邪神さんと冒険者さん 63
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岩の通路を抜け、再び大広間とも呼べる広い空間に戻ったフィル。
通路から出た所で辺りを見回すと予想した通り、
大広間の中ほど、フィルの今いる場所から十分な距離を取った所で
ゴブリン達が半円を描くようにこちらを取り囲み、待ち構えているのが見えた。
ゴブリン達はショートボウやスリングといった射撃武器を手に
何時でも撃てるように此方を窺っている。
大広間に踏み込んでも矢や礫が飛んでこない所を見るに
幸いなことに呪文で隠れている者を見破れるような技能持ちはあの中には居ないらしい。
とはいえ、いくら相手が気付いておらず、
万が一、矢を放たれたとて、今のフィルならば大抵避けられると分かっていても、
狙いが自分を向いているというのは、あまり気持ちの良いものではない。
(……早い所、片づけるか……目的のゴブリンは、と……いた)
取り囲むゴブリンの群れを見回してみると、
暗視で色が分からない闇の中にあっても一際目立つ大柄なゴブリンが一匹、
ゴブリン達の列の中央で取り巻きを引き連れ立っているのが見える。
殆どが粗末な革鎧を身に着けたゴブリン達の中で、
粗末ながらもチェインメイルを着込み、
偉そうに腕を組んでふんぞり返る大柄な頭ゴブリンの姿は良く目立った。
そして、その左右に少し離れた所にそれぞれ一匹ずつ、
先ほどの偵察の時に見た、妙なデザインの布を体に巻き付けた術者ゴブリンが
面倒くさそうに控えているのが見える。
(それにしても、嫌な感じに離れてるな……)
頭ゴブリンと二匹の術者ゴブリンお互いの距離はおよそ5メートル、
更には三匹のボスゴブリン達には、それぞれに取り巻きが数匹ずつ付き従っていた。
三匹が一カ所に固まっていたのなら剣で薙ぎ払う事も出来たのだが
これだけ距離が離れているとなると、近接武器で一度に倒すのは難しいだろう。
一匹、二匹と倒している間に、残った一匹が村人やリラ達の方へ逃げ込み、
彼らに被害が出るなんて事はなんとしても避けたい。
(やはりここは魔法で片づけるか、そうなると、あの呪文か……)
村人達には自分が中級クラスのウィザードだと伝えている
それならば中級クラスの呪文ならば使っても問題あるまい。
そう考えるフィルに、フィルの中に居るもう一つの声が嬉しそうに同意する。
破壊をつかさどるこの神は、どんな理由、手段であっても
破壊をもたらすことを喜び、常に欲していた。
フィルとしては、声が喜ぶことを実行するのはあまり気が進まないが
同化してしまってからは、この声が欲している破壊欲求を
まるで自分自身の食欲や性欲のように感じ取っており、
このまま破壊欲求を抑えこむだけというのも、
それはそれで心地の良い物では無かった。
(……まずは位置取りを、入り口に立ってたらゴブリンが通路に逃げ込んでくれないだろうし)
疼きのような破壊欲求をまるで断食をするかのように堪えると
声の事は敢えて考えない様にして、フィルは取り囲むゴブリン達の背後、
大広間の奥の方を目指した。
慣れないローグの真似事をして、自分は何をしているのだろうと自問しながら
足音を立てぬよう、そして、足跡を見せぬよう慎重にゴブリン達の元へと近寄る。
ゴブリン達は何時までやって来ない村人達に痺れを切らしたのか
口汚く喚き罵っては、隣のゴブリンに五月蠅いと文句を言われ、
それが元に言い争いが始まり、言い争いが盛り上がってくると頭ゴブリンに怒鳴られる。
そんなことが洞窟内の彼方此方で何度も繰り返されていた。
おかげでフィルは、お互いに罵り合うゴブリン達に気付かれる事無く合間を抜け
並ぶゴブリン達の背後に立つと、それからさらにもう少しだけ、ゴブリン達から距離を取る。
(……こんなところか)
背後に立ち、ゴブリン達の注意が
相変わらず通路の方へと向けていることを確認したフィルは
今もゴブリン達を怒鳴り飛ばしている頭ゴブリンを指さし、素早く呪文を唱える。
詠唱と共に姿隠しの術が解け、それまで何も無かった空間にフィルの姿が浮かび上がるが
フィルは気にする様子もなくそのまま詠唱を続ける。
言い争いに夢中だったゴブリンのうちの一匹がフィルの詠唱に気付き、
