邪神さんと冒険者さん 58
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洞窟からは矢が降ってくることも覚悟して突入したフィルとリラだったが
たどり着いた洞窟の前には
先程まで見張りをしていた二匹のゴブリンの姿は既に無く、
暗い岩の洞窟がただ口を開けているのみだった。
「……ふむ、見張りは居ないのか……」
「何匹かは居るかと思ったんですけどね……」
何時でも射れるよう、弓にかけていた矢を下ろし呟くフィルに
こちらも盾を下ろしながら拍子抜けな様子で同意するリラ。
「何だかこうして見ると本当に普通の洞窟って感じですよね」
ゴブリンが住み着いて間もない事もあり
洞窟の周囲に骨や汚物が積みあがっている訳でも無く、
中から物音が聞こえて来る訳でも無く、
地面以外を見れば、ごくごく普通の洞窟にしか見えない。
だが洞窟前の土に残った大量の小さな足跡が、
ここに大量のゴブリンが出入りしている事を物語っていた。
おそらくこのまま放置しておけば、そう遠くないうちに
周囲にゴミや人骨が積まれて異臭漂う不快な場所へとなっていた事だろう。
「この中にゴブリンが居るんですね……」
リラはそんな洞窟の中に興味が湧いたのか
中はどんなだろうといった様子で洞窟の入口へと近づいていく。
「まった! 入り口の前に立つと暗闇から矢が飛んで来るかもしれないよ?」
フィルの言葉に穴の中を覗こうとしていたリラの動きがぴたりと止まる。
「暗闇に隠れて見張りが置かれている可能性が高いからね、気を付けるんだよ?」
「は、はい!」
返事をしながら入り口から慌てて出そうとした体を引っ込めるリラ。
そんなリラの様子を眺めていると
まだまだ危なっかしい駆け出しだった頃の自分や仲間達の姿が重なってくる。
フィル達も駆け出しの頃は地形や状況が危険なのかどうか
判断する事が出来ずにうかつに踏み込んでは、
よく手痛い目にあったものだった。
だが、そんな経験も何回か繰り返すと次第に慣れていき
何となくだが危険な場所が分かるようになっていく。
さらに慣れていくと罠を踏み込んだり奇襲を受けた時でも
適切に動く事が出来るようになっていく。
いつかは彼女も一人前の冒険者となっていくのだろうが
今はまだ、あの頃のフィルと同じように
色々な失敗をして経験を積んでいくのだろう。
そんな事を考えていたフィルだったが
怪訝そうに尋ねるリラの声で我に返る。
「フィルさん? どうしたんですか? なんだか嬉しそうですけど……」
尋ねられて初めて自分が笑っていたことに気が付き
浮かんでいた笑みが今度は苦笑いに変わる。
ここは敵地、それも最前線にたった二人で、
そんな場所で相方が笑っているのを見ればそりゃ不安にもなるだろう。
「ん? ああ……い、いや! 君を見ていたら僕達の昔の頃を思い出してね。懐かしくてつい……ね」
別にリラの事を笑っていたんじゃないよ? と慌てて弁明するフィルに
その様子が可笑しかったのか、
今度はリラの方がくすっと笑みを漏らす。
「ふふっ、なるほど、それで笑っていたんですね。あ、もしかして、さっきの忠告もフィルさんの経験からだったりするんです?」
実戦の話を聞けるチャンスかも、とばかりに尋ねてくるリラ。
先程の失態もあるし、隠した所で大した物でも無いし、
何より興味津々で期待顔のリラを見て
観念したフィルは素直にリラの疑問に答える事にした。
「恥ずかしながらね。僕も駆け出しの頃、暗闇からの奇襲を受けた事があったんだ」
洞窟の先の闇を見ながら、
駆け出しの頃のダンジョン探索を思い出すフィル。
「暗視能力を持つ敵にとって、灯りを持った人間というのは格好の的でね、僕らの持つ光の届かない、暗闇の中から矢を撃ってくる事なんて日常茶飯事、ランタンなんかは真っ先に狙われるんだ」
駆け出しのフィル達にとって暗闇は大きな脅威だった。
全員、種族が人間で、夜目が利く者はおらず、
灯りを失うという事は、全員の視界を奪われることを意味していた。
敵もその事はよく分かっているようで、
松明やランタン等の照明を持っていると、真っ先にそれが狙われた。
そしてその攻撃は、照明の光の届かない闇の中から行われるのだ。
新米冒険者では攻撃を数発受けただけでも気絶する可能性があり
そのため、奇襲を受ければパーティ全滅の可能性も高い。
