邪神さんの街への買い出し72
「フィルさーん。ご飯が出来ましたよー」
野盗達の資材を一通り回収し終えた所で
フラウがフィルの所へ食事の準備が出来た事を伝えにやって来た。
「フィルさん。ご飯ができましたよー。フィルさんはどうです?」
「ああ、こちらもそろそろ終わる所だよ」
フラウに返事を返しながらフィルは自分のカバンに
最後の小麦が詰められた麻袋を入れ込んでいく。
今収納した小麦はフラウ達の村ではあまり小麦は育てていないので、
これだけの量があれば村でパンや麺を作るのにきっと喜ばれる事だろう。
既に先ほどまで山と積まれていた野盗達の戦利品は殆どがフィルのカバンの中に移され
すっかり空き地となった場所に残ったのは痛み始めた野菜の様な
利用価値の無い物が幾つか残るばかりとなっていた。
「わぁ~。すっかり入っちゃいましたね」
もう随分見慣れたはずだが、それでも大きな麻袋がカバンに吸い込まれて行く様に
素直に感心するフラウの様子に、フィルも思わず笑みが浮かぶ。
「はは。まぁ、このバッグ・オヴ・ホールディングも限界はあるから、今回ので大分一杯になっちゃったけどね」
「そうなんです?」
「うん。あとで僕らで使う分と、保存しておく分、それ村に渡す分とで整理しておかないとね」
そう言ってカバンの中からさらに別の袋を取り出して見せるフィル。
予備の食料や金貨、あとは鉱物や魔術素材なんかは急いで取り出す緊急性は無いし、
こうして物資を大量に確保するとかなりの量となってしまう。
その為、ある程度の量を超えた分は別のバッグ・オヴ・ホールディングに移し替えておくのだが
とはいえ、人前で別のバッグ・オヴ・ホールディングを見せるのは
余計な注目とリスクを引き付けてしまうので、それはそれで注意が必要で
なるべく人前で取り出す機会が多い物、
例えば冒険で予備として使う武具や、緊急時に配布する幾ばくかの食料や飲み水なんかは
なるべくメインのカバンの中に入れておくようにして
普段人の目に触れずに済む物だけを保管用の別のバッグ・オヴ・ホールディングで保管するなど、
人前で複数のバッグ・オヴ・ホールディングを持っている事を悟らせない注意が必要でもあった。
「えへへ。整理整頓ですね!」
フィルの言葉に逐一感心してくれるフラウの頭を撫でてから、
作業を終えたフィルはそういえばとフラウに尋ねた。
「そう言えば、助けた女の人達はその後どうなったかフラウは知ってる?」
「えーっと、トリスおねーさんが、傷は大丈夫だって言ってました。でもとてもひどい事されてて、心が傷ついてるから、今はそっとしてあげるのが一番って言ってました」
報告するフラウの表情は沈んでおり、
どうやらトリスは詳細はフラウに詳細を伝えてはいないようだが
それでも相手の事情についてはきちんと伝えてくれたようであった。
「なるほど。うん、まぁ……やっぱりそうなるよね。そうするしかないもんなあ……」
「フィルさん。魔法でなおしてあげる事ってできないんです?」
詳しい事は教えて貰えてないが
それでも女性達を心配するフラウの頭をフィルは優しく撫でる。
「うーん、そうだね。体の傷を治す魔法は色々あるけど、こればかりはなぁ……」
こちらをじっと見上げるフラウの眼差しに、フィルは困った笑みを浮かべながら言葉を探した。
心的外傷……トラウマというものは、当人の記憶とも結びついており、
体の傷のように呪文で簡単に治せるものでは無い。
これがトラウマを起因として発症した「狂気」であれば
「レストレーション」や「ヒール」の呪文で緩和させたり取り除いたりできるのだが、
狂気を取り除いたとしても過去の記憶とトラウマ自身は依然として残り続けてしまう。
相手を混乱させたり好意を持たせたり支配したりと
ウィザードの魔法の系統の一つに「心術系統」という領域があるぐらい
相手の精神を操る魔法は昔から広く研究されている分野ではあるが
残念ながらフィルが知るウィザードの呪文の中には
記憶を削除したり書き換えたりといった魔法は存在しなかった。
たしかバードの呪文で「モディファイ・メモリー」という呪文があるらしいのだが、
扱うにはかなりの熟練が必要らしいので、駆け出し同然のサリアではおそらく無理だろう。
