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008 Rion 「記憶」

 信じられない話をしよう。


「インスタントが、完売しちゃった……」


 異例である。異例中の異例。

 一人暮らしであれば一つで三日分の食事に変わる私のインスタント魔術のチケットが百枚全て完売したのである。いや、念の為とライアの小物入れの中にこっそり忍ばせた緊急用の十枚を除いて九十枚か。それが全部売れた。

 売上の八割が税金と羊皮紙代に消えてしまうことを考えても、私一人であれば二十日近くの間食事には困らない状態だ。それに追加して薬も幾つか売れたため、何日かは贅沢が出来るかもしれない。

 羊皮紙自体の在庫はまだ部屋にあるから追加で仕入れる必要もまだ無さそうだ。

 普段は実演販売を行っても売れて十枚から十五枚程度。通常の販売ならば三枚売れて良い方で、レインフォールドさんが買いに来てくれたとしても十枚に満たなかった。

 レインフォールドさんに実演してみせたのがかなり効いたみたいで、彼の大声に反応して注目を浴びることが出来た。感謝してもしきれない。

 もう今回準備した薬の在庫も殆ど無い。朝食と昼食の兼用として近くの露店で販売していたサンドイッチを食べたため、昼時ではあるが食欲は無い。


「困った」


 暇というのは素晴らしいものだと思うが、唐突にそれを突きつけられると戸惑ってしまうものだ。何もない空間で新品のペンを渡された気分だ。

 城下町では出店してばかりで露店を見て回る暇が無かったことを今思い出したが、一人で回っても面白いものでもないだろう。ライアの仕事が終わるまで退屈だ。

 私はとりあえず地面に広げた物を片付けることにした。とは言いつつ幾つかの瓶と敷いた布を畳むだけの作業であったため、これも時間潰しにはならなかった。

 私は物思いに耽ることにした。いや、暇を持て余して物思いに耽るという行為に引きずり込まれることになった。



   *



「リオンちゃん、ちゃんと挨拶しなさい」


 ライアが私達の村にやって来たのは、まだ片手で歳を数えられる頃だった。その日は冬の終わりにしては暖かく過ごしやすかった。


「……」


 引っ込み思案を絵に描いたような子供の頃の私は、彼女とその父親に挨拶をすることが出来ず、当時の村長で私の祖母だったミーナスの服の裾を掴んで後ろに隠れていた。


「こんにちは! あなたはリオンっていうの? 私はライア。よろしくね」


 ライアは笑顔で言った。今でこそ落ち着いてきて柔らかい雰囲気だが、幼い頃の彼女は今の優しさに加えて元気で主張が強い女の子だった。


「……うん」


 村に私と同じくらいの年齢の子供が他に居なかったためか、珍しく私は人と話をするという行為をした。

 私達が打ち解けるまでに時間は掛からなかった。

 彼女と彼女の父が村に越してきてからは、毎日のようにライアに遊ぼうと誘われた。

 雨の日や風の日にもライアは私が暮らしていた村長の家まで訪ねてきて、私と共にいることを望んでいたのだ。その頃私はもう魔術の勉強を始めていたため、時には勉強するからと断ることもあった。

 その時のライアの残念そうな顔は今でもよく覚えている。

 彼女にいろんな場所に連れ回されたり、互いの部屋に上がったりして、私達の絆は早い段階で固くなった。季節が一つ過ぎる前に、私達は互いにかけがえのない存在になっていたと思う。

 そうしてずっと過ごしてきて、私達の年齢が二桁を数えるようになった頃、ライアは私達以外誰もいない草原の中心で、こんな話をした。

 その日は、夏だったのにも関わらず肌寒い夜だった。


「私のお母さんはね、星になったんだ」


 そう話を始めて星の見える空を見上げた。

 もう私も物事の分別がつく頃だった。私はライアの言う星になったという表現で、彼女の母は死んだのだとすぐに理解した。

 ライアが父親と二人暮らしだということは彼女が越してきた当初から知っていたが、未だ母親の話には私からは触れていなかったのだ。


「お母さんは白魔術専門の帝国魔術師。お父さんは……今は辞めちゃったけれど、帝国騎士だった」


 ふらふらと座っている私の周りを歩きながらそう言ったが、少しの時間を置いて私の隣に膝を立てて座った。


「私達は帝国の城下町に住んでたんだ。生まれてからここに越してくるまで、私は城下町の外の世界を知らなかった。帝国勤めの人の間に生まれたから、結構ちやほやされて育ってきた」


