邪神さんと休日13
フィルが風呂から出て厨房の扉を開けると
風呂場に居た時よりさらにはっきりとした
パンの焼ける香ばしい香りが流れ込んできた。
厨房ではリラ達が賑やかに晩御飯の準備に取り掛かっていて
おしゃべりしながら混ぜたり煮込んだり蒸したり炒めたり
楽し気に料理している姿を見ていると夕食の支度というより
なんだかホームパーティを開く準備でもしているように見える。
風呂場に居た時はパンの香りで気が付かなかったが
厨房の入り口に立つとジャガイモの茹で上がる良い香りや
焼けるベーコンの香ばしい香りも漂ってきて
追い打ちをかける様にフィルの空腹をさらに刺激する。
「あ、フィルさんお帰りなさいですー!」
扉を開けたフィルにいち早く気が付いたフラウが
焜炉の前で踏み台に乗ってベーコンを焼きながら後ろを振り返って言った。
安易にこちらに駆け寄らず、ちゃんと焼いているベーコンから気を離さない辺り
将来はきっとしっかり者のお母さんになるに違いない。
「ああ、ただいま。 僕も何か手伝おうか?」
「あ、それなら……えへへ、これをお願いしても良いですか?」
挨拶を返すフィルにフラウは嬉しそうにそう言うと、
よいしょっとフライパンを火から離して踏み台から降りて、
隣に置いておいた木で出来たボールを手渡した。
見るとボールの中には卵の黄身が入っていて
何やら香辛料の香りに一緒に果実酢特有の酸っぱい匂いが漂ってくる。
「これにそこにある油を加えながら混ぜて欲しいんです」
「ふむ、マヨネーズにすればいいのかな? お安い御用だよ」
「はいです!」
嬉しそうにボールを手渡すフラウから心得たと受け取る。
中身を攪拌していき次第にとろみがついてだんだんと白くなっていくマヨネーズを見て
隣でベーコンを焼いているフラウが嬉しそうにフィルを見上げる。
「えへへ、やっぱりフィルさん凄いです!」
「うん? そうかな?」
「はいです! 混ぜるのってとっても大変ですもん。フィルさんのお陰です!」
すっごい大変なんですよと力説するフラウ。
確かに幼い少女の細腕では、こうしてかき混ぜ続けるのは大変な作業だろうが
大人の手にかかれば少しばかり手間といった程度。
ましてや仮にも戦士であるフィルにとってはこの程度の力仕事など造作もない。
それでもこうして素直に感心されると年甲斐もなく嬉しくなってしまう。
「あははは、そっかそっか、これ位お安い御用だよ。それにこうして一緒に料理をしているのは楽しいしね」
「えへへへ~」
そうやって二人が楽しそうに笑いあっていると
向かいでジャガイモを茹でいていたサリアから声がかかった。
「二人ともー。ジャガイモが茹で上がりましたよー。そっちの準備はどうですかー?」
はて、準備とは?とフィルは思ったが、フラウの方は既に了解済みのようで、
「あ、こっちもベーコンとマヨネーズが出来ましたー」
「おお、タイミングバッチリですねー! それじゃあこれ、おねがいしますねー」
とサリアと二人でわいわいと合図を送り合っている。
フィルが何をするのだろうと見ていると
サリアが鍋から一つづつジャガイモを取り出しては冷水に晒し
手際よく皮を剥いている間に
フラウの方はといえばサリアから受け取ったジャガイモを潰していく。
さらに焼いたベーコンの内、数枚を包丁で破片に切り分けていき
出来上がったそれぞれの具材を一つに混ぜ込んでいく。
「ふむ、ポテトサラダを作るのかな?」
「えへへー。はいです! あ、でもそれだけじゃないんですよー」
フィルの問いにフラウはジャガイモとベーコンを混ぜながら嬉しそうに答えると
今度は陶器で出来た大きな浅皿を取り出すとニンニクとバターを底に塗り付けてから
ポテトサラダの半分を浅皿に敷き詰めていく。
それからアニタの所に浅皿を持っていき
煮込んでいたホワイトシチューを敷いてもらうと
更に残ったベーコン、それからチーズをたっぷりと上から載せていく。
「ほほう、これはグラタンかな?」
「はいです! パンが出来たら次はこれを焼いてもらうんです!」
自分の顔の倍以上はある浅皿をフィルの前に掲げて
えへんと自信たっぷりに笑って見せるフラウ。
その得意げな顔が何とも可愛らしい。
暫くするとパンが焼きあがり、
パンが窯から取り出されるのと入れ替わりにグラタンが窯に投入される。
