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009 Lia 「答え」

 私はウォルクと向かい合って立つ。距離は大人の男が三人横に寝そべった程の間隔。

 彼は両手で訓練用の木製ロングソードを構え、私の隙を伺うように視線を動かしていた。

 そうだ。それでいい。初めて対峙する相手には我武者羅に突っ込まずにけん。やはり元々騎士を育成する学校だっただけあって戦闘に対する訓練もしっかりしているようだ。


「様子を見る、というのは良い判断かもしれないけれど」


 私は少し離れた彼に聞こえるように声を張って言う。


「剣先がぶれていると、それ自体が隙になり得るんだよ」


 そう言って私は体の力を抜いてから、格闘家の様に僅かに腰を落として剣先を見つめる。

 ウォルクの額から一筋の汗がこぼれ落ちる。

 私はある予想を立てた。

 騎士の戦闘というのは基本的に剣と剣の対等な戦い。きっと素手の相手の対処法を知らないだろう。逆に剣を持った相手に素手で挑むようなこともあまり詳しくは学ばないはずだ。

 そう。自分ならどうするかを考えることが出来れば対処法の二つや三つ程度思い浮かぶだろう。しかし、経験がないというのは恐ろしいもので、間違いなく思考回路が止まる。

 ただただ相手の動きを目で追うだけになってしまうのだ。

 本当にハンデなんかではないのだ。

 素人の長ものの攻撃は素人でも避けることが可能なように、経験の浅い者の武器による攻撃なら、私は避けられる。しかも素手で動きの邪魔になるものが何一つ無いから、その分も回避のしやすさは向上する。

