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*028 Rion 「進化の狂信者」

 黒い糸は、様々な壁や建物を通り抜けてただまっすぐに伸びている。人混みを掻き分け、路地裏を通り抜け、出来る限り糸を見失わないように進む。糸に集中しすぎて途中何人かの人にぶつかって、何度も謝罪しながら早足で歩いた。


 やがて辿り着いた場所は、見覚えのあると言う事すら憚られる場所であった。

 ハイッセム城下墓地。その先にある小さな森に、その黒い糸は続いていた。一時的に召喚士の目を会得しているからだろうか。森の奥から黒い雰囲気が漂っているのを感じた。この先にきっと原因が存在する。目標に近付くたびに、私の身体はほんの少し震えを見せ始めていた。何を今更恐れているのだ。怖気づくのが遅すぎる。


 震える腕を叩いて森の奥を真っ直ぐに見据える。そして、今度はゆっくりと歩みを進めた。

 森の中は薄暗かったが、この目はしっかりと黒い糸を捉えていた。

 城下町の中にある小さな森だ。捜索にはさほど時間が掛からなかった。やがて森の中心あたりに小さな小屋が見えた。糸は吸い込まれるようにその小屋に繋がっており、そこで途切れていた。

 私は唾を飲む。先程よりも慎重に歩き、小屋の戸に触れる。鍵は掛かっていないようで、軽く押すと、僅かに軋む音が私を威嚇した。


「おっと、お客さんかい」


 若い男の声。一瞬戸を押す手が止まるが、その正体を見るため、私は思い切り戸を開く。

 小屋の奥で座るその人物は、声から想像のつく姿の男だった。

 ミディアムショートの茶髪と知的さを醸し出す銀縁の眼鏡。一般的な国民よりも少しフォーマルさのある服装。貴族とまでは行かずとも、騎士や帝国魔術師の家系を連想させる。


「……あなたは?」


 私は魔術書を構えて警戒しながら尋ねる。


「ただの騎士崩れさ。今は学校で教師なんかをやっている」


 嘲笑気味に口にする姿は、あまり気分の良いものではなかった。何分、黒い糸は彼の右腕に繋がっているのだから、不気味さは更に増す。


「教師……? まさか――――」


 そう言いかけると、彼は突然笑いだした。大声で狂ったかのように。

 やがて笑いが途切れると、彼の顔から表情が剥がれ、真顔になる。


「君もあの場に居たのか」


 その声は心臓を鷲掴みにされるように芯の通ったものだった。途端息苦しくなるが、私はそれに耐えて質問を続ける。


「魔物が現れた。他の教師達は無残にも鏖殺されていた」


 どちらも、貴方がやったこと? リゼは? そう彼に問うと、男はゆっくりと立ち上がる。


「仕方なかったんだよ。あの『秩序の鍵』に酷似した姿は気味が悪くてね。まさか学校に来る傭兵が、黒い刃を携えた剣士だとは、思わなかったんだ」


 ここじゃ狭い。外で話をしようと彼は言う。警戒しながら後ずさりに小屋を出る。どちらにしても戦闘になったらこの狭い空間じゃ戦いづらい。私は彼の提案を飲んだ。

 彼は私の後に続いて小屋を出ると、ついてこいと言わんばかりに私を一瞥して小屋の裏側まで歩いていった。


「この世界は間違っている」


 小屋の裏に着くと、彼は振り返らずにそう言った。


「何故人間ばかりがこの世界を支配しているんだ?」


 私は彼が何を言っているのか判らなかった。


「秩序の鍵を殺して、魔物が闊歩する世界にしようとしたのに、周りの教師共はなんて言ったと思う?」


 彼は振り返って続けざまに言う。


「あの傭兵の手助けをしてくれ、戦いの経験があるのは君だけだ」


 そう言ったんだ。彼は身体を震わせながら俯いて言う。


「そんなことをしたら、せっかく殺させるために魔物を放った意味がないじゃあないか!」


 だから殺した。皆殺しだ。邪魔だったからね。

 大声で叫んだかと思うと、彼は落胆したかのように小さくそう付け足す。

 言葉が出なかった。あまりにも人間の思考からかけ離れているその姿は、まさに狂信者そのものだった。


「…………リゼには……」


 リゼには何をしたの。そう問う。

 リゼ? と彼は一瞬疑問を声に出したが、ああ、あの騙されやすそうな女の子の事か、と口にした。


「彼女はよく動いてくれたよ。もともと魔術師としての適性が僅かにあったからね。操るにはうってつけだった」


 途中、支配の魔術を振り払おうとする気配が見えたから、今はゆっくり生命力を頂いているよ。魔物の召喚には何かと必要になるのでね。

 小娘の誘いに乗る馬鹿な男共が哀れだったよ。生ける屍となって、人を襲うことになるとは想像付かないだろうしね。

 愉快だった。人が死んでいく様は。そして死んだ人間が更に人を喰い殺す様子は更に滑稽だった。彼は笑いを堪えながら言う。


