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ブルームーン ~震災悲話~  作者: 石渡正佳
第3章 なりすまし
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32 消えた死体

 土曜日の夕方、児玉は仙台駅から新幹線に乗り、涸沼と福島駅で落ち合った。なんとなく堂本の免許証を使いたくなかったので、涸沼の免許証で駅前レンタカーを借りた。一番安いトヨタのベルタだった。

 運転席に座った児玉は行き先を説明しなかったが、カーナビがあるので、原発方面へ向かっていることは涸沼にも明らかだった。そんなことになるんじゃないかと、涸沼は原発周辺の地理を予習してきていた。公務員なので法律を犯すのはまずい。しかし避難指示を無視したとしても罰則はなかった。

 児玉は検問のない市町村道を選びながら特別警戒区域に入った。ちょうど日が暮れたが、児玉はヘッドライトを点けなかった。

 「指輪はこの先の処分場で拾ったんだ」無口な児玉がやっと言った。

 「地震の前ですか」

 「いや、原発の爆発を見た後だ」

 「え、爆発を見たんですか。それじゃ、その時も避難指示を無視したんですか」

 「知らなかったんだ」

 「でも、用事があれば関係者は入れるんですよ。指示は命令じゃないですから」

 「法律のことはわかんねえけど、好き好んで近づくやつはいねだろう」

 「それはそうですね」

 車はフタバックス最終処分場の入口に着いた。誰も戻ってきていない証拠に門扉は壊されたままだった。児玉は迷わずアクセルを踏んだ。

 1か月ぶりの最終処分場の進入路は深い夏草に覆われていた。放射能汚染が深刻化してからは、もはや便乗投棄も行われなくなっている様子だった。

 車は処分場を見下ろす高台に出た。とたんに異臭が車内に侵入してきた。処分場に捨てられた有機物が腐敗しているのだ。

 ガスがあるから気をつけろと言おうとした時には、涸沼はすでに車を飛び出していた。

 「おい、車に戻れよ。一番奥だから、もうちょっと車で行くぞ」

 「はい、つい興奮しちゃいました」最終処分場は初めてのはずなのに、涸沼は物おじしなかった。

 錆びた鉄板敷きの搬入路の突端で車を停め、そこからは懐中電灯を手にして指輪を拾った場所に向かった。

 廃棄物からはむんむんする熱気が上がっていた。遺体がまだあるのかとはらはらした。もしも異臭がしたら、豚の死骸だとごまかして、別の場所を教えるつもりだった。だが、遺体は見当たらなかった。もしも遺体が近くにあれば、夏のことだし、耐えられない腐敗臭がするはずだったが、児玉にとってはなじみのあるゴミ臭しかしなかった。誰かが遺体を移動したのだ。自衛隊か警察か見つけてしまったのか、それとも犯人が隠しに来たのか。死体が消えたことで、安堵よりもむしろ不安が募った。

 「指輪を拾ったのはどこですか」涸沼が迫った。

 「そのへんだと思う」児玉は適当に返事した。ウソではないが正確でもなかった

 「じゃ、この袋ですか」涸沼は目の前に転がったトン袋を指差した。

 「そうだと思う」児玉は生返事を繰り返した。指輪は袋に入っていたのではなく、ゴミの上に落ちていたのを拾ったのだ。確証はないが消えた死体の指から外したのだろう。本当のことを教えれた涸沼は警察に通報して死体を捜すだろう。そうなれば児玉は指輪の発見者として取調べを受け、堂本でないことがばれてしまう。それよりは涸沼が信じたとおりに、ゴミ袋に入っていたことにしようと思った。

 涸沼は袋の中身をぶちまけ、懐中電灯の明りを頼りにゴミをあさりだした。

 「どうだ、なにかありそうか」児玉は呆れながら涸沼に声をかけた。

 女の遺留品などあるはずがなかった。しかしなにか手がかりを探そうと、涸沼はゴミを広げ続けていた。

 「ほんとにこの袋ですか」涸沼はしゃがみこんだまま、児玉を見上げた。

 「指輪と一緒に女がなにか捨てたと思ってんならムダだぜ」

 「どうしてですか」

 「これは産廃だ。女の家のゴミじゃねえよ」

 「じゃ、どうして指輪がこの中に」

 「この中にあったかどうかはっきりとはわかんねえ。このあたりにあったっつうだけだ。女がここまで来て捨てたのかもわかんねえよ」涸沼はデタラメを言った。

 「美姫が福島まで戻ってきて僕に連絡しないはずがありません。指輪はこのゴミと一緒にここに来たんです」

 「ほんとになんでも決めつけるんだな」

 「ほかの可能性はありませんから」

 ほかの可能性だってあるだろう。泥棒が死体の指を切って盗んだものの、安物だと気づいて捨てたのが真相だと、児玉は言ってやりたかった。

 「指輪がここへ来たルートを調べることってできないでしょうか」

 「指輪はわかんねえけど、ゴミならできねえこともねえな」

 「ほんとですか」

 「ここは正規の処分場だからよ、どっからゴミが来たかは書類がある」

 「さっきの事務所にですか」

 「いや、書類は本社に片してあっから、ここにはもうねえよ」

 「堂本さんは、この処分場の関係者なんですよね。だったら調べられますよね」涸沼は勝手に児玉を処分場の社員だと決めつけていた。

 「やれねえこともねえけど」

 「お願いします」

 「それってただってわけにはいかねえぞ。経理の担当とかにも頼まないとなんねえから」児玉は成り行きで出まかせを言った。

 「お礼はいくらでもしますから、このゴミが来たルートを調べてください」

 「わかったけど、いろいろ調べんのに時間がかかっから、日を改めて相談しようぜ。そうだなあ、2週間後の今日と同じ時間にまた福島駅でどうだ。それまでの軍資金に20、いや30万もらってもいいか」

 「わかりました。それくらいなら今持ってます」

 「ほう、用意がいいこったな。じゃ、今日は引き上げようぜ。臭くてたまんねえ。体中に染みちまったよ」

 「ちょっと待ってください」涸沼は散らかした廃棄物を、元の袋に戻し始めた。

 「オメエ、なにやってんだ」

 「大事な証拠ですから、風で飛ばないようにしてるんです。後で警察とかが調べるかもしれないでしょう」

 「なるほど」児玉は涸沼の機転に舌を巻いた。

 福島駅まで戻り、レンタカーを返すと、児玉は涸沼から金を受け取った。もちろん、処分場の書類を調べるつもりなどなかった。処分場の本社がどこにあるかなんて知らないし、どうせ便乗投棄のゴミなんだから書類なんかあるはずがない。指輪は死体が填めてたんで、ゴミと一緒に来たんじゃない。ゴミの出所なんか調べてなんになるか。それにもう2度と涸沼とは会わないつもりだった。義捐金ほしさに市役所に行くのも止めようと思った。堂本の顔を知っている同級生にでも会ったが最後だ。しかし、ゴミと一緒に女の遺体を棄てたやつが誰か気にならないこともない。それが誰かわかるなら、それはそれで金ずるになるかもしれない。地震以来、児玉がやってきた悪事の中で、死体を捨てたやつを逆にゆするのは、そんなに最悪のことでもないように思った。

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