邪神さんの街への買い出し87
「……それでえーと、アンジュさんはどんな剣を希望するのかな?」
武器屋の店員がフィル達の野盗討伐の戦利品を鑑定している間、
フィルはパラディンだと名乗る少女…アンジュに武器を希望を尋ねた。
引き受けるからには出来る限り……まぁ、あくまで予算の範囲内ではあるが……
可能な限り要望に応じようとは思っている。
……というかそうしないと、
すっかり仲良くなって、今もフィルの傍らで嬉しそうにしている
フラウもきっと納得してくれるだろうという打算である。
「はい! えっと、できましたら神聖ダメージの追加が付与された武器を!」
……要望に応じるつもりだとはいったが、早速無理そうな感じである。
「神聖ダメージ……というと「ホーリィ」かぁ……」
期待に満ちた眼差しでこちらを見上げるアンジュに対し、
フィルは難題だと言わんばかりに思わずそう呟いていた。
武器や防具のエンチャントはその長い歴史の中で
効果的な結果を得られる手順がレシピとして書物や文献に纏められ現在に伝わっている。
そんな有名なエンチャントレシピの一つに「ホーリィ」というエンチャントが有り、
このエンチャントが施された武器は善属性となり、
悪の属性を持つすべてに対し大きなダメージを与えるだけでなく
一部の悪魔などが持つ魔法的な防護を貫通することができるというもので、
効果が悪属性の相手に限定されてしまうものの
その威力は炎のダメージを追加する「フレイミング」や
冷気のダメージを追加する「フロスト」といったエンチャントの倍近い威力があるにも関わらず
一方で制作に必要なコストは第二段階の強化と殆ど変わらず
比較的手頃な事とその有効性の高さからパラディンのみならず、
多くの善や中立の冒険者が求める人気のエンチャントだ。
以前フィルが属していたパーティでも
冒険中に「ホーリィ」のレシピが書かれた書物を入手してからは、
幾つかの武器に付呪して随分とお世話になったものである。
そんな感じで実際にエンチャントをした経験があり、その費用感を知っているだけに
ホーリィのエンチャントは無理だと言わざるを得なかった。
というのもフィルが知るホーリィのエンチャントレシピには二種類あったのだが、
片方は触媒として黄金をつぎ込んでエンチャントを行うというレシピで、
これは呪文や素材の制約が殆ど無い為、こちらのレシピであれば
今すぐにでもエンチャントを執り行う事ができるという長所がある。
だが必要になる黄金の量が金貨にしておよそ八千枚と
それだけで完全に予算オーバーになってしまうレシピであり今回の依頼では使う事が出来ない。
もう片方はエンチャントでは良くある一般的なレシピで
大量の黄金を消費する事はなく、様々な素材や触媒と魔法を用いるもので、
付呪を行う際には「キュア・クリティカル・ウーンズ」か
「ホーリィ・スマイト」の呪文が必要となるというレシピで、
こちらのエンチャントの場合は通常のやり方と同様なのだが、
使う呪文がどちらもクレリックの第四段階呪文なので、
ウィザードであるフィルでは直接これらの呪文を扱う事が出来ない為、
今すぐにエンチャントを執り行う事が出来なかった。
一応手持ちに「キュア・クリティカル・ウーンズ」のスクロールがあるので
こちらを使えば一応エンチャントを行う事ができるのだが、
このスクロールも市場で買えば一番手頃なものでも金貨七百枚と決して安いものではなく、
予算の厳しい今回は正直使うのを躊躇う所である。
さらに言うと、どちらのエンチャントの場合でもだが、
ホーリィのエンチャントを行う為には下地として強化のエンチャントを付呪する必要があり、
そちらの付呪と合わせると結局どちらのやり方でも予算を大幅に超えてしまうのだった。
ちなみにフィルの知るエンチャントレシピにはもう一つ、
別の神聖ダメージを付与する「ディバイン」というエンチャントも有るのだが、
こちらは悪属性に限定しない代わりに、威力が「フレイミング」や「フロスト」等と同等となり、
尚且つ触媒として黄金を金貨八千枚分必要とするという、
今回の要望ではコスト的に見合わないエンチャントなので見送りとした。
「うーん、やっぱりホーリィのエンチャントは予算的に難しいかな……ちなみにホーリィのエンチャントは「+2」の強化に相当するのだけど、このエンチャントをするには前提として「+1」以上の強化があらかじめ施されている必要があってね、二つを合わせたエンチャントとなると素材代だけで金貨九千枚は必要になるんだよ」
