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ブルームーン ~震災悲話~  作者: 石渡正佳
第5章 転身
54/91

54 初モデル

 アパートは秋吉が勝手に中目黒に決めた。目黒川沿いの桜並木の下にブティック、カフェ、ネイルサロンなどが点在する街は、駆け出しのモデルが暮らすには贅沢すぎるように思われた。貯金はあったが、ないふりをしたほうがいいと思い、敷金と前家賃は事務所から借りた。

 目尻切開のプチ整形はたった30分で終わり、歯列矯正はラミネート(表面の不整形を削り取ってレジン(樹脂)を貼り付けるだけの簡易矯正)で済ませた。

 読者モデルの仕事は翌々週から始まった。朝7時、香夜子は中目黒のアパートを出て日比谷線で広尾に向かった。私服は必ずミニ丈にするようにと日振から言われていたので、大学生っぽくてかえって好きではないデニムのショーパンを履いた。売れっ子になれば、脚を事故から守るためにマキシやパンツも許されたが、売れるまではクライアントに脚をアピールしなければならないというのだ。

 広尾に着くと秋吉が待っていた。KAORIのショーパン姿を見て満足そうだった。香夜子はモデル名を仙台にいた時と同じKAORIに決めた。日振は他の名前を考えていたが、香夜子が固執したのだ。風俗店で使っていた名前だと知っていれば、日振は同意しなかっただろう。

 スタジオまでガーデンマンション沿いの木陰の道を歩いた。広尾は発展途上の中目黒に比べると、遥かに成熟度が高い大人の街だった。スタジオが入っているのは3階建てコンクリート打ちっぱなしの円形の建物だった。

 仕事は通販雑誌のカタログ撮りだった。数十ルックのコーデに次々と着替えて、数ポーズずつ機械的に撮影するだけの仕事だった。

 「首から上は使わないから表情はあまり気にしなくていいよ。でも、KAORIちゃんの顔が使えないってことじゃない。それだけ体もきれいだってこと」秋吉が慰めにもならないことを言った。

 更衣室など使っている暇はなく、スタジオの隅での早着替となった。初仕事とはいえ最低の仕事だった。

 午後は松濤までタクシーで向かった。ランチは車内で野菜サンドを食べた。スタジオは住宅地の中にあるモデルハウスのようなところで、外国人住宅風にベージュやオレンジのペンキが塗られた小さな木造住宅が数棟並び、庭や通路がきれいにガーデニングされていた。

 仕事はメジャーなファッション雑誌「VANVI」に掲載するタイアップ広告の撮影だった。メインモデルは雑誌専属のROZAで、KAORIのほかに読者モデルが2人呼ばれていた。ROZAがポーズを変えて表情を決めるたびに、取り囲んだスタッフたちが「かわいい」を連呼した。初めて人気モデルの撮影に臨場し、香夜子は胸がわくわくした。

 カメラマンはオーディションのカメラテストを担当した四之宮だった。四之宮はKAORIを完全に泡沫読モ扱いし、ROZAの背景にしか使わなかった。だが、VANVIの版元の講論社から来ていた軽石が新人のKAORIに注目した。軽石は広告デザインを担当するアイムアートの奄美ディレクターに、KAORIをメインにした写真も撮影してみたらどうかと提案した。奄美が同意し、急遽KAORIのメイクとヘアを入念にやりなおし、スタイリストが彼女に合うコーデを考えた。ポーズも表情も硬かったが、四之宮はうまくKAORIの魅力を引き出した。スタッフたちは彼女にも「かわいい」を事務的に連呼した。

 一日中こき使われたギャランティーは、午前のカタログ撮りが2万円、午後の読モはたったの4千円だった。

 「初仕事お疲れさま」撮影後半に合流した日振がKAORIに声をかけた。

 「ありがとうございます」

 「軽石さんと奄美さんが打ち上げをやろうと言ってる。四之宮さんもデータ整理を終えたら駆けつけるそうだ。もちろんROZAも来る。これも仕事のうちだよ」日振は有無を言わさぬ口調で言った。

 渋谷の路地裏の小さなシチリアンレストラン「タベルネッタ・ラ・サルディーニャス」を貸し切リにした打ち上げが始まった。テーブルを1つにつなげて大テーブルにし、色とりどりの大皿料理やシチリアワインが並べられた。

 アフターでもROZAは場の中心だったが、料理には手を付けず、ミネラルウォーターばかり飲んでいた。トップクラスのモデルともなると、自分の決めた物しか口にしないのかとKAORIは思った。

 講論社の軽石は、津波で両親を失って大学進学直前に孤児になったというKAORIの出自が気になる様子で、彼女をメインにした新人モデル企画ができないかと日振に持ちかけていた。日振はもったいぶるように適当に相槌を打っていた。

 打ち上げがたけなわになる頃合にROZAは会場を抜けた。秋吉はKAORIに、今夜はアイムアートの奄美と付き合うようにという日振の指示をそっと耳打ちした。奄美が席を立ったのを見て、KAORIもそれとなく後を追った。

