邪神さんの街への買い出し28
サリアとフラウに半ば強引に手を引かれてフィルは礼拝堂へと入った。
礼拝堂の中は広間になっており、その奥にはこの寺院の本尊なのだろう、
一般的な成人男性よりさらに一回りほど大きい地母神の石像が祀られていて
その膝元には緑と白を基調とした地母神の神官衣を纏った神官と思しき女性が一人。
丁度こちらに気が付きフィル達一行の方へと歩み出したところだった。
どうやらは今の時間は礼拝堂には他の参拝者は居ない様で
静かな礼拝堂の中で女性神官は女神像の前で先ほどまで祈りを捧げていたのか、
だとしたら中断させてしまい申し訳ない事をしたものだが
女性神官はと言えば、そんな事を微塵も感じさせない
柔らかい笑みを湛えて此方へとやって来た。
「ようこそいらっしゃいました。どうなさいましたか?」
柔らかい笑みを湛えて尋ねる女性の歳の頃は、トリスと同じぐらいか、もう少し年上か。
あるいは落ち着いた雰囲気からそう感じるだけで、案外リラと同じ位の年頃なのかもしれない。
いずれにせよ、お互い歳が離れていないおかげか、
初対面ではあったがリラ達一行の緊張が解けていくのがフィルにも分かった。
「初めまして、お会いできて光栄です。私達はフィード村からこの街に買い物に来たのですけど、せっかくの機会なのでこちらにご挨拶と参拝をさせて頂こうと思いまして」
今回は普段対応しているリラではなく、同じ地母神のクレリックのトリスが前に出て対応する。
どうやらリラ達が住む村の顛末については聞き及んでいる様で
挨拶と共に地母神の神職が行う礼を綺麗に行うトリスに神官の女性は僅かに驚き、
それからすぐにまぁまぁと嬉しそうに笑顔を浮かべる。
「そうでしたか。あの村が解放されたというは話は聞き及んでます。貴方達があの村の方々なのですね。わざわざ遠くから大変でしたでしょう? どうぞ奥へ、ゆっくりして行ってくださいね」
女性神官に迎えられて奥へと進み、女神像を前で思い思いに祈りを捧げる一行。
地母神の信者であるリラやダリウ達だけでなく、
信者ではないサリアとフィルも一緒に祈る流れになったが
いざ手を組み祈りを捧げる時になってもフィルの迷いは晴れなかった。
(……とはいえ、ここまで来て何も祈らないというのも逆に失礼か……)
出来ればこのまま祈らず帰りたいし、実際にそうしようかとも一瞬考えたが、
そんな事すればフラウやサリアをがっかりさせてしまう事になるのは確実だし、
それに今後、万が一にも直接地母神に会う事でもあったりしたら、かなり気まずい。
そんな事、普通に考えれば高位のクレリックでも無い限り
寿命が有る内に起きる確率など絶対に無いに等しいはずなのだが、
今のフィルの状況ではそれが無いと言い切れないのが怖い所だ。
(けど祈りを聞かれるのも……やっぱ恥ずかしいんだよなぁ……)
人間だった頃なら祈る事はごく普通の……それこそ生活の一部とも言える様な行為で、
自分の願いを神格に祈る事に何の疑問も感じる事は無かったが、
自分が神格に近づき、祈りを受けるという事がどういう事か、
実感として感じられてしまう今は、
なんだか他人に自分の悩みを打ち明けるみたいでかなり気恥ずかしい。
ちらりと神像を見上げると右手に林檎を左手には大鎌を携えた地母神の像が
柔和な笑みを湛えて此方を見下ろしている。
別に本物の女神が微笑んで見下ろしている訳では無いのだが
不思議と笑顔の本物が実際に話すのを待っている様で妙に緊張をしてしまう。
(どうか彼らの村が豊かになりますように……)
結局、フィルは取り敢えずの当たり障りの無い願いを祈るのだが
たぶん祈りを聴いた地母神にもそんな事はお見通しだろう。
とは言え、こんな他愛ない願いでも
神が神に祈りを捧げる事がどんな事を引き起こすか想像つかない。
下手したら今後問題になる可能性は十分にある。
そう懸念してしまうぐらい、フィルは神々間のルールや関係性について知らない事が多過ぎた。
(どうかこの祈りが地母神の迷惑になったりしませんように……)
先程の祈りよりも寧ろ強めに願い、
何はともあれ一通りの祈りを捧げ終えたフィルはほっと息を吐く。
(祈るだけでこんなに緊張したのは初めてだ……)
まるで敵の拠点に潜入して、ばれない様に行動している最中に
ふとした弾みで音を立ててしまった時の感じに似た緊張感だ。
この後、敵が押し寄せてくるか、それとも気付かれずに進めるか。
そんな懐かしい緊張感を一人感じながら辺りを見回してみると、
トリスと地母神の女性神官が改めて挨拶を交わしているのが目に入った。
「そうですか……それじゃあ……」
「はい。父も母も、村で冒険者をしていた人達は全員……」
トリスから村の顛末を静かに聞いていた女性神官は
沈痛な面持ちで目を伏せ祈りの言葉を女神に捧げる。
女性神官の祈りに同様に目を伏せて黙祷するリラ達。
その表情は心に受けた傷がまだ癒えていないのだという事を物語っていた。
(部外者の自分がこの場に加わるべきじゃ無いか……)
村人でなく彼等の苦しみを知らないフィルにはどうしてもこの話題に加わる事は出来なかった。
そんな事をすれば彼らの心を悪戯にかき乱すだけだろうし無思慮であると言える。
フィルはトリスが同じ村の冒険者としてリラとアニタを女性神官に紹介する様子を眺めながら
皆から一歩下がった所へと移動して、会話の輪から外れる事にした。
(そう言えばサリアは……?)
