邪神さんの街への買い出し45
「やっぱりここは賑やかだよなー」
自由市として開放されている広場の前に到着してダリウが感心した様子で呟く。
普段強面で無表情と揶揄される事もある青年だが
そんな彼でもこれから買い物だという今は楽しげで、
いつもより顔が緩んでいる様にも見える。
市場は大通りを挟んで大きく食品と雑貨の区画に分かれており
雑貨を扱う区画はまだ殆どの露店が開店していないのに対し
食材を扱う側の区画、特に露天が並ぶ中央の広場は今が最も混雑する時間帯で
旅の隊商が出店するまるで移動店舗といった風の大規模な露店から
近隣に住む農民が出店する収穫したばかりの野菜を積んだ荷車そのままの露店、
他にはちょっとした小遣い稼ぎなのだろう、
農家の夫人や子供が野菜や料理を自分一人の手で運べるだけ持ち込んで
(これなら街に入る時に税を余分に支払わなくて済む)
それを地面に置いたカゴやザルに並べ、かろうじて露店の形を成したモノ、
(貧相に見えるがここが一番安く、その上鮮度も抜群なので、大抵は昼前に全て売れてしまうほどに人気があった)
そんな大小様々多種多様な露店が広場内狭しと並び、
売られている品も肉や野菜に干した魚、それからパンに総菜と実に様々。
そしてそんな食材を目当てにやってくる地元客達で
広場は早朝だというのにお祭りの様な賑わいを見せていた。
「そうだね。みんなここには今日の食材を買いに来てるらしいよ。街だと食べ物を自分達で育てたり取ったりするのは難しいからね。あ、ちなみに薪もここで買うらしいよ?」
「街だと何をするにも金が必要なんだな……」
ラスティの説明にダリウが感心半ば呆れ半ばで市場を行き交う人々を眺める。
街に住む者にとっては常識でも、農村に住んでいると実感できない事は多い。
ダリウ達の村の場合、少し前まで食料の多くをオークに奪われ、
今は不作で食料が不足したりで非常事態となっており、
皆で食材を食堂に持ち寄り、そこから料理を配給したりと事情が特殊だが、
それでなくても一般に自給自足が成り立つ農村では現金はあまり流通しない。
特に薪のような燃料や、野菜や肉といった食料については
各自で育てたり集めたり飼ったり狩ったりしたものを互いに融通し合うのが普通で
そこでお金が必要になる場面は少ない。
そんな生活をしているダリウ達にとって、
食材一つ、薪一束を手に入れるにもお金を払わなければならない、
何をするにも現金が必要となる街の生活は、異質な文化に見えるのかもしれない。
「それにしてもホントに賑やかだよね。これだけ人が多いと迷子になりそうだし、先にはぐれた時の集合場所を決めておく?」
そうラスティが提案するのも無理のない事で、
朝の市場は今が最も混雑する時間帯で人並み以上の身長がある男三人でさえ
一度人混みに紛れてしまうと相手を見失ってしまいかねない有様だった。
これでもしフラウがはぐれてしまったら完全に人込みに埋もれてしまい
迷子になってしまう事は間違い無しだ。
ラスティの提案にダリウは市場を眺めながらうむと頷く。
「そうだな……けどまずは食品問屋に行って、はぐれたらそこに集合で良いんじゃないか? そこまでは外周部を歩けば然程混んでないようだし、迷子になる事も無いだろ」
「なるほど。僕はそれでいいと思うよ。フィルもそれでいいかい?」
自分の意見が通らなかった事には気にした風も無く
ラスティは後ろを歩くフィルに確認を取る。
男三人が了承すれば多数決としては成立する。
特にフィルにはフラウが迷子になった場合の懸念も有るがどうだろうという意味も含まれている。
だがフィルも案には賛成と頷いた。
「うん。それでいいんじゃないかな。あそこなら場所を覚えれば直ぐに分かると思うしね」
「フィルさんフィルさん。手を繋ぎましょう。はぐれちゃわない様になんです」
言い終わる前にフィルの手を取り
此方を見上げてにっこりと微笑むフラウにフィルもつられて目を細める。
その程度の懸念はしっかり者のフラウならこうして対応してくれるので心配無用なのだ。
「確かにそうだね。お互い離れない様に気を付けないとだね」
「はいですっ」
互いの手の感触を確かめ迷子対策も出来た所で
一行は比較的人の往来が少ない外周部を通って目当ての食品問屋を目指した。
この時間、外周部の店舗は
一部の一般客向けの食材を扱う商店やパン屋を除いて利用客は少なく、
中央の露店市場と比べると人通りはかなりまばらとなっていた。
おそらく大口の取引を主とする問屋に食材を買いに行く客はあまりいないのだろう。