ちなみに「ウィッシュ」や「リミテッドウィッシュ」で奇跡を起こすという手もあるのだが
あれはちょっとお金が掛かり過ぎるので、相手を選別している様で心苦しくはあるが、
余程の理由が無い限りは他人に使うのは無しとさせて頂きたい。
「うーん、やっぱり僕の知る呪文の中にはあの人達の心の傷を癒す魔法は無いかな」
「そうなんです……」
とても残念そうなフラウに、フィルはしゃがんで少女の目の高さに自分も合わせると
それから出来るだけ優しく少女を諭した。
「彼女達の心の傷というのは彼女達の記憶とも言えるんだ。それを無かった事にしたり、無理に大丈夫だったってするのは難しい事なんだよ」
「そうなんです?」
「うん。僕達冒険者がしてあげられる事なんて精々、彼女達がこれからを踏み出す足しになる様に金貨を上げたりする位で……」
まぁ……それだって救出してもらった上に
当座の生活に困らないだけの資金として数十枚の金貨を与えられれば
感謝されこそするが恨まれた事はこれまで無かった。
あくまで目先の助けでしかないし、彼らの今後の人生を保障するものでは無いのだが、
所詮冒険者なんてものはあくまで他人であり、他人として出来る事は精々その程度で、
それで十分だとフィル達以前のパーティでは考えていた。
「うー……でも、フィルさん、わたしの事、ずっと優しくしてくれてますよ?」
駄目なんです?とこちらを上目遣いで見上げるフラウに、フィルは更に困り顔になる。
「うーん、それはそうなんだけどね。それは僕も冒険者をやめた時だったから傍にも居られたからで……」
(……というより、僕が君に傍にいて欲しいと思ったんだろうな……今にして思えば)
後半部分は少し恥ずかしくて口に出せずに、別の言葉を続ける。
「……まぁ、流石に彼女達を僕らで世話をし続けるという訳には行かないしね。彼女達には彼女達の人生がある訳だし、薄情かもしれないけど助けた後どう生活していくのかは彼女達自身で何とかしてもらうしかないと思っているよ」
「……はいです」
フラウはまだ何か言いたそうではあったが、
それをどう言葉にしたら良いのか分からなかったのだろう。
まだ納得しきれていない様だったが、それでもこの話はここまでとなり、
二人は昼食の準備をしている焚火のある場所へと向かった。
焚き火はこの野営で元々調理に使われていたのだろう。
少し掘られた窪みの周りをしっかりと石を組んで囲ったなかなかに本格的な造りで
焚き火の上には三脚状に組まれた木からフィルが貸した大鍋が吊るされ、
大鍋の前でリラとアニタが料理の準備を続けていた。
ちなみに元々野盗達が調理していた鍋は中身共々既に向こうに避けられてあった。
せっかく作られたのにこの扱いは少々可哀想な気がしないでもないが、
フィルとしても何の材料が使われているか分からない
得体の知れない野盗達の手料理を食べたくないという思いは同様であり、異論は全くなかった。
既に料理の準備は出来ている様で、今は鍋の物が焦げ付かない様、
頃合いを見てはリラが鍋の中身をお玉でかき回している所だった。
「あ、二人共おかえりなさい」
「ただいまですー」
リラが戻って来た二人に声を掛けて、フラウが元気に返事をする。
フィルも焚火に到着し、焚き火で造られている料理を覗いて見ると
どうやら大鍋だけでなくて、リラ達の深鍋も使って別の品も作られているらしく、
此方の鍋は焚火の石組の上に炙る様にして置かれている。
「二人共ハーブティーを作ったんですけど飲みます? あっちの人達に飲んでもらおうと思って作ったんですよ」
尋ねるリラにフィルは有難いと頷いて応える。
「ああ頂くよ。フラウはどうする?」
「わたしものみますー」
「あ、コップの予備ってあります? 私達の分はあるんですけど、フラウちゃんや向こうの人の分が無いんです」
「分かった。じゃあ、僕らの分も合わせてコップは五つだね」
フィルが自分のカバンから木製のマグカップを五つ取り出してリラに手渡すと、
受け取ったリラは手慣れた様子でフィルとフラウのマグカップに鍋から茶を注ぎ入れる。
どうやらハーブを布で包み入れた物を鍋に入れてお茶を淹れているらしい。
