邪神さんの街への買い出し33
「あれ? 皆は?」
エールやシードルの注がれたジョッキを抱えてテーブルに戻ってみると、
そこに居るのはダリウとラスティの男二人だけ。
二人はフィル達に尋ねられると肩をすくめて「ん」と一言だけ言って
酒場の奥の方、フィル達が先程まで居たカウンター近くの掲示板にて
張り出された依頼を物色している少女達を指した。
「料理はまだ来ないだろうから先に依頼を見てくるそうだ」
「あはは……おつかれさま」
まるで花見やピクニックで場所を確保した後、
遊びに飛び出していった娘達の為に荷物番をして待ち続ける父親の様だ。
とはいえ考えてみれば、今後冒険に出るようになって彼らが居なくなったら、
彼らのこの姿は未来のフィルの姿なのかもしれない……。
とりあえず、まだ分からない未来の苦労は考えない様にして
自分もこちら側に加わりゆっくり酒を飲みながら待とうと
手にした木のジョッキをテーブルに置き椅子に腰を下ろそうとしたフィルだったが、
座ろうとする途中でサリアの手に止められた。
「フィルさんフィルさん。私達も行ってみましょうよ」
サリアはそう言って向こうの掲示板を指し示すが
フィルとしてはあまり乗り気ではない。
「いやー僕は良いよ。サリアは皆のところに行ってくるといいんじゃないか?」
「えー。フィルさんも行きましょうよー。フラウちゃんも行ってますよ?」
確かにフラウも年上の少女達に混ざって掲示板を眺めている。
トリスやアニタから何やら聞いては楽しそうに笑っているのが見える。
確かに楽しそうだが……今日は色々な所に引き回されて、ようやく全ての予定が終わった所だ。
体力的な披露はそうでも無いが、何故だか精神的にかなりの疲労を感じている。
出来れば自分もここでダリウ達と一緒にゆっくり酒を飲んで休みたい……。
そんな願いを込めてダリウとラスティの二人に視線を送るが、
彼らは二人して苦笑いを浮かべるばかり。
ダリウに至っては無言で首まで降っている。
助力は無理と、無言で言われた様な気がして
フィルは改めて自分が現在孤立無援である事を思い知らされた。
「一緒に見て色々教えてやったらいいんじゃないか?」
さらには最後の一押しとばかりに普段無口で無骨なダリウが珍しく笑顔で提案する。
いや、笑顔というよりは悪戯が成功した時の子供の顔そのものだ。
「むむ……」
「そうですよー。ほら~。あっちいきましょうよーって、あ……」
まるで姉が嫌がる弟を宥めながら連れ回すような感じで
先程まで腕を引っ張っていたサリアの手が止まる。
サリアの様子の変化につられて掲示板の方へ顔を向けると
その先には掲示板の前で男達に絡まれているリラ達の姿がフィルの目に映った。
男達は二人で、先程フィルの方を凄い形相で睨みつけていたパーティに居た男達だった。
改めて二人の装備を見てみると、二人共革鎧にショートソードといった軽装で
ローグか、もしくは冒険に出てまだ間もない初心者といった所だろうが、
こんな昼間から酒場でくだを巻いている様な連中は十中八九後者だろう。
どうやらリラ達をナンパしようとしているらしく
リラが他の少女達の前に立って追い払おうとしているが、
残念ながらあまり効果は出ていないように見える。
「……フィルさん、どうしましょう?」
尋ねるサリアの声音は不安気で、向こうの仲間達を本気で心配しているように見える。
(まぁ、この娘は仲間想いではあるんだよなぁ)
普段フィルをからかってばかりいるこの娘だが
誰かが本当に困っている時は見捨てる事が出来ない性格なのだ。
そう言えば初めてサリアと出会った時も暴漢と争っていたのをフィルが助けたのだった。
今回も放っておいたら無鉄砲にも止めに行ってしまうかもしれない。
ダリウとラスティも険しい表情で掲示板前の男達へ視線を注いでいるが
こちらは尚更危険で、相手は戦闘のプロである冒険者、
しかも武装していて、さらに言うと見るからに性格も悪そうだ。
普通の村人であるダリウ達が下手に手を出したら命を落としかねない。
「どうって言っても、する事は一つだよ」
フィルは薄く笑ってそれだけ言うと
ジョッキをテーブルに置いて掲示板の方へと向かった。
ああいった手合いが相手となればおそらく……というか確実に殴り合いになるだろうが、
冒険者の店の酒場での喧嘩なんてフィルにとっては何度も経験した事だ。
もちろん本来はうんざりするようなイベントではあるが、
