邪神さんの街への買い出し108
フィルが玄関の鍵を開け扉を開けると、
「ただいまですー」
と誰も居ない家へと元気に入っていくフラウを先頭に
客人であるアンジュを除いた他の少女達も
我が家の様に「ただいまー」と言いながら続々と入っていく。
フィルは一応自分の家なのだけど……とちらりと思いはしたが、
不思議と悪い気はしないものである。
玄関に入ると、そこはちょっとしたホールになっていて
数は少ないものの、尽きる事の無い魔法の炎が灯るランプが壁にかけられ
薄暗くではあるが玄関ホールを照らしている。
いかんせんランプの数が少ないので
明るい所はランプが設置されているごく狭い範囲だけ、
それ以外の殆どの部分は僅かに届く光のみという有様であったが
それでも外の暗い山道を歩いている時とは安心感が全然違う。
とはいえ……幼いフラウにとってはまだまだ暗く、
夜に家の中を歩くたびに怖がらせてしまっており、
フィルとしてはもう少しランプの数を増やして家の中を明るくしたいところではあった。
だがランプを作る為に必要なコンティニュアルフレイムの呪文を一日に唱えられる回数には限りがあり、
家中を明るく照らすだけランプが揃うにはまだまだ当分先になりそうである。
……まぁ、無い物を無理言っても仕方がない。今はこの灯りで満足する他ないのだ。
そんな事を考えながら一行の殿に居たフィルが家の中に入ると
フィルが持つクォータースタッフの先に灯った魔法の光が部屋の中を照らし
ようやく玄関ホールに屋敷本来の色彩が戻った。
「さー。シルちゃん、とうちゃくですよー」
家に入ってフラウが抱いていた子オオカミのシルを床に降ろすと
自由に動き回れるようになったシルはくんくんを辺りの匂いを嗅ぎまわった。
暫く、くんくんして、満足したのか動きを止めたシルはフラウの方を見上げる。
フラウはそんなシルの前にしゃがむと優しく撫でた。
「ここはシルちゃんのおうちですよー」
見知らぬ場所でもシルに警戒する様子が無いのは
すぐ傍にフラウが居るからか、
それとも家にフラウ達の匂いが残っていたからか、
いずれにせよ家の中でもシルもフラウも普段通り、楽しそうである。
「さてと、僕は食べ物を倉庫しまってくるから、皆は荷物を置いて休んでいると良いよ」
調理場にある食糧庫に食料を入れたらそのまま窯で風呂を沸かしてあげよう。
今日は一日ずっと山道を歩き通しだったし皆も喜ぶだろう。
食事の用意は……村を到着する前にサンドイッチ食べたお陰で
今はさほど空いていないし、まだ先でも良いだろう。
フィルとしてはようやく家に着いたのだし
今日はもう娘達にはたっぷり休憩をとってもらおうと考えていたのだが、
それを止めたのはサリアであった。
「あ、フィルさん、その前にお願いしたい事があるんですけど」
「ん、どうしたんだい?」
「シルちゃんのおトイレや犬小屋を先に決めちゃった方が良いと思うんですよ」
特にトイレの場所は一刻も早く決めた方が良いというサリア。
確かに今、この時もシルはトイレに行きたいと思っているかもしれない。
「わぁ~、はいです!」
サリアの提案にフィルが同意するより先にフラウが嬉しそうに返事をした。
それはもう、打てば響くといった感じで、
「とってもだいじなことです」と大賛成のフラウの反応にサリアは満足気である。
「うんうん。ですよねー。と、いう訳で、スピーク・ウィズ・アニマルズのスクロールを一本出してもらえますか?」
くださいなと、可愛らしく両手を手を差し出すサリア。
「分かったよ。はい、これがスクロール」
是非も無しと、そんなサリアに言われるままフィルは自分のカバンの中から
スピーク・ウィズ・アニマルズのスクロールを取り出すと、はいとサリアに手渡した。
「じゃあ、先にトイレの場所を決めてしまおうか」
取り合えずサリアとフラウ以外の少女達には
先にアンジュを空いている部屋に案内して、
ついでに鎧やら荷物を部屋に置いてきてもらう事にして、
残ったフィルとフラウとサリア、それからシルの三人と一匹で
家の中のどこにトイレを置くか、場所を決める事になった。
アニタがライトの呪文を唱え、
火の代わりに魔法の光が灯ったランタンを頼りに二階へ向かう四人の少女達。
一応幾らか魔法の灯りが設置されているのだがまだまだ暗い通路に
誰かの「ダンジョン探索みたいだよね」とか
