邪神さんの街への買い出し75
街道に出てようやく一段落した一行は
街へ向かったダリウとラスティの二人が衛兵達を連れてくるまでの間、
街道の脇に腰を下ろして彼らが戻るのを待つ事にした。
街からここまで来るには二時間弱と言った所で往復には少なくとも四時間は掛かり
探索をしたり食事をしたりして大分時間を使いはしたが
それでもまだあの二人が戻って来るまでには十分な余裕があった。
なので、今はこうして二人が戻ってくるまでの間
皆でのんびりしているという訳である。
午後の日差しは晴天という事もあって大分強く
まともに日差しを浴び続けていたら汗ばむほどであったが
幸い周囲は雑木林に囲まれており、全員が涼しい木陰の下で休んでもまだまだ余裕があり。
一行は早々に強い日差しを避け木陰に移動して
今は木々の合間から流れ込んでくる涼しい風を心地良さそうに浴びていた。
助け出した三人の女性達も毛布を敷いて木陰で休ませており、
今は三人とも目を閉じて安静にしている。
極度の過労状態は脱して命に別状はないものの心身の疲労は未だ酷く、
フィルの経験上おそらくあと8時間はこの状態が続くだろう。
それになにより心の傷が重く、過度に干渉すればかえって精神が不安定になる可能性もあり
今はこうしてそっとしておくのが一番と言えた。
そんな訳で、安静にする必要のある者が居る事もあってか、
今日のリラ達は普段の賑やかさと比べると大分控えめにしているように見えた。
「フィルさんフィルさん。この子とってもおとなしいんですよー」
「そうだね。本当にじっと大人しくしてるね」
「それに咬んだりしないしとってもいい子なんですよー」
「そうみたいだねー」
「これならきっと誰かに飼ってもらってもきっと仲良くできると思うんです」
「ははは、そうだねー」
自分がとは言わない辺り、まだ遠慮しているのだろう。
久しぶりの静かな時間を満喫するフィルの隣にはフラウがちょこんと腰掛け、
フラウのさらにすぐ隣で大人しくしている子オオカミを撫でながら
控えめながらも一生懸命にフィルへと飼いたいアピールをしていた。
子オオカミはというと伏せの姿勢のまま諦めたかのような表情で
フラウに撫でられるのに任せてじっと耐えている。
結局、子オオカミは食事の後もずっとフラウから離れようとはせず、
一行が野営地を出る時もフラウの後を追ってここまでついて来たのだった。
野生の生き物だしその内自分から森に帰って行くだろうと期待もしていたのだが、
獣道を歩く時もおぼつかないながら一生懸命フラウの後をついてきて
罠の残る場所で立ち止まった時は、しっかりフラウに抱きかかえられて超えたりして
流石にこうもお互いが仲良くなってしまうと諦めて家で飼うより他は無いのではと思えてくる。
そんな諦めの心境で少女と子オオカミの戯れをのんびり眺めて過ごしていると
不意にリラが話を切り出してきた。
「そういえばダリウ達と合流した後の事だけど、村には行かないで助けた人達に付き添って一旦街に戻ろうと思うのだけどどうかな?」
リラの提案に他の少女達は特に反対する事も無くあっさりと同意した。
おそらく彼女達もその方が良さそうだと思っていたのだろう。
フィルとしても異論は無く、この時間から村に向かっても途中で夜になってしまい、
夜道を強行して歩くか、道中で野営を行い一晩野宿する必要が出てくる。
何れにしてもそれなりにリスクがあり、
それなら一旦街に戻って明日改めて村に向かった方が安全だし疲労も少ない。
「たしかに。きっと衛兵の皆さんは男ばかりでしょうし、皆さん怯えさせちゃいかねないですしね」
「そうね。私もあの人達が街に行くまで一緒に付いていてあげた方が良いと思うわ」
なるほど、そっちの心配をしていたのかと
サリアとトリスの言葉に自分が違う事を考えていた事に気付くフィル。
一応の言い訳をさせてもらうのなら、これまでフィルのパーティはそもそも男ばかり、
それも厳つい中年男ばかりのパーティだった。
そんな集団だからこうした若い女性を救出した時はまず間違いなく怯えられたもので、
その後で街の衛兵に引き渡すにしても、自分達以上には怯えられる事は無いという有様だった。
まぁ化物の巣窟に突入して返り血やら変な体液やらを浴びまくった見るからに怪しい冒険者よりも
きっちり統一された鎧を綺麗に着た衛兵の方が信用できると言うのは
思う所が無い訳では無いが分からないでもない。
まぁ……要はそんな事に心を配る以前の問題だったという訳だ。
「あ、それなら、街に着いたら戦利品を売ったり装備を買い足してもいいかも。スクロールも買いたいな」
「うんうん。冒険者の店で報酬も貰えるだろうし、色々買えそうだよね」
「それなら、まずはリラの鎧とか見てみない?」
「あ、いいですねー。前衛の防御力アップはパーティの戦力アップにつながりますしね」
フィルがそんな事を考えている間に助けた女性達に付き添い街に戻る事に決めた少女達は
今は街に着いたらどうするかという話題になっていた。
衛兵との手続きをしている間に何人か別行動して宿をとっておいた方が良さそうだとか、
冒険者の店への報告は明日にしようだとか、空いた時間でどこかへ行こうだとか、
決める事が盛りだくさんである。
おそらく街に到着する頃は夕刻になっているだろうから手際良く進めたいのだろう。
フィルとしても街に到着しても宿が取れずに、馬小屋や橋の下で野宿なんてのは避けたい所である。