集団の背後に突然現れた人間に驚き何やら言おうとしたが、
皆に伝えようと叫ぶ前にフィルの詠唱が完成した。
指先からオレンジに輝く豆粒ほどの大きさの光る玉が浮かび上がり、高速で射出される。
光る弾は未だ部下のゴブリン達を怒鳴りつけるのに夢中の頭ゴブリンの背中に命中し、
低い爆音と共に炸裂する。
ファイアーボール。
中級ウィザードの登竜門とも呼ばれる火球の爆発は頭ゴブリンを中心に
左右にそれぞれ控えていた二匹の術者ゴブリンや
それらの取り巻き全てを纏めて巻き込み爆炎で包み込んだ。
爆発がやんだ後には、頭ゴブリン以下、術者ゴブリンを含めた十数匹のゴブリン達の
真っ黒に焼け焦げた物言わぬ死体が地面に横たわっていた。
(……やり過ぎたか……なんとなく予想はしていたが……)
目の前の惨状に心の中で舌打ちするフィル。
ファイアーボールの呪文は術者の練度次第で大きく威力が変わる。
覚えたてのウィーザードが唱えるファイアボールに比べ、
熟練の術者ともなると火力は倍近くに増加する。
そして、そんな熟練の術者の一人であるフィルの火球に巻き込まれたゴブリン達は
一瞬とは言え高威力の炎に全身を焼かれたことで焼けただれ、
炎の直撃を受けた部位などは炭となっている所もあった。
これでは戦利品として革鎧を剥ぎ取ったとしても売り物にはならないだろう。
特に爆心になった頭ゴブリンは酷いもので、
手にしていたロングソードは無事だったものの
身に着けていたチェインメイルは背中に大穴が開き、
もはや防具としては使い物にならない有様だった。
(……チェインメイルは戦利品にと思っていたんだが……もったいない事をしたか……)
魔法がかかっておらず、メンテもされない、状態最悪なチェインメイルなど
売っても大した金額にはならないと分かっているが、
それでも今回の報酬が減ってしまう事に気が重くなるフィル。
その一方で、破壊衝動が満たされたもう一つの声の歓喜の感情がフィルを満たす。
よくよく考えれば、ボス三匹を殺すだけなら
スコーチング・レイやレッサー・ミサイル・ストームでも十分だったかもしれない。
そう考えるとファイアーボールという選択は、この声の影響を受けていての事なのかもしれない……。
(ま、まぁ、金属だし、溶かせば素材ぐらいにはなるだろうし……とりあえず今は残りを片づける事を考えよう)
人の気も知らないで喜ぶ自分の感情を苦々しく思いながらも、
どうにか前向きに考え気持ちを切り替えると、フィルは次の行動へと移った。
『コロセ! アイツをコロセ!』
誰が言ったのかは分からないが、爆発のショックから立ち直ったゴブリンの叫びに、
我に返った他のゴブリン達がフィルめがけて弓やスリングを次々に放つ。
本来ならば暗闇の中、何処から飛んでくるかもわからない矢や礫は
夜目の利かない犠牲者を混乱と恐怖に陥れる必殺の攻撃なのだが
暗視が効いているフィルにとっては拙い腕前の射手が弓やスリングで狙っている過ぎない。
フィルは矢や礫を避けるのを兼ねて、
最も近くで矢を構えていたゴブリンへ目標を定めると
石や砂で足場の悪い地面にもかかわらず一気に距離を詰める。
弓を持ったまま驚いているゴブリンにロングソードを横に払い切り捨て、
返す一閃でその隣のゴブリンを切り捨てる。
瞬時の出来事に狼狽えるゴブリン達、
その隙を突き、少し離れた場所で次の矢をつがえようとしていたゴブリンへ
ベルトに準備しておいた投げ矢を素早く抜き放ち、喉元にそれを命中させる。
(この力にもだいぶ慣れたな……)
自身の身のこなしや投げ矢の命中精度もそうだが、
何より戦場での判断力……戦場慣れとも言うべきか、
それが以前と比べて飛躍的に上がっているのが分かる。
以前のフィルも決して素人ではない、
むしろ戦士としてもそれなりの腕前であったと自負しているが
今の自分はそれらの域を超えるどころか、
化け物になった、という表現が正しいとすら思えてくる。
瞬時にどのように動くべきかが認知でき、
そしてそれを寸分違わず実行できる今のこの様は、人間だった頃とは明らかに異質の感覚だった。
そして、この感覚に慣れていけば慣れていくほど、この力にはまだまだ底が無い事が見えてくる。
(神の域に達した人間というのは過去にも居たが……皆、こんな感じなのだろうか?)