今なら能力減退のエンチャントをした指輪のおかげで
力加減に気を付けて慎重になったりせずに全力で殴る事が出来る。
溜まりがちな破壊衝動を発散する良い機会だとすら思っている。
(……あと贅沢を言うなら酒が入ってないのがいささか残念ではあるか)
「え? って、フィルさん?」
どこかこの状況を楽しんでいる様な雰囲気すらあるフィルに、
慌てて後を追うサリアは訝しげに尋ねるが、それ以上フィルは何も答えない。
酒場、しかも冒険者の店の酒場で仲間が絡まれているならやる事は一つだ。
「君達、僕の「仲間」に何の様だい?」
若返る前だったなら「おい何してる?」とか威圧していた所だが
残念ながら今のフィルでは言っても迫力が全然出ないだろう。
それにしても我ながらなんと気の抜けた問い掛けだと、
言いながらフィルは思わず含み笑いが出てしまう。
……そんなフィルの様子が馬鹿にされたと癇に障ったのか、
男達はフィルの方へと向き直った。
「ああん、なんだテメエぇ!」
よくもまぁ典型的なと思える、
まるで悪党の模範回答の様に此方を睨みつけ
男は怒鳴りながらこちらへと詰め寄ってくる。
見た所、成人してまだ幾ばくかといった程度の若者の様だが
こちらを睨んでくるその人相は醜く歪み、お世辞にも良いとは言えない。
日頃から他人を脅したり騙したりしている野盗や山賊とかに良くある顔だとフィルは思った。
(これは、まともな冒険者じゃないな……大方、街の不良が調子に乗って冒険者になって、まだ成り立てといったところか……まぁ、そんな事はどうでもいい事だが)
世間からアウトローと言われる冒険者でも彼の様に短絡的な者は意外と少ない。
よく冒険者というのは権力に縛られず、勝手気儘、自由な連中と言われているが
それは少し違っていて、
実際の所は権力の庇護を受ける事が出来ない場所で活動する事が多く
場合によっては圧政者や悪徳貴族等、権力自体を敵にして戦う事もある。
という事の結果にすぎない。
そしてそうした状況でも生き残るには、
抗えるだけの相応の戦力も勿論必要だが、
他者から協力を得るための交渉力や、時には強い自制心も必要になる。
でなければ、力に捻じ伏せられ叩き潰されるか
もしくは誰からも協力が得られなくなり犯罪者に堕ちるか
何れにしても冒険者として続けて行く事は困難となってしまうだろう。
多少性格に問題がある、俗にいう悪属性の者であっても冒険を幾つか経験すれば、
そう言ったあれこれについて学習して(少なくとも表面上は)慎重になるものだし
他にもよく野蛮人と言われたりするバーバリアンや
盗人野郎と揶揄されるローグといったクラスの者だって、
彼らには彼等独自の掟やルールがありそれに従っているだけで、
実際のバーバリアンやローグの冒険者には思慮深い者も数多い。
そんな彼等と比べると、目の前の男は随分と幼稚に見え、
……というかそもそもこの男は
冒険者に喧嘩を売るという事がどういう事か分かっているのだろうか。
フィルはふんと鼻で小馬鹿にした後、冷笑を浮かべて
改めて男の装備を上から下までじろりと眺める。
目の前の男の装備は少し古びているが実戦らしい痕も損傷を修理した跡も見られない。
(まだ依頼も殆どこなした事が無い様だな)
街の衛兵とかならともかく、冒険者の、それも戦士系であれば
戦闘で鎧が傷つく事なんて日常茶飯事で、大抵は傷痕や修理の形跡が残るものだ。
傷が残っているのなら直ぐ分かるだろうし、
普通に修繕したなら修繕の跡が見られるだろうし、
魔法で直したなら古びた見た目がもう少し良くなろうものだが、
この男達の装備からはそれが見られない。
おそらくは中古で購入したか盗んできた鎧をそのまま使っており
そしてまだ実際の冒険には殆ど出ていないのだろう。
(……マジックアイテムらしい物も無し、と)
フィルが装備しているリング・オブ・ハイディングの様に装備しているのが目立たなかったり、
店売りの数打ちや普及品と区別がつかない質素な素体に付呪した魔法の武具もあったりするが
大抵の魔法の武具は高品質な品を素体にしており、ディテクト・マジックを使うまでもなく
一目見ればそれが並の品で無いと察する事が出来るのが大半だ。
見た所、男の装備は店売りの、それも普及品と言った所で
距離を詰める際の足さばきの不用心さから見ても、
やはりこの男は駆け出しの域を出ていないのは間違いないだろう。
(!)