これは「+3強化」に必要なコストとほぼ同額であり、
ホーリィのエンチャントを行う場合、この辺りの予算がまずはスタート地点となる。
これまで何度もこのエンチャントを行ってきたフィルの見積もりとしては
最低でも金貨一万……どんなにまけても金貨九千枚は予算が欲しい所だった。
「さすがにそのお値段だと……ぜんぜん無理です……」
フィルの見積もりを聞いて目に見えてしょぼんと落胆してしまうアンジュ。
この娘、存外に喜怒哀楽の表現が豊かである。
気落ちしているその様子は可哀想に思うが、
とはいえお金についてはしっかり線引きすべきであり、
ここでなぁなぁにしてしまうのは彼女の為にならないだろう。
「ちなみにだけど、ホーリィ・スマイトの呪文は使えたりするかな? もしくはキュア・クリティカル・ウーンズでも良いのだけど、あるいは誰か依頼できる人にあてとか?」
「いえ……スマイト・イービルでしたら使えるのですけど……」
スマイト・イービルは「悪を討つ一撃」ともいわれるパラディンが使える攻撃技であり
ホーリィ・スマイトは「聖なる打撃」ともいわれる信仰呪文である。
名前は似ているがその内容はかなり違う。
「だよねぇ……第四段階の信仰呪文が使えるクレリックが居てさっきの製作費なんだけど、居ない場合はスクロールで賄ったり他のクレリックに呪文を依頼する事になるから更にお金が掛かるんだよね……」
「あぅぅ……」
フィルの言葉にさらにしょぼんとなるアンジュ。
やはりその雰囲気はフラウに似ているような感じがする。
「フィルさんフィルさん。どうにかしてあげられないです?」
気落ちするアンジュを見かねたフラウがフィルの手を握って尋ねた。
フィルの手を握ったまま物欲しげに見上げるフラウに
フィルは残念だけどと首を横に振る。
「そうは言っても素材の費用だけでも予算を超えてしまっていてはね……。普通依頼されて作る場合はそこからさらに呪文行使費用とか作業依頼料とか色々かかるのだけど、たとえそれらを僕が取らなかったとしてもお金が足りないんだよ。こうなるともうどうしようも無いかな……」
「あぅ……」
フィルの説明にしょぼんとなるフラウ。
顔立ちは全然違うが髪の色や雰囲気の所為かなんだかよく似た二人である。
(……そう言えばこの子が自分の為に何かをねだった事って無いな……)
子供が物をねだるとしたら菓子かおもちゃが定番なのだが
他人の、それも魔法の武器のエンチャントをねだる子供というのはなかなか居ない。
フィルとしてもフラウの気持ちを出来る限り汲んであげたいとは思っている。
だがこの願いを叶えてあげられるかといえば否であり、
可哀想だとは思うが、ここでなぁなぁにしてしまうのは彼女の為にならないだろう。
ついでに言うと次はちゃんと自分の欲しい物をねだってもらいたいものである。
「……ほーりーのほかで作ってあげたりはできないんです?」
「うーん……似た様な効果の付呪をするというは出来なくはないのだけど酷く効率が悪くてね。大抵は素材の量に対して大した威力にならないんだよね」
そう言うとフィルはまだ納得できていない様子のフラウにエンチャントついて説明をした。
そもそもエンチャントの手順がレシピとして書物に纏められ流通している理由は
その手順が何かしら「効率が良い」からである。
エンチャントというか魔法は同じ結果を出すにも様々な手順や方法があるのだが
その中で例えば、
消費する素材が少なく済んだり(大抵のエンチャントのレシピはこれである)、
エンチャントにかかる期間が短かったり(代わりに素材や触媒を多く消費する場合が多い)、
通常のエンチャントとは別の呪文や素材で代替したり(金貨を触媒にエンチャントを行うフィルの知るレシピもこれに相当する)
等々……、
付呪には同じ威力や性能でも様々な制作手順が存在し、
その中でも適度な作業時間で、必要な素材の量も普通で、
作業難易度も普通なエンチャントの手順を纏めたものが
店などで買うことが出来る「エンチャントのレシピ」なのである。
それを外れてエンチャントすると大抵の場合何かしら効率が悪くなってしまい
結果としてレシピを使ってエンチャントしたものと比べて
