46 消えた警部
2日後、涸沼は警視庁を訪ねてみることにした。市役所の身分証を出すと案外すんなりと入館証をもらえた。
「目黒警部にお会いできるでしょうか」捜査員が出払った生活経済課の雑然とした室内を見渡しながら、涸沼は不安と期待の入り交じった震えるような口調で言った。
「目黒警部ですって」応接に出た資料係の小柄な女性が、意外そうな顔で涸沼を見た。警察勤務とは思えない無防備な丸顔をさらしていた。涸沼は婦警ではない内勤専門の警察事務吏員がいることを知らなかった。
「お世話になったいわき市役所の者です。お取り次ぎ願えますか」
「目黒警部はおりませんよ」
「もしかしてなにか事故に遭われたんでしょうか」
「目黒警部にどんなご用件でしょうか」
「一言お礼を申し上げたいと思ったのですが、急に携帯が繋がらなくなってしまって」涸沼は丁寧な挨拶を繰り返した。
「携帯ですか。それっていつのことでしょうか」彼女は疑念を深めたような顔で言った。
「一昨日のことです」
彼女はいよいよ驚いた顔で涸沼を見た。「ちょっとここでお待ち願えますか。今、上司を呼んで参りますから」
あわてて課内に引き返した女性吏員に代わって、課長補佐の島津警部が現れた。小太りでがっしりとした体躯の男だった。
「あんたかね、目黒を訪ねてきた市の職員というのは」島津はじろりと涸沼の風采を睨んだ。地方出身なのか、言葉のアクセントに東北訛りが残っていた。
「はい」
「ちょっとこっちへ来てくれるか」
「はあ」いかにも警察官らしい島津の命令口調にたじろぎながら、涸沼は奥の面接用個室のテーブルについた。
「もう一度、名前と仕事を言ってもらえないかね」
「涸沼公二、いわき市役所社会福祉課の職員です」
「ご同業ってことだな」島津はやや警戒を解いた顔をした。「それで目黒とどこで会ったんだ」
「最後にお会いしたのは川崎です。一番初めは福島駅前の喫茶店です。それから一緒に双場郡の処分場に行きました」
「双場郡って放射能の警戒区域のか」
「はい」
「そんなとこで目黒はなにをやってたんだ」
「原発周辺の警備の応援に来たと」
「どんな男だったかね。背丈とか覚えているかね」
「中背のがっしりとした体の方でした。年齢は40歳くらいに見えました」
「年恰好は似てるが、そいつは目黒じゃないな」
「でも、確かに生活経済課の目黒警部だとお聞きしました。バッチも名刺もお持ちでした」
「目黒は死んだんだよ。2年前に殉職した」
「殉職? それじゃあ…」涸沼は絶句した。
「あんたが会ったのは目黒じゃないよ。幽霊じゃないとすれば、誰かが名前を騙ったんだろう」島津は煙草をまずそうに揉み消した。
「偽名ということですか」
「そうだろうな。真意はわからないが、あんたに名前を聞かれて、とっさに知ってる警察官の名前を言ったのかもしれない。ともかくそれだけのことさ。あんた、もしかして金品とかそいつに渡したのか」
「ええ」
「いくらだ」
「50万くらい」
「立派な詐欺だな。告訴してはどうかね」
「でも、騙されたとは思っていません。廃棄物の捜査の仕方を教えてくれたんです」
「捜査方法を教わった?」
「僕は処分場に不法投棄された廃棄物の出所を調べようとしていたんです」
「なんで社会福祉課のあんたが」
「行方不明のフィアンセの手がかりなんです」
「さっぱりわからんな」島津は苦い顔をした。「告訴する気がないなら、それはあんたの自由だが、もうちょっと詳しく聞こうか」
涸沼は堂本との不思議な出会いから説き起こし、土佐犬に襲われて目黒とはぐれた経緯を話した。
「話は半分に聞いておくよ。にわかには信じがたいからね。それで目黒を名乗る男に確かに調査費を渡したんだね」島津はすごみを効かせた声で言った。
「はい」
「あんた公務員のくせに、警察官から金品を要求されるなんておかしいと思わなかったのかい」
「それはちょっとは」
「立派な詐欺事件だし、警察官の身分詐称というのは珍しい。だが、あんたも身分詐称の共犯となると、確かに告訴するわけにはいかんね」
「僕も罪になるんでしょうか」
「微妙なところだね。あんたらは誰にも損害は与えていないから詐欺ではないが、それでも市役所にばれたらまずいんじゃないかね。2度とこういうマネはせんほうがいいね。第一危ないじゃないか。現に土佐犬に襲われたって言うし」
「やりすぎたと思ってます」
「目黒の偽者にはかかわらないで、いわきに帰ったらどうかね」
「でもやっぱり信じられません。目黒警部の写真とかないですか」
「しょうがねえな。ちょっと待ってろ」島津は自席に戻って1枚の写真を持ってきた。
「これは3年前の正月に撮った記念写真だ。当時の課員が全部写ってる。この中に目黒はいるか」
「はいいます、この人です」涸沼は自信を持って左隅に立っている中肉中背の男を指差した。
「ほう、確かにそいつが目黒だ。てことは…」島津もすぐにはどう理解していいかわからない様子で腕を組んだ。
「目黒警部が生きてるってことはないんですか」
「ありえないな。頭と胸に銃弾を3発食らって即死だったんだ」
「じゃ、僕が会ったのは誰ですか」
「誰かわからんが、外見をそっくりに似せてるってことは、単なる身分詐称でもないらしい。あんたらがなにを調べてたのか、もう少し詳しく教えてくれよ。俺もちょっと興味が湧いてきたわ」島津は腰を据え直した。
「ええ、ですが…」
「なんだ、怖くなったのか」
「だって幽霊だったら」
「そいつに言われたとおりにやって、現場でなにか手がかりを見つけたのか」
「これです」涸沼は現場で拾った証拠のリストを渡した。
リストの点検を終えると島津は感心したように涸沼を見た。「よくできてるが警察のやり方とはちょっと違うな」
「そりゃあ、素人がやったんですから」
「で、この証拠からどうして翼商会がわかったんだ」
「夜逃げをした産廃業者の事務所で領収証を拾ったんです」
「誰が見つけた」
「僕です」
「あんたの話を聞いて思ったけど、ムダがなさすぎだわ。捜査ってのはそんなに都合よくいくもんじゃねえ。どうもやらせっぽいな。目黒の偽者が仕込んでおいて、わざとオメエにその証拠を拾わせたんじゃねえのか」
「どういうことですか」
「つまり翼商会とそいつはグルだ。土佐犬に襲われたのもやらせだな。オメエが怖くなって逃げ出して調査は打ち切り、50万は丸儲けだわ。だから携帯も後腐れなく解約しちまった。そう思わねえか」島津の推理は鋭かった。
「でもどうして。グルならむしろ僕に翼商会を発見させたくないんじゃないですか」
「とにかくなんらかのルートで、最初から翼商会が関わってることを知ってたんじゃねえのかな。50万もらったんだから、それなりの調査をしねえとかっこがつくめえ。オメエはヤラセの調査につき合わされたんだよ」
「なるほど、そうかもしれません」
「トーシローがここまでやったのは誉めてやるが、捜査は遊びじゃないぞ。土佐犬を3匹も飼うやつはカタギじゃねえ。命拾いしたと思えや。告訴する気がないんなら、こっちも動きようがないし、やっぱりおとなしく役所に帰ったほうがいいな」島津はすべてを目黒の偽者の自作自演と決め付けて、興味を失ったように席を立った。
「はい」涸沼は煮え切らない思いで警視庁を出た。




