邪神さんの街への買い出し16
雑貨屋を出る頃には街はちょうど昼食時になっていた。
「あ……いい匂い……」
街の中には煮たり焼いたり炒めたりといった美味しそうな香りが
民家や屋台、食堂と街のそこかしこから漂っていた。
先頭を歩くリラは発生源は何処だろうと辺りを見回すが
残念ながら近くには手頃な屋台や食堂は見当たらない。
店内に居た時は様々な道具の匂いのおかげであまり気にならなかったが
こうして外に出て美味しそうな匂いをかいでいると
嗅覚に刺激された腹が急に空腹を訴え始めてしまう。
ここらで昼食にしようかとフィルが提案しようとしたその時、
先に口を開いたのはサリアだった。
「私達もどこかでお昼にしません? ここから少し歩いた所に美味しい食堂があるらしいんですけど、そこで休憩ついでの昼食にしませんか?」
何時の間にそんな情報を仕入れてきたのか、美味しいと評判のお店を提案するサリア。
流石はバードだけあって、情報収集は怠らないという事なのだろう。
空腹だし美味しいと評判なら尚良と賛成する一同。
フィルとしても午前中ずっと立ったり歩いたりだったので
そろそろフラウを休ませてあげたかったし、
美味しいご飯という単語に期待の眼差しでこちらを見上げて
フィルの手を握ってぶんぶんと振っているフラウを見れば
ここでつまらない言葉を挟むのは野暮という物だろう。
かくして一行はサリア先導のもと、
美味しいと評判の食堂を目指すことになったのだった。
サリアお勧めの食堂は、フィル達が今いる場所から少し歩いた場所にあった。
雑貨屋のある大通りを市場の方へある程度進んだ後、十字路を曲がると、
おそらくは主に地元の住民が日常生活で使うのであろう通りに出る。
その通りは小さな商店が集まって出来た商店街になっており
パン屋や肉屋、雑貨屋に鋳掛屋といった
食品や日用品を扱う小さな商店が並ぶ通りを暫く進むと
商店と商店の間に休憩所の様に並べられたテーブルが通りにはみ出た一角が有り
どうやらそこが目的の食堂のようだった。
屋外に並べられたテーブルには既に多くの客が食事を楽しんでおり
外から見える店内も多くの客で賑わっているいる様に見える。
雰囲気としてはフィル達が現在泊まっている宿屋の食堂に近いが、
こちらはそれより旅人の姿が少なく街の住民が多い。
まさに地元の食堂といった感じだった。
「へー。なんだか賑わってるわね」
「ここはパスタが評判のお店で、美味しくてお値段もお手頃なので人気らしいですよ」
店の盛況な様子に感心するリラに、街で聞いた情報を教えるサリア。
自信たっぷりなその様子を見るに、味の方はよほど評判が良いのだろう。
「量も大盛りとか一キロの特盛とか選べるらしいですからフィルさんも安心ですね!」
「僕はさすがにそこまで食べないとは思うよ?」
此方へと振り向きそう言ってにんまりと見上げるサリアにフィルは苦笑い交じりに応じる。
いくら戦士職だからといって、そこまで食べる者はそう多くは無いだろうに。
まぁ、一キロ食べる食べないは冗談だとしても、
それぐらい融通も効く食堂だという事なのだろう。
大人数で押し掛けたので席を取れるか心配だったが
幸い、屋外の丸テーブルが二つ空いたので、
店員の計らいで二つのテーブルを寄せてもらった一行は
それぞれ二組に分かれてテーブルに着いて、店員からメニューを受け取る。
「ここのランチはスパゲティがメインで幾つかの味から選べるらしいんです」
サリアが説明をしている向こうのテーブルでは
さっそくリラとダリウが興味津々といった様子でメニューを眺めている。
「へぇーパスタかぁ。村でも作るけど面白い味とかあるかな?」
「何かうまい野菜を使ったのがあったら苗を買って育ててみるのも良いかもな」
「あ、いいわね。それじゃあ皆で別々のを頼んでみない? それで気になる食材が無いか見てみるの」
「ああ、良いんじゃないかな。僕はそれでいいと思うよ。ね、ダリウ?」
「私もそれでいいわよ。ふふふっ」
「……ああ、それでいいぞ」
リラの提案にダリウが何か言う前に
それぞれ隣に座るトリスとラスティが笑顔で了承して多数決が決まってしまう。
最後のダリウも少し遅れて了承の旨を返すが
アレはどうも渋っているたというよりは、
すぐに返事する事に照れていた様に見える。
直ぐに二人が返事をしたのが彼の性格を良く分かっての事だとすると
案外、似たようなやり取りがこれまで何度もあったのかもしれない。
「さ、あっちは楽しそうですし私達もメニューを選んじゃいましょうか」
「はいですー!」
そんな隣卓のやり取りに満足気なサリアは
まだ完全に文字を読めないフラウの前にメニューを広げて説明を始めた。
「こっちはトマトとお肉のスパゲティですね。真っ赤なトマトのソースに細かくして炒めたお肉の旨味がたっぷり入ったソースのスパゲティです。チーズを追加したりするととっても美味しいんですよ」
