邪神さんの街への買い出し59
装備を整え終え、再び街道を進む一行。
暫く進んでいると文明の領域の象徴ともいえる麦畑が途切れ、
それまであった人の気配が急速に薄れて
辺りの景色は次第に岩や雑木の目立つ荒野へと変わっていく。
「こうして誰も居ないと、動物の声だけでなんだか不気味に聞こえますね……」
遠くから聞こえてくる獣の悲鳴とも鳴き声ともつかない声に
フィルのすぐ後ろを歩くバードのサリアが心細げに呟く。
不安気な少女と言えば聞こえは可愛らしいし、確かに見た目も可愛らしい少女なのだが
身に付けている物は勇ましく、革鎧とレイピアを装備し
手には何時でも使えるようにショートボウが握られている。
「そうだねー。村でも普通に聞くけど、こういう時に聞くとちょっと不気味だよね」
サリアの言葉にその前、フィルの隣を歩いていたファイターのリラが遠くを眺めていたのを止めて、
後ろへと振り返り苦笑いで相槌を返す。
こちらも今は手にショートボウを携えているが、
実際に獣と遭遇したら腰のロングソードと
今は背負われている街で購入した新品のカイトシールドを手にして
パーティの一番前に立ち、パーティの盾役を務めることになる。
「野盗以外でもなにか偶発的遭遇があったりするかもしれませんね……」
「ドラゴンとランダムエンカウントって割と極まれに結構あるみたいだしね」
「ほーら。二人共、ちゃんと周り見ないと、だめよ?」
「「はーい」」
二人の会話はサリアの隣を歩くトリスに窘められて、少女達は慌てて周囲の警戒に戻る。
そんな様子がなんとも駆け出しの冒険者という感じで懐かしくも微笑ましい。
二人を窘めたクレリックのトリスはチェインメイルと腰にメイスを下げて、
こちらも背中にカイトシールドを背負っているが、彼女のは使い続けた馴染みの物だ。
他の娘達が全員、弓やクロスボウを携えているのに彼女だけは手にしていないが、
それは単純に彼女の分が無かったからで、
街の武器屋に行った時に買えば良かったのだが、
比較的安いライトクロスボウでも金貨三十五枚する為、
今はまだ資金的に余裕が無い一行は今回は購入する事を諦め
その分を野営道具等の冒険に必要な備品の購入に回した経緯があった。
フィルが所持している貸し出せるクロスボウも
ラスティに貸したのが物としては最後の一つで
結果としてトリス一人だけ遠距離攻撃の手段が無くなってしまったが、
まぁ、駆け出しの内はこういった事は良くある事だし、
足りない中で工夫していく経験も決して悪いものでは無いだろうとフィルは思っている。
「アニタは大丈夫? 疲れてない?」
「うん。大丈夫」
トリスに尋ねられて隊列の最後尾を歩くアニタが言葉少なに答える。
ウィザードのアニタは大人しい性格の為にあまり自分から話す事は少ないので、
こうして時折トリスやリラ達が声を掛けていたりする。
決して過保護という訳では無いのだが、
彼女はフラウを除けばパーティ内で一番小柄で筋力が低いので
自然と移動の速度は彼女のペースに合わせて行動する事が多い。
ちなみに体力的面で言うとパーティ内ではトリスとサリアが同じ位で低いため
休憩のタイミングについては特に金属鎧を身に付けているトリスの調子を見て決める事が多い。
そんなアニタの装備は旅用のローブとライトクロスボウのみとパーティ内では一番の軽装なのだが、
それでも小柄な少女が厳ついクロスボウを抱えて歩いている姿は大変そうで、
トリスが彼女の疲労を心配して確認する気持ちも分からないでもない。
ちなみにフラウはアニタの更に後ろについてくる荷馬車の御者台に居る。
ロバの手綱を引くダリウの隣に座っていて
戦闘になったらそのまま馬車を降りて
そのすぐ傍でダリウ達に護ってもらいながら待機する取り決めにになっている。
振り返り後方を見ると心配そうにこちらを見ているフラウの顔が見えてしまい、