全体的な効率や性能でみると低いものとなってしまう事が多い。
「……という訳で、エンチャントには材料の量とか割合とか手順が大事なんだよ。それらのどれかが少し違うだけでもその効果は大きく減ってしまう場合が多いんだ。勿論変わらない場合もあるし逆に高い効果が得られる場合もあるけど、そういう可能性はとても低いし、その予測をするのはとても難しいんだよ」
「わぁ~……なんだかお料理みたいです! おしおがおいしくても入れすぎたらだめですし、足りないからって入れないとおいしくないのです」
「うんうん、確かに近いものがあるね。エンチャントも手順や分量のバランスが重要なんだよ」
フラウの感想にフィルは微笑み、
ちゃんと理解できて偉いとばかりに
握られているのとは反対の手でもって少女の頭を撫でた。
「えへへ~」
「まぁ、そんな訳で独自にエンチャントするのは出来るけど、威力は大したものにならないんじゃないかな? 農作業で使う鎌を少し使いやすくするとか日常使いでおまじない程度の効果であれば良いなら出来るだろうけど、命を預ける武器にそれは厳しいと思うよ」
「あぅ……大変なのです」
「あとは……」
あと有るとすればもう一つ……。
(この「力」を使っての付呪だけど……いや、これを付呪といって良いのものか……)
かつて神殺しでフィルに与えられたというか、押し付けられた「力」を武器に付与し
エンチャントと同様の効果を持たせるという試みは既に試しており、
神聖ダメージの付与が可能である事も確認済みである。
それに何よりこちらの手段でならば、一瞬で付呪を終える事が出来るので、
フィルがエンチャントに多くの時間を割く必要が無くなる。
だが、これだとアイデンティファイやディテクト・マジックなどの魔法で確認すると
明らかに通常のマジックアイテムとは違う魔力の流れが見えてしまうし、
さらに言えばレジェンド・ローアやヴィジョンによる詳細な調査をフィルはまだ行っていないが
剣に対してレジェンド・ローア等で詳細に鑑定された時、
不穏な結果となって騒ぎになったりしないかという懸念がある。
(……とはいえ、予算内で十分な効果が見込めるのはこれ位しか無いんだよなぁ……)
威力を「フレイミング」なんかと同威力にしておき
とりあえず特殊な手順で作ったとか言えば誤魔化せないか……と、
そんな事を悶々と考えるフィル。
「……うーん、まぁ……それで良いなら良いか……アンジュさん」
「はい!」
「さっきも言ったようにホーリィのエンチャントは無理だけど、似た様な神聖属性を付与する事は出来ると思う。ただやり方が特殊だからその威力はかなり減じる可能性が高いけど、それでも良ければ予算の範囲内で試してみるよ? でもそれが受け入れられないのならエンチャント依頼は受けられないな」
フィルの言葉にアンジュの顔がぱぁっと明るくなる。
この様子だと依頼されるのは確定だろう。
「はいっ、それで構いません!」
「ちょっと、アンジュ!」
連れの黒髪の少女……エラが慌てて止めようとするが、
アンジュは自信たっぷりな様子で、大丈夫と聞く耳を持たない。
「残された時間を考えれば今採れる最良の選択だと考えています」
「……確かにそうかもだけど……」
「それにこのお金は自由に使いなさいと言われていましたし、私は信じた方にお金を賭けたいと思います」
「……」
自信たっぷりなアンジュに対してエラはまだ何か言いたそうだったが、
やがて諦めたのか溜息を一つ吐くとフィルの方へと向いた。
「……分かりました。ですが最低限の取り決めをさせてください。私が鑑定して最低でも限第一段階の強化が見られなければ、取引自体を取り止めさせて頂きます。その条件で了承しましょう」
「なるほど、最低「+1」の強化ですね。分かりました。それで引き受けましょう」
第一段階の強化であれば一日で可能だし、
それ位であれば通常のエンチャントの手順で執り行えば良い。
既にエンチャント済みの武器に対して、
フィルの力を追加で付与できる事は確認済みである。
「これで商談は成立ですね。いやー良かった良かった」
「はいです! フィルさんがんばですっ」
未だフィルとエラとの間には緊張があったが、
その緊張はようやく話が纏まった言わんばかりの店員の安堵の声と
フィルさんなら絶対大丈夫ですと言わんばかりのフラウの声援によって
簡単に洗い流されてしまったのだった。