邪神さんの街への買い出し104
翌日、予定通り早朝六時の「一時課の鐘」で目覚めた一行。
鐘の音で目を覚ましたフィルが、何気なく首を巡らせてみると
同じベッドのすぐ隣で一緒に寝ていたフラウが
今丁度、フィルを起こそうとフィルの肩に手を伸ばしている所だった。
「……」
「……」
お互い目が合い、二人の動きが止める。
フラウは一瞬何が起きたのか分からないといった様子だったが
状況を理解するとするすると手を引っ込めてしまった。
「……おはようございますなのです」
「あ……ああ、おはよう」
ぎこちない笑顔を浮かべて挨拶をするフラウに、
フィルはなんだかとても申し訳ない事をしてしまったような気がして、
布団の中から手を伸ばしてフラウの頭を撫でた。
「なんかごめん。今日はほら、早めに起きた方が良いと思ってさ」
「ざんねんです……」
「ごめんね……いや、ほんとにごめん……」
ざんねんなのです……と、今度はしょぼくれてみせるフラウ。
なんだかちょっぴりわざとらしくもあるがそこが可愛らしく
……多分にあのバード娘の影響なのだろう。
今度フラウの教育についてじっくりと話し合う必要があるのかもしれない。
そんなフラウに可愛いと思いながら再度ごめんねと謝るフィルの周りでは、
同じ大部屋で寝ていたダリウやリラ達がベッドから起きる布擦れの音や物音が聞こえてきて、
どうやら他の者達も続々と起き出しているようだった。
誰かが部屋の鎧戸を開け、窓から光が差し込み部屋の中を明るくなるのと共に
朝の涼しい空気が部屋の中に入ってきた。
この時間はまだ日の出前で入ってくる光は弱々しいが
それでも暗い部屋に慣れたフィル達の目には十分な明るさである。
外からの光に照らされたフラウの顔は既に笑顔になっていたので
フィルは安心してもう一度フラウの頭を撫でた。
「サリアー、もう朝だよぉ」
「んぅ……お願いですぅ、あとすこしだけ……すこしだけぇ……」
フィルが安堵をしていると、隣のベッドから
サリアの二度寝を阻止しようと頑張るアニタと
それに対して懇願するサリアの声が聞こえて来た。
フィル達は八人で六人部屋を使っているので
今回も前日と同様、フィルとフラウ、サリアとアニタがそれぞれベッドを共有していたのだが
同じベッドを使っているサリアがなかなか起きられないみたいで
それをアニタが起こそうと頑張っている様である。
「……そろそろおきようか?」
「はいですっ」
このまま布団に包まっていては隣と同じになってしまうと、
まだ未練が残る布団からフィルとフラウが身を起こしてみると、
隣のベッドの方はなかなか大変そうであった。
布団に包まり、まるで芋虫なサリアがアニタに揺すられてうーうーうなっている。
「うぅ……頭が痛いですぅ……」
どうやら眠さではなく二日酔いの様である。
そういえば昨日はあの後、酒場での夕食がお開きとなり、
アンジュを見送り各々湯浴みなどの身支度が済んだ後も
幼いフラウを除いた少女達は今度は自分達が借りた大部屋で
夜遅くまで夜会を続けていたのだった。
ベッドに腰かけてお喋りするといった程度のささやかなものではあったが、
酒場でお酒とつまみとお菓子を買い持ち込んでいたりしたので
おそらくはそれらが積み重なってで酒が祟ってしまったのだろう。
以前も二日酔いでフィルに泣きついていたりして、
彼女自身、自分の酒の限界は理解していると思うのだが……
昨日は晩御飯の時から楽しそうに飲んでいたので、
この娘、結構場の雰囲気に流され易いのかもしれない。
ちなみにダリウとラスティは明日の為にと早々に布団に入って寝ていた事もあってか
朝から平然と身支度をしている。
同じ大部屋で行われていた少女達の夜会は騒がしいとまではいかないまでも
結構賑やかだった様にフィルには思えたが
そんな中でもしっかりと眠っていた二人である。
フラウもそうだが、村での生活は普段から日の出と共に起きて
夜になったらなるべく早めに眠る生活である。
こういった時間管理はしっかりしているのだろう。
ちなみにフラウも子供は早く寝た方が良いからと先に寝させて、
その流れでフィルも布団に入り、お陰で此方の二人もすっきりした起床である。