これから先頭に入れば更に怖い思いをさせてしまうであろうと心が痛むが、
可能な限りの安全策は講じた訳だし、
ここは一つ、肝試しに来ているとでも思って我慢してもらうしかないだろう。
勿論フィルとしてはフラウが肝試しに来たぐらいの感想で済むよう最善を尽くすつもりである。
なお通常こうした探索の際には、
なるべくウィザードや非戦闘員といった近接戦闘が得意でない者は
後方からの襲撃に備えて隊列の最後尾には置かず中衛に配置するのが一般的だ。
だが今は更に後ろにダリウが操る荷馬車が続いている為、
万が一、奇襲を受けても被害を被るのは荷馬車で
直ぐにウィザードが狙われる可能性が低いだろうという事で
純粋に攻撃し易い現在の隊列となったのだった。
要は荷馬車は盾代わりで、もし護衛依頼で依頼主にこんな扱いをすれば
それこそ怒られるどころの話は済まされないが、
同じ村の幼馴染に誼みだからこそ出来る配置と言えるだろう。
「フィルさん。なんか見えます?」
「んー。いや。特には無いな」
隣を歩くリラに尋ねられて、フィルは周囲を確認しながら答える。
前回のゴブリン狩りに続いて今回も斥候役を請け負っているのだが、
本来であればフィルのクラスはウィザード/エルドリッチナイトであり、
クラスの特徴として視認や捜索といった探索系の技能が得意な訳では無い。
年の功というかこれまでの冒険で片手間で学んだ技能のお陰で
ある程度の罠を発見したり解除をしたりは出来るものの、
本職と比べるその技能は魔法的な罠を外せなかったり幾分劣ったものとなる。
やはり冒険者として罠の発見や解除を得意とするのはローグであり、
ローグがパーティに居ない場合は次点でという形で
捜索や生存が得意なレンジャーが代わりに斥候役を務める事が多く
以前のフィルのパーティでも斥候はレンジャーが務めていた。
残念ながらこのパーティにローグもレンジャーもどちらも居ない。
このパーティにもローグが居てくれたらと思うのは山々だが居ないものは仕方ない。
得意な者が居ないのなら居ないなりに工夫して対策を取らねばならず、
そうなるとメンバー全員で少しずつ斥候の役割を分担する必要が出てくる。
たまにそんな技能は必要無い、戦闘に勝てさえすればいいというパーティもあるが、
フィルは二十年程冒険者を続けていて
そういった冒険者パーティが長く続いているのを見た事が無かった。
技能を分担するとして、冒険で斥候に必要とされる技能としては
捜索、視認、聞き耳といった技能が有名で、
他には生存、解錠、装置無力化、隠れ身、忍び足などがあげられる。
ローグは生存技能以外のほぼ全てをクラス技能として得意としており、
それだけでローグが如何に冒険に重宝がられるかが窺い知れる。
リラ達のパーティでは各人の身体能力を見て
技能で必要とされるステータスが高い者を、
例えば判断力の高いクレリックのトリスが視認を受け持って
知力の高いウィザードのアニタが捜索をといった感じで、
それぞれでお互いをカバーして探索しようと話し合いで決めていた。
とは言え、まだまだ全員どの技能も習い始めたばかりでおぼつかなく、
こうして捜索する姿もまだまだ素人の域を出ていない。
それに捜索や視認といった技能はパーティの最前列に必要な技能だが
先頭で盾役を務めるリラはあまり技能を覚える余裕が無く、
まだまだ悩みは尽きないといった感じである。
「それにしても、ホントに周りに誰も居ないですね」
「まぁ、街道といえば大体こんな感じだと思うよ?」
「でもぜんぜん人が居ませんし、街の街道でもこんなに寂しい感じなんです?」
リラが言う通り、確かに街道の前後にはまるで人が通る様子が無く、
見えるのは遠くを駆ける野生の動物の姿ばかりだ。