 時間制限は設けなかった。

 なにもすぐ終わるからと高を括ったわけではない。私だって彼の能力や対応力は何一つ知らないのだ。

 だから、彼が天才的な対応力を持った少年だったならば、苦戦は免れられないだろう。

 私は動かない。そして、警戒させる構えも解いて棒立ちになる。油断しているわけではない。やはり私にはこれが一番初動に掛かる時間が短く済むのだ。

 それに、殺気や闘気を消して油断を誘うのにも丁度良い。

 私は、彼の目を見据えるのをやめた。

 ウォルクの足元を警戒する。彼もただ様子を見ているだけではない。

 僅かずつではあるが、重心が移動している。

 互いに様子見になった場合に行う、攻撃に素早く転じるための僅かな動き。

 上手い。私に足元を警戒する癖が無ければ意表を突かれていたところだっただろう。

 隙は見せない。完璧に動く、いや、完璧に『不動』。動かざる。

 春の暖かさを感じている余裕なんて無い。私達の間に漂う空気は冷えきっている。

 ――刹那、私はひとつの失敗に気がついた。

 ただ呼吸をするためだけに漂っていた空気が、風を起こしたのだ。

 南から吹く強い風。私の立ち位置からすると左手側から右手側に吹く風だ。

 私は私自身の長い髪によって、視界を塞ぐこととなった。

 危険だ。辛うじて前は見える。ウォルクの姿も視認できるが、細かな動きや重心の変化の確認ができない。

 このまま視界が少々塞がれたの状態か、手を使って髪をかきあげるか。少々迷ったが、私は利き手である左手を使って髪をかきあげる。警戒しつつ、ゆっくりと。


「――――ッ!」


 ウォルクがこの時を待っていたかのように駆け出す。

 せめて髪を後ろに束ねていたらこうはならなかっただろう。

 速い。なかなかの初速を見せ、首辺りを狙った横薙ぎを放ってくる。


「お、っと」


 それを最低限の動き、とはいかなかったが体を大きくのけぞって回避する。その勢いで後方転回をし威嚇のために同時に蹴りを繰り出した。

 あくまで当たらないように彼の顎スレスレを狙って。


「言うだけあって、なかなか速いね。風を待って隙を突いたのも見事かな」


 カウンターの寸止めまでする余裕があったくせによくそんなことが言えるよな、と言いながら彼は一歩下がって体制を立て直す。


「さあ、これで沈黙の時間は終了だよ。あとは君が打ち込むか、私が奪うかだけの勝負」


 直立して彼を見据える。

 重心は真ん中。どんな動きにも対応出来るように。


「じゃあ、俺も隙を狙うのはやめだ」


 彼はロングソードを逆手に持ち替える。


「……珍しいね。ロングソードで逆手持ちなんて」


 通常逆手持ちは刃渡りの短いダガーのような武器でする構えだ。ロングソードでそれを行うのはあまり好ましくない。

 しかし、それは鉄の鎧を装備する前提ならばの話。今のような身軽な状態なのであれば、有利な場合もある。

 まさに今がその状況。

 ロングソードというのは刃渡りが長い分一度の攻撃に隙が生まれやすい。その上、重心移動も大切になる、扱いという点では基本であり、それでいて一番難しい武器だと私は思っている。

 それが逆手持ちになると、一気に癖の強い武器となる。

まずリーチの長さは失われる。リーチが長いと対等な戦いの上では有利だ。

 しかし今回は奪われたら終わり。超接近戦にしたほうが向いている。

 そして、通常の持ち方では出来ない残身後の不意打ちにも長けている。厄介な構えをされたもんだ。

 しかも重心を低い位置に持って行かれている。さっきの回避を見て下半身のほうが当てやすいと判断したからだろう。

 ただし、この持ち方には弱点がある。


「これは旅好きな俺の爺さんが持ち帰った東洋の構えだ。ひたすら練習した。逆手持ちの重量でよく腕も捻った。完成はしていないが動きにも慣れた。だからここでこれを試してやる」


 東洋の構え、か。私も刀という武器を調べるためにそういった構えに関することも一通り知識に入れていた。

 だが、ウォルクがしているこの構えは、暗殺のための構えだ。

 騎士どころか、傭兵でさえ敬遠するだろう。


「そっか。君のお爺さんは珍しい構えを知っているんだね」


 私は駆け出した。カウンターに強い構えだと言うのであれば、そのカウンターを圧倒してやればいい。

 速度を上げてウォルクに急接近。まずは右の拳を突き出す。

 ウォルクはそれをロングソードの剣身を使って受け流した。受け流しからの残身。予想通りだ。背後に回られた瞬間、前宙で前に飛び、さらに空中で体を捻って着地時に向き直る。

 この時私達の距離は大人の男一人分程度。

 私は着地時の脚のバネを利用して間髪入れずに最速の初動で近付き、下段の蹴りによる足払いをする。

 彼はそれさえも飛び退いて回避したが、その際に重心が僅かに崩れたのを見逃さなかった。

 足払いをした勢いを利用して倒立をし、全身で踵落としを繰り出す。これを避けることは絶対に不可能だ。そうなれば間違いなくロングソードでとっさに防御してくる。

 そしてその予想は当たる。

 逆手持ちのままの右手を上で構えて身を守る。これは判断したのではなく体が勝手に動くという状態。

 勢いの付いた私の踵は身を守ろうとしたその剣身に全体重をかけて振り落とされる。


「ぐっ――――!」


 さぞ腕が痛むことだろう。落としかけたロングソードを必死に握力で握る。

 判断する暇も与えない。踵がロングソードに当たった瞬間にそれを蹴り、更に体重をかけて身体を戻す。

 足が地についても、彼はまだ体勢を戻すことが出来ていないようで、少しふらついている。

 そしてそのまま私は、剣身の付け根を蹴り上げた。


「あっ――――」


 わりと高い位置までロングソードは飛んだ。平屋の建物の屋根と同じくらいだ。その軌道は僅かに私の背後の方向を描いていたため、落ち着いて一歩下がって、それを受け止めた。

