4月 回り始めた運命の歯車 パート6
どれくらい時間が経っただろう。
「きゃあああああああ!!」
突然聞こえて来た、金切り声の悲鳴が葵を現実の世界へと引き戻した。
続けざまにドタドタドタと、足音が近づいてくる。
バタン、と勢いよく戸が開かれ、飛びこむようにその人物がはいってきた。
「……騒がしい奴だな」
葵は身体をベッドに横たえたまま、視線を珍入者に向ける。
そこには息を切らし、肩を震わせ、目に涙を浮かべている姫子の姿があった。
先ほどの制服姿とは違って、オーバーオールの上にエプロンを着用している。
「一体どうしたんだ?」
「ゴ……ゴゴ……」
「ゴゴ?」
「とにかく来て!!」
姫子は無理矢理葵を起こすと、腕をつかんで引っ張った。
「なんだよ……まったく……」
葵は抵抗するわけでもなく、姫子に連れて行かれる。
そして連行された場所は台所であった。
「なんだよ一体?ここがどうかしたのか?」
「ゴキブリがいたの!!」
姫子は震えながら冷蔵庫の片隅を指差す。
「ゴキブリ?」
「そうよ!黒い羽虫があたしに向かって飛びかかってきたの!!早く退治して!!」
姫子は思い出したくもないといった様子で話す。
「ゴキブリねぇ……」
葵が冷蔵庫の隅を見ると、確かにカサカサと黒い物体が動いていた。
葵はスリッパを片手に取ると、勢いよくその物体に振りおろした。
イヤな感触が手に伝わってくる。
ゴキブリは動かなくなった。
葵は仕留めたことを確認すると、ティッシュペーパーにくるんでゴミ箱へと捨てる。
「ほら、これでいいんだろ?」
「う、うん……」
「まったく騒がしい奴だな。ゴキブリの1匹や2匹でガタガタ騒ぐな」
「な、なによ!!ちゃんと掃除してないあんたがいけないんじゃない!!」
姫子は文句を言うが、葵はそのまま台所を後にすると自分の部屋へと戻っていった。
そして再びベッドに身を投げ出し、ボーっと天井をみつめる。
まさに無の心境だった。
心になにも思い浮かばない。
時間だけがゆっくりと過ぎていく。
「俺の16年間ってなんだったんだろ……」
葵は何気なく呟いた。
過去の様々な思い出が、頭の片隅を交錯していく。
「なーにしみったれた顔してんのよ?」
いつのまにか姫子が部屋の中に入ってきていた。
腕組しながら葵を見ている。
「別にいいだろ?末期癌を宣告された患者のような心境だ」
葵はぶっきらぼうに答えた。姫子はため息をつく。
「確かに気持ちが沈むのはわかるけど、元気だしなさいよ。それに物は考えようよ?大半の人間がいつ死ぬとも知れぬ生活を送ってるのに、あんたは自分の死期がわかってるんだから、その分精一杯生きられるじゃない」
「それはお前等の言い分だろ?自分の死期なんて知りたいもんじゃねーよ」
「まっ、いいわ。あたしが作ったほっぺたがおちそうになるくらい美味しい料理で、嫌でも元気だして貰うから」
「……そーだといいな……」
葵は宙を見つめながら適当に返事を返す。
ふと、なにやら焦げ臭い匂いが葵の鼻をついた。
「なんだこの臭い?」
「あっ!!」
姫子の顔色が変わる。
「火、かけっぱなしだった!!」
「な、何!?バカかお前は!?」
姫子は急いで台所へと引きかえす。
葵もベッドから飛び起きて、姫子の後をついていった。
台所に行ってみると、白い煙がもうもうと立ち込め、焦げ臭い匂いが一面に充満している。近くには火のかかったままの鍋があった。
姫子がどうしていいのかわからないといった様子でオロオロしている。
葵は慌ててガスコンロの火をとめ、窓を全開にし、換気扇を回した。
白い煙が外へと流れていく。
葵が恐る恐る蓋をあけてみると、予想通り、中身は真黒焦げに焦げていた。
「ご、ゴメン!!火を止めるの忘れちゃって……でも、他のはちゃんとできてるから!」
シュンとなっていた姫子だが、すぐに元気を取り戻すと、葵を椅子に座らせて手際よくテーブルの上に料理を並べ始めた。
焦げてしまったジャガイモの煮物以外は、色艶もよく、なかなかおいしそうにできている。
「さぁ、召し上がれ!」
姫子はご飯をよそった茶碗を葵に手渡した。
「……………………」
葵はゴクリと唾を飲みこんで、箸をもつ。
まずは問題の、ジャガイモの煮物に手をつけた。
そして恐る恐る口の中へと運んでいく。
「!!」
途端に葵は、吐きだしたくなるような衝動にかられた。
急いでコップの水を口の中に流しこむ。
それは、ものすごくしょっぱく、まるで塩を噛んでいるような感覚だった。
「どう、葵?」
「……なんだこれは?」
「なにって……見ての通り、ジャガイモの煮物じゃない」
「お前さ……ひょっとして、塩と砂糖、間違えなかった?」
「えっ!?」
葵の言葉に、姫子は慌ててジャガイモを口の中に運ぶと、これ以上ないくらい辛そうな表情を浮かべた。
「しょっぱ~~~!!なにこれ!?」
「お前が作った煮物だ」
「うっ……」
姫子は言葉に詰まる。しかしすぐに引きつった笑顔を浮かべた。
「ま、まぁ、これは失敗作だから……でも、他のはちゃんと美味しいわよ!」
「ホントかよ……」
葵は半信半疑な気持ちで他の料理にも手をつけた。
しかしその度に表情が曇る。
「このオムレツ、なんだか甘すぎないか?」
「あっ……ちょっと砂糖を多くいれすぎちゃったかも」
「このたくあん……見事につながったままだな」
「ほ、包丁の切れ味が悪かったのよ!」
「味噌汁の具に、一体何入れた?」
「ニンジンとダイコン……それにキュウリとトマトだけど?」
「………………」
「ど、どうしたのよ?さっきから黙りこくっちゃって」
「ニンジンとトマト、皮がついたままだ……」
「えっ?トマトに皮なんてあるの?」
「……………………」
葵は黙ったまま箸を置いた。
「なぁ、姫子……俺、本当に後1年生きられるんだろうな?」
「ちょっと!!それ、どーゆー意味よ!?」
「言葉通りの意味だ!言葉通りの!!」
葵は姫子が作った料理を指差す。
「何よ!!ちゃんとおいし……」
怒った姫子は、自分の料理を口の中に運んで、そのまま固まった。
「はぁ……ごちそうさま」
大きくため息をついた葵は、席から立ちあがり、そのまま自分の部屋へと戻っていった。そしてベッドにゴロンと横になった。
奈緒の手料理がとても懐かしく感じられた。