「フラウは砂糖を入れてみるかい? 甘くなって美味しいと思うよ?」
「わぁ~。はいですっ」
嬉しそうにフラウが返事するのに満足気に頷いて、
フィルが自分のカバンに手を突っ込むのを見たリラが悪戯っぽく言った。
「あーいいなー。私も欲しいなー。ねっアニタもそう思うでしょ?」
「うん。すごく欲しい。ほしーなー」
悪戯っぽく同意を求めるに、アニタが少し棒読みになりながら同意する。
普段は一行のリーダーとしてしっかり者なリラと普段は大人しいアニタが
こんな風に甘えてくるとは、甘味の魔力とはなんとも偉大である。
「あー。ごめんごめん。皆の分もあるからこれを使うと良いよ」
更にはフラウまで期待を込めた眼差しで見つめられて
三人の少女の眼差しに折れたフィルは
謝りながら陶器で出来た容器を取り出すと三人の前に差し出した。
「はい、どうぞ」
「えへへー。ありがとうございますー」
「おおー。ありがとうございますっ!」
「ありがとうございます」
早速自分達のマグカップにハーブティーを淹れて、そこに砂糖も入れてお茶を楽しむ三人。
そういえば、先程からリラとアニタの二人はお茶を飲んでいなかったが、
もしかしたらこうなる事を見越していたのかもしれない。
まぁ、三人が喜んでいるなら良しとすべきなのだろう。
色々な事に諦めのついたフィルも皆に倣ってハーブティーに口を付けた。
「ほう……これは美味しいね」
ハーブティーからはレモンの様な酸味とほのかに甘い香りが漂っている。
フィルのマグカップには砂糖を入れていないがそれでもほのかに甘みを感じるのは、
このハーブティー自体が持つ甘味なのだろう。
「トリスのオリジナルブレンドなんです。たしかカモミールにレモングラスにリンデンだったかな?」
何れもリラックスする時に効果があると言われているハーブである。
おそらくは建物の奥で休んでいる女性達がリラックスできる様に淹れたのだろう。
「なるほど。どれもリラックスに効果があるハーブだね」
「あれ。フィルさんハーブに詳しいんですか?」
「さわり程度だけどね。以前、治療技能を学んだ際に幾つかハーブの知識も学んだんだ」
「あー。なるほど。そういえばトリスも治療の技能の一環でハーブの事覚えてたっけ」
「もっとも治療技能は治療用具にある物を使う事が多いから、あくまで補助的な知識なんだけどね」
「なるほどー。私も治療技能覚えてみようかな……」
「そうだね。戦士系は治療技能をかじっておくと、なにかと役立つ事は多いかもしれないね」
「そうなんですけど、捜索の技能も身に付けておきたいんですよね。先頭を歩く事も多いですし」
「ははは、悩ましい所だね」
他愛ない話をしながらリラは自分達のカップのハーブティーをある程度飲んで
お茶の味を確認すると残りの三つのマグカップにも砂糖を自分に入れたのと同量入れ、
それからサリアとトリスの分のマグカップにもお茶を入れた。
それらの準備が終わった所で、淹れたお茶を乗せたトレイを持って立ち上がった。
「それじゃあフィルさん、このお茶、あっちの人達にも持っていきますね」
「ああ、うん。よろしくお願いするよ」
「はいな。任されました」
そう言って慣れた足取りでトレイに乗せたお茶を山小屋へと運んで行くリラを見送るフィル。
金属鎧を着ているお陰でなんだかちょっと違和感があるものの、
村の食堂で給仕をしていただけあって、お茶を運ぶ姿は様になっており、
彼女ならきっと中で休んでいる女性達も怯えずに済む事だろう。
心の傷というのは魔法やポーションでは簡単には治せない。
だから、こういう何気無い気遣いで徐々に癒していくしかないのだろう。
そう言う意味で彼女達のこういう気遣いというのは有難かった。
フィル達の以前のパーティでも助けた相手に飲み物を与える事はあったが、
殆どはその時に所持していた水や水で薄めたワインといった物ばかりで
わざわざ茶を淹れたりする事は無かった。
これが良い事なのか悪い事なのかはフィルにも分からないが
そう言う心配りが出来るパーティならば、
これから成長した姿もフィル達とは違うものになるのだろう。
フィルはリラを見送りながらそんな事をぼんやりと考えた。