「まぁ、確かにもっと大きな都市の街道だと賑やかだと思うけどね。今は盗賊が出るという話も広まってるのだし、こんなものじゃないかな?」
実際、フィルからすると街道のこの雰囲気は良く知る馴染みの物で
街道にクリーチャーや山賊が出没したと噂が広まると
瞬く間に旅人は減り、今の様な閑散とした状態になるのが普通だ。
そして冒険者であるフィル達は
そんな厄介者を退治する為の人気の無くなった街道を通り討伐に向かう事が多く、
こうした人気の無い街道の中で自分達パーティだけが歩いているというのは
実に馴染みがある光景と言えた。
そんな見慣れた街道を暫く進んでいると
荒野を通る街道は雑木林へと入り、周囲の景色が大きく変化する。
道の左右に囲う様に立ち並ぶ、大小様々な木々は身を隠すのに実に丁度良く、
また、幾重にもある緩やかなカーブは道の先での待ち伏せを悟らせないのに実に丁度良い。
そうした地形の不利は少女達も感じ取ったのだろう。
「そろそろ……でしょうか?」
「そうだね。茂みに隠れている可能性もあるから十分気を付けるんだよ?」
すぐ後ろを歩くトリスの緊張した問いかけにフィルは相変わらず警戒をしたまま答えた。
冒険者の店の依頼書にあった報告によると、
この近辺で襲われていると見て間違いないだろう。
「うう……結構神経を使いますねこれ……」
「まぁ、その辺は慣れじゃないかな?」
木々の合間を注視するのに疲れ、隣を歩くリラの泣き言にフィルは小さく笑う。
実際、こうした森林の茂みは容易に身を隠す事が可能で
奇襲や待ち伏せで頻繁に使われるだけに何度か遭遇して慣れてくると
相手が余程の手練れでも無ければ茂みの向こうで隠れていても案外見つけられたりするのだが、
経験が少ない今のリラ達ではなかなか難しいだろう。
「慣れば普段何も無い様な時でも常に周囲を確認出来る……というか警戒しないと落ち着かない様になるよ」
「……それってなんか、慣れというより末期症状? みたいじゃないです?」
フィルの言う状態を想像して苦そうな顔になるリラ。
気楽に歩いている様でも周囲を常に警戒している訳なのだから、
とても便利で役に立つ生活習慣だと思うのだが、酷い言われ様である。
「ま……まぁそうとも言うね。でも」
どちらにしろ否応なしになるのだし……と言おうとして、寸前でフィルは言葉を止めた。
冒険を幾つか経てどこぞの邪教団から村を救ったり
デーモンの企みを挫いたりなんかをしていると、
いつの間にやらそういった組織や個人と敵対する結果になってしまったりする。
それらは決してフィル達が望んだ結果ではないが、
こうした面倒事が冒険者を続けていると割と良くあったりする。
そしてそんな敵対組織からは度々刺客が送られてきたりするのだが
そんなのを返り討ちにする生活が暫く続く様になると、
自然と常在戦場とするのが身に付いてしまうのだ。
なんとも寂しく残念な日常だが冒険者を続けて経験を積み、
熟練とも言える技術を身に付ける頃になると
こうした状況に陥る冒険者は実に多く良くあったりする。
とはいえそんな冒険者の残念な現実については彼女達に話すのはまだ早いだろう。
なにより彼女達はまだ若く、フィル達と同じ道を辿るかどうかも分からないのだ。
もしかしたら殺伐としない冒険者の道もあるかもしれない。
何れにせよ、そういった生き方はフィルが口で伝えるものでは無く
彼女達自身が経験して覚えていく事だとフィルは思う。
「……まぁ長生きしている冒険者は大体やってる事だとおもうよ?」
「ほんとにそうなんです? それならまぁ……まぁ、がんばってみます!」
フィルのあまり気休めにならない励ましにむぅと少し考えてから、
それから「よしっ」と気合を入れて周囲を警戒する。
「……やっぱ全然見えないかぁ。お店の報告だとこの辺りだよね?」
気合を入れて周囲を見渡すが、それで技能が上がる訳では無く