どうだろうかと同じ部外者であるサリアを探すと
丁度サリアがフィルの傍に歩み寄って来るところだった。
そのままサリアはフィルの隣に立ち、
どうやらフィルと一緒に皆の輪から一歩離れている事に決めたらしい。
おかげで一人だけ輪の外という感じは大分薄れた感じがする。
目の前のトリスと女性神官のやり取りまだまだ続いており、
紹介はダリウ達男衆に移り、それからフラウが紹介され、
最後にフィルとサリアの紹介となった。
「――こちらのフィルさんは今は私達の手助けをしてくれているんです」
トリスからフィルの紹介を聞いた所で、女性神官の顔が驚いたものとなった。
「えっ、貴方が……わぁ……あっ」
明らかに先程よりも驚いた様子で、
驚き口にしてから気が付いて口に手を当ててばつが悪そうに微笑む女性神官。
なんだかちょっとばかり地が出ていた様な気もするが、気にしてはいけない。
フィルの名前に反応するという事は、この名前を聞き及んでいるという事なのだろう。
フィルとしては自分の名前が知られているという状況は正直いって複雑な気分だった。
悪名でないだろうから広まって邪魔になる物では無いのだが、
リラやダリウ達を含め、
村人には自分は竜殺し当人ではなくその息子だという嘘の情報を伝えている。
フィルの事が話題になればなるほど嘘が嘘だとバレてしまう可能性が出てしまう。
街の行政府が気を利かせて事情を含めて通達してくれたのなら有り難いが、
場合によっては街の人から噂話として聞き及んでいるのかもしれない。
この場合はフィルが徐々に若返って行った様子なんかも伝え広まっている可能性があり
そんな情報がリラ達の耳に入っては、せっかくのフィルの嘘がバレてしまう。
もともとこの嘘は村人達が必要以上にフィルを頼ろうするのを防ぐ為のもので
何れは村人達にもばれる事だし、フラウには既にバレてしまっている程度の嘘で
そもそも嘘がバレても誰も損する者は居ない。
とはいえ、それでもまだまだ村の再建が途上で村人達の生活も安定していない現状では、
出来る事ならもう暫くは嘘がばれずにいて欲しい所だった。
「貴方が、あのドラゴンスレイヤーのご子息の方なのですね。お会いできて光栄ですわ」
「!……あ、ええ、よろしくお願いします」
にこやかに微笑む女性神官にフィルは内心の動揺や安堵を一緒に押し殺して笑顔で応じる。
どうやら領主を通じて行政側が通達を頑張ってくれたらしい。
「ふふっ。役所の方より方々に色々連絡あったんですよ?」
フィルの驚きを見透かしたのか、女性神官は悪戯っぽく言った。
嘘の口裏合わせとか他愛無い悪戯みたいな戯事ではあったが
神官にまで嘘の片棒を担がせてしまうとは……。
領主を始め、寺院まで協力してくれるのは嬉しいのだが
こそばゆい様な巻き込んで申し訳ない様な……。
思わず気を利かせてくれた街の領主と付き合ってくれた女性神官へ
心の中で感謝の祈りを捧げるフィル。
……思わず神が人へ感謝の祈りを捧げてしまったが、まぁこの際いいだろう。
女性神官の顔を見れば先程と同様優しい笑みを湛えているが、
心なしか今は悪戯っぽい笑顔の様にも見える。
それはどことなく何時ものサリアのあの笑顔に似ており
この後に何か戯事でもあるのではないかとフィルを警戒させる。
……人は他愛無い悪戯心がある時、こういう笑顔になるのかもしれない。
そんな事を思い浮かべるフィルだったが、
そうだとしても、そんな事を不用意に口にすれば
サリアだけでなく女性神官からも何されるか……。
そんな訳で今は余計な事は何も言わずに素直に女性神官の心遣いを受けようと
フィルは笑顔を作りながら心に固く決めたのだった。