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ブルームーン ~震災悲話~  作者: 石渡正佳
第3章 なりすまし
27/91

27 指輪の奇跡

 順番はなかなか巡ってこなかった。児玉は手持ち無沙汰に青い石の指輪を取り出した。呪いがかかっていると出まかせを言ってナオから取り戻した指輪だ。児玉の指では太すぎて小指の先がやっと入るくらいだった。青い光の反射が目に入ったとき、捨て場の記憶がまたよみがえった。もしかしてこの指輪にはほんとに死体の呪いがかかっていて、そのせいで不能になったのか。いやそうじゃない、もっと前からだ。指輪についた大きな青い石を見ていて児玉はやっと気づいた。原発の青い光を見たせいで不能になったのかもしれない。

 「あ、その指輪…」ブルーの制服を着た市の男性職員が、通りがかりに立ち止まり、びっくりしたように児玉がいたずらしている指輪を見て叫んだ。

 「あん?」児玉は男性職員を振り仰いだ。

 「いえ、なんでもないです。義捐金の申請をお待ちなんですか」

 「そうだけどよ。順番なかなかこねえじゃねえか」

 「ちょっと番号札よろしいですか」

 「ああ」児玉は番号が見えるように示した。

 「ちょっと待ってください。今どれくらいか見てきますから。お名前お伺いしてよろしいですか」

 「堂本だよ」

 「堂本様ですね。それお借りしますね」男性職員は児玉の番号札を持って事務室の中に入ってしまった。

 しばらく待っていると同じ男性職員が戻ってきた。「別室へどうぞ」

 「え、なんで」

 「とにかくどうぞ」

 市役所の中に堂本の顔を知っている者がいたとすれば、早くも印鑑証明書の詐取がばれた可能もあった。45万円ぽっちの義捐金なんかに欲を出さないで、早くばっくれればよかっかと後悔したが、ここでじたばたするわけにも行かず、児玉は男性職員に従った。男性職員は小さな相談コーナーに児玉を案内した。

 「こちらにご記入願えますか」男性職員は義捐金の申請書を事務的に差し出した。氏名、住所、生年月日、家族構成、被災状況などありきたりの項目が並んでいたが、児玉にはどれ1つ空では書けなかった。

 「後で書いて届けるよ。今日は時間がねえんだ。仙台まで帰るからよ」免許証をいちいち転記したら成りすましがバレバレだと思った児玉はとっさの機転で弁解した。

 「それでもかまいませんよ。堂本さんは高校はどちらですか」

 「なんでそんなこと聞く」

 「地元じゃないですよね」

 「家出して、川崎にいたんだ。高校は出てねえ」児玉はヒヤヒヤしながらウソを繰り返した。

 「そうですか。ところでさっきの指輪、どうしたんですか」

 「なんのことだ」

 「ソファに座っていた時、指輪を持っていらしたでしょう」男性職員は努めて平静に言ったつもりのようだったが、声が上ずっていた。

 「それがどうした」

 「見覚えのある指輪だったものですから」

 「どこにでもある安物の指輪だろう」

 「そうでもないですよ。ちょっと拝見してもいいですか」

 「なんで」

 「お願いします」

 「ほらよ」児玉は面倒くさそうに指輪をテーブルに投げ出した。男性職員は大事そうに指輪を取り上げてためつすがめつした。

 「お願いがあるんですが、この指輪譲ってもらえませんか。ただとは言いません。それ相応のお礼はします」

 「いくら出すってんだ」

 「値打ちとしては2万円くらいの指輪ですけど、5万円でどうですか」

 「なんで値段わかんだ」

 「同じものを買ったことがありますから」

 「同じのが2万なら、なんで5万出すんだよ」

 「これ、僕が美姫にあげた指輪なんです」

 「なに? ミコ?」いきなり女の名前を言われ、児玉は不思議そうに男性職員の顔を見返した。

 「この石、僕が選んだんですよ。忘れっこありません。それにほら、内側に「KOJI&MIKO」と彫ってあるじゃないですか」男性職員は興奮を隠さなかった。

 「ミコってのはオメエの彼女か」

 「フィアンセでした」

 「ちょっと待てよおい。じゃあ、津波で死んだのか」

 「いいえ、美姫は3年前から行方知れずなんです」

 「3年前ねえ」児玉は混乱した頭を必死に整理しようとした。どう見たって女を殺して処分場に捨てるようなやつには見えなかった。どっからどう見ても真面目な市職員て感じだ。

 「オメエ、名前なんてんだ」

 「僕は涸沼公二と言います。ほらこれ見てください」涸沼は胸に下げたネームプレートを示した。

 「ああ、そっか。社会福祉課なのか」母子家庭で育った児玉は、福祉という文字にコンプレックスがあった。

 「義捐金の受付は手が足らないから、みんなで手伝ってるんです」

 「女は結婚式の直前に失踪ってか。そいつは気の毒に」

 「どうしてそれを知ってるんです?」

 「だってフィアンセだったって言ったろう。それにオメエの顔にこう書いてあるよ。失踪した女の指輪を持ってる男が誘拐犯だってな」

 「そんなこと思ってません。指輪譲ってもらえませんか」

 「オメエの指輪だってことはわかった。だが5万じゃだめだ。10万でどうだ」

 「わかりました。すぐロビーのATMで下ろしてきますから待っててください。指輪はどこで手に入れたんですか。骨董屋とかですか」

 「拾ったんだよ」

 「どこで」

 「遠くの方さ」

 「そこへ連れてってください」涸沼は身を乗り出した。

 「ゴミ捨て場だぞ」

 「ゴミ捨て場?」

 「ああそうだ。指輪はそこに捨てられてたんだよ」

 「捨てるはずがありません。いつも左手の薬指に着けてました」

 薬指と聞いて児玉はどきりとした。指輪のそばにあった死体の薬指が切り落とされていたのを思い出したのだ。やっぱり死体が着けていた指輪に間違いないと思った。

 「だけどよ、あいそをつかした男にもらった指輪なんか、いつまでもしてっかな。それもこんな安物の指輪をさ。捨てちまったからこそ、俺が拾えたんじゃねえか」児玉は死体の話はしないことにした。そんなことを言えば警察に徹底的に調べられて、児玉が名前を騙っていることもばれてしまい、留置場に逆戻りだ。