早々に諦めたリラがサリアに尋ねると、
サリアがそうですねと自身のポーチに入れておいた
冒険者の店で貰った野盗討伐の依頼書を確認する。
最近は交渉や情報の取り纏めなんかはもっぱらサリアの役となっている。
「うーん、報告書ではこの辺とありますけど……ほんとに先が見えないですね……」
「藪の裏とかに隠れてたら、これだと見つけられなさそうだよね」
「んーそうだね。木々の合間とかだけじゃなくて、枝が不自然に曲がって無いかとか、地面に不自然な様子が無いかとかも見ると良いよ」
フィルの助言に「なるほどー」と索敵を試みる一同。
そんな少女達の素直な様子をフィルは温かい目で見守った。
雑木林は奥に進むに従い木々の密度がさらに濃くなっていった。
背の高い木々が日差しを遮るおかげで昼でも薄暗い街道を進み、
同じ様な景色が続き警戒するのに疲れてきた頃、
緩く左に曲がるカーブが街道の先に見えてきた所でフィルは隣を歩くリラに話しかけた。
「向こうの曲がり角、奥の茂みの向こうに居るね」
「そうなんですか? ……うーん、全然わからないですね……」
フィルに言われて暫く茂みを凝視してみたリラだが、結局見つける事が出来ずに首を振る。
そんなリラの様子にそのうち慣れるさと小さく笑って、
身振りはそのまま、言葉だけでフィルは説明を続ける。
「あそこの茂みに分け入った跡があるのと、その手前に人が通った跡があるだろう? それと木立のすき間から僅かに人影も見える」
「んん……言われてみればそんな感じがあるような、ないような……? あんな遠くで良く分かりますね……」
確かに道の脇の茂みには何かが通った様に枝が曲がっていて、
そのすぐ下の地面には何かが通った後の様な、
踏み分けた跡がある様にも見えない事も無いが、ここからはかなり距離があり
リラでは言われてもそうなのか判別できない。
けれどもフィルにして見れば何度となく似た様な場面に遭遇しており、
その度に見ていて既に馴染みとさえ言える痕跡で、
要は森で野盗なんかが隠れるのに一番良く使われている手口だった。
「まぁ、この辺は慣れかな。何度もやっていればその内慣れるさ」
「えー。また慣れですか?」
「そうそう、習うより慣れろって、いや習うのも大事だけどね?」
半ば呆れた様子のリラにフィルはわざとらしくうむと大きく頷いて見せるが、
そんなフィルに隣を歩く赤毛の少女は少しだけ呆れた様な苦笑いを浮かべる。
当方としては至極真面目に答えているというの心外ではあるが、
とはいえ今のこの場、戦闘直前でこの様子なら、
いざ戦いが始まった時に怯えや緊張で動けないといった心配は少ないだろう。
「多分あれは伏兵で、あそこを越えて暫く行った所に本隊がいるだろうね」
見る限り隠れているのは四、五人といった所で本隊の様には見えない。
本隊の背後に伏兵を置いておく理由は無いので、おそらく此方が伏兵なのだろう。
「でもそうなると……」
「たしか作戦だと戦闘になったら私達が本隊を叩いてフィルさんが伏兵を受け持つ。ですよね? どうします? 背中を護ってもらうのとは違っちゃいましたけど」
リラの言う通りで、本来の取り決めでは
本体と戦闘になったら伏兵も出てくるだろうから
そこをフィルが弓で相手するという手はずだったのだが、
こうなってしまうとフィルが先頭に立って戦う形になってしまう。
とは言え、こうして伏兵を先に見つけられたのだし
見逃してわざわざ相手にイニシアチブをくれてやる理由は無い。
「ま、順番は変わったけど僕が先行するよ。たぶん僕が戦闘になったら道の奥から敵が出てくるだろうから任せたよ」
「任せてくださいな」
リラのしっかりした返事に今満足気に頷いたフィルは
気配を殺して足音に気を付けながらも歩みを速め
パーティから先行して野盗が隠れる茂みに一人近づいて行った。