邪神さんの街への買い出し39
フィル達一行が宿屋に到着して一階の食堂に入ると、
店内では店員達が客の注文を受けたり料理を運んだりとこまねずみのように働いていた。
まだ夜になったばかりだが店内は既にかなりの客で賑わっており、
これから夜が更ければ食堂の利用客は更に増えるのだろうと
そんな事を考えながら二階の自分達が借りている部屋に戻る為に店の奥へと進むと
食堂のバーカウンターでバーテンと宿の受付をしていた宿の主人が
一行を見つけて愛想良く迎えてくれた。
「ああ、お帰りなさいませ。晩御飯は如何しますか?」
「いやあ、今日は止めておきます。今日は冒険者の店で食べてきてしまったんですよ」
「おや、そうでしたか……せっかく今日は良い鹿が手に入ったんですが……」
フィルの言葉に残念そうな顔をする宿の主人。
せっかく食べると思ってた相手が減った事に寂しく思っているのだろう。
特に予約をしていた訳では無いし、
この店の繁盛具合ならばフィル達が料理を頼まなかったからといって
食材が余って無駄になるなんて事はなさそうだが
それでもせっかく期待していた所を裏切ってしまった様でどうにも心苦しい。
次から外食すると分かっていた時には一言声を掛けて行こうと反省するフィル。
「それにしても随分早い時間に食べてきたんですね? この時間だと夜中にお腹が空いてしまうでしょう?」
話を聞いた主人が不思議そうに尋ねるのも無理はない。
日が落ちて暗くなったとはいえ夜は始まったばかりだ。
酒場やレストランは今も食事目当ての客が増えつづけており
これから夜にかけてさらに賑わいそうな活気を見せている。
普通ならこれからたっぷりご飯を食べ、それから満腹になって床に潜ってぐっすり休むのだろうが
今の時点で食べ終わっていたのでは夜中にはお腹が空いてしまうだろう。
尋ねる宿の主人に今度はサリアが照れ笑いを浮かべて説明する。
「ホントはおやつ代わり軽く食べるつもりだったんですけど、想像以上に量が多かったんですよー。絶対夜にお腹すきそうなので一応お夜食も買って来たんですけど、その時は食堂を借りても良いですか?」
軽く頼んだつもりが大変でしたとお土産の屋台飯を持ち上げて
冒険者の店での様子を楽しそうに語るサリア。
その様子はまさに観光を楽しんできた旅行者と言った感じで
宿の主人はなるほどと納得して微笑んだ。
「ははは、たしかにあちらの料理は量があるっていいますからね。それでしたら食堂が空いてきたら皆さんで使って食べると良いですよ。その時はお飲み物や軽いおつまみも用意できますから何かありましたら言ってください」
「わぁ~、ありがとうございます!」
楽しそうに会話するサリアと宿の主人。
この手の交渉事についてはやはりバードであるサリアは上手だと思う。
ファイターやクレリックの信用や安心感で納得させる交渉や、
ローグの口先で丸め込む交渉とも違い、
バードの交渉は他人との距離を詰めて互いの合意を得るといった感じで
これまでのパーティでは無かったタイプの交渉なので大丈夫かなと少しハラハラする反面、
これ自体がある種の芸能を見ている様でフィルも見ていて飽きなかった。
「ああ、そう言えばもう一つ、実は二人部屋に空きが出来たのですけど、こちらにお泊りになりますか? 今の部屋では人数が多くて大変でしょう?」
「あー、それは嬉しいです! フィルさんもベッドで寝たいですよね?」
そう言ってこちらを振り返ってフィルに確認するサリア。
確かに椅子で寝るのには慣れているとはいえ
せっかく宿屋に泊っているのにベッドを使えないのでは
お金を払って宿泊している者としては些か寂しい物がある。
それに夕食では宿の売り上げに貢献できていなかったので
