邪神さんと冒険者さん 55
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洞窟に照明となる物は何も無く、
ロビーまでは辛うじて届いていた光もここまでは届かない、
岩の通路の中は完全な暗闇で塗りつぶされていた。
非力で戦闘力に劣るが暗視を持つゴブリンにとって
暗闇は身近な存在であり、同時に武器でもあった。
ゴブリンと同様に暗視を持つエルフやドワーフならともかく
人間ならばこの中に誘い込んで灯りを奪ってしまうだけで
それから後は一方的に略奪を楽しむことが出来る。
そんなわけで、ゴブリンの巣の中に照明が置かれることは滅多になく、
一方、冒険者はと言えば、
依頼を受ける者達は殆どが駆け出しという事もあって、
スリープの呪文とどちらを取るか悩んだ末に選択したライトの呪文と
松明、それと所持金に余裕があるパーティならばランタン
……大抵は冒険中に壊して嘆くことになるが……
を頼りにこの闇の中を進んでいく事になる。
フィルはというと暗視の魔法のおかげで
白黒の世界ではあるものの暗闇に煩わされることなく
はっきりと地形を確認する事が出来た。
自ら光を発しない暗視は敵地に潜入するには都合が良く
姿を消している事もあって、
横を通り過ぎるゴブリンにすら気付かれることもなく
探索を進める事が出来た。
(天井まではそれなりの高さがあるか……これなら通路での戦闘も大丈夫かな)
結構な高さのある天井を見ながら
リラ達がここで戦闘しても大丈夫か、場所の確認をするフィル。
ゴブリンは放置されていた洞窟や遺跡に住み着くと
地面を埋めてわざと天井までの高さを低くすることがある。
そうなると天井の低い場所では人間やエルフは腰を下げて戦わなければならず
背丈の小さく素早いゴブリン達に有利な地形となってしまう。
この洞窟は手に入れて間もない為か、
まだそう言った小細工は行われてはおらず、
これならばリラ達でも十分に戦闘することが出来るだろう。
この地形ならばリラ達はどう戦うべきか、
村人達はどこに配置するのが良さそうか
そんな事を考えながら、
砂の地面に足跡が残らない様、慎重に歩を進めていく。
(それにしても……何で僕はこんな場所に来て、こんな事しているんだろうな……)
途中見つけた床に仕掛けられた罠の無効化を行う為、
杭を繋いでいた縄を動作時に切れて不発となるようギリギリまで削りながら
フィルは心の中で一人ごちる。
姿を消して忍び足で敵の巣穴に潜り込んで……。
照明はを灯さずに暗視で探索して……。
ついでに途中、罠があればこれを解除して……。
魔法をなるべく使わずに村人達の手助けをするためとはいえ
ここまでくると自分のクラスがローグかレンジャーに思えてくる。
(……とにかく、魔法使いがやる事じゃないよなぁ……)
一応、忍び足や隠れ身、装置無力化といった技能は、
手習い程度に以前から習ってはいたが
あくまで万が一の為、パーティとはぐれたりした時の保険でしかなかった。
とてもではないがパーティの命がかかっている冒険で
実際に使おうと思えるほどの腕前では無く
そうした役目はもっぱら同じパーティに居たレンジャーとファイターが請け負っていた。
そんな未熟だったはずの技能だが、神になった所為か、
今ではこうして、まるで熟練のローグのように使いこなしている。
便利だし良い事なのかもしれないが、
フィルには、この技能がまるで借り物か、
もしくは自分の体が何かに操られているかのような
そんな、なんとも言い様の無い違和感というか薄気味の悪さを感じてしまう。
(うーん、どうも自分の力と言う実感が沸かないんだよな……注意したほうが良いのだろうけど……)
神になった事で、身体能力が向上したのだと素直に喜ぶべきなのか、
それとも、早い所、この力を捨てる方法を探さないと
あの男のように自分も破滅するのか……
この力をどうしたものかと、そんな事を悩みながらも暫く進んでいると、
程なくして通路は途切れ、岩石で囲まれた広い空間へと出た。
この洞窟は火山の溶岩が固まって出来たものらしく
広間では天井も四方の壁も黒々とした岩石で覆われていた。
地面の方を見ると岩石ももちろんゴロゴロと転がっているのだが、
それよりも目についたのは、地面に積もった黒い砂だった。
地面には天井の岩石が風化したのだろう黒い砂が地面一面に積っており、
その所々に黒い岩石が突き出るように聳え立っている。
ゴブリンさえいなければ、
まるで黒い砂の海に黒い岩が島のように浮かんでいるような景色が見れただろう。
(これは、思ったより広いな……それにゴブリンの数も多い……か)
ゴブリン達はというと、平らな砂の上を寝床にしているらしく
黒い海の上にはいくつものゴブリンがそこかしこに転がっていた。