お陰で目的地までは人混みをかき分けて進む苦労も
互いと離れないよう気をつける苦労も無く、
一行は程なく目的地である食品問屋に到着した。
市場の外周部は大小様々な問屋や商店が広場を囲う様に店を連ねているが
今回行く食品問屋もそんな外周部の一角に店を構えている。
店の入り口には前回来た時と同様、店の老主人が店番をしており、
店にやってきた者達の中にフィルとフラウの顔を見つけると笑顔で出迎えてくれた。
「おやおや、これはまたお早いお越しですな? またなにかご入用ですか?」
「ええ、また食料を買いに寄らせてもらいました。今回は此方の食材を買いに来たんです」
「そうでしたかぁ。 にしても今日は革鎧なんですなぁ」
「ええまぁ、ローブよりは目立たないかなぁと思いまして」
「はは、まぁ革鎧の方が着てる人は多いですなっと、どれどれ……」
挨拶を交わしてフィルが差し出したメモを受け取り確認する老主人。
ちなみにメモは二枚。
片方は村で追加購入したい食材の一覧が載っているメモで
欲しい材料とその量が記載されている。
もう片方は以前欲しい食材として以前イグン老から預かった羊皮紙で
こちらはイグン老によって書かれた材料一覧の最後に
フィルの手で「配分はお任せで合計で金貨五十枚分」と追記がされている。
有名どころの交易品なら大体の価格を把握しているフィルだが
こういう専門的な食材となると流石にどれだけの価値が有るのかは分からない。
そういう時はやはり専門家に頼るのが一番という判断だ。
金貨五十枚とは少し奮発し過ぎたかもしれないと少しだけ思っているが、
交易で運ばれてくる海沿いの特産品や、甘味などは高価になりがちだし、
そもそも望んだ量が手に入るとは限らないし大は小を兼ねるとも言う。
ついでに言うと次に買いに来れる日が何時になるかも分からないので
やはり今のうちに出来るだけ買っておくのが最善なのだろう。
「ほう……塩五十キロに砂糖五十キロに乾燥豆百キロ……こちらは甘味の材料ですか……どうやら村の方は大分良くなったようですなぁ」
「分かるのですか?」
尋ねるフィルに老主人は勿論とばかりに大きく頷いて見せる。
「そりゃあ、あれじゃよ。穀物よりも高価な調味料が増えとるという事は、今は食べ物には困っとらんのじゃろうし、それに甘味や海側の食材はどれも値が張りますからのう。食料不足が落ち着いてちょっとした贅沢をする余裕も出てきたという感じですかな? いやいや、何よりな事ですじゃ」
「それもここの食べ物のお陰ですよ。ここを乗りきれば夏の野菜が収穫できますから村も大分安定します。本当にありがとうございました」
ずっと黙ったままのダリウに代わってラスティが老主人に礼を述べると
老主人はラスティとダリウを改めて見やり、
それからなるほどと納得した様子で頷いた。
「おお、あんたはあの村のもんかい? なに、正当な対価で購入してもらっただけじゃし礼には及ばんよ。あんたの村とは以前は良く商売をさせてもらったんじゃ。今後も良い付き合いが出来る事を願っておるよ」
「以前は俺たちの村とはどんな商売をしていたんだ?」
老主人の言葉に今度はダリウの方が質問する。
自身の強面を意識して遠慮していたようだが、
どうにも好奇心が勝ったようだ。
強面のダリウにも老主人は慣れた様子でにこやかに応じる。
「お前さんもあの村のもんじゃな。そうだのう。此処とあの村とは少し距離が有るからのう、干し野菜や乾燥ハーブ、後は干し肉に……ああ、うちでは無く市場で直接売っておったが、焼き菓子なんかも評判よかったのう」
この街と村とは距離が微妙に離れている為、
新鮮な野菜や肉などはどうしても近隣の農家の方が良い物を提供できる。
ならばと当時の村人達は干したり燻製した保存の効く加工食品や
山で狩った獣の皮を加工した物を街で売っていて
街の方でも手頃な価格で手に入る保存食や山の珍味として人気があったのだという。
懐かしそうに昔を語る老主人の話にダリウとラスティの二人は真剣な面持ちで耳を傾けている。
「なるほど……それならもう少し落ち着けばまた売りに来れるかもしれないね」
「そうだな。今年は無理だろうが早ければ来年にはできるかもしれないな」
老主人の話を聞いて話し合う二人。
彼らが住む村は元々土地柄として食べる物に恵まれていた。
食料は畑からだけでなく山の幸も有るし、
村の近くを流れる川からは魚もとれる。
以前は山を整地して牧畜もしていたので、
乳製品や肉も普通に食すことが出来たという。
