邪神さんの街への買い出し42
開けた扉の先にはフラウが立っていた。
先程リラ達に道具を渡していた時はあまり気に留めなかったが
少女が着ているのは昼間に服屋で購入した服でなく
朝から着てた普段の服に戻っている。
風呂から戻って来た時に着替えたのだろうが
大事な服が皺になるのを嫌ったか、それともこちらの方がお気に入りなのか、
残念ながらフィルにはその判断はつかない。
とはいえフィルには大人しいの此方の服の方がどこか安心出来た。
こんな事を思ってしまうのも親馬鹿というのだろうか。
「えへへー」
フィルを見上げてにっこり微笑む少女を前にフィルは周りを見回すが、
やはりフラウは一人だけの様で、周囲には姉代わりの娘達は見当たらない。
「どうしたんだい? フラウ一人だけみたいだけど」
「遊びに来ましたー。準備のお手伝いは一段落なんですー」
尋ねるフィルに笑顔で答えるフラウ。
どうやらリラ達の方は整理が一段落した様で、フラウは暇になったらしい。
宿の中とは言え、見知らぬ者も通る通路に幼い少女を一人置いたままにする訳にも行かず
フィルが部屋の中へと招き入れるとフラウは嬉しそうに返事をして部屋に入った。
「わぁ~」
部屋に入るやさっそく部屋を見渡すフラウ。
その様子はとても楽しそうだが
部屋の造りはフィルが先程までダリウ達と共に泊まっていた部屋と大して違いは無い。
フィルの場合は荷物を全てバッグ・オヴ・ホールディングに入れている為、
今この部屋にはベッド脇のすぐ手の届く場所に置かれた鞄以外は
革鎧、ロングソードが置かれているだけだ。
至ってシンプルで見慣れた部屋でしかない。
「ははは、他の部屋と大して違いは無いよ?」
「それでもいいんですー。あーっ」
見慣れた部屋をそれでも楽しそうに部屋を見回すフラウは
物入れの上に置かれたジョッキとつまみの皿……というより
お皿に載ったソーセージから漂う香ばしい匂いに気付いた。
「もー。あとでみんなで一緒にお夜食食べようって、約束したじゃないですかー」
そういってフィルを見上げて頬を膨らませるフラウ。
どうやらフラウはお怒りのご様子をアピールしたいらしい。
らしいのだが……その目はちょっと笑っていて、
むしろフィルを揶揄って楽しんでいる様にも見える。
「あはは……。いやぁ、お風呂入ったらつい飲みたくなっちゃって」
「もうっ。そんなんじゃ、お夜食食べれなくなっちゃいますよ?」
まだ少しだけ、隠し味程度に咎める感じが残っているが、
諦めてしょうがないですねぇといった感じのフラウに今度はフィルも素直に謝る。
「ごめんごめん。ほらフラウも一緒に食べよう? おいしいよ?」
「わぁ~。いいんです?」
先程までのが一転、嬉しそうに尋ねるフラウに、
フィルは安堵半分の苦笑いを浮かべる。
こんな時は一緒に共犯者になってもらうのが一番だ。
「もちろん。さすがにお酒は駄目だけどソーセージは焼きたてで美味しいよ?」
「わぁ~。いただきます~。えへへ~」
「うんうん。さ、座って座って。あ、このジャーキーは手持ちの保存食なんだけど結構おいしいよ。食べてごらん」
フィルは物入れの上に載せてあった革鎧を自分のベッドの上にのけて、
おつまみの載った皿を物入れの中央に移動させると
フラウを使われてない対面のベッドへと招いた。
フラウはさっそくベッドの縁に座りパクリとソーセージにかぶりつく。
焼きたてのソーセージをもぐもぐとして飲みこんで満足気にフィルを見上げる。
「とってもおいしいですー」
「ははは、口直しに何か飲み物があればいいんだけど、下で何か貰ってこようか?」
目の前に置かれたジョッキに入っているエールを飲ませるのは問題外として
フィルの手持ちの飲み物といえば、カバンの中には皮袋の水筒の入った水と、
ワインを無限に飲む事が出来るゴブレットぐらいしかない。
あとは旅中に使おうと柑橘も持っていたから水に柑橘を絞り入れるのも良いが
どうせなら革の匂いの染み付いた水筒の水では無く、
宿の井戸から汲んだ水を一階の食堂から貰ってきた方が絶対美味しいだろう。
そんな事を考えての提案だったのだがフラウは笑って首を振る。
「うーん。それはいいです。後で皆で行った時に飲みますー」
