸い込まれそうに深い胸の切れ込みが露に見えた。岡光は胸には興味がないように、KAORIの手を取り、指輪をためつすがめつした。
「まちがいない。前に仲良くしてた子が、これと瓜二つの指輪をいつもしてたんだ。君と同じくらい美人で、土曜日しか出ない子だったから、OLでもしてたのかと思う。何度も見たから見間違えない」岡光の口調は用意してきたみたいにもっともらしかった。
「今もここにいる子ですか」
「いや、3年くらいも前だよ。あんなきれいな子はめったにいないからよく覚えている。名前はそうAKANEだった」
香夜子は一瞬ぎくりとしたが、すぐに冷静さを取り戻した。指輪の内側に彫られた名前はAKANEではなく、MIKOだった。
「AKANEって本名ですか」
「どうだろう。違うんじゃないか」
「そうですよねえ」香夜子の胸が再び高鳴りを覚えた。「AKANEさんの写真とかありますか」
「あったと思うけどどうして」
「美人だっていうから見てみたくて」
「今はないよ。いや、パソコンにまだ入ってるかも。探してみようか」
「はい」
「例えば今日、外で会うってのはどう」
「それは…」
「初回の客じゃアフターはダメかな」
「お写真拝見するだけなら」
「それならメビウスホテルでどう。あ、いや誤解しないように。ロビーを待ち合わせに使うだけだよ」
「お名刺とかはないんですか」
「名刺を出せない仕事なんだ」
「どういうことですか」
「察しがつかないかなあ。例えば査察とか」岡光は国税局だとほのめかした。
「ササツ?」
「声が高いよ」
「ここは危ない人は会員になれないって聞きました」
「高級官僚は危ないのかなあ。こういう店はお目溢しがないとやっていけない。いざという時役に立つよ」
「そろそろ交代の時間なんです。ご指名いただいたら後でまた回ってきます」
「別にもういいよ。1時にメビウスのロビーで待ってる」
「ホテルは私…」
「ほんとに待ち合わせに使うだけだよ。路上じゃ目立つだろう。そうだ、まだ名乗ってなかったね。僕は岡光と言います」
「KAORIさん」黒服がやってきてチェンジを告げた。
花瓶に生けたカラーを抜いて渡せば15分の延長になるが、岡光は渡さなかった。KAORIはマルニの上質なドレスの裾を直しながら立ち上がった。すぐに別の子がやってきた。長身に和風の小顔、おじんギャル風のジャケットにショーパンがアンバランスな印象を受ける子だった。
「黒川と申します」そう女は名字を名乗りながらスツールに座った。店外デートが目的の出会い系キャバでは、本名を名字で名乗るのが流行りで、KAORIのように源氏名を使う子はむしろ少なかった。
「下の名前は」
「秘密です」
「なるほど。だけど知ってるよ。黒川典子だろう。先月の「服華」の表紙に出てた。出身は関西だよね」
「マイナーな雑誌なのによく知ってるね。お客さん、業界の人なの」黒川は名前を言い当てられても驚かなかった。
「ここでバイトしてるモデルの素性はたいてい知ってる」
「じゃ、さっきの子とかは」
「KAORIはツバサプロの新人だろう。東北の被災者だって」
「怖いねえ。ところでなにか飲んでもいい」
「いいよ」岡光は大様に笑った。黒川はロングアイランドアイスティーを黒服に頼んだ。
「じゃさ、あの子は。ほら、小柄なミニの子」
「これで最後にしてよ。あの子はダンスカンパニーJINの子だ。名前はSHOYA」
「すごい。ほんとに知ってんだ。ねえ、それじゃ今日出てる子で、メジャーになりそうな子はいる?」
「さっきのKAORIかな」岡光は即答した。
「やっぱそうだよね。あの子初日からオーラが違うもの。だけど仙台の風俗で見たって噂もあんのよ」
「別に珍しいことじゃないだろ」
「そうだけどさ、やっぱそういうのって、メジャーになったら傷でしょう」
「黒川さんだって、関西じゃヤリマンでブイブイ言わせてたりして」
「やだ、やめて。誰が本気にするかわからないでしょう」
「そろそろ帰るよ」
「え、まだいいじゃない。もっとお話したいよ」
「実はアフターが入ってる」
「誰と? まさかKAORI?」
「内緒」岡光は精算のために黒服を呼んだ。