研ぎ澄まされた感覚に並行してそんな事をぼんやりと思いながら、
少し離れた場所に居るゴブリンへと切り込み、
そのまま薙ぎ払いさらに二匹を切り捨てる。
フィルの周囲のゴブリンが凄まじい勢いで切り殺されていく間、
周囲のゴブリン達は茫然とその様子を眺めていた。
我に返り、矢やスリングで射貫こうとする者も居たが、
狙おうと弓を構えれば即座に投げ矢が飛んできた。
すでに投げ矢で殺されたゴブリンの数は四、
そしてフィルの周りに居たゴブリンうち、最後の一匹がフィルの剣に切り伏せられた時、
一匹のゴブリンが叫び声をあげて、ダリウ達の待ち構える通路へと駆け出した。
『イ、イヤダ! シンジマウ!』
その一匹が呼び水となり、恐怖に耐えきれなくなったゴブリン達は我先にと洞窟の出口を目指す。
二つある通路にそれぞれ同じぐらいの数のゴブリンが一塊になって、
押し合いへし合い雪崩れ込んでいく。
「来たわよ! みんな気を付けて!」
「ゴブリンが来たぞ!」
ゴブリン達の叫び声の中、右の通路からリラの、左からはダリウの号令がとどろき、
すぐに盾と剣がぶつかり合う音、呪文の詠唱、ゴブリン達の叫び声、男たちの雄たけびが混ざり合う。
(今の呪文はブレスとグリースか、良い判断だ)
祝福により恐怖への耐性と、攻撃を命中させ易くするブレスの呪文と
一定の範囲か特定の対象一体の表面をすべりやすい脂の層で覆うグリースの呪文。
ブレスはクレリックのトリスが、
グリースはウィザードのアニタが唱えているのであろう。
グリースの詠唱の完了と共に
リラ達の通路から複数のゴブリンの悲鳴と地面に倒れるような音が聞こえてくる。
おそらくはゴブリン達のうち何匹かが、地面に撒かれた脂に滑って転倒したのだろう。
密集した集団戦、それも人並の知能を持つ集団相手でのスリープの呪文は意外と効果が薄い。
練度の低いスリープではすべての敵を眠らせる事が難しく、
数匹でも呪文に耐えた者がいれば、
前衛が数匹を相手にしている間に残った者達により起こされてしまうのだ。
その点、グリースは場にかける呪文の為、そういった事は起きにくい。
スリープが相手を眠らせ無力化できるのに比べ、
グリースでは相手が滑るとか転倒する程度で地味に見えるが、
転倒は勿論、滑る床を転ばぬように耐えるだけでも動きが制限され、それ以外の行動が取り辛くなる。
結果としてゴブリンのようなすばしっこい相手に対して使うと、
その素早さを殺し攻撃が当たり易くなる効果が発生する。
特に洞窟の通路という限定された空間では、グリースの床を避けて通ることは難しく、
ゴブリン達にとっては大きな痛手となることだろう。
『オイ! こっちはチイさいオンナガスコシだけダゾ! コッチニコイ!』
ここに来て未だにリラ達を侮っているのか、
それとも相手が女とみて何としても倒し手に入れたいという欲望なのか
リラ達の通路からゴブリンの応援を呼ぶ叫び声が聞こえ、応援要請に釣られて
ダリウ達に向かったゴブリンのうち幾匹かが通路から大広間へと戻ってきた。
厳つい大男達を相手にするより、小柄な少女の方が倒しやすいと考えたのだろう。
もしここに冒険者や衛兵との戦いを経験したことがあるゴブリンが居たのならば
魔法使いを連れ、さらには金属鎧で身を固め、
そのうち一人は明らかに魔法の武器と思われる長剣を振るう一団と、
革鎧とこん棒で身を固めた男達、
どちらが倒しやすい相手か、違った結論になっていたのだろうが
残念ながら先ほどまで群れを率いていた頭目達は既にこの世におらず、
そうした判断のできる個体は、もはやこの場には居ないようだった。
ダリウ達の通路から飛び出し、大広間を壁沿いに走り、リラ達の通路へと向かうゴブリン達、
フィルは投げ矢で先頭を走る一匹を射殺すが
五本目にしてベルトの投げ矢は尽き、
逃れた数匹のゴブリンはリラ達の戦っている通路へと駆け込んでいく。
(……数としてはリラ達の方が大変だけど、それでも素人のダリウ達の方が危険か)