「わぁ~、美味しそうです!」
「で、こっちはキノコとクリームソースのスパゲティですね。文字通りキノコをクリームで煮込んだソースで、クリームソースのやさしい味がポイントですね!」
「わぁ~、こっちも美味しそうです!」
対面に座るフラウが読み易い様、サリアとアニタから見て逆向きにメニューに置いて
書かれた料理名を一つ一つ指さしてはどんな料理なのか分かり易く説明していく。
どの料理の説明もとても美味しそうで食べたくなるような素晴らしい説明で
問題が有るとすればサリア自身はこの店に来たのは初めてという事ぐらいだろう。
まぁ、料理の名前など、どの店でも大体同じだから、
細かい事を気にするのは野暮というものかもしれないが。
「あとは大盛りが麺が倍で特盛は四倍になるみたいですよ。ちなみにここは大盛りにしてもお値段は変わらず銀貨一枚らしいですけど、特盛は倍の銀貨二枚だそうですから気を付けてくださいね?」
サリアはまだ字をきちんと読めないフラウへ説明をしているはずだが、
大盛りや特盛の説明ではフィルに顔を向けて言ってくるので
なんだか自分が食いしん坊な子供扱いされているかのような妙な気分になってくる。
サリアの方もそれを分かってやってるのか、
フィルが実際にメニューを確認しようと視線を移すと
「もー、フィルさん。ちゃんと聞いてます?」
とかいって、頬を膨らませて怒ってみせたりしている。
「ちゃんと聞いてるよ。それに僕は普通に読めてるからね? 別に僕への説明は良いんだよ?」
幸いメニューの向きはフラウの方、
つまり隣りにいるフィルからも見やすい向きに置かれているので
用意にメニューの内容を確認する事ができるし
文字だって共通語で書かれているので何ら困ることはない。
「えー良いじゃないですかー。可愛いくて優しい女の子に甲斐甲斐しく面倒見てもらって嬉しくないんですか?」
「うーん、優しくしてもらってるというか……」
未だに膨らんだままのサリアほっぺたを眺めながら首を傾げるフィル。
確かに面倒を見てもらっている形になるが
メニューを読む程度は自分で見た方が楽だし、
優しくというのは何か違う気がする。
そんな事を思ってフィルが何とも微妙な顔をしていると
隣に座っているフラウが心配そうにこちらを見上げる。
「フィルさんフィルさん。お世話するのいやです?」
「あ、いや、フラウにお世話してもらうのはとっても嬉しいよ。うん」
不安そうに尋ねるフラウに慌てて弁明をするフィル。
ここ最近、嬉しそうにフィルの世話を焼いてくれるフラウを心配させるのはなんとしても避けたい。
そんなフィルの姿にサリアはニヤリと笑うと再び頬を膨らませてみせる。
「あー。ひどーい! 贔屓ですーずるいですよー!」
口調は怒っている風を装っているが、
明らかにフィルをからかって楽しんでいるバードの少女にフィルは溜息を吐く。
「ほらほら、そんな大声を出さないで、街中だよ? 周りの人の迷惑になるよ?」
「話を逸らさないでくださいー! 依怙贔屓はだめなんですよー!」
傍から見るとどう見ても痴話喧嘩の様になったテーブルに
フィルとしては周囲の視線が気になったが
この通りを歩く人達は皆この程度の戯事は慣れっこなのか
街を歩く人々がこちらを気にする様子を見せる事は特に無い。
その事に内心ほっと安堵の息を吐くが
とはいえこれだけ賑やかだと店から苦情が来ないかと気が気ではない。
だが実際に店員が注文を窺いにやってくるとサリアの態度はころりと一変し
今では笑顔でフィル達の注文を取りまとめて店員に告げている。
「私はこのキノコとクリームのスパゲティで、アニタはどうします?」
「私はこっちのバジルソースのスパゲティで」
「はい。じゃあ次はフラウちゃんはどうします?」
「あ、トマトのスパゲティにしますー」
「はい。後はフィルさんですね。どうします?」
そう言ってにっこりと笑顔を浮かべるその顔には
さきほどまで頬を膨らませて抗議していた面影はまるで無い。
「あ、ああ、じゃあ僕はオリーブオイルとにんにくのスパゲティを大盛りでお願いするよ」
「はい! じゃあ、あと飲み物は果実水と、食後にデザートを人数分お願いします」
注文を受けた店員が戻っていくの笑顔で見送るサリアを呆然と眺め
ようやくこちらも開放されたとフィルが一緒の卓に座るフラウやアニタを見れば
どちらもお疲れ様と労うかのような苦笑いを浮かべている。
そして満足気なサリアの顔を見るにどうやら彼女の悪戯は成功したのだろう。
(やれやれ……)
まるで悪戯っ子のおもりをしている気分だと溜息を一つ吐くフィル。
とはいえ、これでようやくのんびり出来そうではあった。
無事にメニューを決め終えたフィル達は、
それから少し待った後で、ようやく昼食にありつく事ができたのだった。