 そしてその勢いのまま、横薙ぎを繰り出して彼の首元で寸止めした。

 これが逆手持ちの弱点。姿勢が安定しないから、カウンターに強い分そのカウンターを対処された後の立ち回りが困難になる。

 そこにラッシュを打ち込めば、間違いなく体勢は崩れる。

 ウォルクの額からは、大量の汗が噴き出していた。

 空気が静まり返る。聞こえるのは、僅かに荒れた二人の呼吸の音だけ。

 そして私は、僅かな時間を置いて彼の首元から武器を下ろした。


「はい、私の勝ち」


 久しぶりにいい汗をかいたかな。

 私は笑顔で彼に手を差し伸べた。

 一部始終を見た他の子ども達が、一瞬理解に遅れてからわぁっと湧き上がった。

 子供達が口々に称賛の声を上げる。

 私にだけではない。負けてしまったウォルクへの賞賛も多かった。

 どうやらウォルクは自分の実力を仲間に隠していたようだ。逆手持ちの構えもテリアでさえ知らなかったようで、驚きとともに少し複雑な表情をしている。

 私が差し出した手を無視して、ウォルクが立ち上がった。

 黙って私を見詰めているその表情と雰囲気で、湧き上がっていた子供達がひとりまたひとりと私達に注目し、やがて誰も喋らなくなった。


「……何でも言うこと聞く、だったな。何が望みなんだよ」


 今回の勝敗に関してはあまり触れず、彼は話を進めようとした。私はその前に、と言って持っていた訓練用のロングソードを彼に手渡す。


「今回、何故君が勝てなかったかわかる?」


 その問に、彼は考えるまでもない、という顔で俺が実力不足だったからだと答えた。


「そうだね、その若さでその実力なら十分天才的と言えるかもしれないのだけれど、実力不足という点は大きい」


 でもね、と私は話を続けた。


「君は、何の為に強くなりたい? 何故この戦いという道で上を目指すのかな」


 私は彼の鳩尾辺りをとん、と指で突いて問う。この行為に対しエノーラの不服そうな表情が視界の端に見えたが、今は気付かなかったことにした。

 そんな私の手を払いのけて、ウォルクが答えた。


「決まってる。誰の助けも必要なくなるようにだ。戦いで強ければ軍人にも傭兵にもなれる。そこで実力があれば腐るほど仕事が舞い込んでくるんだ。そしてトラブルに巻き込まれたって力と金があれば半数は解決できる」


