邪神さんと休日1
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「フィルさん、フィルさん! 起きてくださーい」
ゴブリン狩りの翌日、
フィルは楽しげな少女の声と、
その声の主の小さな手に揺すられて目を覚ました。
「ふぃーるさん! あさですよーっ」
冒険者だった頃なら野外であろうと屋内であろうと
何時何処であろうと襲撃に備え、気を抜くことは出来なかった。
そんな常に神経を擦り減らす殺伐とした日々。
だが、今のフィルは朝の眠気に身を任せ
すぐ隣でフィルを起こそうと奮闘する少女の声に心地よく身を任せている。
(うーん我ながら堕落したなぁ……)
「あーさ、でーすよー♪」
少女の楽しげな呼びかけはまだまだ続いていた。
もう少し聞いていたいが、そろそろ起きてあげないと可愛そうか。
そんな事を考えながらフィルが声の主の方へと首を巡らしてみると
同じ布団の中、すぐ隣でフラウが布団から顔をのぞかせ
楽しそうにフィルの肩を揺すっているのが見える。
「あ、おはようございます!」
フィルが起きたのに気が付き無邪気に笑うフラウ。
世話を焼くのが楽しいのか、それとも無事に起こせたのが嬉しいのか
フィルの肩に手を添えたまま、にこにこと嬉しそうに微笑むフラウに、
フィルもつられて思わず頬を緩める。
「はは…おはようフラウ、うーん、今日もいい天気だね」
「はいです。おはようございますっ!」
まだ眠たげに返事をするフィルにもう一度、
フラウは笑顔で朝の挨拶を返す。
流石に農家の娘だけあってフラウは朝に強い。
日の出とともに起床して畑仕事を手伝っていた彼女にとっては
すっかり日も昇った今の時刻は寝坊と言っても良い時間なのだろう。
「えへへ~今日も無事起こせました」
そう言って無事に仕事をやりとげたと満足げなフラウ。
こうしているとなんだか彼女のほうがフィルを世話しているのでは思えてくる。
四十を超えた大人が年端も行かぬ少女にお世話されるというのは
我ながらなんとも情けないと思うが
目の前の少女が苦しんだり悲しんだりするのを見せられるよりはずっと良い。
なにより常に破壊衝動に苛まれているフィルにとって、
今の生活が続いていると言うことは自分が破壊衝動に飲まれていないという証でもある。
だが、同時に不安が無い訳では無い、というのも事実だった。
一月ほど前、フィル達は「神」と名乗る男と戦った。
パーティの仲間やその他の冒険者達、
多くの犠牲を払い、どうにか男を殺すことが出来たが
神殺しの報いとして
フィルは男から神の権能を押し付けられてしまった。
当初は慣れない力に暴走しオークやドラゴンを殺戮して回っていたが、
最近はようやく慣れてきたと言って良いのか、
普通に生活するだけでなく、
軽い戦闘程度なら暴走せずにこなす事が出来るようにまでなっていた。
だが、フィルの中に潜んでいる者が本当に神格なら、
いくら冒険を重ね経験を積んでいるとは言え、
定命の人間であるフィルが抵抗できるものでは無い。
もしも相手が少しでも本気になれば
簡単に支配されて再び暴走してしまうだろう。
神格と定命の者の差というのは、それほど絶対的なものであり
それは、かつての冒険で神格のアスペクトやアバターと
敵や味方として何度か関わった事のあるフィルには
骨身に染みて経験してきた実感だった。
唯の気まぐれなのか、それとも何か企みがあるのか
どういう理由でかは分からないが
現在の状況は向こうの何らかの思惑があってのことであり
相手が少しでもその気になればフィルの抵抗など何の役にも立たない。
それ故、こんなふうに人と関わる事に不安が無い訳ではない。のだが……。
「……フィルさん? まだ眠いです? 起すの早すぎちゃいました?」
まだ寝ぼけているからか、
ぼんやりと考え込んだフィルの顔を覗き込み不安そうに尋ねるフラウ。
ウィザードやクレリックが魔法を使うためには
十分に休息を取らなければならない事を
既にフラウは出会った当初にフィルから聞いていた。
起こすのが早すぎたのかと思ったのか顔を曇らせるフラウに
フィルは慌てて少女の頭に手を載せる。
「ごめんごめん。十分に休めてるから大丈夫だよ。ありがとうね」
心配をかけてしまった事を謝りながらその髪を優しく撫でる。
その言葉に今度は一転して笑顔を浮かべるフラウ。
そんなくるくると変わる少女の表情に目を細めながら