今でこそ暗闇を含め様々な状況へ事前準備は済ませてあるし、
奇襲の備えだって怠っていないが、
当時のフィル達はダンジョンを進む時、
闇の向こう、姿が見えない、だが確実に待ち構えているであろう敵の存在に
きりきりと神経をすり減らしたものだった。
「うわぁ……それは確かに怖いですね。それで、フィルさん達の時はどうしたんですか?」
「初めての時はそれはもう大慌てでね。飛んできた方に盾を構えて、皆でしゃがんで当たらないようにしてから、まず剣にライトの呪文をかけて、それからありったけの予備の松明を取り出して、全部に火をつけて、一斉に灯りを敵のいるだろう方へ投げて敵の居場所を探したんだ」
「それは何というか、べたな感じですね……そんなので上手くいったのですか?」
フィルは真面目な顔で答えるが
対策と言うにはあまりにも泥臭いやり方にあきれ顔になるリラ。
そんなリラの反応を楽しそう眺めながらフィルは懐かしそうに話を続ける。
「ああ、ろくに魔法も使えない当時の僕らにとっては十分な効果だったんじゃないかな? ありったけの松明を投げたおかげで奥の地面に穴があってそこに誘い込むつもりだと分かったし、一瞬だけど敵の姿も見ることが出来たからね。それから先は剣にライトをかけてあった戦士が敵の方向へ突っ込んで無事倒すことが出来たんだ。さすがにそれ以来ダークヴィジョンのスクロールは必ず用意するようになったけどね」
「へぇ~、結構行き当りばったりなやり方でもなんとかなるんですね」
「まあね、相手の数が少なくて運が良かったというのもあるのだろうけどね。でも、やれる事をとにかくやるってのは大事だと思うよ。……例えば」
フィルはそう言うと地面の土を掴み、
入り口の周囲に降りかかるように投げかける。
(入り口には姿を消している者は無しと……まぁ何時来るかも分からないこんな所でわざわざ魔法を使うなんてしないか)
「ええっと、何をしているんですか?」
投げられて再び地面へと落ちていく土の様子を真剣に注意深く見つめる。
そんなフィルの様子にリラが不思議そうに尋ねる。
「こうやってね、魔法で姿を隠しているのが居ないか確かめたんだ」
そんなリラの質問に、フィルは投げられた土から目を離さずに答える。
インヴィジビリティの呪文で姿を消した場合
隠れている者に物がくっつくと
身に着けている装備品と同様に視界から消えてしまう。
その為、魔法で姿を消している者にインクなどを投げかけて目印にしようとしても
体についたインクも視界から消えてしまい大した効果を得ることが出来ない。
逆に言えば、撒いた土が空中で突然消えるようならば、
その場所に何者かが魔法で姿を隠して居るという事になる。
「まぁ、実戦では役に立つ時が来るかどうかも分からないぐらい微妙な手だけどね。覚えておけばもしかしたら役に立つこともあるかもしれないかも知れないよ」
先ほどの真剣な様子から一転、
悪戯っ子のような笑みで答えるフィル。
実際にはこの技は半分ネタのようなもので、
役に立つ状況と言うのはかなり限定されるだろう。
そもそもインヴィジビリティの効果時間は
駆け出しのウィザードなら数分程度しか持たない。
これが熟練者となれば十数分位保つようになるのだが
並の術者では戦闘開始時に唱えて奇襲するか、脱走を狙う位がせいぜいで
そんな状況でとっさに使えるかと言えば、なかなか出来るものではない。
とは言え、高位の術者の援護を受けた盗賊が待ち伏せしている可能性が無いわけではないし、
生物ではなく物体ならば効果を永続化させる事も可能で
そんなものに遭遇した時、手軽に効果を判別する手段として悪い手ではない。
「なるほど……でもこれって本当に役に立つんですか?」
「ははは、まぁ、魔法で姿を暴いた方がずっと確実なのは確かだけどね。でも魔法を使えなくても何とかなる方法は知っておくのは悪い事じゃ無いと思うよ」
いまだに半信半疑といった感じのリラの問いにフィルは笑って答える。
たとえ今は何の役に立たなくても
この先、ほんの少しでも生存率が上がるなら
覚えておいて損は無いだろうとフィルは思う。
「リラはパーティで唯一の戦士だから最初に敵とぶつかる可能性が高い。姿を消す相手と遭遇した最初の一手で何か出来るってのは悪い事じゃないはずだよ? 大事なのは魔法で姿を消しているからと言って