 達観はしているが、子供の考え方だと私は思った。だから私は、彼を子供達の方へ向き直らせて、彼に説いた。


「人の助けは、どれだけ強くなろうと必要だよ。金と力があればいい。そう思っている人間ほど、近くで支えてくれている人がいるはず」


 ここまでは皆に聞こえるように。ここからは彼にしか聞こえないように。


「君だってそうだ。この仲間達に心を支えられている。だから自分の事だけを考えて生きていくことが出来ているんだ」


 私は彼の両手を握って話を続ける。エノーラは無視だ。ついでにウォルクの顔が少し赤いのも気づかなかったことにしよう。


「君のあの構えは、本来君のような人間が使ってはいけない構えだよ。誰も守れないし、君自身を守ることだって出来なくなってしまう、殺すためだけの構え」


 彼もきっと気付いていたはずだ。この構えは、一対一の戦闘において究極の諸刃の剣。


「君がここからもっと強くなる方法は一つ」


 そう言って手を離し、左手の人差し指を一本立てて見せた。


「大切なものを守る為に、強くなること」


 綺麗事だと言われればそれまでだが、『守る戦い』の大切さを知っている私からすれば、一番の近道だと思っている。


「全部守ろうなんて欲張りじゃなくてもいいんだ。自分の家族だけでも友達だけでも……それから、近くにいる愛する人だけでも」


 私はテリアを見ながら彼だけに聞こえるように言う。

 ウォルクが慌てて私に何かを言おうとしたが、それを言わせる前に冗談じゃないし、揶揄っているわけでもないよ、と続けた。


「ただ、失う前に気が付かなきゃならない。恥ずかしいからと言って隠していたら、気付いた時には全てを失っている」


 私は、もう覚えていない母の顔を思い浮かべながら、そう告げる。


「それじゃあ、約束通り勝った私の言う事を聞いてもらおうかな」


 腰に手を当ててわざわざ勝ち誇った顔を作りって言う。

 彼の反応はいちいち面白い。何を言われるかわからない不安の表情を、強気な彼でもしていた。


「一度しか言わないからよく聞いて、すぐに行動に移してね」


 ウォルクはごくりと唾を飲み込んだ。


「君の一番大切な人のためにだけ、その力を振るいなさい」


 小声で伝える。他の子供達は何を話しているんだ? と怪訝そうな表情を向けてくるが、これは他の人間に聞かれてはいけないことなのだ。


「君がその剣を振るうのは、守るためだけ。これから一切、暴力は禁止だよ」


 彼はぽかんとしている。きっと私が酷い人間に見えていて、どんな過酷な命令をされるのだろうかと考えていたに違いない。


「もちろん授業中の訓練とかはノーカウントだし、これは君の考え方を変えて欲しいという話。君の心の支えになっている人を、君自身のために守ってあげて」


 彼の表情が少し引き締まった。それから何か考えるように視線をあちらこちらに動かし、ようやく分かったよと返事をした。


「それからこれは個人的なお願いなんだけどね」


 私は彼の顔にぐいっと近付き、手を添えて耳打ちした。


「君のその恋心、早いうちに本人に打ち明けてみない?」


 今度は揶揄い混じりでそう伝えた。

 絶句した彼は、しばらく固まった後、ぶっきらぼうに考えておいてやるとだけ言い、子供達のところに戻っていった。

 それからウォルクがテリアと一度も会話しようとしていないのを、私は見逃さなかった。

 全く。子供というのは可愛いな、と考えながら、自分の性格の悪さに心の中で笑った。


 ――――刹那。


「――――!!」


 今までに感じたことのない強い殺気に、全身が粟立った。

 絶対に始末するという執念の鋭い視線。それが私の全身を貫き、身体の力が一瞬抜けて地に膝をつく。

 突然のことに子供達はどうしたんだろうとざわざわしていたが、私はそんなことを気にかけている余裕は無かった。

 震える脚を掌の痕がつくくらいに強く叩く。

 痛みで脚に無理やり力を入れ、何とか立ち上がって体勢を立て直したところで、体の震えは少し治まった。

 ただ、あの悍しい気配が段々と近づいてくるのが分かり、表情が固まる。

 額から冷や汗が滴り落ちる。何処だ。何処から来る……?

 視線の場所が把握できない。

 ただ、どれくらいの距離に居て、どれくらいの速度で近付いてくるかを感じることが出来るため、私は視力に頼るのを止めて瞳を閉じる。

 結構速い。まだ距離はあるが、あと十数秒程度で私に最接近するだろう。

 集中しろ。何を仕掛けてくる。私の命を狙ってくることに間違いはない。

 隠そうともしない殺気をぶつけてくる相手だ。小細工はしてこないだろう。そうなれば、考えられるのは――――。


「……――――!」


 私は膝と腰を折って出来る限り伏せた。

 瞬間、私の肩を何かがかすめ、僅かに肉が抉られた。


「ぐッ……!」


 何とか躱せた。”何か”は私の胸から腹部辺りを狙っていたらしい。

 子供達の悲鳴が聞こえる。当然だ。突然私の右肩が抉れ、血が噴き出したのだから。


「ウォルク! とりあえずみんなを落ち着かせて! 避難! エノーラも手伝ってあげて! 小烏丸は置いておいていいから!」


 振り向いて叫ぶ。

 ウォルクとエノーラは分かったと言ってテリアに協力を仰ぎ、皆を校舎の中に避難させた。

 まだ"何か"の存在を視認できない。傷のせいで気配に集中できない。

 無事子供達は避難を済ませたようだが、殺気の主は私の周りをぐるぐると旋回している。

 大きさは大人の男と同じくらいか。動きが早すぎて形は認識できないが、ようやく目で追える状態になった。

 ……エノーラの置いた小烏丸の位置まで少し距離がある。迂闊に動くと隙を狙われかねないが、どうする。じっとしていても埒が明かない。

 対応策を考えながら視線を動かしていると、校舎から出てきたウォルクが見えた。

 駄目だ。出てきてはいけない。彼と目が合い首を横に振って戻れと促すが、ウォルクはそれを聞き入れずに小烏丸の置いてある所まで走った。その瞬間に、”何か”の動きが僅かに変わったことに気がついた。