(そういえばリラ達も同じぐらい飲んでいたと思ったけど)
そう思いながら改めて少女達を見てみると、
他の三人の少女達は平然としたもので二日酔いも寝不足も感じられない。
クレリックのトリスは以前も酒に強いと聞いていたし
クレリックと言えば朝のお勤めなんかも有るのでなんとなく朝に強いのも理解出来るのだが、
ファイターのリラやウィザードのアニタが朝に強いのは少し不思議な気もする。
(……ともかく、サリアはあまり酒場で一人にしない様気を付けた方がいいかな)
周りに乗せられて飲みすぎてしまうかもしれんなどとフィルが考えている間にも
サリアを起こそうとしているアニタのもとにリラがやってきて、
それからトリスもやってきて、
二人により布団で出来た芋虫は容易く捕獲され、
中からサリアが取り出された。
随分と手慣れたものだとフィルが感心していると、
「なんかアニタが布団から出なかった時のこと思い出すねー」
「ええ、丁度こんな感じだったのよのねぇ」
「そうそう」
「あれは寒かったからっ」
懐かしそうに昔話をする二人をアニタが慌てて止めている。
見ればアニタの顔は赤くなってしまっていて、
対して話している二人はとても楽しそうである、
家族同然の三人だけならまだしも、
ここにはダリウ達やフィルやフラウまでいるのでさすがに恥ずかしいのだろう。
ちょっと可哀そうな気がしないでもない。
皆が起きた所で少女達が身支度をするからという事で、
いつもの様に男三人は部屋の外に追い出された。
これから街の外で取引があるダリウとラスティの身支度を先に整えておくべきだとは思うが
寝起きの格好の少女達を廊下に放置する訳にもいかない。
という訳で少女達の着替えを待つついでに顔でも洗って来ようという事で
寝起きの男三人は寝起きの格好のまま、一階の水場へと向かった。
「ふぅ……これでいよいよ街の生活も最後かぁ」
水場で顔を洗いながら、
珍しく感慨深げなダリウにラスティがそうだねと相槌を打つ。
「次にこれるのは何時になるだろうな」
「そう遠くは無いんじゃないかな? また街で買い揃えたい物も出るだろうし、僕らも依頼を受けに街に来る事になるだろうしね」
フィルが二人に言うと、二人は揃ってうーんと思案した。
「できればそれまでに街で売れる物を用意しておきたいんだがな」
「せっかく荷馬車も手に入った事だし、交易が出来るようにしたいよね」
「けど暫くは街で売れそうな物が出来そうにないんだよなぁ……これから夏になるから普通なら野菜とか売れるんだろうが……」
「そうなんだよねぇ……」
二人の会話に元気が無いもの無理はない。
今、村では長い日照りによる水不足で野菜の出来が非常に悪い。
フィルが夜に魔法で雨を降らせるようになってからは作物の状態は大分回復したという事だが
それでも収穫できそうな作物の量は村人達が生きていくので精一杯な程度であり、
街に売るだけの余裕は無さそうだった。
「それなら薪とか炭かな。街では燃料は幾らあっても困らないからね」
フィルの案に二人はこれまた揃ってうーんと思案する。
悩まし気ではあるが、とはいえ即座に反対意見が出ない所を見るに、どうやら検討に値する案らしい。
「でも薪じゃあ嵩張るだけで高くは売れないんじゃない? 炭ならそれなりの値が付くだろうけど」
「炭なら夏から秋で木を集めて作るから丁度いいかもしれないな」
ラスティの言葉にダリウが相槌を打ちながら頷く。
炭は石炭と比べると火力が低いものの、
それなりに高温になり、比較的入手もしやすいので
暖房や調理に使われる以外でも様々な用途に使用される。
薪と比べると作るのに手間がかかり、
必要とする材料も炭を一本作るのに薪が十本必要と言われるほどなのだが
それだけに重さ辺りの金額も薪と比べるとはるかに高額になるので
荷馬車一台で運んで利益を出すのに良い商品と言えるかもしれない。
「そうだね。畑仕事の合間にやっても良さそうだし。後で皆と相談してみようか?」
「そうだな」
どうやら継続して検討という事になったらしい。
そんな事を話しながら待つこと暫し。
暫く待っていると少女達の身支度が終わり、
