邪神さんの街への買い出し40
「あらー、お休みの中を起こしちゃったかい?」
「いえいえ全然。ベッドで眠るに越した事は無いですからね」
フィルに尋ねる店員はまさにベテランと言った感じの中年女性で
部屋の準備をしてくれたのもたぶんこの女性なのだろう。
「そう言えば二人部屋に三人詰め込まれたんだってね」
「いやぁ、やっぱ男三人だと泊まるにはちょっと狭かったですねー」
気軽に尋ねる店員にフィルは苦笑いで応える。
椅子で寝る事に慣れてはいるし疲労の回復具合も大して変わる訳ではないが、
せっかく「まともな」宿屋に宿泊した訳だし、やはり本音はベッドでゆっくり寝たい。
そんな事を話しながら店員に案内された部屋は少女達が宿泊している部屋の隣だった。
案内された部屋は先程まで利用していた二人部屋と同じ造りで、
ベッドが二つに、物入が一つ、それ以外は椅子もテーブルも無いのも同様だった。
これなら隣の部屋で多少リラ達が騒いだとしても
フィルが迷惑なだけで別の客から苦情が出る心配は無さそうだ。
(……もしかしてリラ達が煩くて客が引き上げてしまった?)
なんて事が頭をよぎるが、多分それは関係無いだろう。
店員に礼を言い、部屋に入ったフィルは革鎧を脱ぎ、
脱いだ鎧を物入れの上に置いてロングソードとバッグをベッドの側に立て掛けると
ようやくと言った感じでベッドに寝転がった。
ハンモックの様に眠れる自前の椅子での寝心地も決して悪くは無いが
やはり宿屋に泊ったのならベッドで横になるのは良い物だとつくづく思う。
敷き踏み固めた藁の上をリネンで覆ったマットは少し硬めの寝心地だが
疲れた体にはこの固めの寝心地が寧ろ気持ち良いのだ。
(そう言えば部屋を一人で使うのも久しぶりか)
思えばフラウが家に来てからというもの、なんだかんだで常に誰かと同室になっていた。
部屋を貸し切ってのびのびと一人で寝られるのも随分と久しぶりだなと
フィルは独り身の自由を目一杯に感じながら寝転がって体を伸ばし
ベッドの心地を存分に味わう。
暫くベッドに横になっていると
階段の方から少女達の賑やかな声が聞こえてきた。
どうやら風呂を済ませて戻って来たようで
賑やかな声は一旦はフィルの隣の部屋に入っていったが
それから直ぐに扉が開き、複数の足音をつれてフィルの部屋の前まで来たと思ったら扉が叩かれた。
「フィルさーん、いますかー?」
「ああ、いるよー」
横になっていた所為か眠気はあったが、このまま無視する訳にも行くまい。
リラの呼ぶ声に返事をしてやれやれと身を起こして部屋の扉を開けると、
扉の前にはリラを先頭に五人の少女が集まっていた。
「みんなしてどうしたんだい?」
何の用事かと訝しむフィルにリラが用件を切り出した。
「今日買った冒険道具を使えるように準備しようと思うんですけど、荷物を出して貰ってもいいですか?」
どうやら今日買い揃えた冒険道具の準備をしたいらしい。
別に今直ぐ冒険に出るという訳では無いし、そんなに急ぐ必要も無いのだが
新しく買った道具に早く慣れておきたいという事なのだろう。
実際に野営や探索の段になってあれが足りないとか使い方が分からないとかでは困ってしまう。
その為の確認はしておくに越した事は無い。
まぁ、そんな風に備えをしてても実際に初めて野営すると色々足りない所があったりするのだが。
「ああ……そう言えば預かっていたんだったか。構わないよ」
そう言ってフィルは自分のバッグから少女達が今日道具屋で購入した冒険道具である
背負い袋や毛布、携帯食器といった品物を次々と取り出すと
それを使っていない方のベッドの上に置いていく。
本当は彼女達の部屋で取り出して渡せば良いのだろうが
女性が宿泊している部屋に踏み込むのは無礼な気がして、
フィルとしてはちょっと遠慮したいのだ。