もう一度、ありがとうと言って少女のサラサラの髪を撫でた。
「えへへ……あ、フィルさん?」
「うん? どうかした?」
頭を撫でられるに身を任せていたフラウは
呼びかけてフィルの手が止まった事に少しだけ残念そうな表情を浮かべるが、
すぐに本題を思い出してフィルに尋ねた。
「あ、えっと、今日って午前中は武器の修理、なんですよね?」
「ああ、魔法を使っての修理は直ぐに終わるけど、そのあとはお昼まで普通に修理の手伝いをするからね。お昼になったら食堂で御飯を食べて、それから家に帰ろう」
先日のゴブリン狩りで手に入れた武器や防具は数こそ多いものの、
見事なまでに全ての武器が全然手入れされておらず
大なり小なり何かしら傷んでいるという有様だった。
このままでは街の武器屋に持って行っても素材としてしか扱ってもらえず
売っても二束三文にしかならないだろう。
そのためフィルは、ゴルムやダリウ達と話をして
今日から暫くは村人達と一緒に武器の修理や洗浄する約束をしたのだが
村人達にも農作業など普段の生活がある為、
修理作業は午前中の朝の畑仕事を終えてから昼食までの数時間のみ、
それも毎日日替わりで村人達の中から数人が当番制で
フィル達冒険者組と一緒に鍛冶屋に集まって行うことにしていた。
既に戦利品の武器や鎧は鍛冶屋に運ばれており、
今日は現地に向かえば直ぐに作業ができる様になっていた。
この村唯一の鍛冶屋には小規模ながら
金属の武具の修理や整備に必要な器具が一通り揃っており
その中には水車を用いた強力な砥石などもあった。
簡単な砥石程度なら村人達の中にも持っている者は多かったが
新品同様に磨き上げるにはどうしても鍛冶屋の機材が必要となり、
そのため簡単な研ぎは村人達の砥石を使って済ませ
機材が必要になる精度の高い調整や仕上げは鍛冶屋の機材を使う事になった。
弓についても専門外とは言え唯一の鍛冶屋だけあって
簡易ながらも一通りの器具が揃っていたが
さすがに鍛冶屋だけでは足りず
普段から自前で弓の調整をしている狩人のモルグ老や弓を持っている村人達、
そしてフィル自身が持っている調整器具を持ち寄り
それを使って整備や調整をする事になっていた。
「それじゃあ、みんなで武器の修理なんですね」
「そうだね。フラウも何かお手伝いしてみるかい? お駄賃も奮発するよ?」
「わっ、いいんです?」
お駄賃という言葉に顔を輝かせるフラウ。
そんな少女にフィルは笑顔で頷く。
「ああ、刃物は少し危ないから弓の方を一緒にやろうか?」
「はいです! あ、でもフィルさんは魔法で修理するんじゃないんです?」
「うん? ああ、魔法の方は数分もあれば全て使い切っちゃうだろうからね」
剣も弓も高品質な品や、手では直せそうにない破損がある物は
フィルやアニタ、トリスの三人が魔法を使って修理する事になっているのだが
魔法での修理については一日に唱えられる回数も少ないし詠唱時間も短い。
おそらくは現場に到着して早々に全員呪文を使い切る事になるだろう。
駆け出しで経験の浅いアニタとトリスは初級呪文の「メンディング」が数回のみ、
フィルにしても、より上級の「メイク・ホウル」を使えるものの、
村人やリラ達に自分の事を中レベルのウィザードと言っている手前、
準備しておく呪文の数も同クラスの術者の技量に合わせた回数に留めている。
「メンディング」も「メイク・ホウル」も詠唱時間は数秒と短いこともあって
おそらくは一番唱える回数の多いフィルでさえも
数分と掛からずに使い切っている事だろう。
「そんなに直ぐに終わっちゃうんです? もっとかかるのかなーって思ってました」
「はは、そういう時間のかかる呪文もあるにはあるけどね。この魔法はすぐに終わるから、そうしたら一緒にやろうね」
「はいです! あ、お昼ごはんの後って、何か予定あるんです?」
「うーん、お昼を食べた後は特に無いかなあ?」
午後には村人達も自分の仕事に戻っていくが
フィル達の方は特にこれといった予定はなかった。
「フラウは何かやりたい事とかあるかな?」
「えっと、それじゃあ午後からなんですけど、字の読み方を教えてもらってもいいです?」
フィルの言葉に期待に満ちた目で見つめるフラウ。
以前、文字を教える約束をしてから
色々あって日が経ってしまっていたが
フィルとの約束をずっと楽しみにしていたのだろう。
真剣な瞳で見つめるフラウに、フィルは笑顔で少女の頭を撫でる。
「ああ、もちろん良いよ。ずっと約束していたしね」
