45 土佐犬
目黒が運転するレンタカーは第三京浜を経由して川崎に向かい、ゆっくりと翼商会に近づいた。ゴミがうずたかく積まれた現場を予想していたが、予想に反して翼商会は建設汚泥の固化施設だった。建設汚泥はビルの基礎やトンネルを掘るときに地盤の土砂とセメントミルクを置き換える工事で発生する泥で、ほおっておいても固まる。それを最終処分場に出したことにしてゼネコンから処分費をもらい、実際には残土や再生土で出すという、うまみの大きい仕事だった。いきおいヤクザのフロント企業も多かった。
「ゴミ見えないですね」
「汚泥屋だからな。ここはやべえぞ。筋金入りのフロントって感じだ。汚泥に死体を沈めて固めれば永久に発見されないからな」
「冗談やめてください」
「どうかねえ。死体の始末なんざ日常茶飯事だったりしてな。じゃ、行くぞ。おめえは後ろにいろよ」
目黒はいきなり場内に立ち入った。一見して大した設備はなく、汚泥を投入するためのピット(穴)が3つと、固化剤の入ったサイロが1つあるきりだった。コンテナを2つ連結して窓を付けた事務所の脇に、スクラップの鉄骨を溶接して建てた大きな檻があり、その中で毛並みのいい土佐犬が3匹、うなり声を上げて2人を歓迎した。檻の前でチンピラ風の男たちがうろうろしながら2人を見ていた。涸沼はただならぬ雰囲気に身を固くしたが、なんとか平常心を保って目黒に従った。
「土佐犬がいやがるのか。どうして産廃屋ってのは土佐犬が好きなんだろうなあ。外国じゃ猛獣に指定されてて輸出もできないんだ。けしかけられたら死ぬぞ。噛みつかれたら最後、骨まで砕かれちまう。いいか、絶対逃げるなよ。襲われたら頭をがつんと殴れ」
涸沼は怖くなって思わず立ち止まった。目黒が涸沼をその場に残して、男たちに1人で近づこうとした時、背後でカラカラと甲高いエンジン音がした。
「目黒さん、後ろ」
「あ?」目黒の目の前を真紅のフェラーリが走りぬけた。
「てめえら、なにやってんだ?」破鬼田がドアを跳ね上げるなり怒鳴った。
「社長さんですか?」目黒は平然と聞き返した。
「オメエら何者だ」
「不法投棄の聞き込みをやってましてね」
「なんだ、デコか。だったら、うちは関係ねえよ。見てのとおりの汚泥屋だからな」
「残土にゴミをまぶして出してんじゃねえのか」
「あ? アヤつけるつもりかい」
「冗談だよ。調べてんのは福島の捨て場だ」
「福島だと?」目黒の言葉に破鬼田は一瞬顔色を変えた。「なんのことだ」
「無線屋が引っぱったってタレコミがありましてね」目黒は大胆な鎌を掛けた。
「なんだいそりゃあ」
「ご存知ないですか」
「ちょいと旦那、一応名刺かなんかを」
「名刺はやれねえが、俺は目黒って言うんだ」
「はあ、目黒警部さんで。じゃ、バッジくれえ見せてくださいよ。それとあちらのお連れさんも刑事さんで」破鬼田は2人の身分詐称を見破ったらしく、配下の男たちに目配せした。
「逃げろ」目黒はそう叫ぶと、涸沼を襲おうとした男に体当たりした。涸沼は一瞬固まったが、すぐに車に向かって走った。
「ゴー」破鬼田の命令で犬小屋の土佐犬が解き放たれた。
3匹の土佐犬は逃げる涸沼を無視し、金色の毛並みを光らせて目黒に飛びかかった。目黒は襲いかかる犬の側頭部を狙って、渾身の力でフックの一撃を食らわした。だが、効きめはまるでなく、たちまち腕と太股に食いつかれて、地面に引き倒された。
X-トレイルに逃げ戻った涸沼は、キーをひねって目黒を救いに戻ろうとした。だが、目の前で門扉が閉まった。
「目黒さん…」涸沼は絶句した。
ライオンのように獰猛なうなり声が聞こえたかと思うと、門扉を軽々と飛び越えた1匹の土佐犬が、フロントガラスを破ろうとしてボンネットによじ登ってきた。ガラス越しに巨大な犬の頭がせまった。前足で塗装をひっかく不快な金きり音が激しく響き、車体がぐらりぐらりと揺れた。太い舌が涸沼の顔を舐めるように、フロントグラスにベタッと貼りついた。涸沼は急発進して犬を振り切った。バックミラーを覗くと、あきらめずに犬が猛スピードで追ってくるのが見えた。涸沼はアクセルをベタ踏みにして、ただひたすら逃げに逃げた。
目黒警部とはそれきり連絡が取れなくなった。携帯は何度かけても電源が切られていた。翌日には番号自体が廃止になってしまった。目黒の身になにかあったとしか考えられなかったが、安否を確かめに翼商会に戻るわけにはいかなかった。




