邪神さんと冒険者さんのコボルド退治5
洞窟の前には二匹のコボルドが門番をしていた。
着ている革鎧こそくたびれ、見すぼらしい代物であったが、
手にしているショートスピアは鎧とは不釣り合いで随分と新しい。
おそらくはあの短槍も街道で遭遇した斥侯コボルドが持っていたクロスボウ同様、
商人や護衛達から強奪した物なのだろう。
コボルド達は洞窟の外を監視しているが
実際には眩しそうに外を眺めているだけだった。
暗視能力を持つ彼ら種族は光に過敏であり、
明るい太陽光の下では目が眩んだ状態になってしまう。
なので明るい日中で相手を見つけようとすると
物音で気付くのならともかく、
視覚ではどうしても不利にならざるを得ないのだ。
茂みの陰に隠れ、門番コボルドの様子を伺っていたリラが
立ち上がりざまにショートボウから矢を放った。
それに続いて他の少女達が手にした遠隔武器でコボルドに攻撃を仕掛ける。
畳みかけるように矢が飛び、右のコボルドにはリラとアンジュ、
左のコボルドにはアニタとトリス、サリアの全ての矢が命中した。
(ほう……全部命中したか。みんな頑張って練習していたからなぁ)
二匹のコボルドがどちらも地面に倒れた事を確認して
フィルは構えていた弓を下げた。
念のため、討ち漏らしがあった時の為に待機していたのだが
どうやら無駄になったようである。とても喜ばしい事である。
今の彼女達の技量であれば素でも二回に一回は命中できるし
今はバードのサリアによる鼓舞のお陰で攻撃が命中しやすくなっているとはいえ、
コボルド二匹を一度に仕留められるかと言えばかなり難しい。
だが、先日のゴブリン討伐でショートボウを手に入れたリラやサリアだけでなく、
当時まだクロスボウを持っていなかったトリスもアニタのクロスボウを借りて練習をしていた。
そんな日々の訓練が今回の結果につながったのだろう。
体に矢を受けたコボルドは膝から崩れ落ちるが
完全に地面に倒れ伏すのを待たずに
リラが弓を地面に落としコボルドに向けて駈け出す。
アンジュも手にしていたクロスボウを地面に落とし続いて駆け出し
駆けながら二人は腰からロングソードを引き抜く。
地面に倒れたコボルドの生死を確認せずコボルドの胸に剣を突き立て
止めを刺した所でようやく「ふぅ」と息を吐き、
改めて周囲の様子を見回した。
「……大丈夫そう……かな?」
「たぶんですけど……」
洞窟の外に怪しい物影は見当たらない。
入口洞窟の中に敵の姿は見えないが奥は真っ暗で、
暗視を持たない人間の身では今一つ安心ができない。
今にも闇の中からコボルドの大群がやってきそうで未だ気を抜く事ができず、
二人は剣を構えたまま洞窟の奥を警戒し続けていたがそれも数秒の事で、
すぐに他の少女が追い付き、二人はようやく肩の力を抜く事ができた様だった。
一息ついたものの、ここからは時間との勝負である。
時間を無駄には出来ないとリラはフィルから預けていた金属鎧を受け取り、
その場でいそいそと元の鎧へと着替え始める。
そんなリラを見てフィルは慌てて顔を洞窟の奥へ向け、
そちらへと意識を集中する事に専念した。
「フィ~ルさんっ。もう大丈夫ですよ?」
暫くして何故か満足顔のサリアに呼ばれ、
溜息混じりに少女達の方を見ると
鎧へと着替え終えたリラとアンジュとトリスの三人がいた。
「きちんと調整もした?」
「はい、二人にも手伝ってもらいましたから」
この手の中装鎧は着替えるのに四分ほど掛かるのが普通だ。
だがまだ二,三分ほどしか経っていない事にフィルが尋ねると、
リラが大丈夫ですよと応じる。
リラの言う通り、サリアとアニタが着替えるのを手伝ってくれたのだろう。
そういえばサリアが先程のサリアの表情が妙に満足げだったけど
何か妙な事をしたりはしてないだろうな?