 「そんなことありえませんよ」

 「なんでも断言するんだな。お役人てのはいつだってそうだよ。オメエの彼女ってのは美人だったのか」

 「写真見ますか」

 「持ってるのか」児玉はちょっとわくわくしながら言った。

 「待ち受けにしてます。見たらなにかわかりますか」

 「会ったことねえのに、見たってわからねえけど、まあ見せてみろよ。それにしたって、3年前に逃げた女の写真、まだ捨ててねえとはな」

 涸沼は携帯の待ち受けに使っている写真を示した。佐々木美姫は、画素数の小さい携帯で撮った写真でもはっきりと目立つ、ふっくらとした顔つきの美人だった。2人でドライブに出かけた時にでも撮ったのだろう。純情そうな安心しきった笑顔の中心でカメラ目線が弾けていた。

 「なるほど、こいつは確かにいい女じゃねえか。これじゃ忘れられねえかもな」

 「そのゴミ捨て場に案内してくれたら、指輪の代金とは別に10万円払います」

 「ほう、なるほど。だが困ったなあ」

 「安いですか」

 「値段じゃねえよ。ヤクザもんがうろうろしてて、ぶっそうなとこだぜ。俺もその元一味だけどよ」

 「危なくてもかまいません」

 「わかった。案内してやってもいいけど、俺にも都合があるんだ。今すぐにってわけにはいかねえ。義捐金の申請にまた市役所にくっからそん時にな。それまで指輪を譲んのはお預けだ」児玉は涸沼の手から指輪を奪い取った。

 「あっ」不意をつかれて涸沼は児玉を睨んだ。

 「悪く思うなよ。今度来た日に金と引き換えだからな」

 「義捐金は振り込みです。免許証と預金通帳を見せてください。申請書は僕が書いて申請しておきます」涸沼は意外な提案をした。

 「ほんとか」

 「本人が書くとけっこう大変ですよ。義捐金詐欺とかあって審査も厳密ですからね」

 「そんなやついるのか」

 「地震の後で来たのに、地震の日に福島にいましたって申請する人、結構多いですよ。義捐金は出なくても罹災証明があると一時金くらいは出るし、高速道路とかも無料になるし」

 「へえなるほどねえ、もっと早くそれ教えろよ」

 「堂本さんは地元生まれですから詐欺の問題とかないですけどね」

 「免許証と通帳ならあるよ、ほら」

 「ありがとうございます」涸沼は堂本賢治の免許証と通帳を受け取って確かめた。

 「通帳は仙台で今日作られたんですね。義捐金振込用ですか」

 「家にあったのは津波で流されちまったからよ」

 「なるほど。でも通帳は復活できますよ。銀行はデータのバックアップを持ってますから」

 「そうか、そりゃそうだな」

 「コピー取って来ますね」涸沼は事務的な笑顔で席を立った。

 義捐金詐欺にとっくに気づいていているのに、涸沼はフィアンセに贈った指輪を取り戻したくてしらばっくれてるに違いないと、鈍感な児玉も気づいた。詐欺がばれれば児玉は逮捕され、罪状は違っても重犯だから実刑になるだろう。うまく逃げたとしても印鑑証明書は使えなくなるし、ダンプも売れなくなる。なにより堂本の免許証が使えないのが不便だ。しかし、涸沼はフィアンセの消息を知る唯一の手がかりの指輪がどうしても欲しいに違いない。つまり相身互いだ。フィアンセはもう死んでいるのだが、涸沼は生きていると信じている。放射能警戒区域が解除されないかぎり、死体は発見されず、白骨化してしまうだろう。世間知らずの公務員を金づるにするのも悪くない。それにしても自分で贈り主のところに帰ろうとするなんて、指輪の呪いは本物なのか。それどころじゃなく魔法の指輪なのか。とにかく簡単には指輪は涸沼に渡せないと児玉は思った。

 「1つ聞いてもいいか」書類のコピーを取って帰ってきた涸沼に児玉が言った。

 「なんですか」

 「この石の名前知ってっか」

 「ブルームーンです。正確にはロイヤルブルームーンストーン」

 「放射能が出るのか」

 「まさか、出るわけないですよ。なんでそんなこと思ったんですか」放射能と聞いて涸沼の顔が疑念に歪んだ。「もしかして指輪を拾ったゴミ捨て場って」

 「なんでもねえよ。じゃ、またな」児玉はポケットに指輪をしまいながら、無造作に立ち上がった。

 指輪に目ざとく気づいたことといい、児玉にすばやくお世辞を使って取り入ったことといい、義捐金詐欺を見抜きながらそ知らぬふりをしたことといい、こいつはお人よしの公務員どころではない。のんびりしているように見えて勘がいいし、3年も女をあきらめない執念深さは尋常じゃない。案外目的のためなら手段を選ばないとんでもないやつなのかもしれない。しまったと児玉は思った。

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