ドラゴンやオークに狙われさえしなければ飢える事の無い土地柄だったのだ。
いや、それ故にドラゴンに目をつけられ支配された、とも言えるのだが……。
それら全てを一気に元通りにする事は出来ないが
少しづつ回復させて行く事は十分可能だろう。
そんな来年、再来年とオーガが笑いそうな事を話し合う二人を眺めながら
老主人は楽しげに目を細める。
「ふぉふぉふぉ。その時は良い商売できることを楽しみにしとるよ」
「ああ」「その時は是非」
老主人の言葉に二人はしっかりと応えた。
フィルがそんな三人の様子を眺めていると、
不意にフィルの手が小さな手に握られた。
最近は随分と握り慣れて来たその手の主の方を見ると、
すぐ隣でフィルの手を握ったフラウが嬉しそうに此方を見上げていた。
「えへへー」
特に何かを言うのでも無く、ただ笑顔で見上げる少女にフィルもまた微笑み返す。
それはとても嬉しい一時だったが、
フィルはふと、もう一つやっておく事をあったのを思い出して老主人に話しかけた。
「あ、すみません。あと追加でお願いしたいのですが、別口で小麦と大麦と燕麦をそれぞれ三十キロづつ追加で売ってもらえますか? 出来たら二キロずつ小分けで」
「ふむ? まぁ袋代を割り増しさせてもらうがそれで良ければもちろん構わんよ。袋は麻袋でいいかの?」
「はい、それでお願いします」
「フィルさんフィルさん。その麦はどうするんです?」
繋いだままの手をくいくいと引っ張り、不思議そうに尋ねるフラウ。
何か特別な事に使うのかと好奇心で一杯の顔に、フィルは笑顔で応じる。
「うん、こっちは冒険に使おうと思ってね。いざという時に非常食にしたり、あとは交渉材料に使ったりかな?」
「こーしょーざいりょうです?」
「そう。辺境の村とかで一晩の宿を借りたりする時に宿代と一緒に食べ物を渡すと喜ばれるんだよ。後は食べ物が無くて困っている人に食べ物をあげる時だね」
「なるほどですー。でもどうして別の袋に分けるんです?」
不思議そうに尋ねるフラウ。
「ああ、それはね。一番理由は相手に渡す時に渡しやすい様にする為だね。大袋から中身だけ渡しても相手が都合良く容器を持ってるとは限らないからね」
「わぁ~。たしかにそうかもです」
「あとは……」
と言いかけたところで、はたと気がついたフィルは
これを言ってしまった方が良いのか逡巡する。
「他もあるんです?」
フィルの言葉が途切れたので不思議そうに尋ねるフラウ。
答えようかどうかフィルが迷っていた所、
その答えにはフィルの注文を注文書に書き込んでいる老主人が答えてくれた。
「おそらく小分けにする理由は、相手に余計な欲をかかせない為の配慮。といった所ではないですかな?」
答え合わせに書き途中の帳面から顔をあげた老主人の顔は
優しげだが少しだけ寂しげでもあった。
フィルはそんな老主人にその通りですと苦笑いと共に頷く。
「ええ。貰ってもまだ後があると思われると更に要求されて後に引きずりますし、それどころか追加の要求を断ると険悪になる事もありますから」
かなり理不尽な事だが、これはフィル達が実際に何度か経験をした事だった。
特に襲撃や戦争があった土地や貧民窟の様な場所では注意が必要で
些細な対応の違いだけで対応が険悪になったり、
酷い時は夜中寝静まった頃に襲われた事もあった。
そうした事が何度かあって以来、相手に食べ物を施す時には袋を一つ
これだけしかない持ってないという風で渡すようにしていたのだった。
ちなみに二キロと言うのはフィルがカバンから取り出しても違和感が出ない大きさで
これもフィルのカバンがバッグ・オヴ・ホールディングである事を悟られせない為の配慮である。
そんなフィルの思い出を聞いた老主人は寂しそうに小さく笑った。
「ははは、まぁ、相手も必死なのでしょうな。儂らとて同じ立場ならそうしとるかもしれませんしな」
老主人はそれ以上は言わずに、再び帳面に顔を戻して作業に戻る。
フラウの方を見ると、話を聞いた少女はなんとも言えない顔をしていた。
助けたのに襲われたとか、やはり信じたくは無いのだろう。
だが、こうしてフィルが言ったのだから、それは本当のことなのだ。
そんな事をぐるぐると考えている。そんな感じの表情であった。
「……これで良しと、それでは店の者を呼ぶからちょっと待ってなされ」
しばらくの無言の時間は老主人がフィルの注文表を完成した事で終わった。
老主人はそう言うと以前もフィル達の世話をしてくれた使用人の青年を呼び出した。