邪神さんの街への買い出し65
フィルがテレポートの呪文を唱えた終えた瞬間、
周囲の景色がそれまで雑木林から瞬時に村の雑貨屋の前へと切り替わった。
「さ、着いたよ」
フィルが声を掛けた所で、一同は我に返ったかのように掴んでいた手を離し、
先程から変化した景色を訝し気に眺めている。
「なんだか一瞬すぎて実感が湧かないですね……」
戸惑いながら呟くトリスにフィルは笑って頷く。
「まぁ、テレポートは見た目地味な呪文だからね。物凄く便利な呪文ではあるけど」
フィルの言う通り、テレポートの呪文は非常に地味な呪文だ。
呪文を唱える事で周囲が光る等の見た目の派手さは全く無く、
特に音が出る訳でも無く速やかに目的の場所に移動し、そして効果が終わってしまう。
転移先の気候や環境が大きく違う場合ならともかく、
似た様な環境の場所に転移すると、下手すると呪文の効果も実感し難い。
一方でテレポートの呪文というのは非常に便利な呪文だ。
なにせ徒歩や馬で数時間から数日はかかるような距離を一瞬で移動出来てしまう。
その戦術戦略的価値はファイアボールの様な華々しい攻撃呪文に勝るとも劣らず
ウィザードやソーサラーが冒険で重宝される大きな理由の一つであるとも言える。
見た目は地味だけど。
「わぁ~! もう着いちゃったんですね!」
そう言って確かめるように子ヤギを抱えたまま
一歩、二歩と地面を確認するするかの様に踏み出すフラウ。
そうして歩いても大丈夫な事を確かめると嬉しそうにフィルの方へと仰ぎ見る。
「すごいですね! ちゃんとつけてます!」
「あはは。それは何よりだよ」
わざわざ報告してくれたフラウの頭を優しく撫でていると、
どうやら皆もテレポートして移動した事の実感が出て来たらしい。
珍しくダリウの感心した様な間延びした感想が聞こえて来た。
「まほうってのは便利なんだなぁ……」
「ほんとだよね。これなら街の行き来なんて楽だろうね」
少し離れた所でダリウとラスティの二人がそんな事を言っている。
「今回は冒険の一環だから使ったけど、乗合馬車として使うならちゃんとお金取るからね?」
普段使いで駆り出されてはたまらないと、「高いからね?」と釘を刺すフィルに
ラスティは苦笑いを浮かべる。
「あはは……そりゃまあそうなんだけどさ、今度街に行く時に使う機会があれば相乗りさせてもらいうとか。それでまからないかな?」
「まぁ……、その位なら……いや、多分そうそうは使わないと思うよ?」
「えー、こんなに便利なのに?」
「え~、つかわないんです?」
当のラスティやダリウ達だけでなく、フラウも一緒になって残念そうにこちらを見上げている。
その様子見て苦笑い混じりにどう説明したものかと思案するフィル。
「うーん。便利だからこそかな? こういう呪文はいざという時に使える様に温存しておくべきなんだよ。だから必要が無ければ使わないし、普段はもっとコストの掛からない徒歩とか馬車で移動するんだ」
「けどな、普段なら冒険中じゃ無いんだし別に使っても良くないか?」
「そうでもないさ。厄介事という奴は何時だって突然向こうからやって来るものだよ」
ダリウの疑問に苦笑いまじながらも口調は真面目に答えるフィル。
多分それは冒険者生活で身に染みてしまった悪癖で
決して望ましい事ではないのはフィル自身承知している。
だがテレポートの様な移動系呪文が冒険で重要になる場面は多く、
そして必要になるタイミングは何時だって突然で致命的であった。
さらには一度ならず何度も連続で必要になる事すらあったりもして
記憶している呪文だけでは足りず、備蓄していたスクロールも消費して
呪文での移動を繰り返した事だって一度や二度の事では無い。
そんな経験を何度もしていれば常に何かしらの備えをしておかないと、
いや、たとえ備えがあっても不安になろうというものだ。
もっとも今の駆け出し同然のリラ達と一緒に冒険をしているフィルが
世界の命運をかけて一刻を争う事件に関わる事なんて無いとは思いたいが、
それでも運命の女神というのは気まぐれで、そして残酷でもある。
備える余力が有るのなら打てる手は出来るだけ揃えておき、
そして無駄遣いは厳禁である。
とは言え、それだけでは納得してはもらえないだろう。
だからもう一つの理由も説明しておく。
もっともこちらを口にするのはあまり気持ちの良いものでは無いのだが。