思えば昨日、一昨日と、フラウとは一緒に居られなかったし
この娘の笑顔が見れるなら安いものだ。
のんびりとした一日にピッタリな過ごし方だろう。
「わぁ、いいのです!?」
「ああ、もちろんだとも。暫くは時間も取れるだろうしね」
「えへへ、はいです!」
満面な笑顔でフィルに抱きつくフラウ。
少女の思わぬ不意打ちにフィルは目を瞬かせるが
嬉しそうな様子に目を細め、もう一度少女の髪を撫でた。
暫くして完全に眠気も覚めたフィルは、
いつものように交代で着替えを済ませると、
朝食を作るために一階の厨房へと向かった。
厨房まで続く廊下をフィルの隣に立ち上機嫌で歩くフラウ。
文字を教える約束をしたお陰か、
それとも先程、着替え終え、服の感想を尋ねた少女に
可愛いと褒めたのが嬉しかったからか、
何れにしろ、こうして嬉しそうにしているフラウを見ていると、
自分の方までなんだか嬉しくなってくる。
(これが親の気持ちなのだろうか)
そんな事がぼんやりと頭に浮かぶ。
厨房の水場に並んで立ち、二人で一緒に顔を洗い、
それから二人で朝食の支度を始める。
「ん~~♪ ん~ん~~♪」
朝食の準備をしている間もフラウは上機嫌のようで
朝の厨房には少女の楽しげな鼻歌が流れていた。
「フィルさん。大麦と玉ねぎ使ってもいいです?」
「うん? いいよー」
「ねぇねぇフィルさん? 小麦と粉ミルクとバターを使ってもいいです?」
「はは、いいよ。今日はシチューなのかな?」
「えへへ~。あ、フィルさんフィルさん。ベーコンを入れてもいいです?」
「ははは、もちろん良いよ」
食料庫で材料を物色しながら尋ねるフラウに
フィルはその都度、二つ返事で答えていく。
きっと昔の仲間が今のフィルを見ていたら
あまりの骨抜きぶりに笑い転げた挙げ句、
暫くは酒場のネタにされていた事だろう。
そんな事を考えると少し寂しさが湧いてくるが
それでも、目の前で楽しそうにくるくると朝食の準備をしている少女の姿を見ていると
この少女と一緒にいる事を選んだのは間違ってはいなかったと今でも思う。
フラウはこの厨房にもすっかり慣れたようで
少し高くて背が届きづらいコンロも踏み台に乗って
フィルから受け取った玉ねぎやベーコンを手際よく炒めていく。
「ほほう、これはいい匂いだね。美味しそうだ」
「ええへ、お肉も沢山入ってますし、皆さん、きっと喜んでくれます!」
玉ねぎを炒める香りにフィルが思わず感想を漏らすと
隣で踏み台に乗って料理していたフラウが
フィルの方を見上げて嬉しそうに笑う。
「ははは、確かに、みんな育ち盛りだからね」
「はいです! たくさん食べてもらうんです!」
現在、フィルの家にはフラウを含めて五人の「育ち盛り」が滞在している。
成長真っ盛りの年頃ということもあるが、
冒険者として体を動かす事も多い彼女達は食べる量も結構に多かった。
そんな育ち盛りの娘達にお腹いっぱい食べてもらいたい。
フラウはそんな事を思っているのだろう。
以前は大きすぎて使うのを諦めた大鍋一杯に作られたシチューの味見をして
その出来に満足気に頷くフラウは
すっかりこの家のお母さんといった雰囲気だった。
「できました! フィルさんも味見、してみます?」
フラウの作ったシチューは具となった大麦のおかげで
シチューとリゾットの中間ぐらいのような感じだった。
大麦のプチプチとした食感が心地良く、
合間の塩気として刻んだベーコンが程よく味を補っている。
普通のお粥と比べて腹持ちが良さそうなのも好ましい。
「どれどれ、うん、美味しい。みんなも喜んでくれると良いね」
「はいです! えへへ~」
フィルの感想を聞いて嬉しそうに微笑むフラウ。
……少しだけ気になるとすれば、街で買っておいた肉類は
フィルとフラウの二人が二週間ほど持つぐらいの量しか買ってない。
流石にこれだけの人数、それも育ち盛りばかりとなると消費量もかなりのもので
すでに食料庫の食材はかなり減っていた。
(まぁ、足りなそうなら、また街に行って買い物すれば良いか……)
その時はまた一緒に買い物や屋台巡りをして
お菓子を食べたり服などを買ってあげるのも良いだろう。
そんな事を考えながら二人で朝食の準備をしていると、
屋敷の二階の方から扉が開く音が聞こえ、
それから少女達の賑やかな声が遠くから聞こえてきた。
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