邪神さんの街への買い出し79
今回フィル達が泊まる宿は前回まで泊まっていた宿屋と比べ宿泊費が安いだけあって、
客層も前回が比較的裕福そうな商人や旅人だったのに対して
こちらの宿はもっと庶民的な?商人や旅人達が多く、
それに伴い、店内の雰囲気もどちらかというと賑やかというか騒々しいものであった。
前回の酒場と比べて灯りが少なく薄暗い店内には
時折酔客の高笑いや銅鑼声が店内に響き、
騒がしいなと見てみれば、どうやら卓で賭け事をしているらしく
今もドワーフが賭けに負けたらしく唸りとも雄叫びともつかぬ声を上げている。
フィルにとっては二十年近く聞き慣れたもので、寧ろ馴染みですらあるのだが、
とはいえ幼いフラウをこういう駄目な大人を見せて果たして良い物か……。
というか賭け事してる大人達なんて明らかに「ああいう大人には関わっちゃだめですよ」と言うべき部類に入るだろう。
とりあえず酒場の客とは関わらない事に決めたフィルは、自分達が座れる卓が無いか確認するが
残念ながらこの時間、食堂は満席でここで食べるにはかなり待たされそうだった。
「うーん、やはり食堂で食べるのは難しそうか。部屋で食べた方が良さそうだね」
「おへやで食べるんです? でもテーブルはなかったですよ?」
正確にはベッド横にランプを置く為の小さなサイドテーブルが一つだけあったが
さすがにあれは小さく、二人分の料理の皿や飲み物を置くには些か窮屈だろう。
「ははは。そうだね。なので今日はベッドでご飯を食べようと思うよ」
「わぁ~。ベッドでたべてもいいんです?」
フィルの言葉にフラウは興味津々といった顔でフィルを見上げる。
フィルとしては今みたいに酒場が使えない時に、
部屋で食べるという事は珍しい事では無かったし、
テーブルの無い大部屋で食べたり、一人用の個室でも狭い部屋なんかでは
同様に寝床でそのまま食事を食べたりする機会は多かったので、
別段珍しい事では無いのだが、どうやらフラウとしてベッドで食事という概念すら無かったらしい。
(まぁ、真っ当な生活をしているなら、それはそうか)
「あはは、シーツにこぼして汚したりしなければ怒られないさ。とりあえず部屋の鍵を受け取りに行こうか」
最悪、汚した場合でもプレスティディジテイションの魔法で綺麗にするか
金貨一枚程支払って謝れば許してもらえば良い。
もはやこの辺のやり取りは慣れたものである。
「はいですっ」
酒場のテーブルで食べれないのは残念ではあるが、
自室で静かにのんびりと食べるのだと考えれば悪い事では無い。
それにこんなに騒がしく人の行き交う場所で子オオカミを床に放したら
他の酔客や店員に踏まれたり蹴られたりされかねない。
酒場で食べる事を早々に諦めたフィルは
前の宿屋と比べて暗めの店内を通り、奥にある受付の店員に声を掛けた。
店員から鍵を受け取り、リラ達がまだ部屋に戻っていない事を確認したフィルは、
店員に礼を言い二階にある自分達が借りた部屋へと向かった。
宿から借り受けた鍵で扉を開けると、六人分のベッドが並ぶ大部屋の中は
灯りが灯っておらず鎧戸は全部閉じられていて真っ暗だった。
「ちょっとまっててね。今灯りをつけるから」
「はいですー」
フィルはそう言うと慣れた足取りで暗い部屋の中に入りながら金貨を一枚取り出し
金貨にライトの呪文をかけると光り輝く金貨が部屋中を照らし出した。
この手の宿に据え置きランプというのは
大抵の場合、油が数時間程度しか持たない事が殆どなので
こうして別の明かりを用意した方が面倒が無くて良いというのは
冒険者になり宿屋の暮らしをする様になって早いうちに身に付けた生活の知恵である。
ライトの呪文に照らし出された部屋の中は簡素なもので
唯一の照明であるランプが置かれた簡素なサイドテーブルが一つだけに、
これまた簡素なベッドが六台置かれただけと、如何にも旅人向けの安宿らしい造りである。
とはいえ細かい雰囲気は違えどこのシンプルな光景は
フィルにとっては冒険者として暮らしている中で幾度も利用した見慣れたもので、
実家の様な……とまでは行かないしても、勝手知ったるなんとやらというものだ。
早速光る金貨をランプが置かれているサイドテーブルに置いて、
それから夕食の載った皿は近くのベッドに置いて、改めて部屋の中を確かめるフィル。