律儀に皆を待つというフラウに
そんな遠慮はする必要無いと言おうとも思ったが、
無理強いしても逆にこの少女を困らせてしまうだけだろう。
「そういえばフィルさん。今日は一人でお酒飲んでいたんです?」
ソーセージを食べて終えて一息ついて、
機嫌を直してくれたらしいフラウが改めてフィルに尋ねてきた。
「ああ、せっかく一人になった訳だし、久しぶりなんでついね」
フィルの言葉にフラウはフィルを不思議そうに見上げる。
「フィルさんは一人でも平気なんです?」
「んー、そうだね。どうなんだろう? この歳になると一人で居るのも普通にあるし、こうして一人でお酒を飲むなんて事も良くあるしね。まぁ、これはこれで結構好きかな?」
そう言ってフィルはエールのジョッキをすする。
皆で賑やかに、というのも勿論嫌いでは無いが、
一人で居る時間も特に嫌いという訳では無い。
そもそもフィルがフラウ達の村に居を構えた当初の目的は
誰にも関わらずに一人ひっそり暮らす為である。
それは大きな力を手に入れてしまった自身の身の安全という意図もあったが、
これ以上、人に煩わされずに暮らしたいという願望があったのも確かで
少なくとも村にやって来た当初はそう思っていた。
さすがにそんな理由をフラウに伝える事はしなかったが
それでも一人でも大丈夫というだけでフラウは明らかに落胆した様子だった。
「むぅ~。フィルさん一人で寂しいかなって思ってきたのです……」
「ははは、まぁ、この歳になると一人も慣れちゃうからね」
一人だときっと寂しいだろうという考えはなんとも子供らしいし想像だと思う。
そして、だから一緒に居てあげようというのも子供らしい優しい発想だと思う。
(……そうか、僕はこの子に心配されていたのか)
フィルはふと自分がこの少女に心配をされていたのだと思い当たった。
普段は親と子ほどに歳の離れたこの少女の事を
あれこれと気にかけていたつもりだったが
自分が面倒を見ている様で実はフラウに甘えているのは自分なのかもしれない。
そんな考えがフィルの脳裏をよぎる。
(ほんと、これじゃどっちが面倒見てるのか分からないな)
「ふっ、ふふふっ」
それが無性におかしく思えて、
思わず笑いが漏れてしまったフィルをフラウが不思議そうに首を傾げる。
「フィルさん?」
「ああいや、ごめんごめん」
まだ笑いながらもフラウに謝るフィル。
「なんか人に心配された事なんて随分と久しぶりだなって思ってね」
「そうなんです?」
「冒険者なんてやってると、他人の心配する余裕の無い人の手助けばかりでね。ここ暫くは冒険者なんだから何とかしてくれ。っていうのばかりで、心配なんてされた覚えがまるで無いんだよね」
記憶にあるのは笑顔を張り付けて難題を押し付けてくる依頼者の顔ばかり。
あるいは実際は自分達の事を気にかけてくれた人々も居たのかもしれないが
フィルがそれに気付く事ができなかっただけかもしれない。
きっと自分達も未熟で気付けるだけの余裕が無かったのだろう。
そんな気持ちもあってフラウの気遣いを感じられたのは余計に嬉しく感じられた。
「あぅ……」
少女は何と言ったら良いのか思い浮かばないのだろう。
何とも微妙な表情を浮かべるフラウにフィルは大丈夫と笑いかける。
「でもフラウが遊びに来てくれたのは嬉しいよ。やっぱり一人で居るよりこっちの方が全然良いね」
なんだか自分が子供の様に思われていたみたいでちょっとだけ可笑しくもあるが
ここ数十年、心配されるなんて事には無縁の暮らしだったフィルには
懐かしい様な嬉しい様な不思議な気分だった。
「ほんとです?」
「うんうん。ほんとほんと」
「じゃあ……」
言うやフラウは立ち上がり、
今度は対面にある側のベッド……フィルの隣にちょこんと座った。
「えへへー。やっぱりこっちの方がいいです」
そう言って自分を見上げてにっこり微笑むフラウ。
そんな少女の頭をフィルは優しく撫でる。
「ははは。そっか。うん。僕もそうだな」
「はいです!」
それから支度を終えたリラ達が飲みに行こうとフィル達を呼びに来るまで暫くの間、
フィルとフラウは久しぶりに二人で他愛ないおしゃべりをして過ごしたのだった。