邪神さんの街への買い出し6
街に入ってすぐの場所はちょっとした広場になっている。
そこは日中ならば駅で隣の街へと向かう駅馬車を待つ人々や
行商の為に街を出る手続きを待つ商人達の荷馬車で賑わっている場所だった。
だが日が沈んだこの時間では、
危険な夜の街道を往こうとする馬車などあるはずも無く、
代わりに今日一日の仕事を終え、
これから街の外にある自宅に帰ろうと門を出る人達で広場は賑わっていた。
然程遠くない場所に住んでいるとはいえ
街の外となれば衛兵の目が届かなくなるし
それでなくても暗い夜道はいくら灯りがあっても危険が多い。
その為、女性等が帰る際は
なるべく一人で帰る事は避ける事が多く
違う職業の者であっても同じ方向なら
ここで待ち合わせをしてから一緒に帰るのだという。
「そう言えばここでフラウちゃんとフィルさんに初めてお会いしたんですよね~」
「はいですー! サリアおねーさん悪い人と戦ってましたー」
あれからまだ一週間ほどしか経っていないはずだが、
懐かしそうにしみじみと言うサリアに
この一週間ですっかり姉妹のように仲良しとなったフラウが元気よく返事をする。
「あの時は大変でしたよねー。フィルさんなんて私を置いてさっさと消えちゃいますし」
「あの時は赤の他人だったんだから、ごく普通の対応だと思うよ?」
(それにその前にサリアを助けたと思うんだけどなぁ……)
妹に向ける優しい眼差しから一転、フィルにジト目を向けるサリアに、
フィルはやれやれとため息を吐きながら反論する。
「むぅ……出会った時からフィルさんは薄情です……」
フィルの反論に頬を膨らませて見せるサリア。
まだあの時の事を恨んでいるのかと思ったが、
良く見るとサリアは悪戯を成功させたかのような顔をしている。
……もしかしたらフィルに構いたいだけなのかもしれない。
「……本当に成り行きで助けただけなんだからそんなもんだろう? 助けた事を口実に可愛い女の子につきまとうとか、その方が男として駄目だろ?」
「でもあの時のフィルさん、絶対、面倒臭がってましたよね?」
褒めて宥めての言いくるめは失敗したらしく、
今度は怒った風にむうっと頬を膨らませる。
どうやら彼女の御機嫌を損ねてしまったようだと、
女の子の気難しさにフィルが困っていると
見かねたリラがじゃれ合う二人を止めに入ってくれた。
「はいはい、二人ともそれぐらいにして、それでこれからどうします?」
村から殆ど出た事が無く、この街の地理に疎いリラ達としては
街に来た事のあるフィルやサリアに頼らざるを得ない。
もう日も暮れてしまったことだし。皆、移動で疲れも溜まっている。
たしかにこんな所で油を売ってないで、
早い所、宿を見つけてゆっくり休める場所を確保すべきだろう。
「ああそうだね。とりあえず僕らが前に泊まった宿に行ってみようと思うんだ。そこで部屋を借りれるか聞いて、借りれたならそのまま晩ごはんも食べたりゆっくり休むのがいいと思うのだけど、どうかな?」
もう夜になっているし全員泊まれる分の部屋があるか不安な所だが
もし部屋が空いていないようなら別の宿も借りて分けて泊まれば良いだろう。
幸いフィル達が泊まった宿屋は旅人向けの宿や酒場が集まっている地区にあり、
あの辺りで探せば、数人が泊まれる程度の場所ならすぐに見つかるだろう。
少女達の賛成という声に、フィル達一行は以前宿泊した宿のある通りへと向かった。
「ああ、すみません。今空いてるのは二人部屋と四人部屋だけなんですよ」
カウンターでフィル達の応対をしてくれた宿の主人は済まなそうにフィルに言った。
夜になり、宿の一階にある食堂は一日の内で最も賑やかな時間になっていた。
多めのランプに照らされた店内は他の店と比べて明るい雰囲気で
宿泊客だけでなく近隣の住民たちも加わってほぼ満席状態となっていた。
宿の主人はフィル達の事を覚えてくれており、
フィル達の早い再来店を喜んでくれたのだが、
一緒に居る同行者の数に困った表情を浮かべて先程の説明をしたのだった。
「そうなんですか……」
「どうします?」
尋ねるリラに、仕方ないさとフィルは肩をすくめて見せる。