「ほう、結構綺麗にされてるみたいだね」
シーツはきちんと洗濯されている様だし、床にはゴミが一つも落ちて無い。
衛兵が評判が良いとお勧めするのも納得である。
ついでに言えば壁や天井におかしな穴や切れ目なんかも無くて
安全という意味でも及第点だ。
「よし、部屋の中は大丈夫そうだね。フラウも入っておいで」
「はいですっ。ただいまですー」
そう言って部屋に入ったフラウは奥のベッドまで行くと
抱き抱えていた子オオカミをベッドの上にそっとおろしてあげて、
自分も同じベッドの子オオカミのすぐ傍に腰かけた。
どうやらフラウはここを自分のベッドにする様である。
フィルはというとフラウがベッドを決めて座り心地を楽しんでいる間に
鎧戸のある壁へと向かい、壁の鎧戸を押し開けた。
開け放たれた鎧戸から外の空気が流れ込み、
微かな料理の匂いと一緒に下の通りの賑わいが部屋の中に流れ込んでくる。
「あっ」
フィルが窓を開けたのを見たフラウが、
開け放たれた鎧戸から外の様子を見てみようとフィルの所にやって来た。
「わぁ……、すごいですねっ」
窓から顔を出して、わぁと声を漏らすフラウ。
前回泊まった宿の部屋は表通りに面しておらず、静かでゆっくり休めるというのが売りであったが
今回の部屋は通りに面した部屋だけあって、
夜も営業している酒場や屋台、それを目当てに行き交う人々など、
賑やかな通りの様子がよく見えた。
「夜でもこんなににぎやかなのってすごいですよねっ」
一通り外の景色を楽しんでから、フィルの方を見上げてフラウがにっこりと笑う。
こうした部屋は休むのに五月蠅いからと敬遠する者もいるが、
こうして賑やかな通りを上から眺めるのはなかなかに楽しいものである。
特に村で育ったこの娘にとってはこうした景色もまた物珍しい景色なのだろう。
「そうだね。こうして少し離れたとこから見るのも良いもんだ。……この賑わいだとリラ達はまだ屋台巡りを楽しんでいるのかな?」
若者達にとっても夜の街と言うのは刺激的なのかもしれない。
しかも今なら口煩い保護者も、子守が必要な子供も居ない。
きっと今頃、若者達で存分に羽を伸ばしている事だろう。
「みなさんいっしょでしたし、もうすこし時間がかかるかもです」
「あはは。そうだね。これは僕らは先に食べていた方が良さそうだ」
「みなさん待たなくてもいいんです?」
「まぁ、大丈夫なんじゃないかな? 向こうは現地で食べてるかもしれないし、なにより温かい内に食べた方が美味しいからね」
屋台の料理はその場で食べれる物が殆どだし、案外食べ歩きを楽しんでいる可能性もある。
特に集合して全員で食べようと約束して言訳では無いので、その可能性は寧ろ高いといえる。
いずれにせよ部屋に戻って来るのを待って全員で食べる必要は無いだろう。
「もうっ、フィルさんくいしん坊さんです」
咎めるフラウだが、笑ってくれているので、どうやら怒っている訳では無いらしい。
「ははは、ごめんごめん。でもまぁ、そんなに待たずとも来るさ」
「えへへー。はいですっ」
こちらを見上げてにっこり笑ったフラウは、それからベッドの方へと目を向けた。
ベッドでは先程抱っこから解放されたばかりの子オオカミが転がっており、
ようやく解放された子オオカミは暫くはベッドの匂いを嗅いで確認していたが
ベッドの匂いに慣れたのか、ころんと横向きに寝転がると足を投げ出し
時折足をバタつかせたり伸びをしたり、どうやらベッドの感触を楽しんでいる様に見える。
「ふふふっ。オオカミさんはお疲れみたいです」
「そうみたいだね。今日はずっと移動ばかりだったしさすがに疲れたんだろうね」
フィルはそう言いながら自分のカバンの中からトレー状に角を削った木の板を取り出すと
それを寝転がっている子オオカミを驚かさない様に少し離れた場所に置いて、
その板の上に先程屋台で買った料理で山盛りとなった皿を載せた。
「うん、これで飲み物も置ける」
「わぁ~。これでベッドで食べるんです?」
「ああ、これならお皿も飲み物もちゃんと置けるからね。まぁちょっと行儀は悪いかもだけど」
「えへへー。なんだか楽しそうですっ! フィルさんなんでも準備してあるんですねっ」