なんて事をなんとなく考えながら、
返してもらった革鎧をカバンの中に戻した所で、
一行は洞窟の探索を開始した。
「隊列は打ち合わせ通り「小さめ」で。先頭は私とフィルさん、お願いします」
「ん、わかった」
指示を出すリラに短く答え、共に隊列の先頭へと歩み出るフィル。
今回の隊列は二人ずつ前衛、中衛、後衛という並びである。
前衛には剣と盾を構えたリラと、10フィート棒と松明を手にしたフィル。
ちなみにリラの盾にはアニタによりライトの呪文が掛けられ、
洞窟の全体を明るく照らしている。
中衛はクロスボウを構えたアンジュと、ショートボウを構えたサリア。
後衛はクロスボウを構え腰にランタンを下げたアニタと、同じくクロスボウを構えたトリス。
この辺りの隊列については昨日の夜に皆であれこれと話し合って決めた。
コボルドは小型の種族。
大きな坑道なんかに住み着いた場合ならばともかく、
通常、彼らは住処は通路や部屋があまり広くない場合が多い。
前線で武器を振り回せるのは二人なんてのは良い方で、
場所によっては一人が身を屈めてようやく通れるなんて場所も多い。
見た所、今回は一般的なコボルドの住処らしいので
狭い場所での探索を想定した隊列で、という訳だ。
ちなみにフィルとリラ以外の全員が遠隔武器を手にしているのは
遭遇直後に先制攻撃をする為である。
先の洞窟入口の時のようにコボルドが一、二匹ならば
これで仕留められる可能性は十分にあるし、
倒せなかったとしても、その後、
彼らが突撃せずに距離を取って攻撃しようとした場合に対応する事が出来る。
遭遇したら即座に攻撃となると、相手との交渉はまず不可能となってしまうが、
そもそもここは敵の拠点であり、そこに門番殺して押し入っておいて
交渉も何も無いだろう。
「じゃ、みんな、行くよ?」
リラの合図に頷き返し、中に入る一行。
前衛先頭のリラが盾を掲げ洞窟の先を照らすと
安定した魔法の光に照らされた洞窟内は
岩肌がむき出しな通路が奥に向かって真っ直ぐに伸びていた。
床には足場代わりか木板が不器用に並べられ
通路の奥には扉があるのが闇の中で僅かに見える。
扉の向こうはどうなっているか気になる所ではあるが、
まずは通路の安全を確保するべきだろう。
入って早々、足元に張られた鳴子のワイヤーを外し、
通路では床板を踏むと発動するアラームを発見し、
通路の先でも扉の隅にある鳴子を外す。
おそらくは入口に居た門番コボルドが仕掛けたのだろう
「アラームだらけですね……」
「だね……入り口近くにアラームが多いのは何処も一緒だよ。ここは殊更に多いみたいだけどね」
隣で「なるほど」と感心しているリラに一歩下がって照らして貰い、
まずは扉に耳をつけて中の様子に聞き耳を立てる。
暫くして物音が無い事を確認したら扉をほんの少しだけ、
慎重に開けて扉の向こう側を確認する。
扉の先は通路と同様に明かりが無く、闇に包まれている。
今回はフィルも駆け出しのリラ達に合わせて、
暗視の魔法やマジックアイテムを使用していない。
その為、差し込む僅かな光頼り視覚からは中の様子の情報を殆ど得られないが、
それでも部屋の中の気配から察するに、
どうやらこの扉の向こう側には誰も居ないようである。
扉の向こう側が無人であろうと判断して、
手をかけている扉を更に開けて、扉の裏を確認する。
扉の裏に敵が居らず罠も掛けられて無い様だが、
扉の上には簡易な棚とそこに今にも落ちそうに傾けられた壺が置かれていて、
あと一手間、手を加える事で設置が完了するという状態になっていた。
入口から部屋に通じる一番初めの扉であるこの場所は罠を仕掛ける絶好の場所である。
だが、この扉はコボルド達にとっても普段使いする扉であり
おそらくは侵入者が来た事を察知した時だけこの罠を起動させ、
その時だけ使用するという使い方なのだろう。
罠が機能していない事を確認して部屋の中に入ると
灯りに照らされた扉の先は広い部屋になっていた。
部屋にはフィル達から見て左右に扉が二つあり、
部屋の中ほどには家具の残骸や小枝を積み重ねたバリケードが敷かれ
フィル達の居る側と奥とを遮っている。
奥のバリケードの先には木で組まれたテラス状の櫓があるが、
今の所、櫓の上にコボルドの姿は見当たらない。
(どうやら今回は相手を出し抜けたようだ)
フィルは部屋の中にコボルドが居ない事に満足しつつ、改めて壺の中身を確認すると、
どうやら中身は油の様だった。
おそらくはこの油を相手に浴びせて
コボルド達は奥のバルコニーからバリケード越しに火矢でも打ち込むといった作戦なのだろう。
さしずめこの部屋はコボルド達のキルゾーンといった所である。
(んー、油は回収するとして、誰かに持ってもらおうか…?)
油壺の回収はコボルドによる罠の起動を防ぐという意味もあるが、
上手く仕掛ければ、逆にコボルド達を妨害出来るかもしれない。
勿論、普通に燃料として使っても良いだろう。
……とは思うのだが、少女達の様子を見るとリラ達は武器を手に、
周囲を警戒するので一杯一杯の様である。
(……初ダンジョンだし、余裕も無さそうだし、あの娘達に持たせるのはかわいそうか……?)