「……まぁ、それだけじゃなくて、あまりほいほい魔法を無償で使っていると、人はそのうち魔法の価値を低く見られる様になって、際限無く求められるようになってしまうんだよ。だから依頼されての魔法の行使には余程の事無い限りはお金を請求する。それは殆どのスペルキャスターが必要だからしている事なんだよ」
超常の技である魔法というのは非常に便利なもので、
中にはその技を多くの人の為に使おうとする者達が居る。
その志はとても立派なものなのだが、
恩恵を受けた人の中には一度味を占めると、さらに恩恵にあずかろうと
際限なく求める様になってしまう者が出てくる。
そしてそれが更に繰り返されると当たり前と考えるようになり、
時に恩恵を与えてくれる術者当人の事情を無視するようになってしまう事がある。
勿論多くの人が節度を持って術者に依頼するのだが
一部の欲深な者達が大きな声で権利を主張する事で
ついには恩恵を与えていた術者が離れていき、
結局全員が恩恵の対象から外される事になってしまうのだ。
これはフィルの様なウィザードに限った問題ではなく
他のクレリックやドルイドといったスペルキャスターの殆どが直面する問題で
古来より散々に繰り返されてきたやり取りに辟易とした彼等は
何時の頃からか魔法行使依頼に対してのルールを作り、
こうした問題の防止に努めるようになった。
具体的に言えば呪文の行使依頼に対しては対価として金銭を請求するという共通の慣習が作られた。
一般にこうした術者に魔法の行使を依頼する場合
どんなに未熟者が唱える初級呪文でも金貨二枚、
それなりに熟練したウィザードが唱えるテレポートなら一回で金貨数百枚は請求される。
これはウィザードが金に意地汚いからという訳では無く
博愛精神旺盛な女神の信徒であるクレリックや、
人里離れた場所に住む金銭に無縁そうなドルイドでもそれは同額となる。
金銭に五月蠅く無さそうなクレリックまでもが
どうして一般人ではとても払えないほど高額な金銭を請求するのかといえば
それはやはり単に大して呪文を必要としない、
欲深な者達が術者に迷惑をかけるという問題が起きていたからだった。
本来なら困っている信徒や、森や自然を護る同胞には無償の施術も厭わない者達だが
この手の厚顔無恥な輩の所為で本当に必要な者を救う事が邪魔されたり、
断って必要な人に術を施そうとしたら今度は自分の権利が侵されたと大声で吹聴されたり、
特にクレリックはウィザードよりも遥かに多く面倒な目にあっているかもしれない。
だから高位呪文を依頼されて請求する金額というのは実際には殆どあって無い様なもので
特に術者の時間的拘束も物質要素も焦点具も必要無い呪文であれば
術者が支払うコストは殆ど無かったりするのだが、
だからと言って安い金額で呪文を行使していたら、
今度は大量の依頼者に交じって先程の様な輩が湧いてしまい
術者本人の時間が無駄に浪費されるだけでなく
本来提供したい相手に提供する事まで妨げられてしまう。
勿論どんな術者にだってお金を取らない、
もしくは格安で呪文を請け負う相手というのは居る。
ただしそう言うのは身内や冒険仲間等の極々僅かに留めておくのが一般的だ。
一部の救貧院などでは献身的なクレリックによる
ほぼ無償の呪文による治療が広く行われていたりするが
それだってあくまで地元の貧困で困っている人々に対してであり、
支払い能力のある人々からは常日頃から幾ばくかの寄付を頂いているし
冒険者の様な輩からはしっかり全額とついでに寄付を請求していたりする。
術者が呪文をサービスとして提供する際には
そう言った切り分けをしっかり行う必要が有るのだ。
ダリウ達については……まぁ知り合いだし友人とも思いたいが、
今はまだ無条件で魔法を提供するにはま躊躇が残る間柄と言った所だろう。
(まぁ、多少はまけるけど、やっぱ無条件でという訳には行かないよな)
「あんまりフィルさんを困らせちゃ駄目よ?」
「そうだよ。高位のウィザードに依頼をするのって本当はすごくお金がかかるんだからね?」
そんなフィル達のやり取りを見かねたトリスとアニタがフィルの代わりに青年二人を窘めてくれた。
二人はそれぞれクレリックとウィザードであり、ある意味ではフィルの側の人間である。
程度の差こそあれ、この手の教育は彼女達も受けた事があるのかもしれない。
「そりゃ、お前達はそのうちテレポートが使えるようになるんだから良いけどなあ」
「そのうちって、私が使えるようになるかなんて何時になるか分からないよ? 一生使えない可能性だってあるし」