「どちらかというと幽霊屋敷とか?」などと失礼な声が聞こえて来た。
まったく本当の事だとしても失礼な事である。
彼女達の後を続く客人のアンジュがどうリアクションを返せば良いのか困ってしまって
何とも微妙な笑顔になってしまっているではないか。
……まぁ、それは置いておくとして、少女達を見送った後、
フィル達三人と一匹も犬用のトイレを設置する場所を決めるため、
家の中の探索……もとい確認を開始した。
クォータースタッフに灯る魔法の光を頼りに薄暗い通路を進むのは
確かに探索みたいではあったが一緒に歩くフラウの
「フィルさんといっしょならもうぜんぜんこわくないです」
との言葉のお陰でやはりここは幽霊屋敷ではなく我が家なのだと
どうにか認識を戻す事の出来たフィルなのであった。
「とりあえず家の中のどこからでも行き易い場所が良いか?」
「はいですっ」
「普段よくいる所から近いとこに置くのも良いですよ」
「わぁ~、じゃあ、おだいどころのちかくとかいいかもです」
「はは、たしかに僕ら、台所にいる事多いよね」
「はいですー」
「あー、でもどちらかといいますと「したくなる」のは食べた後ですから、食堂の近くとかでしょうかね?」
「なるほどですー」
何処が良い此処が良いなどと他愛ない事を話しながら家の各所を見て回り
結果、三人は一階の玄関ホールに一つと、
二階のフィル達の部屋のすぐ外に一つトイレを置いて
犬小屋はフィルとフラウが使っている部屋の中に置くことになった。
「さて、それじゃあ行きますよー?」
「はいですー!」
一通りシル用トイレと犬小屋を置き終えた三人と一匹は
今は二階のシル用トイレの前に集まっていた。
動物と会話をする魔法でシルにトイレを説明しようというのである。
スピーク・ウィズ・アニマルズの呪文はドルイドやバードが扱う呪文であり
通常ならウィザードにはスクロールを利用する事が出来ないのだが
実のところ魔法装置使用技能を持つフィルならスクロールを使用できたりもする。
だが、せっかくここにはバードのサリアが居る事だし、
皆にはこれまでフィルが魔法装置使用技能を持っている事を伝えていなかったので
ここはそのまま内緒にしておき、
魔法はサリアに使ってもらおうというフィルの腹積もりである。
期待に満ちた視線を送るフラウを前におほんと一つ、サリアは咳ばらいをしてみせ、
それからバードらしい優雅な所作、
別の言い方をするなら少し芝居がかった仕草でスクロールを広げる。
そんなサリアを見つめるフラウは大道芸に魅入る見物客の少女といった感じである。
サリアが広げたスクロールに書かれた呪文の起動用ワードを唱えると、
火の気など何も無いスクロールから炎が上がり、炎はスクロール自身を燃やしていく。
ちなみにこの炎、熱を帯びてないので熱くはないし、勿論の事、火種にも使えない。
あくまでもスクロールを消費した時の演出であり
こうした演出には作り手により様々なバリエーションがあった。
よくあるのが文字部分から炎が生まれ、
その炎がスクロール全体を燃やし尽くすというもので
他にもスクロールが光を放ちながら消えたり、
あるいはスクロールが石化して砕け散ったり、
ただスクロールが炭化して崩れ落ちたりなんてものも多い。
凝ったものだと文字が空中に浮かび上がってから消えたり、
スクロールから光の糸が伸び、布を解くように解いて最後に消えたり、
そういえば最近人気なものに青い炎がスクロールを焼くなんていうのがあるが、
あれは通常の赤い炎よりも神秘的だからなのだそうで、
そもそも秘術である魔法に神秘的も何も無いだろうにと思ったりもするが
そこはそれ、雰囲気は大事、という事なのだろう。
そんな作り手により様々な演出があるスクロールの消費時演出であったが
どの様な演出であっても変わらない事が一つ。
それは使用した羊皮紙を再利用する事は出来ないという事であった。
結局大事なのはこれだけで、それ以外は皆フレーバーでしかないのだが、
そんなフレーバーに凝る者は存外に多くて、そういうのにまるで興味無さそうな、
それこそ絶対腐り落ちるとかの演出をしていそうな極悪な様相をしたリッチが
青い光の玉になり優しく浮かび弾けるなんていう綺麗な演出をしていたりするので
魔法使いというのは本当に見かけによらないものである。
そんな訳でスクロールを起動したサリアはシルの前でしゃがんで向き合い、
