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ブルームーン ~震災悲話~  作者: 石渡正佳
第1章 大震災
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4 出会い

 2人は空港から川を隔てた海側の住宅地で、できるだけ大きな家を探した。

 「おい、あれ見てみろ」卯月が声を潜めていった。

 「立派な家っすね」

 「そうじゃねえ。よく見てみろ。女だ。まだ生きてっぞ」

 児玉が目をこらすと確かに半ば壊れた家の玄関先で、下半身がガレキに埋まっている女の頭と腕が見えた。卯月はなぜか忍び足で流され残った家に近づいた。児玉も後に従った。

 「でえじょうぶか」卯月がケガをした女に優しく声をかけた。

 「助けて」女が卯月を見上げながら力なく言った。児玉は卯月の顔が欲望に歪むのを見た。高校生くらいの年頃で、暗がりの中でもはっきりとわかる細面の美人だった。

 「ガレキをのけてやっから待ってろ」卯月は女の脚に乗ったガレキを、崩れないように1つ1つ慎重に外した。児玉も手伝った。

 「児玉、オメエなにかロープみてえなもん探してこいや」

 「なんで」児玉は目を白黒させた。女を縛るつもりかと疑ったのだ。

 「急にガラを外すと汚れた血が巡っておっちぬんだ。だからつぶれたほうの足を縛っておくんだよ」

 「そんなもんすか」

 「早くしろ」

 「はあ」児玉は周辺のガレキの中から適当な細引きを探してきて、女の太腿を縛った。その時初めて女がショーパンを履いているのがわかった。衣服と素足の区別もつかないほどドロドロに汚れていたのだ。

 「もっときつくだ。それじゃ血が流れちまう。棒切れをはさんで締めるんだ」

 卯月の知識に感心しながら、児玉は言われたとおりにした。止血がうまくいったのを確認してから、卯月はゆっくりと最後のガレキを外した。動かなかった女の体がふっと軽くなったように動いた。

 「ありがとう」女は涙目にお礼を言うと、家の中に向かって動き出そうとしたが、脚が麻痺して動かなかった。

 「どした」児玉が女の視線を追いながら言った。

 「お父さんとお母さんがあっちに」女は部屋の奥を見た。

 「見てくっからここで待ってろ」児玉は1人で家の中に入った。1階は原形をとどめないほどぐちゃぐちゃで、生存者がいるようには見えなかった。女が脚を挟まれた程度で助かったのは奇跡だった。壊れた階段に箪笥の残骸をひっかけて2階に上がってみた。2階はどの部屋も家財が倒れた程度で、津波に飲まれてはいなかった。だが、人の気配はなかった。

 「やめてください。お願いです」階下で女の小さな悲鳴が聞こえた。

 「おとなしくしてりゃすぐ済む。男を知らねえわけじゃねえだろう」卯月が女を脅かす声が聞こえた。

 1階に飛び降りた児玉の目に、助けたばかりの女の泥まみれの着衣をむりやり引き剥がそうとしている卯月の背中が写った。卯月は留置場の中で自分の罪状は強盗強姦だと自慢していた。その本性を現したのだ。

 「ケガしてるってのになにやってるんすか」児玉が叫んだ。

 「コソ泥はすっこんでろ。こんな上玉逃す手はねえぞ。俺らが助けなけりゃ死んだ命じゃねえか。オメエも後で抱かせてやっから待ってろよ」

 「そうはいきませんよ」児玉は卯月の背中に手をかけた。卯月がその手を払いのけようとした瞬間、児玉は卯月の手をひねりあげた。

 「いててて。てめえ、なにしやがる」

 「やめねえと関節つぶしますよ」児玉が軽く力をかけただけで、卯月の肩関節がゴキッと音をたてて外れた。児玉はさらに力をかけた。卯月の額に脂汗がじわっとにじんだ。児玉には柔道の心得があり、関節をつぶすというのはハッタリではなかった。

 「わかったわかった、もうやめろ。こんな死にかけ女はくれてやるからよう」

 児玉が力を緩めると腕がすっと抜けて、卯月は無様に腰を抜かした。「一緒に行くのはここまでっすよ」

 「てめえ、覚えてやがれ。この借りはきっとけえすからな」卯月は無念そうに起き上がると、だらりと垂れた腕を押さえて逃げていった。

 女は動かない脚を引きずりながら必死に崩れた壁に身を寄せ、怯えきった目で卯月の背中を見送っていた。半ば引きちぎられたドロドロの下着が痛々しかった。

 「家ん中には誰もいねえみてえだ。早く病院に行かねえとその脚やべえぞ。空港まで行けば消防がいっと思うからおんぶしてってやるよ」できるだけ優しく声をかけたつもりだったが、女は無言で首を振るばかりだった。

 「名前はなんて言うんだ」

 「…」

 「もうしんぺいねえよ。名前くらい教えろ。俺は…」

 児玉は一瞬言いよどんだ。警察に足取りを探らせないためには名乗らないほうがいいと思った。

 「城山香夜子」女は素直にフルネームで答えた。

 「高校生か」

 「来月から大学生だったけどもうだめかな」

 「そんなことねえよ。生きてたらなんとかなる。負けんじゃねえよ。2階で着るもん探してきてやっから空港まで行こう」

 「お父さんとお母さん探さないと」

 「ここにはいねえよ。早く病院行こう」

 「やだ、ここにいるの」自力で立ち上がろうとしたとたん、香夜子は意識を失って崩れ落ちた。脚に溜まった毒素が体に回ったのだ。唇が血の気を失った死人のように青白くなった。卯月に破られた服を取り替えてやる暇なんてもうなかった。

 児玉はとっさの機転でロープをもう1度きつく締め上げると、女の体を肩に担ぎあげ、空港に渡る小さな橋に向かって全速で走った。高校生だったころ、柔道の練習で担ぎ上げていた先輩たちの巨漢に比べたら、香夜子の体はびっくりするほど薄っぺらで、レザーのジャンパーでも運んでいるくらいにしか感じなかった。華奢な体つきからは思いがけなく女らしい胸の隆起が背中に心地よかったが、児玉は邪念を振り払った。命に代えてこの女を守れ、そんな天の声が聞こえてきた。男には生涯に一度、そんな女が現れたと感じることがあるのだ。

 空港方向にサーチライトの明りが見えた。大型ヘリの轟音も聞こえた。やっぱり自衛隊がいるに違いなかった。だが住宅地との境に流れる小さな川にかかった橋が流されていた。川はガレキで埋まり、香夜子を担いで渡るのは危険だった。流され残った橋を見つけて対岸に出ると、空港周辺の低地は水没して湖のようになっていた。児玉は意識のない香夜子の体をしっかり背負いなおし、水の中に入った。腰の上まで海水につかりながら、1歩1歩足元を探って進んだ。水路に嵌ったら女に水を飲ませてしまう。ただでさえ衰弱した肺に海水が入ったら助からない。児玉は渾身の力で香夜子を担ぎ続けた。

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