「あ、時間に余裕が有るならでいいんですけど、街に行ったら森の女神の神殿に寄ってもいいですか?」
「森の女神の神殿……ああ、あの食堂みたいなお店?」
何かに思いついたサリアの提案にリラが尋ねる。
「ええ。出来たらでいいんですけど、このオオカミちゃんのお世話する道具が買えないかなって思うんですよ。それが無くても野生動物をお世話をするのに何かいいアドバイスが貰えるかもしれないですし」
街の様々な神を奉じる寺院の集まる地区の一角に建つ森の女神の神殿は街に住む信者が少なく、
女神の主な信奉者であるドルイドと街の人の関わりが殆ど無い事もあって
街の人のドルイドに対するイメージを向上させようとして、
寺院を休憩所として広く街の住人に開放しているのだが、
そのお陰もあってか、一目見ただけでは寺院には見えない喫茶店か休憩所のような建物だった。
そんな寺院ではあるが、寺院を切り盛りしていたのは正式なドルイドであり
野生動物の相談であれば確かに彼女に尋ねるのが一番だろう。
サリアは今もフラウに撫でられるままにされている子オオカミを見てから、
今度はフィルの方へと笑顔を向ける。
「フィルさんもあの子を飼う事に賛成なんですよね?」
にっこり笑って確認を取るサリアに、フィルは渋い顔で頷く。
フラウがなかなか言い出せないので、
姉代わりのサリアが後押ししようというのだろう。
すぐ隣ではフラウが期待いっぱいの眼差してこちらを見上げており、
これでダメだと言ったらどうなるか……考えるだけでも恐ろしい。
「まぁ……うん、フラウ達がちゃんとお世話をするのであればだけどね」
「わぁ! いいんです!?」
「ああ、フラウがその子と一緒に暮らしたいと望むのならね。でもこのオオカミが離れたがったら自然に帰してあげるんだよ?」
喜び一杯の顔で尋ねるフラウにフィルは苦笑い交じりで念を押す。
野生の動物はそうそう人に懐くものでは無い。
暫くして体力が回復したら人に飼われる生活を窮屈に感じて
そのうち自分の住処かもしくは一人で生きる為に自然に帰って行く可能性は十分にあった。
それでも良いならというフィルにフラウは嬉しそうに頷く。
「良かったですねー。家主の許可も得た事ですし、この子のお世話をする為の道具を色々と揃えないとですねっ」
「はいです!」
サリアの言葉に元気に頷き返すフラウ。本当にこの二人は仲の良い姉妹のようである。
「という事で、森の女神の寺院にいた、ドルイドのおねーさんに相談した方が良いと思うんですけどどうでしょう? 普通の犬と違って野生のオオカミですし、森の番人たるドルイドなら私達の知らない事を色々知ってると思うんですよね」
サリアの説明にフラウだけでなく他の少女達もなるほどと声に出して頷いている。
フィルも野生動物についての知識は以前のパーティで一緒に居たレンジャーから
幾らか話を聞いた事があるものの、
その知識だけでオオカミの世話が出来るかとなると些か心許ない。
確かに飼うとなれば専門家から色々と教わっておくべきなのだろう。
「なるほど……。確かにそうかも。それじゃあ先に武具の店と魔法の店に行ったら、その後で森の女神の寺院に行って、その後で必要な道具を見て回るでいいかな?」
確認を取るリラに賛成と返す少女達。
「良かったですねー。フラウちゃん。これでお世話の道具も揃えられそうですね」
「はいです!」
「あ、お世話の道具を買う時は、代金はもちろんフィルさんが出してくれるんですよね?」
そういって先程と同様の笑顔でこちらを見つめるサリア。
なんだか追い詰められた獲物の気分になりながら、笑顔に押されるようにしてフィルは頷く。
「そうだね……うちで飼うのだし僕が支払うよ」
「わぁ! ありがとうございます!」
言った途端にすぐ隣座っていたフラウが抱き付いてきた。
これだけ喜ばれてしまったのでは、これはもう逃げ場は無しと観念したフィルは
せめての強がりとばかりにフラウの頭を優しく撫でて幼い少女の勝利を祝福してやる事にした。
「いやー無事に飼える様でなによりですねー」
そんな二人の様子をうんうんと満足げに眺めていたサリアだったが
そういえばとポンと両手を叩いた。
「そういえば、この子の名前を決めてあげないとですね」
「あ、そういえばそうですっ。うーんと……」
サリアの言葉に返事して、あれこれと考え込むフラウだったが、
暫く考えてみたものの、どうやら良い名前が思い浮かばなかった様で、
えへへと照れ笑いを浮かべて見せた。
「なんだかまよっちゃって決められないです」
「ふふっ。今すぐじゃなくても大丈夫ですよ。そのうちきっと可愛い名前が思いつきますよ」
「はいです。えへへ……」
様々な歌や詩に精通したバードであるサリアなら、
良い名前の一つや二つ、すぐに思い浮かぶだろうと思うのだが、
どうやらサリアだけでなく、他の少女達も子オオカミの名前はフラウに決めさせるつもりらしい。
これだけ懐いているのならば飼い主はフラウであり、
ならば飼い主になる当人に決めさせるべきと判断したのだろう。
フラウの方も先程よりも気合を入れてうんうんと良い名が無いか悩んでいるが
それも楽しそうで自分で決められるのが嬉しいようにも見える。
そんな感じで控えめに賑やかな会話をして暫く休んでいると
道の向こうから衛兵達を連れたダリウとラスティの二人を御者台に乗せた荷馬車が姿を見せた。