 声色こそいつも通り明るいものの、彼女の声には今までの元気さだけではなく、仄かな優しさの色が乗っていた。


「でも帝国魔術師と帝国騎士って忙しいんだ。二人とも、何日も家に帰ってこないのが普通。家にはお手伝いさんが一人居たから独りきりではなかったけれど、やっぱり寂しいものは寂しかったね」


 微笑を浮かべるその時の彼女の顔には、もう寂しいという感情は見受けられなかった。


「お母さんがいなくなってからもう七年経った」


 当時の七年前。帝国の情勢がひっくり返った頃だ。暴君の王に怒った若き王子が、信用できる騎士や家臣と徒党を組み、勇気ある国民を募ってレジスタンスを結成。ライアの父も帝国騎士でありながらレジスタンスに加入していたようだ。これが十年前の出来事。

 それから三年という長い時間をかけて、王子はレジスタンスを成長させ、今後の方針を固めた後、仲間と共に革命に挑んだ。

 それからはわずか数日の出来事だったらしい。らしいと言うのは、全てが聞いた話であり、私は実際に見ていないからだ。

 暴君と共に国が崩れ落ちる音は、想像より遙かに早く国民へ届いたそうだ。

 そして同時に、ライアの母が亡くなったという知らせが、ライアとライアの父に届いた。

 それから若き王子は王となり、新たな国をつくりあげた。


「今日まであっという間の時間だった。リオンと一緒にいたらそんな悲しさも吹っ飛んじゃった。もうお母さんの顔も思い出せないけれど、それでも、とても大切にしてくれていたことだけはずっと忘れない」