グラタンの出来上がりも気になるところだったが
それよりも一同の興味はたった今まさに取り出された焼きたてほかほかのパンにあった。
「わぁ~すっごくいい香りです! リラおねーさん凄いです!」
「本当美味しそうですよね~。まさに完ぺきな出来ですね!」
一行の前にあるテーブルの上にはフラウの顔よりさらに一回りほど大きな丸パンが八個。
こんがりと焼けて香ばしい香りを湯気と共に放つその姿は
フラウとサリアの言うように、まさに完ぺきな出来栄えと言えた。
「この窯で焼くのは初めてだったけど、温度調節が楽で助かったわ」
「そうね、使った薪の量も村の食堂のと比べると少なく済んだ気もするし、やっぱり窯が違うのかしらね」
うんうんと腕を組んでまるで熟練のパン職人のように感想を述べるリラに
一緒にパン焼きをしていたトリスが頬に手を当て笑顔で同意する。
二人が言うには村のパン釜と比べて窯の中で熱が下がりにくいらしく
頻繁に薪を入れる必要も無いし温度管理が楽なのだそうだ。
フィルには良く分からないが、何となくなるほどと思う。
「はぁ~。パン釜一つとっても色々あるんだね。使った事が無いから全然分からなかったよ」
「まぁ、平パンを焼いた時に大体の勘所は分かってましたからね! ってフィルさんはパン窯って使った事無いんです?」
素直な感想を何気なく漏らすフィルにリラが不思議そうに尋ねる。
このあたりの村では自分の家のパンは自分達で焼くのが普通なので
自然とパン釜の違いや良し悪しについても目が効くようになるのだろう。
「ああ、自分で焼いた事は無いかなぁ、子供の頃は街に住んでたからパン屋で買うのが普通だったし、冒険者になってからは宿屋や酒場で食べるか店で買ってばっかだったからね。野営の時も平パンを作る位だしね」
一応野外活動が長いだけあって平パンなら何度も作った事はある。
最低限、水と塩と小麦にバターか油があれば作れるし
肉や野菜や魚、色々な食材に合うので挟んで食べればそれなりに食べれる。
(味付けに失敗して魔法で誤魔化したりした事もあったが)
何より皿が要らないので食後に洗い物の手間が減るのが嬉しい。
とはいえ、こちらはスキレットと焚き火があれば出来る程度の代物なので
窯を使う本格的なパン作りと比べるべくもないだろう。
「へぇ~そうなんですね。それじゃあ私達で教えてあげますからパン焼きに挑戦してみません? 折角こんな立派な窯があるんですし、もったいないですよ!」
フィルの言葉を聞いて、やけに嬉しそうに言うリラ。
確かにリラの申し出通り、せっかくの設備が使いこなせないのはもったいない。
もともと後で試行錯誤して窯を使えるようになるつもりだったが
せっかく師匠になってくれると言うのだからありがたく頼るのが良いだろう。
「それもそうだね、それじゃあ色々教えてもらうかな。確かにせっかく窯があるのにもったいないしね」
パンも勿論だがオーブンや窯を使った料理は他にも沢山ある。
キッシュにパイにケーキなんかも作れるようになってみたい。
そんな事を考えるフィルの服の裾をフラウがくいくいと引っ張る。
「フィルさんフィルさん。私も一緒にパン焼き習いたいのです!」
「ふふふっ、そういえばフラウちゃん位だとまだパン焼きを教えてもらえないのよね」
「そうなんだ?」
「はい、焼けた石や鉄とかって、小さい子には危ないですからね。もう少し大きくなってから教えてもらうんですよ」
てっきり村人全員パン焼きが出来るのかと思っていたフィルにトリスがそう教えてくれる。
確かに高温の石や鉄は見た目では分かり辛く、うっかり触って火傷するというのは
大人でもやってしまう事で、子供には任せづらいのかもしれない。
(とはいえ……)
自分もしたいですと言いながらフィルの袖を引っ張るフラウを見ていると
普段我儘を言わないこの少女のやりたがってる事を叶えてあげたいとも思う。
確かに高火力のパン釜は小さな子供には危険ではあるが
その辺はフィルがすれば良い事だろうし
なによりも一緒にやればきっと楽しいに違いない。
自分もやってみたいですとアピールをするフラウにフィルはうんうんと頷く。
「そうだね。今度一緒に教えてもらおうね?」
「わぁ! はいです!」
嬉しそうに元気良く頷くフラウの頭を撫でてやり、
フィル達は晩御飯の最後の仕上げに取りかかった。