それから普段の通り、子オオカミに優しく話しかけた。
「こんにちは。シルちゃん。言葉は通じていますか?」
話しかけるサリアの声にシルは一瞬ピクリと反応すると、
サリアの顔を見上げて「わう」と軽く吠えて見せた。
子オオカミの表情は正直言ってよく分からないが、
それでもサリアを真っすぐ見つめる様は嬉しそうであった。
「それは良かったです。それではこの魔法あんまり長くはもたないので、手短にシルちゃんにこの家で住む為に守らないといけない、大事な事をお話ししますね」
「わう?」
「そうなんです。ここは人が住むおうちですから、その人達のルールを一緒に守らないと、一緒に住めなくなってしまうんです」
「わう」
「はい。分かって貰えてとても嬉しいです。それではルールについてなのですが、シルちゃんがおトイレをする時には、あちらにある箱の上でして欲しいのです」
「わう?」
「はい、皆さんおトイレは家の中の決まった場所でしていて私達も別の場所にある、決まった場所でしているんです。でもオオカミのシルちゃんにはとても使いづらいので、今回専用の物をご用意しました」
「わう、わう」
「ありがとうございます。あとは一人になりたい時には部屋の中にある小屋を使ってください。そちらの小屋はシルちゃんだけの場所ですからね」
「わう」
「あら……魔法の効果が切れてしまいましたね……まだまだ色々お話ししたい事はあったのですけど、一番安いスクロールではこの位が限界ですかね?」
一仕事を終えたサリアは、説明の時と同様の笑顔のまま、シルの頭を撫でた。
言葉は通じなくなってしまったが、それでもシルは撫でてくれたサリアに一言、
「わう」と元気に返した。
シルのトイレが解決した所で三人と一匹もここで解散し、
それぞれの荷物を置きに自分の部屋に戻る事にした。
「それじゃあフラウちゃん、またあとでねー」
「はいですー」
普通の火を灯したオイルランプを片手に持って、
もう片方の手をフラウに向けて振るサリア。
解散と言ってもフィルとフラウとシルの二人と一匹は同じ部屋なので
サリアと別れるといった方が正しい。
サリアと別れが二人と一匹が部屋に入ると、
フラウは自分唯一の荷物である肩にかけていたポシェットを机の上に置いて、
シルを抱き抱えてソファーに座り込んだ。
(そういえばサリアは自分の荷物を一階に置きっぱなしだったような気がするが……)
サリアはシルのトイレを決める時には邪魔だからと玄関近くにバックパックを置いてたよなぁと
フィルがそんな事を思い出していると
少し離れた部屋の扉が開いて慌てて階段を下りていく足音が聞こえて来た。
それはそれとして。
「今日は一日、お疲れ様だったね」
「えへへー。フィルさんもおつかれさまでしたですー」
部屋に入ってから真っすぐソファに向かい、
足を伸ばしてソファでくつろぐフラウに。フィルが声をかけると、
フラウはえへへーとにっこり笑って応えた。
魔法のブーツの効果で疲労は殆ど無いのかもしれないが、
それでも一日ずっと歩き通しだった事には変わらない。
なので今日はもうゆっくり休んで欲しいと思うフィルなのであった。
そんなフラウはソファに座ると抱いていたシルを撫でたりわしゃわしゃしたりしていたが
暫くしてシルを自分の隣に置いて解放してやった。
解放されたシルはというとソファの上で匂いを嗅ぎまわったり、
それからフラウの膝の上に戻ってフラウの顔をなめたりとせわしなく動き回って
フラウもそんなシルをまた撫でたりわしゃわしゃしたり、
今日一日ずっと歩いていたのにとても元気そうで何よりであった。
「さて、僕は一階に戻って食料を倉庫に入れてくるけど、フラウはゆっくりしていくといいよ」
幼い少女と子オオカミの戯れを暫し眺めていたフィルだが
残していた雑事を済ませようと部屋を出ようとしたところ、
フィルの言葉を聞いたフラウがソファから立ち上がった。
「あ、じゃあいっしょにいきますー」
「そっかぁ、じゃあ行こうか」
「はいですっ。ばんごはんもつくらないとですねっ」
「晩御飯かぁ、でも村に着く前にサンドイッチも食べたしなぁ」
「えー。きっとみなさん、もうすこししたらきっとおなかすいちゃいますよ?」
「たしかにそうかも。じゃあ、お風呂を沸かすついでに軽く作っておこうか」
「はいですー」
そんな事を話しながら部屋を出るフィルとフラウ。
その後をシルも続いて全員で部屋を出て行く事になった。