「そうなのか?」
「うん。フィルさんの使ったテレポートはかなり難しい呪文なの。街の学院なら導師クラスのウィザードで使えるかどうかって位なんだから」
やれやれといった感じで説明するアニタ。
普段大人しい彼女がこんな表情を見せるのは珍しい。
アニタが説明した通り、テレポート系の呪文総じては行使するのに高い技量が必要となり、
今回フィルが唱えた最も基本的な「テレポート」ですら第五段階で
その発展形である「グレーター・テレポート」や派生形の「テレポート・オブジェクト」、
別の次元界への移動を可能にする「プレイン・シフト」が第七段階、
そして異なる次元界を繋ぐ扉を作る「ゲート」や
誰でも移動できる魔法陣を作成する「テレポーテーション・サークル」ともなると第九段階となり
もっとも簡単なテレポートでも使用できるという事は
少なくとも英雄級から伝説級へと上がる、一歩手前の冒険者である事の証でもあった。
ちなみにフィルがテレポートを使えるようになったのは三十歳になる少し前といった頃である。
呪文の習得には個人の才能や環境による差が激しく、
真に才能に恵まれた者ならば十代で習得したという話も聞くが、
残念ながら凡人であるフィルにそう言う才は無く、
冒険の合間を使って地道に技術を磨いてようやく習得した呪文である。
とはいえこれでもウィザード全体の中では比較的早くに習得した方で
寧ろテレポートの呪文を習得できずに一生を終えるウィザードの方が多い位なのだから
十分頑張った方だとフィルは自負している。
さらにちなみに言うと、フィルの経験からしてまだテレポートが使えないウィザードに
何時になったら使えるようになるなどと尋ねるのは、
まぁテレポートの呪文に限らず他の呪文でも言える事だが、
それは相手にプレッシャーをかけているに近い行為であり
酒場だったら尋ねる側の態度次第では拳かジョッキの中身が飛んで来る可能性だってあった。
今回は話の流れ的にそう言った事は無さそうだが
これは今度さり気なくでもダリウ達に教えておくべきかもしれない。
一行がそんな話題で盛り上がっていると、
外の賑わいを聞きつけた雑貨屋の中から女主人が出てきて
子ヤギを抱えて自分の店で屯っている若者達を見て驚いた様子で言った。
「あらあら! あんた達、もう帰って来たの? 随分早かったのねー!」
「あ、おばさま。お久しぶりです」
「ああ。悪いが直ぐに戻る必要があるんで、この山羊を預かってもらえないか?」
早速丁寧に挨拶をするトリスに続いて
ダリウがいつも通りの無表情で要件を切り出した。
そんな二人の様子に変わりない事を確認した女主人は驚きも収まり
いつもの明るい調子に戻り一行を改めて見回した。
「そうなのかい? それはまぁ構わないけどね。にしてももしかしてあんた達ずっと抱き抱えて街から来たのかい?」
「いや、途中まで荷馬車に載せて来たんだが、途中から魔法でここに来た」
「んん? 何かあったのかい?」
ダリウの説明に話の流れが良く分からないと言った顔で、フィルの方を見る女主人。
どうやら分かり易く説明しろという事らしい。
「実は途中で野盗の襲撃を受け……いや、こちらから奇襲をかけたのか? ……まぁそれはともかく、相手を討伐はしたのですけど、これからアジトの探索や街へ生き残りの身柄引き渡しをする事になったんです。なので、先に子ヤギ達だけ引き渡しを済ませておこうとこうして魔法でやって来たという訳です」
「ああ、なるほどねぇ……じゃあこれが終わったらとんぼ返りという訳かい?」
その説明に納得したのか、
野盗の襲撃とか魔法での移動という言葉にはさして動じた様子も見せずに
要点だけを尋ねる女主人。
やはり人生経験が増えると多少の事では動じなくなるらしい。
「ええ。リラとサリアが向こうで捕らえた野盗の生き残りを見張っているので、出来るだけ早く戻るつもりです」
フィルの説明に納得した女主人はとりあえず近くの柵に子ヤギ達を繋ぎとめるように指示する。
「後は私が引き渡しておくから、あんたたちは早く戻っておやり」
「ありがとうございます。それじゃあよろしくお願いします」
「はいはい。がんばってらっしゃいねー」
女主人に礼を言い、すぐに先ほどと同じテレポートの呪文を唱え、その場から消える一行。
そんな一行を笑顔で見送った女主人はふと考える。
(……フラウちゃんも一緒に戻っていったけど、良かったのかしらね?)