35 アルバイト刑事
涸沼は福島駅前の垢抜けない喫茶店でじりじりしながら児玉を待っていた。約束は4時だったが、すでに7時過ぎになっていた。すっぽかされたと思ったが動けなかった。
閉店時間の8時が迫り、アルバイトの若い男の店員が店終いの準備をしたくて、何時間も居座っている涸沼を迷惑そうに見た時、新来の客が店に入ってきて涸沼の前に座った。40代の胸板の厚い男だった。
「お待ち合わせですか」店員は仕方なさそうに愛想を言った。
「アイスコーヒーくれ」
「閉店まで15分ですが」
「かまわねえよ」
「かしこまりました」店員は面倒くさそうに冷蔵庫を開けて出来合いのアイスコーヒーをグラスに注いだ。
「どちら様でしょうか」涸沼は不審そうな目を見知らぬ男に向けた。
「後で説明するよ。それよりあんたが待っている男はこいつだろう」男はタブロイド新聞を涸沼の目の前に広げた。
「放射能での初の犠牲者か」という見出しが踊り、写真はないが堂本賢治の名前が載っていた。香夜子のアパートの階段で倒れた児玉は宇田川に放置された道路で発見されて大学病院に搬送され、急性放射線症と診断された。所持していた免許証から身元を堂本と取り違えられてしまったのだ。
「堂本さん、被爆してたんですか。ぜんぜん気づかなかった。助かったんですか」
「死ぬだろう。あんたがこいつと特別警戒区域の中に入ったことはわかってんだ」
「まさかそれが原因ですか」涸沼は自分も被爆したのかと思って青ざめた。
「そうじゃない。こいつが被爆したのはもっと前だ。それはそうと、あんたたち、なんのために警戒区域に行ったんだ」
「あの、もしかしてあなたは」
「閉店まで時間がないんだ。さっさと話せよ」男は警察バッチをちらつかせた。
「そういうことですか。指輪を見つけた場所を見せてもらったんです」涸沼は納得したように話しはじめた。
「どういうことだ」
涸沼は堂本との偶然の出会いや、フィアンセの美姫の失踪、指輪の思い出、指輪が捨てられたルートを堂本に調べてもらう約束をしたことなどを手短に説明した。
「それじゃ堂本が生きていたら、今日また警戒区域に行くはずだったのか」
「はい」
「堂本はどうやってルートを調べるって言ってたんだ」
「会社の帳簿で調べると」
「なるほど」男は腕組みした。「堂本が考えてたことは見当がつくよ」
「ほんとですか」
「あいつは処分場の関係者じゃない。口からでまかせを言ったんだ。入院しなかったとしても、ここには来なかっただろうよ」
「そんな」
「だけどよ、指輪の出所を調べんのは、そんなに難しいことじゃない。指輪と一緒に捨てられたゴミがあるなら、そのゴミの廃棄ルートを調べればいい」
「でも処分場の帳簿がないとムリじゃないですか」
「ゴミの中には社名が書いてあるものがある。そこに問い合わせて廃棄物を扱った業者を特定していくんだよ。警察にとっちゃあ、日常茶飯事の調査方法だな」
「よくわかんないですが、ところであのう、福島県警の方なんですよね」涸沼は男をしみじみと見た。
「目黒と言う。警視庁のもんだ」
「堂本さんのこと調べてるんですね。それでここに僕がいることも」
「仕事のことは秘密だ。あんた、まだゴミを調べる気があるのか」
「僕にはゴミの調査なんてムリです。廃棄物の仕事なんて市役所じゃやったことないです」
「指輪の出所を調べたいんだろう」
「それはそうですが」
「なんなら俺が手伝ってやらないでもない」
「できるんですか」
「俺の追ってるヤマとは関係ないが、非番の時にやってやらないでもないな」
「ほんとですか」
「そのかわり、ただってわけにはいかないよ。警視庁からは経費が出ないんだから、実費くらいはもらわないと。公務員が安月給なのは知ってるだろう」
「手伝ってもらえるなら、お礼はします」
「お礼なんてだいそれたものはいらないよ。そうさなあ、とりあえず必要経費として50万出せるか」
「えっ」金額の大きさに涸沼は思わず声をあげた。
「やならいいよ。探偵事務所なら、その何倍もぼったくるぞ。なんなら紹介してやろうか」
「いえ、だいじょうぶです」
「でえじょうぶってのはどういう意味だよ。オーケーかノーか」
「お願いします」
「わかった。それじゃ善は急げだ。これからすぐに証拠探しに行こうか」
「えっ、もう夜ですよ」
「だからいいんじゃないか。そのつもりで堂本を待ってたんだろう。それに昼間は近づけない場所なんだろうからな」
「検問がありますよ」
「俺は桜田門(警視庁)だぜ」
「それもそうでした」涸沼は伝票をつかんで立ち上がった。閉店時刻ぎりぎりだったので、店員が待ち切れずに床掃除を始めていた。