 奄美は西新宿のルバイヤットホテルまでタクシーで移動し、最上階のラウンジにKAORIを誘った。深々としたソファに座ると、周りの客から隔離され、目の前に広がる夜景を独占しているような気分にひたれる贅沢なラウンジだった。奄美に勧められるまま、KAORIはライチマティーニを頼んだ。

 「僕は名前が奄美だから南方系と思われているけど、実は気仙沼でね。実家が津波で流されてしまったから、君の経験が他人事とは思えなくてね。それから講論社の軽石も君が気に入ったみたいだ。あいつは石巻の出だよ」

 「そうですか。ご家族はご無事でしたか」

 「僕の両親は無事でしたが、親戚や同級生が何人か亡くなりました」

 「私も友達が何人も」KAORIはあえて両親の死には自分からは触れなかった。話題にして不幸を自慢しているようにとられたくなかった。

 「嫌なことを思い出させて悪かったね」

 「思い出さなくても片時も忘れたことありません」 

 「地震のあと、いろいろあっただろうけど、こうして会ったのもなにかの縁だから力になるよ。この業界は人がすべて。人に頼ることは恥でもないし、罪でもないよ」

 「こんな経験をしたおかげで、人の情けというものが良くわかりました。助けてもらえなかったら生きていないかもしれませんから」KAORIはつぶれた家から助け出してくれた堂本のことを考えていた。

 「今日がモデルの初仕事だってね。その前はどんな仕事を」

 「大学に入ったけど1日で退めて、仙台の国分町で働いていました」

 「キャバとか」

 「ランパブです」KAORIは正直にカミングアウトした。どうせ調べればわかることだと思ったし、元来ウソが下手だった。

 「そうか。君なら人気があっただろうね」

 「驚かないんですか」

 「別に珍しいことじゃない。裏ビデオに出てたと聞いても驚かないよ。美しく生まれたことの原罪っていうかなあ。売れるということはね、買い手があるということ、つまり商品価値があるってことだよ。それで幸福を掴むも、不幸になるも、本人の覚悟次第だ。ランパブなんて風俗じゃソフトな部類だけど、あんまり自分からは言わないほうがいい」

 「気をつけます」

 「日振さんも知ってる話かい」

 「たぶん」

 「あの人のことだから、きっと君のいた店に調べに行ったと思うよ。有名になった時に、スキャンダルにならないように対策をしておかないといけないだろう」

 KAORIはぎくりとした。日振が本当にレディードールに調べに行ったなら、ランパブとは名ばかりの過激サービスがあったことも、その後短期間だがソープに移ったことも知られているかもしれなかった。

 「でも有名になるなんてありえません」

 「それは誰にもわからない。人気が出るかどうかなんて、ほんのちょっとの偶然で決まるものだよ」

 「偶然て、たとえばどんな」

 「偶然とは出会いだよ。ツバサプロに登録したってことは、MAIHIMEかSORAに出てるのか」MAIHIMEもSORAもツバサプロモーション直営のキャバクラだった。

 「はい、SORAに」

 「芸能関係者もよく来る店だ。君ならすぐに支援してくれる人が現れるだろう」

 「私なんてぜんぜん目立ってません。もう雑誌デビューしてる子とかも大勢いるんです」

 「どこのモデル事務所も似たり寄ったりだけど、ツバサプロはとくにえぐいから気をつけな」

 「なんでもご存知なんですね」

 「SORAは時給4千円くらいか」

 「時給は内緒にするように言われました。あとフラッシュにも登録しました」

 「もう出たのか」奄美は苦い顔をした。フラッシュは素人カメラマンのためにモデルを提供する派遣型風俗店だった。

 「まだです」

 「あそこはやめたほうがいい。実質デリヘルと違わない。それに写真が残るから、メジャーデビューできなくなる。あそこに出されるモデルはデビューの目がないスクラップばかりだよ」

 「わかりました。でも、メジャーになれるなんて考えていません。お金を貯めたら留学したいんです」

 「そのためにはなんでもするってことか」

 「そうです」

 「君ははっきりしてていい。高校時代からそんなふうにさばけてたのか」

 「友達はいろいろやってましたけど、私は親が厳しくて」香夜子は高校を卒業するまでペッティング経験しかなく、実質的にバージンだった。津波が彼女の純潔を根こそぎ奪ったのだ。

 「ご両親がご健在なら、ここに君がいることはありえなかったわけだ。だけど自力で生きていくことになにも恥じることはない。親の金で遊び呆けて、だれかれかまわず股を拡げる大学生なんて、なんの魅力も感じない。そこへいくと君の経験は実に奥深い」

 「ありがとうございます」

 「今日は初撮影で疲れただろう。そろそろ部屋に戻ろう」奄美はカードキーをつかんで立ち上がった。

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