どうやら砂の上はゴブリン達にとって寝心地の良い場所のようで
皮を敷いたり木の葉を敷き詰めたりして、
それぞれが好き勝手に自分の寝床を作って高いびきをかいている。
(それにしても……よくもまぁここまで汚すものだな)
ゴブリンほど衛生の概念が無い種族は無い、とはよく言われるのだが
どうやらここにいるゴブリン達も例にもれないようで、
ゴブリンの周囲には自分のモノであろう武器や鎧と一緒に
食い散らかした骨やら食べカスやらが散乱し
彼らの寝床を中心にそこかしこでかなりのゴミが散らばっていた。
更には汚物もどこかその辺に棄ていているらしく
入り口よりもより強烈な異臭が洞窟の中には籠っており、
慣れているとはいえ、それでも強烈な臭気にフィルは眉をしかめた。
(ここに来てまだ数日も経っていないというのに……汚すことについてはほんと得意だなゴブリンってのは)
これだけの短期間でここまで不快な環境を作れるというのは
ある意味、種族としての才能なのだろう。
目の前で呑気にいびきをかいている不快な小人を眺めながらそんな事を漠然と思うフィル。
(……いっそここで魔法で皆殺しにした方が楽なんだがなぁ……)
今なら『クラウドキル』の呪文でも使えばこんな巣ぐらい簡単に全滅させられるだろう。
それ以外でも今のフィルの手持ちの魔法なら
この規模の巣ぐらいは幾らでも殺せる。
そもそも魔法を使わずに剣だけでも殺すことだって簡単だろう。
(……何でこんな事回りくどい事をしているのだろう? 自分一人で洞窟に入って皆殺しにした方が余程手っ取り早いというのに……)
臭いと目の前の惨状に現実逃避をし始めたのか
フィルの思考はどうやってゴブリン達を殺すかを考え始める。
魔法、武器、罠を仕掛ける、毒気の煙で窒息、火の精霊を召喚というのも良いかもしれない……。
自身が持つ技や道具を使って目の前のゴブリンをどう殺そうかと
幾通りのもの方法で様々な案が浮かんでは消えていく。
次第に殺し方は、神の力を使った殺し方になり
どのように破壊すると楽しいだろうかと言う想像に移っていく。
どの部位を破壊するか? どのタイミングでどれだけを壊すのが面白いか?
そんな想像がフィルの頭の中をぐるぐると廻る。
そんな事を考えていたフィルだが、ふと我に返り、
自分が神の力を使おうとしていたことに気が付き
慌てて思考を巡らせることを中断させる。
(っと、いや、だめだ。目的はそうじゃない。一体僕は何をしようとしていたんだ?)
時間としてはほんの僅かな間だったのだろう。
だが、時間の経過を忘れるようなこの感じは
フィルがかなり考えに没頭していたという事だった。
(くそっ、なんか思考がずれていくな……やはり、僕は操られているのか?)
この常に聞こえてくる神の声……
あの存在がフィルの思考を操ろうとしているのか?
それとも、この思考は自身がそう考えているのか?
背中に冷たいものが伝わっていくのを感じながらも
本来の目的に考えを集中することで不安の上書きを試みると
まずは大広間の様子を確認して地形の把握をすることにした。
ゴブリン達はこの洞窟にやって来てまだ間もないからか
巣には家具のような生活を感じさせるよう物は何も無く、
有るのは寝床として使っている皮や木の葉、
それ以外は食べ残しの残飯ぐらいで
まさに食べて寝る場所といった表現がぴったりだった。
寝床以外では、食べ物を焼くのにでも使っているのだろう、
焚火の跡が幾つか作られていたのだが、
どうやらゴブリン達は皆寝てしまい火の番をする者は誰も居ないようで、
すっかり火の消えてしまった焚火には白い煙が細々立ち上るのみだった。
(地形としては地面から突き出した岩に気を付ける必要があるか。松明だけだといい加減に移動すると岩にぶつかりかねない。それにしてもこの壁の形と言い、天井の形と言い、あのドラゴンの洞窟にそっくりだな)
臭いやごみの散乱した地面以外で気になる点と言えば、
洞窟の様子がどことなく少し前に戦った、
フィルの屋敷の裏にあるドラゴンの巣を思い起こさせた。
天井までの高さこそ、あの洞窟ほどではないが、
それでも人や動物から見れば十分な高さがあり
先程のロビーと比べても数十倍の広さはあろうかという地下空間は
壁や天井を構成する岩石が同質な事もあって
あのドラゴンが住んでいた洞窟によく似ている。
おそらくこの辺り一帯には同質の火山があって。
この場所も、あの場所も、同じ経緯で出来たのだろう。
土地特有の地質だというのならば、
もしかしたら似たような場所が他にもあるのかもしれない。
地形と相手の規模を一通り把握したフィルは
今度は地面の好き勝手な場所で寝ているゴブリン達に目を向けた。
(特殊なゴブリンは村人にとってはかなりの脅威になる……確認しておかないと)