 前を、ただ前を進むライアに、私は強く心惹かれた。それと同時に、遠くに行ってしまう気がして、その手を捕まえた。

 杞憂。懸念。焦り。不安。どの言葉も似通った意味合いだが、どれも違うような気がして自分の感情の表現に困った。

 ライアは一瞬驚いたように手を引こうとしたが、私の微かな手の震えに気付き、しっかりと握り返してくれた。


「ありがとう」


 私が言う筈の言葉を、ライアが口にした。


「うん」


 子供の私達に、今のこの国がどんな状態なのか理解するのは困難だった。

 国のことや世界のことは何もわからないままだけれど、星が綺麗なこの夜に、彼女の大切な部分を知った。思えば彼女のことを初めて知った夜だったのかもしれない。

 私はそれから、子供心ではあったが彼女の為に生きようと決めた。

 同情でもいい、偽善でも自己満足でもいい。彼女を心から想いたかった。

 その夜は、新月だった。



   *



 目が覚めた。片付けた荷物を抱えたまま、噴水広場のど真ん中でうたた寝をしていたようだ。

 両手で自分の頬に触れると、睡眠のせいで熱が篭って火照っている。

 顔が見てわかる程紅くなっていないか確かめたいところだが、手鏡も鞄の中に仕舞ってしまったため出すのが面倒だ。

 まあ、紅くなっているかは置いておいて、寝ぼけたようなだらしない顔をしているのは確かだろう、と口からこぼれかかったよだれを右手の袖で拭きとりながら思った。

 空に浮かぶ太陽はまだ沈むつもりがないようで、春の温かい光を注ぎながらその場に居座っている。

 ただ、夕方とは言えないにしても西に傾きつつあるくらいの時間であったため、周りで露店を開いていたはずの人々も少し減っているのがわかった。

 ここで油を売っていても仕方がないので、私は近くの喫茶店に入って温かい紅茶でも飲みながら今回の売上の精算をすることにした。

 普段からライアを待つために利用している喫茶店。物静かな女性の店長と可愛らしい年頃のウェイトレスの二人でお店の経営を行っている。

 私がここに通いだしたのはほんの半年ほど前からのためそれ以前の事はわからないが、少なくともこの二人以外の人が店を回しているところは見たことがない。


「いらっしゃいませ! お好きな席にどうぞ!」


 よく通る元気な声でそう言われ、私はテーブルに僅かに日差しが入る程度の窓際の席を選択した。

 他に客はあまり居ない。本を読む若い女性と、良い身なりをした白髭の紳士の二人だけ。どちらも窓から離れた奥の席に座っている。

 席に座ると早々にウェイトレスの彼女がメモを片手に明るい笑顔で「ご注文は?」と訪ねてきた。

 半年経っても彼女の接し方は全く変わらない。少々距離は感じるが、ウェイトレスとしては完璧の振る舞いだろう。

 今日の売上が絶好調で少々気分が良かったため、初の試みではあるが彼女に少し意地悪をしてみることにした。


「あなたのおすすめは何かしら?」


 いつもはメニュー表を見て適当に紅茶を選んで注文しているため、こう問いかけられたのは初めてだろう。


「はい! 先日入荷したばかりのダージリンティーのファーストフラッシュをお勧めしております!」


 即答であった。素晴らしい、拍手を贈ろう。

 私は彼女に向けて小さく拍手をした。彼女はそれに対して首を傾げていたが、私が手を止めて「じゃあそれでお願い」と言うと、元気に返事をして接客の続きをする。


「お好みはどうされますか?」


 お好み。要は角砂糖の量やレモン、ミルク等の有無である。

 私はその日の気分で砂糖を入れたり入れなかったり、レモンやミルクも気分次第のため「いつもの」という楽な注文が出来ないのは少々痛手である。


「あなたは今どんな気分? 甘いものが飲みたい? ミルクでほっと一息、それともレモンの酸味ですっきりしたいかしら」


 あまりにも完璧な彼女にさらに追い打ちをかけてみる。

 そうですねぇ、とほんの一瞬考えてから、


「ファーストフラッシュのダージリンティーは淡いオレンジ色をしています。ですが見た目以上に力の感じる強い香りを持っているので、ストレートで楽しむのがベストとされています。それを考慮するならば、入れるとしてもお砂糖を少々ですね」


 そう彼女は一般的な意見を述べてからでも、と続ける。


「私の今の気持ちは、少女時代を思い出すかのようなミルクの滑らかな舌触りと、少ししつこいくらいの甘さが欲しいと感じています」


 胸に手を当てて、力強くそう言う。


「ファーストフラッシュのダージリンティーには邪道と言われてしまいそうな飲み方ではありますが、やはり『ベストなもの』と『好きなもの』は全く別のベクトルにあると私は思っております」


 感銘を受けた。

 こういったお茶や豆に詳しい人物というのは、頑なに「王道の楽しみ方」を勧める者が多いと誤解していたが、どうやらそうではないらしい。


「……いいお師匠を持ったわね」


 私は奥のカウンターに立っている店長を見てそう言った。

 言葉の意図を理解してくれたのか、彼女は今までで一番嬉しそうな返事をした。


「じゃあ、改めて注文をお願いするわね」


 そう言い、私はファーストフラッシュのダージリンティーに多めのミルクと、砂糖を三つ注文した。

 そして、注文を確認しカウンターの向こうに戻ろうとする彼女をちょっと待って、と引き止める。

 私は同じテーブルの対面の席を指さし、彼女に座るよう促した。


「えっ、えーっと」


 完璧なウェイトレスも流石にこれには狼狽えたが、私はそれが少し嬉しくなった。やはり彼女も普通に年頃の女の子ではないか。


「お師匠さん。この子、ちょっと借りてもいいかしら?」


 一部始終を静観していた店長に、そう呼びかける。


「……別料金ですよ」


 静かに微笑みながら店長はそう言った。とても優しい笑みであった。


「そう。それなら、同じものをこの子にも、ってことでいい?」


 そう告げると、店長は立ち上がって準備を始めた。


「……さて、許可も出たわよ」


 そう言われるとやはり逆らえないのだろう。彼女は諦めておとなしく席についた。

 それでもやはり客とウェイトレスの立場を意識しているのだろうか。顔に浮かんだ不安のその上に、取り繕うように微笑みが覆っていた。



『あなたは私が居ないと駄目なんて思っていたけれど、それは私のほうだったみたい』



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