置かれた道具はリラ達によって代わる代わるに自分達の部屋へと運び込まれていく。
途中、風呂から上がったダリウ達が戻って来て
フィルの部屋に入っては道具を持って出てくるリラ達に怪訝な顔をするが
荷物の受け渡しと聞いてなるほどと頷く。
「あんまうるさくして他の客の迷惑になるような事はするなよ?」
「分かってるってー。この時間なら皆ご飯を食べに行ってるだろうから寧ろ迷惑にならないでしょ?」
「うむ……そうか」
ダリウは注意するがリラに説明されてしぶしぶ納得している。
なんだか娘に注意して言い返されている父親みたいですこし微笑ましい。
娘の扱いに不慣れな父親達が暫く休むから下に飲みに行くようなら呼んでくれと
自分達の部屋に戻っていく頃には荷物の受け渡しも全て完了した。
「……よし、こんなものかな?」
一通りの荷物を渡し終え、ついでにサリアから預かっていた荷物も返して、
バッグの中にこれ以上渡す物が無い事を確認するフィル。
そんなフィルにリラが一度自分達の部屋に戻って荷物を確認し、
それからフィルの部屋へと戻ってくる。
「これで全部みたいですね。結構ありましたねー」
リラが言うように取り出した荷物はかなりの量になった。
一人分ならともかく四人分あるのだから当たり前だが
これだけの荷物となると四人部屋でもかなり窮屈になってくる事だろう。
まぁ普通に旅をしていれば見慣れた光景ではあるのだが、
バッグ・オヴ・ホールディングを入手して以降は
フィル達の以前のパーティではあまり見なくなった光景でもあり
フィルとしてはちょっと懐かしい光景で、少女達の部屋の様子を覗いて見たい気もしたが
やはり女性が宿泊している部屋を覗き込むのは無礼な気がするので気になりつつも諦める。
「こうして取り出してみると旅の道具って結構な量になりますねー。旅用だからコンパクトに纏まってはいるんだろうけど……」
自分の部屋に道具が広げられた様子を思い浮かべて話すリラ。
今回道具屋で購入したのは旅の道具としては最小限。
冒険の道具としてはまだまだ足りない物も多いが
少なくとも野営にはこれで事足りだろう。
「まぁ、あれでも必要最低限ってところだけどね。この後は自分達で必要と思う物を買い足して行くと良いよ」
「そうですねー。明日も市場とか見て回ろうかなって思ってます」
贅沢を言えば野営で快適に休みたいなら毛布だけでなくテントも欲しいし
野外では現地で作る場合もあるが虫除けなんかも有ると嬉しい。
それ以外にも手斧に戦利品を入れる袋に消耗品と……細かく挙げたらキリがないが、
かと言って持ち運べる量には限りがあるし、予算もだ。
まぁ、そんな事にあれこれ悩みながら必要な道具を揃えていくのもまた楽しいのだが。
「それじゃあ、部屋で荷物の整理をしよっか」
「あ、お手伝いしますよ。私の分は既に準備できてますし」
「私もお手伝いしますー」
既に旅道具一式の準備が出来ているちょっとだけ先輩冒険者のサリアと、
純粋なお手伝いであるフラウを加えた少女達が自分達の部屋へと荷物整理をしに戻るのを見届け
フィルはせっかく目も覚めてしまった事だし風呂を済ませてしまおうと、
荷物の準備を始めた少女達と別れて一人、一階の風呂へと向った。
風呂場には他の旅人の姿は無かった。
おそらく他の宿泊客は今頃食堂で美味しい食事や酒を楽しんでいるのだろう。
(僕も風呂から上がったら食堂に寄って行こうかな?)
まだ忙しい時間帯なのでテーブル席で飲むのは店に迷惑を掛けてしまうだろうが
カウンターで一杯頼んで部屋で飲む分には問題無いだろう。
ついでに軽い料理も頼んで久しぶりに一人で静かに飲むのも悪くない。
どんな肴を頼もうか考えながら手早く桶に入った湯で手早く身を洗い、
さっぱりした所でフィルは風呂場を後にした。