通常のゴブリンなら昨日村人達に教えた戦術で何とかなるだろう。
だが、呪文使いや戦士といったクラス持ち相手では
たとえこちら側の数が上回ったとしても勝利が難しいどころか
敵に一方的に蹂躙される可能性すらある。
ざっと見渡してみるが、今フィルの立っている近くには
妙な装備を身に着けている者や
体格の大きな特殊なゴブリンは見当たらない。
待ち伏せや入り口の衛兵も普通のゴブリンばかりな所を見ると
どうやらこの一群は殆どが普通のゴブリンで構成された群れのようだった。
とは言え、群れのリーダーになればそうも行かないだろう。
そんな事を考えながら奥の方を見てみると、
部屋の一番奥、平らな岩石が丁度自然の寝床になっている場所に
皮を一際高く積み重ね、そこで大の字に寝ている大柄な個体が目に入った。
(あれがこの群れの頭と言ったところか)
頭のゴブリンは他のゴブリンと異なり、寝ている間もチェインメイルを着込み、
傍にはロングソードを置き何時でも戦えるように備えて横になっている。
他の個体と比べても明らかに上の装備を身に着け、
明らかに他のゴブリンとは身分が違う事が見て取れる。
そしてその奥にはゴブリンの私物か、それともこの群れの財産か
古びて薄汚れたチェストが一つ置かれていた。
(宝箱か……まぁ、ゴブリンのじゃ、あまり期待はできないか)
そんな事を考えながらも懐かしさにフィルは口元を少し緩めた。
ゴブリンがガラクタを集めるのは
少し経験を積んだ冒険者には良く知られたことだった。
駆け出しのうちに経験するよくあるパターンで
後生大事そうにしているからと頑張って倒したものの、
実際に中を見てみたら、ただのガラクタで大いに脱力した。
というのはフィルにも、彼自身が駆け出しの頃よく経験した事だった。
(……とりあえず、あれが群れのリーダーならあの近くに側近がいるはず……)
そう思い、その近くを見てみれば、他のゴブリンと明らかに違う
奇抜な色の布を幾つも重ねた服を着たゴブリンが地面に寝ているのが見える。
このゴブリンも服を着たまま寝ているが
こちらは元々寝るには厚手の服が都合よいからなのだろう。
鎧で寝心地の悪そうにしているゴブリンの頭とは対照的に
草の葉を敷いただけの寝床に気持ちよさそうに寝ている。
(ふむ……あれは、まじない師と言ったところか、それが二匹と……)
一通りの数を数え終えたフィルは
もう一度部屋を見まわし、一人溜息を洩らした。
足跡から大体は予想で来ていたとはいえ
流石にこの数が相手だと、囲まれないように気をつけないと
こちらの戦力ではあっという間に全滅してしまうだろう。
(特に間取りに注意する必要があるな……やはり候補としてはあのロビーか)
少なくともこの大広間で村人達が戦うのは自殺行為だろう。
ここでは入った途端、四方から囲まれて嬲り殺されるのがオチだ。
幸い、洞窟は此処までのようで、これ以上ゴブリンがいることは無さそうだった。
後、確認ができていない場所と言えば、
ロビーで見かけた右にある通路と、
この部屋にある出てきた場所の横にあった通路、
おそらくはこの二つの通路は繋がっているのだろう
あの通路は帰りがけに見ていけば良いだろう。
ここの地形も敵の戦力も確認出来た事だし、
フィルが皆の所へ戻ろうとした時
にわかにロビーの方が騒がしくなった。
フィルは往きに通った通路とは反対側の通路を通り
罠が無いかを簡単に確認しながらロビーへと向かった。
(ここも通路だけで他に部屋は無し……と)
フィルがロビーにたどり着くと
ロビーでは何やら息を切らしたゴブリンが、
賭け事をしていたゴブリン達に喚きたてている所だった。
『ニンゲンがキタ! オレタチを殺すツモリダ!』
ゴブリンの後肩にはおそらく逃げる時に射られたのだろう。矢が刺さっていた。
(アニタはクロスボウだし、矢という事はモード老がやったのかな?)
ゴブリンの報告を聞いた衛兵ゴブリンは慌てて
先ほどフィルが出てきた通路を奥へと走っていった。
おそらく、先ほどフィルが見たゴブリンの頭へと
報告をしに行ったのだろう。
(これ以上ここに残るのは危険か……)
ゴブリンに人間の襲来が知られた以上、
彼らは直ぐにもこの洞窟の防備を固める事だろう。
万が一、入り口が塞がれてしまった後では、
出る時にフィルの事がばれてしまう可能性が高い。
せっかくフィルが潜入していた事がゴブリン達に知られていないのなら、
ここまま気付かれずに村人たちが中の様子を何も知らないのだと
油断してもらうのが最善だろう。
慌ただしく動き出したゴブリン達を尻目に
フィルはそのままそっと洞窟を出る事にした。
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