「……今すぐ、リゼに掛けた呪いを解きなさい」


 私は魔術書を正面に構える。

 彼はけたけたと笑いながらそれは出来ない相談だと言った。


「白魔術師の君に何が出来る。僕は黒魔術だって使えるんだぞ?」


 人を救うことしか能がない魔術師に、僕は殺せないさ。彼はそう言い放つと、魔術の詠唱を始めた。

 あの呪文は炎の魔術。攻撃的だが初級の魔術だ。防げる。

 私は魔術書のページを捲り、魔力を術式に流す。


「さあ、どれだけ耐えられるかな!」


 彼が放った炎の魔術は、大した威力ではないと傍目から見てわかった。

 私は手を前に掲げ、魔術を発動する。

 魔力の盾。魔力の形態を変化させて、魔力の通り道のみを塞ぐ魔術。炎はその魔力の盾に当たると方向を反らし、やがて消滅する。


「守るだけしか出来ないのか?」


 それなら、と彼は何度も炎の魔術を私に向けて撃ち続ける。

 魔力の盾にも限界がある。放たれた魔術を相殺するだけの魔力を消費するため、盾に魔力を注ぎ続けなければならないデメリット。これではただ私の魔力が削られるだけ。何かのきっかけで攻撃に転じなければ。

 突然、男の攻撃が止まった。


「……」


 私は魔力の盾を解除せずに、男をじっと見据える。


「埒が明かないな」


 もっと大きいものをぶつけてやる、と彼はまた詠唱を始めた。炎の魔術であることに変わりはない。だが、追加された呪文は魔力を拡散し範囲を広げるだけのもの。一点に集中していたほうが盾の魔力は削ることが出来る。一体何を考えているのだろうか。


「さあ、終わりにしようか」


 彼は手を構え、魔術を私に向けて発射する。

 拡散する炎の魔術。


「――――!」


 その魔術は、私の視界を覆った。しまったと思った時にはもう遅い。炎の霧が晴れ、視界が良好になる頃には、彼は私の眼前まで迫っていた。

 そのまま肩を捕まれ、組み伏せられる。


「純粋な魔力の盾が機能するのは純粋な魔術に対してのみだ」


 僕は魔術に関しては素人そのものだが、それくらいの常識は知っているよ。私を組み伏せた男は、そう言いながら私の首をゆっくりと締め上げる。


「すぐに死んでもらっては困るからね。あの少女と同じように、君にも養分になってもらうとしよう」


 脳への血の巡りが悪くなる。意識が遠のく感覚。私は必死に抵抗する。何か策があるはずだ。絶対に諦められない。ここで私が失敗したら、誰がこの男を再度見つけられるのだろうか。

 手探りで所持品を引っ掻き回して漁る。

 何かあるはずだ。その一縷の希望だけを辿って。

 意識が更に遠いていくのを感じた時、私の指先が小物入れの中の木箱に触れた。

 もう、これしかない。私は木箱の箱を乱暴に開き、一枚のインスタントを取り出す。そして、それを男の胸に押し付けた。インスタントは所有者の意思に呼応して発動する。瞬く間にそれは強い光を放った。

 アーク・フォルセティア。解呪の最大術式。それは間違いなく、男の全身に届いた。


「なんだ、これは」


 男は苦しみ出す。自身の胸を押さえ、上を向いて咽び叫ぶ。それを機に、私は男を思い切り押しのけて距離を取る。もう体内の魔力が足りないのだろうか。ふらふらとして直立が難しい。


「どうやら、よく効いているようね」


 息を切らせながら、私は呟く。堕ち人は、呪いそのものだと認識せざるを得なくなるくらい、その魔術が男の全身を浄化した。

 男が膝をついて何かを私に向かって叫んでいる。何を言っているのだろうか。音が遠くて聞こえない。視界も悪い。感覚全てが鈍い。気が付くと召喚士の目の効果も既に途切れていた。


 悪い気分ではなかった。眠りに落ちる寸前のような感覚。私はその誘いに抗いきれないだろう。彼は地面に伏して尚、私を罵るかのように何かを叫んでいたが、やがてその声は私に届かなくなる。

 何も音が聞こえない。視界はただただ白み、やがて純白で私を覆った。



 お疲れ様、と誰かが私に囁いた気がした。もう音は聞こえないはずなのに、その声ははっきりと私に呼びかけたように感じた。聞いた覚えのない声。しかし、どこか懐かしさを覚える包むような声。その声を私はどこかで知っていた。


 そうだ。暗闇の中で聞いた声だ。温かい水中で身体を丸め、私はその声に安堵を覚えていたのだ。

 私は、幻聴か本物かわからないその母の声を耳にすると、不安と緊張が断ち切られたように安心し、そのまま眠りに落ちた。



『守られてばかりの私。あなたの役に立ちたいと常に思っていた。私はあの時、あなたの助けとなれただろうか。』

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