「まぁそれだけ泊まれるなら良いんじゃないかな? とりあえず部屋は借りて後の二人分は別の宿を探すのが良いだろうね。二人ぐらいなら何とかなるよ」
「そうですね。でもそうなると男性が二人部屋で、女性が四人部屋でいいです?」
「うん。それでいいと思うよ」
「あ、フィルさんフィルさん」
とりあえずの部屋割りを決めた所で傍にいるフラウがフィルの手を引いた。
「うん? どうしたんだい?」
「わたしフィルさんと一緒に寝るで大丈夫です。それなら足りないのはあと一つですよ?」
フラウの発言に、少女達がおーと盛り上がる。
「さすがフラウちゃん。いつも一緒に寝ている夫婦の貫禄ですね!」
「えへへー」
持ち上げるサリアに照れるフラウ。
他の少女達もすごーいとか頑張ってねとか言って盛り上がっている。
盛り上がる少女達がとても楽しそうなのは結構な事だが
すぐ目の前では宿の主人が何とも言えない眼差しをフィルに向けている。
どう説明したものか考えるが良い案など有るはずもなく
フィルは曖昧に笑ってどうにかその場を取り繕った。
「ま、まぁそれも手としては有りだけど、出来ればフラウも一人でベッドを使ってゆっくり休むのが良いと思うよ? 家で一緒寝ているのはあくまでベッドが足りないからなだけだし」
「今日も足りてないですよ?」
「う……ほら、今日は別の宿を借りるとか、まだ手が打てるからね?」
それでもまだ少しだけ不満そうなフラウの頭を撫でてやりながら説得して
さてどうしたものかとフィルは再び思案する。
フラウにはああは言ったものの、
確かに二人で一つのベッドを使えばその分ベッドは少なく済む。
とは言え、それは小柄なトリスやサリア、フラウ達にやってもらうのが無難だろう。
(それでも一人は余るか……)
「とりあえず、二人部屋と四人部屋をお願いできますか? あと二人分は別の宿を取る事にします」
「あ、はいはい! フィルさんフィルさん! いい案があります!」
フィルが言い終わるや否や手を上げるサリア。
その顔は例によって悪戯を企む時の笑顔である。
あまり良い予感はしないが、
さりとて聞かなければまた不機嫌にさせてしまうのは間違いない。
「うん、どうしたんだい?」
嫌な予感をしつつも尋ねるフィルに、サリアは満面の笑顔で答える。
「馬小屋に泊めてもらうんです!」
「却下」
「えー!」
これ以上ややこしくなる前にと、即座にはっきり提案を却下するフィル。
それから全く何を言い出すのだと、深く溜息を吐く。
(……そう言えばどこかの英雄譚にそんな一節があったか)
たしか狂った王が治める国で、
邪悪な魔術師の迷宮に挑む英雄達が好んで馬小屋に泊まったとか。
有名な詩らしく、それにあやかり一部の宿では格安で「馬小屋」に人を泊めたりもするが
基本的に厩は宿泊客の馬を預かる為の施設であって人を泊める場所ではない。
それに英雄譚に出てきたあの宿や、人に貸している宿の「馬小屋」というのは
実際には元々馬小屋だった施設を人が休めるよう改装したもので
泊まってみれば馬の仕切りを流用した空間に
麦わらがこんもり敷かれているだけの簡易寝床といった感じで
馬や馬糞の匂いなどは全く無く、本来の厩とはまるで異なるものだった。
所によっては本物の意味の厩に馬と一緒に泊められたりするようだが
流石にそんな所に泊まるぐらいなら
適当な路地裏や橋の下でロープ・トリックを使って休んだ方が全然マシだろう。
「止めといたほうが良いと思うよ? 泊まれはするかもしれないけど、その後が大変だよ?」
寧ろ自分が泊まっても良いからという勢いのサリアに
効果があるかどうか甚だ怪しいが、それでも説得を試みるフィル。
流石にこんな女の子をそんな場所で寝させるのは流石のフィルとしても忍びない。
宿の主人を見れば、彼は少し頬を引きつらせながら
イエスともノーともつかない曖昧な笑みを浮かべている。
おそらく一応構わないがお勧めはしないという意味なのだろう。
店にだってサービスを提供する者としての自負がある。
特にこの店の様に、客との関係を大事にするような店なら
金が無い訳でも無いのに馬小屋に泊まらせるなど、お勧めしないのは当然だろう。