リラ達は先ほどの魔法の効果が続いているとすれば、かなり優位に戦いを進めているはずだ。
それに対して村人たちに魔法使いは居ない。
魔法による支援無しで正面からゴブリンとぶつかり合っているはずだ。
そう考えたフィルは、村人達の支援をするため呪文を唱える。
呪文の詠唱と共に、何も無い空間に炎が渦巻く。
やがて炎の渦は凝縮し実体を持つ確かな体へと変化する。
そして詠唱の完了と共に、
訓練の時のアースエレメンタルよりもさらに一回りほど大きい、
煙と炎でできたとぐろ巻く蛇が顕現する。
「この通路の先に行って、戦っている人間を助けてゴブリンを殺すんだ」
フィルが命令をすると、炎の蛇は真っ赤にたぎる舌を数度出し入れし、
するすると地面を焦がしながら通路の中へと入って行く。
「ダリウ! そっちにファイアーエレメンタルを送った! ゴブリン達を挟み撃ちにするんだ!」
呼びかけるフィルの声に暫くしてから、
ダリウからの「わかった!」という叫び声が喧騒の中フィルの耳に届く。
無事に善戦していることに安堵しながら、今度はリラ達の通路へと向かう。
リラ達が戦っているであろう通路の奥からは
金属がぶつかる高い音に、何かがぶつかる鈍い音、
それから少女たちの掛け声に、ゴブリン達の叫び声が入り交じり聞こえてきた。
どうやらリラ達は順調に戦いを進めているようで、
通路の奥からは彼女達の連携をとる掛け声が聞こえてくる。
「トリス! そっちお願い!」
「まかせて!」
「サリア、少し右に寄って!」
「はい! っと、お見事!」
お互いに声を掛け合い、確実にゴブリンを仕留めていく少女達。
フィルがカーブを曲がり、リラ達の見える位置まで来た時には
少女達の前には既に何体ものゴブリンの死体が横たわっていた。
最初にかけたグリースの呪文が効いたのだろう、
リラが滑る足場に足を取られるゴブリンを押しとどめ
そこをトリスとサリアがすかさず討ち取っていく。
グリースの滑る足場に耐え、武器を振るいリラを打ち倒そうとするゴブリンも居たが
魔法の外套はゴブリンの拙い攻撃を逸らし、
辛うじて届いた攻撃も魔法の鎧が完全に威力を殺していた。
おかげで数匹のゴブリンを同時に相手にしているにもかかわらず
リラの体にゴブリンの攻撃が通った様子は見えない。
そして、グリースの床に滑らず耐えたものの、辛うじて耐えるのに精一杯のゴブリンや
グリースの床の前で越えることを躊躇っているゴブリンには
アニタのクロスボウが撃ち込まれていく。
「そっちは大丈夫か!?」
「こっちは大丈夫です!」
フィルの呼びかけに答えながら、
ゴブリンの攻撃の隙を掻い潜り剣を突き立てるリラ。
冷気の魔力が付与された剣が、革鎧を着たゴブリンの体を容易に貫き、
凍った赤い結晶を振りまきながら引き抜かれる。
フィルが姿を見せたことで、これ以上ゴブリンの増援は無いと士気を上げる少女達。
その一方でゴブリン達もまたフィルの声に反応する。
『ヒィィ! バケモノダ!』
『バケモノガキタッ! ニゲロ!』
「わっ、ちょっ、ちょっと!」
背後からのフィルの出現にゴブリン達に恐慌がおきる。
我先に逃げようと、自身が転ぶのも構わず突っ込んでくるゴブリンに、リラが慌てて盾を構え直す。
グリースの床に足を滑らせ転倒したゴブリンを踏みつけ、仲間を足場に一刻も早く逃げようとして
踏みつけたゴブリンごと滑り、足場もろとも盛大に転倒するといった感じで
フィルが現れたことで、ゴブリン達の士気は完全に崩壊していた。
「トリス! サリア! 今のうちに!」
脂の床を飛び越え損ね足から突っ込んでくるゴブリンを盾で弾き飛ばしながらリラが叫ぶ。
間髪を入れずにサリアとトリスが転倒しているゴブリン達に止めを刺していく。
ものの数分もかからない時間で戦闘は終了した。
地面でもがいている生き残りに止めを刺し、
ここに来てようやく皆から緊張の色が抜ける。
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