「はは、この手の部屋を使う事は結構あったから、こういう用意もしてあるんだよ。ま、適当な端材を少し加工してとっておいただけだけどね」
こうした安い大部屋というのは大抵どこも似た様なもので、
部屋にテーブルが無いというのも良くある事だった。
なのでこういう部屋を利用する機会が多いフィル達は
バッグ・オヴ・ホールディングを手に入れた頃に
同じ頃に武器とか防具を制作した時に余った端材から、
こうした適当な食器や道具を幾つか作って確保しておいたのだった。
普通なら持ち運ぶには邪魔でしょうがない木の板もこうして気軽に持ち運べるのだから
まったく、バッグ・オヴ・ホールディング様様である。
「えへへー。おうちでこんな事したらおぎょうぎわるいっておこられちゃうかもです」
そういって悪戯っぽく笑うフラウ。
という事はフラウの親御様に日常的にこんな事をしていると知られたら、
かなりの顰蹙をかってしまうかもしれない……注意せねばならないだろう。
とはいえフラウはこうして楽しそうにしているので、それはまぁ良いやと棚に上げておく。
「ははは、まぁ、折角こういう部屋に泊ったんだし、こんなのも楽しまないとね」
「はいですっ」
「さて、僕は下の酒場で飲み物を買ってくるけど、フラウはその子と待っててもらえるかな? すぐ戻るから」
フィルの視線の先では、子オオカミが目を閉じて寝ている。
さすがにお休み中をわざわざ抱き上げて煩い酒場に連れて行くのは可哀想だろう。
それに、あの喧騒の只中にフラウを連れて行くのも保護者代理としてはちょっと避けたい。
「はいです。じゃあここでおるすばんしてますね」
「うん。念の為、僕が出たら扉の閂をかけておいてね」
「はいですっ」
「いってらっしゃいですー」と手を振って見送るフラウと子オオカミを残し、
部屋を出たフィルは階段を下りて真っ直ぐ一階の酒場へと向かった。
一階に降りて薄暗がりの中、フィルは慣れた感じで満席の卓の合間を横切ると
奥にあるバーカウンターへと向かった。
カウンターでは宿の店員がバーテンとして客からの注文を受けており
フィルはバーテンにエールと果汁を絞り入れた水の入ったジョッキを注文する。
「はい、おまち」
「ありがとう」
短い言葉のやり取りと銀貨一枚とを引き換えに二つのジョッキを受け取ったフィルは
ここでの用事は終わったとそそくさと部屋へと戻る。
普段ならここで店員から世間話の一つもして情報収集をしていくのが冒険者の習性なのだが、
今は二階でフラウがフィルの戻りを待っているので、ここは真っ直ぐ帰るのが良いだろう。
……と頭では理解しているのだが、ついつい周りの卓をチラリと覗き見ては
どんな料理が出ているか確認してしまう。
こちらは冒険者というより酒飲みの習性か。
二階で待っている屋台料理は勿論楽しみだが
初めての酒場の料理もそれはそれで気になるのである。
(……ふむ。ここのも結構旨そうだな)
多くの酒場で定番の「旅人のシチュー」と呼ばれるごろごろした肉や野菜を煮込んだシチューや、
切ったジャガイモにスパイスを効かせスキレットで焼いた料理や
潰したジャガイモとソーセージとトマトが焼かれて大皿に盛られた料理、
どれも酒場の定番料理で容易に味の想像がつく、如何にも酒飲みの為の料理ばかりだが、
逆に言えば味が約束された旨い料理である。
特にエールに良く合うだろうというのは容易に想像でき、
この店が中年男の酒飲み達で満席なのも納得である。
(うーむ、ここの飯も食べてはみたい所だけど……)
こちらには屋台で買いこんだ料理と共にフラウがフィルの帰りを待っている。
少しだけ後ろ髪を引かれる思いもあったが、
フィルは早く戻ろうと思いを振り払うと二階の自室へと戻っていった。
「ただいまー、もどったよー」
フラウに呼びかけながら扉のドアを空いた手でノックすると
内側からフラウがドアを開けてフィルを出迎えてくれた。
「おかえりなさいですー」
「ああ、ただいま。開けてくれてありがとう」
こちらを見上げてちゃんとできましたと言わんばかりのフラウの頭に空いている手を置き
優しく撫でると少女の顔が嬉しそうに微笑む。
それから二人で先程の料理が置かれたベッドに戻り、
料理の皿を載せている板に二人分のジョッキを置き、
最後に二人料理を挟んでベッドに腰かけ、
ようやく夕食の準備が全て整ったのだった。