「でも、この季節なら寒くないですし、麦わらって意外と気持ち良いかもしれないですよ?」
確かに麦わらの上で寝れば休む事は可能だろう
だが心地好く眠れるかと言えば、おそらく周りがそうはさせてくれない。
「いやいや、いくら毎日きちんと掃除されていても匂いや鳴き声でそれどころじゃないよ……」
馬や馬糞の匂いがして、馬達が怪しい新入りを警戒して嘶く中で
どうやって気持ち良く眠れるというのだろう。
「えー」
「残念がっても駄目だよ。明日の朝食の時に馬小屋の匂いを撒きながら食堂に入ったら、他のお客さんに迷惑になるだろ? そう言う変な場所で寝るのは冒険中、嫌になる程味わう事になるんだから、せめて街で休む時ぐらいはしっかり休んだ方が良いんだよ」
流石にこれ以上の議論は終わりとフィルが打ち切ると、
先程同様にサリアは頬をむぅと膨らませたが、
それ以上は言ってこない所をみると一応は納得したらしい。
流石にうら若い乙女を厩で寝かせる訳には行かない。
まったく、素直にちゃんとした部屋できちんと休んで欲しいものだ。
「分かりました、それじゃあ部屋にご案内しますね。それと皆さんは食事はどうします? そろそろ食堂の席が空くと思いますからこの後お食事も如何です?」
「そうですね。それじゃあ、皆は先に食事をとってもらって、僕は別の宿を取ってきます」
この時間だと食事をとった後では、
他の宿を取るのもさらに難しくなってしまうだろう。
その旨を宿の主人に伝え支払いを済ませる。
ようやく話が纏まったと安堵の表情で宿の主人が食堂に戻っていった所で
今度はダリウが声を掛けてきた。
「ああ、ちょっと良いか?」
「ん、どうかした?」
「さすがに時間も時間だし、新しい宿を探すよりここで全員で泊まるで良くないか? 四人部屋の方は小柄な奴なら一つのベットを共有できるだろうし、二人部屋の方も一人ぐらい床で眠れるんじゃないか? 床に寝るのは俺で構わんぞ?」
「まぁ、そうなんだけどね。でもやっぱりベッドで寝た方が良いと思うよ? 移動の疲れをきちんと取らないと体調を崩しやすくなるからね。特にダリウ達は旅慣れて無いんだから、しっかり休んだ方が良いよ」
若さと日頃の畑仕事で人並み以上に体力があるダリウ達だが
それでも旅、それも慣れない内は気を付けるべきだろう。
慣れない旅というのは自分が気付かないうちに疲労を溜めている事が多い。
そしてそれに気が付くのは決まって体調を崩した時で
そうなると回復の為に多くの無為な時間を消費する事になる。
そう言って諭すフィルにダリウは渋い表情になるが、
それで納得しつつもなおも食い下がる。
「それはそうなんだが、どうせなら皆で飯を食べたいだろ?」
「私もフィルさんと一緒にご飯食べたいですー!」
「大部屋だと思えば、床で毛布で寝るのだってあまり気になりませんよ?」
ダリウに続いてフラウやサリアもフィルを引き留めにかかる。
その気持ちはとても有り難いが、それでもフィルの気は重い。
ちなみに最後のは説得としてはどうだろうと思う。
大部屋は銀貨二枚もあれば泊まれるような宿の話であって、
今回は二人部屋には金貨四枚、四人部屋には金貨六枚を支払っているのだ。
払った分はきちんと疲れを取りたい思うのは当然だろう。
「うーん……まぁそうなんだけど」
どうしたものかと迷うフィル。
折角街に来たのだから、出来れば皆でベッドに寝たい所だが
とはいえ確かにダリウ達の気持ちも分からないでもない。
(これが冒険中のやり取りならすぐに決断できるのだけどな……まぁ、仕方ないか)
心の中で苦笑いを浮かべて溜息を吐くフィル。
こうしてせっかく皆で街にやって来たのだし
一緒にご飯を食べたいというのは確かに大切な事なのかもしれない。
「……わかったよ。ただし床に寝るのは僕がやるよ。毛布とかも持ってるからね」
「「やたー!!」
ついに折れて提案を受け入れるフィルにフラウやサリアが歓声を上げる。
これで、食堂に行ったらまた主人に説明する事が増えたと
もう一度、心の中で苦笑いをしつつ溜息を吐くが、
今度はそれと同時に何かに安堵しつつ、
フィルは皆と一緒に食堂へと向かった。