それに油壺は結構な大きさであり、持ち運びとなると戦闘への参加は難しくなる。
人数的に十分とは言え、初の冒険なのだし戦闘には全員が参加出来た方が良いだろう。
「油か……燃料にも使えるだろうから回収しておくよ」
そんな事を少女達に聞こえるように言いながら、
フィルは油の入った壺をさっさと自分のカバンに仕舞い込む。
「それにしても、此処って私達を迎え撃つ大事な部屋ですよね? 誰も居ないんですけど、これって良いんです?」
部屋の様子を見回しながら尋ねるリラ。
リラも部屋の造りから、この部屋の大体の意図は察しているようだが、
それなのに機能していない事に不思議そうにしている。
部屋の中は静まり返っており、コボルドの気配はまるで感じられない。
フィルの知覚から見ても隠れているという訳では無く、
実際にここには誰も居ないのだろう。
「ああ、それは」
フィルもまた周囲を確認しながら答える。
「理由は二つだろうね。まず今はコボルドにとって「深夜」で寝ているというのが一つ。もう少ししたら襲撃に行く為に起きてきて、ここにも何人か置かれるんじゃないかな」
「確か街道で襲われる時間はお昼過ぎが多いって……あれってそれまで寝てるからあの時間になるってことです?」
「多分ね。コボルドは夜行性が多いからね。さしずめ夜明け前に起きて「さぁ今日も仕事を頑張ろう」って感じなんじゃないかな?」
「えぇ……そんな真面目に悪事とか、なんかやだなぁ……」
「やってる事は悪事でも、彼らのアライメントは秩序だからね。規律やルールみたいなのはあるみたいだよ」
まぁ、秩序にして悪の社会なんて一部の上位だけが美味しい思いをして
他は奴隷のようにこき使われるっていう酷い社会なのだけど。
とはいえ、俯瞰してみると善でも中立でも社会が大きくなるとやってる事に大して違いは無いのだから、
社会とは不思議なものである。
「そんなものなんです……? じゃあ、あと一つは?」
「ここのコボルドは今まで襲われた事が無くて油断しているって事かな。この部屋も長い事、使われていない様だしね」
フィルが指摘するように部屋には戦いの傷跡といった痕跡はまるで見られず、
作られてから随分とそのまま、長い事放置されているように見える。
それだけ長い事、この洞窟に襲撃者が無かったという事なのだろう。
長い事使われなければ部屋の管理が面倒になり
常駐するのを厭うようになるのも分からないでも無い。
けどまぁ、非常時の備えというのは、こうして忘れた頃に必要になるのだけれど。
「あー、ドラゴンの所為で誰もコボルドに手が出せなかったんですもんね。街道でもやり放題みたいでしたし」
「入口のコボルドもそうだけど、敵が襲ってくる事をあまり考えていない感じするよね」
フィルの説明に、これまでのコボルド達の様子を思い出し納得するリラとアニタ。
普通ならコボルドの住処と言えば、外敵に備えて見張りや仕掛けが置かれているものだ。
ましてやこの場所はコボルドにとって重要な迎撃地点になろう場所である。
そこが機能していないというのは余程外敵の事を軽く見ているのだろう。
「ま、奥にもっと危ない罠や強力な敵があるのかもしれないから、油断せず、慎重にというのは変わらないけどね
「ですね。じゃあ部屋の中にはこれ以上する事も無さそうだし、先に進みましょうか」
「そうだね。と、その前に少しだけやっておきたい事があるけど、先に進むのはどっちの扉にする? 進まない方の扉に仕掛けを施したいんだ」
「えっと……どっちに行った方が良さそうです?」
「どちらも足跡は同じぐらいあるし、多分どっちも繋がってるんじゃないかな? どちらを選んでもあまり変わらないと思うよ」
「じゃあ……あっちにします」
じゃあと特に間を置かず片方の扉を指さすリラ。
今回リラ一人で決めてしまっていたが、
今みたいな状況ではリーダーが即断するのは良い判断だろう。
フィル達はまだ敵に見つかってはいない。そしてそれを活かす為の時間は有限である。
つまらない事で時間を消費しない、というのは大事な事なのだ。
「分かった。じゃあちょっとだけ待ってて」
フィルは一人、リラが選んだのとは反対側の扉に近づき、
罠の有無を確認して扉を僅かに開けて、奥に誰も居ない事を確認する。
扉は此方からは押戸になっていた。
これは犠牲者が部屋の中の立て籠もれない様にして、
襲撃者が扉の向こうに攻め込む場合でも罠を仕掛けやすいからだろう。
(引き戸なら楔を打ち込んで扉を開け辛くしたりするのだけど……)
無理なのは仕方ないので今回は「まきびし」を扉の前にばらまいておく。
「まきびし」はカルトロップとも言われ、攻撃力は大した事はないが、
上手く相手が踏んでくれれば、相手の移動速度を遅くしたりも出来る。
コボルドがここから雪崩れ込んでくる可能性が高い以上、やっておいて損は無いだろう。
「よし、じゃあ行こうか」
一通りの仕掛けを施し、
部屋の中も確認し終えた一行は改めて扉の奥へと進む事にした。