サリアの問いかけにフィルは特に気にする事も無く了承の旨を主人に伝えた。
「それじゃもう一部屋お願いします」
「かしこまりました。それでは少し準備がありますので、それまでは今のお部屋でお待ちください。準備が出来ましたらお呼びしますので」
追加の宿泊料金として二日分の料金である金貨一枚を渡し、
主人に言われた通り自分達の元々泊まっている部屋に戻る一行。
途中リラ達と別れて自分達の部屋へと戻ったフィル達男三人は
部屋に入るとすぐにダリウとラスティは部屋のベッドに
フィルは自前の椅子にぐったりと寝転がった。
「……二人共大丈夫?」
暫く無言の時間が過ぎて、
ラスティが尋ねると少しの間を置いてダリウが、それからフィルが答えた。
「……駄目だ。体力は大丈夫だと思ったんだが……」
「……僕も。でもあれは体力の問題じゃないと思うよ……」
先程まで酒場でエールを飲んでいた事もあって
酔いと疲労と寝具の心地良さで眠気が半端ない。
これが戦闘中や探索中とか奇襲を受けたとかなら意志で抵抗するのだが、
今はただの買い出し中であり奇襲や危険の気配も感じられない。
抵抗しなければならない要素は皆無だった。
それ故フィルもまた今は疲れに身を任せベッド代わりの椅子に深くもたれかかっていた。
とは言え、このまま眠ってしまっては部屋の準備を終えて呼びに来てくれる
宿の店員に迷惑が掛かってしまうし、風呂に入って汗も流したい。
そんな訳でフィルはすんでの所で眠ってしまうのを堪えているのだが、
やはり何も喋っていないと意識が途切れそうになってしまう。
「……二人共寝てる?」
「……いや、大丈夫だ」
「……僕も大丈夫だけど……眠い」
ラスティがもう一度声を掛けると、二人が返事する。
どうやら二人もまだ眠ってはいないらしい。
「なぁ、この後どうする?」
「僕は部屋の準備ができたら店の人が呼びに来るから、それまで待機だね……」
「少し休んでから風呂に入って、それから食堂が空いてるようなら少し飲んで行こうかな……」
今度はダリウの問いかけに、フィルとラスティが答える。
「確かに、酒場じゃ一杯しか飲んでなかったからな……」
「こんどは軽い料理でゆっくりお酒飲みたいんだよね……」
「ああ、それいいね……」
実の所、冒険者の店の酒場では周りの雰囲気に押されてか、
それとも出てきた料理の量に押されてか
ダリウ達はエールを一杯しか飲んでいない。
そしてそんなダリウ達に合わせてフィルも結局一杯しか頼めていない。
巨大なジョッキで出されるので一杯飲めば十分と言えなくも無いが
酔いとしてはまだほろ酔いなりかけといった所で、ちょっと物足りない。
気怠気な会話を続けながら、これから後の予定を話し合う三人。
多分二、三時間も休めば眠気も疲れも大分取れるだろうし
その頃には食堂も空くだろうから、それから酒でも飲みに行くのも悪くない。
そんな感じで三人がぐったりしていると
通路を挟んで向かいの部屋から少女達の楽し気な笑い声がフィル達の耳に聞こえてきた。
どうやら少女達は先に風呂に行って汗を流してくる事にしたようで、
少女達の明るい話声が扉の前を通り過ぎて一階の方へと遠ざかっていく。
ぐったりしている此方と比べ随分と元気そうなのは、これが若さというモノだろうか。
いやそれなら同年代のダリウ達がへばっている理由にはならない。
酒場ではリラ達もシードルやミードを頼んでいたし、酒を飲んだのが原因とも言えない。
やはりこれは若さ故の活力の違いなのかもしれない。
ダリウもラスティも年齢の割には妙に老成した所があるし。
そんなどうでもいい事を半分夢見心地でつらつらと考えていると、
ようやく部屋の扉がノックされて、宿の店員から呼び出しがかかった。