そんな事を考えていると男が手を伸ばして来たので、フィルは僅かに動いてそれを躱す。
伸ばした手は不用心で戦闘経験の無い一般人が身を竦ませているならともかく、
ベテランの冒険者ならば軽く躱せる程度の動きだ。
だが掴めないとは露にも思っていなかったのだろう
胸ぐらを掴もうとした手が空を掴み、男がバランスを崩すのを見て
フィルはもう一度小馬鹿にしたようにフンと鼻で笑ってみせる。
「テメェ!」
フィルの挑発は成功したようで、男の顔色が真っ赤に染まる。
もう一人の男はというとフィルの後ろに回り込もうとしているのが目の端に映る。
おそらく後ろから羽交い絞めにでもして抑え込もうとか考えているのだろう。
更には店の奥で見物していた男の仲間二人もこちらへ向かっており
どうやら四人でフィルを取り囲もうという算段らしい。
(さてと、どうしようかな?)
背後の気配に注意を払いつつ、どうしたものかと受付カウンターの方を見れば
受付のお姉さんは我関せずと言った雰囲気で自分の作業を進めているが
その実、こちらの動きを注意して観察している様な気配が感じられる。
……まぁ冒険者の酒場ならこんな事は大した事では無い。
それよりはこのファイターと登録した怪しい男の実力を測る良い機会位に思っているのだろう。
(それならまぁ、気を使う必要は無いか)
この店もルールが同じならばだが、
多くの冒険者の店では冒険者同士の喧嘩が起きた場合、
怪我程度ならそれは自己責任となる。
なにせ彼らは大抵の傷や怪我は魔法やポーション、
あるいは自己回復力で癒せてしまうのだ。
怪我が大した問題では無い以上、
喧嘩をして大怪我しようがそれは犬が戯れている様なものだ。
さすがに相手を殺してしまったともなればそうも言っていられないが
もし武器を抜いたりといったルール破りの場合は話は別で、
それにより反撃され殺されたとしても、それはそれで自己責任となる。
その辺さえ弁えていれば冒険者同士が起こす喧嘩は大抵は止められず放置され
寧ろ賭けの対象として酒場の余興に大いに盛り上がる事すらあった。
店の者達が止めないという事は
どうやらそのルールはこの店でも同じという事なのだろう。
胸ぐらに掴みかかろうした以上、既に喧嘩は始まっている。
それならと、後ろに回った男がこちらに仕掛けようとした瞬間を狙って、
フィルは素早く前の男へと踏み込みと、その顔面に拳を叩き込む。
こちらの攻撃を想定していなかったか、
後ろの仲間が行動を封じてくれると油断していたか、
男は突っ立ったまま避ける事も出来ずに正面からの拳をまともに喰らう。
拳が顔にめり込み骨がみしりと軋む感触が手に伝わるが、
フィルは構わず顔に拳をえぐりこませる。
それから直ぐに手を抜き、後ろを振り返り、
先程フィルが居た場所で、何もない空気を羽交い締める恰好で居る男の仲間を確認、
仲間は空振りして崩れた体勢を戻そうとしているが、それよりも先にフィルが動く。
一瞬、男がこちらを確認し目だけで何かを訴えかけるが
フィルは躊躇無くその男の顔面へも拳を叩き込んだ。