魔法を使えない戦士に対処できない、と言う訳ではない事だよ」
「……そう考えると結構悪くない手なのかもですね」
「あはは、まぁやっている事はそう大した事じゃないんだけどね
なるほどと納得するリラに照れ隠しに笑うフィル。
そんな説明も一区切りがついたところで、
再び洞窟の方へと顔を向ける。
「さてと、それじゃあ洞窟の中を確認しようか」
「はい!」
元気よく返事するリラに頷いてから、
改めて少し離れた場所から洞窟の入り口を見やる二人。
これまでの所、洞窟からは物音一つせず、静かなままだった。
ゴブリンが待機している可能性を考えて顔を出しはしていないが
これだけの間静かなままだと、
この先のロビーには本当にゴブリンは居ないのかもしれない。
「奥の部屋ってやっぱりゴブリンがいると思いますか?」
「どうだろうね……可能性としては高いと思うけど、正直なところ、こうも静かだと居ないんじゃないか、とも思うな」
たぶんゴブリン達は中にある大広間で攻撃するつもりなのだろう。
この洞窟の地形からして、それが自分達の損害が最も少ない確実な戦い方だから。
だが、それでも相手の同行を見張る者は居た方が良いとは思うが……。
ゴブリンの事だから、真っ先に殺される可能性が高い
損な役回りに立候補するゴブリンが居なかったというだけの事なのかもしれない。
「まぁ、大方相手を罠に誘い込むために奥でじっとしているのだと思うけどね。とりあえず、まずは入り口の安全を確認して、大丈夫そうなら下で待機している皆を呼ぶとしようか」
「そうですね。それでこういう時って、どうやって調べるんです?」
先生に質問をする生徒のようなリラに
フィルは笑いながら答える。
「ははは、魔法で探せばすぐに分かるんだけど、この位で使うのはちょっと勿体無いんだよね。というわけで、こういう時はこれを使うよ」
そう言うとフィルはカバンから手鏡を取り出す。
「あぁなるほど! あ、でも、中って真っ暗ですよ?」
「そこはほら、僕はまだ暗視の呪文が効いているからね」
自身にかけた暗視の魔法は未だに効果が健在で、
洞窟の縁から手鏡を差し出して洞窟の中を覗き込むと、
色の無い世界だが通路のその先がフィルの視界に映し出される。
「ここから見える範囲にはゴブリンは見えないね……まぁあの陰に隠れている可能性もある訳だけど」
耳を澄まして洞窟の奥へと神経を集中してみるが
奥の方へと退避したのか、それとも息を殺してじっとしているのか、
中からは物音一つも聞こえず、
神になって強化されたフィルの感覚をもってしても判断がつかない。
暫くじっと暗闇の先に神経を集中して
動きが無いことを確認したフィルはリラの方へと向き直った。
「うーん、やはり音はしないな、とはいえ先の様子はなんとも言えないね……」
「……やっぱりこの先の大広間で待ち伏せをしているんでしょうかね?」
「そうだろうね。僕もそう思う」
ゴブリンは、概して臆病な種族だ。
松明一つあれば部屋全体が照らせるこの先のロビーでは
有利に戦えるとは考えていないのだろう。
やはり本命は奥の大広間であり、
夜目の利かない人間の弱点を突き
自分達の長所である暗視と数の暴力で押し切るつもりなのだろう。
「ゴブリンらしい作戦なのでしょうけど……かなり、やな感じですね」
苦々しげに呟くリラに、フィルも頷く。
自分達が安全に優位になるのなら
どんな事でも嬉々としてやってのける。
ゴブリンらしい臆病だが確実な作戦と言える。
だが、その作戦に満足して、この先のロビーを放置しているのだとしたら
そんな詰めの甘さもゴブリンらしいと言えばゴブリンらしい。
「そうだね、でもあの地形なら相手の裏をかけばきっと大丈夫だよ。取り敢えず入り口は確保した訳だし、皆を呼ぼうか」
フィルの言葉にリラックスしたのか
ふぅと息をついてから軽く笑みを浮かべるリラ。
その様子にもう一度フィルは頷く。
「あ、それじゃあ私が呼んできますね。暗闇が見えるフィルさんはここを見張っていてください」
「分かった。それじゃあ僕はここを見張っているよ」
「はい! じゃあ行ってきますね!」
そう返事を返すとリラは洞窟から離れ、皆の元へと戻っていく。
フィルはそんな少女の姿を見送り、再び洞窟へと視線を戻す。
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