それぞれ鎧やローブといった防具を纏い、武器を携えた少女達と入れ替わりで
フィル達は部屋に入り、手早く着替えを終えた。
着替え終えて早速家畜を受け取るために早々に宿を出たダリウとラスティを見送り、
残った一行は宿の一階にある食堂でアンジュを待った。
朝食は時間の余裕が無くて皆で一緒に食べられないから、
代わりにアンジュを待つ為に朝食の代わりにお茶を注文して
食堂のテーブルの一つを占拠して待つ一行。
ついでに二日酔いのサリアは酒場特性の二日酔いに良いとされるスープを頼み
重たい動きで黄色い色をしたスープを啜っている。
「サリアおねーさんだいじょうぶです?」
「あまりだいじょうぶじゃないですね……」
フラウが隣に座るサリアの様子を心配そうに伺うが、当人はそれ所では無さそうである。
朝の酒場で朝食を食べようとする街の住民は殆ど居ないので
食堂に居るのはこれから旅立つ前の朝食を取ろうという旅装束の元客や
現在宿泊中の客ぐらいなので夜の様な騒がしさは無い。
「うう……まわりの音がつらいです……」
だがサリアにとってはこの賑わいも辛いようで、
スープを飲みながらも恨めし気に周囲を見渡している。
「フィルさん、サリアおねーさんたいへんそうです」
サリアの弱々しい返事に、フラウは今度はもう一方の隣に座るフィルへ
「なんとかなりませんか」と目で訴える。
サリアの事を心配するフラウの優しさはとても素晴らしいと思うが、
フィルとしては二日酔いはしっかり経験して学んでおくべきと考えている。
早いうちにお酒の量をセーブする事を学ばなければ
とくに彼女達の様な若い娘の場合、
酒を飲ませて良からぬ事をしようと企むような輩は多い。
そういったトラブルに巻き込まれない為にも
酒には自制できるようにしてもらわねば。
というわけで。
「そうだねぇ。でもまぁ、次からはこうならないようにその身で二日酔いを経験しておく事も大事だと思うんだよね」
「あぅぅ……でもでもすごくたいへんそうです」
「大丈夫。死ぬ事は無いから」
自信たっぷりに言い切るフィル。それを聞いているフラウの更に向こう側からは
サリアが恨めしそうにこちらを睨んでいたが、フィルは敢えてそれには見えない振りである。
「うう……人でなし……」
「そうは言うけど、確実に治る二日酔い止め薬は金貨一枚するからね。さすがにそれで治す訳にもいかないだろう?」
錬金術によりつくられる薬の一つに「二日酔い止め薬」という薬がある。
塩によく似た結晶質の粉末で、水に混ぜると泡だったカクテルになり、
10分以内に出来たカクテルを飲むと二日酔いの効果を取り除いてくれるという大変便利な薬なのだが
金貨一枚となかなかに高価で、実際の所、
裕福な者や金の価値を知らない放蕩者ぐらいしか使われない代物である。
ちなみに金の価値を知らない放蕩者の代表である冒険者には愛用者が多い。
サリアももう少し冒険者として稼ぐようになればこうした薬に頼っても良いだろうが
今は素直に宿が作ってくれたスープで耐えて貰うのが良いだろう。
「うう……薬以外で二日酔いを何とかする方法ってないんですか?」
「うーん、そうだなぁ……まぁ、一番は二日酔いにならないように酒を控える事だね」
「……」
サリアが一段と恨めしそうにこちらを見ている。
「まぁ……しいて言えば柑橘系の果物を取るとか、今サリアが飲んでいるスープみたいにターメリックが入った食べ物を食べると良いとは言われてるね」
「……このスープってちゃんと効果があるんですか? スパイスが効いてるなーって思ってはいましたけど」
フィルの説明に今飲んでいるスープをしみじみと眺めるサリア。
具の無いスープの色は黄色がかっており、スパイシーな香りが漂っている。
「ああ、ターメリックは二日酔いに効くってよく言われてるんだ。ちなみに予防にもいいから飲む前に食べると二日酔いになり辛いとも言うね」
「なるほど……」
とはいえ効果があるといっても、飲めば即座に二日酔いが治る訳でも無く、
サリアは一つ溜息を吐くと、諦めて再びスープを飲む作業を再開した。
そんな事をしながら暫くの間、一行が酒場で時間を潰していると、
暫くしてアンジュが宿にやって来た。