 狙いを脅威になるであろうウォルクに変更したのだ。

 駄目だ。もう突っ立っては居られない。

 全速力で走り出し、小烏丸を手に取ったウォルクの元へ行く。

 ”何か”が、旋回をやめてウォルクに突進しようと構える。

 駄目だ。間に合わない。”何か”はウォルクの頭を狙っている。


「ウォルク! ごめんね!」


 私は緊急用に隠し持っていた刃渡りが短く細い両刃のナイフを腰のベルトから取り外し、投擲した。


「ぐあッ!」


 ナイフは彼のアキレス腱に命中し、その肉を少しだけ切り裂いた。

 その痛みによって、ウォルクは姿勢を保てず崩れ落ちる。

 結果、"何か"は彼の頭を掠め、髪の毛を僅かに切り裂くだけに至った。そのままその”何か”はバランスを崩して派手に砂埃を巻き上げながら地面を転げた。

 私は彼に駆け寄って、小物入れの中に手を入れて羊皮紙の感触を探した。

 誰よりも、リオンを信じている。そしてリオンは、誰よりも私を心配してくれている。だから私は、心配症な白魔術師の気遣いを信じた。

 あるはずだ、あるはずだと小物入れを探り、ようやく"それ"を掴んだ。

 それが何かを確認せず、取り出した勢いでウォルクの脚の傷に押し当てる。

 瞬間、光がウォルクの脚を包み、傷を癒やした。

 ウォルクはその出来事に驚いていたが、私は彼の頬に平手打ちをして叫ぶ。


「君は馬鹿なんじゃないの!? 守る相手は、私じゃないでしょ!」


 私はどんな表情をしているだろうか。それはわからないが、ウォルクの表情を見るに、まだ彼に見せたことのない顔だったのだろう。

 唖然としている彼に、早く校舎に戻って彼女の傍に居てあげてと伝え、私は正面で蠢く"何か"を警戒しながら、ウォルクを校舎に帰した。

 ウォルクのお陰でこうして小烏丸を手に出来たが、彼が守るべきは私じゃないのだ。

 やがて、その”何か”の動きが止まり、正体が顕になる。

 大人の男と同じくらいの大きさ。ただし、四足歩行で身長は低い。

 シルエットは狼に近い獣の部類だろうか。

 しかし、その目はまるで蜘蛛のように頭にいくつも付いており、それら全てが私を凝視していた。

 背中からは昆虫の脚のようなものや、蝙蝠の翼のようなもの、他にも色々な生物のパーツが飛び出していた。

そしてその四足の脚は、乾いた血液のようなドス黒い色をしていることを除けば、全て人間の腕に近しい物であった。

 何だ、こいつは。

 理解が追いつかなかった。気色悪いとか吐き気を催すとか、そういう存在ではない。

 ただ、私には”それ”が何かわからなかったのだ。私を殺そうとしているという事実以外、私には理解が出来なかった。

 そいつは口元から大量の涎を垂らし、先程の動きとは打って変わってゆっくりと歩み寄ってきた。


『殺サナケレバナラナイ、コロサナケレバナラナイ』


 直接頭に響くような囁き声。それを殺気に乗せて私に向ける。


『壊サナケレバイケナイ、毀サナケレバイケナイ』


 その殺気に気圧されて、私は一歩下がり、はっとした。

 その一歩をそいつは見逃さなかった。地面を思い切り蹴って、私の頭を噛み砕こうと飛び込んできた。


 「――――!!」


 私は小烏丸を革の袋に入ったまま、とっさに構えて防御する。

 そいつの攻撃は私に重くのしかかった。

 まるで皮肉だ。私がウォルクに仕掛けた技と似たような事を、こいつはやっているのだから。

 攻撃が失敗したと判断するとそいつは着地と同時に後方に大きく飛び退いた。

 ――肉が灼けるような、気色の悪い音がする。

 小烏丸を覆っていた袋が、みるみるうちに熔けていた。

 私は前方を見やる。そいつが僅かに不敵な笑みを浮かべているように見えた。

 ……危険だ。奴に触れてはいけない。

 奴の体液は、強酸のようにものを熔かす性質があるのだ。証拠に、奴の口から零れ落ちた涎が地面に落ちると、嫌な音を立てて灼けるように蒸発していた。


「全く、恐ろしい生き物が世の中にはいるものなんだね」


 僅かな恐怖を掻き消すように、私は小烏丸の包みを取り払って左手で握って構えた。

 そいつは何も囁くことをせず、複数の目を特に規則性もなくギョロギョロと動かして返事をした。



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